「変人」は褒め言葉 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

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2004-09-14

[]さあ、「無職」「引きこもり」の次は「三十路で独身」が差別される時代が来るぞ さあ、「無職」「引きこもり」の次は「三十路で独身」が差別される時代が来るぞを含むブックマーク さあ、「無職」「引きこもり」の次は「三十路で独身」が差別される時代が来るぞのブックマークコメント

 不思議なことに、私の年齢前後の世代というと、周囲をちょっと見渡してみても、そして上にセンセーショナルなタイトルを付けた私も例外ではないが、三十前後なのに独身の人ばかりである。今はそれほど社会問題とみなされていないが、恐らく数年のうちに自称“識者”たちが「ポスト第二次ベビーブーム世代の病理」などとセンセーショナルなタイトルを付けて、にわかに問題にし始めるに違いない。そう私はにらんでいる。

 私は、社会学ほどマユツバ理論が大手を振ってまかり通る学問はないと思っているが、そんなマユツバ理論やトンデモ理論をうんぬんする社会学者が登場する前に、この問題に関する私の見解を書いておこうと思う。なお、マユツバ理論については後述することとする。

結婚しない人が増えた理由

 なかなか結婚しない人が増えた理由は、決して一つではない。幾つかの複合的要因があるし、理由も個人個人それぞれ違う。しかし、「社会不安」と「結婚する意義を見出せない」、この二つが大きな要因ではないかと私は考える。

 「社会不安」、これはご存知の通り、我々は社会人になった時点で不況の波に呑まれていて、就職するだけでも精一杯であった。就職内定取り消しに泣いた人もどれだけいただろう。就職すらままならず、フリーターや家事手伝いで食いつないでいる人も少なくない。いつリストラされて収入が不安定になるかわからない、あるいは今でも収入が不安定だというのに、ヨメさんもらって養う余裕があるかと考えると不安に襲われる、というわけである。結婚が生活を安定化させるどころか、生活不安の原因になるとしたら、誰も結婚したがらないだろう。

 次に、「結婚する意義を見出せない」ことである。原因は人それぞれだろうが、そういう人にとって住みにくい世の中でなくなりつつある。まずは、昔ほど結婚しろしろと圧力をかけられなくなり、「結婚しない自由」が社会的にも容認され始めてきている。だから、「自分には結婚する気がないけど、周りがうるさいから、見合い結婚でも何でも、とにかく結婚すればいいでしょう」というケースは少なくなりつつある。仕事など他の自分の大切な人生目標のために精力を傾けたくて、あえて結婚しない人は昔も今も一部いるが、そのようなライフスタイルも昔よりは周囲にあまりうるさく言われなくなってきた。

 「結婚する意義を見出せない」原因だが、もしかしたらこれは盲点かもしれない。「同棲の方が気軽だから」と、結婚ではなく単なる同棲で満足している人も実際には多いのではないか。ちゃんとした同棲だけでなく、「通い夫/妻」ならぬ「通い彼氏/彼女」を含めれば、かなりの割合に上るだろう。我々の生まれるちょっと前、つまり、かぐや姫が「神田川」を歌った1970年代前半頃も、結婚せず三畳一間の安下宿で同棲する男女というものがいたそうだが、「いた」ことと「社会的に容認されている」こととは別である。当時は同棲生活など不健全で不純なものと後ろ指を指されることもある時代であった。しかし今はというと、そんな事を言う人を見付ける方が珍しいほどである。もちろん私はこのような社会的風潮を決して良いものと薦めるつもりは毛頭ない。しかし、こんな時代になってしまったのは事実である。

 そして、今は昔よりも一人暮らしの人にやさしい社会になってきた。「神田川」の時代は、自炊の手間が面倒なオトコは即席ラーメンやカップラーメンのお世話になるしかなかったらしいが、今では選択肢が実に豊富である。コンビニ弁当あり、ホカ弁屋あり、ファミレスあり、牛丼屋あり、もちろんカップラーメンだけでなくレトルト食品も実に豊富である。その他いろいろ買い物をするにしても、仕事帰りでもちゃんと開いているドン・キホーテやら、24時間営業のスーパーやら、本当に有り難いものである。少々話は脱線するが、独身の若者だけでなく、一人暮らしの老人にもコンビニ弁当とは大変有り難いものであり、私がコンビニでバイトしていた頃は、毎朝決まって一人暮らしのおばあちゃんが弁当を買いに来ていたものである。

こんなトンデモ理論が登場するかも?

