凸と凹の間

2016-04-26 東京五輪2020の新エンブレムについて このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 二〇一五年九月に取り下げ・再募集された東京五輪2020のエンブレムが決まった(https://tokyo2020.jp/jp/games/emblem/)。模倣を疑われ、原作者問題審査委員会不正行為も明らかになった前回の反省を踏まえ、今回は市民参加と審査の透明性を重視して選んだものである

 全体として円の要素が強い東京五輪2020のエンブレムは、東京五輪1964の発展形として見ることができる。大きく一つに塗りつぶされた円から、四十五個の構成要素を組み合わせた円になったことで、多様性肯定するようになった現代社会を表しているようにも見える。「江戸の市松模様」を知らない人には「目がチカチカ」するかもしれないが、日本の国旗さえ知っていればそれと重ね合わせて見ることもできる。

 ここまでを振り返ると、「適切な手続き」が何度も強調されたのが印象的だった。再募集前にインターネットアイデア募集し、18歳以上なら受賞歴に関係なく誰でも応募できるようにした。エンブレム委員にはデザイン関係者以外も多く含まれ、審査の一部は動画配信を行い、最終候補案に対して広く意見を求めた。このすべてに関わった市民がどれほどいたのかはわからないが、今までよりは開かれた選考だったと言える。

 発表記者会見では「A案ありきではないか」や「最終候補の繰り上げは適切だったか」という質問もあり、組織委員会への信頼や東京五輪2020への期待はまだ高くはない。誰から批判されないデザインは存在しないと思うが、エンブレムを選び直すことを急いだ分だけ、五輪にとってそもそもエンブレムとは何なのかを議論する機会を逸してしまったようにも思う。

 「どのように選ぶのか」の次は、「いかに使うのか」である。しかし、エンブレム公式スポンサーしか使うことができない。みんなで選んでも、みんなが自由に使えるわけではないのだ。このように商業利用と強く結びついたエンブレムのあり方を見直すことは、五輪のあり方を見直すことにもつながるのではないか。

 東京五輪2020のエンブレムは「パクリかどうか」に始まり、「出来レースかどうか」を経て、「日の丸に見えるかどうか」に落ち着いたと考える。グラフィックデザインにしかできないことは何であり、その専門家市民関係はいかにあるべきか。それらのことを考えさせられた九ヶ月だった。

2016-04-08 エンブレムの最終候補4作品について このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 2015年9月撤回され、再募集することになった東京五輪2020のエンブレムは、エンブレム委員会による審査で4点に絞られ(応募総数:14,599→形式チェック:10,666→一次審査311二次審査:64→三次審査:4)、商標に関する調査手続き完了し、最終候補の4作品が公開され、国民から意見を募ることになった(https://tokyo2020.jp/jp/games/emblem/evaluation/)。最終審査4月25日に行われ、エンブレム委員による議論投票を経て決定し、理事会承認する運びだという。

 この件についての見解は『毎日新聞』(2016年4月9日朝刊、http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160409/k00/00m/050/085000c)にも掲載してもらったが、以下ではその元原稿を公開する。200字の予定と言われ、記者会見から時間でまとめらたのは600字だった(笑)一言で言えば、東京五輪2020のエンブレムは「パクリかどうか」から出来レースかどうか」を経て「日の丸に見えるかどうか」に落ち着くのではないかと思う。

 【総評】今までになく丁寧に選ばれたと思うが、子どもが真似できない模様だなと思った。多様性肯定する時代になって、デザインの構成要素や色が複雑にならざるを得ない現状を見せられたようにも思う。そしてこれに商標や様々な制約条件が加わるので、シンプルなデザインで独自性を主張できない現代社会象徴しているように見える。

 【個別評価】最終候補4作品についてはエンブレムだけでなく、タイトルやコンセプトと一緒に評価したほうがよい。説明があれば、デザインの見方を定められるからである説明がなければ、見た目の印象論が一人歩きする。その上で見解を述べると、A案は「多様性という価値」、B案は「動きと速度」、C案は「身体の拡張」、D案は「未来への時間」を描いているように見える。

 【最終審査に向けてのポイント】円の要素をどれだけ残すのかだと考える。円の要素が多ければ、エンブレムを「日の丸」として見ることも可能になる。円の要素が少なければ、それをどのように見ればよいのかというコンセプトが重要になってくる。国旗を想起させない微妙な工夫をどう評価するのかがポイント

 【選考過程について】参画や透明性が強調され、今までよりは開かれていたと思う。しかし、このプロセス殆どに関わった市民がどれだけいたのかは疑問で、インターネットのなかのお祭りだったようにも見える。またエンブレム公式スポンサーが利用することが前提なので、そもそも市民自由に使えるわけではない。公式スポンサー以外も使える「第2エンブレム」のほうが、市民参加と相性がよいとも思う。

 総評の「子どもにも真似できない模様」が記事で削られたのは、とても残念。しかし「多様性肯定する時代になって、デザインの構成要素や色が複雑にならざるを得ない現状」はとても重要なので、掲載されてよかった。要するに、多様性を認めれば認めるほどいろんな要素をデザインに盛り込まなくてはならなくなって、子どもにはよくわからないデザインになるよねってお話

 個別評価は従来通りの主張で、デザインをどのように見るのかはコンセプトと不可分の関係にあるってお話大喜利をしてもいいけど、その前にコンセプトは読んであげてねと言っておきたかった。個人的見解は急いで書いたものなので、もう少し時間をかけてゆっくり見てみたい。

 最終審査に向けてのポイントは、国旗との切り離しをデザインを評価するポイントにすれば面白くなるのではないかと思った。円の要素は出てくるだろうと思ったので、その消し方を競い合うようなコンペティションになったと思う。

 選考過程については、書いてあるとおり。いやしかし、エンブレムを使えるのは公式スポンサーであり、市民自由に使えるわけではないってことを強調しておきたかった。ここまで騒いで「市民参加」を導入したのだが、そもそもというお話

 新聞記者に「どれが一番だと思いますか?」と聞かれたが、「4つに共通点はないので序列はつけられない。あとはどのコンセプトを選ぶのかという決断だと思う」とお返事した。個人的には、似たようなものを4つ選ぶのではなく、似ていないもので4つまで絞り込んだことは評価したいと思う。

 以下は昨晩の段階で用意していた草稿。書いておいてよかった。

 2015年9月に撤回され、再募集することになった東京五輪2020のエンブレムは、エンブレム委員会による審査で4点に絞られ(応募総数:14,599→形式チェック:10,666→一次審査311二次審査:64→三次審査:4)、商標に関する調査手続き完了し、国民から意見を募ることになった(25日に正式決定の予定)。

 エンブレム委員会の設置(9月)から最終候補案の公開(4月)までを振り返ると、ここまでの作業は最優先で進められたように見える一方で、国民の関心は旧エンブレムのようには高まらなかったように見える。原作者問題とは別に審査委員会での不正および不適切行為が明らかになり、組織委員会への信頼やオリンピックそのものへの期待が高い状態にあるとは言いにくいからである

 閉鎖的と批判された前回の反省を踏まえ、今回は市民参加を強く意識したと思う。まず、再募集する前にインターネットを使って広くアイデア募集した。そして、18歳以上なら受賞歴に関係なく誰でも応募できるようにした。さらに、選考を行うエンブレム委員にはデザイン関係者以外も多く含まれ(デザインのチェックはグラフィックデザイナーが行った)、審査の一部は動画配信も行った。このプロセス殆どに関わった市民がどれだけいるのかはわからないが、少なくとも今までよりは開かれていたとは言える。専門家に任せると選考結果を知らされるだけなのだが、市民参加で選ぶと決定までの手続き冗長に見えることもある。

 応募要項に従えば、タイトル20字)やコンセプト(200字)と一緒に提出されているはずなので、エンブレムだけで評価すべきではない。エンブレムをどのように見ればよいのかは、タイトルやコンセプトと不可分の関係にあると考える。オリジナルだと思っていたもの模倣にしか見えなくなってしまったように、説明の仕方が変われば、デザインの見え方も変わる。説明がなければ、見た目だけの印象論が一人歩きする。エンブレムに対してどのようなコンセプトが与えられているのかを見極めた上で、市民がそれぞれに自分たち見方を語ればよいのではないか。

 エンブレム公式スポンサーが利用することが前提なので、使用ルールは厳しく、そもそも市民自由に使えるわけではない。再募集を経て最終候補案まで絞り込まれたわけだが、誰もが使えるわけではないエンブレムに対して、市民がわざわざどのような意見を言えばよいのかは意外と悩ましい。公式スポンサー以外も使える「第2エンブレム」を作るという案も出ており、こちらのほうが市民参加で選んでいくことと相性が良いようにも思う。

 東京五輪1964のシンボルマークが印象に人びとの残ったのは、日本の国旗さえ知っていれば、誰でもあの赤い丸を「日の丸」と重ね合わせて理解できたからである。これに比べて、札幌五輪1972のシンボルマークや長野五輪1998のエンブレムをどれだけの人が記憶しているだろうか。エンブレムに円の要素を残せば、それを「日の丸」として見ることも可能になり、説明が少なくてもわかったことにできる。エンブレムから円の要素が消えれば、それをどのように見ればよいのかというもっともらしい説明必要になってくる。どのようにでも見ることのできるデザインに対して、「そういう説明がありえるのか!」と驚かせてくれるエンブレムであってほしい。

2015-12-31 2015年:回顧と展望 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 30代最後一年は本当にいろいろあったのだが、アート関係書店イベント関係エンブレム問題関係研究関係の四つにまとめられるかな。

・「アート×キャリア×ネットワーキング Vol.3」、KoSAC(2015年1月22日東京経済大学)、http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150122

・「卒論修論フォーラム Vol.2」、KoSAC(2015年3月21日東京経済大学)、http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150321

・「『発表会文化論』の発表会」、KoSAC(2015年5月24日東京藝術大学)、http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150426

・「日本におけるソーシャリー・エンゲイジド・アートの行方」、KoSAC(2015年7月13日東京経済大学)、http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150713

 アート関係だと、光岡寿郎さん(東京経済大学)と一緒に運営しているKoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture)は年度の前半に集中し、2015年6月に「社会の芸術フォーラム」(http://skngj.blogspot.jp/p/skngj.html)が動き出してからはそちらで話を聞きに行く側になった。卒論修論フォーラムで報告した教え子がゲームプランナーとして活躍を始めるなど、嬉しい展開もあった。尾道で開催したいという話もあり、卒論修論フォーラムを含めて来年継続していきたい。

・「時間消費型の新刊書店」、町田×本屋×大学2015年5月22日、solid & liquid MACHIDA)、http://machidahonyadaigaku.hatenablog.com/entry/2015/04/29/235748

・「小規模の個性派書店」、町田×本屋×大学2015年6月20日、solid & liquid MACHIDA)、http://machidahonyadaigaku.hatenablog.com/entry/2015/05/24/131118

・「書店ファンの都市論」、町田×本屋×大学2015年7月24日、solid & liquid MACHIDA)、http://machidahonyadaigaku.hatenablog.com/entry/2015/06/28/183824

・「本の売り方を楽しむ:出版面白さ、書棚の見せ方、書評の楽しみ方」、町田×本屋×大学2015年11月25日、solid & liquid MACHIDA)、http://machidahonyadaigaku.hatenablog.com/entry/2015/11/09/195349

 新しい展開としては、「町田×本屋×大学」という書店イベントを始めたことである。柳原伸洋さん(東海大学)と清原悠さん(東京大学大学院生)と一緒に運営している。商業空間調査するなかで、他でもなく「ブックカフェ」が楽しそうに見えてきたので始めたものだが、書店出版関係者のお知り合いも増え、本当に多くのことを勉強させてもらった。本務校の学生にも手伝ってもらったり、ゼミでの報告をさせてもらったりもした。

 町田×本屋×大学企画持ち込みの手弁当で始めたのだが、「solid & liquid MACHIDA」側のご理解もあり、お店側にはイベント担当者ポストが用意された。また、海老名ららぽーとに「BOWL」というブックカフェが出来た時には、イベントに特化した空間が設置されるようにもなった。大きな声で「社会連携」と言わなくても、やれることはある。

・【ラジオ出演】「東京五輪エンブレム問題。その本質を考える?」『Session-22』(2015年8月18日TBSラジオ)、http://www.tbsradio.jp/ss954/2015/08/20150818-1.html

・【記事コメント】「「酷似ネット次々追跡」『朝日新聞』(2015年9月2日朝刊)、http://www.asahi.com/articles/DA3S11943116.html

・【記事コメント】「Net critics central to Olympics logo scandal」『The Japan Times』(2015年9月3日)、http://www.japantimes.co.jp/news/2015/09/02/national/olympics-logo-scandal-highlights-power-of-the-internet-critic/#.Ver5WM4fNjc

・【テレビ出演】「東京五輪エンブレム白紙撤回”の衝撃」『クローズアップ現代』(2015年9月3日NHK)、http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3700.html

・【寄稿】「市民参加への道を探ろう」『毎日新聞』(2015年9月4日朝刊)、http://mainichi.jp/shimen/news/20150904ddm004070017000c.html

・【記事コメント】「現代デザイン考:五輪エンブレム問題/1 亀倉雄策の“呪縛”」『毎日新聞』(2015年10月27日夕刊)、http://mainichi.jp/shimen/news/20151027dde018040061000c.html

・【対談】河尻亨一+加島卓「五輪エンブレム問題根底には「異なるオリンピック観の衝突」があった:あの騒動は何だったのか?」『現代ビジネス』(2015年12月28日)、http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47099

・【対談】河尻亨一+加島卓「「五輪エンブレム調査報告書専門家たちはこう読んだ?出来レースではなかった…その結論、信じていいのか?」『現代ビジネス』(2015年12月29日)、http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47141

・【対談】河尻亨一+加島卓「デザイナーアーティストに変えた広告業界の罪?日本のデザインはこれからどうなる?:五輪エンブレム騒動から考える」(2015年12月30日)、http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47191

 今年の後半は、エンブレム問題への対応に追われた。このブログ見解を公開し始めた結果、コメント欄を閉じる展開になった一方で(笑)ラジオ、テレビ、新聞見解を述べる機会を経た。炎上案件だったので、ラジオやテレビはとても緊張したというか、向いていないこともよくわかった(笑)

 実は9月にいろいろあったのだが、あの時点でやれることは十分にやったと思う。またこの件では本当にいろいろな方との出会いがあり、様々な意見に耳を澄ます機会を得たので、来年はこの半年で考えたことを本にまとめようと思う。エンブレム問題への関心は急速に冷却したように見えるが、そのことも含めて記録に残すことが私にできる仕事である

・「美人画ポスター概念分析」『大正イマジュリィ』(第10号)大正イマジュリィ学会2015年3月pp.15-35. http://taisho-imagery.org/g.shtml

・「〈広告制作者〉の歴史社会学──近代日本における個人と組織をめぐる揺らぎ』を書くまでとこれから」、第88回日本社会学大会2015年9月19日早稲田大学) ※日本社会学会第14回奨励賞(著書の部)受賞記念講演

 研究関連では、「〈広告制作者〉の歴史社会学近代日本における個人と組織をめぐる揺らぎ』(せりか書房2014年)が日本社会学会第14回奨励賞(著書の部)を受賞したことが本当に嬉しかった。どなたかに書評を書いてもらえるとありがたいなと思ってエントリーしたのだが、まさかの受賞でとても驚いたのを覚えている(関係者のみなさま、本当にありがとうございました)。出版社在庫もごく僅かになったようなので、「神風」が吹いたとしか思えない一年だった。

 これ以外に二つの論文入稿しているのだが、公刊は来年になる。一つは「80年代」に関する論集で、「誰もが広告を語る社会:天野祐吉と初期『広告批評』の居場所」というもの。もう一つはメディア論教科書で、「広告の個人化:監視社会と消費行動への自由」というもの。前者はもうすぐだけど、後者はいつになるのかしら(笑)。あとは「90年代」に関する現代社会論系教科書執筆を進めなければならない。

 博論関係は一段落したので、来年エンブレム問題の本を書き進めながら、新しい研究テーマを出していきたい。昨年に続き、今年もめっちゃ悔しい思いをした案件もあったのだが、まぁこういう振れ幅に慣れていくしかないのかな。それから来年非常勤先を調整して、都心の大学でも講義するので、帰り道が楽しみでもある。

 今年もお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いします。

2015-12-21 旧エンブレムの調査報告書とクリエイティブ・ディレクター このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 2015年12月18日、「旧エンブレム選考過程に関する調査報告書」が発表された。「旧エンブレム策定過程検証報告書」(2015年9月28日)で8名のデザイナーに参加要請文書を事前に送付していたこと及び、入選者3名はこの8名に含まれていたことが明らかになり、この事前参加要請審査結果の関係について組織委員会は民間有識者調査を依頼していたのである調査概要報告書概要は、以下の通りである

(1)外部有識者調査チーム

・鵜川正樹(公認会計士)、森本哲也(弁護士、元東京地検検事)、山本浩(法政大スポーツ健康学部教授)、和田衛(弁護士、元東京地検検事)

(2)検証方法

メールDVD等の資料検証

関係者のヒヤリング(組織委員会職員マーケティング担当者制作法務課の商標登録担当者を含む)、審査委員(8人中6人)、事前送付されたデザイナー8人などで合計27人、計32時間

(3)調査内容

・参加要請文書の事前送付から入選作品の決定までの経緯

※「選考過程調査報告詳報(上) 1次審査通すため審査員つぶやき 映像確認「隠れシードだ」」(http://www.sankei.com/affairs/news/151218/afr1512180040-n1.html

※「選考過程調査報告詳報(下) 「佐野作品は各審査委で一番多数の得票集めた」」(http://www.sankei.com/sports/news/151218/spo1512180022-n1.html

2020年東京五輪・パラリンピック競技大会組織委員会が18日発表した旧エンブレム選考過程に関する調査報告書の要旨は次の通り。 (肩書は当時)

 【参加要請文書発出】

 大会エンブレムについて、デザイン界の権威である永井一正審査委員代表は、最高レベルのデザイナー少数が競い合う指名コンペティションで選定すべきだとの意見だった。

 大会組織委員会の槙(まき)英俊マーケティング局長は、開かれた公募方式が適切と考え、応募資格一定の実績を有するデザイナーに限った公募コンペを決定した。

 ところが永井氏は公募では、日本を代表するデザイナーは参加を控える可能性があると考えた。槙氏は、永井氏と組織委の高崎卓馬クリエイティブディレクター協議し、佐野研二郎氏を含む計8人のデザイナーに参加要請文書を送った。この事実公表されなかった。広く開かれたコンペを行うとしていながら、永井氏や高崎氏の主観で少数のデザイナーを選定し、公募発表前に秘密裏に送付したことは、選定に当たり何らかの情実が働いたのではないかといった疑念を招くおそれが高い行為で、不適切といわざるを得ない。

 【優遇措置の有無】

 永井氏は、参加要請した8人全員を無条件で2次審査に進め、慎重に審査すべきとの意向だった。槙氏と高崎氏は画策し、審査委員でもある高崎氏が8人の作品番号を知っており、投票数途中経過が把握できることを利用すれば、8人の作品を2次審査に進められると考えた。

 1次審査審査委員投票で2票以上を得た作品が2次審査に進む。高崎氏は1次審査で、8人中7人の作品投票投票締め切りが迫った時、槙氏と高崎氏は、投票を終えた永井氏に対し8人のうち2人の作品が、審査通過に必要な2票に満たない旨をささやいた。高崎氏は永井氏を連れて2人の作品を指差しして特定し、投票札を渡した。永井氏は指示された2作品に次々と投票した。その結果、8人の作品審査通過が確定した。

 8人のみに優遇措置を講じようとしたことは不適切だ。槙氏や高崎氏が、秘密裏に永井氏に耳打ちして、追加投票させた行為は明らかな不正で、国家的事業であるエンブレムの選定過程で、このような不正が実行されたことは、誠に嘆かわしい事態だ。

 【当選作決定への影響】

 2次審査に進んだのは37作品。このうち14作品が最終審査に進んだ。最終審査では審査委員投票で最多票を得た佐野作品エンブレム候補に決まった。佐野作品は1次、2次、最終審査の全ての過程で、得票数が最多だった。

 不正は1次審査に限り、永井氏、高崎氏以外の審査委員が関知しないところで、秘密裏に行われたもので、佐野作品大会エンブレム候補として決定するという結論に影響を与えたとは認められない。永井氏が佐野氏を参加要請対象者に選んだこと自体に不合理な点は見当たらない。

