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ovanの社会科見学

2018-10-30

2018/10/30 駒込散歩 01 駒込駅/アザレア通り/駒込日枝神社/木戸孝允駒込別邸跡/新明北公園/新明坂/旧駒込新明町

24時間勤務アケで、駒込から白山まで歩く。

この日記では2018/09/13に日枝神社がうまく写真が撮れなかったので再度訪れることにしたエリア。

http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20180913/1537087608

そこから南へ向かって新しい場所を散策する。



駒込駅

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スタートはJR山手線駒込駅



アザレア通り

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駒込日枝神社

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 旧上駒込村字新屋敷の鎮守。東側が開けていたことから江戸時代は「朝日山王宮」と呼ばれていた。

 祭神は大山咋神を主神とし、素戔鳴尊・大己貴尊・少彦尊を合祀している。

 「新編武蔵風土記稿」は、慶長年間(1596〜1614)以前から祀られていたとする説を紹介している。

 風土記稿編纂当時の神主は沢田近江といい、先祖の大江免毛が万治三年(1660)からその任にあったとしている。また、元文元年(1736)に大江大夫橘為稠によって再興されたとする説があるほか、延享元年(1744)に本社が造営されたという記事が「武江年表」・「新編江戸志」などに見られる。

 江戸時代の小日向の僧、津田敬順は、その著書『遊歴雑記』の中で、神主の沢田近江の居宅からの眺望が最もすばらしいと述べている。また、「実に雅人の愛すべき土地」といい、歌人俳人が来訪して宴を楽しみ、自らも沢田の居宅で茶を楽しんだことも記されている。

 境内には、明和二年(1765)の銘がある手水鉢があり、鳥居の脇には、正面に「右朝日山王宮」と刻まれた、文久元年(1861)のものと思われる道標がある。また、「傳中親睦会」と刻まれた石柱があるが、これは古い鳥居の一部である。「傳中」は「殿中」とも書き、上駒込村の字の一つで、六義園柳沢吉保の屋敷だった頃、将軍綱吉の御成を待つ供の様子が、あたかも殿中の様であったことから、その一帯をこう呼ぶようになったという。




稲荷神社

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稲荷神社

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鳥居

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木戸孝允駒込別邸跡

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現地この碑にはこれ以上情報を得ることができなかった。

木戸孝允の旧名は桂小五郎





◆新明北公園

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◆新明坂

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google mapに載っていたので来てみたが、説明板などは見当たらなかった。




◆旧駒込新明町

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 もと、北豊島郡駒込村の内であった。明治24年東京市に編入された。

 町名は、駒込の総鎮守天祖神社の旧称である神明社のあることから名づけられた。

 駒込一富士二鷹三茄子   (古川柳)

 藤は富士神社、鷹は鷹匠屋敷で現駒込病院の地にあった。また富士神社裏一帯の畑からは富士裏のなすがとれて、有名であった。






続く。

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