 以上が私の考える要因である。しかし私が思うに、恐らく我々の世代についてあまり深く調べず、自分の思い込みだけでセンセーショナルな仮説を構築したマユツバ理論も、いろいろ出てくるのではないかと思う。私の予想する、今後登場する可能性のあるトンデモ理論を挙げてみる。

 まず、小学生の頃にファミコンゲームを経験した「ファミコン世代」だから結婚しないのだ、などというトンデモ理論はきっと出るに違いない。「ファミコンとは、テレビスクリーンの仮想空間に自分を投影する遊びだ。だから“ファミコン世代”は、仮想空間での人付き合いしか出来ず、現実に生きられない人が多いのだ」、と。いかにもテレビゲームの苦手な中高年や、テレビゲーム嫌いの人々が喜んで飛び付きそうな仮説である。しかし私ははっきり言おう、この考えは完全に「ダウト」であり、むしろ事実は逆である。ファミコン世代は、ファミコンに熱中していた人ほどむしろ友達が多いものだった。私はファミコン世代なのに家にファミコンを含めテレビゲーム機が一切なく、級友とも話が合わずにとても苦労した経験がある。しかしファミコンで遊んでいた級友たちは、ゲームの話題をきっかけに会話が弾んでいたものだし、友達の家にお邪魔してゲームをやったり、ゲームカセットを交換したりと、まさに現実社会での人付き合いの潤滑油としてよく作用していたのが、むしろ正しい現実なのである。

 次に、青少年時代にギャルゲーを経験した「ギャルゲー世代」とか「美少女ゲーム世代」、ないしは有名なゲームの名前を取って「ときメモ世代」なんて名前が付けられて、「現実の女の子ではなく、バーチャル世界の理想の女の子に恋をする世代」うんぬん、というトンデモ理論も出るかもしれない、というのは考え過ぎだろうか。これももちろんダウトである。ギャルゲーは我々の子や孫の世代にはメジャーになるかどうかはわからないが、少なくとも我々の世代にはあまり広く普及しているとは言い難い。飽くまでもマイナー、ニッチな存在、“おたくだけが楽しんでいる”と言われるような存在である。その一部だけで全部を語られても困る。

 仮に広く普及していたとしても、やはりダウトである。あえて言わせてもらおう、「ギャルゲーはバーチャル世界の恋愛にとどまらず、現実の恋愛に目醒めさせるための導火線と十分なり得る」と。言葉を換えるなら、「バーチャルな世界に飽き足りず、現実の世界で」という言葉は「犯罪」という言葉の枕詞としてよく用いられるが、実際には「恋愛に憧れる」ことだってあるだろう。たとえて言うなら、「冬のソナタ」を見た女性が「ヨン様のような男性と巡り逢ってステキな恋をしたい」と憧れるのと同じで、ギャルゲーをやり終えた男性が、そこに出てくるような魅力的な女の子と出会ってステキな恋をしたいと憧れる、こんなケースは実際には結構多いのではないかと私はにらんでいる。大体、ギャルゲー好きの野郎達の方が、私のようにギャルゲーをやらない人よりも、よっぽど女性というものに関心をもってらっしゃる。もちろんヨン様のような男性など現実にはまずいないのと同じで、(ときメモのヒロインの)藤崎詩織のような女性に簡単に巡り会えるなどと考えるのは間違っているけれども、まあとにかく、ギャルゲーが結婚意欲喪失の原因というのは、少々短絡思考ではないかと思う。

「三十路で独身」は悪くない

 さて、「三十路で独身」は悪い事だろうか。あまり独身者が増え過ぎると少子化の原因になって日本が滅びる原因になると主張する人も多いが、それは必ずしも100%真実であるとは限らない。将来、社会情勢の変化や科学の進歩により、状況は改善されているかそれとも悪化しているか、正確なところは誰も知る由がない。

 しかし、少なくとも私は、何かしら信念があって「三十路で独身」を貫いている人を責めるようなことは、絶対したくない。働く意欲があるが就職難でやむなく、あるいは理想の仕事に着くまでの一時をアルバイト仕事で食いつないでいる、働く「無職」を私は評価する。(ちゃんと学校に行ったり働くことができるが親に依存する方が楽だからではなく)病気や重い障害のために介護が必要とか、鬱病のために元気になるまで療養するなどの理由で家に引きこもっている人には私は同情する。「捨てたいのにできない」ではなく、ゾマホンのように「その気になればいつでも捨てられるし、誘惑もあるし、周囲には勿体ない勿体ないと言われているほどだが、信念があってあえて捨てない」童貞を私は高く賞賛する。そして最後に、その気になれば結婚できるけれども、自らの信念のためにあえて結婚しない人、その人も恥ずかしがることはない。結婚して得るものと失うものがあり、独身を続けて得るものと失うものがある。自分にとって、独身によって得るものの方が大きいためにあえてその道を選ぶのであれば、是非とも自信を持ってその道を歩んで欲しい。

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