突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

突然ウズベキスタンへ ③〜ブハラ



サマルカンドから高速鉄道で約1時間半、古都ブハラは、イスラム世界の文化的中心地として、最盛期の1100年以上前には優れた科学者、宗教家、詩人らを輩出したのだそうである。サマルカンド同様に1220年のチンギス・ハーンの来襲により破壊されたが、16世紀初頭になって当時のイスラム王朝により再建された。その後約500年経って今に至るが旧市街の景観は500年前とあまり変化がないのだという。これは大変なことだと思う。世界中探してそんな街が他にあるのだろうか。

このオヤジも500年前と変わらないのだろう。

ここも表通りから一歩入ればいきなり裏町である。しかし決してスラムではない。下は、街の中心にある広場であり、俺はこの近くの3つ星ホテル「オマーハイヤム」に宿泊した。

夜9時ごろ、1人でフロント番をしている眠そうな30位の男に「明日は早朝4時に出発するので、朝飯のサンドイッチをさっき別のスタッフに頼んだが、ちゃんとやってくれよ。」と言うと、「当然聞いているしわかっている」とうるさそうな顔でこたえたが、4時のチェックアウトではやはり忘れていた。こういう奴は広大な砂漠の中の小さな町で何になっていくのだろうか。

ブハラに到着して歩き始めたのは昼前だったので旧市街の一部しか観ることはできなかった。しかし、今回の6日間の中で、この旧市街で過ごした数時間のインパクトは強烈だった。時間を大きく巻き戻したような別世界・・シルクロードの時代の砂漠の太陽に照らされ歩いているような不思議な静寂に包まれる街・・。




下のオヤジは刃物屋である。「あなたは日本のガイドブックに出ているよ」と声をかけると、奥から持ってきて嬉しそうだった。ヨーロッパからの観光客にも見せて自慢していたが、太ったおばさんたちにハデに褒められさらに自慢話は止まらなくなっていた。

ブハラはこの日34度だったが、乾燥しているのでエアコンは必要ない。昼はステーキを食ったが、ゴムのように硬かった。店員はずっとスマホをいじっていて、ビールのお代わりやミネラルウォーターの注文で声をかけると、2人で、お前がいけ・・いや、お前の番だ・・などと言い合って怠けようとしていた。しかし、やってくると笑顔であり感じよく振る舞おうとするところが特徴のようだった。
食っていると猫がよって来たので、ゴム肉を床に落とすと猫が3匹になった。22歳くらいの店員が「クスクスッ、クスクスッ」と言いながら追い払っていた。

ブハラのシンボルであるカラーンミナレットはおよそ900年前に建てられ、チンギス・ハーンの破壊からも免れたのだという。イスラム教徒に礼拝を呼びかけるためのものというが、18世紀以降は死刑執行の塔ともなり、袋に詰められた死刑囚が46mの塔から投げ落されたのだという。近寄って両手で触ってみたが、なんとも言えない深部から湧き出る熱のようなものを感じた。


ミナレットの隣は「カラーンモスク」である。涼しい風が吹き始める中庭の夕方はひときわ美しい。ベンチに腰掛けて、夕陽に照らされるモスクを眺めていると、心のどこかに蠢いている悔やんだり心配したりが遠のいていき、「今その時」に全身が同化して行くのがわかるのだ。



広場に面した小綺麗なカフェをやっているおばさん?お姉さん?である。ウズベキスタンの人の年齢は欧米人以上にわかりにくい。「ユーアーソービューティフル」などと言いながら一緒に自撮りを試みたのだが失敗していた。カフェを出てしばらくウロウロしていると閑散とした夕暮れの広場に女の声が響き渡った。お姉さんはカフェの前で布製品のお土産も売っていて見て行けと言っているようだった。

ナディールディヴァンヴェギメドレセという神学校史跡の中庭では19時からディナー付き民族舞踊ショーをやっていた。この男はショーを取り仕切るマネジャーであり19歳である。
近くの工房で木彫り細工を見ているとこいつがやって来て「ブハラを楽しんでるか?」みたいに声をかけた。なんだこのガキは・・と思いつつ「ここでやるショーを観たいんだ」と言うと「俺が全てを取り仕切っているゼネラルマネジャーだ。ディナー付きで10ドルでいい。酒は俺のおごりだ。19時に始まるから10分前には来てくれ。」と、クリアーな英語で言い放ったのである。俺は半分以上の確率でガキが小金をだまし取ろうとしているのだろうと思っていたが、大したことでもないので10ドルを渡した。

10分前に戻ると、奴が迎えに出て来て、ほぼ満員なのに4人掛けの小上がり席を俺1人で独占する良い席が用意されていた。奴は子分みたいな少年を使いながら100人弱の全てのテーブルに目を光らせていた。この国では19歳が19歳らしく振舞ったりする必要はないのだろう。奴は毎晩満員にするために団体客を持っている内外のエイジェントをはじめ様々に営業をしているはずだ。19歳でも能力次第では地方政府に認められ、たくさんの年上のスタッフを使い、踊り子たちやバンドミュージシャンらを束ねて興業の代表を務めることができるのだ。

途中、身なりが貧しい見知らぬ東洋人女が俺のテーブルに座り観はじめた。19歳がすぐにやって来て「あんたの友達ではないよな」と確認すると、二言三言怒鳴りつけてつまみ出していた。
こいつは将来どんな男になって行くのだろう。