ボヘミアの海岸線

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『暗夜』残雪|夜は明けない

 「夜はもう明けるの?」ぼくは兄に聞いた。
 「まだわからんのか。今は……今は……ああ、やめておこう」 (「暗夜」)

 「夜が明けるなんてことを考えさえしなければ、この家と折り合えるさ。夜は明けっこないのだ」(「帰り道」)

夜は明けない

 残雪は鮮烈なイメージを突きつけては、読み手側を常に呆然とさせる。まったく予測不能、残雪の世界を統べるルールが分からない。
 じゃあファンタジーなのかというと、そうとも言えない。舞台は町や家の中、道路や山などごく普通だし、視覚や嗅覚に訴える描写をしてくるものだから妙なリアルさがある。だが、そういう舞台で大量のミミズが現れたり、鳥の血シャワーが空からぼたぼた降ってきたり、平原の家がいつの間にか崖っぷちに建っていたりする。だからものすごく困る。

 不条理に対する同調圧力、一度迷いこんでしまったらもう戻れない一方通行。そして、明けない夜。残雪の世界は容易にその姿を変え、どこまでも不穏がつきまとう。
 以下、各編の一言感想。気に入ったものには*。


阿梅、ある太陽の日の愁い
 紫色のにきびがあるおじさんに求婚されたけど、子供が生まれたけど、別居したけれど、母親が怒り狂ったけど、夫がまた戻ってきていなくなったけど、だから何だと言うのだ。何とも形容しがたい話。ううむ、何なんだろうこの無関心さは。

わたしのあの世界でのこと——友へ
 「われわれは木を植えるんだ!」と皆が木をひっくり返しては植えかえている。むやみなハイテンションさが不気味。そして突然のこの一言。「夜は本当に楽しい!」。何があるわけではないのに背筋が凍る。

帰り道
 行きはよいよい、帰りはない。平原に建っている一軒家に遊びに行ったはずなのに、「お前はもう帰れない」と衝撃の事実を知らされる。これはたまらんと外に這い出してみたら、草地だったはずの地面は「なにか、硬い、移動しつつあるもの」になっていた。もう元の場所には戻れないのだという不安と閉塞感がすさまじい。あと、なぜか死にもの狂いのフラミンゴが出てくる。


 働かなくても金が入るようになったら幸せだろうなあ、という妄想に平手打ちしてくる話。むしろ織りの痕(へん)が織ったぼろむしろを、高価格で買い取る男が現れた。男はむしろを買うが、山の中に捨てていく。なぜ? だが、働くなっても食える痕は、だんだん「なぜ」を考えなくなっていく。大脳の退化、思考の停止。「おまえが教えてくれたように、忘れることを覚えれば、まったく申し分ないのだ」。理不尽に飼いならされた男の末路。

不思議な木の家
 本書はなかなか表紙が格好いいと思うのだが、表紙のモチーフになっているのがこの話。霧の向こうにまで突き抜ける家とは、一体どれほどの高さなのだろう。ちなみに我が家は古い木造家屋で、2階に上がる時は家全体がぎしぎし鳴ってなかなかスリリングだ。2階でこれなんだから、何十階もあったらさぞかし危なっかしいだろうなあ。

世外の桃源
 巨大なブランコがある幻の「桃源」について語る老人たち。気づけば老人は桃源について語る“権威”になっている。桃源には、それは大きなブランコがあってだな……いやいや、本当に大事なのは石臼なのじゃよ……。伝説はこうして作られる。残雪にしては真っ当な話。

暗夜
 真夜中に、少年と老人は言葉をしゃべる猿が住む猿山へと出発する。わくわくする冒険が始まると思ったら大間違い。大通りを亡霊が一輪車を押して走り回り、空からは鳥の血シャワーが降ってきて、寝ようと思ったら天井にナイフを吊るされ、わらの馬に追いまわされて小屋が燃えて阿鼻叫喚、惨憺たる地獄めぐり。そしてやはり、夜は永遠に明けない。「末世の風景だなあ」という父のつぶやきに同意する。


 恐らく、本書の中で最も多く発せられ、かつ黙殺されるのが「なぜ」という言葉だろう。問いは完膚なきまでに無視される。残雪女史は本当にハードコアだ。でもなんか好き。


残雪の著作レビュー:
『黄泥街』

河出書房新社 『池澤夏樹=世界文学全集』


recommend:
ペレーヴィン『虫の生活』……これを読むと「カフカは常識的なんだなあ」と思える。
ジョージ・オーウェル『1984年』……思考をやめよ。無知は力である!
安部公房『カンガルー・ノート』……かいわれ大根を足に生やした男が、担架で賽の河原を失踪する。

CanXue An Ye,2006.