有用性のある「トンデモ」について

とても明白なことに気がついた。私が有用性のある「トンデモ」と呼んでいるものは、要は科学的対象について、通常科学と違うアプローチをし、なおかつ、一部の対象については有効性なり有用性をもち、別の対象については科学によって誤りが判明している世界観と定義できると思う。もし、有効性も有用性もないのなら、それは単に誤った世界観、あるいは現実に対応しない世界観、ようするに迷信にすぎない。

しかし、科学においてもすべての対象が説明されているわけではなく、説明できない部分は常にある。権威主義的な(表面は反権威主義的な)疑似科学は「おー、通常科学のほうがトンデモだ」と騒ぐわけだが、疑似科学と科学のちがいは、疑似科学が説明できない事実を放置するのに対して、科学は説明できない事実によって、自らを修正し発展させることにある。つまり、説明できない事実があるかないかではなく、説明できない事実を放置しているかどうかが、科学の疑似科学に対する優位性なのである。したがって、説明できない事実の有無のみによってある世界観をトンデモと呼ぶことは不適切である。これまで私が有用性のあるトンデモと読んでいたものを非科学的主張が未解消な代替的世界観と呼ぶことにする。

したがって、私が非科学的主張が未解消な代替的世界観への敬意をもった正当な対応は、その主張の一部が科学による説明とちがうことを指摘し、それを糾弾することではなく、それを踏まえた上での世界観の発展をうながすことのように思う。「ホメオパシーがだめだから、シュタイナーがだめだ」というのではなく、「ホメオパシーの薬効は科学的には否定されるのだが、それを踏まえて、シュタイナー思想をどう発展させたいのでしょうか」と問うことのように思う。もし、ホメオパシーが科学的に否定されていることを納得したうえで、従来のままのシュタイナー思想に固執するのなら、その人はシュタイナー・カルトにすぎない。もちろん、きちんと科学的に否定されているという事実の説明をこちらがきちんとする必要がある。逆にこのような対応をせずにある科学的事実に反する主張をしていることだけをとりあげ、権威主義的に否定することは、科学を装いながら疑似科学が科学にしていることを、違う世界観に対して行なっているにすぎない。

あくまで、理論的な可能性であるが(とりわけ、ホメオパシーがそうだとは絶対に思っていない)、仮に、通常科学と異るが、科学的アプローチと優劣がつかない方法で、科学に否定されるが、当該アプローチで擁護可能な事例があったとしよう。その場合は、それこそ、科学の方が発展する契機であり、事実をそのように受け入れるのが科学的態度である。

ここで閉めくくると、この文章は絶対、疑似科学擁護につかわれるので、それを防ぐためのいくつかの注意を明記する。なお、科学的主張とされるもの、あるいは科学的主張を自称するものへの反論の論拠として、本エントリを引用する場合は、必ず下の1-3を含めてください。もし、ブログ等でこれに反する引用を見けた方はコメント欄などで、1-3の存在を当該エントリの読者に周知するよう協力願えれば幸いです。

  1. もし、ある人々が十分な非科学性についての説明の上で、それを自らの発展の契機とせず、従来の主張にとどまろうとするならば、彼らはカルトと見做してよい。また、そもそも、非科学性についての説明を聞くのすら拒否するならば、同様に彼らはカルトである。ただし、これは非科学的主張についての性急な意見表明を代替的世界観をもつ人々に強いるものではない。
  2. ただし、一旦、非科学的主張の存在を受けいれた代替的世界観をもつ人々は、それが周囲に実害をもたらす可能性が場合、それに対する予防策を直ちに講じなくてはならない。
  3. もし、ある代替的世界観が、科学と同じ対象について、自らのアプローチが科学と優劣をつけがたいものであると主張するのなら、エラー訂正において、科学に対して何らかの優位性をもたなければならない。少くとも、世界観と齟齬がある現実が発見された場合に何らかの形で自らを修正するメカニズムをもたなければならない。とりわけ、代替的世界観の結果や齟齬を代替的世界観のを受け入れた個人に帰結する思考方法を内在する代替的世界観はカルトであり、上記の基準は満しえない。
  4. この文章の主張は非科学的主張が未解消な代替的世界観をもつ人の周辺にいて、なおかつ、その非科学性を知っているもの(もちろん私も含まれる)に対して、責任を要求するものである。もし、彼等の非科学的主張が実害を及ぼすことを知っており、なおかつ、ここでの主張をうけいれるとすれば、彼らの主張に非科学的部分が含まれることを知りながら放置し、なおかつ、実害が生じたとすれば、そのことを放置したものは一定の道義的責任を負うことになる。この点について、私の妻がホメオパシーに関連して本人あるいは周囲に何らかの実害を発生させ、なおかつ、私の科学的事実の説明の努力が不十分であった場合、妻の行動について少なくとも道義的な責任の一部は私にもあることを明言する。
  5. あくまでこの議論の対象は科学と対象が重なる分野についてであり、科学の対象でない分野において、科学で証明できない事実を主張すること理由として、代替的世界観を攻撃してはならない。
  6. たとえ、非科学的主張が含まれる世界観であっても、その対象が世界観をもつ人々にとって重要性が低く、なおかつ、彼らがその主張をもつことによって、周囲に実害をあたえない場合、その世界観に干渉してはならない。

最後のリスト部分に他に入れる必要があるものがあれば、補充していきたいと思います。コメント欄で御提案してもらえればうれしいです。