突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

大阪 飛田新地に至る


仕事で大阪に2泊した。帰る日の朝、昼まで時間があったので梅田から御堂筋線に乗車して以前より見てみたかった場所へと向かった。俺はこれまで新大久保のイスラム横丁とか墨田の鳩の街とか山谷とか横浜寿町とか廃墟に向かう足立の団地群とか・・・東京の裏側を訪ね歩いてきたが、大阪の南側の低地に広がる最後の遊郭街「飛田新地」をぜひ目撃してみたかったのである。

地下鉄は心斎橋を過ぎ道頓堀川の下を通り抜け天王寺の手前の駅、動物園前駅に至る。駅から地上へ出るとすぐにその異界への入り口が口を開けている。

一番街は新地へと続く湿った助走路である。踏み入れた途端、40〜50年前に時間が逆行する。アーケードで外界から隔絶し、快晴の日にも薄暗くクレゾール系の消毒薬の匂いが立ち込める商店街の午前11時。ほとんどはシャッターが降りているが所々に八百屋や質屋や古道具屋やモーニングサービス中の喫茶店が開いていたりもする。酒焼けした60代から70代前半のいかにも西成地区っぽい日雇い風のおっさんどもが自転車で通り過ぎていく。多くはないが、ほとんど酒で廃人となってしまったように見える浮浪者がフラフラしてもいる。わずかに見かける20代男は狐目をしている。しかし、間違いなく場違いであろう俺には誰一人目もくれない。そして笑いはどこにもなく音もない。
こんな完全にタイムスリップした、延々と続くアーケード街を俺は見たことがなかった。

15分ほど歩きアーケードを抜け出ると…。



飛田新地では写真を撮ってはいけない。撮ろうとすると罵声を浴びたり脅かされたりすると聞いていた。だからまだ多くは開店前の時間に行って撮るのがよいのである。昼前でも10軒に1軒は開いていて「おにーさん、おにーさん、いい娘いるから寄っといで・・・」という遣りて婆のだみ声を聞くことができた。
集結している店はすべて「料亭」である。料亭に踏み入れた客は、そこに居合わせた中居さんと勝手に自由恋愛に堕ちるのである。
ここに「料亭」を開くにあたっては、部屋の配置やそれぞれの広さなど、事前に警察の細部にわたるチェックを受けるのだという。料亭の体をなしていなければならないということなのだろう。この街全体の秩序を取り仕切っているのは「料理組合」という組織らしい。あの橋下徹はこの料理組合の顧問弁護士をやっていたのだという。

飛田新地は大正5年ごろ出来上がった。明治の半ばから難波にあった遊郭街が大火で壊滅しこの低地に移された。その後昭和33年(俺の生まれ年)に売春防止法が施行され遊郭街は料亭街に名を変えた。もちろん行われていることは大正の昔と変わらない。
ネット記事に、ある料亭経営者のインタビューが乗っていた。今、この街で仕事をしている女性のほとんどは悲しい運命など背負っているわけではなく、ぜいたくな暮らしをしたいだけというケースがほとんどなのだという。だから他の風俗からの転身も多いが、もとは一般の大学生や役所勤めや普通の会社事務員なのだそうだ。
それにしてもこのような街が今なお白昼堂々と成り立っているのは不思議と言えば不思議である。いや不思議ではないと言えば不思議ではない…。
物事には必ず表と裏があるわけだが、この街のすぐ隣には日本一の超高層ビルあべのハルカスが威容を誇り、真新しいタワーマンションが林立して幸せそうな若い家族ずれが行きかっている。
人の世の光と闇の隠微なコントラストに俺は惹かれるのだが、近頃は何もかも、一見清潔で健康そうで優しそうで正論ぽくて前向きっぽい・・・浅く薄っぺらな景観や表現や主張に世の中は覆いつくされていくようである。