原田治ノート

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2014-07-30 銀座異聞

osamuharada2014-07-30

去年の暮れに、いつもの銀座定点観測所からの件(id:osamuharada:20131222)をお伝えしましたが、こないだ東京へ戻った時に通りかかったら、あのカルティエ店が忽然と消えていたのです。せっかく洋服の青山さんが世界ブランド店と肩を並べた、と喜んでいたのにお気の毒なことです。一体ここはどこなの?という感じだよね。当分はこんな(写真)ような殺伐とした景観が続くのでしょう。

「東京オリンピック」が決まったとたん、いっせいに銀座には都市開発のカネが出回ったらしく、どこもかしこも古い建物を壊しはじめ、いまや新築工事だらけになっています。つまりオリンピック・バブルを期待しての銀座改造計画がスタートしたわけですね。世界の銀座へまっしぐら。期待だけがふくらむ風船の街。

いまに世界中から観光客がやってくると見込んだのはいいけれど、たったの二週間でオリンピック運動会が終ったあとはどうなるのか? 東京だけが、またあのバブル崩壊の轍を踏むことになるのだろうか。東京オリンピック前に建てちゃうから、ゼネコンだけは先に儲かるけれど、それからあとに残された銀座の街はどうなっちゃうんだろ。洋服の青山もカルティエも、安売りのアウトレット屋になリ下がるのだろうか。千円のスーツに、2万円のブランド腕時計も夢ではない。銀座は、ますます笑っちゃうしかない街になってしまうのか。

2014-07-27 アトリエ日記

osamuharada2014-07-27

涼しい島のアトリエで、午前中は気が向いた時にだけアブストラクトに挑戦しています。自由気ままに、好き勝手な絵を描いている。日課のラジオ体操 第1第2をやったあと、昼すぎには気が向くと読書三昧の老人らしい夏休み中です。

引き続き、戦時下での、西欧の画家たちはどんなふうに過ごしていただろうか、と気になっていろいろ調べてみる。日本のような、国家に迎合して売れた画家などほとんどいないことだけはすぐに気がつく。むしろ戦火を逃れて避難するか、反戦を訴える画家のほうが圧倒的に多い。自由主義の国アメリカでも、戦意高揚のために描くのは商業イラストレーターやディズニーの漫画くらいで、大政翼賛の芸術家などいなかった。本然の芸術と戦争では次元がまったく違う。そう考えると、太平洋戦争中の日本人画家たちが、いかほど正気を失っていたかに愕然とさせられる。人間が国家に洗脳されるということの恐ろしさ。

北園克衛が戦後1947年に書いた詩論集【 黄色い楕円 】のなかのクリティック「絵画の世界」を読んでいたら、前回ヤツガレがやり玉にあげた横山大観の(戦後の)ことにもふれていた。イタリア・ルネサンス画人伝のヴァサアリに比して、《 それにひきかえて東洋の画家やその批評家、研究者たちの態度には、いかにも不自然なところがある。かれらはいつも自ら超人化し、またその研究家や批評家たちもかれらを偶像化することが、自らの使命であるかのような有様である。今日なを自分たちと同じ空気を吸い、配給制度の下に食い 脱糞している横山大観や小林古径安田靫彦といったような日本画家、梅原龍三郎安井曾太郎のような洋画家にたいしてさえ、もう何か超人的な姿を与えようとしているような不可解な文章を書いているのである。こういう不自然な、事大主義にとりつかれた世界から、永遠的な芸術が生まれてくるということはありえないのである 》と、戦中には大政翼賛会の下でぬくぬくと生き延びた画家たちや、それらの取り巻き連中の戦後をバッサリと切り捨てて痛快だ。

そして、《 またそういう文化土壌からは、世界的なスケエルをもった芸術は生まれてはこないのである。すべての善き芸術は自由のなかから生まれてくる 》とも書く。自由気ままに絵を描くことの大切さが、ぼくにでさえも身にしみてよくわかる。

2014-07-21 夏のアトリエ日記

osamuharada2014-07-21

孫が通う幼稚園にたのまれて、揃いのTシャツをデザイン(キャラクター入り)してあげました。園児用だけかと思っていたら、ママさんたち用もつくったそうでぼくの娘まで着るらしい。ついでに男性サイズまでプリントしたとのことで、今夏はヤツガレもお揃いで着ることになりそうです。さて幼稚園も夏休みに入ったところで、ジイさんのほうもこれから夏休みだ。

