原田治ノート

2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2016 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 |

2016-05-30 書斎日誌

osamuharada2016-05-30

爽やかな新緑の季節ですね。島では今年の新茶を喫したり、読書三昧をやっています。

相変らず大政翼賛のTVニュースは気分を害するだけなので、見ずになんとかやり過ごしています。しかし、たまたま中国美術史の本を読んでいたら、その見たくもないアベシンゾーとそっくり同じ顔を発見! それは中国「明」の時代を叩き潰して「清」時代〔1616〜1912〕をつくった、最初の皇帝「ヌルハチ」の肖像画です(画像検索ヌルハチですぐ出ます)。コレけっこう笑えますよ。

「ヌルハチ」と名前が変テコなのは、この人が漢民族ではなく、ツングース系の「女真族」だからなのです。かつて秦の始皇帝が万里の長城を造って防御した、北東シベリアの騎馬民族の末裔ですね。「満州族」(中国では満族)とも呼ばれています。なにしろ清の時代になると、公用語をすべて中国語から満州語に変えさせたほどの圧政です。漢民族(中国人)を奴隷のように扱ってきた満州族。清朝末期の支配者は、あの悪名たかき「西太后」。この女帝の顔までアベ似です。人相の共通項:目がやや中心に寄っている、しかもタレ目で、鼻が無駄に長い。唇うすく おちょぼ口。耳タブは垂れ下がってふくれている。ちなみにスケートの浅田真央ちゃんの人相も(気の毒だけど)よく見ると似ているな。日本人ではちょっと珍しい顔つき。

ところで満州族といえば、アベの爺さん 岸信介 は、満州国大日本帝国傀儡政権)で暗躍していましたよね。ネットで調べてみると、この岸(ほんとはガン)の祖先は江戸時代に朝鮮経由でやってきて、長州で代官をしていた女真族、と書いている人がいました。おぬしもワルよのう、の悪代官だったもよう。これでやっと「田布施の謎」も解けそうですね。もしそれがホントなら、アベと「ヌルハチ」の顔が似ているのは至極当然。古代はツングースの靺鞨(まっかつ)= 後の女真族 = 満州族 へと続く同じ遺伝子ということになります。こんなアホらしい事を考えていたらデジャブ感があったのでBlog内検索したら、三年前の「書斎日誌」にも(悪口雑言を)書いていたっけ。→ id:osamuharada:20130525  ←前の書斎写真は曇り日だったようで、好天の一昨日に撮りなおしました(上の写真)。目にしみいるような新緑に囲まれています。せっかくの爽快な季節、他にはもっと楽しい本を読んでいますよ。

追記:いろいろある日本人の顔について→ id:osamuharada:20100605

2016-05-25 パリの猫

osamuharada2016-05-25

Blog を個人的な〈 備忘録 〉として残しておくと、あとで楽しめる(あくまで個人的な)こともあるものですね。近頃の「猫ブーム」にのってか、あるテレビ局では「パリの猫」番組の再放送をやっていました。パリも猫も両方好きなので録画しておいたのですが、見ていたらよく知っている顔の猫が映っていたのです。5年前にパリのリュクサンブール公園で出会った猫ちゃん。→ id:osamuharada:20110721 このとき Blog に写真ものせていたので覚えていました。そしてゆくりなく猫の名前と素性を知ることができたというわけです。写真はテレビ画面に映ったその猫。

番組取材によると、このコはリュクサンブール公園東側の、通りを隔てて向かいにある Café de Rostand の飼い猫なのでした。カフェの籐椅子の上で丸くなって寝てるところでした。そして、この老舗のカフェから公園へ散歩に行くのが、このコの日課なのだそうです。どおりで、公園で会ったときも、このベンチは私のフランチャイズであるという顔をしていたな。やたらと車の多い通りだけれど、ちゃんと横断歩道を歩いて渡っているのかな。

メス猫なのだそうだが、その名前を聞いてビックリ。有名な戯曲『 シラノ・ド・ベルジュラック 』からとって「 シラノ Cyrano 」だという。それじゃ男名前じゃないか。カフェの名前は、この芝居の劇作家エドモン・ロスタン Edmond Rostand からとってある。それで主役の「シラノ」というのはわかるけれど、女のコならヒロインの「ロクサーヌ」にしてあげたらいいのにね。ぼくはこの芝居を、かつて新国劇島田正吾で観ていて好きだったので、なんだか懐かしい名前だった。ただし翻案なので邦題は『 白野弁十郎 』なのでした。侍だから白野(シラノ)が苗字になっちゃって、よけいに男らしい名前だな。などなどヒマつぶしに、あれこれ思い出せるところが 備忘録 Blog の面白い所以なのであります。

