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2009-12-20

[][][]「ちはやふる」はマンガ史上に残るべき大傑作 17:43

 末次由記「ちはやふる

 ISBN:4063192768

 末次由記の「ちはやふる」に遅ればせながら手を出したんですが、これはマンガ史上に残るべきというか、例えばマンガ教科書があるならば絶対に掲載されるであろう大傑作です。少年マンガにも少女マンガにも分類されない、マンガの新しい地平を描いてる。

 一言でいうと、競技カルタテーマにして、女の子が主人公、幼なじみの男二人との関係なんかも描く作品である。で、特に単体ジャンルを描くマンガが名作になりえる一番大きな条件として、そのジャンルの新しい見方っていうのを提案してるかどうか、っていうのがある(と俺は思う)。「ちはやふる」で言うと、カルタスポーツである、という見方。なので「ちはやふる」は、真っ正直なスポーツマンガである。セリフとか、大ゴマの使い方とか、すごく正しくスポーツマンガしていて、俺はもう7巻読んで全ての巻で号泣した。

 でもこのマンガのすごいところってそこだけじゃなくて、非常に正しい少女マンガでもあるのだ。これは単純に、恋愛の描き方がすごすぎる。太一っていう幼なじみは主人公の千春に恋をしているわけだけど、千春は新っていう別の幼なじみのことが好きなんです、たぶん。直接描かれてないけど少なくとも太一はそう思ってるはず。その辺の描き方、例えば新に対して太一が抱くえも言われぬ嫉妬心というか言葉にならないもやもやした感情みたいなところとか。これはやっぱり少女マンガというか、女性マンガ家にしか描くことはできない世界だと思うんです。

 もっと言うと、その少女マンガでしか描けない恋愛要素が、少年マンガ部分にも大きな影響を与えている(というか構造的にそうならざるを得ないわけですが)。少女マンガ的な恋心を抱きながら、太一は、少年マンガ的にカルタに対して向き合うわけですよ。全てを抱えて生きていかなくちゃいけなくて、それでも前に進んで行こうとするわけです。もうね、こんなマンガ、読んだことないです。とにかく素晴らしい作品なんで、マンガ好きなら是非読んでほしい。自信を持ってお薦めします。

 作者である末次先生は、かつてトレース問題で一度マンガ家を休業された経験があり、「ちはやふる」は復帰後第一作なんだそうです。第二回マンガ大賞をこの作品が受賞した際、授賞式を欠席して発表したコメントが本当に素晴らしいのでここに記します。

過去に犯した間違いというものがあり、自分はまだこういう場に出て行けるような人間ではない。一生懸命マンガを描いていくことでしか恩返しはできない」

 全てを抱えて生きていかなくちゃいけなくて、それでも前に進んで行こうとする。太一生き様は末次先生生き様そのものであり、改めて、マンガって何て素晴らしいんでしょう?

2009-11-17

[][][][]記録よりも記憶に残るフジテレビの笑う50年 〜めちゃ×2オボえてるッ!〜 02:40

 テレビでのオンエアから1ヶ月を超えて、HDDに録画された「記録よりも記憶に残るフジテレビの笑う50年 〜めちゃ×2オボえてるッ!〜」は、相沢の涙腺を華々しく破壊して、バラエティを愛する魂を優しくも激しくわし掴みにした。感覚が激するからテレビなんだ。そこにあるのは理屈じゃなくて、ただただ愛だけだ。それをHDDで録画して見てるのってどうなん、っていう構造的な疑問は置いておくがしかし、この感激を誰かに伝えずにはいられないのだった。

素晴らしすぎるオープニング

 もろもろの前段があって、めちゃイケメンバーたちが倉庫エレベーターに乗り込んで行く。中居くんがそれを追いかけるが、靴が片方脱げてしまう。それでも滑り込み、脱いだままの靴を残したままエレベーターの扉は閉まるが、そこにタイトルロゴ。これだけでご飯が何杯でもいけてしまうほど、俺はバラエティを愛している。何でこんなに泣けてしまうのか? この無駄さは、何でこんなに美しいのか? この感動は確かに技術に裏打ちされてるんだけど、でもその技術は、必要だから育まれたんだって信じずにはいられない。