 【調査範囲外の事項】

 槙氏は商標登録上の問題から佐野氏の作品修正必要となった際に、修正対応するのか、次点を繰り上げるのかといった根本的な点について審査委に意見を求めることなく、佐野作品修正を進めた。最終決定権が審査委にあるのか、組織委にあるのかなど、大会エンブレムの決定に関する審査委の責任権限を明確かつ緻密に定めていなかったという点に問題があった。また組織委は8作品を入選作品とする旨記載し、公表していたが、入選作品を決める手続きすら行わなかった。

 【結び】

 「大きな目的のために不正不正と思わない」。聞き取りの中で繰り返された言葉には「結果第一主義」にどっぷり浸(つ)かった仕事の進め方があった。しかし、手続きの公正さを軽視し、コンプライアンスに目をつぶる、なりふり構わぬ働きぶりは、現代組織委には全くそぐわない。

 最も大きな瑕疵(かし)は「国民のイベント」「国民に愛される大会エンブレム」ということに思いをいたさずに、専門家集団の発想で物事を進め、「国民」の存在をないがしろにしてしまったところにある。作品がどんなに素晴らしくても、選定手続きが公正さを欠けば、国民の支持を得られるはずがない。再スタートを切った選定手続きは「私たちエンブレム」と胸を張れる作品を公正に選ぶことが求められている。

(「旧エンブレム選考 調査報告書要旨」『東京新聞2015年12月19日

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tokyo_olympic2020/list/CK2015121902000212.html

 一言で言えば、「不適切な点と不正はあったが、出来レースではなかった」というわけである。この報告書は「事前参加要請審査結果の関係」に注目しているので、そこを見ればそのように言えるのかもしれない。しかし、この報告書によって「何があったのか」はある程度知ることができたが、「なぜこんなことになったのか」を知ることはできない。

 審査委員の一人だった平野敬子氏のブログ記事http://hiranokeiko.tokyo/)とも読み合わせてみたのだが、まだ明らかになっていないのは、「組織委員会にとってクリエイティブディレクターとは一体何者であり、いかなる役割を与えられていたのか?」である。「出来レースかどうか?」は「事前参加要請審査結果の関係」だけでなく、この点が明らかにならないと判断できないと考える。

 というのも、クリエイティブディレクター組織委員会ポストであるにもかかわらず、審査委員を兼ねていたからである審査委員会独立性を考えれば、このこと自体が奇妙に見える。組織委員会審査委員会の両方を行き来し、審査委員代表と共に8名の参加要請対象者を選び、審査過程で8名の作品リスト特権的に知り得たクリエイティブディレクターには、そもそもいかなる役割が与えられていたのであろうか。この点は9月末に「旧エンブレム策定過程検証報告書」が発表された時から申し上げてきたのだが(http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20151002)、未だに明らかになっていない。

 日本社会で「クリエイティブディレクター」という役職が語られるようになったのは、1960年代前半の広告代理業においてである(『〈広告制作者〉の歴史社会学せりか書房2014年)。経済成長に伴って広告業活性化するなか、多数のクライアント対応していくための新しい管理職必要となり、アートディレクターコピーライターの上に広告制作全体を管理していくクリエイティブディレクターを設置するようになったのである中井幸一『アメリカクリエイティビティ』美術出版社1963年)。

 しかし、当時からこうした傾向は胡散臭がられていた。亀倉雄策によれば「広告業者がはずかしいようなキャッチフレーズを呼んでいるが、実状はそんなものは、どこにもないという気がしてならない」(「ニューヨークと東京の間」『ニューヨークのアートディレクターたち』誠文堂新光社1966年ものであり、横尾忠則によれば「だいたいね、広告界は横文字が多すぎますよ」(「原点から幻点へ」『デザイン』美術出版社1969年11月号)と揶揄対象でもあった。

 実際のところ、グラフィックデザイナーアートディレクターコピーライターなどはそれぞれに業界団体を結成することを通じて「職業の一つ」であることを主張していた。しかし、クリエイティブディレクター業界団体を結成することはなく、長い間「広告代理店役職の一つ」に留まっていたと言える。

 こうした見え方が変わってきたのは、2000年代に入ってからである。一つには広告クリエイターが「クリエイティブエージェンシー」として独立する傾向が高まったこと、二つには広告業界の外部でもクリエイティブディレクターが語られるようになったことが挙げられる。

 クリエイティブディレクターという言葉が少し目立つようになってきたのは、2000年前後に広告代理店から独立するクリエイターが相次ぎ、新たな職場が「クリエイティブエージェンシー」として総称され始めた頃である。その嚆矢として知られるのは「TUG BOAT」(1999年設立)であり、電通から独立した岡康道(クリエイティブディレクター)、川口清勝(アートディレクター)、多田琢CMプランナー)、麻生哲朗CMプランナーから成り、広告代理店のようなメディア扱いを行わずにクリエイティブのみを手がける少数精鋭の広告会社という形を採っていた。

 クリエイティブディレクターはこうした動きのなかでじわじわと新しい肩書きとして見えてくるようになった。例えば、博報堂を経て「SAMURAI」を設立した佐藤可士和独立してからアートディレクターだけでなく、クリエイティブディレクターとも名乗るようになった(厳密な使い分けをしているとも言いにくい)。また、博報堂を経て2003年に「風とロック」を設立した箭内道彦独立してからクリエイティブディレクターを名乗り始め、現在に至るまで実に様々なキャンペーンを手掛けている。

 もう一つは、2000年代になって企業のブランディング責任者クリエイティブディレクターと呼ばれ始めたという動きである。なかでもよく知られているのがファッション業界であり、服のデザインだけでなく、広告イメージ戦略からショップ空間設計までブランディングの全てを任される。例えば、トム・フォードグッチクリエイティブディレクターとして「これまでのファッションブランドではありえなかったシステムを作り上げ、ビジネスとしても大きな成功を収め」たようである(「今、成功するビジネスは、クリエイティブディレクターが創る!?」『BRUTUS』(548号)マガジンハウス2004年6月1日号)。

 広告業界とは微妙に異なるこのような見え方が出てきた結果、クリエイティブディレクターは企業のブランディング責任者であるかのように語られ始める。こうした動きのなかでは、例えばアップル・コンピュータスティーブ・ジョブズクリエイティブディレクターなのである林信行スティーブ・ジョブズ:偉大なるクリエイティブディレクターの軌跡』アスキー2007年)。

 これらのことを踏まえれば、クリエイティブディレクターとは2000年代以降に広告業界の枠を越えて企業のブランディング責任者として語られるようになってきたと考えられる。東京五輪2020の組織委員会におけるクリエイティブディレクターにどのような役割を与えられていたのかは説明がなされないとわからないのだが、こうした流れの延長線上に設けられたポストであろうと思う。

 しかし、組織委員会に属するクリエイティブディレクターは、いかにして旧エンブレム審査委員を兼ねることができたのか。なぜマーケティング局長は入らず、クリエイティブディレクターけが審査委員会に入れたのか。そして、組織委員会審査委員会の両方を行き来し、審査委員代表と共に8名の参加要請対象者を選び、審査過程で8名の作品リスト特権的に知り得たクリエイティブディレクターには、そもそもいかなる役割が与えられていたのであろうか。やはりこの点が明らかにならなければ、旧エンブレム問題判断し切れないところがある。

 もちろん「良いもの」を選びたかったのであろう。しかし「良いもの」を選ぶ方法は、クライアントが民間なのか国家なのかで異なる。また審査委員代表が個人の考え(参加要請した8人全員を無条件で2次審査に進め、慎重に審査すべきとの意向)を述べることは自由だが、組織委員会としてそれを採用しないという判断審査委員代表を他の方にお願いするという選択肢もありえた。組織委員会審査委員会関係が明確ならば、クリエイティブディレクター責任をもって決断すべきところだったと思う。

 しかし、調査報告書には「デザイン界の権威」という表現審査委員代表に対して使われている。組織委員会のそうした理解の仕方が、「なかなか断りにくい」状況を生み出しているようにも見えなくもない。だとすれば、ブランディング責任者だったのかもしれないクリエイティブディレクター役割とは一体何だったのだろう。そのあたりが知りたいのである

2015-10-20 エンブレム問題における広告代理業とグラフィックデザイナー このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 旧エンブレム問題をめぐり、組織委員会第三者からなる有識者会議を発足させ、調査を行うと発表した。2015年10月20日の時点では『日刊スポーツ』のみなのだが、以下のように報じられている。

 「アートディレクター佐野研二郎氏(43)がデザインし、盗作疑惑白紙撤回となった20年東京五輪・パラリンピックの公式エンブレム問題を巡り大会組織委員会第三者からなる有識者会議を発足させ、調査を開始することが19日、分かった。組織関係者によると現在調査に参加する有識者と事前調整中で近々、調査を開始する。

 担当者だったマーケティング局の槙英俊局長審査委員だった高崎卓馬クリエーティブディレクターらを含め調査を行う見通し。2人は2日、出向解除となり広告大手電通へ戻った。

 両氏は公募開始前、8人に参加要請した「招待状」の送付に関与。応募作品が「104→37→14→4」と絞られる過程で「14作品の中に、8人は何人含まれていたか」という問いに組織委は「調査が終わり次第ご報告する」としており、最大の疑念に迫ることとなる。」(「東京五輪エンブレム問題有識者会議が調査開始へ」『日刊スポーツ2015年10月20日http://www.nikkansports.com/general/news/1555017.html)。

 まったくの偶然かもしれないが、この記事が出る前日に別の新聞から取材依頼があり、エンブレム問題における広告代理業とグラフィックデザイナー関係について見解2015年10月20日時点)をまとめていたので、以下に公開する。

--

 エンブレム問題の前提にはオリンピック観の変化があると考える。それは「トレーニングを積んだ人が競い合うオリンピックから市民も参加するオリンピック」へという見え方の変化であり、「少数精鋭の祭典」から「みんなの祭典」への変化である東京五輪2020の基本コンセプトにも「全員が自己ベスト」と書かれている(https://tokyo2020.jp/jp/vision/)。

 デザイナーは、オリンピックスポーツだけでなくデザインも競い合うイベントだと考えてきた。だからこそ、公募するにしても高い水準のデザインが選ばれるべきだと考えている(原研哉「デザイン開花する東京五輪に」『毎日新聞2014年5月28日http://www.ndc.co.jp/hara/thinking/words/2014/05/post_17.html) 。「東京デザイン2020オープンセッション」(http://tokyo-design2020.jp/)はそのような考えを共有する五つの業界団体が名前を連ね、その活動の延長線上に旧エンブレムの応募資格審査委員会(細谷巖、永井一正平野敬子浅葉克己片山正通、高崎卓馬、長嶋りかこ真鍋大度)があったと言える。

 旧エンブレムは指名コンペではなく公募にしたのだが、それでも「いつものメンバー、いつものやり方」に見えたことは否めない。デザイナーから見れば今までになく「開かれていた」のかもしれないが(原研哉「コンペ 明快な基準五輪エンブレム 不可欠な専門性」『毎日新聞2015年10月5日http://mainichi.jp/shimen/news/20151005dde018040028000c.html)、そうした文脈を共有しない市民には「やっぱり、閉じている」ように見えたのである。その意味で、旧エンブレムオリンピックの見え方が変わるなかでデザインという「競技」への参加資格をどのように設定するのかという問題になったのだと思う。

 東京五輪2020に向けては、デザイナーにある種の危機感も共有されていたと思う。例えば、東京五輪2020のエンブレム東京五輪1964や札幌五輪1972と関連付けられたが、そこに長野五輪1998はなかった 。東京つながりで語るならば、札幌は必要ない。しかしグラフィックデザイナーつながりで語るならば、亀倉雄策永井一正、そして佐野研二郎という順番になる。長野五輪1998のシンボルマーク広告代理店のコンペによって米国のランドーアソシエーツ社が作成したものが選ばれたのだが、グラフィックデザイナーはそのことには触れずに、東京五輪1964の亀倉雄策だけを強調していたようにも見える。

 また別の資料によれば、「長野オリンピックの時には、デザイン関連の全体を見ているプロデューサー」は不在で、「ある代理店開会式担当するというように、役割分担をして、それぞれの代理店が担っていた。デザインコミッティーというのがあったというけど、盛り上がらなかった」という(江並直美+原研哉+東泉一郎「2008年大阪オリンピックを考える」『デザインの現場』(美術出版社1999年2月号)における、原研哉発言)。グラフィックデザイナーには長野五輪1998が広告代理店に主導されたように見え、そのことに危機感を持っていたのかもしれない。

 このように考えると、旧エンブレムの前提には長野五輪1998における広告代理店の影響力の大きさがあり、グラフィックデザイナー東京五輪2020でそのようにはならない方向を探り、「東京デザイン2020オープンセッションからエンブレムへの道筋を作ったように思われる。組織委員会マーケティング局長クリエイティブディレクターはその調整役だったのかもしれない。

 つまり、広告代理店主導の長野五輪1998の反省危機感を踏まえ、東京五輪2020ではグラフィックデザイナーもそれなりの役割を担えるようにと広告代理店が調整に回った可能性が考えられ、その結果の一つとして八名に送られた事前の参加要請があったのではないかとも見える。

 重要なのは、こうしたことを「業界的にはそれなりに努力をした」とするのか、「それでも透明性が低い」とするのかである。少数精鋭型のオリンピック観を前提にすれば前者にように理解できるし、市民参加型のオリンピック観を前提にすれば後者のように理解できる。旧エンブレム問題は、このようにオリンピック観が衝突するなかで生じた移行期の出来事だったのではないだろうか(2015.10.20)。

---

 取材された記事は以下の通りです。

・【記事コメント】「現代デザイン考:五輪エンブレム問題/1 亀倉雄策の“呪縛”」『毎日新聞』(2015年10月27日夕刊)、http://mainichi.jp/shimen/news/20151027dde018040061000c.html

---

※追記:外部有識者による調査が開始されました(2015年10月29日)。

アートディレクター佐野研二郎氏(43)がデザインし、盗作疑惑白紙撤回された2020年東京五輪・パラリンピックの旧エンブレム問題を巡り29日、外部有識者による調査チームの第1回会合が行われた。

 メンバーは和田衛弁護士(元東京地検検事)、森本哲也弁護士(同)、鵜川正樹公認会計士青学大特任教授)、山本浩法大教授(現エンブレム選考委員、元NHK解説委員)の4人。

 旧エンブレム選考関係者聞き取り調査し、11月までに調査を終える予定。調査結果の公表は年内に行う。

 調査対象者エンブレム選考への招待文書を送付した組織委の前マーケティング局長・槙英俊氏(出向解除で現在電通)、審査委員だった組織委のクリエーティブディレクター高崎卓馬氏(同)、他審査委員7人。そして佐野氏を含めた招待文書を送付されたデザイナー8人らとなる見通し。

 しかし、聞き取り調査を申し入れても断ることはでき、強制力はないため、どこまで真相に迫れるかどうかは定かではない。不正選考があった場合でも「処分」を科せるかどうかについても、未定だという。

 応募作品が「104→37→14→4」と絞られていく過程で、14作品の中に、招待状送付者8人は何人含まれていたかは既に事実として組織委の事務局確認済みだというが、広報担当は「それも含めて全てまとめて12月に公表したい」と話すにとどめた」(「五輪エンブレム問題調査始まる 結果は年内公表」『日刊スポーツ2015年10月29日http://www.nikkansports.com/general/news/1559100.html)。

※追記:外部有識者による調査の進捗が報道されました(2015年11月27日

 白紙撤回された20年東京五輪の旧エンブレム問題で、審査過程調査する外部有識者チームが、組織委の元マーケティング局長らが昨年11月に開かれた審査会に与えた影響を中心に調査していることが26日、分かった。

 日刊スポーツが入手した調査対象者に送られた質問状には、元マーケティング局長の槙英俊氏と元クリエーティブディレクター高崎卓馬氏の名前が明記され、「審査2日目の冒頭で高崎氏が残った14点の作品について商標上の問題がある作品を指摘しているが、佐野研二郎氏の作品については、どのような指摘があったか」などと書かれていた。

 「T」という単純文字をデザインしたことで、多数の類似作品が出てくる恐れがあったにも関わらず、佐野作品が通過した点に意図がなかったか、注目しているようだ。

 調査チームの公認会計士・鵜川正樹氏は取材に「(槙氏、高崎氏)中心にとは言えないが皆、調査には協力的。調査結果は処罰というより事実のあぶり出し」と話した。

 両氏は公募開始前、佐野氏ら8人に招待文書を送付したことが判明し今年10月に出向解除となり、出向元に戻った。調査対象は他に審査委員7人、招待文書を受け取った8人らとなる見通し。調査結果は12月中に公表される。

 ◆旧エンブレムの経緯 今年7月に発表された佐野作品は、直後にベルギー・リエージュ劇場のロゴ酷似しているとの指摘があった。その後、より「T」の文字が鮮明な原案公表し、同ロゴとは違うことを訴えたが、それが逆にタイポグラフィ巨匠ヤン・チヒョルト氏(故人)の展覧会ポスターのデザインと酷似していると指摘され、9月1日に白紙撤回に追い込まれた。同月末、組織委が8人に招待状を送付していたことも発覚。10月29日、和田衛弁護士ら4人の外部調査チームが発足した。

(「五輪エンブレム問題調査佐野作品通過点に注目」『日刊スポーツ2015年11月27日http://www.nikkansports.com/general/news/1571849.html

2015-10-03 エンブレム問題と組織委員会 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 2015年10月2日、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会は槙英俊・マーケティング局長と高崎卓馬・企画財務局クリエイティブディレクターの退任を発表した。組織委員会によれば、「旧エンブレムに関する問題の影響で、適正かつ円滑な業務遂行が困難である判断したため」という(『朝日新聞2015年10月3日)。槙英俊は組織委員会の旧エンブレム担当者であり、高崎卓馬は旧エンブレム審査委員の一人だった。二人は組織委員会マーケティング活動を担う専任代理店電通社員で、電通から組織委員会への出向を解除された形である

 この報道に接して思い浮かべたのは、10月1日に発売されていた『週刊新潮』(2015年10月8日号)の「「五輪エンブレム」七転八倒 「新委員会」船出の前に片付けたい「インチキ選考」仰天の真実」という記事である週刊誌はこれまでもエンブレム問題報道をしていたが、この記事はこれまでの取材集大成とでもいうべき「調査報道」になっている。この記事は「電通から来ている2人」(槙英俊と高崎卓馬)が組織委員会で果たしたと思われる役割複数取材から浮かび上がらせ、応募デザイナーだけに配布された「エンブレムデザイン制作諸条件」、旧エンブレム策定過程検証報告書で明らかになった「参加要請文」の本文、旧エンブレムの2位と3位の案なども掲載して、これまで知られていなかった情報に溢れている。

 偶然なのかもしれないが、この記事が出た翌日に二人の退任が発表されている。9月28日記者会見では、槙英俊・マーケティング局長の戒告処分組織委員会として写真無断使用した件に対してであった。高崎卓馬・企画財務局クリエイティブディレクターは、その時には処分されてはいない。本当に偶然なのかもしれないが、この記事が出た翌日にこの二人の退任が発表されたことで、旧エンブレム問題は一つの折り目を迎え、後は丁寧な検証を待つ状態になったと思う。

 以下は、『週刊新潮』(2015年10月8日号)を踏まえたメモ書きである

(1)同記事によると、組織委員会は応募したデザイナーに「エンブレムデザイン制作諸条件」という資料を配付し、その「エンブレム策定について(2)」には「3.オリジナリティを持ち国際的認識されているイメージ(例:各国国旗国際機関シンボルマーク等)と混同されるようなデザインを含まないで下さい。(IOC規定による)」と書いてあったという。この記事に従えば、募集の時点でいわゆる「日の丸」と混同されやすいデザインは回避するようにと指示が出ていたのである

 今になって「エンブレムデザイン制作諸条件」の存在が明らかになり、それを踏まえて佐野研二郎による原案を見ると、確かに最終案のような「大きな円」を見つけることはできない。そこにあるのは、「小さな赤い丸」だけである。しかしこれに対して、組織委員会の内部から「これはおかしい。日の丸を足元に置くなんて」という意見が出ていたのだから(『朝日新聞2015年9月28日朝刊)、結局のところは「日の丸」として理解されてもおかしくない要素が含まれていたと言える。

 興味深いのは、原案修正案→最終案と調整されていくなかで「大きな円」が現れ、それにもっともらしい説明を与えようとしたら、結果的には「エンブレムデザイン制作諸条件」に反してしまった点である。「模倣」という見え方に対して「それなりに設計されたデザイン」という見え方を与えようとした佐野研二郎は、8月4日記者会見で以下のように説明している。

