原田治ノート

2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2016 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 |

2014-09-27 法隆寺の謎に挑戦

osamuharada2014-09-27

謎だらけの法隆寺について以前ココに書いたのは→id:osamuharada:20080706でしたが、いまだに検索で読まれています。古代史ファンのいかに多いことか。また古代史で食べている御用学者が多すぎて百家争鳴、なーんにも史実は判らないのが現状だからでしょうか。邪馬台国論争の騒ぎも続いているが、〈邪馬台国=沖縄海底遺跡説〉id:osamuharada:20111010 は誰も得しないから無視されたままですよ。以下は古代史好きのかた向きなので、興味ない方はとばしてくださいね。

NHKハイヴィジョン特集の録画を見ました。前編【法隆寺:秘められた聖徳太子の夢】、後編【法隆寺:守り継がれた奇跡の伽藍】と何やら意味ありげで歴史ロマン風なタイトル。その放送のなかで、もとの法隆寺は670年に全焼したので、現・法隆寺はその後にできたものであり、旧・法隆寺の跡地が近くに発掘されている。それがこの映像、左上が現・法隆寺で、右下が旧:法隆寺跡(若草伽藍ともいう)の図。全焼してしまったので、塔の心礎と礎石や焼けた瓦などしか残っていなかったが、伽藍配置だけは復元できたという図解です。

しかし見ればすぐわかることだけれど、現・法隆寺と旧・法隆寺とでは伽藍配置がまったく違っているのね。もとの法隆寺跡は、中門から入ると正面に塔が建っている。そして金堂はその後にある。つまり縦一直線に配列されている。「守り継がれ」ちゃいないよね。参考書を調べてみると、この伽藍配置は「四天王寺系」または「斑鳩寺系」と呼ばれるもので、現・法隆寺とは違っている。いまの法隆寺のほうは「観世音寺系」の配置に近いらしい。

この番組では、旧・法隆寺が全焼する二年前、すでに現・法隆寺の金堂だけは先に建っていたという「珍説」が登場する。金堂に使用された一片の板木の年輪調査からそうなるのだという。しかも〈釈迦三尊像〉〈玉虫厨子〉や、後に夢殿の秘仏になる〈救世観音〉、この国宝3セットだけは新しいその金堂に安置しておいたので、焼かれずに残ったのだとのたまう。どう思いますか?このいい加減な仮説。こうすれば3点セットは聖徳太子が生きていた時代に造られたんだと説明できちゃう。いかにも御用学者の発想じゃないですか。またはNHK的というべきか。

ぼくの好きな通称【百済観音】は、映像だけ出ていたが、あいかわらず謎のままで何の説明もない。これも全焼する前に運び出されて、どっかに置かれて助かったということらしい。日本美術史的には、まったく幸運だったけれど、古代史としては意味不明の存在のようだ。もし旧・法隆寺が「斑鳩寺系」だとしたら、観音信仰ではなく弥勒信仰だったと思うのだが。そうなると「百済観音」という、明治時代になってつけた名前は撤回してもらいたいよね。まずは「観音」さまではなく「弥勒菩薩」でないとおかしいでしょう。それに「百済」ではなく「飛鳥」だと思うな。

さらに不思議なのは、旧・法隆寺跡を上空から見ると、伽藍配置の方位が全体に20度、西に傾いて配列してある。しかし現・法隆寺のほうは東西南北きちんとほぼ正確に並んでいる。ね、これもヘンだとは思いませんか。別の参考書をみると、聖徳太子のいた斑鳩の地には、斑鳩宮、斑鳩寺、中宮寺などの建造物跡や、道路(太子道)など、すべてが20度西に傾いていたのだそうです。太陽神ではなく、古代の大星(シリウス)を崇拝していたのでしょうか。

聖徳太子が実在していたかどうかはおいといても、622年に聖徳太子が死んだとするなら、そのあとのお家騒動で、蘇我入鹿中大兄皇子藤原鎌足などが次々と権力争いする渦中に法隆寺はあったことになる。全焼(ほんとは二度あったらしい)や再建(九州からの移築説あり)といまだに謎だらけなのは、何か都合の悪いことを隠し続けてきたからでしょう。いつの時代にも、権力に雇われた御用学者が、ムリヤリ珍説を捻り出すのもむべなるかな。現代はそれにマスコミも応援しちゃうから、真実はどんどん遠くへいってしまう、ということなんでしょうね。

2014-09-19 栗日記

osamuharada2014-09-19

今年も栗の季節になりましたね。栗は土鍋で蒸すと糖度が倍増するそうです。熊本県菊池産の栗を、愛用している織部の土鍋で蒸しました。ぼくの場合は、同じく菊地産自然農法の煎茶にあわせた「お茶うけ」が、この栗というわけ。我ながら煎茶と栗の絶妙なバランスの組み合わせができたな、とひとり悦にいっています。和栗は菓子などにせず、割ってそのままスプーンですくって食べるほうが好きだな、より日本人の自然感を味わうことができるもんね。

