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2016-10-31 時代は変わる

osamuharada2016-10-31

先週の土曜日は、高校の同期会。みんな七十の「古稀」ということでお祝いをしました。「団塊世代」と十把ひとからげに言われてからも久しいが、確かに同期9クラスは多かったかも。一学年で約450人とはね。一昨日は、そのうち25%の人が集まり、すでに鬼籍に入った人は10%くらい。友達は、同じだけ歳をとっているので、会えばすぐに昔へ戻り、七十歳から17才へワープしちゃう。大阪からやってきた最古のガールフレンドの笑顔を見たら、瞬間あの輝かしい青春時代がよみがえってきた。

二次会は、渋谷センター街の入り口付近にある同期の友の料理屋へ行ったのだが、時あたかも狂乱のハロウィン行列にぶち当たってしまった。あまりにうるさいので三階の窓から、かのスクランブル交差点を眺めてみた。そこは初めて歩行者天国になったそうで、警官がぐるりと囲んでいる。どこか虚ろな仮装行列が延々と果てしなく続いていた。ポン友 K が、若者にありあまるエネルギーを発散させているのは、アベ政権による「愚民政策」のようなものだろうと言った。それには同感。俺たちがいま高校生だったら、この行列に加わったかな? いくらなんでもヤルわけないだろ。だいいちハロウィンなんて聞いたこともなかったわよね。アメリカじゃ子供の祭りだろうが…。結論は、やっぱりあの前向きな1960年代前半に 高校生でいられたのはラッキーだったわね。と古稀たちは口々に語った。

ボブ・ディラン詩の一節。Your sons and your daughters are beyond your command. 息子や娘たちは、あなたの手にはおえない。 昔の方法は急速に滅びてゆく。ともかく時代は変わりつつある。For the times they are a-changin’

「時代は変わる」かもしれないが、この【愚民政策】だけは、敗戦後からあんまり変わっていないのかも。注釈《 愚民政策とは :人民の関心を政治に向けさせないことを目的として、意図的に人民を愚民化させるという政策。一般的には人民が好み、熱中し続けるような娯楽を提供し続けるという方策がとられている。》俺たちだってスポーツや学生運動でお祭り騒ぎをしていたじゃないか。ただしヤツガレの場合は団体行動が苦手なので、ノンポリの変わり者として外されていた。で、しかたなくコリン・ウィルソンの The Outsider をひとり読んでいたというわけ。いずれにしても、時代はもっと変テコな方向に変わっちゃうのでしょうか。

2016-10-22 「築地」歴史散歩

osamuharada2016-10-22

豊洲モンダイで、頓挫した築地市場。ヤツガレの地元でもある「築地」の歴史を調べていたら、明治30年(1897年)の東京地図を見つけて、ブッたまげたのであります。これじゃ日本はどう見たって植民地ではないか。(ヤバイ話なので歴史好きな人だけ読まれんことを)

築地市場のあるところは、もともと江戸時代に尾張藩の蔵屋敷があって、名古屋方面からの輸送船を停泊させる船だまりも敷地内に完備していた場所。江戸湾(東京湾)から江戸城へ、水路で物を運ぶには最短距離でした。明治維新直後からは、ここを日本の【海軍】(実はイギリスがつくった)がずっと占有していた。

西側の緑が多いところは「浜離宮」。元は徳川将軍家の別邸があった大きな庭。ここは今でも変わりませんが、明治維新直後に【延遼館】という外国客専用の迎賓館ができた。明治2年にイギリス王子エジンバラ公が、明治12年にはアメリカ大統領グラントなど、欧米列強が植民地日本をさっそく見学しにやってきた。「延遼館」は、お雇い外国人コンドル設計の石造建築。浜離宮の北には「新橋ステーション」(汐留)があるから、外賓は横浜港に着いてから、汽車に乗ってやってきたのでしょう。英国大使パークスなら軍艦から直接築地に乗り込むことができました。

ちなみに新橋駅も鉄道も、イギリスからの借金で、伊藤博文(当時まだ下っ端役人だったはず)がつくっちゃった。新橋駅の東隣り(現銀座八丁目)にあるのが明治10年にできた【第十五国立銀行】。ここは俗に「華族銀行」とも呼ばれ、元公家の岩倉具視や江戸時代の元大名たちが華族(貴族)となって、私腹を肥やしていた銀行ですね。日本の新興支配者たちに利権を与えて、英国が間接的に日本を植民地支配していた証拠物件のひとつ。