 だって番組名のサブタイトルが「What A SUPER MEMORY we have!」なんですよ。そんな素敵なサブタイトルってないでしょう? リスペクトとか、敬意とかじゃなく、単純にそれは愛だ。バラエティを愛しているから、あまりにも愛し過ぎてしまったが故に、バラエティを作ることを仕事にせざるを得なかった不具者たちの祭りバラエティだ。このサブタイトルを聞いて何も思わない奴と、俺はもう話ができない。

笑福亭鶴瓶という男

 鶴瓶との電話はもう、聞いてて途中から涙が止まらなかった。本当に。突然夜中に電話をかけられて、「テレビ分からん…」っていう本音を、生き様を剥き出しにするって手法こそが、バラエティなんだ。こんな大ベテランが本気で悩んでるっていう姿を見ることが出来るなんて、やっぱりどうかしてるんだよ。<どうかしてる>からこそ、テレビは面白い。最後にファックスの光に大声をあげるところまで含めて、これはもう、俺が全財産鶴瓶師匠に譲ったとしても嫁に文句は言わせない。

名言というにはあまりにもな名言たち

 笑福亭鶴瓶の「濱口怒ってんねやったらちゃんとせなあかん…」という言葉と、ガチャピンの「チャレンジはボクの代名詞!」っていう言葉は、後世に語り継いでいかなくてはいけない名言だった。特に後者小学生教科書に載せるべきだと思う。自分座右の銘は今後「チャレンジはボクの代名詞!」にしたい。この言葉には全てが詰まっていて、他に足りないものなんてないだろって真剣に思います。

中居くんかくし芸に関して

 とは言えやっぱり一番感激したのは、中居くんのずいぶん昔の「かくし芸」の映像の振り返りだった。それこそこの流れは、記憶に残してしかるべきテレビ史上に残る名場面だった。

 過去映像の振り返りの中で、かつてSMAPが「かくし芸」に出演した映像が流れる。他のメンバーが華麗な演舞を見せる中、大トリ中居くんスイカを蹴りで割るって流れになっていたところ、中居くんは失敗してしまう。うつろな表情でコメントを残す中居くんが、その年の「かくし芸」にはいた。

 ここからが大事なところだ。この番組は、それを、笑いにしたんだ。本当に凄いことだ! 想像でしかないんだけど、中居くんはこの出来事を、当時本当に死にたくなる記憶として抱いたんだと思う。だって自分がその立場だったらあり得ないだろ? 誰もが知ってる国民番組の中で、本気で絶対努力してるし、それでも失敗してしまう。それが全国のお茶の間ブラウン管で放送される。普通精神だったら耐えられないよ。もし自分がその立場だったら、100%死にたくなってるのは間違いない。

 でもこの番組は、その負の思い出を、笑いにした。肝心なのは、その負の思い出を、笑いにしようって決めたことなんだ。つまり逆算だ。これを笑いにするためにはどうする?って制作側は考えたし、実際にそこに向けて手を打つ。それが伏線だ。ここに至るまでにスタードッキリの振り返りをちゃんとやって、その系統としてみなさんのおかげですでのノリさんの映像を出して、マンボNo.5を流しつつの編集笑いっていうのをしっかり見せておく。その伏線を踏まえた上で、中居くんの失敗を笑える映像として出す、っていう正解が見つかる。これって本当に凄いことだし、どんだけ男前なんだお前、って俺は番組制作側に対して真剣に思ってしまう。

 さらに、オチもつける。駄目だなと思うことが向上心、的なセリフ過去中居くん番組台本から見つけてそれをオチにする。これってもう、台本なんですよ、完全に。その台本は間違いなく計算によって書かれてるわけだけど、でもその台本が書かれるまでには、中居くんかくし芸の失敗だったり、意識せず書かれてる過去番組台本セリフだったり、そういう数々の偶然が必要とされている。

