「変人」は褒め言葉 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

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2005-01-10

[]“健全系おたくよ、もつと友達を選べよ、エロ系おたくと絶縁せよ” “健全系おたくよ、もつと友達を選べよ、エロ系おたくと絶縁せよ”を含むブックマーク “健全系おたくよ、もつと友達を選べよ、エロ系おたくと絶縁せよ”のブックマークコメント

 以前にも書いたが、此頃は「おたく文化」のうち、エロ要素を絡めた分野ばかり特に強調されて紹介される傾向が見受けられるのが非常に心配である。「おたくとは即(すなは)ちエロゲーエロ同人誌に萌える事なり、それらに手を出さぬ者はおたくに非ず」と云はんばかりの風潮だ。

 「秋葉原アニメ同人誌ショップやゲームショップやメイド喫茶が増えて居る」のは嘆かはしい、そんな店など潰れちまへ、昔の電氣街としての秋葉原を我らに返せ、と主張してゐるのは、アニメも同人誌も興味ないパソコンおたくや電子工作おたくや無線おたくだつたりする。無論、彼らはおたくであれども、エロはおろか、萌えすら根つから無關係である。私はと云ふと、健全系のみといふ條件付でアニメも漫畫も同人誌も樂しんで居るから、秋葉原のアニメショップの存在自體は有り難いし、其處まで極端な主張はしない。しかし一つ言へる事として、「おたくとは(すなは)ちエロなり」ばかり極端に強調するやうな風潮は、先に擧げたパソコンおたくやら無線おたくやらのうち、健全系専門に樂しんで居る者にとつては迷惑千萬である。「あなたは彼らとは違ふと言ふけど、でも要するに同じおたくでせう、それなら童女が題材のいかがはしいアニメや漫畫に熱中して居る變態共の仲間と云ふことでせう」と勝手に決め附けられて仕舞と云ふことである。

 此處には、學校のやうないぢめの構圖が有るやうに思はれる。結論から先に言ふなら、さういふ健全系おたくとは、“直接關係ないが、いぢめられつ子をいぢめないので、仲間扱ひされていぢめられて居る子”のやうなものである。言ふまでも無いことだが、エロ系のおたくの中には、パソコンなど他のそれ自體は健全な趣味のマニアも兼ねて居る例が少なくない。そして、エロ系の話題は距離を置くけれども、パソコン關聯なら話に加はると云ふ健全系おたくも多いだらう。さうでなくとも、彼らを無視しても非難まではしない人も多いだらう。すると世間は「それ見ろ、やつぱり變態共の仲間ぢやないか」と看做すと云ふ譯だ。

 無論、此の場合はいぢめとは云つても、童女が題材のエロ作品のマニアは非常に分が惡いし、身から出た錆かもしれぬ。かうなると、もし健全系おたくが敢へて「彼らと一緒にしないで呉れ」と云ふのなら、取るべき道は一つだらう。「彼らと一緒でない」ことを行動で示す事である。世間の石頭共には論も證據もてんで通用しない。論より證據より實績作りである。勿論此れは容易でない。しかし「彼らと一緒でない」ことをアピールする事は今後更に重要になるのではないかと私自身は思ひ始めて居る。

 今は消滅してしまつたが、かつて「白色りぼんの會」と云ふ名前の健全系少女漫畫作家の同盟サイトが有り、静かな多數派(サイレント・マジョリティ)である健全系カテゴリの、インターネットでの知名度向上にかなりの効果を上げた。同じやうな運動は、もしかしたら今こそ必要なのかも知れないと思ふ今日此頃である。

[]おたくバッシングの背後に有る基督教的純潔主義 おたくバッシングの背後に有る基督教的純潔主義を含むブックマーク おたくバッシングの背後に有る基督教的純潔主義のブックマークコメント

 私が思ふに、「童女が題材のいかがはしいアニメや漫畫に熱中して居るなら、現實と虚構を識別出來ずにいつか犯罪を犯す」と云ふ紋切り型とは、要するに基督教的純潔主義ではないだらうか。つまりイエス・キリストの言葉として聖書にある

 「姦淫するなかれ」と云へることあるを汝等(なんぢら)きけり。されど我は(なんぢ)らに告ぐ、すべて色情を(いだ)きて女を見るものは、既に心のうち姦淫したるなり。(聖書・マタイ傳五章二十七〜八節)

である。言い換へるなら「實際に行動に移さなくとも、考へる事自体が罪」といふ思想である。

 ところが世間は、此の考へを極一部にしか適用しない。つまりおたくバッシングの時だけ都合良く適用し、其れ以外の時は「人間の慾望には捌け口が必要」「その捌け口こそ慾望をコントロールする手段」とのたまふ。其れはお前らが叩いて居るエロ系おたくの何時もの言ひ譯と全く同じだらうと野暮な突つ込みの一つもしたくなる。

 さて私は「現實と虚構を識別出來ない」といふ考へに長年違和感を懷いてゐたのだが、それもその筈である。私はこの「虚構」とはアニメや漫畫の世界其のものを指すと思つて居たが、私は健全作品專門マニアだから、たとへば少女向けアニメとか少女漫畫とか見たところで、其こに彼らの云ふやうないかがはしい要素など無いではないか、其れがどう犯罪と結び附くのか、と思つてゐた。しかしどうやら此の場合の「虚構」とはさうでは無く、鑑賞者の心の中の空想を指してゐるらしい。「アニメおたくなる者はアニメのヒロインをみだらな目で見て、心の中にそんないかがはしい虚構の世界を作り上げてゐるに決つてゐる、そして其れがいつか爆發して現實世界にやつて來る」といふのが、其の言葉の意味だつたのだ。

 成る程、さう云ふ意味であるなら、心の中の空想が現實の行動に多かれ少なかれ影響する可能性は考へられるだらう。しかし一口にアニメや漫畫のマニアと云つても、色々な主義の人が居る。心の中にいかがはしい劣情の火を全く蓄えようともせず、清く正しく樂しまうと心に決めて居る人はどうなのだらう。私はむしろ、其のやうな鑑賞法はむしろ逆に譽められるべきではないかと思ふ。心のヨゴレが現實に滲み出て來るものなら、心の清さも現實に滲み出て來る。たとへ空想の世界であつても、女性をモノでもオモチャでも聞き分けの良い奴隸でもなく、人間としての人格を尊重する態度を示す人は、現實世界にもきつとその良い影響が滲み出て來るに違ひないし、空想の世界で少女の心の痛みがわかる者は、現實の世界にも其の良い影響が活きて來るだらう。このやうに、使ひ方次第では、老若男女の良い心を育む爲に善用出來るだらうから、其れを見逃さない手は無いと私自身は考へる。

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