山形さんはどうして申し開きの一つも入れないのか

2ちゃんねるのあちこちにみられるコピペ

>山形さんへ

今度も、申し開きの一つも入れないつもりか?
つーか、入れられないだけか…

> サムエルソンのはじめのころの国民所得の説明って、いまの教科書と
> あんまりかわってないでしょ。最近のマンキューあたりのほうがいい
> かげんになってるくらいで。理論的になら、経済厚生と国民所得が逆
> に動くようなモデルなんてすぐつくれるでしょう。結局、最高ってい
> うより、惰性で使ってる側面すらあるでしょ。特に生産がからむと、
> さっきいった資本の集計問題もあるし。最高のものの一つというなら、
> それちゃんと書いてる論文おしえてください。
地方(≠痴呆)にいるけど賢くなりたい経済学教員
http://d.hatena.ne.jp/osakaeco/20061114/p2

私のブログの訪問者を一番ふやした要因がこのコピペだと想像しております。山形さんのコバンザメをしているおかげで、美味しい魚(情報、コメント)がどんどんくる、Web進化論できるわけです。アンチ山形のみなさまには、ほんとは山形が好きなんとちがうかという本音はあえていいませんが、心より感謝しております。

というわけで有名人コバンザメによるWeb進化論計画の第二弾でございます。

まず、確認したいことは、私の http://d.hatena.ne.jp/osakaeco/20061114/p2 の多くの論点については山形さんは多分同意するであろうことです。

私:それ(国民所得)が使われる理由は経験的にGDPの増えたことによって、かえって国民が平均的に貧乏になることが少ない、もしくはしばしばそういうことが起こったとしても、もっといい指数がないくらいの理由と考えたほうが無理がないと思う。

http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20061104/p1

山形さん:そうした努力を積み重ねた結果として、お金は成長を計る完璧な尺度ではないかもしれませんが、手持ちの指標の中ではこの程度のものでも最高のものの一つとなってきたんです。みんな、さんざん考えてきたし、お金ではかりにくい成長があることはわかっています。その意味で「「お金」というスカラー量では不十分だ」というのは仮説でもなんでもなく、おもしろくもない事実でしかありません。

上の部分はDanさんとの議論で一番肝となる部分ですが、レトリックその他を省けば、山形さんと大坂が経済指標としてのGDPの理解についてそれほど距離がないことは明らかです。

経済学にくわしいはずの人達はケンブリッジ資本論争をおわすれか。集計資本ストックつまり、お金ではかった資本ストックは無意味であるということは、理論的にはほぼけっちゃくがついている。(中略)だから、基本的にはマクロ生産関数を仮定する分析はすべて理論的にはゴミなのである。

ここの部分について山形答えろといきりたつ方々がおられるのはわかりますが、山形さんは先の引用のなかで、「「お金」というスカラー量では不十分だ」というのは仮説でもなんでもなく、おもしろくもない事実でしかありません」とはっきりいっています。ケンブリッジ資本論争はアウトプットだけでなく生産過程のインプットをスカラーとしてみなすことをめぐっての論争でしたので、山形さんとしては、「そうね、インプットについても同じよね」といえば済む話です。これだけのことなら、申し開きの必要もありません。

では、山形さんがはっきり私に批判された部分と私の反論をあげます。

山形さん:はいはい、すごいですね。でもあなたが考える程度のことはすでにとっくの昔にだれかが考えているのです。そしてその中にはその仮説をブログで開陳するだけでなくきちんと検証し、精度をあげて実際に使い勝手を増すような工夫をした人々がたくさんいるということです。そうした努力がまさに成長ということです。

そうした努力を積み重ねた結果として、お金は成長を計る完璧な尺度ではないかもしれませんが、手持ちの指標の中ではこの程度のものでも最高のものの一つとなってきたんです。