 俺は、お笑いプロレスアイドルを愛してるんだけど、全部同じ目線で愛してるんですよ。この三つのジャンルって要は、人が意識して努力することで奇跡が生まれる瞬間が見られる、ってところが素晴らしいというか。ジャンルには歴史があるから、色んな偶然が既にある。それを見た上で、取捨選択して、物語っていう名前奇跡が創り出されるからこそ、相沢はお笑いプロレスアイドルを愛さざるを得ないわけですよ。

 中居くんという一人の超VIPの完全なるトラウマが、笑えるものとして全国のお茶の間に発信されてるっていうのは、偶然じゃない。必然なんです。そこには作り手側の意識努力があったし、それってたぶん、無茶苦茶凄いことなんだよ。奇跡は起こるものじゃなくて、起こすものだっていう、それが真理であるお笑いプロレスアイドルってジャンルはやっぱり素晴らしいって、俺は真剣にそう思います。

芸人プロレスラー過去マイナスを一気にプラスに変えることができる仕事」っていう水道橋博士名言があるんだけど、その名言完璧な形として世に出した作品として、この番組は傑作として語り継がれるべきだと思う。だってどんな失敗したって将来はそれが笑える対象になるなんて、それ以上に有効な希望なんてないわけじゃん? 何をやったっていつか笑えるなら、こんなに心強いことなんて他にないだろ、実際。それが分かっただけで、生き方が変わる。バラエティって、誰が何と言おうと、最強なんだよ本当に! ちゃんと聞いてんのかお前?

総括

 バラエティってものを一言で言うと何になりますかって問題が試験で出たなら、たぶん相沢は「プロの悪ふざけです」って答えると思う。プロフェッショナルイズムと悪ふざけイズムが同時にないと絶対に成立しないんだけど、でもそれが同時に成立したときには確実に奇跡を生み出すことができるから、やっぱバラエティって本当に素敵だなって思います。あと良い番組って制作プロダクション含め、視聴者に対して共犯意識を強いてるんだよな。それはすげえ大事なことだわ。視聴者として感激したし、同時にものすごく勉強になった、そんな番組でした。

 結論として、相沢はバラエティを愛しています。それはもう、そういうことなので、宜しくお願い致します。

2009-07-28

[][]道が見えたら命がけ 23:50

 最近心が激した言葉ふたつ。

道が見えたら歩かねばならない

(男色ディーノ、本人のブログより)

俺たちは、命がけで、お前たちを楽しませるぜ!

(渋さ知らズオーケストラ、Fuji Rock Festivel '09より)

 おそらく一緒のことを言っている。別にやりたいってわけじゃないけど、でもやらなきゃいけないんだったら、きっとやるしかないんだろう。頭の中で聞こえる声には従わなくてはいけなくて、もしもそれがただの電波だったなら、真っ白い病室で壁にうんこを塗りたくるような幸せな余生を送れるだろう。

2008-09-19

[][]NOAHとGIANT KILLINGだけはガチ 19:17

 一週間以上前の週刊モーニングのページ上で確かに奇跡が起きていたという事実をあなたは知っているだろうか? ちょっとあり得ないぐらいの金言はグッと俺の胸に突き刺さり、今年度の俺脳内マンガアワードの第一位はほぼ決まったと言って良いと思う。達海! 俺たちはお前からこんなに沢山のものを貰ってしまって、一体どうやって返せばいいって言うんだ!?

