原田治ノート

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2014-08-03 築地ノラ猫情報

osamuharada2014-08-03

前回は、アキオのお寺さんで昼寝情報 id:osamuharada:20140613 でしたが、一方クロちゃんのほうは、高級珍味店「喜多品」さんの店先、冷蔵庫の上がお気に入り昼寝場所です。みんな自由気ままでいいよね。

ところでローカルな築地市場移転の話題。今年の二月に豊洲新市場では、もう起工式が行われたという。イノシシ都知事のときには断られた入札も無事に済んだらしい。しかし土壌の汚染問題はクリアーされていないらしく、国と農林水産省の認可はまだまだもらえちゃいないそうなのです。東京都だけが見切り発車しての淋しき起工式だったよし。しかも新市場の設計図はまだできていないし、物流計画もない。交通の便が悪いうえに駐車場計画もできていない。ただとにかく東京オリンピックには間に合わせたいという一心だよね。前に書いた移転問題→ id:osamuharada:20131122 id:osamuharada:20080520

豊洲新市場計画には、市場の横に、場外市場の新設や巨大露天風呂をつくって観光客を呼びこむ算段もあるそうだ。すでにパレットクラブ隣りの「すしざんまい」と「大和ホーム」というところが共同で土地を借りたという。オリンピックの前までに、市場開設(未定)と同時にスタートさせる予定。その名も「千客万来施設」だってさ。とらぬ狸の皮算用、これも見切り発車のクチかな。いずれにしても、土壌汚染(猛毒ベンゼン基準値の4万3000倍)がクリアーしなければ、食の安全性や信頼は確保されない。まさかこれまで食べて応援は期待できないでしょ。ただちに健康被害などは出ない、とどっかで聞いたようなこと東京都もぬかしそうだけどね。

気丈夫な「喜多品」さんの女社長は、市場が引っ越したって、絶対うちはここに残るわよ。と老舗らしく明言しています。クロちゃんたちだって、行き場がなくなっちゃったら可哀想じゃないとも言ってくれた。もちろん、新興「すしざんまい」(もとは弁当屋)よりは老舗のパレットクラブも引っ越さないつもりであります。

2014-06-19 梅雨の茶室にて

osamuharada2014-06-19

東京の喧噪から離れて島のアトリエに落ちつきました。くだんのアキオに習い、ヤツガレも慣れ親しんできた二階の古い茶室で昼寝に読書。そしてもちろん今年の新茶を喫す。自然の中に居れば、梅雨どきの涼しさ静けさは格別です。たまっていた本を乱読。鉄斎いうところの《 閑臥書を枕に安楽境 》をやっています。

ネットで購入した古本、メドベージェフ著『 NUCLEAR DISASTER IN THE URALS 』(ウラルの核惨事)を読んで、これからの日本で起こりうる事態を予測する。これはかなりつらい。つい体制の正体を暴き幽閉された詩人エズラ・パウンドのことを思い出す。これじゃ〈安楽境〉にはほど遠い。

息抜きに中国美術史や、木村荘八『注釈 小唄控』などを読む。ほかに歌舞伎の『芝居名せりふ集』なる趣味本もあり。ついつい好きなツラネを声に出して読んでしまった。たとえば白浪五人男の勢揃い、忠信利平の【 月の武蔵の江戸育ち がきの時から手癖が悪く 抜け参りからぐれだして 旅を稼ぎに西国を めぐって首尾も吉野山 】だの、【 いま牛若と名も高く 忍ぶ姿もひとの目に 月影ケ谷 神輿ガ嶽 今日ぞ命の明け方に 消ゆる間近き星月夜 その名も赤星十三郎 】などなど。

勢揃いといえば【 問われて名乗るもおこがましいが 】の日本駄右衛門さん。「ニッポン」ダエモンと発声するけれど、これを黙阿弥が書いた江戸時代の終わる頃、文久二年(1862年)では、いまの「日本」というような統一的概念は誰も持っていなかったはず。(前に龍馬のところでも書きました→id:osamuharada:20101005) いったい駄右衛門さんいうところの「日本」って、どんなイメージだったのかな、と横道にそれてしまった。なにしろ「白浪(犯罪者)五人男」の大ボスが日本駄右衛門なのですよ。【 もはや四十に人間の 定めはわずか五十年 六十余州に隠れのねえ 賊徒の張本・日本駄右衛門 】と言っているからには、江戸時代の日本は60あまりの州に分かれた、アメリカ合衆国のような感じに思えていたのでしょうか。

