Hatena::ブログ(Diary)

 

2010-05-31

かきたいこと、もやもや

壊してきたものと壊れていたもの

スタンフォード監獄実験

ブロークンジャパニーズ

クラムボンシカゴ

あたりがもやもやつながりそうなんだけど今まとめる気力がないのできっと今度かく

2010-03-05

鏡のミットにボールを投げる鏡の話

心を許せる相手がいない。

でもそれは一般的な意味とは少し違う気がする。

「自分が心を許すことのできる相手がいない」わけじゃない。

「心を許すことを許してくれる」相手がいない。

ボールを投げられないんじゃなくて、ミットを構える人がいない。


これは人の善し悪し、という話じゃない。

みんなと仲良くない、とかいう話でもない。

人間は鏡であって、鏡との距離を指定するのは自分でしかない。

ボールが届かない距離にあって、ミットを構える必要はない。

距離、とは便宜的な言い方で、これもまた仲が良い悪いとかは関係がない。

おおいに仲の良い友人であっても、鏡を前にしての距離は遠い。

おおいに好感を持つ、きっと持ち合っているであろう友人であっても、距離は遠い。


人間は鏡であるからして、僕もまた鏡ということになる。

二者間における合わせ鏡は一度きりの反射をする。

僕が相手をみたとき、そこに僕は映っているけれども、僕に映る相手は見えない。

相手は鏡に映る自分自身を見るが、自分自身に映る僕を見ることはない。


こと僕の視界において、鏡を前にしての距離は遠い。

人は皆おぞましい姿かたちをしていて、鏡に近づくと正視できなくなってしまう。

ショックで死んでしまうかもしれない。

だから僕は近づくことができない。


僕は僕だけの目を持っている。

人は皆それぞれ固有の目を持っている。

固有の目が見る「他者」はそれぞれ同一でない。

ある人には美しくさわやかなものに見えているかもしれない。

ある人には表情のない無機物に見えているかもしれない。

僕にはおぞましいものとして見えている。


僕の肩はそんなに強くない。

ボールの届く距離はそんなに長くない。

正視できる距離を保ったまま、ボールを届かせることはできない。

そうした僕の視界の範疇において、ミットを構える人はいない。


ボールを投げたこともある。

相手はといえば、うっすらミットを構えてくれているように見えた。

僕の視界のなかでは際立って近いところにいるように見えた。

ボールを投げると届いた。

けれども鏡に映る僕の姿はこのうえなくおぞましかった。

自分自身を正視するには近すぎた。

そんな僕の姿を見ている相手は、ボールを取り落としてしまった。


僕には心を許せる相手がいない。

別にこのことに悲壮感はないし、日々が楽しくないわけでもない。

ただ無性に、ボールがミットに収まる音を聞きたくなることがある。

2010-01-29

CSS3のtransform:rotateおぼえがき

tableと文字回転でもって将棋盤を再現しようとして

<table>
  <tr>
    <td><span class="offence"></span></td>
    <td><span class="defence"></span></td>
    ...
  </tr>
  ...
</table>

みたいに書いたのね。

で、CSS

span.defence {
    -moz-transform: rotate(180deg);
    -webkit-transform: rotate(180deg);
    transform: rotate(180deg);
}

という風に書いたら、Firefoxでは文字回転したけどSafariではしなかった。

span.defence {
    -moz-transform: rotate(180deg);
    -webkit-transform: rotate(180deg);
    transform: rotate(180deg);
    display: block;
}

で解決したので、おそらくインライン要素への適用がなされないんだと思う。

天下のWebKit様なので、きっとそれが仕様なんだと思う。

CSS3は全然研究してないので細かいことはわかんない!

