Hatena::ブログ(Diary)

ovanの社会科見学

2018-07-21

2018/07/21 自動車運搬船 PISCES LEADER 見学

24時間勤務アケ。

横浜大さん橋に来ている日本郵船自動車運搬船 「PISCES LEADER」という船を見学してきた。


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船はかなり巨大。

ちょっとした山のようである(w



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たぶん、車もここから入るしかないんであろう。

最大7000台も積むとなるとかなり手間がかかるものだと推測される。



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船内には丸い穴がたくさん開いていて、何のためについているんだろうと思っていたら、車を固定するバンドをひっかける穴だった。

上階へ上がる坂にも穴が開いており、まさかとはおもったがそこにも載せるとのこと。




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車はこのように固定される。

青いバンド一本で1トンの重量に耐えられる。

事故でもない限り切れたりすることはないとのこと。



D

実際にはもっと早く動かすそうだ。

車と車の幅は10センチ。

僕のような小心者で、気が短い人間には無理(w




天井を上げる車両

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高さのある車などを運ぶときは船内の天井を上下させて、積めるようにするとのこと。

巨大なショベルカーや、鉄道車両まで運ぶことがあるとのこと。



デッキ

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船内の換気用と説明があったファンがたくさん並んでおり、ものすごい音がしていた。

ただ、説明してくれた人はあまり詳しくなくて「多分」と言っていた。



デッキからみた氷川丸

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もう少し涼しければこちらにも行ってみたかったなあ。



ブリッジ

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ブリッジからの眺め。

さすがに素晴らしいロケーション。



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今まで見学させてもらった船の中で、端から端までの長さが一番長い気がした。




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ちゃんと神様がいらっしゃった。




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最後に大さん橋内で開催されている「うみ博」を見て、ビール飲んで帰ってきた。

やはり船の見学は面白いね!

機会があったらいろんな船を見学したいと思う。

2018-07-16

2018/07/16 東京海洋大学「海の日」記念行事

24時間勤務アケで、友人と越中島にある東京海洋大学へ!

何度か来ているのだが、複数人で来るといろんな視点があるので、今まで気が付かなかったことが見えてくる。



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今回一番印象に残ったのは「帆船の種類」

マストが何本かとか、帆がいくつあるか・・・・など。

で、改めてwikiで調べてみると、展示施設で見た資料より、もっと多いんだね!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%86%E8%88%B9



とても覚えきれない(w



明治丸

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海の日」にゆかりのある船。

こちらも今まで聞いたこともないお話が聞けた。

「いかり」の揚げ方や船員さんの生活食事など。

ボランティアの方の説明がすごかったなあ。

暑かったのであまり長く聞けなかったのが悔やまれる。




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学食

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安くて美味しかった!!

うちの職場にもこのくらい安い食堂があればいいんだけどなぁ。





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だんだん暑さに対する耐性が弱くなってきている気がする。

もうちょっと見たかったけど涼しい場所(居酒屋)へ移動。

ひたすら飲んで帰った(w







海の日は海洋大学に居ることが多い。

2016/07/18

http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20160718/1469178480


2015/07/20

http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20150720/1437482850


2012/07/16

http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20120716/1351521900


2011/07/18

http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20110718/1311579354

2018-07-15

平成30年 研究所一般公開

私的用にまとめたものなので、情報が間違っている場合があります。

責任は負えませんので、必ずWEBサイトなどで確認してから行ってください。

私が行く予定の一般公開は「赤文字」にしてあります。

つくばの研究所は除いてます。










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7月

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平成30年7月5日(木)JAXAシンポジウム 2018 〜Discover NEW! With new JAXA

18:15〜20:30 (開場 17:30予定)

http://fanfun.jaxa.jp/topics/detail/12051.html



平成30年7月16日(月・祝)海洋大学 2018「海の日」記念行事

https://www.kaiyodai.ac.jp/events/general/201806200845.html



平成30年7月16日(月・祝)「よこすか」「しんかい6500」船舶一般公開@東京晴海

http://www.jamstec.go.jp/j/pr/ship/#20180722



平成30年7月21日(土)昭和薬科大学 一般公開・薬草教室

テーマ:「世界の薬用植物」

http://www.shoyaku.ac.jp/garden/open/



平成30年7月21日(土) 港湾空港技術研究所/国土交通省 国土技術政策総合研究所 一般公開

https://www.pari.go.jp/event/open/695623535b2c508ad03a620180622102738/20624784515962d846e155f20170710102838.html




平成30年7月21日(土)東京都環境科学研究所 施設公開「Let’sサイエンス2018」

https://www.tokyokankyo.jp/kankyoken/%E6%9D%B1%E4%BA%AC150%E5%B9%B4%E9%96%A2%E9%80%A3%E4%BA%8B%E6%A5%AD%E3%80%80%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E7%92%B0%E5%A2%83%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80%E3%80%80%E6%96%BD%E8%A8%AD/



平成30年7月22日(日) 「かいれい」「かいこう」船舶一般公開@横浜

10:00〜16:00

http://www.jamstec.go.jp/j/pr/ship/#20180722



平成30年7月27日(金)、28日(土)JAXA相模原キャンパス 特別公開2018【JAXA相模原キャンパス

http://www.isas.jaxa.jp/outreach/events/001388.html




平成30年7月28日(土)国立感染症研究所 村山庁舎  一般公開

13:00〜17:00 (入場は16:30まで)

https://www.niid.go.jp/niid/ja/open-campus/openhouse.html










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8月

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平成30年8月1日(水)東京大学地震研究所 一般公開・オープンキャンパス