明治になってムリヤリ天皇中心の統一国家、すなわち「大日本帝国」にさせられちゃう。これって歴史的には逆行しているように思えるけど...。 おちょぼ口のアベが「日本を、取り戻ちゅ。」と言ってるのも結局コレのことなんだよね。日本帝国軍まで復活させて、再び中国や朝鮮半島を侵略するのが薩長血族の見果てぬ夢なのかね。

また横道だけれど、歌舞伎で『白浪五人男』が初演された文久二年のあくる年、文久三年といえば、長州忍者だった五人の若者、のちの総理大臣・伊藤博文鹿鳴館井上馨たちが、ロンドンまで密航をした年でした。こっちの「長州五人男 」の仲介をしたのは、英国が東アジアを植民地化するためにつかわしたジャーディン・マセソン商会。当時は上海が本店だった。横浜が開港して最初にできた支店の支店長さんが、吉田茂の養父吉田健三という男。つまり今の漢字が読めなくてマンガ好きアソー太郎の曾祖父が、ジャーディン・マセソン商会の横浜支店長だったわけだ。(アソーのもう一方のほうの高祖父は、薩摩忍者の大久保利通

ついでながら、このジャーディン・マセソン商会横浜支店(英一番館と呼んでいた)を建築したのが、日本一のゼネコン鹿島建設というわけ。鹿島のHPに詳細あり→http://www.kajima.co.jp/prof/overview/160-3.html  事故後いまだ収拾つかない福島第一原発を造ったのも鹿島→http://www.kajima.co.jp/prof/overview/160-6.html 、311以後は除染や凍土壁などでまたまた儲かっちゃって笑いが止まらないのも同じ鹿島。140年も前から代々「薩長政権」とつるんできているんだからバカバカしくなるよね…。さてまた気をとりなおして、楽しき読書に戻ろうか。

2014-06-13 築地ノラ猫情報

osamuharada2014-06-13

パレットクラブのあるパッサージュ(自称)に在籍する2匹のノラ猫。クロちゃんのほうの話題は前に書きました。id:osamuharada:20140408

今日はアキオの情報。昼間は観光客でごったがえす築地場外市場。時々ふらっといなくなるアキオは、人混みの中どこへ出かけているのかなあと不思議に思っていました。先週、場外市場に安全な食材を求めて買い物にでかけ、ちょうどパレットクラブの裏手にあるお寺さんの前を通りがかったら、いつもは閉まっている門扉が開いていた。夜になるとお寺の墓地がアキオの寝所らしいという情報があったので、ちょっと境内に入ってのぞいてみたくなりました。観光客は決して入らない寺の内は意外と静かです。そして入り口の生け垣の奥、石灯籠のうしろにあるクーラー室外機の上で、ついに昼寝中のアキオ発見!(思わず撮ったこの写真)こんなところにいたんだ。

嬉しくなって「オッス!アキオ」と声をかけてみた。しかしいくら呼んでも我関せず。スヤスヤとだらしなく惰眠をむさぼっている様子。お寺さんに寄寓して、先立った母妹の菩提をとむらう殊勝な息子だ、と勝手に想像していたのだが、やはりアキオはただの風来坊のようだ。遠くまで托鉢におもむく、きまじめな修行僧であってほしい、などと願望したワタシが馬鹿よ。ふと横にあるお寺さんの御言葉を読んでみたら、《 道は近きにあり 迷える人はこれを遠きに求む 》とあった。なるほどこれがアキオの道なのだ。

2014-04-08 築地ノラ猫情報

osamuharada2014-04-08

築地パレットクラブのアーケードに住まいするノラ猫は、現在2匹になりました。人なつこいクロちゃんは、パレットクラブを開けるとすぐ室内に入ってきて、2階に上がり徘徊します。もし1階の扉が閉まるとパニックを起こして固まっちゃう(この写真)。閉所恐怖症なのか悲鳴をあげる。外ではいつも元気に飛び回っているのにね。