大坂:
そんなん努力してないでしょ。大昔なんであんまりよく覚えてないけど、サムエルソンのはじめのころの国民所得の説明って、いまの教科書とあんまりかわってないでしょ。最近のマンキューあたりのほうがいいかげんになってるくらいで。理論的になら、経済厚生と国民所得が逆に動くようなモデルなんてすぐつくれるでしょう。結局、最高っていうより、惰性で使ってる側面すらあるでしょ。特に生産がからむと、さっきいった資本の集計問題もあるし。最高のものの一つというなら、それちゃんと書いてる論文おしえてください。

ちょっと補足すれば、国民所得勘定の改良がなされているのは確かですが、その結果、「最高のものの一つとなってきたんです」とはいえません。多分、すでに完成された国民所得概念に対応するものを実世界で計測するための努力が山形さんのいう「努力を積み重ね」の中身でしょう。学史には詳しくないのですが、リカードさんやマルクスさんの余剰概念が現在の国民所得計算の観点からおかしいという議論は聞いたことがありません*1。そういった意味では、概念としてはリカード以降進歩がないといってもいいんじゃないかと思います*2

ここでの問題はそういった学説史上の問題以前に、弾さんがアクセス困難な学会の動向を語って(捏造して)、Danさんに反論しがたい、あるいは不可能なやりかたでこきおろしていることです。もし、山形さんがつぎのように書いていたとしたら、あのエントリはかかなかったでしょう。

ニセ山形:おーえらい、えらい。だけど、そのことは経済学者はだいたい知っているんだよ。だから、違う指標考えたり、いろいろしている。おっしゃるとおり、GDPは完璧な指標ではない。しかも、現実の豊かさの実感をちゃんと反映しないこともありうる。でも今までみんな使ってきたし、それは他の指標にくらべて欠陥が比較的少なかったからだろう。

山形さんのGDPに関する論点は大体おさえていると思うのですが。

しかし、私は山形さんでしたら、この程度のことはすでに認識していると思います。話はちょっとそれますが、最近知人の書いた文章が、「役人は保身に走る傾向がある。行政で教育問題を解決することは不可能だ」という趣旨の文章を公開し、それに対して「それは「韓国人が差別されやすいから、ひがみっぽくなる」というのとどこがちがう」とかみつきました。返事がなくてイライラしていたら、奥さんに「あれじゃ、読んでも読まなくても返事できないじゃない」といわれ反省しました。私のやったことはその種類のことだったように思います。この点については山形さんの対応は、素人の議論をつぶすのに専門家が素人の反論できない学説史を捏造してつぶすことが政治的に正しいかどうかについての山形さんの見解をいうか、あやまるしかないのです。

率直にいって、そういうのは私をふくめた山形コンプレックスをもつものには、一瞬は快感をもたらしますが、ネット上の論争で百戦錬磨の山形さんがそういうのがあんまり生産的でないことはよく御存じだと思います。したがって、この件について、山形さんの申し開きは期待いたしません。

しかし、「はいはい、すごいですね。でもあなたが考える程度のことはすでにとっくの昔にだれかが考えているのです」と類似をフレーズを山形さんがお使いになるのを読んだのは今回が初めてではないように思います。山形さんがこのフレーズを意識的に素人つぶしに使っているかは検証の必要がありますが、今回それが結果的に政治的に正しくない結果をまねくのだということは山形さんは自覚された方がよろしいかと思います。また、これを読んだアンチ山形の人は今後山形さんが類似のフレーズをお使いになるとき、かならず「ソースを示せ」というに違いありません。そのへんもお気をつけになられたほうが賢いのではと地方大学出身者の分際で思ったりするわけです。

補足 (11月23日 PM9:30ごろ)

私は山形氏を買いかぶっていたようです。山形氏について非常に悲しく思います。詳しくはこのエントリを熟読のうえ、本エントリにトラックバックされている田中秀臣氏のエントリのコメント欄をお読みください。

補足(11月24日)

暇人さんの指摘をうけ、捏造という表現をDELしました。この点をふくめ、24日付けの記事に山形さんに対する謝罪をします。是非あわせてお読みください。

*1:アダムスミスについてはマルクスがけちょんけちょんにした割と有名な議論があるようです。

*2:まちがってたらどなたか御指摘ください