10:00〜16:00

http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/panko/

公開講義

1.「災害の軽減のための地震発生予測はどこまでできるか?」平田 直 教授

2.「じしんがないはなし」平賀 岳彦 准教授

日時:8月1日(水)13:00-15:15

場所:地震研2号館第一会議室

予約:事前予約優先。

予約受付開始は7月11日17:00からを予定とのこと。




平成30年8月1日(水)国立医薬品食品衛生研究所 一般公開

http://www.nihs.go.jp/oshirasejoho/ippankokai/h30/H30koukai_20180531.pdf




平成30年8月4日(土) 国立極地研究所一般公開

http://www.nipr.ac.jp/tanken2018/



平成30年8月4日(土) 勝浦宇宙通信所 「宇宙の日」における施設一般公開

http://fanfun.jaxa.jp/event/detail/12043.html



平成30年8月19日 (日)  J-PARC施設公開

http://j-parc.jp/ja/topics/2018/topics180427.html



平成30年8月25日(土)「産総研臨海副都心センター 一般公開2018」

https://www.aist.go.jp/waterfront/ja/news/itemid3270-004305.html





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9月

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平成30年9月1日(土)理化学研究所横浜市立大学 一般公開

http://www.yokohama.riken.jp/openday/




平成30年9月15日(土)昭和薬科大学 一般公開・薬草教室

テーマ:「未 定」

http://www.shoyaku.ac.jp/garden/open/




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10月

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平成30年10月13日 (土) 国立研究開発法人 水産研究・教育機構 中央水産研究所 横浜庁舎一般公開

http://nrifs.fra.affrc.go.jp/event/event_openhouse.html



平成30年10月20日(土)昭和薬科大学 一般公開・薬草教室

テーマ:「未 定」

http://www.shoyaku.ac.jp/garden/open/


平成30年10月26日(金)〜27日(土)  東京大学柏キャンパス 一般公開

http://www.kashiwa.u-tokyo.ac.jp/openhouse/









編集履歴

4/08 03:46 開設

4/08 18:14 更新

公開施設が増えました。

4/09 20:48 更新

私の行く予定の一般公開は赤色にしました。

4/10 05:24 更新

公開施設が増えました。

デザインを変えました。

4/27 11:30 更新

昭和薬科大学薬草植物園公開講座の日程をUPしました。

私の行く予定の一般公開、追加。

4/29 21:00更新

公開施設が増えました。

5/07 10:30

終了した一般公開をこのページ一番下にしました(来年の参考にします)

5/27 22:00

終了した一般公開をこのページ一番下にしました(来年の参考にします)

公開施設が増えました。

6/07 04:00 更新

公開施設が増えました。

6/08 22:30 更新

公開施設が増えました。

6/10 15:00 更新

公開施設が増えました。

6/17 17:40 更新

公開施設が増えました。

6/21 22:00 更新

公開施設が増えました。

7/5 02:00 更新

終了した一般公開をこのページの一番下にしました。公開施設が増えました。

7/15 12:30

公開施設が増えました。

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4月

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平成30年4月17日(火)東京都健康長寿医療センター研究所

12時30分から16時00分

2階小ホール(当日先着250名) 13時30分〜14時50分

http://www.tmghig.jp/research/info/archives/003431/




平成30年4月18日(水)労働安全衛生総合研究所一般公開

https://www.jniosh.go.jp/announce/2018/open2018/



平成30年4月20日(金)消防庁 消防研究センター

http://nrifd.fdma.go.jp/public_info/ippan_koukai/ippan_koukai_h30/index.html



平成30年4月20日(金)東京都土木技術支援・人材育成センター

http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/jigyo/tech/start/index.html



平成30年4月21日(土)、4月22日(日)

Tokyoふしぎ祭(サイ)エンス2018(科学未来館

http://www.fushigi.metro.tokyo.jp/



平成30年4月21日(土)公益財団法人東京都農林水産振興財団青梅庁舎

http://www.tokyo-aff.or.jp/index.html



2018年4月21日(土)理化学研究所 和光地区一般公開

http://openday.riken.jp/index.html



平成30年4月22日(日)労働安全衛生総合研究所一般公開

https://www.jniosh.go.jp/announce/2018/open2018/



平成30年4月22日(日)JAXA調布航空宇宙センター 一般公開

http://www.aero.jaxa.jp/publication/event/event180422.html



平成30年4月22日 (日) 電子航法研究所 一般公開

https://flyteam.jp/event/detail/4710



平成30年4月22日 (日) 海上技術安全研究所 一般公開

http://www.nmri.go.jp/event/public_release.html



平成30年4月22日 (日) 国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構 放射線医学総合研究所 一般公開

http://www.nirs.qst.go.jp/information/event/2018/04_22.html





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5月

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平成30年5月12日(土)海洋開発機構 横須賀本部 一般公開

http://www.jamstec.go.jp/j/pr/public_open/



平成30年5月12日(土) 地球観測センター春の一般公開

http://www.eorc.jaxa.jp/event/2018/koukai/ev180323.html



平成30年5月19日(土)昭和薬科大学 一般公開・薬草教室

テーマ:「元気が出る植物(補気薬,健胃薬関係)」

http://www.shoyaku.ac.jp/garden/open/




平成30年5月25日(金)地方独立行政法人 東京都産業技術研究センター

https://www.tiri-innovesta.jp/business_day.html



平成30年5月26日(土)  東京みなと祭  測量船「海洋」一般公開

https://www.tokyoport.or.jp/minato70/

晴海ふ頭HKバース




平成30年5月26日(土)東邦大学 薬草園 一般公開

http://www.lab2.toho-u.ac.jp/phar/yakusou/




平成30年5月24日 (木) 〜 5月27日 (日)NHK放送技術研究所 一般公開

午前10時〜午後5時(入場は終了の30分前まで)

http://www.nhk.or.jp/strl/open2018/




平成30年5月27日(日)JFEスチールふれあい祭り

http://www.jfe-steel.co.jp/works/east/keihin/maturi.html



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6月

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平成30年6月8日(金) ・6月9日(土)東京大学駒場リサーチキャンパス公開2018

