突然の旅人

大した話でもない黒坂修のアホ旅日記

突然ウズベキスタンへ ④ タシケント


ブハラを早朝5時の高速鉄道で出て首都タシケントに着いたのは9時前だった。タシケントも2000年を超える歴史を持ち、シルクロードの大中継地だったということだが、今は、幅が50mもあるような道路が整然と整備されて高層ビルが連なる300万人近い大都会である。19世紀よりロシアやソ連により街は作り変えられ、1966年の大地震ソ連により完全に「整備された近代都市」となり、従って大部分は面白みのない単にだだっ広く共産権威主義っぽい街となってしまった。

こいつは、5日前にタシケント空港に到着した夜にホテルまで俺を運んだドライバー25歳である。その日、こいつがしつこく「5日目はここタシケントで朝から夕方まで1日ある。ホテルにいても仕方ないから、俺の車に乗って景色のいい山や湖を観に行くべきだ。120ドルでいいよ。」と何度も言うので「わかった。そうしよう。メシ代も入れて100ドルだ。」と約束してしまったのだった。
その日俺はデイユースで押さえたホテルでまったりして、時々散歩に出ながら世界中にあるマクドナルドやピザハットに行き、公園で強烈な陽を浴びながらビールを立て続けに飲んでその場で寝たりもして、夜の飛行機を待ちたかった。
9時半ごろホテルにチェックインした後、すぐ出発しようとする若者に「出発は10時半にする。部屋に行くから1時間後にまた来てくれ。」と言うと奴は「部屋に1時間もいる理由はなんだ?」と両手を広げて質問した。こんなめんどくせえ小僧と1日中付き合うのかと思うと気が重かった。

山岳地帯の景勝地には、タシケント中心部のホテルから1時間半もかかった。確かにこの山々が遠く中国西部から連なる天山山系の西の果ての部分かと思うとワクワクする気分にはなる。
しかし、ここまでの車内では俺はなぜか強く助手席を勧められ、奴とヘタ同士の英語でかったるい会話を続ける羽目になっていた。そして、俺はこのドライバー小僧がどんどん嫌いになって行くのだった。小僧は世界の動きや日本の状況に詳しいことが自慢のようで俺に度々質問をした。
例えば、
小僧:「日本の若者はなぜ結婚するのが遅くなったんだ?」
俺:「自分のやりたいことをするためには独身の方がいい、ということだろう」
小僧:「そういう考えは改めるべきだ。だから子供が少なくなる。」
小僧:「トランプよりはプーチンの方がまともだが、あんたもそう思うか?」
俺:「どっちもまともとは思えないが、トランプの無知無教養は突出している」
小僧「俺はイエスかノーかで訊いているんだ」
俺:「君はムスリムだと言ったが、酒は飲まないのか?」
小僧:「ムスリムかどうか以前に酒なんて興味もないしいけないことだ」
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小僧のくせにやけに自信があり、経験もないくせに決めつけた言い方や自分勝手な物言いが過ぎる奴だった。こいつが日本人なら間違いなく怒鳴りつけて引き返させ金も払わなかっただろう。

小僧は、「このあたりに僕らはコテージを借りたり、バーベキューをやったりして楽しむんだ。素晴らしいところだろう。」と言っていた。こいつは、日本にもこういうところがあるかもしれないとは思わないようだった。俺はこんな小僧と片道20分もの長距離リフトに並んで座って往復した。「こんなおっさんじゃなくて彼女と乗ることもあるんだろ?」と訊くと「それはいいんだ。今日は仕事だから。」と言っていた。何から何まで話がかみ合わない小僧だった。
2000メートルを超えるリフトの往復は気温15度であり地上より20度低い。半袖のまま連れてこられた俺は風が吹くと震えていたが小僧はパーカーを着込んでいた。


山岳リゾートの帰りに、小僧は俺を地元の人々に人気があるバーベキューハウスに立ち寄らせた。小僧は、俺がどんどん嫌いになっていることには気が付いていないようだった。「俺は羊は食わないからビーフかチキンにしてくれ。」と言うと「ウズベキスタンの羊は臭くないし美味いんだ。食べたほうがいい。」としつこかったが、「いや、羊は食べない」と断った。しかし、出てきたのは下のように羊だった。小僧は「今日はビーフはなかったんだ。」と言っていた。いい加減にしろやこの野郎・・と言いたいのをこらえた。何しろここからホテルまではこいつの車に乗っていくしかないのだ。ビールを立て続けに2本飲み、その後、俺は口をきかなかった。小僧は「俺が日本関係の仕事をするとすれば何をしたらいいか?」とか、その後もいろいろ自分勝手な質問をしてきたが、「アイドンノウ」「アイキャントアンダスタンド」「ノットインタラステッド」と言いながら車では眠りについた。しかし、正直に言うと、この羊は本当は美味かった。

下はタシケント空港で帰りの飛行機を待っているときに「ウズベキスタン、楽しかったですか?」と日本語で声をかけてくれたリサちゃん20歳である。はじめ日本人かと思ったが、ウズベキスタン東部の街、フェルガナに夏休みの帰省をしてお父さんお母さんに会って、語学勉強中の東京に戻るのだそうだ。1年少し前から池袋の日本語学校へ通い、巣鴨のコンビニでバイトをし、田端に住んでいると言っていた。もう眼の表情が日本人に近くなっている。日本の大学に入って、ウズベキスタンと日本の親善のための仕事をしたいそうである。今や、東京で仕事や勉強をしている若者が夏休みに青森や秋田の故郷に帰るだけではなく、こういう帰省風景も当たり前なのだろう。立ち上がると170センチ以上で身長の半分は足ではないかというカッコよさだった。ソウル経由で成田に着くまで、見かけるたびに弾ける笑顔で手を振っていた。
いやな小僧による後味の悪さをすっかりリサちゃんが消し去ってくれた。

帰国して腹痛が続いた。小僧に無理やり食わされた羊の祟りだろう。