「オタクだからこそ女の子をまもります」宣言に何となく感じる違和感の正体は?

(2007/01/14補足:この記事は、この運動や宣言の趣旨そのものを批判するために書いたものではありません。こういう運動や趣旨そのものは立派だと思いますし、この宣言が公表された時、私自身もバナーに賛同するかどうか本気で検討したほどです。
 しかし、せっかく良い趣旨なのに、後に理由を書いてありますが、この標語の表現がちょっとまずくて、非オタクの一般人が見た時にあらぬ誤解を受ける可能性がある事だけが玉に瑕で至極残念です。そもそも、オタク=犯罪者予備軍という世間の偏見のためにこの標語が生まれたはずなのに、このバナーでかえって藪蛇になってしまっては元も子もないでしょう。
 また、この「違和感」というものを、一般に言われている“自己陶酔”とか“自己弁護に必死”とかいう理由だけで片付けるのはちょっとおかしいんじゃないか、もっと別の角度から分析しようよ、というのも、この記事を書いた理由です。)


おたく - Wikipedia
 Wikipediaの「おたく」の項目によると、ある個人ウェブサイトで「オタクだからこそ女の子をまもります」宣言というものが公表され、300以上のウェブサイトがその趣旨に賛同したといいます。
 私も以前からこの宣言の事は知っていましたし、確かに趣旨自体は悪いものではありません。しかし、何となく言葉では説明できない違和感のようなものを感じていました。
 それは何なのでしょうか。Wikipediaに書かれていたような“自己陶酔”とか“賛同者個々人が社会から「自分は性犯罪者予備軍ではない」と思われることにしか関心が無い”というのではなくて、何かもっと別の理由があるのでは。でも、その正体は全く分からない。そんなモヤモヤ感がずっと残っていました。


[漫画]
 自分なりに結論が出たのが最近の事。要するに、この漫画通りです。
 「女の子を守る」という言葉には、二つの意味があります。一つは、左の絵のように、単純に一人の人間として保護するという意味、そしてもう一つは、異性として意識した上で、自分の大切な恋愛パートナーとして守る、という意味です。
 ですから、「オタクだからこそ女の子をまもります」という言葉は、下手すると、「お宅のちっちゃな娘さんをボクの恋人にさせてください。ボクがしっかり守ってみせます」なんてトンデモナイ意味に曲解される危険性があります。
 もちろん、そういう意味でないのは十分わかりきった事ですが、言葉選びにもうちょっと工夫の余地がありそうです。たとえば「オタクだからこそ子供をまもります」と、「女の子」から「子供」に変えただけでも、さっきよりマシな印象にガラリと変わるものです。最終的にどんな文句にしたらうまく改善できるか*1は、皆さんへの宿題として取っておきましょう。


 もちろん、私自身もいつも適切な言葉選びができるわけではなく、時々失敗してしまう事もあります。人のふり見て我がふり直すよう心がけたいもの。

*1:そもそも、こういう呼びかけが本当に必要なのか、とか、言葉よりも態度で示そうよとか、「そもそも論」も残っていますが。