「で、見て頂いてわかるように、(曲線部分を指さしながら)ここのRの部分がありまして、これは今楕円的なものが入っていると思うんですけれども、僕はこれを見て、亀倉雄策さんが1964年の東京オリンピックの時に作られた大きい日の丸というものイメージさせるものになるんじゃないかなと思いまして、単純に「T」という書体と「円」という書体を組み合わせたようなデザインができるのではなかろうかということを思いました。そこで作ったロゴが、今回のこの東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムになります」(佐野研二郎による説明2015年8月4日)。

 『週刊新潮』が組織委員会広報部に問い合わせたところ、「佐野氏が大会エンブレムにデザインした「赤い円」は、見た人が「日本国旗混同する」ようなデザインではないと考えられ、IOCからも「制作諸条件」には反していないと判断されました」と回答を得たようである(『週刊新潮2015年10月8日号)。しかし、8月4日説明ではその「赤い円」ではなく、「大きな円」をどのように見るのかが説明対象になっている。しかも、佐野はそれを「大きい日の丸というものイメージさせる」と説明してしまったのである

 もちろん、円をどのように見るのかは自由である自由からこそ、その円をいかに見るのかは誰でもどのようにでも語れる。こうして理解自由度が高い円に対して、「どのように見てほしいのか」を人びとに訴えたい時、デザインにはコンセプトが必要になる。円をどのように見てほしいのかをデザイナー説明することで、それなりの見え方を定めるのである

 したがって、「赤い円」であれ「大きな円」であれ「エンブレムデザイン制作諸条件」によって日の丸との混同を避けるようにと指示をされていたのだから佐野研二郎による8月4日説明は言い過ぎであった。原案から最終案に至るまでにコンセプトやデザインの調整があったとはいえ、円については「亀倉雄策さんによるシンボルマークと関連付けて見ることもできます!」という程度で済ませておけばよかったのかもしれない(笑)

 この点は模倣であるかないかとは別の問題である。「エンブレムデザイン制作諸条件」があったのだからアーティストのようにオリジナリティに訴えるのではなく、その条件に従ってクライアント組織委員会ニーズをいかに満たしたのかをデザイナーとして説明すればよかったのだと思う。と同時に、今回の件を通じてデザインとコンセプトの関係は「整合性の水準」というよりも、「とりあえず説明がなされたという事実の水準」で処理されているということが明らかになったと言えるのかもしれない(笑)

(2)同記事は、高崎卓馬・企画財務局クリエイティブディレクター佐野研二郎を「特別待遇」していたのではないかと報じており、その証拠として組織委員会から佐野研二郎へ送付された参加要請文書掲載している。

平成26年9月吉日

TOKYO2020大会エンブレムデザイン応募について

拝啓

秋晴の候、佐野研二郎様にはいっそうご活躍のこととお喜び申し上げます

この度、TOKYO2020大会組織委員会は2020年東京オリンピック大会、パラリンピック大会シンボルマークとなる「大会エンブレム」の選定をすることになりました。このマークは、大会そのものシンボルとして機能するだけでなく、新しい時代シンボルとして未来記憶するものにしていきたいと考えており、応募方法も、次世代の才能にも広く門戸を開いた「条件つきの公募」というフェアなスタイルをとることにいたしました。

選考にあたっては、グラフィックデザイン視点はもとより、今後拡張することが予想される様々なテクノロジーとも親和する次世代シンボルをつくりたいという想いを反映した、審査チームを結成することにいたしました。

世界にむけて日本が発信する大きなメッセージを集約したものになることと思います。今回の応募作品が、すでに日本のデザインのひとつの到達点にもなりうると考えております

つきましては日本のデザインの今、デザインのこれから、を検証発見するために、佐野研二郎様には是非この公募に参加していただけないか、と考えております1964年の東京オリンピック大会のように、佐野研二郎様を含む数名に絞った指名によるコンペという形をとるべきであるとのご意見もございましたが、日本全国からの寄せられる関心の高さもあり、オープンでフェアな審査スタイルをとらせていただくこととなり、このようなお願いをすることになりました。ぜひご検討ください。

敬具

TOKYO2020大会エンブレムデザイン応募事務局

審査委員代表 永井一正(手描きのサイン

大会組織委員会クリエーティブ・ディレクター 高崎卓馬(手描きのサイン

このお手紙9月12日(金)の公募開始より前にお届けしております12日(金)に東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事会にて報告されたのちに記者会見を行い、応募条件および審査チームを発表・公募を開始いたします。従いまして12日(金)の発表前まではご内密にお願いいたします

詳しい応募条件は、発表後に改めてご連絡させていただきます

(『週刊新潮2015年10月8日号より)

 この文書に従えば、「次世代の才能にも広く門戸を開いた」ものを想定し、その上で「条件つきの公募」にすることが「フェアなスタイル」になると考えていたことがわかる。というのも、「1964年の東京オリンピック大会」は「数名に絞った指名によるコンペ」でシンボルマークを決定したからである。だからこそ、その時と同じく閉じた方法にはならないようにしようと思って、「オープンでフェアな審査スタイル」としての「条件つきの公募」になったと読むことができる。

 旧エンブレム策定過程検証報告書によると、こうした応募条件の設定は槙英俊・マーケティング局長と高崎卓馬・企画財務局クリエイティブディレクターで行い、「国内外トップデザイナーによるコンペとするため、定評あるデザイン賞の複数回受賞者による「条件付き一般公募」で行うことにした」わけだが、これが「閉鎖的との批判」を招いたと言われる。

 グラフィックデザインに通じていない者ならば、そのように見えて当然だと思う。しかし、この文書文脈に従えば「指名によるコンペ」よりも「オープンでフェア」であることを目指した結果として、「条件つきの公募」に至ったことには一定の理解を示してもよいと思う。少なくとも、「1964年の東京オリンピック大会」よりはまともなやり方を目指したのである。もちろん、それでも「いつものメンバー、いつものやり方」になっていたこ自体に変わりはないのだが(笑)

 その上で問題があるとすれば、このように「オープンでフェア」であることを目指した「条件つきの公募」への参加要請文を、8名のデザイナーに「ご内密に」と書き添えて事前に送付してしまったことであろう。公平性が求められる審査であったにもかかわらず、なぜにしてその8名を事前に選ぶことができたのか。その説明がない限りは、関係者の人脈として解釈されてしまうことは避けられないように思う。

---

 インターネット上では、高崎卓馬・企画財務局クリエイティブディレクターへの注目が早くからなされていた。もちろん私もそのことには気づいていたが、何しろ公開された情報がなかったので、憶測でいろいろと語るわけにはいかなかったし、未だに彼が何をしていたのかはよくわからない。『週刊新潮』(2015年10月8日号)はそうした隙間を複数取材で埋めようとしているが、やはり本人に話してもらわないと評価できない部分は少なくない。

 今になってみれば、8月から9月にかけては公開された情報が極めて少なく、そうしたなかでラジオ新聞やテレビで見解を述べてしまったことが本当におかしくてしょうがない(笑)。あの状況あのタイミングで「パクリである/ない」以外の論点グラフィックデザインの話にするのがどんなに「負け戦」であり、またそれでも炎上トピックを抱えた生放送で「面白いですよね〜」と絞り出すのにどんなに苦労したことか(涙)。凄く悔しいけれども、組織委員会の側から見れば「マジで笑える奴」だったのではないかと思う。

 とはいえ、エンブレム問題を通じて「アートとデザインの違い」だけでなく、「グラフィックデザイナー広告代理業の区別」も多くの人びとに知ってもらえたらいいなと思った。もちろん問題のある部分もあったが、この二ヵ月でグラフィックデザイナーばかりが説明責任を負わされ、広告代理業側がなかなか口を開いてくれないのは、本当に悲しいことだった。あの状況でも自分たちがやっている仕事のことをなんとか人びとにわかってもらおうとしたグラフィックデザイナーのことを忘れてはならないと思う。

 エンブレム問題を通じて、沈黙するしかなかったグラフィックデザイナーたちの仕事がそれなりに評価される社会であってほしい。

---

追記(2015.10.15)

・「新マーケティング局長電通・坂牧氏 東京五輪組織委」『朝日新聞2015年10月15日

 「2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の新マーケティング局長に、組織委のマーケティング活動を担う専任代理店電通スポーツ局の坂牧政彦氏(48)が就任することが14日、わかった。15日付。

 組織委は白紙撤回された旧エンブレム選考担当した同じく電通社員の槙英俊・前マーケティング局長との出向協定を今月2日に解除した。

 坂牧氏は、慶大法学部から90年に電通入社。五輪・パラリンピックのスポンサー獲得や、東京マラソンの立ち上げ、運営などを行った。」(http://www.asahi.com/articles/ASHBG4F5CHBGUTQP00R.html

2015-10-02 旧エンブレム策定過程の検証報告書について このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 2015年9月28日、東京五輪・パラリンピック競技大会組織委員会は「エンブレム委員会」の設置を発表する前に、森喜朗会長エンブレム問題について「国民のみなさまにご心配をかけたことをおわびしたい」と謝罪した。森会長によれば、「エンブレムのコンセプトの議論がないまま専門的なデザイン性を重視したこと」と「組織委員会内での策定作業が一部職員で行われ、十分なチェック機能が働かなかったこと」が問題だったという(『毎日新聞2015年9月29日朝刊)。

 そして組織委員会改革チームを設置すると同時に、武藤敏郎事務総長(月額20%を二ヵ月分)、布村幸彦副事務総長(月額10%を一ヵ月分)、佐藤広両副事務総長(月額10%を一ヵ月分)ら三名の報酬の自主返納と、組織委員会作成した資料写真無断使用があった件で槙英俊マーケティング局長の戒告処分を発表したのである(森会長は無報酬のため自主返納はできない)。

 重要なのは、これと同時に組織委員会が外部有識者意見を踏まえて作成したという「旧エンブレム策定過程検証報告書」が示されたことである。そして同報告書によれば、2014年9月公募発表前に槙英俊マーケティング局長の指示の下、永井一正審査委員長、高崎卓馬クリエイティブディレクターの連名でデザイナー8名に参加要請文書を事前に送付していたことが明らかになり、さらに旧エンブレム選定における上位3名(佐野研二郎原研哉葛西薫)は事前に要請した8名のなかに含まれていたことも判明したのである

 こうしたことから組織委員会は事前参加要請審査結果の関係について外部有識者による調査必要だとしている。またその他にも同報告書には「秘匿性を最優先し説明広報絶対的に不足」、「受賞歴を持つデザイナーに応募条件を限定」、「審査委員の過半数がデザイン関係者で偏りと受けとられた」、「インターネット画像検索技術進歩意識した対策が足りなかった」、「詳細な制作経緯の説明が遅れた」といった反省点が記されている(『毎日新聞2015年9月29日朝刊)。報告書の要旨は、以下の通りである

エンブレム策定過程検証報告 要旨(『東京新聞2015年9月29日朝刊)

 二〇二〇年東京五輪・パラリンピック競技大会組織委員会二十八日発表した旧エンブレム策定過程検証報告書の要旨は次の通り。 

エンブレムの考え方】エンブレム大会象徴、最重要アイテムであり、策定にあたってはデザインの高度な専門性と国際商標登録のための秘匿性を重視した。しかし策定を急ぐあまり基本的なコンセプトについて詰め切れず、また秘匿性を最優先したため、組織内部での情報共有、議論もされず、国民への広報も足りなかった。このため、国民の強い支持を得られず、類似デザインの存在もあり、取り下げという事態に至った。

【応募要件選考方法の枠組みづくりは組織委の担当局長招致の経緯やコンセプトを熟知した組織委クリエーティブ・ディレクターで行った。国内外トップデザイナーによるコンペとするため、定評あるデザイン賞の複数回受賞者による「条件付き一般公募」で行うことにした。このため、閉鎖的との批判を招いた。制度設計担当部局のみで行ったためであり、組織全体で検討すべきだった。

審査委員の選任】競争から質の高いものを選び抜こうと考え「わが国のグラフィック・デザイン界を代表する方」「一流のデザイナー」などの視点で人選を行った。しかし、多様な意見を反映させ、エンブレムを着用する選手などを加えるべきだった。担当部局が「デザイン的に優れたものを作る」という思いだけで走り、策定プロセスが開かれたものでなければ納得感が得られないことに、思いが至らなかった。

公募審査】秘匿性に注意を払い、ごく限られた人間しか審査過程に関与しないことにしたため、説明情報発信などが絶対的に不足し、透明性に欠けた。著作権問題が生じる可能性は低いかどうかなど、もっと考慮して審査すべきであった。担当局長判断で八名のデザイナーに事前に参加要請文を送付した。結果的に上位三名は、この八名に含まれていた。事前参加要請審査結果の関係は、民間有識者による調査必要

原案修正】当初は軽微な修正で済むと考えていたが、国際商標登録をとるための検討を重ねていくうちに、大きな変更となった。修正組織委クリエーティブ・ディレクター佐野研二郎氏に伝達し、修正佐野氏が行った。審査委員会役割組織委員会との関係を事前に詰め、審査委員会審査委員会として責任を果たせる体制をつくるべきであった。

【発表から取り下げに至る経緯】著作権侵害はないと確信し、法律的問題ないことを説明し続ければ国民の理解を得られると考えていた。ベルギーのデザイナーが起こしたIOCに対する訴訟への影響を考慮し、国民に制作経緯を説明するのが遅れた。第三者写真無断使用した会見用資料のチェックを怠るなど、著作権への認識が不足していた。

【まとめ】「国民に向き合って策定する」「著作権などについてクリアできる案を検討する」などの対応をとっていれば、取り下げには至らなかった。新エンブレムを国民参加で策定し、信頼回復に努める。国民に向き合った組織運営へと転換し、大会準備に全力を挙げる。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tokyo_olympic2020/list/CK2015092902000200.html

 組織委員会としては、旧エンブレム問題を(1)エンブレムの考え方、(2)応募要件、(3)審査委員の選任、(4)公募審査、(5)原案修正、(6)発表から取り下げに至る経緯、の六つに分けて示した形になっている。

 先とは別の整理をすれば、(1)エンブレムの考え方については基本的なコンセプトも決めずに秘匿性を最優先した点、(2)応募要件についてはマーケティング局長クリエイティブディレクターの二名で決定していた点、(3)審査委員の選任についてはグラフィックデザイナー中心になっていた点、(4)公募審査については八名のデザイナーに事前に参加要請文を送付していた点、(5)原案修正については審査委員会への報告が適切になされていなかった点、(6)発表から取り下げに至る経緯については対応の遅さと著作権認識が不足していた点である

 この時点で最も問題があると思われたのは、(4)公募審査の「八名のデザイナーに事前に参加要請文を送付していた点」である民間企業クライアント場合デザイナーを予め指定して「指名コンペ」を行うこともあるだろう。しかし組織委員会は公益法人であり、しかもエンブレム選考を「公募」を行うとしていた以上、それなりの公平性が求められる。

 もし参加要請文を送付した8名のデザイナーだけでコンペを行うのであれば、なぜにしてその8名なのかを組織委員会クライアントとして説明し、人びとに理解を求めればよい。しかし実際には公募として104点の応募があり、しかも上位3名は事前に参加要請した8名に含まれていた。こうなれば、審査そのものが疑われても仕方がない。組織委員会にはさらなる検証とその公開が求められる。

 振り返ってみれば、エンブレム問題原作者模倣の疑いが掛けられたことで始まったのであった。しかし、模倣の疑いを解こうと説明を重ねる過程において、組織委員会にも問題が少なくないことが明らかになってしまった形である

 これまでは応募する側のグラフィックデザイナーにだけ説明責任が求められてきた状態だったが、このような展開になれば組織委員会マーケティング局長及びクリエイティブディレクターにも説明責任が求められる。グラフィックデザイナー広告代理業がどのような関係にあるのかはこれまで殆ど明らかにされてこなかったが、今までの慣習と今回のエンブレムの件がどのように区別されていたのかはさらなる説明が求められるところだ。

 とりわけ今回処分を受けなかった「クリエイティブディレクター」とは、組織委員会でどのような役割を担っているのか。グラフィックデザインへの信頼を回復するためにも広告代理業の方には是非とも口を開いてもらいたい。

2015-10-01 五輪エンブレム委員会とコンセプト このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 2015年9月16日に発足した「東京2020エンブレム選考に向けた準備会」は、9月18日、21日、24日の三回の会合を経て、9月28日組織委員会理事会を経て「エンブレム委員会」を設置することになった。組織委員会によれば、「準備会では当初の目的としていた基本方針には踏み込まず、前回の失敗を踏まえた論点整理のみ」に留まり、宮田座長は「今回まとめた論点を、改めて委員会の委員と議論し、最終的なものにしていきたい」と語っていたので(http://www.sankei.com/sports/news/150924/spo1509240047-n1.html)、選考基本方針は今後のエンブレム委員会で決められていくことになる。9月28日に発表されたメンバー、ポイント、論点、コメントは以下の通りである

▼メンバー(2015年9月29日発表)

委員長]宮田亮平(東京藝術大学学長)、今中博之(社会福祉法人素王会理事長)、榎本了壱クリエイティブディレクター京都造形芸術大学客員教授)、王貞治(福岡ソフトバンクホークス株式会社取締役会長/一般財団法人世界少年野球推進財団理事長)、柏木博(武蔵野美術大学教授)、志賀俊之日産自動車株式会社取締役副会長)、杉山愛(スポーツコメンテーター/元プロテニス選手)、田口亜希(パラリンピック射撃日本代表/一般社団法人パラリンピアンズ協会理事)、但木敬一(弁護士/元検事総長)、田中里沙(「宣伝会議」取締役副社長編集室長)、夏野剛慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 特別招聘教授)、西崎芽衣(一般社団法人ならはみらい事務局立命館大学休学中))、長谷川祐子東京都現代美術館チーフキュレーター多摩美術大学教授)、林いづみ(桜坂法律事務所弁護士)、フミ・ササダ(株式会社ブラビス・インターナショナル 代表取締役社長)、松井冬子日本画家)、松下計(東京藝術大学教授)、マリ・クリスティーヌ(異文化コミュニケーター)、山本浩(法政大学スポーツ健康学部教授

2015年10月16日追加メンバー:勝井三雄グラフィックデザイナー)、中西元男(デザインコンサルタント/PAOSグループ(東京上海)代表)

▼今後の選考において踏まえるべきポイント

エンブレムの考え方:国民的行事エンブレムであることを強く意識して、エンブレムにどのような思いをこめるのか基本的なコンセプトを検討し、それを明確に伝える。

・応募要件:できる限り広く国民参加できる仕組みを用意する必要がある。一方で、応募数が非常に多くなることが考えられ、選考に係る時間コストについても考慮が必要。

審査方法プロセスについて、できる限り情報発信を行う必要がある。特に審査過程で国民が参加できるような手法検討したい。また、商標、著作権への対応や、ネット対応なども専門的観点から検討する必要がある。

エンブレムの考え方と応募要件について、検討すべき具体的な論点

エンブレムの考え方:基本的なコンセプトをどのようにするか、大会ビジョンとはどう結びつけるのかなどを検討する必要がある。

・応募要件:できるだけ広く応募できるようにするとして、年齢や国籍の要件をどうするか、応募期間や提出方法はどうするかなどを早急に検討しなければならない。

東京2020エンブレム委員会 宮田委員長コメント

今後発足するエンブレム委員会においては、本日理事会で了承された案をたたき台として、透明性の高い議論と手続のうちに、皆様に愛され、ときめきを共有し、世界に発信できるような新たなエンブレムを作っていきたいと考えております

https://tokyo2020.jp/jp/news/index.php?mode=page&id=1475

 なおここまでの経緯として、準備会は「新エンブレムを作るのが第一で検証けが目的ではない」という立場であり、「準備会として佐野氏や前回の審査委員会永井一正代表を呼んで聞き取りを行うことは否定」していた(http://www.nikkansports.com/general/news/1541912.html)。また旧案については、リエージュ劇場が国際オリンピック委員会(IOC)に使用差し止めを求めた訴えを9月21日に取り下げる方針を示した一方で、デザイナーのオリビエ・ドビ氏は訴訟を続ける方向であるhttp://www.nikkei.com/article/DGXLASDG22H2M_S5A920C1000000/)。

 さらに、組織委員会選考過程でいかなる役割果たしていたのかも『朝日新聞』(2015年9月28日朝刊)の取材で明らかにされ始めた。旧案の原案に対して「若干類似する作品が見つかった」という指摘だけではなく、「これはおかしい。日の丸を足元に置くなんて」という意見組織委員会の内部から出ていたようである。そして、これらを踏まえて作成された修正案に対して「躍動感がなくなった」と、森喜朗会長及び武藤敏郎事務総長が述べていたのである。そこで最終案が再度示されることになったのだが、こうした調整を行ったこと自体が組織委員会から審査委員会へ知らされていなかったというわけであるhttp://www.asahi.com/articles/ASH9W5Q3GH9WUTQP02L.html)。