こないだの夜は、ぼくがパレットクラブの電気を消し鍵をかけて帰ったのだけれど、暗がりでドアを閉める寸前に、外にいたクロちゃんは室内に侵入したらしい。真っ黒だから暗闇ではまったく見えない。一応「クロちゃんもう閉めちゃうぜ!」とことわったんだけれど、その時はニャーと返事もせず静かだったので、ああもう夜の散歩にでかけたんだなと思った。翌日、スタッフが来て扉を開けた途端、クロちゃんは鳴きながら転がり出てきたよし。一晩、心細い思いをさせてしまったようだ。

いつだったか、パレットクラブの1階横にあるぼくの事務所のほうにも入ってきたことがある。帰りぎわ閉めるまえに見回したが、シーンとしていたのでもう出ていったな、と帰ってしまったことがあった。翌日、事務所を開けるとクロちゃんが、不服そうな鳴き声を発してのっそりと出てきた。見るとイームズのラウンジチェアに座っていたらしく、革張りの部分にツメ研ぎをした跡がある。黒皮がささくれ立っていた。前の晩は、椅子も黒いからクロちゃん溶け込んでいて見落としたのだ。うっかり閉じ込めたのが悪いのだから、文句はいえない。いまも座るたびに革張り部分がちょっとひっかかって、思い出すと可愛くなる。

クロちゃんの夜の寝所は、お隣「喜多品」さん2階で、店を閉めて人がいなくなる時に、シャッターの下側を数センチほど開けておいてくれる。これなら閉じ込められない。喜多品さんは、その出入りの時にクロちゃんの額の部分が少しハゲてしまうのよ、と説明してくれた。シャッターとの間が狭いのでオデコがこすれてしまうらしい。どうも近頃 顔色が薄くなっているなあと感じたのはそのせいか。

もう1匹のアキオは、夜になると一ブロック先のお寺さんに寝泊まりをしている。前回書いたとおり(id:osamuharada:20130424)、墨染めの衣に身をやつし、母妹の菩提を弔っているらしい。昼過ぎになると食事のためにやってくる。相変らずの引きこもりだが、キャットフードを出す前だけはやたらに人なつこくなる。しかし食べ終えたら無言のまま、すぐまた寺に引きさがる。このごろは風格?もでてきて老僧の感がちょっとだけある。以上、築地ノラ猫情報でした。

2013-04-24 築地ノラ猫情報

osamuharada2013-04-24

【猫好きの方のために】

築地パレットクラブの私道に住いするノラ猫たちは、現在3匹になっています。世代交代があり、いまここで一番ハバをきかせているのは、子供の頃に誰かが捨てていった黒猫のクロちゃんです。いまや人なつこく近隣で皆から可愛がられている。食べ物が豊富なせいか、小顔と可愛い声にくらべ、図体だけがでっかく成長している。長い尻尾のシルエットは、ロートレックが通ったキャバレー CHAT NOIRのポスターのようだ。

このクロちゃんを、子供時代にさんざんいじめていた最古参の三毛猫オバーチャンは、老齢とともに自分よりも大きくなったクロちゃんから逆襲の憂き目にあってしまった。見るにみかねた隣の高級珍味店「喜多品」さんが、朝昼は帳場の籠に入れて現在オバーチャンの安全は確保されている。店を閉めたら夜は自宅に連れて帰ってくれるので、年老いてからの通い猫となりました。

3匹のうちもうひとりのアキオは、過保護だった母親ホオズキちゃんと、いつもかばってくれた妹のアキちゃんに先立たれ、現在は孤独の身になってしまった。他の猫とは最初からうちとけない。夜はどうやら裏通りのお寺さんの墓地を根城にしているようだ。出家でもしたつもりなのだろうか。昼すぎになると、托鉢の僧のように飄然とあらわれる。白地に黒の柄が「墨染めの衣」に見えなくもない。尻尾は短く曲がっていて、関東のノラ猫の特長を立派にそなえている。猫なのに三白眼で、オドオドした態度はどこか不気味な感じがするが、ぼくはそこに魅力を感じる。こんな雰囲気のある猫はほかにはいない。