なにしろ一万年前、縄文時代から日本人は栗の木を栽培までして、ずーっと主食のように食していたのですね。遺跡から発掘される栗の木は20mを超える巨木もあり、大型の堀立柱建物に使用されていた例もありますよ(三内丸山遺跡)。栗は、かつて日本人の生活になくてはならないものだったようです。そんな長大な栗の歴史に想いを馳せながら、しみじみ煎茶を喫するのもまた一興です。

以前書いた栗のこと→id:osamuharada:20080921 和栗ではなく熊本県産利平栗ならモンブランがいいな→id:osamuharada:20090926

2014-09-13 ぼくの銀座外食事情

osamuharada2014-09-13

銀座を歩いて喉が渇いたので、フルーツパーラー千疋屋でひと休み。「食べて(東電を)応援」だけはしたくないから、果物も産地で選ばせていただくが、今がちょうどライムの季節で、愛媛県松山産のライムを使ったライムソーダ&ライムシャーベットが、香りも高くうまかった。一瞬のうちに気分爽快にさせてくれる。苦味もあるから、レモンよりライムはまさに大人の味。これにスピリッツを加えたら、フレッシュなカクテルになるでしょう。松山は日本一のライム産地を目指して取り組んでいるよし。これなら「応援」しちゃうよ。

所用で東京に三日ほどいたが、どこの店も「食べて応援」を始めたようなので、ヤツガレには厳しい選択になってきた。銀座でベクレルフリーを追求すると、ゆき場が無くなる。魚介は肝心のストロンチウム検査をしていないから、アレ以来、銀座の江戸前鮨屋へもずっといっていない。牛肉はもとより西日本産が本場だから、そんなに不自由はしないけれど、関東が発祥のトンカツは、わざわざ九州産の黒豚を食わせる店を探してゆく。それに外食では、付け合わせの野菜が産地不明なので難しくなる。

こう書くと、偏屈なジジイといわれそうだけれど、若い頃からジャンクフードやB級グルメが大嫌いで、無理をしてでも、いい店の高級食材を使った料理を食べてきた。銀座の鮨なら、なか田、久兵衛、新富寿し、きよ田、青木が好きでよく通った。つまり若い頃から偏屈にも年季が入っている。それがもう江戸前の鮨は食いたくとも食わないぞ、と決めたのだから、やはり偏屈もコレに極まれり。もはや風評ジジイと呼ばば呼べ! という変人の域に達した。しかしぼく自身は、これをして〈達人達観〉だ、と思うように努力しているところなのです。

2014-09-07 四十代によく聴いたPOPS

osamuharada2014-09-07

今年の夏は、YouTubeで好きな懐メロを聴いていました。ほこりかぶったCDをひっぱり出してきて聴くのとは違い、4Kテレビ映像で見ると新鮮な感じがしてしかも懐かしい。四十代の頃によく聴いた欧米POPSのいくつかを見つけました。1980年代の後半といえば、日本はバブル景気の真っただ中。ヤツガレもまた働き盛りの遊び盛り。昭和が終りかけている頃ですね。いま思えば、バブルに浮かれた軽佻浮薄な時代だったけれど、それなりに楽しかったのは言うまでもありません。景気が一番良いときに四十歳代とはラッキーだったな。思い残すことさらになし。その頃に好きで何度も聴いた曲、あの頃が懐かしい。それはこんなのでした、というだけのことですが…。

【 KISSING A FOOL 】 1988年 : ぼくより若い人たちにはWham!ラスト・クリスマス」のほうでいまも有名かな。そのジョージ・マイケルがソロで歌ったJAZZっぽいオリジナル曲。これなら四十代にはピッタリなのでした。戀とは、遣る瀬なきもの。(映像は印象になかったので音だけ)

D

【 SUPERWOMAN 】 1988年: ホノルルで、ラジオから流れてきたこの曲を聴いてすっかりハマった。I’m not your superwoman. 私は普通の人、あなたのスーパーウーマンではないのよ。キャリン・ホワイトがソウルフルに歌う。大御所ディオンヌ・ワーウイックやティナ・ターナーもカバーしていた。

D

【 ROUGH BOY 】 1985年: 男っぽいテキサス・ロック野郎ZZトップのバラード曲。ビリー・ギボンズのギターにはすっかりシビれましたよ。いつも京都への新幹線の中でこの曲を聴くのがマイブームだった。車窓から見える景色がゆっくり動き出すと、曲と視覚が重なり気持ちがよかったのです。(これは映像も好きだぜ)

D

【 SAVE THE BEST FOR LAST 】 1991年: 八十年代の初期アルバムから好きだったヴァネッサ・ウィリアムスだけれど、この曲あたりから落ちついたバラードが多くなったようです。日本では風邪薬かなんかのダサいCFに使われたのが悔しかったな。でもヴァネッサ若くて可愛かったな。いまもファンです。

D

【 EVERY LITTLE STEP 】 1988年 : 四十過ぎても、まだ二十代の気分は残っていた。それが証拠に、このボビー・ブラウンの大ヒット曲で(踊ったりはしないが)若返ってしまった。四十にして惑わずなんてことはない。時あたかもイケイケのバブル絶頂期。仕事なんかやってる場合じゃない、という頃。

D

Connection: close