「変人」は褒め言葉 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

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2002-12-21

[]食品添加物の常識を疑え 食品添加物の常識を疑えを含むブックマーク 食品添加物の常識を疑えのブックマークコメント

「食品添加物は百害あって一利なし」?

 最近、「買ってはいけない」という本の続編が出たそうだ。この本の著者のように、食品添加物は百害あって一利なし、絶対追放すべきものと考えている人は少なくない。

 しかし、果たして本当にそうなのだろうか。私はあえてこの意見に反論する。

 まず、食品添加物には確かに利点もあり、そのために作られたものである。たとえば悪者食品添加物の五本の指に入る合成保存料。今では冷蔵・冷凍技術やフリーズドライ等の食品加工技術によって出番が減ってきたが、昔はそんなハイカラな技術はなかったから、食品を長く保存させようと思ったら、塩漬けや砂糖漬けに缶詰・瓶詰、それができなければ合成保存料に頼るしかなかった。これがなければ、食中毒リスクはずっと高かっただろうし、どれだけの食糧が無駄になったことだろう。

 合成甘味料も、昔はズルチン、チクロサッカリンなど色々使われてきたし、ブドウ糖を混ぜた砂糖が砂糖として売られていたという話も聞くが、戦後の食糧難の時代、砂糖は本当に足りなかった。砂糖が足りなければ合成甘味料に頼らざるを得ない。今では砂糖は安くいくらでも手に入るから、わざわざサッカリンを使う必要もなくなってきた。合成甘味料が食糧不足を補うためでなくダイエットブームのために使われるなんて贅沢な時代である。

 着色料や香料は、食品を引き立てる脇役ではなかろうか。色づけや香り付けをして見た目や香りを引き立てるのに用いられている。確かに、できるものなら天然の着色料や天然の香料を使いたいものだ。私もケーキアイスクリームを作るなら是非とも合成のバニラエッセンスでなく天然のバニラビーンズを使いたい。しかし天然のものは高いし、扱いも少し面倒くさいので、結局バニラエッセンスに頼る事になりがちである。

 もし缶コーヒーを飲んでいるなら、コーヒーと一緒に乳化剤も飲んでいるかもしれない。水と油は分離することを皆さん御存知だと思うが、缶コーヒーの中のミルクはそのままでは分離してしまう。乳化剤はそれを防ぐ役割がある。脂っこいクリームの浮いた缶コーヒーなどという不味いものを飲まずに済むのは、ひとえにこの乳化剤のおかげなのである。

 このように、食品添加物は加工食品の味を守ったり、色や香りを引き立てるなど、良い面もあるのは確かである。もちろん私は、食品添加物によっては健康に問題があり得るということを無視したいわけではない。しかし本当に大切なのは、食品添加物を100%避けることではなく、食品添加物のリスクを抑えることである。

 しかしこの際も、食品添加物反対論者のよく引き合いに出す、「マウスラットは何mg食べると死ぬ、だから人間にも害がある」という議論に騙されてはいけない。たとえば塩化ナトリウムのLD50(50%致死量、つまり実験動物の半数が死ぬ量)はラット経口で4000mg/kg、つまり1kgのラットなら4gの塩化ナトリウムが致死量となる。

 しかし、「たった4gでラットが死ぬなら猛毒だ」というのは早とちりであり、我々は昔から塩化ナトリウムを豊富に含む食塩を毎日の料理に使っている。人間の量に直すなら、たとえば60kgの人間なら240gが致死量である。つまり缶ジュース一本分に近い重量の食塩を一気に飲んでやっと死ねるというもので、そんなの飲めないだろ、無理矢理飲もうとしたって途中で吐いてるさ、となる。

 それに、我々はこの致死量240gの塩化ナトリウム、いやそれ以上の量を既に摂取しているのである。もし食塩を一日1g摂取しているなら、一年で365g摂取していることになる。しかし死ねないのは何故だろう。わからなければ自分の小便でもなめてゆっくり考えるがいい(摂取したものはすべて蓄積されると考えるのは大間違いである)。

[]動物実験の常識を疑え 動物実験の常識を疑えを含むブックマーク 動物実験の常識を疑えのブックマークコメント

 動物実験に反対する人やグループがいる。中には、動物実験を行っている研究所に忍び込んで機材を破壊したり、研究者を殺害したりするテロリストまがいのグループまであるという。

 「実験材料に使われるなんて、動物さんが可哀想」とセンチメンタルな意見を言うのは簡単なことである。しかし、こんなことを言う人は、その前に動物の肉を食べるのを止めて欲しい。人間のために動物の命が失われるという点では、食肉も動物実験も同じである。

 動物実験がなければ、医学を含めた科学の進歩はどれだけ後れていただろうか。我々が安心して薬局の薬を飲む事ができるのも、実験台になってくれた動物のおかげなのである。

 それに、動物実験は、動物の医療という分野においては、人間だけでなく動物のためにもなっているのだ。動物ばかりが一方的に不利な役割を押しつけられているわけではない。

 もっとも、私は実験に必要な範囲を甚だしく逸脱した動物虐待には反対である。実験に必要な最小限度の動物を、可能な範囲であまり苦しめずに行って欲しいものだ。それに、動物を使わなくても良い代替手段があるのなら、それを使う事もできるだろう。しかし、一部の実験に代替手段があるからといって、動物実験が100%要らなくなるわけではない。動物実験がなくなる日、それは我々が文字通りあるいは比喩的な意味で人体実験の人柱になる日なのだ。それはもっと残酷な世界である。

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