くだんの鉄斎【清風】を、今夏のテーマにしてみました(どうでもいい話ですね)。さっそく昼下がりの中庭で実行。パラソルの影に入れば、四方より涼風通りすぎて快適このうえなし。出たばかりの新茶「大隅」を喫す。これは鹿児島県大隅半島「有明」の二番茶を摘んだ新茶なのです。一番茶「有明」の持つ旨味(アミノ酸)が少ない分、青々としたフレッシュネスが際立っている。まさに【清風】を味わうにふさわしき新茶。

しかし、こんなに素晴らしい煎茶をつくりだす鹿児島県も、ゲンパツ再稼動させたらもう未来は無くなっちゃうよ。いまでも諸外国のほとんどが東日本産の食材を輸入禁止、静岡県産の茶葉も輸入していないという現実をもっと知ってほしいな。どうせならアベはアメリカも中国も風評被害で訴えればいいのにコレだけはしない。外ヅラだけはいい?薩長政権。国内向け大政翼賛ニュース(食べて応援)ばかり聞いていちゃ、世界のことはわからない。

庭の白タイルのテーブルで、「北園克衛とVOU」(1987年)を読む。追悼号として刊行された本。針生一郎が戦時中の北園克衛の詩作を、〈時勢屈折〉として難じていた。「モダニズムと伝統主義の相克」と題している。追悼号にしては、ちょっと意地が悪いな。というわけで戦争中の芸術家たちがどう生きたかが気になり、戦争画についても調べています。というのも最近4Kテレビで、藤田嗣治の「血戦ガダルカナル」や「シンガポール最後の日」「アッツ島玉砕」の出る番組を見てショックを受けたからです。4Kではリアルすぎて目を背けたくなることもある。フジタは最終的には〈一億玉砕〉が、自己の最高傑作になるだろうと本土決戦を心待ちにしていたという。その前に敗戦したので、フジタの望みは叶わなかったが、〈玉砕〉という美化された「死」そのものを描きたかったわけだね。戦争は芸術家をも狂わせる。

洋画家フジタはどうやら戦争画に病的な陶酔をしていたらしいが、日本画家のほうの横山大観は、大政翼賛もいいところで、軍から注文された富士山&旭日の絵を描きまくり、ボロ儲けをしたあげく、自ら爆撃機を買って帝国陸軍に寄付までしたそうだ。コイツこそ戦犯となるべき画家の筆頭のはずだと思うのだが…。日本近代画家の多くをヤツガレが嫌いなのは、絵を見て感じるだけでなく、それよりその理念を気味悪く思うからなのかもしれない。芸術家として尊敬することがとてもできないのです。

【清風】のなかにありながら、つまらないことばかり考えてしまった(これも薩長政権のせいだぜ)。さてふたたび、鉄斎や劉生の正しく清らかな芸術境に回帰して、また爽やかな新茶を楽しむことにいたします。

前に書いた「藤田嗣治のアトリエ」→ id:osamuharada:20110804

2014-07-17 出光美術館の『鉄斎』展

osamuharada2014-07-17

東京・出光美術館で開催中の『鉄斎』展(8月3日まで)。このごろは展覧会が素晴らしいと、たった一日だけでは満足できず、まる二日間通ってしまうクセがついてしまったようだ。富岡鉄斎はなんど見ても見飽きないどころか、いつも新鮮に感じてしまう。とくに晩年八十歳代の作品群は、どなたかがカタログに書かれていたが、【神韻】という言葉がやはりピッタリしていると思う。そして月並みな言い方かもしれないけれど、日本が生んだ【天才】としか他に言いようがない。万物肯定的な気分満点で、島のアトリエに戻ってきました。でもまたすぐに観たくなってくるので困る。

今回の展示は、すべて出光美術館のコレクション。展示方法も素晴らしく(これは実際に見ていただくしかないが)、また初心者でもよくわかるように平易な言葉で、ていねいに解説もしてある。〈煎茶〉にまつわる作品群の前には、《 清風への想い 》として、こう説明してある。《 俗世から離れて自娯適意(じごてきい)の自由な人生を歩む文人の生き方に憧れた鉄斎は、本格的に学問の道を究めんと進みました。その理想を追う中で、「清風」すなわち煎茶・喫茶の世界に関心を抱きはじめました。もちろん俗世からの離脱といっても容易なことではなく、居ながらにして精神のみを解き放つため、喫茶のこころに心酔してゆきました。》

出光美術館内にあるショップ・オリジナルの、「墨竹図」扇子も買っちゃいました(この写真)。実物はこの三倍くらいの扇面で軸になっている。「能屈能伸」(能く屈し、能く伸ぶ。)という讃。これにもわかりやすい解説付きで、《 四君子(蘭・竹・菊・梅)は文人が好んで描いた画題。中でも竹は、青々として真っすぐ伸びる特性から、しばしば君子の高潔さを象徴するものとされてきた。しかし鉄斎は、竹の柔軟でしなやかな特性の方に注目し、屈曲しながらも風を受け流す自在な姿をよしとしたようだ。》とあります。今年の夏は、この扇子で涼やかに煎茶(清風)を喫することができそうです。