 要するに、クライアントである組織委員会審査委員会役割を明確にしないまま選考を進めていた。だからこそ、「真剣検討し選んだものは、いちばん最初の原案であるので、ここについてはそのプロセスを経ていない」(平野敬子審査委員)という意見も出たわけである。最終的には平野敬子を除く7名の審査委員が承諾することで旧案の決定に至るわけだが、原案から最終案に至るまでの手続きに不備があったと言わざるをえない形である

 ここまでを踏まえ、9月29日に第1回エンブレム委員会が開催された。旧エンブレムでは組織委員会が応募要項策定と審査委員の選任を行い、審査委員会が条件付き公募(デザイン賞を複数受賞したデザイナーが対象)によって審査(104点)を行っていたが、新エンブレムではエンブレム委員会が「再選考準備会」→「エンブレム委員の選出」→「基本コンセプト、応募要項、審査方法の策定」→「幅広く募集」→「審査」という流れを管理することになる(『東京新聞2015年9月30日)。組織委員会としては、クライアントとしての態度を明確にすることもエンブレム委員会役割組み込み、そのニーズに適ったデザインを選考するという形になっている。現時点では、10月中旬から公募を始め、2016年春には新エンブレムを決定することが目指されている。

 なお、組織委員会は「エンブレム選考特設ページ #東京2020エンブレム」(https://tokyo2020.jp/jp/emblem-selection/)を設け、そのなかで「エンブレムの選定に関するアンケート」(2015年9月29日10月4日https://www.facebook.com/tokyo2020.jp/posts/878859008871404)を実施し始めた。「アンケート結果は、エンブレム委員会に提出いたします」と書かれた質問内容は、以下の通りである

【みなさまの声をお聞かせください】

 第1回エンブレム委員会において、エンブレムに込めるべき想いについて議論を行いました。その基本となる東京2020大会の“大会ビジョン”は以下の画像にある通りです。この“3つの基本コンセプト”のうち、大会エンブレムイメージとして、どれが最もふさわしいと思いますか?クリックまたはタップでお答えください。

アンケート期間:2015年9月29日(火)〜10月4日(日)

アンケート結果は、エンブレム委員会に提出いたします

スポーツには世界未来を変える力がある。1964年東京大会は日本を大きく変えた。2020年東京大会は「すべての人が自己ベストを目指し(全員が自己ベスト)」、「一人ひとりが互いを認め合い(多様性調和)」、「そして、未来につなげよう(未来への継承)」を3つの基本コンセプトとし、史上最もイノベーティブで世界ポジティブな改革をもたらす大会とする」

1.「全員が自己ベスト

2.「多様性調和

3.「未来への継承

https://www.facebook.com/tokyo2020.jp/posts/878859008871404

 先にも述べたように、組織委員会は「基本コンセプト」の策定もエンブレム委員会に委ねている。だから、このようなアンケートも行われる。しかし、組織委員会クライアントとしてコンセプトを決められないようでは困る(笑)

 組織委員会クライアントとしての態度を明確にするためには、コンセプトに対しての説明責任を引き受ける必要がある。というのも、そもそもオリンピック・パラリンピックの主催者組織委員会は名を連ねているかである。したがって、クライアント組織委員会としてコンセプトを明確にし、その上で市民も含めた広い公募を行い、応募者はクライアント組織委員会が示したコンセプトにどう応えたのかという「もっともらしさ」を説明し、競えばよい。またエンブレム委員会の多様な顔ぶれは、ここでの「もっともらしさ」を複数案にまで絞り込むために活用すればよい。というか、そこまでしかできないと思う。

 もっと市民参加が必要ならば、その次のタイミングであるクライアント組織委員会が示したコンセプトが明確であり、それに対応した応募案をエンブレム委員会が絞り込み、複数の「もっともらしさ」のなかから市民投票をした上で、クライアント組織委員会が最終決定を行う。これで最善のデザインが選ばれるとはとても思えないのだが、旧エンブレムのように専門家に全てを委ねるのではなく、新エンブレム市民参加の回路を組み込もうとすれば、このようなやり方にもなる。

 『クローズアップ現代』(2015年9月3日)に出演した時に、「どこまでを専門性として認めるかをみんなで考えていくのが重要」と話した。このように言うのは簡単なのだ(笑)、どの水準でどのように市民が関わるのかはその都度考えていかなくてはならない。新エンブレムに関していえば、応募者としての水準と投票者としての水準なのだと思う。

 現在のところ、組織委員会エンブレム委員会にコンセプトの設定を委ねている。しかし、コンセプトの設定はクライアントである組織委員会で行うものではないか。新エンブレム委員会選考の進行管理に徹し、最終決定はクライアント組織委員会で行ってほしい。批判やあら探しに耐えうる新エンブレムを選ぶためには、コンセプトを明確に定めたクライアント組織委員会責任を持って応募者を守れないとダメからである落選者が「めっちゃ悔しい!」と思える公募結果になった時、クライアント組織委員会は旧案の失敗を少しだけ乗り越えることができるのだと思う。

 もちろん、エンブレム委員会組織委員会の一部として考えるか、それとも組織委員会とは切り離してエンブレム委員会役割を考えるかで見解が分かれるところである。私としては後者で考えている。オリンピック・パラリンピック開催に賛成であれ反対であれ、そこそこまともな手続きエンブレムのデザインが選定されてほしいと思う。

---

追記

10月5日に第2回アンケートが公開され、今度は評価基準が尋ねられた。

【みなさまの声をお聞かせください】

 第1回目のアンケートにお答えいただいたみなさんありがとうございました!続いて次の質問です。東京2020大会エンブレム選考にあたって最も大事なことは、次のうちどれだと思いますか?クリックまたはタップ投票ください。なお、投票の結果はエンブレム委員会での議論の参考にさせていただきます

アンケート期間:2015年10月2日(金)〜10月8日(木)

(1)東京2020大会シンボルになること

(2)デザインとして優れていること

(3)オリジナリティにあふれ、個性的であること(独創性

(4)多くの人に共感してもらえること

https://www.facebook.com/tokyo2020.jp/posts/880051458752159

10月16日に第3回エンブレム委員会が開催され、公募スケジュール公募要項が公開された。

2015年10月16日:応募要項公表

2015年10月中:応募サイト概要公開

2015年11月24日 正午:募集受付開始

2015年12月7日 正午:募集受付終了

https://tokyo2020.jp/jp/emblem-selection/

11月30日に第6回エンブレム委員会が開催され、以下の方針が示された。

 11月30日、第6回のエンブレム委員会を開催しました。今回は、デザインのチェック方法と年明けのエンブレム委員会での選考方法について議論をいたしました。

 デザインのチェックはエンブレム委員会のメンバー(※1)に加え、エンブレム委員以外のデザイナーの方々と実施ます。1作品ごとにモニターに映し、一定レベルの評価を得た作品が次の選考に進みます。一度審査が済んだ作品を見直して再検討するステップ実施することにしました。さらに審査の透明性を高めるために、すでに実施している文書による選考方法の公開に加え、映像なども含めたプロセスの共有のあり方(※2)についても議論致しました。丁寧でフェアな選考に向けた様々な施策について活発な意見が交換されました。今後、各選考段階での通過作品数についても適宜公開する予定です。

 また、来年の1月7〜9日での実施が決まったエンブレム委員会での本審査基本方針(※3)も決まりました。この審査で絞り込まれた作品が、国際オリンピック委員会による国際商標調査に進む予定です。

 次回の委員会では、国際商標調査に関する確認や国民参加の方向性などについて引き続き議論を行います

※1 デザインのチェック参加予定メンバー(50音順)

今中博之、榎本了壱柏木博、勝井三雄田口亜季、但木敬一田中里沙中西元男、夏野剛長谷川祐子、フミ・ササダ、松井冬子松下

エンブレム委員会メンバー以外の審査メンバーについては確定次第、本Webサイトに掲載いたします。 →第7回エンブレム委員会の後に公開

※2 審査プロセスの共有のあり方

実施方法については、確定次第、本Webサイトに掲載いたします

※3 エンブレム委員会での本審査基本方針

・十分な審査時間を確保するために、形式審査、デザイン審査を経た100〜200作品程度を対象とする。

・応募作品は紙媒体審査を行う。

エンブレムデザイン案、デザイン展開案、作品タイトル、コンセプトをあわせて評価する。

・全エンブレム委員が参加し、投票・議論を行い、商標調査を行う作品を選考する。

https://tokyo2020.jp/jp/news/index.php?mode=page&id=1556

2015年12月8日に第7回エンブレム委員会が開催され、以下が報告された。

 12月8日、第7回のエンブレム委員会を開催しました。会の冒頭に、前日に締め切ったデザイン募集の結果14,599作品(※1)という多くの応募があったことが報告されました。また、2段階で行われるデザインチェックにおける審査風景の一部をライブ配信(※2)することも決定しました。今回の主な議題として、年明けのエンブレム委員会での本審査選考方法について最終議論をいたしました。3日間をかけて段階的に投票と議論を繰り返し、商標調査(※3)に進める作品を絞り込みますエンブレム委員会メンバー全員が多様な視点審査をいたします

 さらに、国民参画のあり方についても議論。具体的な実施方法の議論の前提として、参加の公正性に関する議論(※4)をふまえ、候補作品への意見を募る方向で意見交換がなされました。また、商標調査と作品公開のタイミング(※5)や類似著作物に対する考え方(※6)についても共有いたしました。具体的な国民参画の実施方法は引き続き議論することとなりました。

 次回のエンブレム委員会は本審査を行う来年の1月7〜9日です。年内に完了予定の形式チェックやデザインチェックの経過報告については、12月下旬に当サイトでご報告の予定です。

※1 デザイン募集の結果について

■ 応募数総計 14,599件 (詳細は省略)

※2 デザインチェックの審査風景の一部ライブ配信について

・配信方法スケジュールについては、近日中にエンブレム選考特設ページで発表します

 あわせて審査方法審査員の紹介などの動画コンテンツも公開予定です。

※3 商標調査について

エンブレム国内外商標登録可能かの調査については、一定期間を要することから、複数の候補作品に対する調査を平行して行う必要があること。

・商標調査には一定費用と期間を要するため、多数の作品を調査にかけることは困難。1月9日エンブレム委員会審査で、商標調査に進める候補作品を絞り込む予定。

※4 参加の公正性についての議論ポイント

エンブレム委員会が公式に国民参画による審査を行う場合は、公正な参加が担保される方法実施すべき。例えば、厳密に1人1票が守られないならば、人気投票のような直接的な参加方法実施すべきではないのではないか。

・候補作品を公開して作品への意見を広く募集することは、参画の機会であるとともに、エンブレム委員会の最終選考にも反映できるため大変意義深い。

※5 国民参加に必要な候補作品を公開するタイミングについて

・法的な観点から、候補作品を公開するタイミングは、商標調査をクリアし、商標登録出願が完了した後になること。

※6 類似著作物に対する考え方について

著作権は、商標権のように行政庁への登録を必要とすることなく権利が発生するため、類似しているものがあるかどうかをあらかじめ完全に調べる方法存在しないこと。

著作権とは著作物を無断で模倣コピーされない権利であって、偶然類似している場合には著作権侵害とはならないこと。

・よって、仮に採用作品と偶然に類似したもの発見されたからといって、直ちに著作権侵害となるわけではないこと。

・応募者は、応募にあたり、第三者著作権等を侵害していないことを確約してエントリーしていること。

・応募要項において、制作過程情報スケッチデッサン等を確認することがありうる旨を伝達しており、採用候補作品の決定後において、必要に応じてこれらを取り寄せることも考えられること。

https://tokyo2020.jp/jp/news/index.php?mode=page&id=1561

・また2015年12月8日に第7回エンブレム委員会開催後に、エンブレム委員会メンバー以外の審査メンバーが公開されました。

審査員一覧

・委員

松下計(東京藝術大学教授)、フミ・ササダ(株式会社ブラビス・インターナショナル 代表取締役社長)、夏野剛慶応義塾大学大学院 政策・メディア研究科 特別招聘教授)、榎本了壱クリエイティブディレクター京都造形芸術大学客員教授)、柏木博(武蔵野美術大学教授)、中西元男(デザインコンサルタント/PAOSグループ(東京上海)代表)、勝井三雄グラフィックデザイナー/勝井デザイン事務所代表)

審査員

青木克憲クリエイティブディレクター)、天野幾雄(アートディレクターグラフィックデザイナー)、岩上孝二(グラフィックデザイナー崇城大学芸術学部教授)、カイシトモヤ (アートディレクター)、鎌田順也(アートディレクターグラフィックデザイナー)、河北秀也(アートディレクター)、工藤強勝(グラフィックデザイナー)、左合ひとみグラフィックデザイナー)、高橋善丸(グラフィックデザイナー大阪芸術大学教授)、寺島賢幸(アートディレクター)、中島祥文(アートディレクター)、はせがわさとし(株式会社D-NET&SDC project代表)、増永明子(アートディレクターデザイナー)、宮田裕美詠(グラフィックデザイナー)、森重正治(アートディレクターグラフィックデザイナー、有限会社アドボックス 代表取締役)、山形季央(多摩美術大学グラフィックデザイン学科教授)、加藤芳夫(公益社団法人日本パッケージデザイン協会理事長)、田川雅一(公益社団法人日本パッケージデザイン協会理事、株式会社ベネディクト 代表取締役社長)、宮崎桂(公益社団法人日本サインデザイン協会副会長、株式会社KMD代表取締役)、金田享子(公益社団法人日本サインデザイン協会常任理事アトリエ景株式会社代表取締役)

https://tokyo2020.jp/jp/emblem-selection/

審査の進め方がまとめられました。

(1)形式要件のチェック(対象は14599点、通過作品は10,666点)

事務局の職員総勢110名で、応募要項に記載の制作条件のうち、基本的な項目を満たしているか確認を行いました。

形式要件のチェック,鯆眠瓩靴榛酩覆砲弔い董∨‥な観点から簡易確認を行いました。

(2)デザインのチェック 12月15日より審査開始、対象は10666件、通過作品は311点)

 形式要件のチェック△泙任鯆眠瓩靴榛酩覆砲弔い董⊂人数複数のグループで、デザイン的な視点から審査ます。※12月15日(火)8:45から10:15まで審査風景の一部をライブ配信する予定です(音声は一部を除き一切配信することができません)。

(3)デザインのチェック◆12月21日より審査開始、対象は311点、通過作品は64点)

 デザインのチェック,鯆眠瓩靴榛酩覆砲弔い董大人数1グループで、デザイン的な視点から審査ます

(4)エンブレム委員会での審査2016年1月7日〜9日に審査、対象は64点)

 3日間をかけて段階的に投票と議論を繰り返し、商標調査に進める作品を絞り込みます

エンブレム委員会メンバー全員が多様な視点審査ます

https://tokyo2020.jp/jp/emblem-selection/

2015-09-16 五輪エンブレムの準備会について このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 2015年9月1日に取り下げられた東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムは、組織委員会に「東京2020エンブレム委員会仮称)を設置するための準備会」を設置し、「新たなエンブレム選定のための東京2020エンブレム委員会仮称)のメンバー選定、旧エンブレム選定に関しての問題点の把握、その結果を踏まえた新たなエンブレム選定の基本方針の決定」を行うことになり、9月16日準備会のメンバー六名座長によるコメントが以下のように発表された。

▼メンバー

・宮田亮平:東京藝術大学 学長座長

・杉山愛:スポーツコメンテーター/元プロテニス選手

但木敬一:弁護士/元検事総長

夏野剛慶應義塾大学大学院政策メディア研究科 特別招聘教授

・マリ・クリスティーヌ:異文化コミュニケーター

・山本浩:法政大学スポーツ健康学部 教授/元NHKアナウンサー・解説委員

座長コメント

 東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムに関しては、非常に国民的にも関心の高いものとなっており、新たなエンブレムの策定に向けた準備会座長就任することは重責ではありますが、光栄でもあります

 私としては、2020年オリンピック・パラリンピックが日本全国で盛り上がるために、できるだけたくさんの方に参画いただきながら、国民の皆様に愛され、ときめきを共有できるエンブレムを作ることを目指していくよう努めてまいりますので、ご支援よろしくお願いいたします

https://tokyo2020.jp/jp/news/index.php?mode=page&id=1459

 なおここまでの経緯としては、組織委員会理事会の決議を経ずにエンブレムを取り下げたことを問題視する発言が、9月7日の日本オリンピック委員会(JOC)の理事会であがっていた(http://www.asahi.com/articles/ASH9765SXH97UTQP02M.html)。また9月11日には組織委員会自体エンブレムの使用例として制作した画像8点のうち写真3点に画像無断使用があったことが判明し(http://www.asahi.com/articles/ASH9C6VQ9H9CUTQP02P.html)、さらに9月14日にはもう1点(合計4点)の無断使用が判明していた(http://mainichi.jp/sports/news/20150915k0000m040076000c.html)。こうしたなかで、組織委員会では「最終候補に残った数点を公表し、国民の意見を聞いたうえで最終決定する選考方法検討している」という報道も出ており(http://www.asahi.com/articles/ASH9864ZRH98UTQP033.html)、ようやく準備会の設置に至った状態である

 本稿はこれまでの展開を踏まえつつ、ここまでに考えたことをメモしたものである

(1)21世紀になってからは地方公共団体におけるマスコットキャラクターの選定などで市民参加の経験が積み重ねられているので、その関係者ヒアリングなどを行い、市民と行政とデザイナー関係をどのように調停し、またそのこと自体をどのように市民説明したのかを丁寧に調査しながら、新しいエンブレムの選定に向けて「市民の関わり方」を複数抽出することが可能ではないだろうか。そして、この複数の「市民の関わり方」のなかからどれをどのような理由で選択したのかを適切に説明すれば、少なくともこれまでよりは手続きの透明化が進んだようには見える。この路線でいけば「市民参加」の側面が目立つようにはなるが、専門性では評価の難しいデザインが選ばれることもある。

(2)エンブレムの選定とマスコットキャラクターの選定は区別する必要があるが、デザイナーの関わり方もいくつかの選択肢がありえる。エンブレムにおいてグラフィックデザイン専門性を重視する場合は、古くから印刷技術に親しんでいる世代とデジタルメディアにも親しんでいる世代の違いを踏まえる必要がある。またエンブレムの「展開力」を重視するなら、映像ウェブ空間において何をどのように評価しているのかを適切に説明する必要もある。

 組織委員会クライアントとしてのニーズもっと明確にし、それに適ったデザインを採用するのがもっともらしい。言い方を変えれば、審査委員会及び応募デザイナーに「丸投げ」したような形にはしないでほしい。取り下げ案のように「専門家」と「一般国民」という区別を強調するのではなく、デザイナーによる提案クライアントとしての要望をどのように満たしていたのかという説明を尽くしてほしい。

 「クライアントありきのデザインにおいては原作と最終案は調整のなかで変わることもあり、コンセプトもそのなかで最終決定される」と設定しておけば、ある程度の自由度も保たれる。この路線でいけば「専門家」の側面が目立つことになるが、クライアント説明を尽くすことで批判やあら探しに耐えうる、そして後世の人から評価されるデザインが選ばれることもある。

(3)クライアントとしての態度はもっと明確にしてほしい。そもそも商用利用を前提にしていることを適切に説明し、それに対してどのような批判があっても、そういう前提でクライアントとしてどのようなニーズを持っており、その条件を踏まえたデザイナーによる提案を引き出す形にすれば今までよりもわかりやすいのではないか。

 アートとデザインの違いを混同されないためにもクライアントありきのデザインにおいては原案から最終案までにデザインやコンセプトが調整されうることを認め、そのつど説明を尽くせばよい。絶対批判されないデザインはないので、見た目の印象論に寄り切られない説明が求められる。

(4)『クローズアップ現代』(2015年9月3日http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3700.html)で「どこまでを専門性として認めるかをみんなで考えていく」と述べたが、みんなが専門性をそれなりに尊重する社会であってほしい。そのためにもクライアントはしっかり説明責任を果たすと同時にデザイナーを選んだことにも責任をもって対応してほしい。

 そのためにも、決定案だけを見せるのではなく、決定案に至るまでの候補を複数公開し、「どのような理由でほかでもなくこの選考方法にし、またこの決定案にしたのか」の説明を尽くすことが、専門性へそれなりに配慮をした市民への公開になるとは思う。また前案を取り下げるにいたった経緯とそれに対する見解公式ホームページで適切に公開したほうが、信頼度は上がると考える。「失敗」への対応を褒めてもらえるようにすることが、今後の第一歩ではないだろうか。

