「変人」は褒め言葉 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

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2017-07-09

[][]「『小生』は目上に使用しない」説の賛否両論 「『小生』は目上に使用しない」説の賛否両論を含むブックマーク 「『小生』は目上に使用しない」説の賛否両論のブックマークコメント

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(2017/07/10更新:「間違えやすい言葉づかい 正しい日本語の実例345」(土屋道雄)の引用文と分類を修正)


食べログの「小生さん」位いいだろ!

私はこれまで自分の事を「小生」と呼ぶ事はほとんどありませんでしたが、ネットで「食べログで自分を『小生』と書いてる奴はキモい」と馬鹿にする人が最近多いので(参考 【コラム】食べログの口コミの「小生」率は異常 | ロケットニュース24食べログ小生を許すな)、そんな風潮への抗議を込めて、私も時には「小生」と書く様になりました。


そんなわけで興味を持った、絶滅危惧種の第一人称「小生」ですが、調べてみると、「『小生』は目上に使用しない」説が存在する事も最近になって知りました。これは最近の本の一例です。

何でもわかりやすくする技術、伝える技術(安田 正  クロスメディア・パブリッシング(インプレス) 2011年)

また、比較的若い方が「小生」という言葉を使っているのも見かけますが、小生は目上の人が目下の人に対してへりくだって言う言葉です。

こうした意味を理解せずに、若い人がむやみやたらに使用すると、「なんて生意気なんだ」と、思わぬ悪印象を与えてしまう恐れがあります。

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私は子供の頃から、昔の本から今の本に至るまで色々な本を読み漁る本の虫でしたが、「『小生』は目上に使用しない」説などこれまで見た事も聞いた事もありませんでした。それに、肝腎な「どうして」目上に使用しないのかについて説明がありません。

「これはきっと、『「ご苦労様」や「了解」を目上の人に使ってはいけない』と同じく、根拠が怪しいか賛否両論ある説ではないか、きちんと裏をとらないと」。


調査方法

昔は図書館で一冊一冊本のページに目を通して調べる必要がありましたが、今ではもっと便利な方法があります。Googleブックスです。キーワードを入力すると、そのキーワードの含まれる本の一覧が表示されますし、本によってはGoogle電子化したページを読む事が出来る場合もあります。

国立国会図書館デジタルコレクションも便利です。戦前の文献を中心に、電子化したページを自宅から読む事が出来るのは本当に便利です。

蛇足ながら、明治後期〜昭和初期は手紙文が候文と口語文の両方で書かれた時代で、当時発行された、手紙文の書き方の本を読むと、それぞれの書き方がわかって興味深いです。本によっては同じ内容が候文と口語文の両方で書かれてるので、候文の書き方を学ぶのに役立ちます。)

Googleブックスにあるが電子化したページが表示されない本については、国立国会図書館サーチを活用すると、国会図書館にあるかどうか確認出来ます。今回は実際に国会図書館で一部の本も借りて調べてみました。


手始めに国語辞典から

最初に、地元の図書館で色々な国語辞典を調べてみました。

・「『小生』は目上に使用しない」説を支持する辞書→言泉(1986年第1版、小学館発行)、新明解国語辞典(1981年、三省堂

・同説についてノーコメントの辞書→岩波国語辞典、福武国語辞典、大辞林講談社日本語大辞典大辞泉広辞苑大言海

・同説を否定した辞書→特になし。


言泉での「小生」の説明

「自称。男子が同輩以下の者に自分をへりくだっていう語。」


新明解国語辞典での「小生」の説明

「〔手紙文などで〕男子が自分をへりくだって言う語。〔目上の人に対しては使わない〕」


大言海によると、「小生」は中国の言葉に由来する様な事が書かれてました。

『韓愈、與(二)孟東野(一)聯句「小生何足(レ)道」』


後日、新明解国語辞典は初版からこの説を支持してるのかどうか裏を取る為に国会図書館に行ってみましたが、初版にもこの説明がありました。


新明解国語辞典(三省堂 1972年 初版第一刷) p533

「〔手紙文などで〕男子が自分をへりくだって言う語。〔目上の人に対しては使わない〕」

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「新明解国語辞典」のご先祖である「明解国語辞典」や、同じ三省堂の「三省堂国語辞典」でどうなのかは今後調べる予定です。


「『小生』は目上に使用しない」説を支持する文献

「『小生』は目上に使用しない」説が広く知られる様になったのは21世紀になってからで、ここ最近の文献は沢山あるので省略。ここでは、20世紀以前の文献を時代の新しい順に並べてみました。

講座日本語と日本語教育 第7巻(明治書院 1990年) p168

漢語「小生」についても「目上の人には用いない」と注する辞書は少ない。

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敬語「用例中心」ガイド(堀川直義 明治書院 1969年 初版) p59

小生

 男性が主として手紙に用いる自称の謙譲語である。謙譲語ではあるけれども上位者に対して使うのは失礼とされる。同輩、または会社に対して用いる。

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手紙書く時これは便利だ(日本手紙学会 隆生社書店 1931年)p79

