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ONINAWA MOVIE LIFE II このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2014-05-16

『フェイシズ』(ジョン・カサヴェテス)

| 22:06 | 『フェイシズ』(ジョン・カサヴェテス)を含むブックマーク 『フェイシズ』(ジョン・カサヴェテス)のブックマークコメント

 圧倒された。
 実は終盤にある人物の口からこの映画のテーマがはっきりと語られているので今更指摘することもないけれども、カサヴェテスの即興的演技は人物の内面をあらわにする性質のものではなく、むしろその人物の浅さを露呈するものになっている。その視点が冷酷で、悪趣味ながらも気に入った。
 それで、僕がこの映画を見ていて常に思い浮かべていたのがクエンティン・タランティーノの存在。町山智浩さんはタランティーノの映画について、本来なら映画本筋に関係ないようなお喋りを挿入した点が画期的だったと言っていたが、その手法はすでにカサヴェテスにも見られる。そして、当のタランティーノ自身の演技に関して、内田樹さんは、「喜怒哀楽がとってつけたように不自然」であると高く評価している。つまり、「そのとってつけたような演技が怖いくらいにリアルである」と((文春新書『うほほいシネクラブ』))より。
 タランティーノがカサヴェテスの映画に言及していた例は寡聞にして知らないのだけれども、この映画内における演技がまさにそれを連想した。この映画の登場人物は怒りから笑い、笑いから怒りへと変化し、そこに一貫性を見出すのは難しい。実に「とってつけたような」演技だ。即興的演技によってもたらされた効果なのか、かように少ない演技の使い回しにより、その人物の内面の浅さが露わになる。頻繁にインサートされる表情の変化は決して内面を掘り下げるものにならない。これが逆に現実の一様相を映し取っているように思えてならない。そもそも、私たちの感情をコントロールしているのは、自分の中にある「怒り」や「悲しみ」なのか。もっと大きなものを保つために、表情の仮面をつけているのではないか。
 この歪で、どれだけ表情を変えても感情移入ができない映画は、そういった現実の酷薄な面をさらけ出した点で今なお有効な映画と感じた。

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『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』(ジョン・カサヴェテス)

| 22:06 | 『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』(ジョン・カサヴェテス)を含むブックマーク 『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』(ジョン・カサヴェテス)のブックマークコメント

 数年前までプレミア価格だった映画がレンタルで見られるなんて、改めていい時代になった。もちろん傑作!
 カサヴェテス監督はまだ『アメリカの影』と『フェイシズ』しか見たことなかった。それらの作品は確かにとても魅力的だが、パターンの少なさから少々上級者向けなのは確かだろう。しかし、この映画の手数の多さは素晴らしい。
 即興演出の妙はもちろん活きている。ドキュメンタリー風の撮影による臨場感も素晴らしい。ただ、この映画の素晴らしさは、ジャンル映画(この場合はノワール)の型において自由な演技を見せる様がそのまま登場人物のアティテュードにつながるところかも。この映画を見て思いだしたのが、同じくショービジネスを舞台にした『キング・オブ・コメディ』だった。舞台に魅せられ常軌を逸した行動に出る様が共通する。根本の動機(なぜショーに惹かれたのか)は描かれないが、ショーそのものを長く映し説得力を持たせる。特に、殺害に向かう途中、公衆電話からショーの確認をする姿が印象に残る。ベン・ギャザラ演じるオーナーは常ににやついていて胡散臭くはあるが、それでも最後にはカッコよく思えてしまう。『キング・オブ・コメディ』のデニーロともためをはる。

2014-05-14

『クレヨンしんちゃん 電撃!ブタのヒヅメ大作戦』(原恵一)

| 21:58 | 『クレヨンしんちゃん 電撃!ブタのヒヅメ大作戦』(原恵一)を含むブックマーク 『クレヨンしんちゃん 電撃!ブタのヒヅメ大作戦』(原恵一)のブックマークコメント

 原恵一作品となっては今となっては感動モノの印象が強いが、こちらは(確かに感動する要素はあるものの)娯楽に徹している印象。楽しかった。
 ギャグのハチャメチャさはなりを潜めている。まつざか先生のカラオケIZAMの登場が浮いている気はするが、全体の評価を下げるものではない。それよりも、アクションシーンの素晴らしさが目を引く。この映画公開から15年経っているけれども、今の日本映画では絶対こんなアクションシーンが作れないと思ってしまうのが悲しい。それも、この映画の娯楽的バランスはちょっと頑張れば達成できそうにも関わらず、「お色気」や「筋肉」にアクション指導をするだけのスケジュールを役者に課すことができないだろうという悲しい理由が大きい。

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2014-05-10

村上春樹『女のいない男たち』(文芸春秋)