では、150年も前に、どうやって遠いロンドンから東京へ、日本の内政支配を直接コントロールすることができたのか? その謎をとく証拠物件が、地図に描かれた【電信局】の巨大な西洋建築物なのです。場所はいまの新橋演舞場あたり。築地界隈では最大級の建物として描かれている。地図右上に歌舞伎座があり、右端には昔の本願寺が描かれているけど、それよりもでっかい「電信局」とは、国家的に主要な建物だったのでしょう。

【電信】について調べてみたら、明治維新の頃には、すでにロンドンから世界中に【海底ケーブル】が網羅されていたのです。大英帝国が世界の「情報」を独占していたともいえる。どの国へもモールス信号で瞬時に連絡できちゃう。明治時代、まだ空中を飛ぶ電波通信はない。海底ケーブルは船で航行しながらケーブルを落としてゆくので、陸上では気づかれない。まして明治初期の頃だったら、たった二、三日でロンドンから東京へ電信指令が届くなんて、誰も信じなかっただろう。まだチョンマゲの人が残っていた時代ですよ。

地図を見て想像するに、その海底ケーブルを船で東京湾や運河に沈めれば、すぐに「電信局」へ上陸できるというロケーション。そして明治5年には、こんな怪しい外人も送り込まれていた。引用文→《 1872年から1916年まで、ウィリアム・ヘンリー・ストーン(William Henry Stone, 1837-1917)という勅任待遇のお雇い外国人が対外通信に貢献した。日清戦争日露戦争にも活躍した。肩書きはフリーメーソン会長、電信協会名誉会員、勲一等旭日大綬章所持。》

そこで地図に戻ると、築地市場の北側、いまの朝日新聞社があるあたりに【水交社】とあります。勘の働くかたなら、すぐに飯倉東京タワーの下にあるフリーメーソンのジャパンロッジが、敗戦までは海軍の「水交社」だったことを思い出すでしょう。飯倉の前には築地にあったわけです。

宗主国への〈おもてなし〉に使われた【延遼館】。ロンドンから直に送受信をしていた【電信局】。エージェント(秘密情報員)が出入りして裏工作に専念していた【水交社】。これらがみーんな築地に結集していた。

さらに地図を見れば、本願寺境内にある小さな寺や墓があった一区画。むかしは樋口一葉の墓もあったそうです。そこがいまの場外市場(築地4丁目)ですね。そして市場通り沿いにある料亭「新喜楽」(芥川賞直木賞はここで選考される)のところは、明治維新直後に新政府を裏で操っていた、大隈重信や伊藤博文らが集合していた通称【築地梁山泊】のあった場所なのです。ここなら英国からの司令塔「電信局&水交社」まで歩いて5分で行けちゃうな。京都から移った初期の新政府は、まだティーンエイジャーの明治天皇がいる皇居(旧江戸城)にあったというのにね。

やがて大日本帝国憲法を英国エージェントの伊藤がつくり、いつの間にか自分が総理大臣になっちゃう無茶苦茶な歴史。またネットから引用させてもらいます。→《 内閣制度移行に際し、誰が初代内閣総理大臣になるかが注目された。衆目の一致する所は、太政大臣として名目上ながらも政府のトップに立っていた三条と、大久保の死後事実上の宰相として明治政府を切り回し内閣制度を作り上げた伊藤だった。しかし三条は、藤原北家閑院流の嫡流で清華家の1つ三条家の生まれという高貴な身分、公爵である。一方伊藤といえば、貧農の出で武士になったのも維新の直前という低い身分の出身、お手盛りで伯爵になってはいるものの、その差は歴然としていた。太政大臣に代わる初代内閣総理大臣を決める宮中での会議では、誰もが口をつぐんでいる中、伊藤の盟友であった井上馨は「これからの総理は赤電報(外国電報)が読めなくてはだめだ」と口火を切り、これに山縣有朋が「そうすると伊藤君より他にはいないではないか」と賛成、これには三条を支持する保守派の参議も返す言葉がなくなった。》