2015-09-07 エンブレム問題への見解のまとめ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 2015年8月28日に東京オリンピック・パラリンピック組織委員会によってエンブレム選考過程説明があり、9月1日にはエンブレム使用中止に関する記者会見があった。28日の説明審査委員代表である永井一正氏が「審査過程公表したほうがいい」(『朝日新聞2015年8月26日)と述べたのを受けた形になっているが、そこで公表されたエンブレムの展開例の写真及び最終案とは異なる原案インターネット上で再び「パクリ探し」の対象となり、その三日後にエンブレム使用中止が発表されることになった。

 また、8月26日の時点で永井氏は「微修正を、大会組織委員会の依頼で何度か施した。審査委員修正過程は伝わっていないが、皆さん最終案を承認したはずだ」(『朝日新聞2015年8月26日)と述べていたのだが、そのこと自体9月3日NHKによる取材再確認され、エンブレム原案決定後は組織委員会原作者の間で修正を繰り返し、審査委員会は発表一週間前に最終案を知らされていたことが明らかになった。エンブレム白紙撤回を受け、再公募では「過程を公開して一つ一つの作業理解してもらう形で進めていく」方向が探られようとしている(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150904/k10010215901000.html)。

 ここに至るまでの見解は、以下で公表した通りである。本稿では、その過程で気づいたことをメモしたものである

・「グラフィックデザイン模倣歴史的関係亀倉雄策佐野研二郎」(2015年7月30日

http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150730

・「デザインは言葉である:東京五輪エンブレム佐野研二郎」(2015年8月5日

http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150805

・「アートディレクター佐野研二郎」(2015年8月15日

http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150815

・【ラジオ出演】「東京五輪エンブレム問題。その本質を考える?」(2015年8月18日TBSラジオ『Session-22』)

http://www.tbsradio.jp/ss954/2015/08/20150818-1.html

・【記事コメント】「「酷似ネット次々追跡」『朝日新聞』(2015年9月2日朝刊)

http://www.asahi.com/articles/DA3S11943116.html

・【記事コメント】「Net critics central to Olympics logo scandal」『The Japan Times』(2015年9月3日

http://www.japantimes.co.jp/news/2015/09/02/national/olympics-logo-scandal-highlights-power-of-the-internet-critic/#.Ver5WM4fNjc

・【テレビ出演】「東京五輪エンブレム白紙撤回”の衝撃」『クローズアップ現代』(2015年9月3日NHK

http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3700.html

・【寄稿】「市民参加への道を探ろう」『毎日新聞』(2015年9月4日朝刊)

http://mainichi.jp/shimen/news/20150904ddm004070017000c.html

---

・【記事コメント】「現代デザイン考:五輪エンブレム問題/1 亀倉雄策の“呪縛”」『毎日新聞』(2015年10月27日夕刊)

http://mainichi.jp/shimen/news/20151027dde018040061000c.html

・【対談】河尻亨一+加島卓「五輪エンブレム問題根底には「異なるオリンピック観の衝突」があった:あの騒動は何だったのか?」『現代ビジネス』(2015年12月28日

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47099

・【対談】河尻亨一+加島卓「「五輪エンブレム調査報告書専門家たちはこう読んだ〜出来レースではなかった…その結論、信じていいのか?」『現代ビジネス』(2015年12月29日

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47141

・【対談】河尻亨一+加島卓「デザイナーアーティストに変えた広告業界の罪〜日本のデザインはこれからどうなる?:五輪エンブレム騒動から考える」(2015年12月30日

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47191

※被引用記事増田聡「オリジナリティと表現現在地──東京オリンピックエンブレム、TPP知的財産条項から考える」

http://10plus1.jp/monthly/2016/01/issue-03.php

(1)TBSラジオ『Session-22』に主演した時は弁護士の福井健策さんと一緒だったので、法的な説明は福井さんにお願いし、私はデザインに関する説明アートディレクターグラフィックデザイナーの違い、デザインにおける責任所在インターネット以前と以後のデザインへの批判の違い)に徹するように努めた。事前の打ち合わせでは著作権、商標権、意匠権の違いを説明してもらえると大変助かるとお願いし、番組のなかでは著作権と商標権の違いを説明してもらう形になった。著作権侵害としての「パクリ探し」が行われていた状態だったが、オリジナリティを主張するアートとは異なり、クライアントありきのデザインに著作権法がどこまでどのように適用されうるのかを見極める必要があると考えたからである

 シンボルマークなどのグラフィックデザインクライアント側で登録する商標権と関連付けられてきた。しかし、原作者デザイナー)のオリジナリティが著作権の水準で語られることはこれまで多くはなかった(知恵蔵裁判やフォントの事例など)。現在のところ、福井さんは「一つは対象マーク、つまり劇場ロゴ著作物にあたること、二つ目は今回のエンブレムロゴ実質的類似していること、三つ目は佐野さん側が劇場ロゴを見たことがあること。この三つがすべてそろわないと著作権侵害は成立しません。さらに、三つの立証責任はすべて訴えたベルギー側にあります」との見解を示している(http://mainichi.jp/premier/business/entry/index.html?id=20150904biz00m010047000c)。

(2)8月28日の組織委員会による説明は、エンブレム選考過程をかなり具体的に明らかにしたものだった。このような展開にならざるを得なかった今回の事情があるとはいえ、何事もなければ最終案しか知らされなかったであろう私たちが、7月24日の発表に加えて、8月5日の原作者によるデザインの説明、8月28日の選考過程の具体的な説明まで知れるようになったのは、少なくとも今までなかったことであり、結果的には透明度が上がったと考えることもできる。

 選考過程の具体的な説明は、グラフィックデザイン業界的における「いつものメンバー、いつものやり方」を改めて浮上させることになった。その結果として、「いつものメンバー、いつものやり方」の恩恵を受けてきたデザイナーとその恩恵を受けてこなかったデザイナーとでは、今回の事態に対して異なる反応が可能になっているように見えた。

 また、原案修正案と最終案の違いが判別できるようになり、原作者によるデザインの説明が最終案にしか対応していないようにも見え始めた。現時点で原案のコンセプトは公表されてなく、原案に対しては視覚的な印象論を述べるしかない状態である。「クライアントありきのデザインにおいては原作と最終案は調整のなかで変わることもあり、コンセプトもそのなかで最終決定される」と組織委員会説明すれば、もう少し別の見え方が可能だったのかもしれない。

 組織委員会及び審査委員会エンブレムの「展開力」を評価したと説明していたが、「評価の高い展開力」と「評価の低い展開力」の違いを示されたわけではないので、現時点でもあのエンブレムの「展開力」をどのように評価すればよいのかは十分に定められていないように思う。また修正案に対して「躍動感が少なくなってしまった」という意見も出たようだが、これについても「躍動感が多い状態」と「躍動感が少ない状態」の区別が示されなかったので、十分な説明にはなっていなかったように思う。

 さらに、1964年東京五輪のシンボルマーク1972年札幌五輪のシンボルマークの隣に2020年東京五輪のエンブレムが並べられたことで、1998年長野五輪のシンボルマークの位置づけがよくわからなくなった。組織委員会説明によれば、1998年長野五輪では広告代理店によるコンペが行われ、米国のランドアソシエーツ社が作成したシンボルマークが選ばれている。2020年東京五輪のエンブレムにおける亀倉雄策氏へのやや過剰な関連付けは、こうした1998年長野五輪のシンボルマークの「不可視化」とセットになっているようにも見えた。グラフィックデザイナー広告代理店関係がどのようなものなのかは、なかなか見えてこない。

(3)9月1日の記者会見では、「専門家判断」と「一般国民理解」の区別がやや強調されすぎたように見えた。原案のコンセプトが公表されていれば、それが最終案に向けて調整されていく過程説明を通じて、先行してしまった視覚的な印象論をある程度は抑えることができたのかもしれない。もちろんコンセプトがあれば安心というわけではない。同じデザインに複数のコンセプトを与えることは可能であり、コンセプト次第で見え方が変わることもある。そもそもデザインとはそんなものであり、それを『クローズアップ現代』(2015年9月3日NHK)では「面白いですよね〜」と表現したのである

 また「国民の支持が得られない」ということも語られたが、その調査データが示されたわけではなかった。質疑応答でもこの点が聞かれていたが、組織委員会は「誰なのかといっても答えはない」とした上で、「さまざまなメディアを通じ、あるいはそれ以外のものを通じて、出てきた意見というもの総合的に判断」したという。7月末から8月末にかけてインターネット上で「パクリ探し」が話題となり、それを各種メディアが取り上げていたことは事実だと思うのが、こうした状態を「国民の理解」として判定する材料が示されたわけではない。事態が急展開するなかで対応に難しい点も多々あったと思うが、説明の適切さとしては不十分だったように思う。

(4)『朝日新聞』の記者から質問は、「エンブレムをめぐる今回の騒動の原因は何か」と「デザイン業界一般市民の感じ方の違いをどのように理解するのか」だった。実際に記事になったのは、「専門家のデザインで満足するより、ゆるキャラのように、隙のあるデザインを応援して育てるのがネットが発達した今の市民参加型社会。皆が参加したということも価値を持ち、専門家にとっては厳しい時代だ」という部分だが(「「酷似ネット次々追跡」『朝日新聞2015年9月2日朝刊)、最初はこの三倍程度の分量が予定されていた(笑)

 記事に「デザイナーは裏方的な存在で、業界内での評価が重んじられてきたとされる」と書かれた部分は、こちらへの取材を踏まえた記者が書いたものである私自身はそのような表現を好まないので、コメントとは別枠の扱いになった。クライアントありきのデザインをアート区別するのが重要だと考えていたのだが、「裏方的な存在」や「業界内での評価」という表現はどうしうても自分発言として認めることができなかった。インターネット版では、「多様な価値観が表れるネット世論は、良いデザインを皆で褒めるよりも、だめなデザインを探す方向に進みやすく、業界評価限界が出てきた」という文章が先のコメントの前に加えられている。取材では「専門家」という用語で一貫させていたのだが、記事では「業界」と読み替えられることになってしまった。

(5)NHK『クローズアップ現代』は8月末から取材協力をしており、「今回の騒動の受け止め」「パクリ批判への拡散」「背景にある業界構造」「デザインの評価の変遷」「今回の問題の影響」などが質問されていた。その時点ではどのタイミングで放送するのかの見極めが難しく、どのような番組になるのか想像もつかなかった。9月3日放送するのが前日の午前中に決まってからは急展開で、「組織委員会対応への評価」「ネット上での批判が高まった理由」「これからの送り手と受け手に求められる姿勢」「この先の対応への見解」などが求められていた。

 衝撃的だったのは、放送直前に「スクープ」(エンブレム原案決定後は組織委員会原作者の間で修正を繰り返し、審査委員会は発表一週間前に最終案を知らされていたこと)が明らかになったことだった。これによって用意していた想定問答は見事に崩壊し(涙)、番組冒頭のビデオを受けたスタジオの最初の場面では、国谷裕子さんの投げかけに対してズレた応答をすることになった。リアルタイムで進行する事態生放送で伝えるとは「こういうことなのか!」と思わされた瞬間だったのだが、インターネット上での実況では「?」が連発していたようである(笑)

 国谷さんとの事前打ち合わせで、「同じデザインでも、コンセプト次第で見え方が変わる」という話が良さそうですねと決まった。今回の事態をそのように理解したくない方々には「意味不明」だったのかもしれないが、一ヶ月以上も緊張が続いてきたなかで、別なる理解の可能性を示すことは社会学的にとても重要だと考えていた。それを「面白いですよね〜」と表現したのである。今回の事態に対して、「炎上」とは異なる関わり方がありえるかもしれないことを示すのはとても重要だと考えていた。

 また、二回目のスタジオに戻る直前に「デザインとアートの違いを強調してから、今後のお話をしましょう」と国谷さんと決めた。「役割としてはデザイナー、見え方としてはアーティスト」という理解の仕方をどのように解除するのかは、この一連の騒動でとても苦労したところであるデザイナーが「アートディレクター」と名乗ったりすることもあるので、一般的にはわかりにくい。クライアントありきのデザインはニーズに応えられているかどうかが評価ポイントであり、それはアートにおける作者の独創性とは異なると何度も説明しているのだが、しばしば混同されてしまう点である

 為末大さんとの共演は、結果的にうまくいったと思う。「専門家判断だけでなく、市民参加による民主的な選択という方法も増えたと理解したい」とこちらが話したところで、彼が「五十年もつデザインを」と合いの手を入れてくれたので、私たち現在どのような課題を抱えているのがわかりやすくなったと思う。専門性を強くとれば「もっと亀倉雄策に近づこう!」と言えるかもしれないし、市民参加を採用すれば「もう亀倉雄策は忘れよう!」という方向にも動き出せる。どちらであれ適切な説明が与えられれば、それなりに「もっともらしさ」を与えたことにはなるし、そもそも絶対批判されないデザインなんて存在しない社会になったと思う。

 さすがに放送で話すことはできなかったが、今回の事態は次のような複雑さを明らかにしてくれたようにも思う。一つには、デザインを視覚的な水準で評価するのか、それともコンセプトとの対応評価するのかという問題系があること。二つには、その評価専門家で行うのか、それとも市民参加で行うのかという問題系があること。今回の「パクリ探し」は視覚的な水準での評価市民参加によって行われたものであり、原作者による反論はコンセプトとの対応専門家によって評価されたものである。このような複雑さが見えにくいまま、28日の会見では「専門家判断」と「一般国民理解」と表現されたのではないだろうか。

 『クローズアップ現代』をなんとか乗り切れたのは、「市民参加への道を探ろう」という『毎日新聞』(2015年9月4日朝刊)の原稿を既に書き上げていたからである。この一週間で考えたことのまとめでもあるので、本稿の最後にこれを転載しておく。

 「五輪エンブレム使用中止と再公募が決定された。そもそも新国立競技場のデザインや観光ボランティアのユニフォームが話題になっていたので、エンブレム原作者が誰であっても大騒ぎになる条件は整っていたといえる。これに加えて模倣の疑いをかけられ、「デザインとしての評価対象から「パクリ探しの対象」へと見え方が変わり、誰でも大騒ぎできるようになった。その結果、エンブレムへの視覚的な反応とデザイナーによるコンセプトの対立関係が浮上した。

 グラフィックデザイン模倣に対する批判は、一九五〇年代からあった。六〇年代にはデザイナーを目指す学生が増え、業界誌読者投稿欄で「元ネタ探し」が行われ、それに対する反論掲載されることもあった。現在のように視覚的な類似性だけを捉えた批判が増えたのは、企業がシンボルマーク制作するようになってからである。一九七〇年の大阪万博シンボルマークも、選考のやり直しが行われている。

 こうした歴史的経緯の上にインターネットが登場し、専門家でなくてもデザインを批判できるようになった。二〇〇六年には私立大学ロゴマーク話題となり、二〇〇八年には奈良県平城遷都一三〇〇年祭の公式マスコットせんとくん」のデザインをめぐって議論が沸騰した。こうして、インターネットはデザインを社会的にチェックする機能を担うようにもなってきた。

 その結果として、「みんなが褒めるデザインを探す」というよりも「突っ込みを入れやすいデザインを探す」という傾向が生まれた。「ゆるキャラブームもその一つだ。「未熟さ」や「緩さ」があればみんなで応援することができ、それによって行政への市民参加も達成したことにできる。その意味で、専門家による洗練されたデザインでは満足できなくなり、隙間のあるデザインをみんなで応援しながら盛り上がる社会になったと考える。

 九月一日の会見では専門家一般市民区別が強調された。デザインは商品の売上とは別に専門的な評価基準をそれなりに積み重ねてきたが、そのこと自体市民には見えにくかったのかもしれない。したがって公共的な仕事を行う場合デザイナー市民への説明責任が今まで以上に求められ、また市民デザイナーによる説明もっと耳を澄ます必要がある。コンセプト次第で、デザインの見え方が変わることもある。

 ひとりひとりの意見が今までより見えやすくなった市民参加型社会では、専門家のあり方及びデザインの評価をめぐる合意形成が難しい。専門家を重視すれば、批判に耐えうるデザインが必要になる。市民参加を重視すれば、専門性では評価できないデザインが選ばれることもある。今回の件は「専門家ネット」という構図ではなく、デザインに対する評価方法が一つから二つに増えたと理解したほうがよい。他方で、「パクリ探し」以外の盛り上がり方を見つけられれば、市民参加型社会のデザインはもっと面白くなると思う。」

・加島卓「市民参加への道を探ろう」『毎日新聞』(2015年9月4日朝刊)

2015-08-15 アートディレクターと佐野研二郎 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 2015年8月14日、サントリービールの景品をデザインしていた佐野研二郎アートディレクター多摩美術大学教授)が謝罪声明ホームページで出した(http://www.mr-design.jp/)。8月12日までに「ネット上などにおいて著作権に関する問題があるのではないかというご指摘が出て」いたことを踏まえ(http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1508/13/news087.html)、景品(トートバック)30種類のうち8種類の発送を止め(http://www.suntory.co.jp/beer/allfree/campaign2015/index.html)、「その制作過程において、アートディレクターとしての管理不行き届きによる問題があった」と認めたからであるhttp://www.itmedia.co.jp/news/articles/1508/15/news016.html)。

 このように他でもなく佐野研二郎が注目されているのは、彼が東京オリンピック・パラリンピックの「エンブレム」をめぐって模倣の疑いをかけられ(http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150730)、それに対する説明を行ったという経緯があったからであるhttp://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150805)。また今回も視覚的な類似点への気付きがインターネット拡散連鎖したものであり、それに対してクライアントやデザイン関係者対応していくという形をとっている。順番的に言えば、まず東京オリンピック・パラリンピックの「エンブレム」で佐野研二郎が注目され、その後に「佐野研二郎のこれまでの作品を徹底調査したら大量にパクリが見つかった」(http://netgeek.biz/archives/45562)というように、インターネット上で追求され始めた。上の謝罪は、こうした指摘に対応したものである

 本稿では、佐野による今回の対応東京オリンピック・パラリンピックの「エンブレム」の時とは大きく異なり、「アートディレクターとしての管理不行き届きによる問題」とされた点に注目したい。というのも、この対応の違いに注目することで、佐野が今回の謝罪において「東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムはMR_DESIGNで応募したものではなく、私が個人で応募したものです」と弁明したことの意味がよりよくわかると思うからである。そのためにも、まずは「アートディレクター」が広告やデザインにおいてどういう役割を担っているのかを解説したい。

---

 さて、多くの人にはどうでもよいことだと思うのだが、「アートディレクター」という言葉の歴史は長い。アメリカでは1920年6月に「Art Directors Club of New York」が53名の会員で結成され、日本では1952年9月に「東京アド・アートディレクターズ・クラブ」(以下、東京ADC)が22名の会員で結成されている。そしてアメリカにおけるアートディレクターは「芸術活用商業性を助言し、商業必要性に応じて芸術演出していく非常に専門化された職業」と捉えられ(The Art Directors Club of New York. Ed., Art Directing. Hasting House. 1957)、日本におけるアートディレクターは「経営者と宣傳技術者を結ぶ紐帯」(新井静一郎『アメリカ広告通信電通1952年)と考えられていた。2015年4月の時点で東京ADCは「アートディレクターの専門的職能社会的確立、推進する」ため、会員に対して賞を与え、優秀作の展覧会を行い、『ADC年鑑』という刊行物を毎年出している(https://www.tokyoadc.com/new/about/index.html)。

 なお、広告やデザインにおいてアートディレクターになるにはそれなりの時間がかかるものである佐野場合でいえば、多摩美術大学グラフィックデザイン科を卒業し、1996年博報堂に入社した時はグラフィックデザイナーとして採用され、「プール冷えてます」(としまえん1986年)などで知られる大貫卓也アートディレクター)のグループに配属されている。佐野自身の回想によれば、彼がアートディレクターを担うようになったのは「ニャンまげ」(日光江戸村、1998年キャンペーンからであり、以下のように仕事の見え方が変わったという。

 「それまではいろんな人の意見を聞いてバランスを取っていたけど、自分がこれがいいと思ったらどんどんカタチにしていきました。そのやり方で、グッズも作ったらそれも売れたりして、自分面白いと思ったことはどんどんやっていいんだとわかったんです。

 それまでは我を出してはいけないと思っていたけれど、誰かの思い込みで突っ走ったもののほうが表現としておもしろかったり、強くなるということを学びました」(佐野研二郎クリエーターファイル:人をハッピーにするデザイン」http://biz.toppan.co.jp/gainfo/cf/sano/p1.html)。