| 22:16 | 村上春樹『女のいない男たち』(文芸春秋)を含むブックマーク 村上春樹『女のいない男たち』(文芸春秋)のブックマークコメント

 なんて言うんだろう、今の村上春樹は「鬱期」にいるんじゃないか(本人が鬱かどうかは関係なく)。もっとも大きな違いは、かつて存在したユーモアが貼りを失っているような気がしたこと。
 この短編集には流行りの言葉でいう「NTR(寝取られ展開)」が頻出する。橋本治の短編集『夜』が夫の浮気について徹底して描いたものであり、それゆえに読み終えたころには気分が重くなったが、それに近いものを感じた。それで、前作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(以下『多崎つくる』)を読んだ時にも感じたけれど、ここ2作には共通して「NTR」が登場する。正確には『ねじまき鳥クロニクル』にも出てくるし、『ノルウェイの森』だってキズキ視点で言えば「NTR」だし。
 それと、もうひとつ頻出するモチーフとして印象的だったのが「失踪」。元々村上春樹作品の登場人物は失踪することが多いけど、『多崎つくる』以降は「失踪」がもたらす悲劇的な感触を強調して描いているように感じる。つまり『羊をめぐる冒険』や『海辺のカフカ』的な「失踪」とは異なり、(これももともと頻出するモチーフだが)「理由も言わず目の前からいなくなってしまったこと」及び「それによってもたらされる内面の混乱」を重点的に描いているように感じた。これは『多崎つくる』の感想でも書こうと思った(結局書けなかった)ことだけれども、理由もなしに去られることは、その人が自分の過去から罪の入った箱をひっくり返して探さなくてはいけなくなり、それは非常に困難を伴う作業だ。できれば目を反らしたいものだから。けれども、文学というものはその「目をそらしたいもの」から目を反らすことができなかった者のためにあると思う。ただ、かつて『羊をめぐる冒険』を書いていたころに比べて、対象に飛び込んで帰ってくる体力も耐える体力も失われているように思えた。
 あと、元々槍玉にあがりやすかったけれども、あまり女性観や恋愛観が上等な人ではないので、表題作や「独立器官」のようにその気恥ずかしさが露になっている部分も見られた。ただ、「独立器官」はある種突き抜けていて個人的な好みでは好きではあるけれども。「NTR」を描く際に女性視点を織り込ませることは男性作家について困難な作業なのかも。ジャンルは違うけれど『恋の罪』なんかもそれに挑んでいた。ある意味、失敗を宿命づけられたテーマ。
 ただ、「ドライブ・マイ・カー」「イエスタデイ」等、ちょっとノスタルジックすぎかなと思う作品もある一方、「木野」を読むと、また村上春樹は「冒険」に出ようとしているのかなと思った。

2014-05-09

R-18文学賞 vol.1 自縄自縛の私(竹中直人)

| 22:14 | R-18文学賞 vol.1 自縄自縛の私(竹中直人)を含むブックマーク R-18文学賞 vol.1 自縄自縛の私(竹中直人)のブックマークコメント

 正直にいえば序盤〜中盤はいまいちかなと思っていた。キャラクターが平板でその他の描写もリアリティがなく、役者でひっぱるのも難しいのかと。ただ、このちゃちさが終盤の展開に活きてくるように感じた。
 ラスト40分、往年のロマンポルノを思わせるような展開に入る。それまで、この題材にしてはあまりエロく感じなかったのだけれども、その抑揚が効いたのか、とにかくエロい。あと、ここで縄で縛るという行為が持つ多義性が露になってくるところもよかった。通常、映画等でアブノーマルな性行為が描かれるのは、その人物が「出逢い」を求めているとされる。ただ、平田薫演じる主人公は、その行為に没頭していくことによりどんどん孤独になっていく。ので、ある人物が縄をほどくという行為は感動的なんですよね。このシークエンスにおける濡れ場のエロスを助長したのもそれがあるのかも。ただ、この映画はそこで終わらず、別の人物とのシークエンスでもってエンディングを迎える。ここでのエモーションの爆発。結局孤独な人物同士ではわかりあうことはできないのか。どうかこの子たちを救ってほしい。そんな気分になった。
 『自縄自縛の私』を見てどうしても考えてしまうのが、自分の彼女が特殊な性癖を持っていたらそれを受け入れられるかということ。この映画の平田薫くらいなら大丈夫だと思うけど、特殊な性癖って本当に特殊なのは特殊だからな。どうしても性的興奮に結び付かないのはあるし。

2014-05-08

おもひでぽろぽろ(高畑勲)

| 22:12 | おもひでぽろぽろ(高畑勲)を含むブックマーク おもひでぽろぽろ(高畑勲)のブックマークコメント

 なんだろうな、これは。自分の中では、いいところとすんなりと呑み込めないところが混在している映画という印象で。
 まず、日常の動きを再現するために細かいところまで気を配った動画が素晴らしい。情報量の多い動きによって、絵に命を与え、観客にとっては架空の過去を実在感のあるものにしている。これは間違いなく偉業だと思う。タイトルから連想されるように、大林宣彦作品のようなセンチメンタルを感じさせる。旅と追想が対をなす構成は大林作品にもよくみられるし。僕がこの映画のもっとも素晴らしいと思う部分は、時代性を固定しつつもノスタルジー普遍的なものへ昇華しているところ。一方で、そういった旅と追想が対をなす構成の作品として異端なのはこの二つの間に空白があること。例えば、その場所と追想が連動しているわけでもなく、また追想がそれを思い出す者の「今」に近づくわけでもない。だから、この映画において実は旅と追想というのはまったく連動していなくて、結局現実から飛躍できていない僕などは、「本当は主人公が思い出にとらわれたままなんじゃ」とシニカルな見方をしてしまうのだけれども、おそらくそれが唯一の解釈じゃない。映っているもの自体はさわやかなのに、なぜか胸にいろんなものがつまって吐き出さなくてはならないような気持ちにさせられた時点ですごい映画だと思います。
 ただ、ちょっとだけ『國民の創生』やレニ・リーフェンシュタールの映画をめぐる問題を想起させられたんですよね。つまり、技術的に優れているからすんなり入ってくるけど、実は結構危険思想じゃないかという。他の作品でも感じるけど、高畑勲の持つ自然観はちょっと屈託がなさすぎて、うーむ、これでいいのだろうかと思わせられる*1。ラスト、画面に映っているものは感動的ですらあるんだけど、でもお話の流れとしては受け入れがたい。でも、どこかで今の自分を弁護したいという気持ちからそう思ってしまうのかなという疑念もある。今後もこの作品に対する態度を常に自己参照していきたいと考えております。

*1:『Gガンダム』の東方不敗マスターアジアに近いような気がする。