2017/09/26 飯田橋散歩 01 日本赤十字社跡/東京大神宮/二合半坂/暁星小学校/白菊稲荷/徽章業発祥の地

24時間勤務アケに、一人で飯田橋散歩。
まだまだ暑い日が続くね。


スタートの飯田橋駅


日本赤十字社

明治十年(1877)西南の役の時, 佐野常民博愛社を結成し, 傷兵の救護活動を開始し ました。明治十九年(1886), 旧麹町区飯田町4丁目, 現在の飯田町貨物駅のところに博愛社 が病院を建てました。その年, 日本は国際赤十字条約に加入し, 翌二十年に博愛社は日本 赤十字社と名を改めました。明治二十七年(1894), 甲武鉄道が飯田町駅を建設するため立ち 退き, この地に移転, 大正元年(1912)に芝に移るまでここにありました。



◆東京大神宮



飯富稲荷神社







◆二合半坂

 江戸時代、この坂の上からは日光山の半分を眺めることができました。富士山の高さを一合〜十合と数えますが、この坂から見える日光山は富士山の約半分、すなわち五号の高さでした。
 五号の日光山のさらに半分で、二合半坂と名付けられたといわれています。江戸時代はこの坂の両側には旗本屋敷が建ち並んでいましたが、明治時代には、坂の東側に英語教育家として知られる神田乃武の邸宅が、西側に和洋裁縫女学院(現在の和洋女子大学)がありました。



暁星小学校



二合半坂の途中にあった学校。
この言葉が気になって写真撮っちゃいました。




◆白菊稲荷神社








◆徽章業発祥の地

 この奥,大神宮通り向かって左側に 明治十八年(1885),鈴木梅吉により 日本帝国徽章 商会が創られました。これは民間の徽章業のはじめで,特に明治末期,大正の初期にお いては 日本で唯一の徽章の製作工場として 大変栄えました。現在の徽章業の方々の大多 数は この商会の流れを汲み,徽章業は 飯田町の日本徽章商会から生まれた といわれてい ます。そして,現在もこのあたりは 徽章業に従事する人が沢山います。



散歩はまだまだ続く。