http://www.rcast.u-tokyo.ac.jp/events/index_ja.php#events423

駒場リサーチキャンパス公開2018 先端研のイベント情報ちらし

http://www.rcast.u-tokyo.ac.jp/pdf/tanken_sentanken.pdf



平成30年6月15日(金)統計数理研究所オープンハウス

http://www.ism.ac.jp/openhouse/2018/index.html



平成30年6月16日(土)昭和薬科大学 一般公開・薬草教室

テーマ:「ウズベキスタンでのマオウの調査」

http://www.shoyaku.ac.jp/garden/open/




平成30年6月22日(金)・23日(土) 国立情報学研究所(NII) オープンハウス

https://www.nii.ac.jp/openhouse/



平成30年6月29日(金)・30日(土)国立研究開発法人情報通信研究機構 一般公開

https://www.nict.go.jp/open-house2018/index.html

2018-07-12

2018/07/12 小石川散歩 05 春日局像/幸田文ゆかりの「ハンカチの木」/童謡「ちいさい秋みつけた」とばぜの木/東京都戦没者霊苑/諸工伝習所跡記念碑、陸軍工科砲兵工科学校跡/小石川後楽園とその周辺/水道橋駅

ここも昔散策したことがあるが、こんなにいっぱい史跡があったんだね・・・。

春日局像と東京都戦没者霊苑の二つしか巡ってなかったなあ。



春日局

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文京区春日局

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 文京区「春日」の地名は春日局乳母として仕えた三代将軍徳川家光より拝領した土地に由来し昔は春日殿町とよばれていました。

 また春日局菩提寺麟祥院が湯島にあり文京区春日局と歴史的に深い縁があります。昭和六十四年(1989)一月より1年間NHK大河ドラマ春日局」が放映されました。文京区ではこれを契機として「文京区春日局推進協議会」を設立し区民の皆様と共に区内の活性化、地域の振興を図ることを目的として主主の事業を推進しました。ここに本地業を記念して春日局像を建立することにいたしました。





幸田文ゆかりの「ハンカチの木

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 「ハンカチの木」は19世紀中頃中国に滞在したフランス人宣教師アルマン・ダビットによって、四川省の西境で発見され、発見者にちなんでダヴィディアと命名された。白い花びらのように見える部分は、大小たれさがった苞であり、これがあたかもハンカチを広げたように見えることから和名「ハンカチノキ」と名づけられた。なお、別名「ハトノキ」とも呼ばれる。

  一科一属一種といわれている珍しい木で、落葉高木、花は雌雄同様の丸い花序で、白い苞片(ほうへん)に守られているように見える。4〜5月に花をつけ、5月初旬が見頃である。

 作家の幸田文(1904〜1990)が小石川植物園の山中寅文(東京大学農学部技術専門員)から譲りうけたこの「ハンカチの木」は、長女で随筆家青木玉の家の庭に仮植えされていたものである。平成14年(2002)年12月、多くの方々に見ていただきたいという青木玉の好意により、ここ磔川公園に移植された。

平成16年(2004)は幸田文生誕100年にあたる。


縁のある木

縁のあるなしは人ばかりではない。樹木にもそれがあり、時に思いもかけぬ縁が生じることがある。この樹はたまたま私の家の庭に根を下してから開花を迎えるまで、実に二十年近い年月を過した。「ハンカチの木というのだから、きっと白い花が咲くのだろう」と、木を贈られた母は初花を楽しみにしたが、平成二年他界し、ついに花を見ることはなく、私は花を待つことを忘れた。

 それから七年、まぶしいほど明るい五月の空の下で新緑が萌え、枝先に大小二枚の真白な苞が風に揺れていた。中心に小さな蕾の集合体を両手で大切に囲っているように見える。木の咲く花のかたちとしては、他に類がなく、自然はたった二枚の白く美しい不思議な姿の花をハンカチの木に与えたかと胸が熱くなる想いで見守った。母が見たならどんなに喜んだか。多分それは私の目を通して、伝わったであろうと信じている。

 母から私に引き継がれたこの木が、新しい場所で、更に多くの方々との御縁を結ぶよう心から願って止まない。




◆童謡「ちいさい秋みつけた」とばぜの木

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童謡の名作を数多く残したサトウハチロー(1903〜1973)は、昭和12年(1937)秋に、上野桜木町から向ヶ岡弥生町に転居した。家の庭には、はぜの木が植えられ、仕事部屋からよく見えた。童謡「ちいさい秋みつけた」は、真紅に染まったはぜの枝葉を眺め作詞された。昭和30年(1955)秋のことである。

ハチローの没後、旧宅は記念館に改装され、遺稿や愛用品が展示されたが、平成7年(1995)館は閉鎖され、平成8年(1996)記念館は北上市に新設された。

その後、残された “ はぜの木 ” は木の延命を図るため5本の枝を残し、切り株状にして平成13年(2001)10月、この地に移植された。樹齢約70年、毎年真紅の枝葉が “ ちいさい秋 ” を語り伝えてくれる。



ちいさい秋みつけた(三番)

サトウハチロー 作詞

中田喜直 作曲


誰かさんが 誰かさんが

誰かさんが みつけた

ちいさい秋 ちいさい秋

  ちいさい秋 みつけた

むかしの むかしの 風見の鳥の

ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ

はぜの葉あかくて 入日色

ちいさい秋 ちいさい秋

  ちいさい秋 みつけた



そういえば、井の頭公園で「ちいさい秋みつけた」の歌碑を見たことがあった。

2016/11/23

http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20161123/1480056402


こちらは作曲した中田喜直さんゆかりだね。




東京都戦没者霊苑

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こちらもかなり前に来たことがある。

今回は入らなかったけど、また行こうと思う。




◆諸工伝習所跡記念碑陸軍工科砲兵工科学校跡

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 ここは近代陸軍技術教育発祥の地である。明治五年七月十五日政府は佛国砲兵大尉ジョルジュ・ルボン氏を招聘しここに諸工伝習所を創立してから第2次世界大戦終結までその名は陸軍砲兵工科学校陸軍工科学校陸軍兵器学校とかかわったが73年間たゆることなく陸軍技術の教育が続けられた本年は諸工伝習所創立100周年にあたるのでその教育を受けた有志がここに碑を建てて先達の歩みに思いをいたすものである。