2016-05-21 ぼくのロゴデザイン

osamuharada2016-05-21

オサムグッズ商品のデザインを自分でやっていた頃、代官山のパイロットショップ「 Osamu Goods Soda Fountain 」のロゴタイプも自分でデザインをしました。店自体がぼくの好き勝手にすべてデザインさせてもらったので、肝心のロゴをデザインするにあたっても、こんなに楽しい仕事はめったにありませんでした。

ソーダファウンテンとは、アメリカのドラッグストアや雑貨店の中などにあって、清涼飲料水を提供するスペースのことです。薬屋さんが炭酸水を薬として提供していたのが始まりでしょうか。オサムグッズの店でも本格的に Drink Dispenser を置いて、三種類のソーダをつくりました。ぼくが考えついたメニューは、①チョコレート・ソーダ(Hersheyのチョコレートシロップ炭酸水割)②グレナディン・ソーダ(明治屋の柘榴のシロップ)③ミント・ソーダでした。ついでにむかし風の 「蝋引きストロー」までオリジナルデザインをしてしまいました。ソーダの色に合わせて、①は焦げ茶色、②は赤、③には緑色のストローです。写真→http://osamuharada.tumblr.com これをやはりロゴ入りのソーダグラスに入れて、バーカウンターにて出しました。チョコレート・ソーダは、銀座八丁目にあった「千疋屋」でのぼくの好物でした。

というようなわけで、ロゴデザインは「 炭酸水の泡 」をイメージしています。英文書体 Futura Medium の「o」文字は、まん丸なので、それがそのまま泡につながっている。我ながらなかなか可愛いアイデアじゃないか、といまごろ思いました。アメリカのソーダファウンテンで働く人の制服は、ドラッグストアらしく白衣が多かったようで、ロゴも白地にトリコロールカラーにして、清潔感を表現したつもりです。

このロゴができあがると、ショッピングバッグや紙袋の大中小、ショップカード、包装用リボン、ステッカー、店の看板やネオンサインまでつくってしまいました。店内インテリアは壁も天井も白塗り、床だけは全体にレモンイエローのリノリュームを敷きました。それに家具調度、バーカウンターの椅子にいたるまで、ぜーんぶを自分の思うがままにデザインできたことは、じつに痛快であって楽しい思い出です。そこにオサムグッズの新商品を並べるのですから、これはもう仕事を通り越して、オタクな趣味の世界とでもいうべきか。しかしこんな我がままな調子でいたせいか、ほとんど商売にはならず、親会社コージー本舗の営業さんからは、ぼくはただの「道楽者」としての烙印を押されたようです。それでも何でもいうことを聞き入れてくださったのは、先代社長の人徳と、このパイロットショップを提案してくださった石井さん(オサムグッズ生みの親)のおかげなのでありました。今から二十数年前のことでした。

2016-05-10 色鉛筆の柄について

osamuharada2016-05-10

【とりとめもない話】 ゴールデンウィークを孫とたっぷり(へとへとになるまで)過ごした。小学一年生になったばかりで、文房具などを新調してやらなければならない。それで娘が自分で持っていた鉛筆類や消しゴムなどを家で探してみたところ、懐かしいオサムグッズの色鉛筆が出てきたよという。未使用だったけれど、もったいないから孫にはやらず、今夏の「オサムグッズ展」にでも出展しようかと相談しているところです。この写真の色鉛筆ぼくがデザインしました。→ http://osamuharada.tumblr.com

色鉛筆はすべてチェッカー柄です。それぞれの色名もスタッフと共に考えました。缶ケースにもチェッカーをあしらってあります。あの頃はチェッカーに何となくハマっていたのを思い出しました。いま見てもなかなか可愛いな。

というだけの話なのですが、こないだの東京五輪エンブレの新デザインをついでに思い出した。同じく「チェッカー」柄であるのに、ニュースではやたらとエンブレムは「市松模様」とだけ日本語で言わせていたのです。街頭で若者インタヴューしたときも、「日本的な市松模様がいいんじゃないスか。」などと(ヤラセくさく)話を引き出していた。アナウンサーも最初から市松模様で押しまくっていた。チェッカーとは誰も言わない。江戸時代の歌舞伎役者の名前が由来の「市松」って言葉、中学生でも誰でも知ってたんだ。たしかにあの新エンブレム、ロゴも含めて藍一色だから、藍染めの浴衣か手拭いの柄に見えなくはない。デザイナーは「組市松紋」とかっこつけて呼ぶ。それなら祭り半纏にピッタリだ。そこまで言うなら、いっそ三波春夫の「東京五輪音頭」を揃いの浴衣で全員踊ってもらおうじゃないか。《 それ、トトント、トトント晴れ姿 》

