痴呆(地方)でいいもん。

2007-10-11

濱口さんへのカメレス  濱口さんへのカメレスを含むブックマーク  濱口さんへのカメレスのブックマークコメント

濱口さんのエントリで気がついたことを書こうとしてたんですけど、授業の準備→同僚と酒飲む→授業の準備→学生と酒飲む→授業の準備→同僚と酒飲む というアホな生活サイクルに陥いってしまっております。また飲み会はいっちゃったんですけど。(1ヶ月前から、「今度飲もう」とお楽しみにしていた同僚の誘いなので断れない)

その間にも何回か書きかけていたのですが、書いている途中でブラウザが落ちたりもしたのもあるのですが、濱口さんに気づかせてもらったことというのが、気がついてしまえば、あまりに単純なことなので、書いている途中で自分がアホに見えてしまって続きを書くのが萎えてしまうのです。以下は40すぎまでこんなこともわからん奴もいるというアホの見本として読んでいただければと思います。

私は経済学をちゃんと始める前に、時々ここでも言及する鬼頭秀一先生*1に科学史を教わって、いっぱしの相対主義者をきどっちゃっていました。「科学の進歩」なるものは単純な真理の蓄積のプロセスではなく、そんなことをいうのは現実の科学の歴史をしらんあほのいうことだと、今もって、「現実の科学史」などよー知らんのに、えらそうに思っていました。科学といえども、世界観のひとつであって、異なる世界観のいずれがより現実的であるかを判定するのは原理的に不可能だと考えていました。

けれども、自分の仕事として科学のひとつである経済学にかかわると、当然ながら、自分のやっていることは現実とつながりがあって欲しいと思うようになりました。それどころか、ここ最近はpoohさんをはじめとする皆さんに似非科学批判について啓蒙され、ブログで「俺は現実知りたいねん」と叫びだす始末です。

だけども、威勢のいいことをここでもいろいろ書いていたのですが、かつての相対主義にきちんと決着をつけて路線変更したわけではないので、心の底では「現実」などと安易にいってええんやろかとか、もろもろの疑心暗鬼がとぐろをまいていたのです。

濱口さんにいわれたことをきっかけに考えたことの一つは、哲学で問題にされる、例えばカント物自体のようなものと、科学や社会科学における事実はずいぶんレベルの違うものではないかということです。本当の現実というのは我々は接っするとが不可能です。社会科学や科学でいう事実というのは、結局は同一の対象についての複数の観察者がいる場面に関ることがらのように思います。複数の観察者がいるときに、同一の対象について違う見解があるときに、ひとびとは観察者から独立した、客観的な事実存在を思いうかべ、複数の見解から、なんらかの形で客観的事実に近いと思われる見解をつくりだそうとするのだろうと思います。(素人哲学ごめんなさい。)

もしそうならば、我々が向いうる「客観的事実」というのはカント物自体のようなものではなく、我々の間で共同主観的に形成された、なんらかの意味で妥当な認識の一種でしかありません。そういう意味では、物自体認識を真の客観的認識とする立場からすれば、われわれのいかなる認識も客観的とはいえません。これを認める点では私は現在でも相対主義者です。

だけども、我々が複数の観察者の異なる見解から、なんらかの見解を事実として受けいれる場合、そのプロセスについて、妥当なプロセスとそうでないプロセスを区別することはできます。そこ区別の根拠自体、評価する側のなんらかの価値観を前提するものではあるでしょうが、要するに我々は科学的方法についての規範をもつことができます。

濱口さんの指摘は私なりに乱暴に要約(曲解?)すると「てめーら、経済学嫁とかいってるけど、おめーらの規範どうりには、おめーら自身の論争自体すすんどらんじゃねーか。ばか」ということです。(で、いいでしょうか濱口さん)これは単純に事実として認めたいと思います。通常科学者・社会科学者は、おそらく客観的事実にちかづくのが善であるという価値観をいだきながら、その分野での論争を行ないますが、科学者・社会科学者はそうした規範にのみのっとった行動をとるわけではありません。濱口さんの、いつもながらの深い教養にうらづけられた具体的な指摘に対して、私の無教養を反映した、無闇に抽象的な表現になって恐縮ですが、規範意識は科学者・社会科学者の行動の動機のひとつではありません。とりわけ社会科学者の場合、その論争での発言が社会的影響発言者自身の生活や社会的地位におよぼす影響が大きいので、論争が重要性をもつほど、科学者としての規範意識以外の利害に影響される側面が大きくなると予想されます。(環境問題なり、水俣病のような自然科学者の行動の社会的影響が強い場面では自然科学者も規範意識以外の利害に影響される側面が大きくなると予想できますし、実際そうだと思います。)