小石川後楽園とその周辺

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このコースは、東京「歴史と文化の散歩道」池袋コースのサブコースとして設定したものです。

コース沿いに、小石川後楽園五千円札で親しまれている「新渡戸稲造」旧居跡、「南総里見八犬伝」の作者「滝沢馬琴」の墓(深光寺)、”縛られ地蔵”で有名な「林泉寺」などがあります。

また、小石川後楽園庭園は、旧水戸藩上屋敷の庭園で、寛永のはじめ(1630年頃)初代徳川頼房(よりふさ)が作庭にかかり、2代光圀が継承して完成させました。朱舜水(しゅしゅんすい)の意見をとり入れた中国風の趣のある回遊式築山泉水庭園で、江戸大名庭園の代表的なものであります。

中国の「岳陽桜記(がくようろうき)」の「天下の憂に先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から、「後楽園」と名づけられました。



朱舜水(しゅしゅんすい)

wikiで調べると、万暦28年10月12日(1600年11月17日) - 天和2年4月17日(1682年5月24日))は、明の儒学者である。江戸時代初期に来日。

墓所水戸藩主累代の墓地である瑞龍山(茨城県常陸太田市)とのことだったので、機会があったら見に行ってみようと思う。



水道橋駅

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ゴール!

とにかく暑かった(w

夏は散歩に不向きだねぇ。

公園を見つけては水分補給しながら歩いた。

2018/07/12 小石川散歩 04 旧表町/冨坂警察署/いろは館跡/小石川大神宮/中央大学/富阪/旧小石川町

さらに南下する。

このエリアはかなり昔に散策したことがあるが、配布されている観光MAPくらいしか情報源がなく、こんなに細かくは巡らなかった。



◆旧表町

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 むかし小石川村の内で、慶長7年(1602)伝通院前表町と称して町屋が開かれた。表町とは伝通院の表通りの意味である。同5年、境町(水道町のうち日影町)と伝通院の境内全部を併せた。

 伝通院(無量山伝通院寿経(じゅきょう)寺)は、徳川家康の生母お大(於大)の方を葬り、広大な堂宇(どうう)が建てられた。将軍家の菩提寺で、寺領は830石であった。

 千姫や3代将軍家光の正室孝子の墓など、徳川ゆかりの婦人たちの墓が多い。また、常時学僧1千余人が寄宿して修行した壇林(浄土宗)があった。




◆冨坂警察署

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◆いろは館跡

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大正のはじめ、歌人島木赤彦ここに下宿してアララギの発刊に当る




小石川大神宮

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中央大学

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◆富阪

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 「とび坂は小石川水戸宰相光圀郷の御屋敷のうしろ,えさし町より春日殿町へ下る坂,元は此処に鳶多して女童の手に持たる肴をも舞下りてとる故とび坂と云」と『紫一本』にある。鳶が多くいたので,鳶坂,転じて富坂となった。

 また,春日町交差点の谷(二ヶ谷)をはさんで,東西に坂がまたがって飛んでいるため 飛坂ともいわれた。そして,伝通院の方を 西富坂,本郷の方を 東富坂 ともいう。都内に多くある坂名の一つである。

 この近く礫川小学校裏にあった「いろは館」に島木赤彦が下宿し“アララギ”の編集にあたっていた。

    「富坂の冬木の上の星月夜 いたくふけたりわれのかへりは」

        島木赤彦(本名 久保田俊彦 1876〜1926)




小石川町

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 京都聖護院門跡道興准后(しょうごいんせきどうこうじゅごう)が、「催告雑記」(文明18年・1486)に次のことを書いている。

 「ここ(上野忍岡(うえのしのぶがおか))を過ぎて小石川と言へるところにまかりて、我方(わがかた)を思ひ深めて小石河いつをせにとかこひ渡るらん。

 また、「江戸砂子」(享保17年・1732)に、「小石多き小川が幾流もある故なり・わけて伝通院の後の流、ねこまた橋の川筋小石川の濫觴(らんしょう)なり」とある。

 むかし、千川小石川)、江戸川神田川)や周囲の高台から流れた細流が、現在の後楽園一帯で合流していた。これらの川は砂や小石が多かったので、この辺を小石川村と呼んだ。明治5年小石川町とした。



濫觴(らんしょう)

揚子江のような大河も源は觴(さかずき)を濫(うか)べるほどの細流にすぎないという「荀子」子道にみえる孔子の言葉から》物事の起こり。始まり。起源。

難しい言葉だね・・・・・・・。





続く。

2018/07/12 小石川散歩 03 見樹院/法蔵院/処静院跡/傳通院/福聚院(大黒天)/とうがらし地蔵

まだまだ南下。

お寺の多いエリアに入った。



◆見樹院

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マンション一体型・・・・

ということかな?



◆法蔵院

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google mapを見ると、夏目漱石旧宅跡とあった。

現地では何もわからなかったので帰ってからWEBで調べると、喜久井町にあった自宅がうるさいからこちらに身を寄せたとのことだった。



◆処静院跡

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 浄土宗処静院は伝通院 塔頭(たっちゅう)の一つであったが、明治に入り、現在の淑徳学園あたりに移り、その後廃寺となった。今は伝通院門前に「不許葷酒入門内(くんしゅもんないにはいるをゆるさず)」の文字が刻まれた、処静院の石柱を残すのみである。

 文久3年(1863)2月4日、浪士隊 の結成が、ここ処静院で行われた。浪士隊は幕末京都守護職(合図藩主 松平容保)のもとで活動した新撰組 の前進である。隊結成に当たり、中心となった人物は清河八郎 で、幕臣鵜殿長鋭 どのながとし(鳩翁 きゅうおう)が目付、山岡鉄太郎(鉄舟)が取締役の職に就いた。

