大友良英のJAMJAM日記

2010-03-28 シンポってなんなんだ?

KBS京都4月9日夜24時半からはじまる『大友良英のJAMJAMラジオ』、第1回の収録が29日にせまっております。


第一回目は昭和テレビ音楽ダークサイドなんて言ったら本人に怒られるかな。わたしが子供の頃の無意識の耳に直撃してきたアバンギャルド音楽ジャイアントロボや、スパージェッター、プレイガール音楽を作った山下毅雄の話をしながらの30分間です。

そして2回目はわたしが右も左もわからずに映画音楽をはじめたころの話、90年代中前半の中国香港映画の話をしつつ、いまだCDになってない秘蔵音源廃盤音源のみで構成する予定。

ということで、番組へのおたより、要望、質問、リクエスト、ほかなんでもいただけるとうれしいでーす。 あて先は jam@kbs.ne.jp


現時点では、放送業界というか著作権なんたらかんたらの関係で番組を全編ネットにアップできないようですが、でもさ、ここだけの話だけど、だれかが勝手ustしたりyoutubeにアップしても、わかんないしね・・・あ、いやいや、オレはそんなこと薦めてませんよ、やれなんて言ってないからね。でもさ、オレも東京に住んでるわけだし番組聞きてえもなあ、いや「みんな勝手ustやって」なんて言ってないからね。念のため。



ustといえばさ、昨日の芸大のシンポがustされてるってんで、家帰ってから見てみたんだけどさ、もう3秒くらい見て、ログアウトしちゃった。いや内容の問題じゃなくてですねえ、オレ、なんてブサイクなブオトコなんだろうって瞬間的におもっちゃって・・・え? なんでいまさら、50年も生きてきてそんなことに気づくんだよって。まあね、そうなんだけどね。まあ、音楽家はしゃべるもんじゃねえなあって教訓なのかな。でもね、これでも必要があると思ってるから、ああいう場にでてってるのよ。それにしてもオレ、カッコ悪。広瀬さんとか、諏訪さんとかすげえかっこいいのに。実はドキュメンタリー映画の「KIKOE」もオレが出てるとこは目つぶってみてたのよ。鏡みるのも髭そるときくらいだからねえ。おまけに近頃はすっかり毛がさびしくなってきてるからさあ。もうええなあ、いけてるオトコって。

オレも今からいけてるオトコ目指してやろうかな・・・・あ、いかん、なんか自分がとってもアホに見えてきた。これ以上アホになったらやばい。こんなこと考えるのやめやめ。


え〜、そんなこと書きたいんじゃなくて、シンポの話。オレ、正直言うと、シンポで自身の作品をプレゼンするって気持ちがまったくわからないや。音楽家はそんな野暮なことすべきじゃないとオレは思ってるけどね。テメエの思いなんてどうでもいいもん。無論言葉が必要なときもあるけど、でもシンポで説明するってセンスがどこかひっかかる。まあ、やりたい人は勝手にどうぞ。ただし技術科学あるいは研究の話ならよくわかる。そういうものは説明が必要だと思うし、事実そういう話は面白いしね。


そしてもうひとつ、こういう会が必要なのは普段ではなかなか出会わない者同士が、ある共通の問題を共有し、一緒に事にあたれる切っ掛けになるってことだ。昨日は、その意味でなんらかの切っ掛けになったなら、まずは初回としては良かったかな。諏訪さんがシンポの後に「なにか具体的なことをひとつづつやるしかないのだろうなと改めて思います」と言っていたのが印象的。

どこにも所属せず個人でやってるわたしにどんだけの力があるかわからないが、少なくとも芸大に所属している藤幡さんや、東京造形大に所属している諏訪さんには、現実を変えることの出来る力と責任があるわけで(無論それはものすごい困難なことではあると思うが)、そういうことを体を張ってやろうとしている人に、多少の力を貸す程度の経験はオレにもあるつもり。藤幡さんには「大友さんは学校嫌いでしょ」といわれましたが、まあ、学校は苦手ですが、そこで働く一人一人の人たちを学校のくくりで見たりはしないつもり。結局は人だもの。その人が面白いことをやろうとしてるなら学校どうこうは関係ない。




時代は、オレ等が若かった20世紀とは明らかに違っていて、当時僕らがいっていたアバンギャルドとかサブカルチャーみたいな発想では、今の10代、20代が、いや彼等だけでなく、僕らが直面してる問題の解決にはならないと思う。結局そういう発想は、西洋美術の文脈や、西洋で生まれた現代音楽ポップカルチャーの文脈の置き換えという意味では、西洋の芸術を輸入しようとしたかつての芸大がやっていたことと根本的にはかわらない・・・そんな風にしかオレには思えないのだ。かと言って日本発といわれている、ポップカルチャーのようなものや秋葉原的なるものにわたしはなんの希望見出していない。歳をとりすぎたのかもしれないが、そんな浮かれたところに何かがあるとは思えないのだ。現実は、もっとせっぱつまってないか? もっとキリキリ音をたててないか? 

