濱口桂一郎 『新しい労働社会 ――雇用システムの再構築へ』

 終身雇用制度と年功序列制度、企業別組合の三つは日本型雇用システムの「三種の神器」と称される。ところで、雇用契約はモノではなく、ヒトの行動が目的であるから、根源的に「不確定性」を孕んでいる。そもそも、労働問題の基本的な枠組みを考える際に、大企業の正社員をモデルとするのか、非正規労働者や中小企業労働者についてはどのように扱うのか、など、問いを立てる段階でその困難さに音を上げてしまいそうだ。
 
 第1章「働き過ぎの正社員にワークライフバランスを」では、最近のトピックスから「名ばかり管理職」とホワイトカラーエグゼンプション問題が挙げられる。「労働時間規制とは、『これ以上長く働かせてはいけない』という規制であって、『短く働いてはいけない』という規制ではありません」(p.31)という一節には、ゆとり教育における、鏡像としての「minimum requirement」を連想しないではいられない。「規制」とは、労働者だけでなく、使用者側をも呪縛するはずのものだったのだ。しかし、戦後成立した労働基準法第36条をめぐっては、余暇よりも割増賃金を選好する労働者らによって、「三六協定を締結せず残業させないのは組合差別である」という「労働時間をめぐる逆説的な闘争」をも巻き起こす。
 
 第2章「非正規労働者の本当の問題は何か?」では偽装請負問題や登録型派遣事業の問題が、また第3章「賃金と社会保障のベストミックス」ではワーキングプアの「発見」、生活給制度の功罪などについて論じられる。「…近代的な職種と職業能力に基づく外部労働市場の確立を目指していた労働政策も、1973年の石油ショックを契機に、企業内部での雇用維持を最優先させる方向に大転換します」(p.141)、「(終身雇用慣行という)長期的な決済の中で初めて交換の正義が成り立つものを、一時点の賃金水準に適用することは不可能です」(p.153)。
 
 そして第4章「職場からの産業民主主義の再構築」では、「新たな労使協議制」の展望が主題となる。整理解雇法理に対するアプローチは、そのメルクマールとなりうるものだろう。暫定的な「解」として最後に指摘されるのは「ステークホルダー民主主義の確立」だ。(規制改革会議の意見書などに象徴的に現れる)労働問題をめぐる「政治」には、民主主義をどのように捉えるかという、まさにあの「人類史的な」問い、代表民主制原理とコーポラティズムの対立が立ちふさがっている。会社は株主、労働者、取引先、顧客などさまざまな利害関係者の利害を調整しつつ経営されるべきだという「ステークホルダーの発想をマクロ政治に応用すると(…)ステークホルダー民主主義のモデルが得られ」(p.208-9)ると指摘する著者――。いまここでその言に従うとしても、小泉政治を象徴としてわが国に伏流する「哲人政治」のポピュリズムを超える、新たな「労働の政治学」が立ち上がる日は、果たしてやって来るのだろうか。