2018/06/28 02 三河島ポンプ場(定例見学会)

定例の見学会です。
今回は三河島にある「三河島ポンプ場」に行ってきた。






とても重厚なレンガ造りの建物。



正門



門衛所

三河島汚水処分場の表玄関として門衛所、正門が大正14年(1925年)に整備されました。
<門衛所>
庇の下に出勤簿が置かれ、出勤した職員はここで押印していました。
また、外来者はここで記帳していました。
<正門(重要文化財指定外)>
三河島水再生センターの表玄関として利用されています。




最初に会議室のような場所に通されて、だいたいの説明とDVDを見てポンプ場の中へ。
最近は「マンホールカード」集めだけの目的の人も居るので、詳しい説明が必要かどうか最初に聞いていた。
それだけが目的の人も居るんだね。



沈砂池(ちんさち)









沈砂池は、下水がこの池の中をゆっくり流れることで下水中の土砂類を沈殿させる施設です。また、浮いている大きなゴミはスクリーンで除去します。
現在の沈砂池底部から約1.8m下に建設当初の底部があります。横壁部は無筋コンクリート造で、底部に向かい壁厚が厚くなる重力式壁となっています。
また、横壁にかかる圧力に耐えるほか浮力防止のため、控え壁が築かれています。
沈殿した土砂は揚泥機(ようでいき)でかき揚げました。かき揚げた土砂は、横転式の土運搬車に積まれ、インクラインによって場内道路まで引き上げられ、場内に敷設されたレール上を走行し捨て場まで運ばれていました。






土運車引揚装置(どうんしゃひきあげそうち)(インクライン





レールの跡




インクラインとは、コンクリート造の傾斜路(軽射角約7度、標高差約3.6m)に複線のレールを敷設し、上部が水平な台車がレールを走行する施設です。沈砂やごみを積んだ土運車は、台車の上に乗せられた状態で、傾斜路の上の道路まで往復していました。
昭和37年(1962年)に沈砂・ゴミの処理方法が変わったことにより、上と下にあったプラットホームを撤去し、埋めました。




ヘルメットをかぶって地下へ!!



沈砂池が二つあるが、ここで分岐している。
交替で使っていたとのこと。



喞筒室暗渠(ぽんぷしつあんきょ)(阻水扉室(そすいひしつ))



二系列に分けられて沈砂池を通過した下水は、喞筒井接続暗渠により、阻水扉室を通って喞筒井へ流入します。喞筒井は、大きく四つに区切られ、その配置は漢字の「天」のようになっています。
阻水扉室には、底弁を修理する時に阻水井を締め切るための阻水扉の扉体が壁面のフックに架けられています。また、東側扉には直径0.91m(三尺)の場内返水管渠(じょうないへんすいかんきょ)が接続されています。




10号喞筒井




喞筒井とは、下水をポンプでくみ上げるためにポンプの吸水管を配置した、枡のことです。10号喞筒井は、昭和8年(1933年)から10代目のポンプ用として使用されました。
10号ポンプには停電時の逆流を防ぐための流止弁を送水管の途中に取り付けました。そのため、吸込管の先端にはラッパ管が取り付けられました。
すべての喞筒井には、整流用にコンクリート造の山型ガイドが設けられました。


↑ラッパ管




地上へ出てポンプ室へ



汚水ポンプ




喞筒室には、10台(当初は9台)のポンプが設置され、地下の喞筒井から下水をくみ上げていました。当初のポンプは「ゐの口式渦巻ポンプ」といいます。これは、東京帝国大学教授「井口在屋(いのぐちありや)博士が明治38年(1905年)に発表した、渦巻ポンプのの原理を数学的に解明した世界初のポンプ理論にもとづき制作された渦巻ポンプでした。
現在のポンプは、昭和39年〜48年(1954〜1973年)にかけて取り替えられたもので、当初のポンプからすると第二〜四代目にあたります。




ヴェンチュリーメーター




ヴェンチュリーメーターは、流量の記録を行います。
測定は流水器室内のヴェンチュリー管の頭管(太い部分)と喉管(細い部分)の外周にそれぞれ8箇所ある孔から圧力水が取り出され、喞筒室に設置されている記録計へ送られました。
記録計は英国ジョージ・ケント社から大正11年(1922年)に輸入されました。当時の価格で32,860円と高価なものでした。(当時の米10Kg の価格は約2円)




ー馬蹄形レンガ敷きの下水管ー

これは三河島処理場に流入する浅草幹線の一部で、主ポンプ室流入渠改造工事に伴って掘り出されたものです。




土運車引揚装置用電動機室



土運車引揚装置用電動機室(インクライン)を動かすための電動機巻上機が設置された建物で、ここから巻上機の運転操作を行っていました。
昭和37年(1962年)にインクライン設備が撤去された際に、巻上機も撤去されています。しかし現在でも、床に機械基礎の跡を見ることができます。




ここからワイヤーロープが出ていた。



土運車引揚装置用電動機室の壁

何か所か工事した人の足跡を見ることができる。






今回は情報量がかなり多く、頭の悪い僕にはちょっと厳しかった(w
先人の知恵と工夫を総結集したような建物だった。
今の日本人にはこれだけのことができないかもしれないね・・・・。





反省会は町屋で!
楽しかった♪