こんな問いは、結局は、んじゃお前はどうするんだ・・・に帰ってくるわけで、そうすると、返せる答えは、なにか具体的なことをひとつづつやるしかない・・・なのです。

諏訪さんや、わたしが子供との作業の話をしたのは、そのことを言いたかったからなのだ。ひとつひとつやっていって、生きてる間に何が出来るのだろうか。

そう考えると時間ないなあって思ってしまう。




会場には芸大音楽学生先生もひとりもいなかった。なんなんでしょうね。この縦割りぶり。

そういや、オレ、美術系の学科からの講師の依頼はよくあるけでど、音楽学校からはほとんどねえもんなあ。まあ、どうでもいいけどね、そんな話は。そんなことより切実なのは、あそこでオレが名前を出した梅田哲也とか堀尾寛太とか、吉田アミSachiko M、ユタカワサキのやってることって、どれだけ、ああいう世界に切実に響いているのかな? アルスアルスて騒いでるくせにさ、結局美術にしろ、メディアアートにしろ、音楽世界にしろ、作品を言葉で説明する人とか、プロモーションをしてる人だけが注目されてないか? 

本当ならキュレーターなり評論家なり、アーカイブをつくるべき研究者が、そうした自分から言葉で説明しない人たちの作品をひとつひとつ丁寧に検証すべきなのに、現実には、言葉を発している人の言葉を受けてるだけになってないか? オレがあの場で、あまりにもみな勉強不足だといったのはそういう意味だ。言葉だけのやりとりで、美術なり音楽なりを解釈してるようなレベルで、どうするんだよっていう、はっきりとオレからの挑発なんだけどね。




今夜24:10からNHK総合で『鬼太郎が見た玉砕水木しげる戦争』の再放送あります。演出柳川強、主演香川照之脚本西岡拓也、音楽大友良英テレビドラマ史上に残る名作です。

お見逃しなく。

shihonoshihono 2010/03/29 11:26 先日のシンポジウム、正直、とても残念なものだったと感じています。
それはあまりにも藤幡教授の問題提起が時代錯誤のものだったからです。
音楽はレコードがでてきて以来どのように変化したか?
美術作品はもうホワイトキューブでやる必要はないのではないか?など、
もう既に語りつくされて、口に出すのもはばかられるような問題をなぜ、
議題にあげたのか、まったく理解できませんでした。
もちろん、それらのことを"いま"再考すべきである
という問題意識の上での提起だったらよかったのだと思います。しかし、違っていた。
ただ話題が古いだけで、定型の話しか、でてこなかった。
しかも、藤幡教授は、大友さんや諏訪さんの話にちゃんと耳を傾けている、とは思えない態度で、
自分のしたい主張したい方向に無理やり論理を展開していくだけのひとりよがりなものでした。
あんなものならシンポジウムという形をとる必要なんてないと思います。
むしろ、大友さんと諏訪さんとの対談を聞きたかった。
大友さんの音遊びの会やさまざまな音に対してのアプローチ、
諏訪さんの実験的で即興的な映画撮影手法やワークショップ
お二人には媒体は違えど、
音/演技の根本を考える姿勢や方法に共通のものがあると思いましたし、
それらのお話をしていくなかで何か見えてくるものがあるんじゃないかと、期待していました。
いや、確かにあのシンポジウムでその一端は垣間見えたのですが、藤幡教授がそれらの話題を殺していった。
僕にはそう感じられました。
藤幡教授は、大友さんの著書を一冊でも読んだことがあったのでしょうか?
読んだことがあったとしたら、あんなシンポジウムにならなかったと思います。
大友さんの勉強不足、という言葉を自戒すると同時に、あのシンポジウム自体が、
勉強不足の賜物だったと感じずにはいられません。
大友さんの活動はとても刺激的で、いろいろなことを考えさせられます。
先日の音遊びの会も、本当に感激しました。
ENSEMBLES刊行イベントの際、ジュンク堂でお話されたことも、とても心に残っています。
また、そのようなお話を、そして、音楽を聴けることを、楽しみに待ってます!!
長々とすみませんでした。

otomojamjamotomojamjam 2010/03/29 11:59 わ〜〜〜、
もう
ずいぶん辛口だなあ。
わたしは
藤幡さんの話もすごく面白かったですよ。
そこまで古いものでは全然なくて
彼の立場で
ちゃんと現状をふまえていたと思います。
わたしの本も読んでいてくださったし。

ただ、残念なのは時間が少なすぎたことと
結果、会場との対話がなかったことで、
そのへんは、
僕らのように
人前で話すときも
お客さんからお金をとって、
ある程度のエンターテイメントを意識するのとは
ずいぶん大学ってのは違うんだなと思いながら、
司会進行の仕方に
とまどったのは事実です。
もっとお客さんと一緒に
話したほうがいいんじゃないのと
大学なれしてないわたしは
素朴に思いました。