さらに想像をたくましくすると、あの市松ことチェッカー柄は、欧米人にとってはお馴染みであるはずの、フリーメーソンのシンボルでもあるのね。英国のお巡りさん(ほとんど低階級メーソン)の帽子にもチェッカーが帯状にデザインされているでしょ。メーソンが Initiation(秘密儀礼)を行う部屋の、床は必ずチェッカー柄になっていなければならない決まりがある。チェッカーは秘密結社のシンボルのひとつなのです。ちなみに聖火ランナーが持ち運ぶ松明(たいまつ)、英語で TORCHもメーソンの大事なシンボルマークだそうです。またトンデモ陰謀とかいわれちゃうが、嘘だと思うならグーグルで Freemason Checker や Freemason Torch などと英語で入れて、画像の検索をして見てくださいね。いったいオリンピックを牛耳っているのは誰なのか? 何がほんとの目的なのか? 関係ないけど日本語はイチマツとタイマツで韻を踏んでる。また、どふでもよゐ話でした。

2016-05-03 ペーター佐藤:人と仕事

osamuharada2016-05-03

ペーター佐藤は、あまりにも早く逝ってしまった。(1945〜1994)イラストレーターとしては、四十歳代の絶頂期を迎えていた頃だった。(右の写真は息子のタケちゃんが撮影)

ペーターは好きで仕事をしていたのだが、かたわらで見ていて過労が気になり、仕事のしすぎを心配してぼくは何度も注意をしていた。しかし仕事を断ることができないのは性分だった。若い頃、仕事のスケジュール表を見せてもらったことがある。数えたら月に平均25本以上の広告や出版社からの注文が殺到していた。しかも手のかかるエアーブラッシュ描法は、一枚描くのにも二日はかかる。寝食を忘れての徹夜仕事が年間を通じて続いていた。

AIRBRUSH WORKとは、紙に絵筆で色を塗るのではなく、コンプレッサーで色インクを吹き付けて絵を描く作業です。まず指定の部分に噴霧された色がはみ出ないようにマスキングを施す。細かくカッターでマスキングペーパーやトレペを切り抜く根気がいる仕事。「毛抜き合わせ」といった緻密な技術が必要とされる。さらに色を吹き付ける工程は一発勝負です。思い切りのよさと細心の手技で一瞬のうちに描く。作業が逡巡することは許されない。霧になった有毒な色インクを吸入する危険もともなっている。

ペーターのイラストは、手の込んだ複雑なテクニックでありながら、見た目にはそれを感じさせず、むしろ軽やかな清涼感にあふれている。現代はパソコンという道具を使って、どんな表現でも機械的にできる時代になったから、今の若い人には、ペーターの絵がコンピューターを駆使して描いたものだと思われるかもしれない。しかし描かれた人物の「眼」をよく見ていただきたい。けして機械的な無機質さに陥らず、生き生きとして遠くを見通す眼がそこに描かれている。透明で涼やかで、やや憂いを含んでいる「眼」には、誰もが魅了されるはずだ。

コンピューターグラフィックスが発達しはじめた80年代になると、ペーターは逆にアナログ的な手法のパステル画を選んだ。この技法でも、緻密さと清々しさはそのまま変わることがなかった。パステルでの細密な描写は、原画を拡大(実際の印刷サイズより大きく)して描くことで可能になり、また大画面に描けば、手のストロークを活かして、よりスピーディーで大胆な筆勢が生まれる。ペーターは大きな紙をイーゼルに置いて、自身は立ったままで描いていた。イーゼルをやや前傾させていたのは、パステルの余分な粉末が画面に付着しないよう下に落とすための工夫だった。この立ち通しの作業にも徹夜が続いた。「一気に描かないと、途中で気が抜けちゃうからね。」と言って、食事もとらない日々もあった。ペーターの集中力には脱帽したけれど、ぼくは会えば必ず仕事のしすぎを注意してばかりいた。何故もっと強引にでも仕事場から引き離せなかったのか、いまだに後悔をする。

ペーターは鏑木清方が好きだった。晩年の清方を撮った写真にペーターが似ていたので、きっとトシ取ったらペーターもあんな風な老人になれるよ、とぼくはよくからかったことがある。ちょっと嬉しそうにペーターが微笑んでいたのも、はるか遠い思い出となってしまった。

ペーター佐藤 & 森本美由紀 『 FASHION ILLUSTRATION 展 』 part 2

5月5日(木)〜5月22日(日) PALETTE CLUB http://www.pale.tv/

  ※ 森本美由紀さんについて→ id:osamuharada:20150724

Connection: close