出光美術館『鉄斎』展→http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/present/index.html

2014-07-11 アトリエ日記

osamuharada2014-07-11

4Kテレビを、絵を描くアトリエに置いてみたときにはデザイン的にも違和感があったので、アトリエらしくテレビ&スピーカーの回りに、川端先生の絵を掛けてみました。これだけでもなんとなくアトリエらしくなって、まずは落ちつけるスペースになった。

絵とは別に展覧会の案内状(この写真)も飾ってみた。1967年の Betty Parsons Gallery での川端実展。この大判のカードは'90年にニューヨークへ行った時に先生から直接いただいた。ぼくの宝物。

この個展と同じ頃の、黒と黄色のスタティックな抽象画のシリーズは、1969年に初めてニューヨークの先生宅へ伺ったときに、居間の壁にも掛けてあった。その巨大な黒い楕円と黄色のアブストラクトの下、ソファーに座られていた先生の姿を見て、強い感動をおぼえた。絵画と画家がひとつとなって空間を支配している。ぼくには、モダニズムの洗礼を受けたにも等しいことだった。ということなんかを思い出させてくれるもの。

その横には、最近手に入れた先生の黒一色(紙本)のアブストラクト。多分、ニューヨークへ移住される直前の'50年代後半の作品。渇筆のスピード感は、まるで鉄斎の水墨画を思わせる。そのまた横には、前から持っていた先生の黒にくすんだ黄色地の絵(キャンバス)をかけさせてもらいました。アトリエには場違いだったテレビも、なんとか工夫すれば置いても気にならなくなっちゃうもんですね。

先日、ある若者向けの男性誌からアトリエの取材を頼まれた。知らなかったが「居住空間学」というテーマで続いているインテリア特集らしい。しかしぼくには島のアトリエで「居住」しているという自覚がまったくないので、丁重にお断りさせていただいた。ぼくにとってアトリエは、非日常的で、「美術」について思いをめぐらす特異な空間だと考えているのです。というわけで4Kテレビもハイビジョン・リマスタリングされた古い映画も、新しい「映像美術」として鑑賞をしています。

2014-07-03 夜のアトリエ日記

osamuharada2014-07-03

去年、有楽町のビックカメラで、4Kテレビのデモンストレーションを見てビックリして以来、映像好きとしては我慢しきれず、島の電気屋さんに注文をして、ついにアトリエの片隅に4Kテレビ 58 inchを設置。音声は古いMacintoshのアンプにつないで、大きなKappaのスピーカーで大音量にして聴いています。

かつてハイビジョン・テレビが出現したときもすぐに飛びついたほど、新しい映像好きなのですが、ハイビジョンのさらに4倍の画素数を誇る4Kテレビ映像は、さすがにもの凄い! 唖然としましたよ。 こないだのW杯サッカーで売れると見込んで大量生産の低価格化に踏み切ったらしいけれど、せっかくサッカー目当てで買った人には日本惨敗お気の毒さま。まったくサッカー興味なしのヤツガレには、おかげさまで安く4Kテレビが買えちゃって得したわけね。

WOWOWも、高画質で録画した映画や音楽ライブ、海外ドラマも、さらに4K映像で見違えるほど美しくなる。映画館のスクリーンに投射される映像などはすでに凌駕している。おまけに3D 映像も恐るべき解像度なので立体感にハマってしまった。画面に接近して見るとヴァーチャルな世界に吸い込まれそうな感覚。いやでも映像の中に入り込んでしまう。さらにパソコンと連動して、YouTubeも大画面大音量ですぐ再現できちゃう。これにはちょっと寝食を忘れそうになるね。普通のテレビ放送など見るヒマない。もっとも大政翼賛NHKニュースなど、はなっから見ちゃいないのだが。

アトリエでは、昼間の自然光のみで絵を描く主義なので、暗くなったら絵も読書もおしまい。そして夜は4K映画劇場に早変わり。映画オタクとしては、すでに1000本以上もブルーレイの留守録画で映画をとってあるので、これからユックリと楽しむつもりです。また美術の映像は居ながらにして各国の美術館巡りをしているようで、これこそ夜のアトリエ向きといえますよ。ぼくの場合、美術に関しては何回見たって飽きることがないしね。 前回のアトリエ日記に書いたイームズ・ラウンジチェア&オットマンも、こんどは私的映画館の特等席としてまだまだ現役中なのであります。

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