このようなことを考えつつ、私が納得したのは、歴史的に科学者・社会科学者がどうであれ、科学の規範を論じることは可能であるということです。これは単純に経済学教科書のはじめに、実証と規範の問題として語られるおなじみの問題を単に科学や社会科学の歴史に適用しただけのものであり、今になってやっと気がついた私はなんてアホなんでしょう。

ただ、規範の問題についていえば、我々は神さまではありませんので、夢のような規範理論を考えたとしても、我々がなんらかの意味で実行可能でなければ、無意味です。これについては、ページが見つかりませんでした « 京都大学大学院文学研究科・文学部から示唆をうけました。この点で我々がどのような行動をとりうるか考える上で、現実の科学者・社会科学者が歴史的にどのように行動していたかを知る必要があると思います。今後とも、濱口さんにビシバシしていただければと大変うれしいです。

*1学生のころは面と向って「先生」なんて呼ばない失礼な奴だったなー

松尾匡松尾匡 2007/10/11 18:49 T. A. ダスマツォフがいいですな、同志オーサコフ。お取り上げいただいて感謝します。書名をあげて販促してもらえれば、もっとうれしいです(笑)。私も、教育すれば簡単に経済学的発想に変わるとは思っておりませんで、やっぱり上部構造は土台を反映していて、何らかの社会条件のもとでは合理的だったものが、その条件がなくなっても名残で残っているものなのでしょう。
 ケインズを反経済学的発想のフレームで解釈するのは、ケインズがどう考えていたかを離れれば、その当時の社会条件のもとでは合理的だったのかもしれません。リフレ論を反経済学的フレームから解釈することも、賛否いずれでもでできると思います。しかしそれは現実に合わなくなっているということだと思います。

宮台の奴め!宮台の奴め! 2007/10/16 15:30 ここから井庭先生のおっしゃったことに繋ぐと、ヨーロッパの学的伝統では、全体性を十分に参照しうるコンピタンス(能力)を身につけた者だけが学的営みに関われるという共通了解があります。これは貴族主義的とも言えますし、閉鎖的だとも言えます。訓練されて方法に習熟すれば誰にでもアクセスできるものだとは考えられていません。

■■■ 社会シミュレーションによる思考実験
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=534
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/bake/1178232652/197-198
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/bake/1178232652/141-142

トンデモめ!トンデモめ! 2007/10/16 15:49 月が自転していることを知らなかったのは、単に興味がないだけのことだし、ノストラダムスを信じていたことがあるのも子供だったら当然ありうるわけで、それを前提にして相手を見下してしまうという学生・・・。一体どういう教育を受けているのでしょうね。というより国立大学の先生達はどういう教育をしているのでしょう。
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/sci/1174710590/494

きはむめきはむめ 2007/10/16 16:27 赤木智弘、後藤和智、宮台真司、鈴木謙介などの言説と立場を(私なりに理解したものを)勝手に擦り合わせたり戦わせたりしているのだが、特段何かを言えるまで思考がまとまることはない。(価値的含みは無く)前二者(+お望みなら「ニセ科学」批判者)が局地戦であるのに対して後二者はもっと広く戦場全体を見ているということは明確だが、後二者間には明らかにスタンスの違いがあるし、前二者の間にも潜在的な対立点があるはずだと思う。
http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20071009/p1

msxmsx 2008/01/10 22:31 年収300万円の豊かな暮らし
ttp://shinka3.exblog.jp/7909660/

↑ここで、小池田君が暴れてるんですけど

1. >有機肥料のみで、化成肥料なしでも収穫できるのは、窒素固定を過去に工業的に行った蓄積があるからであり、かつてはチリ硝石が人口の上限だと考えられていました(マルサス)。

2. >そのために劣位産業を捨てて特化する必要があると書いてるんです。リカードの比較生産費説ぐらい高校の教科書引っ張り出して読んだらどうですか?

ちなみに、akihiroino=inoue0

1.については、普通に、日本語を読めば工業化社会以前には農業が存在しないと読めるんですけど、

2. については、そんな、リカードの主張が正しいのなら、なぜイギリスは日本を絹と茶のモノカルチャーの国にとどめておいたはずでは?

