安西水丸とその弟子たち・展

osamuharada2015-05-02

安西水丸さんを偲んで、ぼくなりにこんな展覧会を企画してみました。
場所は水丸さんが校長先生だった「パレットクラブスクール」の教室です。教え子のなかでも特に水丸先生に私淑して学びプロになった方々とのコラボレーション展です。
イラストレーターは(ぼくの考えでは)職人さんなので、水丸さんを師匠とか親方に見立てると、その教え子さんだから弟子になります。また「スクール」とはいっても「学校」というより何々「派」という意味合いのほうでつけた名前なので、つまりこれは「水丸派」の展覧会。【安西水丸とその弟子たち・展】5月8日〜24日まで。
展覧会の詳細は PALETTE CLUB SCHOOL →http://www.pale.tv/
パレットクラブスクールができた1997年には、水丸さんの著書『青山へかえる夜』(マガジンハウス刊)で、イラストレーションと地図まで描いて紹介しています。その章は【 ついにパレットくらぶスクールが開校してしまった。凄いんだから……。】というタイトル。そしていきなり《 そういうことであって、ついにパレットくらぶスクールが開校しました。ここはプロのイラストレーターを育成する学校でして、》で始まります。何が「そういうこと」なのかわからないところが水丸流ですね。《講師陣は、これはもうみんな凄い人たちばかり……。ほんとですよ。》とやっぱり何が「凄い」かよくわからない。
「パレットくらぶ」と半分だけ平仮名なのは、当時、安西水丸ペーター佐藤新谷雅弘原田治の《 遊び仲間で作った、これといった意味のない集団(四人は集団とは言わないが)で、》の頃の表記なのでした。《 ずっとこの四人で京都の専門学校でイラストレーションを教えていたのだが、この度、ついに東京にわれわれの学校を開校することになったのだ。》と、その喜びが隠しきれませんね。《何を隠そう、ぼくはそのパレットくらぶスクールの初代校長となった。大へんなことだが、実を言うととても恥ずかしい。》とあります。楽しかったな、あの頃。いまは懐かしい想い出となりました。
水丸さんが描いたパレットクラブの地図とイラストレーション。案内ハガキはぼくがデザインしました。→http://osamuharada.tumblr.com/