otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

素晴らしい長さ

otobokecat2010-02-23

東京市場へ出た翌日、世田谷文学館で行われている「石井桃子展」へ行って来ました。平日の午前中から熱心に展示を見入っている方が、会場にたくさんおられました。入ってすぐのところにあった明治40年〜平成20年までという、4つの時代にわたり生き抜いた石井桃子の年譜がなんといっても圧巻でした。長さも10mはあったでしょうか。もちろんその中身の濃さも並々ならぬものがありました。
若き日に編集企画者として、新潮社の日本少国民文庫をかわきりに子どもの本とのかかわりが始まります(昭和9年)。昭和15年には友人とともに出版社を立ち上げ『ドリトル先生アフリカへ行く』(ロフティング作、井伏鱒二訳)、『たのしい川邊』(グレアム原作)はすでにここから出ています。しかし戦時中への時の流れの中で頓挫します。『『クマのプーさん』(ミルン原作)は昭和15年岩波書店から刊行されました。
宮城県の農業生活の時代を経て、戦後からいよいよ優れた児童文学『ノンちゃん雲に乗る』(昭和22)『三月ひなのつき』(昭和38)の執筆や、数々の翻訳:『ピーターラビットのおはなし』(ビアトリクス・ポター原作)、『ちいさなおうち』(バージリア・リー・バートン原作)なども始まります。児童文学のほかにも『幻の朱い実』といった大人向けの小説や、評論など多種書いています。『ミルン自伝 今からでは遅すぎる』(ミルン作)は2003年95歳の時に刊行されたもですから驚きです。
幻の朱い実〈上〉 幻の朱い実〈下〉 ユリイカ2007年7月号 特集=石井桃子 一〇〇年のおはなし ミルン自伝 今からでは遅すぎる  
執筆活動のほかにも、50歳の時に東京・荻窪で家庭文庫「かつら文庫」として自宅を開放して、自ら子どもと本の世界の架け橋にも力を尽くしました。阿川佐和子さんも尚之さんと兄妹でこの文庫へ通っていたそうです。また東京子ども図書館の発起人にもなりました。
その101年の生涯をくまなく児童文学の発展と読書普及に尽くしたという偉大な功績は、他に例を見ないと思います。
会場に追分山荘で机に向かっておられる石井さんの写真がありました。石井さんが追分に山の家→を建てたのは昭和43年(1968年)で、以来一切邪魔の入らないこの追分での静かな夏が、執筆や思索に役に立ったことと思います。
非常に規則正しい生活ぶりであったと聞いています。
私は個人的には戦後の宮城県栗原郡鴬沢村での農業と酪農の日々などの映像が興味深かったです。『ノンちゃん雲にのる』の原稿料で「のんちゃん牧場」ができたとか。またたとえばイギリスの田園が舞台の話を訳す時など、鶯沢での田舎暮らしは大いに役に立ったことだろうとおもいます。
畑仕事の合間にでしょうか、木の下に座っている麦藁帽子を被った石井さん
が本を読んでいる写真もあったけれど、まるで絵本の一シーンのようで、そこが宮城県かイギリスの湖水地方か見分けがつかないほどでした!
会場に展示された原書やメモ、創作ノート、写真などのおびただしい資料の分量を見るにつけても、石井桃子の一世紀にわたる一生は、日本の児童文学界にとってかけがえのないご生涯であったといえます。そのことはいまだに出版され続けている多くの本を見れば、言わずもがなではありますが、今回の展示のために方々から集めた資料、一堂に会するのは貴重なことですので、この機会に是非たくさんの方にみていただけたらと思います。

世田谷文学館が作成した「石井桃子展」のA5版の図録の表紙の柄は、石井さんが若き日に立ち上げた「白林少年館」で出版した時の本の表紙の柄?でしょうか。(表紙の説明があったらよかったのに。)
追伸:会場に行かれた方は、トムさんやキヌさんの写真も見てきてください。

石井桃子
2010年2月6日〜4月11日
世田谷文学館にて

開館時間:10:00〜18:00
(ミュージアムショップは17時まで。
展覧会入場は17時30分まで。)

休館日:毎週月曜日

(ただし、3月22日は開館、翌日休館)

http://www.setabun.or.jp/exhibition/ishiimomokoten/