 鉄舟を懇意であった処静院の住職琳瑞(りんずい)は結成の趣旨に賛同し結成の場所として本院を提供した。後に新撰組 幹部となる試衛館道場近藤勇土方歳三沖田総司 なども参加し、総勢約250名ほどで京都に上がった。しかし、尊王攘夷をめぐって隊は分裂し、江戸にもどった清河八郎は、麻布一の橋で刺客の手で斃(たお)された。享年34歳であった。現在墓は伝通院 にある。また、住職琳瑞も慶応3年(1867)小石川三百坂で刺殺された・享年38歳であった。



処静院の石柱

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◆傳通院

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有名な方々が眠る・・・・。

於大の方徳川家康の実母)の法名伝通院殿光岳蓉誉智光がこのお寺の名前の由来とのこと。


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福聚院大黒天

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像高(右足下より)47.2cm、ヒノキ材、漆箔、彩色。小像ながら簡素な彫法により彫刻的量感がよくあらわれてて、見るべきものがある木造彫刻といえる。

特に数少ない古式武装神スタイルを整えていることと、その製作年代を鎌倉時代に遡ることなどを含め貴重な文化財である。

大黒天信仰は8世紀にわが国に伝わり、以来、大国主命伝説と習合して寺院の食堂に祀ると繁栄を招くといわれている。

江戸時代になって民間信仰として広まり農神として祀られ、七福神の仲間に数えられるようになった。

しかし、本来は仏法護持の戦闘神として憤怒形をしているものであることを考えると、この大黒天像は本来のスタイルを尊重している坐像であるといえる。





◆とうがらし地蔵福聚院大黒天)内)

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首に巻かれているのが「とうがらし」だった。




続く。

2018/07/12 小石川散歩 02 極楽水/吹上坂/善仁寺/滋照院/辰巳屋惣兵衛の墓/三百坂

どんどん南下する。

坂が多いが、比較的なだらかな坂だった。



◆極楽水

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 ここは、了誉聖冏 上人が、応永22年(1415)伝通院の元ともなった庵を結んだ所で、後に吉水山宗慶寺の境内となった。現在の宗慶寺は、すぐ下にある。

 『江戸名所記』に、「小石川吉水の極楽の井は、そのかみ 伝通院の開山了誉上人よし水の寺に おわせし時に、竜女形をあらわして上人にまみえ奉り、仏法の深き旨を求めしかば、上人はすなわち 弥陀の本願、他力の実義を ねんごろにしめし賜うに その報恩としてこの名水を出して奉りけり」とある。

 現在の極楽水は、小石川パークタワーの手によって近代風に整備されたものである。



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吹上

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説明板が見当たらなかったが、WEBで調べるとあるみたいだ。

もう一回行ってみよう。




◆善仁寺

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塚田正夫

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将棋の名人だったとのこと。



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◆滋照院

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◆辰巳屋惣兵衛の墓(滋照院内)

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 江戸中期の遊侠人で、本名は平井辰五郎(1733-1821)と言った。

 伝通院門前に居住して、茶漬け飯・田楽豆腐屋を開業した。しかし、店は家人に任せ、もっぱら、遊侠の生活にふけっていた。

 辰五郎は生来、踊りが好きで、若い頃から暇をみては、踊りに時を費やした。特に、踊りの名声を高めたのは、女装して面白おかしい所作をとりいれてからである。

 天明8年(1788)には、「仮面」をつけて踊る「狂言神楽」(里神楽と類似型)を創案し、江戸市民の人気をあつめた。

 山王権現社、神田明神社のほか、江戸市中の各神社の祭礼での活躍は言うにおよばず、大名邸での宴会の余興にも招かれるようになった。そのような時、自分は遊戯のために踊るのであり、利欲のためでない、と言って金銭を受けとらなかったという。

    「お祭と神楽の堂に辰巳屋の枯木娘や花咲かせ爺」蜀山人(太田南畝)





◆三百坂

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 『江戸志』によると、松平播磨守の屋敷から少し離れた所にある坂である。

 松平家では、新しく召抱えた「徒の者(かちのもの)」を屋敷のしきたりで、早く、しかも正確に、役に立つ者かどうかをためすにこの坂を利用したという。

 主君が登城のとき、玄関で目見えさせ、後 衣服を改め、この坂で供の列に加わらせた。もし坂を過ぎるまでに追いつけなかったときは、遅刻の罰金として三百文を出させた。このことから、家人たちは「三貊坂」を「三百坂」と唱え、世人もこの坂名を通称とするようになった。




続く。

2018/07/12 小石川散歩 01 茗荷谷駅/林泉寺/団平坂/石川啄木終焉の地/旧久堅町/播磨坂/山櫻

24時間勤務アケで、茗荷谷から水道橋まで散歩。

6/26に散歩した場所のやや東側を歩く。



茗荷谷駅

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スタートの茗荷谷駅

少し雨が降ったがすぐに止んだ。




◆林泉寺

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しばられ地蔵があるとのことだったのだが、境内が工事中で中に入れなかった。

しばらくしてから行こうと思う。



◆団平坂(丹平坂(たんぺいざか)・袖引坂(そでひきざか))

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 「町内より東の方 松平播磨守御屋敷之下候坂にて、里俗団平坂と唱候 右は先年門前地之内に団平と申者舂米商売致住居仕罷候節より唱始候由申伝 年代等相知不申候」と『御府内備考』にある。

 団平という米つきを商売とする人が住んでいたので、その名がついた。

 何かで名の知られた人だったのであろう。庶民の名の付いた坂は珍しい。

 この坂の一つ東側の道の途中(小石川5-11-7)に、薄幸の詩人石川啄木終焉の地がある。北海道の放浪生活の後上京して、文京区内を移り変わって4か所目である。明治45年(1912)4月13日朝、26歳の若さで短い一生を終わった。

   椽先(えんさき)にまくら出させて、

   ひさしぶりに、

   ゆふべの空にしたしめるかな   石川啄木(直筆ノート最後から2首目)



石川啄木終焉の地

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石川啄木顕彰室」 という小さな資料館があった。



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呼吸すれば、

胸の中にて鳴ってる音あり。

凩(こがらし)よりもさびしきその音!