2010-01-26

多角的視野と多義的思考によってバカが発生する事例

僕は人と対話する時に、会話が噛み合わなくなることが多々ありまして。

「あれ?話題ちがった?」

みたいなことが頻繁に起こります。

よく起こるせいか、周りもあまり気にしません。

まあでもみんな他人の話すことって気にしてないよね。

その話は主題と違うからやめます。


会話が噛み合わなくなる理由ってなんなのかしら。

そんなに難しいことじゃないんですね。僕の場合。

思考が無軌道なんです。

「きのう野球の試合でピッチャー返しが頭に直撃したらしいよ」

って話題があったとすると、

「その投手は大丈夫だったのかしら」

「どのチームの試合だったのかしら」

「乱闘とか起きたかしら」

ということを考えるのと同時に、

「脳天直撃セガサターン

ビール入れるピッチャーと語源一緒なの?ちがうの?」

「さいきんテレビみてないな」

「仁志っていまどこにいんの」

のように、無指向性の思考が展開されていきます。

そしてそのうちのいくらかが脊髄反射的に口をついて出ます。

連想ワードみたいな感じで。

それだけなら、くだらないことを言う奴、で済むんですが、

たまに話の流れがそっちにいったと一人合点してしまう瞬間があります。

冷静になれば絶対違うとわかるんですが、会話って基本的に瞬間的なもので、その一瞬において大いなる勘違いをするんですね。

そうした瞬間に、コミュニケーションの歯車がガコッと外れるのです。


なぜこんな思考をしてしまうのか。

それの自分なりの答えが、タイトルにある「多角的視野と多義的思考」となります。

多角的視野、というと良い意味に捉えられがちですが、ここでは「持っているべきもの」としてのニュアンスを取り除いた概念として書きます。

(こうした「概念に付帯するもの」が後述する「多義的思考」の「多義」に深く関わってきます)


僕は多角的視野を持とう、という努力をしてきました。

それは別にちゃんとした人間になろうとかそうした話ではなく、ひとつのインプットに対するアウトプットの選択肢を広げたかったからです。

もっと端的に言えば「おもしろいことの言える人間になりたい」と思ったからです。

僕という人間の骨組みは思春期に形成されました。

そこにはひとつのサロンというか、ひとつの選民思想的感覚が根付いたコミュニティがあり、なによりも「エスプリ」と「意外性」が重視される、そうした風潮がありまして。

インプットに対するアウトプットの意外性、そこに知性を混ぜ込めば小粋なエスプリ感を演出できる、そうした考えで僕は会話および思考のフォーミュラを構築していったわけです。

この「アウトプットの意外性」をゲットするために必要だったのが多角的視野です。

ひとつのものをいかに多くの視点から見るか、そしてそこから枝葉のようにどこまで多彩な連想ができるか。

「多彩な連想」、ここが次に書く多義的思考の幼生となります。


多義的思考については、いわば副産物といえます。

先天的な要素もあるかと思います。

僕は昔から集中力の欠如が目立つ子供でございまして。

集中力が足りてないわりに考え込むのが好きな子供でもございまして。

どうなるかというと、人の話を聞かず(あるいは聞きながら並行処理的に)自分の思考に没頭するようになります。

超軽度の自閉的症状といってもいいかもしれません。

そんなネクラボーイはだんだんと気づいていきます。

世の中ものすごくファジーかつ複雑にできているのだと。

好きっていったからって嫌いもどうでもいいも混じっているものだと。

怒っている人間は必ずどこかしら楽しんでいるし、

泣いている人間は少なからず自己陶酔のなかにいるし、

鬱だっていう奴は大概鬱じゃないし毒吐きますと自称する奴は・・・まあいいや

ともあれ、ひとつの事象や概念にはあまりにも多くの「意味」が付帯している、そのことに気づいたのです。

(「多角的視野」というワードに「持っているべきもの」というニュアンスがついてくるという前述の例がこれです)