----------------------------------------
大石英司の代替空港
Inoue site:http://eiji.txt-nifty.com/

大石英司の代替空港: 日本の農業は末期癌状態
ttp://eiji.txt-nifty.com/diary/2007/10/post_ee21.html
大石英司の代替空港: エコフィード
ttp://eiji.txt-nifty.com/diary/2007/11/post_e365.html
米経済に秘策ありや
ttp://eiji.txt-nifty.com/diary/2008/01/post_8dc0.html

----------------------------------------
池田信夫 blog
Inoue site:http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/

池田信夫 blog 環境省にとって不都合な真実
ttp://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/1c3853529fcf69961723f74b11dd1060
池田信夫 blog 食料自給率という幻想
ttp://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/dc1ed23cfded932bbfe48b6e39058e5e
池田信夫 blog こうすれば農水省は廃止できる
ttp://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/494a8e58b04842880c1862a561b3a400
池田信夫 blog 民主党は「松岡利勝」になるのか
ttp://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/3aa844e37322d40ad5d539aa3d3b3d34

----------------------------------------
ブログ時評 - 団藤保晴
inoue0 site:http://dando.exblog.jp/

敢えて一石を投じてみた理由
ttp://dando.exblog.jp/7836339/
専業農家の救出を急がねば稲作は崩壊
ttp://dando.exblog.jp/7826917/

----------------------------------------
5号館のつぶやき
inoue0 site:http://shinka3.exblog.jp/

msxmsx 2008/01/12 14:47 SMクラブ大英帝国物語(あるいはリカードのムチ)

初代マネージャー
デヴィッド・リカード(1772年 - 1823年)

インド人:
女王様、この綿のパンティーをお召しください
女王様:
このムチをお受け

日本人:
女王様、この絹のパンティーをお召しください
女王様:
このムチをお受け

ドイツ人:
女王様、この人絹のパンティーをお召しください
女王様:
なに、このゴワゴワ感は、あたしをバカにしてるのね、このムチをお受け

アメリカ人
女王様、このナイロンのパンティーをお召しください
女王様:
このムチをお受け

ドイツ人:
おい日本人、女王様の寵愛を独り占めしているアメリカ人にヤキをいれてやろうぜ。

第n代マネージャー
池田信夫(1953年 -)

罵倒芸はあいかわらず続く

こんな、理解でいいのかな小池田先生

ふまふま 2008/01/30 12:25 少し向こうにも書きましたけど「科学者の多くが、水伝を問題視している」ともし言うのなら、それは事実誤認な訳です。

当事者って誰のこと?水伝を批判している人を当事者だと言えば、その通りだろうけど。別に科学者は当事者でも何でもないと思いますが。少なくとも、本人達の意識としては。

http://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2008/01/post_3ed2.html

osakaecoosakaeco 2008/02/01 00:09 ふまさん。ごぶさたです。

以下のpoohさんとこでの私のコメントはふまさんの返答にもなっていますので、読んでもらえるとうれしいです。

http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2008-01-31;jsessionid=CF05B1082F51557116525F1A1DA7EBF1

ふまふま 2008/02/01 00:53 > 事実のことでなくて、「科学くん」の気持とか、「疑似科学くん」の気持とかばっかり考えている
> 当事者意識といわれると、議論の当事者であるという意味での当事者意識しか思いうかばなくなる

これ、多分、前に議論したことと同じで、osakaさんの意識としてはそれは分かるのですよ。
ここで言う当事者とは「水が言葉の意味に反応するかどうか、というのが事実か、どうかに強い関心を持つ者」というような意味だと思います。
もちろん、そういう人もいるのだろうな、と思うのです。
しかし、水伝に好意的な人の中でのも、そのような意味での当事者は少なくて、さらに水伝に批判的な人の中では、さらに少ない、と思います。少なくとも、「水伝なんて明らかに事実ではない。それは、当たり前のことだ」というような態度では、【そのような意味での当事者】には見えないと思います。

私自身は「水が言葉に反応するという事実」に比べれば、そういった事実の方により関心があります。

osakaecoosakaeco 2008/02/04 00:52 ふまさんへの返答を他人への言及でするモードになっちゃってますね。ごめんなさい。今、投稿したエントリを読んでもらえるとうれしいです。

Connection: close