〔注意〕「山本生」の如く「生」の字をつけるのは、目上に対しては用ひられない。「生」は「小生」「野生」などの「生」と同じで、遜語である。が、目上に対し「小生」の文字が使へぬやうに、「何々生」と書くのはよくない。

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現代作文講話(文章講習会 編 東盛堂書店 1917年) pp139-141

第一人称 自分を云ふ

師:私

友:私 小生 小子 僕

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近世少年日用文範(教育新聞社 1909年) pp30-31

同輩に対し自分をいふ時は

生、私、小生、拙者、迂生、不肖、拙生、野生。

師に対し自分をいふ時は

迂生、不肖、野生、私。

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※「手紙書く時これは便利だ」では『「生」の字をつけるのは、目上に対しては用ひられない。』とありましたが、もしこの本の説明通り「迂生」「野生」は師に対しても可なのであれば、「(名前)生」「小生」だけ特別なのかもしれません。


異議あり! 「『小生』は目上に使用してもいい」?

「『小生』は目上に使用しない」説は明治時代からあった事がこれでわかりました。これでいいですね。ファイナルアンサー?


――異議あり! 実は今回の調査で、逆の説、つまり「『小生』は目上に使用してもいい」説もある事がわかりました。


敬語で恥をかかない本(草壁焰 日本文芸社 1983年) p211

小生は、上位者にも使えるが、強く敬意を表わすときは「わたくし」のほうがよい。

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金田一京助全集 第四巻 国語学III(金田一京助 三省堂 1992年) pp54-55

若い人たちの中には、どうかすると親への手紙に「小生」と書く人がある。改まらずに、私と書くのが一番よいのに。小生は謙辞ではあるがよそよそしい。

※「『小生』は目上に使用してもいい」との主張ではない事に注意。しかし「目下に対する言葉」どころか逆に「よそよそしい」と評価してる事に注目。

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間違えやすい言葉づかい 正しい日本語の実例345(土屋道雄 芳文社 1982年 初版) p64

ついでながら、「私」の謙譲語である「小生」も同輩もしくは自分よりやや目上の人にしか使えない。つまり「小生の今日あるは先生のお蔭であります」などとは書けない。「私の……」と書くべきである。

※かなり目上の人には避けるべきとするものの、「貴兄」と同じく「自分よりやや目上の人」なら大丈夫らしい事、「目下の人」が対象に入ってない事に注目。

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正式書翰文活法上田景二 明誠館 1913年) pp28-30

一。自分の称呼

(一)目上に対しては(先づ降而。下て。次に等の接続詞を用ひて)

○小官○下官(上官に対していふ)

○私儀○下拙○拙者儀○私共○不肖(父に対して)○私事○小生○小子(師父に対して)○(自分名)事。等。

<中略>

(二)同輩に対しては(矢張り先づ次に、降ての如き語を用ひて)

○不侫○私○拙者○寒生○野生○愚生○愚老○拙老。等を用ひ

<中略>

(三)目下に対しては(続いてといふ如き語を先づ用ひて)

○自分○身共 此方○我事○愚老○拙老などと称し。

※目上に対して「小生」、同輩や目下には逆にそれ以外の言葉を推奨

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坊つちやん夏目漱石 岩波書店 1939 18刷) p114

……諸先生方が小生の為に此盛大なる送別会を御開き下さつたのは、まことに感銘の至りに堪へぬ次第で――ことに只今は校長、教頭其他諸君の送別の辞を頂戴して、……

※うらなり先生が校長や教頭の居る送別会の席で自分を「小生」と呼ぶ場面が「坊つちやん」にありました。

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この様に、「『小生』は目上に使用しない言葉」か否かについては、私の知る限り、明治時代あたりから賛否両方の意見があった様です。もし興味深い情報をご存じの方は是非コメントをお寄せ下さい。今後も調査を続ける予定です。


最後に、「『小生』は目上に使用しない言葉」と言って避けるなら、「僕」は如何ですか。「僕」も改まった文章としては目上に使用するのがあまり適切ではないかもしれませんが、それでも仲の良い目上の人が相手であれば、状況によっては自分を「僕」と呼ぶ事もあるかも知れません。「小生」も、もしかしたら似た感覚なのかもしれない、と私は想像します(が、まだ調査途中なので、はっきりとした結論ではありません)。


おまけ:助詞の「〜は」「〜へ」を「〜わ」「〜え」と書くのは「許容」だった(過去形)

蛇足ながら、今回の国会図書館での調査で発見した資料を。1986年に改訂された「現代仮名遣い」ではその文言がなくなりましたが、1946年に内閣告示された「現代かなづかい」では、助詞の「〜は」「〜へ」を「〜わ」「〜え」と書く事は「許容」だった様です。「〜わ」「〜え」「こんにちわ」「こんばんわ」と書く人が時々居ますが、「現代かなづかい」の「許容」の書き方と同じです。

金田一京助全集 第四巻 国語学III(金田一京助 三省堂 1992年) pp316-317

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