アクセス数:アクセスカウンター

池澤夏樹 『真昼のプリニウス』(中公文庫)

 池澤夏樹の小説にはいろいろな題材が出てくる。池澤はもともとが理工系の人で、しかも詩人として出発したのだから、地球や宇宙やいわゆる自然と人のかかわりを情感豊かに書かせたら、この人の右に出る作家は日本では少ない。この小説では、浅間山の噴火予測をめぐって地質学、火山学の興味深い話がいくつも出てくるが、噴火予知のむずかしさなどが冷静沈着に書かれてあり、新聞の軽薄論説などにはない知性を感じさせる。
 しかし、地球物理や地質学だけで小説になるわけではもちろんない。人気作家が自分の言いたいことを書き、それでいて何万部かの売行きを確かにするには、作中にはかならず人間の入り組んだ関係が織り込まれていなければならない。有能な女性火山学者である頼子と、元同居人でいまはメキシコに古代文明遺跡の写真を撮りに行っている男、そして頼子の(外科医をしている)弟の友人で(電通?らしき))大手情報企業にいるシニカルな男、の三人が主な配役である。(プリニウスというのはローマ時代の博物学者で、べスヴィオス火山の噴火を見に行ってそこで有毒ガスを吸って死んだ人らしいが、頼子は作品の中で死ぬわけではないし、たんにタイトルを出版社の求めに応じてオシャレっぽくしようとしただけのようだ。)

 しかし『真昼のプリニウス』で池澤夏樹が書きたかったことは、こんないかにも現代都会小説風の人間模様ではない。彼が書きたかったのは、なぜ自分は物語を書くかということだ。
 頼子はあるとき浅間山の観測センターに行って、江戸時代の天明年間に浅間山が大噴火したときの郷土史料を事務局員からもらう。それは、浅間山のすぐふもとにある自分の家の前を溶岩流が流れ、近くの集落が全滅するのを、おハツという無名の女性農民が記録したものだった。それを読んで頼子は衝撃を受ける。以下はおハツがその記録を書いた動機についての頼子とおハツの架空対話の抜粋。
 p172−8
 ――おハツさん、あなたがお書きになった手記を読ませていただきました。ずいぶん長いものを一気に読んでしまいました。あなたの書いたものがそれだけの力を持っていたからだと思います。・・・・・しかし、読み終えていまわたしが思うのは、なぜあなたがあの噴火の体験を、あの体が震えてくるような言葉の中に封じ込めようとしたのか、その時の心理の秘密なんです。おハツさんは、あの体験のあとで、すごく勉強をつまれて、文章をつづることができるようになると、すぐあの手記を書かれたんですよね。実際には瞬間瞬間の感情と反応の羅列にすぎないものを、一つの連続した物語として語りたがるのはなぜなのでしょう?
 ――語ってはいけないのですか?
 ――どうでしょう。気を悪くしないでほしいのですが、わたしには、語られた物語は整合性が目立って、人にとっていろいろ都合よく、いかにも読んだものが納得し、同情し、感動するようにできているという気がして仕方がない。いったい自然はそんなふうにドラマチックでしょうか?
 ――それは先生、先生が「怖い」ことを本当は知らないからではないでしょうか。浅間山のふもとを出て何年たっても、わたしはお山を怖いと思っていましたし、夜中にあの轟音や急に暗くなる空や降ってくる岩の夢を見て目を覚ましたりしました。それが、あれを書いたいちばんの理由だと思います。それで答えにはなりませんでしょうか。
 ――怖かった。なるほど。では物語にしたら怖くはなくなるのでしょうか。
 ――たぶんこうだと思います。書かれた言葉、話された物語は手で扱うことができます。怖い体験そのものは、お山が静まるのを震えながら待っているほか、人にはできることがありません。しかしそれを後になって言葉にすれば、掌に乗せることもできます。
 ――言ってみれば、書くことであなたはお山に勝たれたのですね?
 ――それはわかりません。読んでくださった人たちは、読むことで恐ろしさの天井の方を確かめて、怖かったけれどもここに書かれた以上には恐くなかった、と安心したのだと思います。

 抜粋し終わったあとに思うのだが、この池澤夏樹の「物語を書く理由」は、河合隼雄の「物語がなくては神経症は癒せない」と同じだろうし、そもそもあらゆる宗教物語が生まれる理由とも同じなのではないだろうか。