むかしから毎週日曜日の午後には、遠くから猫好きオジサンがやってくるのを、アキオたちはいつも心待ちしているようだ。しかしオジサンの話では、持ってきた食べ物が無くなると途端にアキオは消えちゃうから、最も旨いものは最後までとっておくのだそうだ。アキオもそれを知っていて、シメのメニューが出るまでは、オジサンを独占してピッタリくっつき離れない。腹まで見せてゴロンゴロンしちゃう。その時ばかりはクロちゃんでさえもそばには寄らせない。というようなノラ猫3匹の近況報告でした。

前に書いた、築地ノラ猫情報 → id:osamuharada:20100121

2010-01-21 築地のストレイ・キャッツ

osamuharada2010-01-21

イラストの学校PALETTE CLUBは、築地場外市場の中にあります。この数年の築地界隈は、観光名所と化してしまって、魚河岸が休みの日の昼間でも、ラッシュアワーのような凄い人出なのです。 以前は土日にノンビリできていたノラ猫たちも、なんだか落ち着かないようです。 パレットクラブの通路(私道)は、屋根があるのでパッサージュと(冗談で)呼んでいますが、ここに古くから代々ノラ猫ファミリーが住みついています。 現在の状況は、三毛の「オバーチャン」、「ほおずきちゃん」とその息子「アキオ」(写真・ドアの外からパレットクラブを覗いてる)、誰かが捨てていった新参の黒猫「クロちゃん」以上の4匹。 隣近所の店でも皆に可愛がられ、市場なので食糧事情も良いせいか、よく肥えています。土日祭日には遠くから必ず来てくれる猫好きのオジサンもいたりして、恵まれたストレイ・キャッツ生活のようです。場外市場の各ブロックごとに、様々なノラ猫集団が住み分けをしています。パレットクラブ地区では、一番元気のよい「ほおずきちゃん」が代表して、人間どもへのエサのお礼(猫の恩返し)のつもりで、たまにネズミの頭などを持ってきてくれるのです。ある時は、息子と二人分の返礼のつもりなのか、海老の頭とネズミの頭のセットを持ってきちゃいましたよ。こちらもノラ猫マナーを尊重して気を使う。せっかくのプレゼントをいただいたからには、ありがたく大げさに喜んだりして、いなくなるまではコイツァ旨そうだなあ!というフリまでしているのです。ネズミの頭が大好物なのだと思われても困るのですが…。学校が始まって、パッサージュを入ってくる生徒さんから悲鳴があがる時は、たいてい猫の恩返し中なのであります。

2009-12-03 京都・珈琲屋さんと絵具屋さん

osamuharada2009-12-03

紫野の「はしもと珈琲」で桜井さんが淹れる旨いウィンナー・コーヒーを飲んでほっこりしていたら、アキオブレンドこと猪田彰郎さんから電話があった。桜井さんは珈琲職人猪田さんのお弟子さん。早速ぼくに替って、猪田さんがアキオブレンドをご自分で淹れてくださる由。次の日、猪田さんの姪御さんが経営するお花屋さん「Flona」に伺った。約束した時間に、河原町通と今出川通の角まで行ったら、すでに10mほど先のお店の外で、白衣に黒のタイをしめた猪田さんが満面の笑みを湛えた翁顔で手を振り待っていてくれた。久々に飲む猪田さん直々のコーヒの旨さは格別で、元気溢れるとでも言いたいくらい溌剌とした若々しい味覚だった。コレですよ、ぼくが三十年ほど前に「イノダコーヒ三条店」にて目覚めさせられたフレッシュな珈琲の味というのは。 現在七十七歳の猪田さん、なんと次なる目標は八十歳になられたら「イノダコーヒ三条店」で現場復帰を果たすことだという。そのため毎日水泳をして、腕の力が衰えないよう準備もしておられる。この活力が美味しさの秘訣なのでしょうね、楽しみだなァ。 アキオブレンド→(id:osamuharada:20061014)

