『第2会議室にて』40
2008年7月31日⑦
「結局、会社の実権が田中社長から東山社長に移ることで、仕事場としての水準はどんどん落ちていった。会社はそれを出版不況のせいにしたけれど、経営上の具体的な数字は出さなかったし、その頃の組合もそれを求めなかった。組合は何もいってはこないから、これはいいぞと東山は思ったんだろうね」
福田和彦の話はレジュメから離れていく。
「好き勝手なことができるぞ、ということか」
広告部のベテラン社員がそういった。
「みんなも知ってるように、まずは年俸制にして平均20%も給料をダウンされた。これはいわば観測気球だった」
「そのときは、元々モータータイムズ社の給料は世間と比べても高すぎるし、不況なんだからしょうがないな、と思ったしね。つまりはめられたわけだ」
村上悟は社歴が長いので、給料ダウンは20%では収まらなかっただろう。
「そして困るのは、翌年がどうなるかまったくわからないことですよ」
太田章はその頃二人目の子どもが生まれたはずだ。
「まさにはめられた。なぜか、我々がばかだったからだ。そして実際の給料の額は大切だけれど、働いている側としては、それがこの後どうなっていくのか、ということもとても大切なわけだね。会社はそれに翌年は微増で応えた。そうすると組合員の関心は額ではなく、その低レベルの継続の方に向いてしまう」
福田のその説明に、向井良行がチャチャを入れる。
「ほんとに微増だったけれどね・・・いや、それで満足していたな、実際に」
「それで、会社は組合を安心させたわけだ。安いもんだね」
若い経理部の社員も付け加えた。
「確かにその通り、安心したのは組合だけでなく、社員もだけれど、とにかくあの頃の組合執行部としても、ドカンと減給されてしまっては戦わざるを得ない。でも闘うすべを持ってはいなかったんだ」
福田の言葉に太田が続けた。
「集会を開いても執行部員すら集まらなかったからね」
「そして何より戦い方を知らなかったんじゃないのかな」
福田の声は少し大きかった。
「しかし労働組合が存続していて、ほんの少しでも人がいれば、ほんとうは戦うことなんか、簡単なんだ。必要なのは闘う気持ちと、ほんの少しの知識と、そして状況判断だ」
「でも、闘って首でも切られたらどうするんだよ」
2輪雑誌の男性が初めて発言した。
「それこそ、待ってましただよ。そう簡単に首なんか切れるものじゃないんだから、それを問題にすればいいんだ。組合にとってそれは願ってもない兵器となる。でも向こうもプロだからね。よほどのアホでない限り、そんなことはしないよ。でもね、例えば年俸制導入時の賃金ダウン、これは十分に闘うことができるネタだった。さっきもいったように、それでも闘わなかったんだから、会社も安心して、これからもどんどんと、とんでもないネタを出してくることと思う」
福田は自分の言葉がみんなに理解されているか、確かめたかった。
「でも実際にはどんな風に戦うの。この前の執行部会の話じゃないけど、いろんな武器を手に取るわけではないんでしょ」
河北たまきは、ちょっと痺れを切らしているようだ。
「もちろん、トンカチやスコップを持ち出すわけじゃない。それよりももっと相手が恐怖する、法律っていうものがあることを忘れないでほしいよ」
そして福田はみんなの顔を見回した。
「別に大変なことをいうわけじゃないけれど、ここは一番みんなに理解しておいて欲しいことなんだ」