眼閉づれど

心にうかぶ何もなし。

さびしくもまた眼をあけるかな



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 石川啄木明治一九年(1886)二月二〇日(または一八年一〇月二七日)、岩手県南岩手郡日戸村(現 盛岡市玉山区日戸)の常光寺で生まれた。本名を一(はじめ)という。

 盛岡中学校入学後、『明星』を愛読し、文学を志した。生活のため、故郷で小学校代用教員となり、のち北海道に渡り地方新聞社の記者となったが、作家を志望して上京、朝日新聞社に勤務しながら創作活動を行った。歌集『一握の砂』・『悲しき玩具』、詩集『あこがれ』・『呼子と口笛』、評論『時代閉塞の現状』などを著した。

 啄木は、明治四四年(一九一一)8月7日、本郷弓町の喜之床(現・文京区本郷2丁目38)の二階からこの地の借家(当時の小石川区久堅町74番46号)に移り、翌年病没するまで居住した。

 この地に移った啄木は、既に病魔に侵されていた。明治四五年四月一三日午前九時三〇分、父一禎、妻節子、友人の若山牧水に看取られながら、結核により26歳の若さで亡くなった。法名啄木居士。



◆旧久堅町

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 もと、小石川村の内で、元和年間(1615〜24)以降町屋を開いた。

 明治2年、橋戸町、久保町、宮下町飛地門前町(宗慶寺、善仁寺)、松平播磨守屋敷跡や旗本屋敷跡などを合併した。

 町名は、永久の町の発展を願って久堅町とした。

 戦後作られた環状3号線の坂名は、ここに屋敷のあった松平播磨守(常陸府中水戸支藩)にちなんで、播磨坂と名づけられた。町の人の努力で育てられた桜並木は、花の名所となり毎年桜まつりが行われている。




播磨坂

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もう何度も来てます。




◆山櫻

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墨田区の「名刺と紙製品の博物館」に行ったときの企業さん。

こちらにもあったんだね!

2017/05/23

http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20170523/1495800089



続く。

2018-07-10

2018/07/10 天沼散歩 05 民間信仰石塔/民間信仰石塔/天沼地蔵前公園/中央線ガード/庚申塔/明治天皇荻窪小休所

この日記のエリアはもう中央線周辺。

ガードをくぐって南側をちょこっと散策



民間信仰石塔

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 ここに建立されている石塔は、宝永元年(1704)銘・元文五年(1740)銘の庚申塔享保十五年(1730)銘の地蔵塔、宝暦九年(1759年)銘・享和三年(1803)銘の百番観音供養塔です。いずれも天沼村の村民が現世での幸運と来世井での往生安楽を願って造立したもので、当時の人々の信仰心の一端をよく伝えています。

 庚申信仰は、長寿のためには庚申の夜は身を慎んで徹夜をすべきである、という道教説に始まるといわれ、中世以降庶民の間にひろまりました。江戸時代には、各地に講がつくられ、庚申塔の造立も盛んとなりました。この2基の庚申塔青面金剛・三猿等を浮彫りにした標準型の塔で、講中による造立です。

 「お地蔵様」と呼ばれて人々に親しまれている地蔵菩薩は、人間の苦を除き楽を与え六道衆生を救済する仏として信仰を集めました。また、境の守護と村の安全の守護を行う仏ともされ、村境や辻に多く造立されています。

 百番観音信仰江戸時代には庶民の間に浸透しました。特に関東地方では西国・板東・秩父の100カ所霊場巡拝が盛行し、巡拝記念あるいは巡拝と同じ功徳を得るための百番観音供養塔が造立されました。ここの享和3年銘の供養塔は百番観音信仰と光明真言信仰とを一体にしたもので、区内では数少ない作例です。

こ れらの石塔は地域の区画整理の際に集められたもので、庚申塔は南方の桃園川辺の路傍、地蔵塔と供養塔は西方熊野神社際の路傍からの移転です。

 なお、石塔隣の区画整理記念碑は、整理の完了した昭和十三年に建てられたものです。




民間信仰石塔

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 ここに建立されている石塔は、向って右から元禄十一年(1698)銘駒型庚申塔、宝永二年(1705)銘舟型地蔵塔、享保十二年(1727)銘角柱型庚申塔で、天沼村の旧道と思われる道に面して建てられています。いずれも天沼村の講中によって造立されたもので当時の講員の名も刻まれていますが、駒型庚申塔地蔵塔は台石部の人名を判読することが困難になっています。

 庚申信仰は、長寿のためには庚申の夜は身を慎しんで徹夜をすべきである、という道教説に始まるといわれ、中世以降には庶民の間に広まりました。江戸時代には各地で講が結成され、庚申塔を造立するようになりました。庚申塔青面金剛本尊とし、三猿を配するのが一般的ですが、角柱型庚申塔は、元は笠付文字塔であったものが軸部のみ残されたものと思われます。

 地蔵菩薩は、人間の苦を除き楽を与え六道衆生を救済する仏として信仰を集めました。また、冥界と現実界の境に立って人々を守護するということから、村の安全を守護する菩薩とされ、村の路傍または辻に多く建立されています。

これらの石塔は、杉並区内では比較的古いもので、江戸時代中期の典型的型式のものです。また、天沼村の民間信仰を知ることができることから杉並区登録有形民俗文化財となっています。





◆天沼地蔵前公園

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 上記の「民間信仰石塔」のお地蔵様の前にある公園だからこの名前が付いているものと思われる。





中央線ガード

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名前があるんだろうけれど、それらしいものがどこにもなかった。

ガードというよりはトンネルなんだろうか?