現在は、新たに光通信での「海底ケーブル」が世界情報網の主流になっていることを考えれば、欧米の支配者は150年も前からとっくにそれを利用していたとは恐ろしや。海底ケーブルによる英語の「赤電報」ひとつで総理大臣を操縦してきたわけか。(いまも国会で台本を棒読みするだけの総理大臣、長州の伝統だね。)

以前から興味を持っていた明治維新の裏面史。初めてできた日本海軍のオフィスは、通称「築地ホテル館」の中にあった。しかしそのホテルの実名は HOTEL DES COLONIES「植民地ホテル」だった。1868年 明治維新の最中にできたホテル。前に書きました→id:osamuharada:20080918

その後、1900年「パリ万博」の EXPOSITION COLONIALE 「植民地展覧会」で、世界から見た日本の実体が明らかになりました。→①id:osamuharada:20110725id:osamuharada:20110724 

ぼくの歴史への興味は、もとより美術史研究が目的でした。縄文時代の美意識が弥生時代になって何故失われそうになったのか、という疑問から始まって、オマケで邪馬台国を発見できたのは嬉しい。また江戸時代までの日本的美意識が、明治になって封じられ排斥されてきた謎は、幕末維新の裏側の歴史をちゃんと知れば納得できちゃう。何事も自分の眼で見て確かめなくては、なーんにも解からずじまいでオワリですよね。

地図は【Tumblr】で拡大してご覧ください。①明治東京地図(築地部分)②巨大な英国風の「電信局」写真。 ③④海底ケーブル施工の写真とイラスト。→ http://osamuharada.tumblr.com/

2016-10-14 文学賞のボブ・ディラン

osamuharada2016-10-14

GOOD NEWS : 昨日、ボブ・ディランノーベル文学賞授賞。たまにはグッドニュースだってあるもんだな。その「音楽」は、すでに殿堂入りを果たしていたが、詩人として「文学」賞とは、やったね。ディランの詩歌が好きだったので、これは格別に嬉しかった。

さっそく昨夜から聴きなおしています。ヤツガレの好みで選んで、まずは 1969年【 Nashville Skyline 】。これはリアルタイムで New York 滞在中に聴いていたから、若かった自分自身の個人的な想い入れが強い。ラジオからは毎日のように Lay Lady Lay が流れていた。レコードショップの窓にこのLPジャケットが並んでいた。ディランの最も Optimistic なアルバムだと思う。声にそれが現れている。カントリーミュージックに近寄りすぎたためか、ヒットはしたが変節といわれた。プロテスト精神は薄れて、ユッタリと生きる喜びを歌いあげている。ウッドストックで隱遁中に書いていた詩歌。(韻を踏んで)Throw my ticket out the window, Throw my suitcase out there,too, Throw my troubles out the door, I don't need them any more 'cause tonight I'll be staying here with you.

次は1966 年の【 Blonde On Blonde 】を聴いた。イラストレーターになりたての頃、徹夜仕事になると毎晩こればかりを聴いていた。とにかくこれを聴くと元気が出た。脳内にドーパミンが放出されたからだろうか。かっこいい曲が次から次へと繰り出され、身体は揺れ動いて止まらない。But deep inside my heart I know I can't escape. Oh,Mama, can this really be the end, to be stuck inside of Mobile with the Memphis blues again. 超大音量で聴くべきアルバム。ヴィジュアルは、ミルトン・グレイザーの描いたポスター DYLANで決まり。

1974 年のアルバム【 Planet Waves 】では、Something There Is About You という曲が特に好きだった。「君には何かがある」、that brings back a long-forgotten truth 「それは、遠いむかしに忘れ去ってしまった真理を思いおこさせる」。

次に1970年【 New Morning 】を聴いた。どの曲もすべてが好きで、自由意志に満ち満ちている。If dogs run free, why not me 「 犬が自由に走れるなら 何故ぼくにできない  時間の沼地を超えて 精神は交響曲と韻律のつづれ織りをなす 」。

さて今夜はどれから聴こうかな。Bob Dylan について前にも書いていました。→ ボブ・ディランのライブ id:osamuharada:20100324 コーエン兄弟とボブ・ディランid:osamuharada:20140604 ディランのDONT LOOK BACK id:osamuharada:20070602 ボブ・ディランの新曲 id:osamuharada:20061005

18日追記:いまだにディラン本人からは連絡がないという。本人が受け取らなくとも一応授賞はされるらしい。ファンとしてはノーベル(ダイナマイト発明家)文学賞などいらん、と言って欲しいところだが、さてどうなることやら、これもちょっとした楽しみです。The answer, my friend, is blowin' in the wind.