珈琲を堪能した後に、猪田さんが仲良しの日本絵具製造販売のお店「彩雲堂」のご主人を紹介してくださるというので、一緒に出かけました。ここは富岡鉄斎も画材を調達した所で、表の看板の文字も鉄斎の書。狭い店内の壁には美しい粉絵具がしまってある棚があり、その上に看板のもとになった鉄斎書の扁額「彩雲堂」が掛かっている(写真)。 百二十年くらい昔の創業で、最初は「伊勢屋」という平凡な名前の店だったところ、鉄斎の命名により「彩雲堂」となったそうだ。さすが絵具屋さんにピッタリの見事な名前じゃないですか。 絵具についてのアレコレをご主人から拝聴。特に群青と緑青の岩絵具の美しさは、見ているだけで絵が描きたくなる。しかしニカワで溶いたら、その色の輝きは鈍るんだから、ヘタな絵など描かずに、絵具だけをそのまま飾って鑑賞したくもなるよね。 油絵具のウルトラマリンとは原材料が違う日本の群青色。NHKで放送していた、敦煌の莫高窟壁画の群青と緑青も、まったく同じ色合いだったことを突然思い出し、さらに遥かシルクロードを通じてこれらの絵具も日本に伝えられた歴史に思いを馳せました。鉄斎命名「彩雲堂」という言葉が持つ、豊かな空想力のせいだったのかな。 以前書いた彩雲堂さん→(id:osamuharada:20070715)

2007-01-09 ARABIAのバレンシア

osamuharada2007-01-09

長年使っていて飽きのこないのが、この北欧フィンランドのアラビア窯でつくられていた“Valencia”シリーズです。大小の皿やボール、カップ&ソーサーなどのテーブルウェアーを愛用してきました。堅牢でユッタリした形でとても使いやすい。アラビア製陶所の’60年代は、典型的北欧モダンデザインが主流で、オートメーションでつくられ、リトグラフで刷った模様を貼り付ける転写がほとんどでした。そのなかで1963年に発表されたこの「バレンシア」銘は、一人の絵付師による手描き彩色なのでした。深いコバルトの色で、絵筆さばきも見事でした。この無名の職人さんといっても、写真で見るとフツーのおばさんなのですが、引退したのか3年位前に後継者がなくシリーズは終わってしまいました。一人で40年も続いていたのですね。いいデザインは無くならないで欲しかったのになァ、残念。

この手描き模様は、北欧モダンとは一味違って、スペインのバレンシアにあるマニセス窯の伝統デザインを模していると思われます。スペイン全盛期のラスター彩陶器の図柄(もちろん手描き)の写しでしょう。ヨーロッパに輸出もされていました。しかもこのデザインはスペインがイスラム化した時代のイスパノ・モレスコという様式で、アラブ系やユダヤ系の工人によるものでした。オリエントからスペイン、北欧へと旅をしていった図柄がこの“Valencia”というわけですね、ご苦労さん。

スペインの陶器と比べると、硬質でやはりどこかピーンと張り詰めた寒いところの感じがしますね。ぼくはおもに秋冬専用にしています。猪田さんのアキオブレンドも(ミルク砂糖入りで)バレンシアのコーヒーカップと相性がいいですよ。前に書いた京都「ぐりる金星」さんでも昔からバレンシアを使っています。丈夫でほとんど欠けていないそうです。

2006-10-14 猪田彰郎さんのブレンド・コーヒ

osamuharada2006-10-14

以前、このブログで「珈琲」と題して(id:osamuharada:20050915)、もと京都イノダコーヒにいらした猪田さんと珈琲について書きました。今回その話にでていた猪田さんの“Akio BLEND"の、パッケージ・デザインを新たにぼくが担当させていただきました。中身はもちろん全国アキオ・ファンのため、特別に焙煎ブレンドされた旨い美味い珈琲です。似顔絵でという猪田さんのご注文に、ぼくはかつての京都三条店の大きな円を描くカウンターの中で、コーヒを淹れられる見事な手捌きと立ち姿、そして清潔な白衣に黒いネクタイなどを想い起こして、こんな風に猪田さんをキャラクタライズしちゃいました。左手で持つ白い琺瑯のポットからは、湯気が出て珈琲が注がれ、それはそのままAkio BLENDの描き文字レタリングになっているのです(芸が細かいね)。そんなことより、京都からの香り高い「アキオ・ブレンド」を是非ご賞味ください!

お問い合わせは京都『はしもと珈琲』まで。朝9時から夕5時。定休日なし。

電話075-494-2560、 hashimoto-coffee@leto.eonet.ne.jp

猪田さんのHP、http://www.geocities.jp/akimaki507/