あと、これは藤幡さんってことではないですが
アカデミックなところからの言葉は
過去の偉い人の言葉の引用がおおすぎるのと
言葉が難しすぎて
わたしみたいなもんにはわかりにくいので
もうちょっと、わかりやすい言葉に
置き換えていったほうが
いいんじゃないの・・・と
思ったのも事実です。
人に何かを伝えたいなら
自分が立って生活してる
普段の言葉で話さなくて駄目だって
思ってますので。

実は、ステージ上よりも
楽屋裏や打ち上げの席での会話のほうが
何倍も面白く
より深まっていて(そういうことはよくあることですが)
そういう部分をわたしが
引き出せなかったのは
わたし自身の失敗でした。
本当は楽屋でやってるそのままの会話で
充分に今現在を語ることになると思うんですが
ステージでると
みな、ついついわたしを含め
みなよそ行きの顔になっちゃうんですね。


藤幡さんは
shihonoさんが考えているような
旧弊な思想なんかじゃ全然なくて
もっともっと可能性にあふれてますよ。


いずれにしろ初回だったんで
まあ、待っててください。
おいおい、わたしのほうからも
引っ張り出しますから。

大学とかストリートとかで
縦割りになってても仕方ないんで
いろいろ、身軽に動けるように
すこし体力つけて
おきます。

shihonoshihono 2010/03/29 13:22 さっそくの、そして丁寧なご返信、ありがとうございます!
そして、なんやら辛口にえらそうなことを言ってすみません。。

>藤幡さんはshihonoさんが考えているような
>旧弊な思想なんかじゃ全然なくて
>もっともっと可能性にあふれてますよ。
そうなのですか。。
けれど、あのシンポジウムで藤幡教授に対してまったくそのように思えなかったのは、やっぱり、事実です。。

もちろん今回のシンポジウムで藤幡教授のことを決め付けることしません。今回のシンポの感想は、自分の勉強不足から出てきてるものかもしれませんので。
なので、、もしよろしければ、
大友さんは、今回の藤幡さんのお話の、どのような部分に面白さを感じていたのでしょうか?
教えていただければ、とてもうれしいです。

shihonoshihono 2010/03/29 14:15 わー!
>今回のシンポの感想は、自分の勉強不足から出てきてるものかもしれませんので。
なんかこれ、すごく嫌味に聞こえる!!
もちろん嫌味じゃないです!
これを機会に大友さんから、何か学ぶことができたらうれしいなあと思った次第です。。

通りすがり通りすがり 2010/03/29 14:20 今回のシンポは、団塊以上の世代と、団塊より若い世代の闘いの始まりでしたね。

団塊で、しかも成功してきた人って、40代以下の苦労が全く判らないでしょう。20代30代に至っては、今日喰う食い物も苦労している人がゴマンといるのです。

月末になったら必ず大金が振り込まれている生活を、人生の大半過ごしてきた彼らには、切実さが感じられませんでしたね。

otomojamjamotomojamjam 2010/03/31 23:38 あるくくりをつくって、そこに人を入れて
白黒にわけて議論をすすめるのではなく、
わたしとしては、縁あって出会った人と
個別に、議論をしていければと思っています。
個々で立場も状況もちがうわけですから。

そんな中から見えてくるものにしっかり
対していければと思っています。

藤幡さんとの議論のつづきだけではなく
わたしが強く感じている
美術やメディアアートの世界で
活動することの居心地の悪さ、
風通しの悪さ、
あるいは音楽そのものが抱えている問題については
公開の場所で今後も対話、討論を
してく予定ですので
どうか結論をいそがずに、
あるいは言葉の反応にフォーカスせずに
それらの中から生まれてくる活動のほうを
見ていただければと思います。

HONDAHONDA 2010/04/04 23:14 世間一半でアーティストと呼ばれる表現者
画家・音楽家・写真家・小説家・・・・・
個々の感性を表現する方法が違うだけで
それを、言葉で説明はできないと思います。

「音遊びの会」のブログを拝見させて頂
彼ら彼女らも表現者ですね。

通りすがり通りすがり 2010/04/06 08:43 「あるくくりをつくって、そこに人を入れて」と言われても
社会を取り巻く経済と文化の状況は個々での立場も状況も関係ないですよ。世界人口が30億人だった時代と68億人を超えようかという現代では齟齬と世代間乖離が出るのがあたりまえです。

通りすがり通りすがり 2010/04/07 03:53 「あるくくりをつくって」という視点を回避してしまうと、会場で大友さんが力説されたアーティストへの支援が、やりたくない側からすれば、「くくりをつけるのは良くないじゃないか」「それは個々人の個別の問題だ」とか、「自己責任論だ」という方便を使わせる事になってしまうわけではないですか。