中二病だった僕はこれを「言霊」と定義しまして、常にこれを意識するようになります。

同時に前述の「多彩な発想」を身につけようとしていた僕は、さらに散漫な、無指向性の思考に深く入り込んでいったのです。


そしてこの散漫さは、物事の優先順位を判断する能力をすこしずつ欠如させていきます。

その結果、ときおり事象の示す意味の優先度がわからなくなる「主題の混濁」ともいえる現象が発生しまして。

すると、コミュニケーションに齟齬が生じます。

ハテいま何を話していたか、どれを拾って答えればいいものか。

考えているうちに話は進みます。

なんとか追いついて話に参加します。

また別のタイミングで混濁が発生して黙り込みます。

これを繰り返すと、だんだん無口になっていきます。

これはまずい、と、脊髄反射、瞬間的感情でもって言葉を紡いで窮地をしのぐことを覚えます。

ここに至って、

「きのう野球の試合でピッチャー返しが頭に直撃したらしいよ」

「脳天直撃セガサターン

この流れになるわけです。


本当はね、別にこんな話をつらつら書くつもりなかったのね。

広い視野と狭い視野、どちらも善し悪しだよね、そんな話にする予定で。

でもまあ気づくと主題はかわっていたり。

上述のパターンがこの数十分の間にも幾度も発生していたわけです。

こうしたメタ的な締めでハイうまいこといった!

そうならないからコミュニケーション苦手なんです僕。

ズレてんです。

2010-01-21

「Microsoft Expression Web SuperPreview」が便利すぎる件

一部の職種の方はね、IE6いいかげん爆発しろ、そう思ってるよね。

IE6っていうか、IEぜんぶ爆発しろ、そう思ってるよね。

もちろん僕も思ってるよ。

MicrosoftXBOX360マウスキーボード出してればいい、そう思ってるよ。

詳細は長くなるから割愛するよ。


そんな爆発してほしいIE、なんでかって表示が他のブラウザとズレるから。

そのうえIE6IE7(とIE8)ですら表示が異なるから。

しかもこれらのバージョンはPCで(原則的に)共存できない。

IE8にはIE7モードで表示する機能があるからまだいいけど、それでもIE6を入れたマシンとIE7を入れたマシン、ふたつ用意しないと表示のチェックができないのね。


そんなこんなで苦い思いをこの数年させられてきたんだけども、ようやMicrosoftが少し反省しました。



こんなのがあるみたい。

Microsoft Expression Web SuperPreview」

スーパープレビューだぜ。スーパーなんだぜ・・・・・・

これとIE8をいれとくと、IE6/7/8が全部チェックできるってわけ。


で、普段たまに困らされるIE6バグ(仕様含む)を試してみた。

結論から言うと、「検証可能だったものは全部再現した」

まあ思いついたもの&悩まされた記憶があるものをチェックしただけなので、再現しないものがある可能性はゼロではないんだけど、触った感じでは「IE6そのまま入ってます」っていうイメージ。

IE8によるIE7モードと同じく「疑問を感じちゃいけない!合ってるの!」と思って使えるレベルじゃないかなと思う。


一応チェック内容を以下に列挙。

検証の際のメモそのままはっつけただけ。


【参考】

確認できたもの

floatした方向にmarginを指定すると倍になる
有名すぎるやつ。再現した。
コメントバグ(文字が複製されて末尾に出たりするアレ)
再現した!出ないんじゃないかと思ってた。
これで個人的な信頼度はだいぶ増した。
ちなみに俺、コメントバグの厳密な発生条件知らないんです。
えろいひと教えてください。
幅や高さを指定した要素の子孫要素でデフォルト指定のマージンが消える
floatのmargin指定ためしてるときにこれも再現した。
OpenTypeフォントを用いて2バイト文字を表示することができない
IE6IE7で再現した。ヒラギノ出なかった。
画像の下に隙間ができる
再現した。
今までしぶしぶdisplay: blockで対応してたんだけどvertical-align: bottomでいけたのね。勉強不足。
透過png未対応
再現した。

確認できず

body要素の内容領域をはみ出す部分がレンダリングされない
大変困るんだけども、SuperPreviewだと確認できない仕組み・・・

(おまけ)IE8にいたるまでそのままのバグ(仕様含む)

ブロックボックス化した要素を含むリストアイテムの後ろに空行が入る
幅が指定されたリスト要素のマージンが正しく反映されない
min-width, min-height未対応