マホガニー

時計の針は文字盤を指していた。曲の止まったイヤホンがジリジリと音を立てている。
ストリートピアノを施錠する警備員を襲い、鍵を奪って逃げた少年ももうすぐ歳をとるらしかった。今では誰も覚えていない。鎌倉では人を撃った。ただ高校野球の結果が知りたかったから。ぐるりと星が刻まれた結婚指輪を拾って警察に届けた。それが原因で捕まった。
情状酌量の余地もなく、何も批判できることがない。
結局質屋に流れたあの結婚指輪のように、ほとんど価値はない。ただ法律で許されているだけの人間でしかない。

海をただ眺めるといった素振りで困った人間を思わせぶるが、自分が本当に何が足りないのかはよくわかっているし、多分それをエスパーには見え透かれているのが困ったところである。
仕事が落ち着き(実際は打ち切りの憂き目に遭っただけだ)、あれだけバタバタしていたカレンダーは一気に風通しがよくなり、逆にどうしようなどと思ったりして「何かあれば言ってください。手伝いますよ」と言ったものの、「じゃあ」と振られた仕事も穴を掘って埋めるような作業だったと気づくと次第に削がれていって、声をかける頻度は減っていった。同じくして『放り出された』同僚の、毎日モニターを眺めて次が来るか来ないかわからない仕事の予習をしている様を「どうするんだろう」などと思っていたが、まったく本当に「どうするんだろう」といったところである。どうするんだろう。

1万2千円の半分を渡し「ありがとうございます✨」と言われてそれきりだった。癪なのでもう半分送金して、当然それで返事があるわけではない。同じくして『婚活アプリ』の会社から「あなたのアウトプットを拝見しました!いいですね!」と実際に思ったかどうかは知らないが、彼らのサムズアップに対して2行のメッセージを送った。それきりだった。
以前面接で同席した先輩が「この方は見送りでいいと思います。なんか軽薄な感じが」と言っていたことを思い出す。今はそれが欲しい。何も本気に向き合いたくない。何かは何か。誰もが誰かの代替品。なんてひどい顔なんだ。

どこにも呼ばれない手紙

プラスにプラスにしたりマイナスをよりマイナスにすることはあってもそれ以上はお金を使うくらいの意味しかないとタワレコへ向かう足を引き返したり、季節柄の物欲について馳せてみて、あれもこれも手に入れた先に週末の気分が晴れるかといえばそんなことはないと思う。
本来は空かすほどではない手をかざすと周りのものをバラしては組み立てるのが癖だと最近になって気づいたが、ときおり元に戻らなくなる。比喩でもないが人間関係の悪癖も同じだったのかもしれない。まだやれる余地。成り行きで作ることになったグループトークは酔った勢いだったと思わせる結果しか返ってこない。「だからそう言ったじゃん」と思っている。もしくは自分がすべて悪い。誰もがあなたに会いたいと思っている。

「あなたの文章は読み手の判断に委ね過ぎている。それにややこしい表現。そういうものが好きなんだということはわかります。もしくは、本当のことが言えないんでしょう?おそらくは自信がなくて」
アドバイザーの女の一言には思わず膝を打ったが、相変わらず筆が進まない。
一方で「決まりました」という同期を見つけると、彼女は前向きな話を進める。なんとなくそれをぼんやりと眺めてしまう。
「しっかりしてくださいよ」
週末のランチの店をどこにするかもまだ検討すらついてない。実のところそんな場合ではないはずなのに、アポを取ってしまった。

世田谷生まれ世田谷育ち

「好きな芸能人は?」と訊かれたときに便宜的な回答としていたタレントが結婚し、思いのほかショックを受けている自分に気づく。
「わけあり」として日中は呆然と過ごしたあとの帰路、近所の中華屋の前で抱き合い……陶酔しているカップルがいたので、俺の部屋を貸してやったところ、夜の行き場を失って、思い当たる女へ連絡するも4人連続で(遠回しに)断られ、5人目の女から「ランチならいいですよ」と返ってくる。終わりだ。
どちらも裏の靴下を履く。おまえが俺の死か。92年式のインターネットエクスプローラーで住所をグーグル。答えは「そこらへん」。砂時計は回り続ける。楽しくもなければカジュアルな死のようなことさえ考えてしまうが、実にマイナス的でカッコよくもない。鼻のピアスは顔面にタトゥーを入れるほどではないからだけど、雇っているファイナンシャルマネージャーから「テンションを上げる方法を用意しておいたほうがいい」とアドバイスをもらって、お金を使うこと以外に何かあるか?と言うと「じゃあ貯金しかないですね」と返ってくる。