 ここでは二つのことが言われている。一つにはグループ作業において「いろんな人の意見を聞いてバランス」を取る立場から、「自分がこれがいいと思ったらどんどんカタチにして」いく立場へと変わったことである。二つにはそうした立場の変更によって「我を出してはいけない」と思うことから、「誰かの思い込みで突っ走ったもののほうが表現としておもしろかったり、強くなる」と思えるようになったことである。要するに、グラフィックデザイナーからアートディレクターになるとは、グループ作業の一員として仕事をする立場からグループ全体の方向性を決定する立場になることなである

 そのため、グラフィックデザイナーに比べてアートディレクターの数は少ない。例えば2015年8月現在で、日本グラフィックデザイナー協会には約3000名の会員がいるのに対して(http://www.jagda.or.jp/about/)、東京ADCの会員は80名であるhttps://www.tokyoadc.com/new/about/index.html)。もちろん、グラフィックデザイナーアートディレクターを名乗る者がこれらの組織に全員所属しているとは思えないが、前者に対して後者の数が圧倒的に少ないのは事実である。また東京ADCの会員80名を生年代で分類してみると(不明者2名を除く)、1920年代が1名(永井一正)、30年代11名、40年代が20名、50年代が17名、60年代が19名、70年代が9名、80年代が1名(長嶋りかこ)であり、基本的にはある程度のキャリアを積んだベテランアートディレクターを名乗っている状態にある。

---

ここで注目したいのは、このアートディレクターという言葉が日本社会でどのように理解されてきたのかという点である。その歴史的な詳細については専門書を参照してほしいのだが(加島卓『〈広告制作者〉の歴史社会学せりか書房2014年)、ここでは佐野研二郎尊敬するという亀倉雄策がまたしても独特な役割果たしていたことを紹介したい。東京ADC1961年に「東京アド・アートディレクターズ・クラブから東京アートディレクターズクラブ」に改称したのだが、その時に亀倉は次のような発言をしている。

アートディレクターには二つのタイプがあるように思う。そのひとつ技術を他の人から求めて、自分は方向と出来上がりに責任を持つ人である。もうひとつは方向、技術、出来上りまで自分一人で責任を持つ人である。…(中略)…。私自身は後者に属するわけだが、この姿勢広告製作絶対正しいとは思っていない。しかし自分自身限界を知り、その区域を守るなら、あるいはこの方がよいかとも思う」(亀倉雄策創造性を高める」、東京アートディレクターズクラブ(編)『別冊 広告美術年鑑1962-3』美術出版社1962年)。

 先にも確認したように、東京ADCの結成時においてアートディレクターは「経営者と宣傳技術者を結ぶ紐帯」、つまり経営者デザイナー媒介する中間的な存在として意味付けられていた。しかし、ここではそのアートディレクターに「二つのタイプ」があるとされている。そして、「そのひとつ技術を他の人から求めて、自分は方向と出来上がりに責任を持つ人」であり、「もうひとつは方向、技術、出来上りまで自分一人で責任を持つ人」だというわけである広告史やデザイン史的にいえば、1950年代においてアートディレクターデザイナー区別された役割だったのだが、1960年代になってデザイナーを兼ねたアートディレクターという新たな理解が生まれるようになったのである

 それでは、どうしてこのような理解の上書きが生じたのか。それはアートディレクターという役割アメリカから輸入されたものであり、日本のやり方と齟齬を来すと考えられていたからである。例えば、「組織の中枢にいて、社会活動個性的表現の軸心をなしているアートディレクターが、アメリカ全体では二千人以上いるのに、日本にはこれにピタリと該当する人が一人もいない」(新井静一郎『アメリカ広告通信電通1952年)と1950年代に指摘されていた一方で、1950年代後半にアメリカ視察を行った亀倉は以下のように述べている。

「1年半前にアメリカに行って、実際にアメリカ人達仕事ぶりを見たのですが、日本人から見ると余りに細分化されすぎている。たとえば、レイアウトする人、活字を選ぶ人、紙の質を選ぶ人といろいろに組織が細分化されている感じがしたわけです。…(中略)…わたしはこの細分化に反対している一人であります。日本はアメリカの非常によい影響も受けましたけれども、非常に悪い影響も受けています。…(中略)…。そういうなかで、このような組織の中に入れられてしまったら、個性がなくなってしまうのではないか、私が一番心配しているのは、日本にアメリカのものとそっくり同じものを持ち込むということです」(亀倉雄策「討論」『世界デザイン会議議事録美術出版社1961年)。

 ここではいくつかの区別が重ね合わせて論じられている。一つにはアメリカと日本を区別することである。二つには組織個性区別することである。三つにはアートディレクターグラフィックデザイナー区別することである。このような区別を用いて亀倉は、「組織」を前提にしたアメリカアートディレクターという役割とは別に、こうした「細分化」した作業に回収されない「個性」を活かせる役割グラフィックデザイナー)があってもよいではないのかと発言しているのである

 先に亀倉がアートディレクターを「技術を他の人から求めて、自分は方向と出来上がりに責任を持つ人」と「方向、技術、出来上りまで自分一人で責任を持つ人」の二つに分類したことを紹介したが、この二つに対応するのがここで紹介した「「組織」を前提にしたアメリカアートディレクターという役割」と「「細分化」した作業に回収されない「個性」を活かせる役割グラフィックデザイナー)」である。つまり、亀倉は「アメリカ組織アートディレクター」という組み合わせを想定することで、「日本/個人/グラフィックデザイナー」という組み合わせも作り出していたのである

 1960年代になってアートディレクター理解が上書きされたのは、このような二つの組み合わせに対応させる必要があったからである。この二つに対応させれば、1950年代のようにアートディレクターデザイナー区別する必要はなく、デザイナーを兼ねたアートディレクターもありえるという考え方に至れるからである。このようにしてアートディレクターデザイナー区別曖昧ものとなり、広告やデザインを担当する者が結局どちらとして関与しているのかがわかりにくくなってしまったのである

 なお、当の亀倉はグラフィックデザイナーであり続けることを選択していたのだが、東京五輪1964のポスター制作においては「私自身もアートディレクターというものの本当の仕事をした」と語っている(亀倉雄策オリンピックポスター第3作が終わって」『デザイン』美術出版社1963年7月号)。しかし別の史料によると、バタフライで泳ぐ男性をメインモチーフにした第3作目のポスターは、東京五輪1964の「組織委員会の一部から、「水上日本であるのに、外人を使うとは何事か」と不思議な横槍が入って、このネガはついに陽の目を見ないで終わった」後に、撮影され直したものである(村越襄「「水を凍らせろ」という電話以後」『デザイン』美術出版社1963年7月号)。

 また別の資料によれば、そこで「組織委員会上層部は私(引用者註:亀倉雄策)と政治家の間で板ばさみ」になり、「結局、頼み込まれて私が引きさがることになった」という(亀倉雄策オリンピック選挙ポスターについて」『JAAC』(第15号)日本宣伝美術会、1963年)。要するに、亀倉は自分裁量判断できない調整事が多いことをよく知っていたからこそアートディレクターとは名乗らず、自分一人で制作物に責任を持ち続けるためグラフィックデザイナーに徹したのである

---

 ここまでを踏まえると、佐野研二郎が今回において「東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムはMR_DESIGNで応募したものではなく、私が個人で応募したものです」と弁明したことの意味がわかってくる。つまり、佐野において東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムグラフィックデザイナーという個人の水準で関わったものである。そして対して、サントリービールの景品はMR_DESIGNのアートディレクターという組織の水準で関わったものである。だからこそ、今回の対応は「アートディレクターとしての管理不行き届きによる問題」とされたのであり、東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムの時のようにデザインをどのように見ればよいのかいう丁寧な説明はなされなかったのである

 広告やデザインを担当する人がアートディレクターグラフィックデザイナーと名乗ることは多くの人にはどうでもよいことかもしれないが、このように責任所在問題となる場合はどうでもよくない。アートディレクターグラフィックデザイナーとでは、責任の取り方が違うのである。なお、これはちっともおかしなことでもない。組織として仕事をしているのか、個人として仕事をしているのかは私たち自身にとっても重要区別であり、佐野におけるアートディレクターグラフィックデザイナー区別はそのバリエーションの一つなのである

 私たち複数役割を使い分けることで、実に様々なことを達成している。だからこそ、そのつど自分が今どの役割を担っているのかを相手に示し、それに合わせてもっともらしい発言をする。もちろん相手と理解が一致しないこともあるが、それゆえに私たちはお互いに理解を示し合い、和解や誤解を達成していくことは誰もが経験することだろう(前田泰樹+水川喜文+岡田光弘(編)『エスノメソドロジー新曜社2007年pp.100-107)。こうした意味において、今回の謝罪アートディレクターとしての役割が可能にした責任の取り方だと言えよう。

 にもかかわらず、インターネット上での批判を見ると、民族的属性に短絡させたり、親族との関係から説明しようとしたり(http://ameblo.jp/usinawaretatoki/entry-12061609375.html)、小保方晴子と同列に扱おうとしたり(http://www.insightnow.jp/article/8591)、「役割」ではなく「人格」に焦点が当てられてしまっている。おそらく、これらのことはアートディレクターグラフィックデザイナーを「作家」として理解したがる視線とも関係があろう。つまり、人間として評価しようとする態度は、人間に対して攻撃してしまう態度とコインの裏表である

 もちろん、「人格」や「人間」として理解したい人がいてもいい。しかし、東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムやサントリービールの景品に関していえば、佐野研二郎が担った「役割」をめぐって生じた問題であり、それらについてそれぞれの役割から佐野責任を果たそうとした。私たちはそのことにもっと耳を澄ましてもよいのではないか。このような人様の役割に応じた対応に目を向けず、なんでもかんでも人格概念で人様を理解してしまうのは、かなり気持ち悪い社会ではないかと社会学を学ぶ者としては思ってしまうのである。(2015.8.15)

※追記:みなさまより多くのコメントを頂きましたが、既にお知らせしましたようにコメント欄を閉じさせて頂きました。(2015.8.17)

エスノメソドロジー―人びとの実践から学ぶ (ワードマップ)

エスノメソドロジー―人びとの実践から学ぶ (ワードマップ)

※参考:MR_DESIGN(佐野研二郎)による説明

今回の事態について

 今回取り下げた8点のトートバックのデザインについては、 MR_DESIGNのアートディレクターである私、佐野研二郎管理のもと、 制作業務をサポートする複数デザイナーと共同で制作いたしました。そして、誠に遺憾ではありますが、その制作過程において、 アートディレクターとしての管理不行き届きによる問題があったと判断したため、今回の取下げという措置をお願いした次第です。

 今回のトートバックの企画では、まずは私の方で、ビーチやトラベルという方向性で夏を連想させる複数のコンセプトを打ちたてました。次に、そのコンセプトに従って各デザイナーにデザインや素材を作成してもらい、 私の指示に基づいてラフデザインを含めて、約60個のデザインを レイアウトする作業を行ってもらいました。その一連の過程において スタッフの者から特に報告がなかったこともあり、私としては渡されたデザインが 第三者のデザインをトレースしていたものとは想像すらしていませんでした。しかし、その後ご指摘を受け、社内で改めて事実関係調査した結果、デザインの一部に関して第三者のデザインをトレースしていたことが判明いたしました。

 第三者のデザインを利用した点については、現在著作権法に精通した弁護士の法的見解確認しているところですが、そもそも法的問題以前に、第三者のものと思われるデザインをトレースし、そのまま使用するということ自体が、デザイナーとして決してあってはならないことです。 また、使用に関して許諾の得られた第三者のデザインであったとしても、トレースして使用するということは、私のデザイナーとしてのポリシーに反するものです。

 何ら言い訳にはなりませんが、今回の事態は、社内での連絡体制が上手く機能しておらず、私自身のプロとしての甘さ、そしてスタッフ教育が不十分だったことに起因するもの認識しております。当然のことながら、代表である私自身としても然るべき責任は痛感しており、このような結果を招いてしまったことを厳しく受け止めております。今後は、著作権法に精通した弁護士等の専門家を交えてスタッフに対する教育を充実させると共に、再発防止策として、制作過程におけるチェック項目を書面化するなどして、同様のトラブル発生の防止に努めて参りたいと考えております

 また、過去作品につきましても、問題があるというインターネット上のご指摘がございますが、その制作過程において、法的・道徳的に何ら問題となる点は確認されておらず、また権利を主張される方から問い合わせを受けたという事実もございません。お取引先の方々、そして権利等を主張される方からご連絡等があった場合には、引き続き誠実に対応させていただくつもりです。

 なお、東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムについて、模倣は一切ないと断言していたことに関しましては、先日の会見のとおり何も変わりはございません。東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムはMR_DESIGNで応募したものではなく、私が個人で応募したものです。今回の案件とは制作過程を含めて全く異なるものであり、デザインを共同で制作してくれたスタッフもおりません。

 今まで携わった仕事はすべて、デザイナーとして全力を尽くして取り組んでまいりました。このような形で、応募されたお客さま、クライアントさま そして関係者の皆さまには多大なご迷惑とご心配をおかけしたことを、 大変申し訳なく思っております。 今回頂戴したご批判を忘れることなく、デザイナーとしての今後の仕事、そして作品を通じて、皆様のご期待に全力をあげて応えていく所存です。

2015年8月14日 佐野研二郎

http://www.mr-design.jp/

2015-08-05 デザインは言葉である:東京五輪エンブレムと佐野研二郎 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 2015年8月5日、東京オリンピック・パラリンピックの「エンブレム」を制作した佐野研二郎アートディレクター多摩美術大学教授)と組織委員会マーケティング担当)による記者会見が行われた。2015年7月24日に発表してから約一週間後にベルギーのデザイナー制作した劇場「Theatre de Liege」のロゴマークと「酷似」していることが話題になったからである

五輪エンブレム問題 制作者の佐野研二郎氏が会見

D

 既に述べたように(http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20150730)、今回の事態視覚的な類似点への気付きがインターネット上で拡散連鎖したものであり、これに対して選考関係者やデザイン関係者がそれぞれの見解を述べていくという形をとっている。またこのように模倣を疑われたデザインに対して説明責任果たしていくことは、東京オリンピック1964のロゴマークポスター制作した亀倉雄策時代1950年代1960年代から繰り返されていたことでもある。歴史的いえば、亀倉だって模倣をしていた。それを認めて詫びることもあれば、反論として説明責任を果たすこともあった。だからこそ、亀倉は今でも評価されているのだ。

 本稿では、視覚類似点への気付きが「模倣」と問題視されたことに対し、今回の記者会見では「デザインをどのように見ればよいのか」という説明が丁寧になされたという点に注目したい。というのも、こうしたやりとりは「デザインは言葉である」という社会的事実をを再確認させてくれるからであり、また「私たちは何かしらの概念を用いることで、「見る」という行為をその都度達成している」ということも教えてくれるからである

---

 先に事実関係確認しておくと、組織委員会によれば、リエージュ劇場ロゴ商標登録されていないので商標上の問題には当たらないとしている。また「盗用」ではないかという疑問に対しては、佐野から「先方のロゴマークは見たことがない、デザインの参考にしたことはない」との説明を受け、エンブレム独自性を認めている。さらに、組織委員会は依頼時に「オリンピックとパラリンピックの関連性を持たせること」と「デジタルメディアでの展開も想定したデザインの拡張性を満たすこと」の二点をお願いしていたという。

 こうした前置きを踏まえ、まず佐野は盗用が「事実無根であるとした上で、「この場で私がご説明することは、作成したエンブレムのデザインに込めた想いと具体的なデザインのディティールに関すること」と始める。そして「今回のオリンピック・パラリンピックのエンブレムは、アートディレクターデザイナーとしてのこれまでの知識や経験集大成して考案し仕上げた、私のキャリア集大成ともいえる作品」であり、「力を出し切って、真にオリジナルものができたからこそ、自信を持って世の中に送り出すようなものになった」とデザインの独自性を主張している。

 それでは、その独自性とはどのようなものか。どこをどのように見れば、そのデザインを理解することができるのか。そこで佐野エンブレムの各パーツ及びそれらの配置をどのように見るべきかを説明する。

「まずエンブレム制作する時に、一つの強い核を見つけたいと思いまして、いろんな方向性を試しました。その中の一つとして、TOKYOの「T」であるこのアルファベットの「T」に注目しました。いくつか欧文書体はあると思うのですけれども、そのなかでDibot(ディド)という書体とBodoni(ボドニ)という書体があり、これは広く世界に使われている書体です。それを見た時に、非常に力強さと繊細さとかしなやかさとかが、両立している書体だなと思いまして、このニュアンスを活かすことができないかというところから発想が始まりました」

 ここでは、エンブレムのデザインをアルファベットの「T」という形から見始めてほしいということが確認されている。そして複数書体存在することを示し、「T」という形状もいろいろありうることを紹介した上で、他でもなくこの形状に絞り込んだ理由を「力強さと繊細さとかしなやかさとかが、両立している」点に求めている。まずは他でもなく「T」として見ること。これが佐野による最初の設定である

「で、見て頂いてわかるように、(曲線部分を指さしながら)ここのRの部分がありまして、これは今楕円的なものが入っていると思うんですけれども、僕はこれを見て、亀倉雄策さんが1964年の東京オリンピックの時に作られた大きい日の丸というものイメージさせるものになるんじゃないかなと思いまして、単純に「T」という書体と「円」という書体を組み合わせたようなデザインができるのではなかろうかということを思いました。そこで作ったロゴが、今回のこの東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムになります

 次に「T」のどこをどのように見ればよいのかである佐野は「T」の曲線部分を指さし、文字装飾の一部分に「楕円的なものが入っている」と述べている。重要なのは、このようにデザイナーが見ているものが示されることで、私たちも「この図形には楕円も含まれている」と見えるようになってくることである。そして佐野はこの楕円と「大きい日の丸」を関連付け、「T」と「円」という組み合わせが、東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムにもなりえると説明している。つまり、円形という概念を用いて「T」を見ること。これが佐野による二つ目の設定である

「図解で示しますと、正方形を9分割しているんですね。で、9分割して、ここの真ん中の黒いラインは、オリンピックの黒いロゴと対比したような形で黒の帯をとっております。ここの赤い丸なんですけど、鼓動(引用者注質疑応答では「赤い丸を心臓の位置に置きたい」とも説明)をちょっとイメージしたような形で左上に置かさせて頂いて、ここの円とここのオリンピックロゴの円が、同じ(引用者注:縦の)ライン上に並ぶようにデザインしていて、ここの羽根の部分(引用者注ゴールドの部分)は、この大きい円の周りの部分を使っているものです。で、右下(引用者注シルバーの部分)にこのものを反転してを使っているようなものとしてデザインしています

 続いて、エンブレムにおける各パーツの配置についてである佐野エンブレムの上に線が描き重ねられたボードを示して、「正方形を9分割している」と述べている。ここでも重要なのは、このようにデザイナーが見ているものが具体的に示されることで、私たちも「この図形は9分割された正方形に収まっている」と見えるようになることである。そして佐野はこの正方形の中央部分を「黒い帯」、右上部分を「赤い丸」、ゴールドシルバーの部分を「羽根」と呼び、それぞれのパーツが円形とそれを囲い込む正方形との関係で成り立っていると説明する。つまり、円形とそれを囲い込む正方形との関連において「T」を見ること。これが佐野のよる三つ目の設定である

 ここまでを踏まえると、今回のエンブレムには三つの設定がある。一つ目は他でもなく「T」として見ること、二つ目は円形という概念を用いて「T」を見ること、三つ目は円形とそれを囲い込む正方形との関連において「T」を見ることである。今回の記者会見佐野はこの三つを説明しながら「デザインの考え方が違う」と述べたのだが、どういうわけかそれでも記者から「デザインの考え方が違うというのが、素人でもわかるように説明して頂きたい、どう違うのでしょうか」と再説明を求められてしまい、以下のように答えた。

「繰り返しになってしまいますが、リエージュ劇場のほうは、シアター・リエージュで「T」と「L」で作られてますよね。それでこちらは、「T」と「円」ということをベースにしてユニットの組み合わせで作っているものですので、まずデザインに対する考え方が違うと言ったのはその意味です。そしてディティールを見て頂いても、ここの部分が接しているですとか、ここにこう大きい円が入っているですとか、下の書体も同じなのではないかこととベルギーのデザイナーの方は申しているようなんですけれども、これは全く違う書体です。なので、表層的に見ても、実際のデザインの考え方としても全く違うと僕は思います