2016-10-05 ラ・メール

osamuharada2016-10-05

今週は、12月に発売予定の拙著『 ぼくの美術ノート』に添える、前書きと後書きを執筆中であります。ついでながら、初版『 ぼくの美術帖 』を読み返していたら、ラウル・デュフィについて書いてあるところに、シャンソン La Mer の歌詞の引用があり、つい懐かしくなって音源を聴きたくなりました。

といっても昔はレコードで聴いていたわけで、わざわざ探すのももどかしく、こういう時には YouTube が便利ですよね。すぐにジュリエット・グレコもダリダも歌う 、名曲 La Mer を聴くことができましたよ。そして久しぶりにデュフィの画集を引っ張り出してきて眺めながら、つい思い出アレコレにふけってしまいました。老いてもなお、いつでも「美術」に耽溺できることが嬉しいな。日常の瑣末事からはすぐ解放されちゃう。三十四年前の美術帖に、こう書いてありました。《 ぼくはシャンソンの La Mer を聞くと、いつもデュフィの描く北フランスの海岸を連想します。》とあり、多分自分で適当に訳したような気もする、詞の一節が添えてありました。


     海…

     明るい湾で踊っている

     銀色に輝いて

     ラ・メール

     雨の中、いろいろな表情をみせながら…


D

↑ 最近の歌手にも、いい感じで歌ってる人がいるもんだなと感心しました。カナダはモントリオール(フランス語圏)出身、1965年生まれ。ジャズ歌手のようです。今日も、原稿書きを楽しみ(苦しみ)ながら、時々 息ぬきに La Mer を口ずさんでは気分一新しているところです。

以前書いたデュフィのこと。→ id:osamuharada:20070731 上の図版(部分)↑と同じ「黒い貨物船」シリーズを描くデュフィの姿を、ブラッサイが撮影していました。

2016-10-02 葡萄とNEWS

osamuharada2016-10-02

十月になっても天気がパッとしない毎日ですが、産地直送の葡萄を口にすると、すっかり秋めいた気分になってきました。

しかしユックリ秋を楽しむつもりでいても、つい気になっちゃうのが豊洲モンダイ。極力 テレビをつけないつもりだったけれど、地元のローカルニュースが、新都知事のおかげで全国的に知れわたり、いまやトップニュースにおどり出ている。地元としてはなんとも気恥ずかしいかぎりだが見てしまう。日替わりメニューのように次々と新ネタがあらわれる。ついヤツガレも各局の報道のしかたに温度差を感じながら見わたしている。

なかでも笑えたのが、地下水は飲んでもヘッチャラな程度の基準値超えベンゼン汚染だ、という御用専門家のネタ。アルカリ濃度のほうは漂白剤並みの地下水だったことを度外視するのか。それにベンゼンは揮発性で、おもに水中ではなく空気中に出てくるんじゃなかったの。飲むんじゃなく呼吸のほうが危険なんだよね。フクシマの時にイシハラ都知事が、放射能なんてヘッチャラだと東京の水道水をコップで飲み干した、かのテキ屋風ギャグを思い出す。いくら「安全」だと言われたって、伏魔殿から一方的に言われるだけじゃ、誰も「安心」なんかできるはずがないのにね。

それに豊洲は違法建築だったことまでが明るみにでた。コンクリの地下室にもなっておらず、ただの土留めコンクリ壁が横にあるだけの地下空間に、掘立て柱で上物が建っているだけだった。単なる(弥生時代からある)高床式建物だね。基本的な構造設計にもインチキがあった。4階のコンクリ床が構造計算の15倍の重量。これじゃちょっとした地震でも大揺れするわね。地盤沈下もありうる。そもそも三つの市場建物は、それぞれ 日本三大ゼネコン( 鹿島大成清水 )の 談合で決まったらしいのだ。ただしいずれも様がテレビ界の大スポンサーゆえ社名があがることはまずないだろう。「ダンゴー三兄弟 」(by 松本アッコ) とは、けだし名言。などと世にもクダラナイNEWS ばかりを眺めていると、せっかくの季節の味覚を楽しめなくなっちゃうから、もう見るのヤーメた。