週末といえば何もかもがうまくいかない気がしてしまう。調子がいい時間を集めようとして失敗する。13万円のイヤホンを買うだの買わないだのとダベる。口を開けばケンカをする。ツイてないというよりは自分のステータスの問題で、女はエスパーであると心得ておくべきである。
セラピーとしてカレーを作り、初めてジャワカレーを食べてみたらおいしかった。

iPodとiPhoneをバラした話

フリマで14年ほど前のiPod(5世代)の美品を手に入れて以来、当時の思い入れもあって使っているが、ディスプレイに横線が入るようになってしまったのと、イヤホンの接続が不安定なので、自分でディスプレイとイヤホンジャック(ホールドパーツ含む)のパーツを交換することにした。 このモデルに関しては他に比べてパーツも多く、ノウハウもネットにいくらでも転がってるのでなんとかなりそうだった。パーツはサードパーティ品を適当な通販で購入した。

ネットにごろごろと書かれているのは「開腹が一番難しい」ということだった。薄い金属板の専門工具や不要なクレジットカード、マイナスドライバを使った例をよく見るが、格闘の末にケースが傷ついたり変形したりしているのが散見された。自分はなんとなく手元にあったラミネートカードとギターピックを使用したところ、キレイにかつ早く開腹することができた。どこにも書かれていなかったがラミネートカードが最適解だと思う。

手順通りにバラして組み立てる。正直バラすのは容易い。組み立てるのが神経使う。組み立てる方法はどこを見ても省略されているし、バラして終わりではないということをはじめから覚悟するべきだと思う。実際、一度組み立ててから電源を入れたところ、エラーが起きてしまった。バラしてまた組み立て直した。たぶんHDのケーブルの接続不良だったけど、あの手のケーブルを扱ったことが無かったので手探り状態だった。

結果としてディスプレイの横線は消えた。でもイヤホンジャックの不良はイヤホンが悪かっただけというオチで、単に純正からサードパーティ品に交換しただけの改悪になってしまった。もう一度バラすのもなんとなくしんどいので壊れるまでこのままにしておく。

味をしめて、カメラにホコリが写るiPhone5sの内部清掃もやってみることにした。 こちらも情報や道具はあちこちにあるので、バラすのにそれほどビビる必要はない。秋葉原で分解工具セットを300円で購入。

簡単な内部清掃なので、ディスプレイ側とバックパネル側にバラすだけに留める。バラすのはiPodと同様に容易い。中身は手垢やホコリなどでずいぶん汚れているので、アルコールと綿棒、エアダスタで掃除する。 ひとしきり掃除を終えたら元に戻すが、大した工程を踏んでいなくても帰りの方が断然厳しい。ピンセットで挟んだネジが部屋のどこかに飛んで行ったりして肝を冷やした(すぐに見つかってよかった)。 組み立て終わるとタッチパネルが反応しない。ケーブルの接続で思い当たるフシがあったのでまたバラす。デジタイザというケーブルがしっかりハマっていなかった。

恐る恐る電源を入れ、タッチパネルの反応を確認して一応完了。しかしディスプレイの隅の方がなんだか暗い不具合。これはもうまったくわからないのでお手上げ。カメラもホコリがまだ写る(カメラ自体のレンズは拭かなかったため、それが原因かもしれない)ので、ヒステリーを起こしそうだった。あとはもうプロに頼む。

「ナメんなよ」という結果に終わったけど、やってみる価値はあると思う。かなりいい勉強になった。今回はやらなかったけど、ディスプレイ側とバックパネル側をセパレートせずにバッテリーを交換するくらいなら、思い立てばたぶんまたやると思う。 10年前にディスプレイが壊れて実家に放ってあるiPodの同モデルがまだあれば嬉しい。バラす。

