実験さんみたいなユートピア思想があってもいいし、過激に殺伐とした思想があってもいいと俺は思ったり

http://replica-love.jp/sayonana/archives/000513.htmlでの話題。
なんちゅーか、対照的な極端な思想の人が喧々諤々と平行線のままやりあっている状態ってのがいちばん生き延びやすい状態だと俺は思ったりしている。
実験さんが「すばらしい批評でクリエイターの創作意欲が湧いたためしがあるか? DISるだけの批評なんか無くなってしまえ」と過激なユートピア思想を披露するのも全然アリだし。逆に「批評が無ければ似非クリエイターのおもうがままだよ」という対照的な過激思想があってもいいと思う。
思想持ち同士が殺しあって、どっちか片方だけ生き残る状態というのは脆い。
だから「ウォーターフォールよりもPerlアジャイル」というアルファギーク界隈とか、blogの「リンクフリー原理主義」で固まっているクラスターというのは結構脆い気がする。
小倉弁護士みたいな斜め上の過激思想を持った人もいて、そうではないネット派弁護士もいたりするのが多様性のある健全な状態だと思う。
だから実験さんのエントリーに俺は実験さんの思想とは正反対のコメントを投稿したけど。それによって実験さんにも「批判賛成派」になってほしいとは思っていない。

ごく一部に通じるように書くと「ディプロマシードカポンで熱狂的に遊んだせいで、なんだか普段の関係まで疎遠になるのは思春期まで」という感じかもね。

追記
あとこの話はhttp://replica-love.jp/sayonana/archives/000493.htmlというエントリーで実写版「デビルマン」への批判をそんなにしなくてもいいじゃないか。映画会社の幹部とゴルフ仲間で、上層部の言うことを良く聞くのがとりえの監督だったけど、がんで死んじゃったんだし。というところから始まったというところがポイントか。もう少し賛否両論で評価が二分される題材を最初に持ってきたほうがいろいろと議論が出てきたかも。
死者に鞭打たないというヒューマニズムの話と、実力よりも扱いやすさとゴルフ仲間かどうかが監督採用のポイントかよ!!ってツッコミは分離して語らないとなぁとも思うし。
「だって実写版デビルマンでしょ。批判して当然じゃん」という脊髄反射で議論が終わっちゃいそうだし。