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2015-05-31 昨日の大地震ノート

osamuharada2015-05-31

昨日は、小笠原諸島の西方沖でマグニチュード8.1、深さ682キロの大地震が発生した。遠く離れた関東でも震度4クラスだった。それに一昨日は、屋久島のとなりにある口永良部島が大噴火を起こしていた。ちょうどフィリピン海プレートの西側と東側とで、あいついで大噴火と巨大地震が起きたことになる。いよいよ地球全体が揺れ動かされる時期に入りましたね。

この海溝とプレートがよく見える小さな地球儀を、手のひらに乗っけて、地震や噴火の際には眺めています。そしていつも木村政昭先生の噴火・地震の予測本を片手に読んでいます。こうすると海底にあるプレートがどう動いているのかが一目瞭然。木村先生のプレートテクニクス理論が、それこそ手に取るようによくわかる。

今年一月に出たばかりの木村政昭著『緊急警告 次に来る噴火・大地震』が、またまたピタリと予測どおりだったことにビックリさせられた。昨日の地震ニュースで、震源は小笠原諸島西方沖となっていたけど、その場所は2013年から海底火山が生じて新島ができたばかりの西之島沖も含まれている。著書のなかでは《 西之島沖合の新島誕生が意味するもの 》と題して、【 西之島沖合の噴火は、太平洋プレートとフィリピン海プレートの間にある伊豆・小笠原海溝がいかに強い圧力を受けていたかを示している。そうであれば、その圧力は何年もつづいているので、巨大地震を発生させてもおかしくはない。】とありました。

そして【 太平洋プレートがユーラシアプレートを押す境界に日本海溝があり、ここに何年もストレスがかかりつづけた。その結果が、二〇一一年のマグニチュード9だったのだ。】と続けています。3.11の「 東日本大地震 」予測をみごとに適中させた木村先生の、自信にみちた言葉です。 2011年に書いた木村先生の本については→id:osamuharada:20110427

さて、いよいよ次は富士山噴火へと木村先生の予測がより鮮明になってきているのが今年の↓この本なのです。富士山噴火は国が予測している火砕流型(江戸時代の宝永噴火と同じ)とは違い、溶岩流出型でハワイ島のキラウイア火山のように溶岩がゆっくり流れ出るタイプとみておられる(平安時代の貞観噴火と同じ)。その場所も富士山北西側であるとして、国の見解とは異にしています。そして現在から2020年にかけてが、富士山大噴火の予測時期となっている。オリンピックなんかやっている場合じゃないかもね。それにいまから原発再稼動なんて狂気の沙汰というもんですよね。

木村先生のホームページでは最新情報が更新されています。→http://kimuramasaaki.sakura.ne.jp/

この地球儀拡大写真は→http://osamuharada.tumblr.com/

2015-05-24 銀座異聞

osamuharada2015-05-24

昼の銀座を歩いてみたら、オリンピック特需の新都市開発による、ビル新築ラッシュが恐ろしい勢いではじまっていた。あちこちで古いビルを壊しているので、まるで空爆のあとのようなありさま。そこに中国人観光客がゾロゾロ歩いている。彼らは大型バスでやってきては「爆買い」をする。騒々しくて、銀座が敗戦後の闇市のような感じになっていた。

銀座の隣り、わが町の築地場外市場も同様で、中国人が大挙して押しかけてくる。彼らに一番の人気商品は、乾物屋の「さきイカ」だという、飛ぶように売れるそうだ。延々と列をつくってまで並んで買ってゆく。他にも市場と関係ないはずの「いちご大福」もバカ売れしているよし。中国人にとっては珍しいのかな、日本人にはワケわからなくなってきた現状です。

円安のせいだろうか、築地では他の外国人(裕福そうではない白人たち)も買い食いをしながらゾロゾロと歩いている。これもまた「アホノミクス(by 浜炬子先生)」の成果というものですか。魚河岸が豊洲に引っ越しても、「場外市場」のほうはどうやら築地に残ることになったそうです。これほどの観光名所になってしまったからには、やがて世界遺産になっちゃうかもね。

もはや銀座でも落ち着ける場所はない。銀座の喧噪(突貫工事と中国語)から離れて、ぼくがやっと一息つけるのは、銀座を通り抜けた【 新橋小川軒サロン・ド・テ 】ということになります。ベルガモットの香り高い紅茶に、いつものショコラ・スフレ(上の写真)でホッとする。前に書いた【 新橋小川軒 】についてはこちらです。→id:osamuharada:20130609

2015-05-17 水丸さんからの手紙

osamuharada2015-05-17

安西水丸さんは、むかしから旅が好きでした。それも有名な観光地をさけて、ちょっとマイナーな温泉場や城下町などをブラついて、そこの居酒屋で地酒を飲むといったような旅。いままさにそんな酒飲みの旅はトレンドになっていますが、水丸さんは三十年も前からやっていたのです。その頃にもらった手紙を思い出したので、一部分だけご披露させていただきます。