 ここではリエージュ劇場ロゴと今回のエンブレム区別がなされている。つまり、リエージュ劇場ロゴは「T」と「L」の組み合わせだとした上で、今回のエンブレムは「T」と「円」の組み合わせだと述べている。このようにして佐野は「表層」をどのように見ればよいのかを説明し、またその区別を支えるのが先に述べた三つの設定であると具体的に示し、「実際のデザインの考え方としても全く違う」と述べているのである

 重要なのは、このようにデザイナーが見ているものが具体的に示されることで、私たちもリエージュ劇場ロゴと東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムが「異なる」と見えるようになることである。そしてこのように説明されれば、デザイナーではない私たちでもデザイナーが見ているように見えてくるのであるデザイナーによる説明を聞いて、デザインを「理解」するとはきっとこのような経験なのであろう。

 とはいえ、説明に不十分な点もある。例えば、今回の説明は組織委員会が既に発表している「すべての色が集まることで生まれる黒は、ダイバーシティを。すべてを包む大きな円は、ひとつになったインクルーシブな世界を。そしてその原動力となるひとりひとりの赤いハートの鼓動」(https://tokyo2020.jp/jp/emblem/)という文面に対応していたとは言えない。むしろ、今回の記者会見佐野自身におけるデザインの見方を説明したに過ぎない。

 また佐野によれば、リエージュ劇場ロゴは「T」と「L」の組み合わせである。しかし、実際のところは黒い丸も使用されており、その中に白抜きで「T」と「L」が描かれている。したがって、東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムは「T」と「円」の組み合わせであるという説明が決定的であるとは言い切れないところもある。

--

 今回の問題視覚的な類似点への気付きが「模倣ではないか?」と話題になって始まったものである。そして、デザイナーによる記者会見では「T」を円形や正方形と関連付けて見てもらうための説明が尽くされることになった。「模倣」という理解から「それなりに設計されたデザイン」へと理解を書き換えていくための具体的な手順が、今回の記者会見で示されたのである

 振り返ってみれば、このような「もっともらしさ」はデザインにおいてとても重要ものである。というのも、このように説明をされることで、デザイナーではない私たちはその対象をどのように見ればよいのかを定めることができるからである専門家でなくても「見てわかる」とはこのような経験のことであり、またこうした経験を通じて私たちはデザインをわかったことにしているのであろう。

 要するに、デザインの何を見て何を見ないのかは、私たち自身の説明の仕方と不可分な関係にある。また「見る」ということは概念の利用と深く結びついてもいる。驚くべきことに、私たちはどの概念を用いるのかによって、見えている対象をどのように理解するのかも変わってしまうのである前田泰樹+水川喜文+岡田光弘(編)『エスノメソドロジー新曜社2007年pp.210-216)。その意味において、今回は私たちがいかなる概念を用いて「T」を見るのかという視覚的なせめぎあいが生じていたのであろう。

 なお、このように「もっともらしさ」を競うことはそんなにおかしなことではない。というよりも、そもそも決定的かつ必然的なデザインは存在しないので、なぜ他でもなくそのデザインなのかを説明し続けなくはならない。その意味で、デザインはどうしようもなく言葉と不可分であり、何度でもどのようにでも語り直されていくのである(加島卓『〈広告制作者〉の歴史社会学近代日本における個人と組織をめぐる揺らぎ』せりか書房2014年)。

 今回の騒動は、デザインにこうしたややこしさがあることを私たち再確認させてくれた。デザインは言葉であり、私たちは何かしらの概念を用いることで、「見る」という行為をその都度達成しているのである。こうした面倒臭さと経験の可変性を引き受けながら面白がることが、現在私たちには求められているように思う。(2015.8.5)

エスノメソドロジー―人びとの実践から学ぶ (ワードマップ)

エスノメソドロジー―人びとの実践から学ぶ (ワードマップ)

2015-07-30 グラフィックデザインと模倣の歴史的な関係:亀倉雄策と佐野研二郎 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 2015年7月24日2020年開催予定の東京オリンピック・パラリンピックの「エンブレム」が発表され、その約一週間後にベルギーのデザイナー制作した劇場「Theatre de Liege」のロゴマークと「酷似」していることが話題となった。前者を制作したのはは佐野研二郎アートディレクター多摩美術大学教授)、後者制作したのはオリビエ・ドビ(Studio Debie)である

 経緯としては、「友人から電子メールで知らせがあり驚いた。類似点が多くある」とオリビエが認識し、Facebook記事投稿してから拡散的に知られるようになった(https://www.facebook.com/StudioDebie/photos/a.306570046078725.70557.306563286079401/883470945055296/?type=1)。また、スペインのデザイン事務所が東日本大震災の復興支援のために制作したものと「配色が同じ」という指摘も登場し(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150730/k10010171901000.html)、インターネット上では批判的な議論が繰り広げられている。

 こうした動きに対し、東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会は「各国の商標をクリアしており、問題になるとは考えていない」という見解を示し、IOC(国際オリンピック委員会)のマークアダム広報部長は「ロゴのデザインで同じことはしばしば起きる。リオデジャネイロオリンピックロゴマークも、多くの人が『ほかのロゴとデザインが似ている』と言っていた」と話している(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150730/k10010171901000.html)。

 また佐野と同じくコンペティションに参加した森本千絵アートディレクター)は「私もやりきったし気持ちよい。佐野さんのエンブレム代表して選ばれたわけで誇りに思うし応援したい」と述べており(https://twitter.com/morimotochie/status/624964454321537024)、佐野の同僚でもある中村勇吾ウェブデザイナー多摩美術大学教授)は「今回のエンブレムのオリジナリティについてはこの映像の後半によく表現されている。あるひとつシンボルに集約されるのではなく、多様に発散していく形態システム」とも述べている(https://twitter.com/yugop/status/626601871835164672)。

 さらに、グラフィックデザイン業界誌アイデア』の編集長でもある室賀清徳は「個人の感想」と前提して、「元ネタとされる劇場のは頭文字の「T」と「L」をモダンステンシル書体風味で一体化させてるのがポイントで、東京五輪はあくま幾何的図形の構成ベースにTとOとIとLを表現するマークを作ったということだと思う」(https://twitter.com/kiyonori_muroga/status/626385596391370753)と書き込んでいる。

 このように、今回の事態視覚的な類似点への気付きがインターネット上で拡散連鎖したものであり、これに対して選考関係者やデザイン関係者がそれぞれの見解を述べていくという形をとっている。また内容としては、模倣問題視する意見に対して、選ばれたデザインをどのように見ればよいのかと解説する意見が投げ返されている。本稿はこのようにインターネット元ネタ探しと告発が行われてしまう独特の厳しさをとても興味深いと思うと同時に、このようにしてグラフィックデザインに対する模倣を指摘することは今になって始まったことではなく、それこそ1964年の東京オリンピックロゴマークをデザインした亀倉雄策にまで遡ることのできる出来事だということを紹介したい。

---

 2015年7月24日記者会見において、佐野は今回のデザインが1964年の東京オリンピックロゴマークをデザインした「亀倉雄策の影響」を受けていると話している(http://www.japandesign.ne.jp/editors/150729-tokyoolympic/)。また先に挙げた中村勇吾によれば、佐野のデザインは「1964年亀倉雄策による究極のシンボルに対する明確な回答にもなっている」という(https://twitter.com/yugop/status/626601871835164672)。このように今回のデザインは、本人やその同業者も認めるほど亀倉雄策との関連を語らずにはいられないものになっている。

 それでは、亀倉雄策(1915-1997)とは一体何者なのか。一般的に広く読まれた書籍によると、様々な国家的イベントや大企業のポスターシンボルマークを手掛けてきた亀倉は「日本のデザイン界を背負って立つ男」(野地秩嘉TOKYOオリンピック物語小学館2011年、p.10)だと言われる。またデザイン史的な記述においても、「世界が認めたジャパンデザインの象徴」(『亀倉雄策のデザイン』美術出版社1983年/2005年、帯文)と書かれるように、日本を代表するグラフィックデザイナーの一人として理解されている。

 ここで注目したいのは、その亀倉も模倣に手を染めていたことであり、また模倣の指摘を他者から受けてもいたこである。例えば、1951年広告業界誌広告広告人』には以下のような記事掲載されている。

「近頃、廣告界の話題として模倣とか盗用とか余り香しくなく話が專らである。今更事新しくとり立てて言うのが可笑しい位である。次に最近問題になったのは亀倉雄策氏の「包装」の表紙図案である美術批評家植村鷹千代氏が辛辣な筆彈を朝日文化欄にぶっ放した。スイス・グラフィース所載RIRIのチャックの廣告「河馬」の絵を盗用したというのである模倣創作限界はまるで鶏と卵のように難しく、模倣と盗用も時に於てデリケート問題にぶつかる。模倣とは善意の盗用か、盗用は文字どおり悪意の模倣か…全くややこしい。…(中略)…。ベテラン亀倉、彼が有名人だけに風当たりは彼がまともに食ったのである。成程、盗用と言われれば盗用であろう。そうなれば叩けば濛々たるホコリはあながち廣告作家世界だけに限らぬことは知れきっている。…(中略)…。亀倉氏は「正しい批評だよ」と言っているだけに男らしい。」(狛江孝平「廣告時評」『広告広告人』(第3号)丹青社1951年) 。

 そして、この件については数年後に亀倉自身が以下のように認めている。

実は私はから8年か9年前、日宣美ができる以前、日本ではまだデザインというもの社会的に認められないころ「盗用作家」として1度朝日新聞で非常に大きくたたかれた人間で、…(中略)…。そのころ2千部か3千部ようやく出していたような雑誌に私は表紙をかいたのです。ちょうどスイスから初めて薄っぺら雑誌が届いて、それにカバの絵があった、これがいけなかったのです。アイデアに困って苦心していたのですが、実は私もそのころは今みたいではなくもっとずっとやせておりまして、とにかく何とかしなければならない、カバを書きたい、そう思ったのですが、そのカバ写生するだけの気力もないわけです。また動物園にもカバはいなかった。何かいいのはないかと思って写真一生懸命探したが写真もない。しょうがないから書いちゃった。もちろんうまくない、へたですけれども、そのカバの首を原画と逆に左へ曲げればよかったのを右へ曲げたのがいけなかった。カバの首を左に曲げて、おしりラジオが乗っかっていてちょっとしたものでしたがそれを何のことなしに首を右に曲げた、それがぼくの失敗です。その首をぐっと左に回せば目につかなかったかもしれない」(亀倉雄策「盗用と影響」『全日本広告技術者懇談会記録』電通1958年

 『朝日新聞』の記事データベースでは当該記事発見することができないのだが、少なくとも告発した側とされた側の主張は噛み合っている。1950年代前半の日本社会においては外国雑誌流通が限られており、それゆえにその稀少性を利用した制作がなされ、それが結果として「模倣」や「盗用」と呼ばれてしまったというわけである

 なおこうした傾向は亀倉に限ったことではなく、グラフィックデザイナーの職能団体である日本宣伝美術会でも問題になっていた。例えば、「模倣の罪 いまだに多い。有名作家でもやっている。モチーフだけいたゞいたのはまだいゝが、中にはトレーシングペーパーでしき写したようなのがある」(やなせたかしデザイナー七つの大罪」『JAAC』(No.2)日本宣伝美術会、1954年)というように、西洋社会の模倣を疑われる日本のグラフィックデザインという問題1950年代から生じていたものである

---

 このように、1950年代におけるグラフィックデザイン模倣同業者批評家によって告発されるものだった。しかし、1960年代になると一般人から模倣が指摘されるようになり、その矛先が亀倉雄策に向けられたりもした。例えば、1960年雑誌『デザイン』の読者投稿欄「デザインの広場」に次のような投書が掲載されている。

「近着のSwiss Watch and Jewelry Journal誌に掲載されている、スイスの時計メーカーAudemars Piguet社の広告の一部と貴誌『デザイン』3月号の表紙とは、全く同一と思われます。デザインにおける創造ということの大切なことを強調され、模倣を徹底して攻撃されている同亀倉氏の日頃の発言共感をもつものとして、もし『デザイン』誌3月号の表紙が単に外国雑誌からぬきとったものだとすれば亀倉氏の対社会的発言とも矛盾したはなはだ残念なことと思います。氏の誠意ある説明がほしいと思います」(小林松雄「グラフィックデザイン模倣について」『デザイン』美術出版社1960年11月号)。

 そして、この件について亀倉は以下のように応答している。

「これは模倣でも盗用でもありません。最初から中世期の銅版画を利用することを目的に作ったものです。スイスの時計広告も、やはり中世期の銅版からとったものです。この中世技術図版は著名なもので、この復刻版が、最近アメリカから上巻、下巻の大冊で刊行されています。ですから、このスイスの時計広告の銅版画は現代作ったものではありません。デザイナーがこの古い技術の本から複写して、それに品名をレイアウトしたものです。…(中略)…。あなたが強調されているスイスの時計広告も私と同じように中世の銅版画を利用したものです。しかもデザイナーは、それを料理しないで、そのままナマに利用したわけです。…(中略)…。こういう銅版画は、技術者科学者が、写真のない時代に描いたもので、従って無性格のものです。博物の鳥や蝶の絵と同じもので、作者があるというものではないのです。そのような無性格ものに、デザイナー性格を与え表情を与えることも、ひとつ仕事であると思います。以上あなた質問に答えたつもりですが、いかがでしょうか。あなたがもし、それでも私をおせめになるならば、スイスの時計会社のこのデザイナーも私同様せめられねばならない筈です」(亀倉雄策亀倉雄策氏の返事」『デザイン』美術出版社1960年11月号)

 重要なのは模倣を指摘された亀倉の対応が先の事例とは異なることの意味である。先の事例においては、同業者模倣蔓延るなかで自分もやってしまったことを認めている。しかし、この事例においては模倣や盗用でないと否定している。こうした対応の違いが生じるのは、後者の事例においては「全く同一と思われます」というように、視覚的な同一性けが根拠にされているからである。つまり同業者批評家であれば共有していてもおかしくない専門的知識が参照されないまま、結果としての制作物だけが問題にされている。だからこそ、亀倉はわざわざどのようにして制作したのかを丁寧に語らされてしまっているのだ。

 なお、こうした傾向も亀倉に限ったことではない。大阪万国博のマークアメリカのデザイン書にのっている模様の一部と似ているといった指摘(『朝日新聞1966年9月29日)や、札幌オリンピックマーク構成要素の一つ〈初雪〉の紋が盗用ではないのか(『朝日新聞1966年10月10日)といった指摘が相次ぎ、「このような問題が一つ起こると連鎖反応を示すようである。これは何も急に盗作が多くなるわけではなく、一般の好奇心がそこに集中されるため、少しでも似ているものを見つけると投書などの方法でどんどん摘発される」(永井一正「デザインの創造盗作」『朝日新聞1967年9月13日)とまで語られていた。1960年代グラフィックデザインを見ることは、それと似ているものを探すことと結びつきやすくなっていたのである

---

 このような動きは、デザイン雑誌の読者が制作物という仕上がりだけを見て、デザインについて語ることがそれなりに可能になってきたということを意味している。1950年代グラフィックデザイナーにおいては学習対象だった専門的知識が、1960年代の人びとには模倣にしか見えなくなってきたのである。それでは、どうしてこんなことになったのか。

 一つには、1960年代になってグラフィックデザイナーを目指す若者が急増したことが挙げられる。グラフィックデザイナー登竜門と呼ばれた日本宣伝美術会へのエントリー数は1957年から1962年にかけて二倍になっている。また美術教育機関への志願者も急上昇し、「戦前美術学校を受験するような学生は、大体、自己の天分についての自覚をもっていたが、戦後はそうした学生は少なくなった。文科系理科系の学校を受験するのと同じ気持ちでやってくるのもいる。絵画に興味を持ったこともないという勇敢な学生さえあらわれる。…(中略)…。そのためか、基礎の勉強をいやがる風潮があり、デッサンには手を触れず、初めから絵の具で描きたがる」(「デザイン科は花ざかり」『朝日新聞1961年2月22日夕刊)とまで語られるようになっていた。要するに、グラフィックデザイナーを目指す学生が増えたことで専門的知識を丁寧に教えて育てるという「やり方」が難しくなってきたのである

 二つには、1960年代になって「モダンデザイン」という専門的知識が深く信じられなくなったことが挙げられる。というのも、先にも挙げた日本宣伝美術会においては1960年代半ばまでに「グラフィックデザイン機能性、その表現技術という2つの要素が、ほぼ1つの到達点に達した」(中原佑介「第13回日宣美展を見て」『調査技術電通1963年10月)という見え方が生まれていたからである1951年に始まった日本宣伝美術会は、「バウハウス的なデザインの流れをくんで、合理的機能的な視覚像の追求ということが、グラフィックデザイン独自ものにするための第一の手がかり」と考え、「日本のグラフィックデザイン分野の確立は、亀倉氏ら構成主義によって達成された」と言えるまでになったのだが(浜村順「日本のグラフィックデザイン」『調査技術電通1960年3月)、その分だけ、丸・三角・四角といった抽象的な図形の組み合わせでしかないモダンデザインの表現が出尽くしたかのようにも見えてきたのである1960年代半ばに日本宣伝美術会のあり方を批判した横尾忠則らが「イラストレーター」を名乗り、モダンデザインに回収されることのない制作物を発表するようになったのは、こうした動きの結果でもある。

 つまり、グラフィックデザイナーを目指す若年層が増え、かつモダンデザインという専門的知識が信じられにくくなったことにより、1950年代1960年代とではグラフィックデザインに対する理解の仕方に違いが生じやすくなっていた。そしてこのような社会的背景があったからこそ、デザイン雑誌の読者が制作物の視覚類似性だけを見て、デザインについて語ることがそれなりに可能になっていたと考えられそうである

 あえて言えば、「素人」が社会的に増えたことにより専門的知識が部分化され、「何を達成しているのか」を評価することよりも、「失敗探し」の次元面白がるほうが、グラフィックデザインに関わる「みんな」を成立させやすくなったのである。こうしてグラフィックデザインに関わる人が増えたことで、グラフィックデザインに対する理解の仕方が変わり、またその変化がさらに関わろうとする人びとに利用されることで、何をどこまでグラフィックデザイン理解するのかが書き換えられていくのである

 ここまでを踏まえれば、今回の騒動はデザイン史が好んで取り上げる亀倉雄策制作物に学べというよりも、亀倉が向き合ってきた人びとにおけるデザインの理解の仕方において学ぶことがあるように思う(加島卓『〈広告制作者〉の歴史社会学近代日本における個人と組織をめぐる揺らぎ』せりか書房2014年)。歴史的に言えば、亀倉だって模倣をしていた。それを認めて詫びることもあれば、反論として説明責任を果たすこともあった。だからこそ、亀倉は今でも評価されているのだ。

 人びとのリテラシーが上昇すれば、批判の声が増えることも避けられない。そういう「豊かな社会」において、デザインを制作する側には亀倉が果たそうとして苦労した説明責任が求められ、批判する側には相手の立場にもなってよりまともな意見を届けていくことが求められよう。絶対批判されないデザインはありえない社会において、それでもそれなりに説明を尽くそうとするデザインとそうした根拠付けにそれなりに耳を澄ますことが、現在の人びとには求められているように思う。(2015年7月30日

2015-07-13 KoSAC「日本におけるソーシャリー・エンゲイジド・アートの行方」 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

第13回KoSAC「日本におけるソーシャリー・エンゲイジド・アートの行方」

 今年度2回目のKoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、通称コサック)のお知らせです。今回は、ロンドン芸術大学トランスナショナルアート研究所(以降TrAIN博士研究員山本浩貴さんをお招きし、「トリックスターとしてのアーティスト」というタイトルでご発表を頂きます

 山本浩貴さんは、一橋大学宗教社会学を学ばれたのち渡英され、ロンドン芸術大学チェルシー・カレッジ・オブ・アーツを経て、現在TrAINでご自身アーティスト研究者両方の視点を生かしながら、社会とアート関係性について研究を進められています。また2015年5月より、京都芸術センターアーティスト・イン・レジデンスプログラムで京都に滞在されており、今回のKoSACでは、京都でのレジデンスプログラムを通して得た知見を反映させながら、日本におけるソーシャリー・エンゲイジド・アートの可能性と課題についてお話し頂く予定です。

 日本でも、今年に入ってから3月にパブロ・エルゲラの『ソーシャリー・エンゲイジド・アート入門』(フィルムアート社)が出版されたほか、研究者アーティストの垣根を越えて「社会の芸術フォーラム」が5月設立されるなど、「社会」と「アート」の関係性について再考しようという気運が高まっています。一方で、アートにおける「社会的もの(the social)」、もしくは「社会的に関わること(socially engaged)」とは一体何を意味するのかについては、その議論は緒についたばかりです。そこで、日英の現状にも詳しい山本さんの研究成果をベースにしながら、会場の皆さんと自由議論をする機会になればと考えています