まったくもって、本当に

ボーナスと給料をもらったばかりだというのに、ファイナンシャルマネージャーから電話が入り「なんですかこれは」と「言ってみればこれは破産ですよ」「それをわかっているのか」と告げられ、クレジットカードの没収と日用品の購入に申請が必要になってしまった。スポーツカーを購入するために雇ったはいいが、そもそも生活すら成り立っていなかったのであった。

「あなた相手ならこういうことを言っても良いと思うので」と、現実に目を向かせるような厳しめの一言をいただける機会がいくつかあり、皮肉ではなく感謝している。人間関係があって、なんとか男として気が狂った方向に行かないように生かされていると思う。マジな話。

タイのビーチで流れていたポリスの曲を覚えている。
前の晩に朝まで一緒に踊った女の子とそこで偶然再会するということがあり、帰り道で連絡先を渡したが、自分はどうしようもなくダサかったためにそれきり関係が途切れた。かと思いきや、居候先の最寄り駅前でまた偶然彼女を見かけるということがあって、そんなことがと驚いたが、右足だけが動き、それきりであった。
「運命ならまた会えるよ」
居候先の家主の一言は今でも大切にしているが、諦めの意味になってしまうことが多い。

なるべく仲良くなりたいと思っている人がたくさんいて、けれどもこちらから連絡しない限りは交わされることがないことばかりで、それについてはずっと悩んでいる。

あなたはもういない人になる寸前です

日曜の繁華街に出てみれば、突然自分は叫び出して倒れてしまうんじゃないかという妄想を常に抱いている。職場で集合写真を撮ったところ、一人わずかに離れて外側を向いている自分が映っていて、そういう性根が昔から変わらず、なかなか度し難いなと思う。体重が減っていく。

会話の共通点がない輪も当然しんどいが、そこに無理やりねじ込む結果がうまくいかないことも多々あるし、便宜的なサブカル方面もちょっとベクトルの違う感じがしてうまく続かないし、どちらにしてもあまり仲良くなりたくないタイプの人が多くて、本当に仲良くなりたい人と心の底から楽しく共有できる話題って何かあるだろうか。

実際はオレたちに時間の余裕なんてほとんど無いんじゃないかと思ったら、だからといえば悠長で、構えていればそのうちなにかチャンスがやってくるとでも言いたげな顔、こないだの夜も腹の立つ出来事があって、それを記そうかと思ったが、なんだか不健全な気がしてやめる。

もしも、普段絶対にキスなんかしたくない相手とキスをしたなら、君は明らかに飲みすぎだろう。

君が堅実な人生について考えるとき、駐車場を経営することとか、そういうことを浮かべる。

オレは今、センスの感じどころのない人が間借りのバーを始めるところに立ち会っていて、行方がどうなるかが気になるのである。

TOKYO CONTROL 3910

人生がやり直せるなら?
「今の意識のままだとしたらね」
「今の意識のままだとしたらよ」
そう繰り返すと、女は隣の友人に言った。
「学生時代に戻って、勉強をやり直したい。英語とか――」
実のところ、今の彼女は年経た自分が若返った姿だったのに、多くの人間と同じく、その貴重なチャンスに気づくことはない。
トン、という音に耳が戻される。着陸の体制に入るというアナウンスが流れる。
窓を覗くと、ウィラと僕の帰るマンションが見える。屋上のプールはこの雨で台無しに違いない。光がぼんやりと海へ落ちて行く。ビルの一室からきらりと誰かのナイフが反射して、誰かを突き刺す。漁船から打ち上げられる信号灯。キャビンアテンダントシャンパンの蓋を静かに開けて、僕のコップに注ぐ。火花をあげて炸裂するパンタグラフが見えると、川のようなひとすじの明かりがスッと消えていった。
寝息を立てている彼女の美しいまつ毛を撫でる。
「起きて。シートベルトをしなくちゃ」
ダイヤモンドの色をした髪を転がして、ささやかな抵抗を見せる。24時間の時差ともなれば無理もない。
「いま、何時?」
もう27時になる。
飛行機がけたたましい音を立てると、さすがに彼女も慌ててシートベルトをガチャガチャと装着した。それから僕の方を見て「これで安心」と笑った。
こんな女とああいうところに住んでなければ、人間らしく生きているとは言えなかっただろう。