庚申塔

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近くまで行くことができない。

見た目は新しそうな庚申塔である。




明治天皇荻窪小休所

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明治16年(1883)年4月16日、埼玉県飯能近衛師団演習統監に向かう途中、同年4月23日には、小金井の観桜会へ向かわれる途中の計2回、こちらで休憩されたとのこと。




荻窪駅でゴール。

荻窪駅の写真撮らなかった(w

江戸川区を散歩しまくったあとに杉並区に来ると、公園が少なく感じる。

給水やトイレのポイントは事前にチェックした方がいいかもだね・・・・。

2018/07/10 天沼散歩 04 天沼出世大黒天/天沼八幡神社/庚申塔/藤乃湯/変わった街灯/天沼熊野神社

まだまだ南下。

たまに豪邸があるが、普通の住宅が多い。



◆天沼出世大黒天

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◆天沼八幡神社

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 この神社は、「新編武蔵風土記稿」多摩郡天沼村の条に八幡社とあって「除地、百五十坪、コレモ中谷戸ニアリ此所ノ鎮守ナリ本社ハ三尺四方ニテ覆屋二間ニ三間南向例祭九月ニテ下ノ稲荷十二所権現ト交ル々々行ヘリト云ウ」と記されているように、旧天沼村字中谷戸の鎮守天正年間(1573-1591)の創建と伝えられています。

 主祭神は第十五代応神天皇誉田別命(ほんだわけのみこと))で、地元からは武運の神として崇敬を集めました。そして、明治四十年(1907)九月には、宇四面道(しめんどう)の鎮守であった厳島神社祭神市杵嶋比売命(いちきしまひめのみこと))が合祀されました。市杵嶋比売命は合祀以来、水神・安産の神として深く信仰され、雨乞いの行事なども古くから伝えられています。昭和二年(1927)四月には村社となりました。

 現在の本殿は昭和五十二年(1977)に、神楽殿は平成十六年(2004)に改築が行われました。

 江戸時代に天沼村が麹町日枝神社(現、赤坂日枝神社社領であったため、日枝神社は古くから本社としてこの地に奉斎されました。日枝神社の他に、須賀神社・金山彦神社(以上合祀)があります。境内末社として他に、稲荷神社(三殿)、境内摂社として大島神社があります。

 大島神社祭神日本武尊)は、商売繁盛の神社として信仰され、毎年十一月の酉の日を祭日として熊手市がたち、当社では関連熊手守・福枡等を授与しています。社殿は平成二十八年(2016)に改築されました。




大島神社/金山彦神社日枝神社須賀神社/稲荷神社

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稲荷神社/稲荷神社

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神楽殿

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鳥居

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庚申塔

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google map に載っていたので来てみたが、現地には何もなかった。

マークの位置はこの写真の場所で合っていると思う。




◆藤乃湯

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◆変わった街灯

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こんな宙吊になってる街灯初めて見たかも。





◆天沼熊野神社

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 この神社は、旧天沼村の鎮守で、伊邪那美命祭神として祀られています。

創立については詳ではありませんが、社伝によれば、神護景雲二年(768)、東海道巡察視が武蔵国に来たときに、氏神を勧請し別当を置いたのがはじまりと伝えています。

 また一説には、元寇三年(1333)、新田義貞北条高時を討つために鎌倉へ軍を進める途中この地に陣をしき、社殿を創設したとも伝えられています。その後、応永二年(1395)朝倉三河守という武将がこの地に帰農した際、社殿を修理し、十に社権現と称するようになったといわれています。熊野神社と名称を改めたのは明治維新以後のことです。

 天沼は古来からの名称で、奈良時代末期の武蔵国の「乗瀦駅(あまぬま)」から起こったといわれていますが、諸説があって定説はありません。この辺りからは室町時代の板碑が出土していることから、その頃すでに開発が進んでいた地域と考えられます。また、蓮華寺過去帳によれば、天沼村はおそくとも慶長年間(1596-1615)には成立していたものと考えられます。

 境内には、直径二メートルにも及ぶ大杉の切株がありますが、社伝によれば、この杉は新田義貞がこの地に陣をしいた際、戦勝を祈願して手植えしたものと伝えられています。惜しいことに、枯死したため昭和十七年伐採され、今では切株で昔をしのぶだけとなっています。

そのほか境内には、文化十四年(1817)九月奉納の石造鳥居と、文久二年(1862)九月奉納の石造手水盤があります。



出世杉の根

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 この古木は、写真左側の杉の木の根であります(昭和十六年頃)。

 写真二本の杉の木は、新田義貞公が鎌倉幕府を倒すため、鎌倉へ進軍中(1333年)、この天沼の熊野神社に立ち寄り勝利を祈願してお手植えしたと伝えられています。

 新田義貞公が、その願いを叶えた為、近隣の古老達は、この杉を「心願成就の杉」とか「出世杉」と呼んで大切にしてきました。残念なことに、昭和二一年に枯れた為二本とも切ってしまいました。その後は、左の杉の切り株だけが残って、地上に顔を出していましたが、平成二年に掘り出された後、平成七年に整備され現在に至っています。

 皆様も、この杉の木にご祈念なさって願い事を叶えてください。



稲荷神社/三峰神社・太現神社須賀神社

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鳥居

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白玉稲荷神社

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鳥居

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続く。

2018/07/10 天沼散歩 03 猿田彦神社/厳島神社/三峰神社/本天沼稲荷/宝湯/天沼共和会

このエリアから南下する。

遊歩道があったが、調べてみると暗渠となった桃園川とのことだった。

杉並区郷土博物館分館のある天沼弁天知公園が水源とのこと。

知らなかった・・・・。


2015/07/15

杉並区郷土博物館分館に行ったときの日記。

http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20150715/1437068141




猿田彦神社

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厳島神社

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下記の三峰神社と同じ敷地内にあった。

どちらが境内社になるかわからない。


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三峰神社

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本天沼稲荷神社

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下記を読むと、上記猿田彦神社厳島神社(市杵嶋神社?)、三峰神社はこちらの境外末社ということらしい。