世良みたいな選手ってのは 自分に何ができないかを知ってる

それはつまり 自分にできる限られたことがわかってるってことだ

おそらく世良みたいな連中は…… 劣等感から始まってる

できないことを消去法で削ぎ落とし できることだけを磨いてプレーしてる

……

磨いて輝かないものなんてない

だから期待するんだ俺は

そういう奴が才能ってもんを凌駕すんのを

 オシャレにはなれず背は低い、くせ毛で猿腕で口は臭い、恋人はもちろん友だちもいない、かと言ってそんな自分が大好きって言えるわけでもない、音楽も映画も小説も実はそれほど好きじゃないって口に出せるほど勇気があるわけじゃない、それこそ劣等感以外には何ひとつ持ち合わせがなかったあの日の俺に代わって、今日の俺は達海に言おう、ありがとう!と。

 ストッパー毒島の「でも練習しかない!!」に負けずとも劣らない世紀に一度の名言だと思う。マンガとは、実に良い。ことに面白いマンガであればなおさらのことだ。

2008-07-28

[][]FNS27時間テレビ雑感(THAT WAS THAT) 02:46

 日本で一番面白いとされるその出っ歯の男は「THAT WAS THAT」と書かれたシャツを着ていた。テレビの向こう側で、沢山の計算された奇跡と、計算されていない奇跡を起こした。リアルとドキュメンタリーとフィクションとがないまぜになって、それでも常にそのベクトルは笑いに向けられていた。明らかに娑婆ではない。だってこれはテレビだ。そう言えば俺は、心底テレビを愛していた。

 2008年のFNS27時間テレビを見ていない者は、これは申し訳ないが負け組である。テレビテレビであることを許される久々の祭りだった。どこまでも過剰で、それでいて後には何ひとつ残らない。BIGINの歌を聴いて思わず涙ぐんでしまった男は、タケちゃんマンに「目ぇ赤くしちゃって」なんて冷やかされ、それでもコンマ何秒かの後に「これはあんたのペンキや!」と笑った。人っていうのは、才能と努力を掛け合わせれば、こんなにすごいことができるんだろうか? 今でも信じられない。こんな名言が生身の人間の口から飛び出たなんて、世界がちょっとどうかしちゃったんじゃないか?

 Tシャツに書かれた「THAT WAS THAT」、あのときはあのとき、って言葉は、そのまま明石家さんまという男の生き様と、人生それ自身を表しているだろう。実際の過去がどうであれ、細かい部分は鋭意捏造し、いま目の前にいる誰かを笑わせる。先のことなど考えても仕方ないから、ペースを考えずに声を枯らす。あの時はあの時。これからはこれから。それがとても素敵な考え方だと思えるのは、いまがどんなに辛く苦しくてマジに死にたくなるような最悪な状況だったとしても、きっといつか「THAT WAS THAT」と言えるからだ。「THAT WAS THAT」が真実なら、「THIS WILL BE THAT」もまた真実だろう。

 明石家さんまと大竹しのぶの会話は、もちろん笑福亭も最高に素晴らしかったがそれはさておき、元夫婦であるっていうことの味が出まくった珠玉の時間だった。「噛まないで!」と一流芸人である元夫に注意する大竹しのぶとか、その元嫁である大竹しのぶの正論に対して「一遍夢中で生きてみい!」と逆ギレする明石家さんまとか、「ねえ、なんでそんなにイキイキ喋るの?」「持ち味や!」っていう元夫婦の会話とか。愛し合って、別れて、それでもまだこうやって二人は生きていて、生きているから笑えて、そりゃあ当時はきっと色んなことがあったにせよ、だけどやっぱり「THAT WAS THAT」なのだ。「THAT WAS THAT」。あのときはあのとき。いま笑えれば、それでチャラになる。

 というようなところで強引にひと言でまとめてみるなら、テレビよありがとう、ってそんなところじゃないか。さんまの車を無理矢理出そうとするたけしの目には明らかな狂気が宿っていてどこまでもジャパニーズ・ティーヴィー・イズ・クレイジーだったし、今田耕司のひたむきさには努力ひとつでここまでやってきた男としての矜持を感じた。さんまの車のフリとして岡村の車を出しておくというプロ仕事も、歌で湿っぽく終わらせず最後にタケちゃんマンとスタッフの懺悔を持ってくるという愛すべき不器用さも、この日テレビは確かにテレビだった。

 でもきっとそれだって「THAT WAS THAT」なんだろう。2008年のFNS27時間テレビはすでに終わった。次は誰だ? 次は何だ?