献花台

今日は秋葉原に行きました。


事件のあった交差点には献花台があり、多くの花が供えられていました。


でも、この事件も20年経てば多くの人が忘れてしまうのでしょうか。


身近な人の死は記憶に残るのに、大勢の他人の死は記憶に残らない。


同じ「死」なのに、人は本能で「死」に順位をつけるのかも。


(悲しみという感情の根源はコレな気がする)


もしかしたら、今日見た献花台もお墓も仏壇も、


誰かの「死」を


人々の記憶にとどまるような「死」に昇華させる道具なのかもしれません。


献花台の写真を撮っているとき、後ろにいた高校生が、


「ちょうど2年かぁ、ひどい事件だったよね」と友人に話していた。


献花台は役割を果たしていた。



写真は事件のあった交差点です。 


被害者の皆さんのご冥福をお祈りいたします。