昭和61年5月12日の消印。ぼくへのメッセージあれこれのあとに、旅先から水丸さん自身の近況報告。《 ぼくは今 九州の田舎をまわっています 毎日ボーッと温泉宿を歩いています こんなことをしていると東京での騒ぎがうそのようで 六本木なんかへ行くのがこわくなります いい温泉がたくさんあって 混浴なんてのは恥ずかしいけれど、おもしろいと思えばおもしろい 川の流れにある露天風呂なんて 意外と若い女の子がキャッキャしていて 変な世の中です 今はもう帰るところで 豊後中村という田舎の駅の待ち合い室でこの手紙を書いています 実は湯の平という温泉で一度書いたんだけれど 酔っぱらって書いたので また書きなおしているわけです 》

〔オマケ〕一緒に飲んでいるときの写真を一枚見つけたので、ぼくのTumblrにアップしました。写真に印字された日付は’91 3 31とあります。食べちゃったあとの「うどんすき」の鍋があるので京橋の「美々卯」かな。写ってないけど、対面にはペーター佐藤新谷雅弘先輩が座っていたはず。いつものようにパレットクラブのメンバーで飲んでいました。全員がまだ四十歳代。くだらない話とバカ笑い。みな働き盛り、それぞれ仕事に追われていたので、これがちょいとした息抜きでした。→http://osamuharada.tumblr.com/

2015-05-11 水丸さんと酒

osamuharada2015-05-11

むかし水丸さんと京都で飲んだときは、お気に入りの〈〆張鶴〉が置いてある祇園の店にいった。水丸さんは料理より酒で店を選ぶというようなフシがあった。またあるときぼくの仕事場へ、こんな酒のラベルを書いたんだよ、と嬉しそうに一本持ってこられてみんなで飲んだこともあった。〈かげろうの花〉という酒。「かげろう(陽炎)」は、いかにも水丸さん好みの言葉だったな。

安西水丸とその弟子たち・展】の初日に、その二本を別々のところからいただいたので、夕方にいらした和田誠さん、お弟子さんたちとともに口を開けて献杯をしました。

「かげろうの花」の瓶の裏側のラベルに、水丸さんの文章が載っている。懐かしくなったので、ここに書き写させてもらいます。 《 いつのころからか日本酒が好きになった。ぼくは和食で酒を飲むのが好きで、そんなこともあって、しだいに酒の好みは日本酒になった。ところが、日本酒といってもさまざまで口に合うのもあれば、まったくだめなものもある。一流の割烹の一流の料理人でさえも、あまり酒というものには気や心をくばらないとみえ、料理はすばらしいのに、意外と酒がだめだったりする。それとなく酒について尋ねることがあるのだけれど、“こちらとは長いつきあいでして” などといった返事がかえる。どうも長いつきあいが、酒の質をおとしているようにおもえてくる。数年前、関矢さんの依頼で〈かげろうの花〉のラベルを書いた。書いてみようとおもった。第一の理由は〈かげろうの花〉という名前が気に入ったことだ。ところが、なんとこの酒のいけること絶品だ。いい酒のラベルを書いたとおもっている。》

【安西水丸とその弟子たち・展】は今月二十四日まで。→http://www.pale.tv/

写真はパレットクラブBARにて。→http://osamuharada.tumblr.com/

2015-05-02 安西水丸とその弟子たち・展

osamuharada2015-05-02

安西水丸さんを偲んで、ぼくなりにこんな展覧会を企画してみました。

場所は水丸さんが校長先生だった「パレットクラブスクール」の教室です。教え子のなかでも特に水丸先生に私淑して学びプロになった方々とのコラボレーション展です。

イラストレーターは(ぼくの考えでは)職人さんなので、水丸さんを師匠とか親方に見立てると、その教え子さんだから弟子になります。また「スクール」とはいっても「学校」というより何々「派」という意味合いのほうでつけた名前なので、つまりこれは「水丸派」の展覧会。【安西水丸とその弟子たち・展】5月8日〜24日まで。

展覧会の詳細は PALETTE CLUB SCHOOL →http://www.pale.tv/

パレットクラブスクールができた1997年には、水丸さんの著書『青山へかえる夜』(マガジンハウス刊)で、イラストレーションと地図まで描いて紹介しています。その章は【 ついにパレットくらぶスクールが開校してしまった。凄いんだから……。】というタイトル。そしていきなり《 そういうことであって、ついにパレットくらぶスクールが開校しました。ここはプロのイラストレーターを育成する学校でして、》で始まります。何が「そういうこと」なのかわからないところが水丸流ですね。《講師陣は、これはもうみんな凄い人たちばかり……。ほんとですよ。》とやっぱり何が「凄い」かよくわからない。

「パレットくらぶ」と半分だけ平仮名なのは、当時、安西水丸、ペーター佐藤新谷雅弘、原田治の《 遊び仲間で作った、これといった意味のない集団(四人は集団とは言わないが)で、》の頃の表記なのでした。《 ずっとこの四人で京都の専門学校でイラストレーションを教えていたのだが、この度、ついに東京にわれわれの学校を開校することになったのだ。》と、その喜びが隠しきれませんね。《何を隠そう、ぼくはそのパレットくらぶスクールの初代校長となった。大へんなことだが、実を言うととても恥ずかしい。》とあります。楽しかったな、あの頃。いまは懐かしい想い出となりました。

水丸さんが描いたパレットクラブの地図とイラストレーション。案内ハガキはぼくがデザインしました。→http://osamuharada.tumblr.com/