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 当社は旧天沼村本村の鎮守です。祭神保食神で、境外末社として猿田彦神社猿田彦命本天沼2-26)、市杵嶋神社(市杵嶋比売命、本天沼2-5-15)、三峰神社伊弉諾命・伊弉册命、本天沼2-5-15)を祀っています。

 創建年代は当社の別当職をつとめていた蓮華寺過去帳に「慶長十九年(1614)、板倉周防守より本社境内を除地とする」と記録されていることから、それ以前とも考えられますが、詳しいことは明らかではありません。しかし社伝によれば、稲荷信仰が村内に広まったのは、寛永十二年(1635)に当地が赤坂山王社(山王日枝神社)領となってからと、伝えています。

また、江戸時代の当社について「新編武蔵風土記稿」には「除地百五十坪、小名本村にアリ、此所ノ鎮守ナリ、本社三尺四方、上覆二間ニ三間」と記されています。

 現在の本殿は、明治初年に前記の山王社の内殿を譲りうけて移築したもので、社殿は、平成十五年に新たに造営されたものです。

文化財として、内殿移築と同じ頃に山王社(山王日枝神社)から奉納された祭礼の様子を画いた畳二畳ほどの大絵馬(区指定文化財)、弘化五年(1848)二月奉納大幟、文政六年(1823)四月銘の手洗水盤などがあります。




板絵着色祭礼図一面

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本大絵馬は、明治初年旧天沼村の氏子中が奉納したもので、桧板三板を横矧にし、飾金具を配した漆塗りの額で装飾されています。横長の画面には幟を立てた社殿、赤丸に「天」と染め抜いた半天を着た人々、裃姿の武士、そして山車上の囃子方など、祭礼の情景が生き生きと描かれています。作者の「陸斎」はどのような人物であったか不詳です。画面の「玉村作」は裏面の墨書から額師と考えられています。祭礼の情景を描いた区内唯一の絵馬で、また絵師、額師名も記された貴重なものです。



神楽殿

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鳥居

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◆宝湯

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◆天沼共和会

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続く。







◆宝湯

2018/07/10 天沼散歩 02 松下橋/銀杏稲荷/松下上橋/稲荷神社/天沼児童遊園/意案地蔵尊

一気に北上。

この日記のエリアは西武線下井草の方が近い。



◆松下橋

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下は妙正寺川

水量が少ないけど、いつもこんなんかな?


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銀杏稲荷神社

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 当社は旧下井草村の鎮守で、社名は神社の裏山にあった銀杏の大木に由来しています。

 創建は棟札に「抑当社勧請者元和二(1616)歳比、先祖外記造営(下略)」とあり、井口家の先祖である井口外記といわれています。

 井口家は相州(現神奈川県)の三浦氏の末裔といわれ、天正年間(1573-1592)に当地に移り住んだもので、その一族の多くは名主・年寄役などを勤めました。井草の地名のおこちも井口姓を名乗った長佐衛門なるものが「草分け長佐衛門」と呼ばれたことからおこったという説もあります。

 村の鎮守として祀られた当社は、かつては境内も二百坪ほどあり、江戸時代には下井草村の妙正寺別当として管理していましたが、現在は井口家を中心とする三十数軒の講中稲荷として地元の人々に信仰されています。

 現在も残されている、文政十二年(1829)二月に下井草氏子中が奉納した「正一位銀杏稲荷大明神」の大幟は当時からも稲荷信仰が盛んだったことをうかがわせる貴重な資料です。

 毎年二月初午には世話役の頭を中心にして、この大幟と各講中持ち回りの幟を立て、井草八幡宮より御幣を戴き、御神酒及び種々の御供物をして、赤飯を子供達に与え、五穀豊穣・講中安全・子孫繁栄を祈願しています。

祭礼は二月初午です。


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◆松下上橋

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また、妙正寺川を渡る。


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稲荷神社

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境内社

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変わった形だけど、こちらも社だと思われる。



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◆天沼児童遊園

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細長い三角形の形をした公園だった。




◆意案地蔵尊

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天沼児童遊園に隣接。



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続く。

2018/07/10 天沼散歩 01 阿佐ヶ谷駅/阿佐ヶ谷弁天社/阿佐ヶ谷神明宮/日大二高商店会/庚申塔/出世大鷲神社

珍しくお休み。

阿佐ヶ谷駅から中央線の北側を荻窪まで歩いた。

朝早めの涼しい時間に出掛けたかったのだけど、耳鼻科の予約があったのでいつもと変わらない時間からの散歩になった。



JR阿佐ヶ谷駅

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スタートの阿佐ヶ谷駅

すでに暑い!




阿佐ヶ谷弁天

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工事中で入れなかった。

職人さんか誰かかな?

「入れねーよ!」

って、乱暴だったなあ・・・・・。




阿佐ヶ谷神明宮

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2017/08/07 に、一度来ている。

http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20170807/1502508766




日大二高商店会

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庚申塔

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あまりにも普通の住宅地にポツンとあった。




◆出世大鷲神社

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当社は出世大鷲神社と称し、御神体剥製の大鷲です。

この地は天沼本村と呼ばれた農村地帯で、主に東京への野菜供給地でした。大正十年一月十一日、現在の本天沼二丁目37番付近の畑地にあった赤松に飛来した鷲を、村の人たちが悪戦苦闘の末仕留めました。羽を広げると2メートル以上もある大鷲でした。村中の人達が見物に来、村に祟りでもあると大変なので、おとり様としてお祀りしようと話がまとまり、一社を建立しました。その後毎年十一月の酉の日には市がたち、天沼本村だけでなく近郷近在の名物として狂言や踊りなどの余興を催したり、賑やかなお祭りがありました。今でも酉の日には、町の有志により商売繁盛を祈る熊手が売られています。

石の鳥居は、昭和六十三年に建てられました。

前を通る早稲田通りは拡張され、、今では平坦な道となっていますが、昭和初期の区画整理前は大鷲神社から西へ向うところは“げんぼう坂”と呼ばれ、かなり急な坂道で荷車を引く者にとっては難所の一つになっていました。



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続く。