それでも

「天動説」の小学生4割=月の満ち欠けと月食も混同−国立天文台調査
 「太陽は地球の周りを回っている」と思う子供が4割、月の満ち欠けが起きるのは「月が地球の影に入るから」と、月食と混同している子供も4割−。国立天文台の縣秀彦助教授や小学校教諭らが20日までに全国の公立小学校4〜6年生を対象に調査したところ、こんなショッキングな結果が出た。
 縣助教授は21日から岩手大で開かれる日本天文学会で、「理科の授業で、地球が丸いことや自転、公転していることさえ扱わないのが原因」として、学習指導要領を改善するよう訴える。 

時事通信

ふぅぅん。
別にいいや、という感覚。地動説が多数決で決まるわけではないから、というのがまっとうなサイエンティストの感性ではないかと私(おうる)は思う。
私(おうる)が「まっとうなサイエンティスト」を語るに足る資質を有するのかといわれるとそれはどうかと思うし、人間としてまっとうかと言われても議論の余地がある気がするけど。
で、「地動説」→「天動説」という理解の内的転回はむしろまっとうな成長過程であると思うし、その時期がちょっと遅かったぐらいで大騒ぎする必要もないのかもしれないとも思う。
真実を知るのに遅すぎるということはない。(むしろ、科学における真実なんて、変わりうるものだ、それをよく知っておくほうが重要な気がする。)
地動説 天動説というジオメトリに拠ってしか生み出されないインスピレーションみたいなものもあるかもしれない。追記:おいおい肝心なところ間違えちゃいかんよ。)
更に言えば、中世の天動説支配は宗教的背景がある。地動説はコペルニクスガリレオの新機軸ではなく、既に古代文明によって見いだされていた。人間はそれほど愚かではないし、人間はそれほどまでに愚かである、という両側面の露呈が中世の「天動説・地動説論争」であるというのが私(おうる)の理解。
余談ついでに、じゃあ自分はいつどんな形で「地動説」を知ったか、それを答えられるひとは意外に少ないのではないのかと思う。私(おうる)の場合、正確な時期はわからないが、学研の図鑑「数・形」と同「地球」、あとは学研まんが・ひみつシリーズ(「宇宙のひみつ」だったかな)であったことはほぼ間違いない。
少なくとも、学校の授業で、ではない。

朝の天気とか

暑いし風強いし。
駅までの路上に眼鏡のつるが落ちていた。
きっとこの風で折れたのだろう。(なわけない)
ところで、「草」と「硝子」の英語、どっちが L でどっちが R だかわからなくなることがよくあるのではないかと思う*1。そんなときは「草っぽいほう(l)が硝子」、つまり、逆、とだけ覚えておくといいかもしれない。
「瓜に爪あり爪に爪なし」の英語版。
でもって何故にいきなり glass なのかは、H3ヘッダを見ると判る*2

*1:私(おうる)はよくある。

*2:ついでに私(おうる)の思考パターンも判る。

そうこうしているうちに。

しまけんさんのところより。私(おうる)も実際わかっていなかったというオチが付いた。
とはいうものの、こういう完璧なインストラクションを読むとどこかしら胡散臭いと感じてしまう*1のは親の教育の賜物か、あるいは生来のあまのじゃく故か。
そんなわけでもう少し頭の中の引き出しをひっくり返してみたところ、こんな書籍の存在が。

また例によって安野光雅だったりするわけだが、そのへんはさておき。
この本の中では「遠い天体ほど速い運動をしていることになり、最も遠いそれはそれこそ信じられない速度で動いていることになってしまう」というようなことを意味する記述があったような。(なにしろ「数十年前」の記憶なのでかなり曖昧。)要するに何を言いたいのかと言えば、天動説の「無理」を挙げるのはさほど難しいことではない。
年周視差(久々に聞いたよこの言葉)とか持ち出すまでもなく、天動説は美しくない*2のであって、歴史のある時点から「立派な科学」であったかどうかというのは感性の問題(あるいは相対的な価値観の問題)のような気が、私(おうる)は、する。
…とまあこういうのを屁理屈というわけで、私(おうる)はやはり科学者としての資質を著しく欠くわけである。書いていて少々凹んだ。

*1:飽くまで記述内容に納得した上での話。とりわけ小学校における教育方針についての言及に関しては私(おうる)も大いに賛同するところであるし、ここでの私(おうる)の記述と相反するものではない。

*2:エレガントではない。ブラボーでない。いろんな言い方があるかとは思う。