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ovanの社会科見学

2018-07-07

2018/07/07 小日向散歩 06 旧西江戸川町/佐々木喜善旧居跡/明善稲荷/丸の内線/金剛地坂/同人社跡/白鳥橋/飯田橋駅

この日記のエリアで最後。

ちょっとだけ丸の内線を超えたが引き返して飯田橋駅へ。



◆旧西江戸川

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 江戸川(現在の神田川)に沿った武家屋敷地であった。

 明治5年、東隣の江戸川町に対して、西江戸川町とした。

 『新編江戸志』に、「中の橋、此辺を恋ヶ埼という、一名鯉ヶ崎、此川に多く鯉あり、むらさき鯉という、大なるは三尺(注・約1メートル)に及ぶなり」とある。

 江戸時代には、お留川といって、殺生禁断であった。

 ”こくせう(注・鯉こく)になどどほしがるお留川”(古川柳)

 石切橋から隆慶橋までの間の江戸川の両岸一帯は、明治のごろまで東京市内屈指の桜の名所であり、夜桜見物の船まで出た。明治17年ごろ大海原某氏が自宅前の川べりに桜を植えたのが始まりで、地域の人たちが協力して植樹した。しかし、洪水の害があり、護岸工事で切られた。




佐々木喜善(きぜん)旧居跡

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 岩手県遠野市出身の佐々木喜善(1886〜1933)は、早稲田大学在学中に小説家・水野葉船(みずのようしゅう)の紹介により柳田國男(1875〜1962)と出会い、遠野に伝わる不思議な話を柳田に語りました。柳田は、それらの話を百十九話にまとめ、明治四十三年(1910)に『遠野物語』として発表しました。

 当時の佐々木は、現在、凸版印刷株式会社トッパン小石川ビルとなっているこの地にあった下宿に住み、毎月のように柳田の求めに応じ徒歩で一時間弱の旧柳田宅(現在、大妻女子大学加賀寮となっている新宿区加賀町)を訪れ遠野の話をしました。

 佐々木は、明治十九年(1886)遠野市土淵(つちぶち)町に生まれ、幼いころから祖父や地域のお年寄りから昔話を聞いて育ちました。作文を得意とし十五歳のときには、泉鏡花の「照葉狂言(てりはきょうげん)」を読み文学を志すようになりました。

 『遠野物語』の話者となった佐々木は、昔話の採集や研究に取り組みながら『聴耳草紙(ききみみそうし)』などの本を著し、日本のグリムと称されました。 

 『遠野物語』は、日本民俗学黎明の書として、また、日本近代文学の名著として、今なお多くの人に読み継がれています。





◆明善稲荷神社

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丸の内線

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橋の名前はないんだろうか??




金剛地

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 江戸時代、この坂の西側、金富小学校寄りに金剛寺という禅寺があった。

 この寺のわきにある坂道なので、この名がついた。小石川台地から、神田上水が流れていた水道通り(巻石通り)に下る坂の一つである。

 この坂の東寄り(現・春日2-20-25あたり)で、明治12年に生まれ、少年時代をすごした永井荷風は、当時の「黒田小学校」(現在の旧第五中学校のある所、昭和20年廃校)に、この坂を通ってかよっていた。

 荷風は、昭和16年ひさしぶりにこの坂を訪ずれ、むかしを懐しんでいる様子を日記に記している。




同人社跡

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 中村正直(一八三二〜九一・号敬宇)が明治六年、邸内に私塾『同人社』を開いた。この洋学塾は慶應義塾福沢諭吉攻玉社近藤真琴)の三大私塾の一つで全国から多くの人材が集まった。

 正直は天保三年江戸に生れ昌平坂学問所 に学び、学問所教授方になりイギリスに渡る。明治元年帰国「スマイルズ」の自助論を訳し『西国立志篇』を著わし青年層に大きな影響を与えた。明治五年大蔵省に入り明治六年同人社設立、明六社にも参加し啓蒙思想に力をつくした。

 東京女子師範学校長、東大教授、元老院議官、貴族院議員など歴任した。教えを受けた人は多く、岡倉天心嘉納治五郎井上哲次郎 等各分野にわたり、著書も多く、「江戸川聖人」といわれた。




白鳥

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白鳥橋の由来

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 この付近で神田川の流れは大きくまたっていたために、江戸時代には大曲と呼ばれていました。

 明治19年(1886)にはここに「大曲橋」が架けられていましたが、その後架け替えられ、「白鳥橋(しらとりはし)」という名が付けられました。これはかつてこのあたりに、白鳥池という大きな池があったことからといわれています。




飯田橋駅

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ゴールの飯田橋駅です。

13日ごろかな?

靖国神社で行われる「みたままつり」の提灯が下がっている。

今年は行けるかなあ。



散歩は最初でもあったとおり、坂ばっかりで体力が奪われる(w

途中は散歩している団体さんに阻まれて遠回りをしてさらに疲れる(汗

でも、歴史が深くてとてもいい場所だった。

昔の人も坂ばっかりじゃあ大変だったろうなあ・・・・。

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