 当日までに、以下の山本さんの著作・プロジェクトサイトをご覧戴くことをお勧めます

1.Watarase Art Projectでのインスタレーション

山本浩貴 『書かれなかった歴史に光を当てる』」 

http://watarase-art-project.tumblr.com/

2.展覧会他者表象あるいは表象他者」(京都芸術センター、会期:2015年6月20日7月5日)

http://www.kac.or.jp/events/16109/

3.図書新聞:「レイシズムに抗するアート――1980年代イギリスにおける「ブラック・アーツ・ムーブメントから反人種差別運動におけるアート役割について考える」

http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3204&syosekino=8257

4.図書新聞「英国のブラックアートにおける反レイシズム戦略多様性――クローデット・ジョンソンとリネッテ・イアドム=ボアキエの作品を例に考える」

http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3204&syosekino=8307

■日時:2015年7月13日(月) 18:30〜20:30

場所東京経済大学 第4研究センター4階4422研究集会室

    国分寺キャンパス正門を入って直進。突き当たり右側にある図書館の4階です。入口は図書館とは別ですので、図書館を正面にして「第四研究センター」と書かれている入口からエレベーターで4階に上がって下さい。上がると正面に地図がありますので、4422研究集会室の位置をご確認下さい。構内の地図は以下のURLをご参照下さい。(http://www.tku.ac.jp/campus/institution/kokubunji/

話題提供者:山本浩貴(ロンドン芸術大学博士課程、TrAIN博士研究員

■討論者:狩野愛(東京藝術大学大学院博士課程)、光岡寿郎(東京経済大学

■司会:加島卓(武蔵野美術大学ほか)

■参加方法:(1)お名前、(2)ご所属、(3)自己紹介を140字程度でjoinkosac(at)gmail.com(atを@マークに変えて下さい)までお送り下さい。当日参加も歓迎いたします

■問い合わせ

e-mail: joinkosac(at)gmail.com(atを@マークに変えて下さい)

URL

http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/

http://toshiromitsuoka.com/

2015-05-22 「町田×本屋×大学」、始めます。 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

町田×本屋×大学

第1回「時間消費型の新刊書店」のお知らせ

 2015年5月より、「町田×本屋×大学」というイベントを始めます。これは町田マルイ6階のブックカフェ「solid & liquid MACHIDA」にて、町田近辺の大学ネットワークしながら地域住民通勤買物客、大学生高校生対象にトークショーやブックフェアなどを開催するイベントです。都心ではなく「町田」で、インターネットではなく「本屋」で、小田急線や横浜線沿いの「大学」を横断しながら、出版文化を応援するのが目的です。

 第1回は「時間消費型の新刊書店」がテーマです。ここ数年で「個性派新刊書店」が注目されるようになりました。昔ながらの街の本屋や駅前書店とは異なり、ブックカフェなどが併設され、特徴のある本棚ゆっくり楽しむような店舗が増えています。今回はこのような「時間消費型の新刊書店」に焦点を絞り、TSUTAYAhttp://www.tsutaya-ltd.co.jp/)、オリオン書房http://www.orionshobo.com/)、solid & liquid MACHIDAの三店からゲストをお招きして、現状認識課題、そしてこれからの新刊書店と街の関係についてのお話を伺います

 聞き手は、メディア論社会学が専門の加島卓(東海大学http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/about)とドイツ現代史ヨーロッパ文化論が専門で『ニセドイツ』シリーズ社会評論社伸井太一名義)でも知られる柳原伸洋(東海大学http://researchmap.jp/noby/)です。年齢や職業を問わず書店に関心のある多くの方々にいらしてもらえると幸いです。

第1回 時間消費型の新刊書店

■日時:5月22日(金)19時〜21時

場所:solid & liquid MACHIDA カフェスペース(町田マルイ6階、小田急線町田駅徒歩2分、JR横浜線町田駅徒歩1分)

https://www.facebook.com/pages/Solidliquid-%E3%82%BD%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%AD%E3%83%83%E3%83%89/667876799974426

■料金:800円(ワンドリンク付)

ゲスト

・(株)TSUTAYABOOK部・安本朋幸

・万田商事専務高田鉄(オリオン書房

リーディングスタイル蝓紳緝充萃役・今出智之

聞き手:加島卓(東海大学)+柳原伸洋(東海大学

■参加方法メールまたはsolid & liquid MACHIDA 店頭でご予約ください。メール場合は(1)お名前、(2)お電話番号、(3)「5月22日の「町田×本屋×大学」に参加希望」とお書きの上、kitada@readingstyle.co.jpまでお送り下さい。頂いた個人情報はこのイベント以外には使いません。また先着での受付になります。定員(30名)になり次第、締め切らせて頂きます

■お問い合わせ:042-785-4951(solid & liquid MACHIDA)

URLhttp://machidahonyadaigaku.hatenablog.com/

 なお、6月20日(土)19時からは、小規模の個性派書店(三店舗)に注目した「新しい本屋の形を考える」というセッションを予定しております。こちらにつきましては、改めてお知らせします

 以下は、企画の背景とねらいについてです。

 「町田×本屋×大学」を企画した背景としては、「本屋の街」「変わる書店の在り方」「大学の交差点」の三つがあります

 まず、町田は「本屋の街」です。しかし、2013年以降に大型書店リブロ、あおい書店福家書店ほか)が撤退してからは、町田で入手可能な書籍の種類が限られてしまいました。そうしたなか、2014年6月にブックカフェ形式書店(solid & liquid MACHIDA)が町田マルイ6階にオープンし、本にまつわる「場」や「商品」にも目を配った個性的店舗を展開しています。そこでこのような機会を活かし、地域の住民や周辺の大学と緩やかに連携しながら程良い読書空間を作り出していくことはできないだろうかと考えました。

 次に「変わる書店の在り方」です。オンライン書店が急成長する一方で、オフライン書店の在り方が再編成されつつあります。都心の大型書店では、併設カフェなどでトークショーなどのイベントを開催し、店舗へのリピーターを増やそうとしています。また、下北沢のB&Bや京都の恵文社一乗寺店のように地域性を活かしたイベントを開催し、個性的書店作りに努めているような事例も出てきました。こうした傾向を踏まえつつ、都心ではなく「町田であることを看板にして、町田という場所からこそ可能なトークショーやブックフェアを開催できないだろうかと考えました。

 最後に「大学の交差点」です。町田を中心に見ると、小田急線と横浜線沿線にはかなりの数の大学があり、またそうした大学を目指す高校生たちもいます。言い方を変えれば、様々な本の書き手町田周辺で働いており、またそうした書き手の下で学ぶ可能性の高い高校生がいます。こうした地理的な条件を踏まえれば、大学の交差点である町田ハブにして、書き手を緩やかにネットワークしつつ、読み手出会う機会を作れるのではないかと考えました。

 以上を踏まえ、2015年5月より「町田×本屋×大学」というイベントを始めます。これは町田マルイ6階のブックカフェ「solid & liquid MACHIDA」にて、町田近辺の大学ネットワークしながら地域住民通勤買物客、大学生高校生対象にトークショーやブックフェアなどを開催するイベントです。都心ではなく「町田」で、インターネットではなく「本屋」で、小田急線や横浜線沿いの「大学」を横断しながら、出版文化を応援するのが目的です。

 「町田×本屋×大学」では沿線の教育施設と緩やかに連携しながら運営していくことを考えております。企画案などがありましたら、ご相談下さい。

2015年4月30日

文責:加島 卓(東海大学文学部広報メディア学科准教授

machidahonyadaigaku@gmail.com

2015-04-26 KoSAC『発表会文化論』の発表会 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

第12回KoSAC『発表会文化論』の発表会

 2015年度初めてのKoSACのお知らせです。今回は、KoSACの共同運営者の一人である東京経済大学の光岡が寄稿した『発表会文化論―アマチュア表現活動を問う』(青弓社2015年)の書評会をトランスアジアポピュラー音楽研究会、および東京芸術大学毛利研究室との共催で開催します。詳細は以下の通りですが、参加頂ける方は、KoSACのいつものアドレスではなく、書評会用の(e-mail:happyoukaiculture@gmail.com)へご連絡頂ければと思います。休日開催ですので、普段平日は参加するのが難しいという方も奮ってご参加下さい。

日時:2015年5月24日(日)15:00〜18:00

会場:東京芸術大学 千住キャンパス 第一講義室(東京都足立区千住1-25-1)

   (URL: http://www.geidai.ac.jp/access/senju

参加費:無料

申し込み:不要(ただし、当日のレジュメの準備などがあるため、事前に参加の旨をご一報いただけると助かります。事前の連絡先:happyoukaiculture@gmail.com)

開催趣旨

 『発表会文化論』の出版にあたり、書評会を開催することになりました。サブタイトルにもあるように、同書はアマチュア表現活動について、さまざまな角度から議論を交わした本です。もちろん、あらゆる表現活動を網羅することは不可能で、当然のことながら同書で扱いきれなかった分野もあります。とはいえ、たとえ分野は異なっても、アマチュア表現活動を取り巻く状況には共通する点が多々存在します。本書は、これまで、しばしば見過ごされてきた(あるいは自明のものとされていた)アマチュア文化実践領域において、新しい分析の枠組みを提供していると考えています。今回の書評会は、本書で議論された「発表会」という形式意識しつつ、ここで提示された新しい問題構成とその分析について、さまざまな研究領域、さまざまな世代の研究者を交え議論をしようという試みです。

  まず、同書で取り上げることができなかった分野を専門にしている研究者や同書に興味を抱いた大学院生コメントを行ないます。そして、それぞれのコメントを受けて、執筆者には報告ごとに応答してもらいます。そのうえで、会場のみなさんとディスカッション時間を設けたいと思います。

 この書評会はどなたでもご参加いただけます。事前に『発表会文化論』をご一読いただけると幸いですが、「予備知識」なしでの参加も歓迎します。ぜひご参加下さい。

登壇者:

タイムテーブル

15:00〜15:10 書評会の主旨説明(毛利)、『発表会文化論』概要説明(宮入)

15:10〜16:10 報告 吉澤飯田浅野)+執筆者の応答

16:10〜16:20 休憩

16:2017:20 報告◆高橋、調、今井)+執筆者の応答

17:2017:50 フロアとのディスカッション

----------------------------------------------------------------------

主催トランスアジアポピュラー音楽研究会東京芸術大学 毛利嘉孝研究室

共催:KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture)

問い合わせ:mouri@ms.geidai.ac.jp毛利

2015-03-21 KoSAC「卒論修論フォーラム Vol.2」 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

第11回KoSAC「卒論修論フォーラム Vol.2」のお知らせ

 「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、通称コサック)」では、大学の街でもある「国分寺」を拠点に「社会」「芸術」「文化」などをテーマにしながら、毎回ゲストをお呼びしてお話を伺う機会を設けております

 その第11回として、「卒論修論フォーラム Vol.2」を2015年3月21日(土・祝)に開催します。これは卒業論文修士論文を書き終えた方がその内容を発表し、それに対して評者がコメントをする合評セッションです。研究の精度をより高めるというよりも、より多くの人に話題を共有してもらうことが目的なので、会場の参加者にも議論を開く形で行います。今回のプログラムは以下の通りで、一つ目はドイツ美術史をボードゲームで学ぶ卒業制作の報告と試遊、二つ目芸術/非芸術区別社会学的に検討した修士論文の報告と議論になります

14:00  はじめに:加島卓(武蔵野美術大学ほか)

14:10-15:50 「ヴォルプスヴェーデ村と4人の芸術家たち:1894-1937」

報告者:山中麻未(武蔵野美術大学芸術文化学科) 評者:山本貴光哲学劇場

16:00-17:50 「人々の実践としての芸術/非芸術区別:法・倫理批評領域に焦点を当てて」

報告者:岡沢亮(東京大学大学院学際情報学府) 評者:森功次(日本学術振興会)+松永伸司(東京藝術大学

18:00 おわりに:光岡寿郎(東京経済大学

18:30 懇親会(国分寺駅周辺)

 なお、今回の報告者につきましては以下のサイトをご確認下さい。

山中麻未「ヴォルプスヴェーデ村と4人の芸術家たち:1894-1937」

http://asamiy024.tumblr.com/post/110263428782/4-1894-1937

・岡沢亮「人々の実践としての芸術/非芸術区別:法・倫理批評領域に焦点を当てて」

http://ryookazawa.hatenablog.com/entry/2015/02/18/220313

当日のレポートと報告レジュメは、以下の通りです。

山中麻未「3月21日(土)KoSAC修論卒論フォーラムのご報告」

http://asamiy024.tumblr.com/post/114494838157/3-21-kosac

森功次+松永伸司「第11回KoSAC「卒論修論フォーラム Vol.2」の資料公開」

http://d.hatena.ne.jp/conchucame/20150322/p1

 KoSACでは大学院生研究者に限らず、学生から社会人までどなたでもご参加頂けます。ご所属や年齢を気にせず、テーマにご関心がありましたら奮ってご参加下さい。また、今後KoSACで取り上げたい企画の提案も歓迎いたします。また最後に、今回は会場の都合により、参加を希望される方は事前にメールでのお申し込みをお願いしております

■日時:2015年3月21日(土・祝) 14:00〜18:00

場所東京経済大学国分寺キャンパス 第四研究センター4階4422研究集会室

 国分寺キャンパス正門を入って直進。突き当たり右側にある図書館の4階です。入口は図書館とは別になっていますので、図書館を正面にして左側に「第四研究センター」と書いてある入口からエレベーターで4階に上がって下さい。上がると4階に地図があります。そこで4422研究室の位置をご確認下さい。尚、当日は祝日のため、14時以降、第四研究センターの入口が施錠される場合がございます。施錠されている場合には、当日入口の見える位置に呼び出しの方法を掲示しておきますので、ご参照のうえご連絡下さい。参加者の皆さまにはご迷惑をおかけしますが、ご協力頂ければ幸いです。

構内の地図は以下のURLをご参考になさって下さい。

URL: http://www.tku.ac.jp/campus/institution/kokubunji/

■報告者:山中麻未(武蔵野美術大学)、岡沢亮(東京大学大学院

■評者:山本貴光哲学劇場)、森功次(日本学術振興会)+松永伸司(東京藝術大学

■司会:加島卓(武蔵野美術大学ほか)+光岡寿郎(東京経済大学

■参加方法 ※会場の都合で事前予約をお願いしております

(1)お名前(2)ご所属(3)自己紹介(4)懇親会への参加/不参加を140字程度で joinkosac(at)gmail.com (atを@マークに変えて下さい。)までお送り下さい。

■問い合わせ

joinkosac(at)gmail.com (atを@マークに変えて下さい。)

URL

http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/

http://toshiromitsuoka.com/

2015-01-22 KoSAC「アート×キャリア×ネットワーキング Vol.3」 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

第10回KoSAC「アート×キャリア×ネットワーキング Vol.3」のお知らせ

 「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、略称コサック)」では、国分寺を中心に「芸術」「文化」「社会」をテーマとしながら、毎回ゲストを招いて一緒に議論をする会を開催しています

 第10回のテーマは、KoSACでも中心的なテーマの一つになりつつある、アートに関わるキャリア形成です。私たち経験するアート業界」は、数多くの職能を持った人々によって支えられていますが、彼/彼女らの仕事やそこから生まれる人的なネットワークは、これまで具体的に語られる機会はほとんどありませんでした。そこで今回は、東京文化発信プロジェクトプログラムオフィサー佐藤李青さんをゲストに迎えて、今まで手がけてこられたプロジェクトや、そこから拡がったネットワークについて、具体的なエピソードを交えてご紹介頂こうと考えています

 佐藤さんは、大学院在籍時から展覧会アートプロジェクトに携わるかたわら、一方では日本の近現代美術運動研究対象とされてきました。東京都小金井市の文化政策の一環である「小金井アートフル・アクション!」の立ち上げにも参画し、実行委員会事務局長を務められます。その後2011年より現職に就かれ、現在でも数多くの地域型のアートプロジェクトマネージメントに関わっておられます

 1990年代後半以降、「アートマネージメント」をうたう学部大学院の新設が増加した一方で、その出口問題は依然として解決されていない現状を考えれば、学生時代からどのようにアクションし、どのような人々と出会ったことで現在の道が開けたのかを伺える今回は、貴重な機会になるのではないでしょうか。ですので、これから仕事としてアートに携わりたい学生フリーランスの方も、日本のアートシーンを対象とした研究を進めたいと考えている方も是非ご参加頂ければと願っています

 なお、今回のゲスト佐藤さんの主な経歴は以下のテキストをご覧下さい。

吉澤弥生『続々・若い芸術家たちの労働2014年3月28-32頁

https://drive.google.com/file/d/0BytBPnz0rcUUai1qbVh5cXhWZVE/view?pli=1

2015年1月22日まで限定ウェブ公開)

■日時:2015年1月22日(木) 18:30〜20:30(今回は木曜日開催です!)

場所東京経済大学6号館7階中会議室

 (http://www.tku.ac.jp/campus/institution/kokubunji/

 正門から直進して突き当り左手にある青い建物が6号館です。エレベーターを使って7階に上がって下さい。

話題提供者:佐藤李青さん(東京文化発信プロジェクト室)

■司会:加島卓(武蔵野美術大学ほか)、光岡寿郎(東京経済大学

■参加方法:(1)お名前、(2)ご所属、(3)自己紹介を140字程度でjoinkosac(at)gmail.com(atを@マークに変えて下さい)までお送り下さい。当日参加も歓迎いたします

■問い合わせ

e-mail: joinkosac(at)gmail.com(atを@マークに変えて下さい)

URL

http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/

http://toshiromitsuoka.com/

2014-12-30 2014年:回顧と展望 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 30代もあと一年20代の頃とは好みもすっかり変わり、昔の自分にはきっと笑われるに違いない。20代までは自分の好きなものばかりを見ていたのだが、30代になって好き嫌いちょっとだけ宙吊りにして転がす楽しみを覚えた。思い込みから少しだけ自由になることで、今までよりも丁寧に考えられるようにはなったと思う。

 振り返ってみれば、最初論文2005年の「<感性>の誕生:反−構図としてのレイアウト」(季刊『d/SIGN』No.11、太田出版)。大学院修士三年目でなかなか苦しい時だったけど、幸いにも多くの読者に恵まれ、これから自分が何をどのように書いていけばよいのかを少し知れた思い出の論文だった。

 あれから10年。2014年は、何よりも『〈広告制作者〉の歴史社会学近代日本における個人と組織のゆらぎ』(せりか書房2014年http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20140305)を刊行できたことが嬉しい。500頁弱で6000円もするのだが、インターネットでは「鈍器」や「ブロック」と呼ばれ、どういうわけか「#かしまさんおすし」(byきゃさ)というハッシュタグへと展開し、「おすし代」という怪しい郵便物も届いた(笑)。おかげさまで、素晴らしい書評も出た。開沼博さん(読売新聞)、佐藤健二さん(週刊読書人)、南後由和さん(図書新聞)、高野光平さん(文化社会学研究会)、どうもありがとうございました。

 単著と同時進行だったのが、「特集堤清二辻井喬」『ユリイカ』(2014年2月号、青土社)に書いた「「社会」を語る文体とセゾンの広告:「作者の死」と糸井重里の居場所」(http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/20140221)。「おいしい生活。」や「不思議、大好き。」に軽く言及することで1980年代の日本を説明しようとする「広告=社会の鏡」仮説がどうしても受け入れられず、その苛立ちが最終的には「社会学にとって「広告」とは何か?」というテーマに至った論文だった。いやしかし、流通範囲の割には読者がちっとも見えてこないのが『ユリイカなのだとも知りました(笑)

 それから、どういうわけか『文學界』(2014年4月号、文藝春秋社)に「お菓子のデザイン」(http://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/bungakukai1404.htm)というエッセイを書く機会を頂いた。論文はある程度の読者を想定して書くので、文体を定めやすい。しかしエッセイはそうもいかずで、「編集者に気に入ってもらえるかどうか」が本当に重要だということを知った。ヤクルト、とんがりコーン、森永マリー、そしてルマンドについて書いたのだが、何度読んでも不器用な仕上がり。純文学をやっていた母は、単著刊行よりもこちらを喜んでいたな(笑)

 研究報告は「美人画ポスター概念分析」(大正イマジュリィ学会)と「『あまちゃん』のデザインと「稚拙さ」の居場所」(露光研究発表会)と「アイドルグラフィックデザイン:『あまちゃん』のテレビデザインと「残念」の居場所」(文化社会学研究会)の三つ。『あまちゃん』関連では岩手県久慈市のロケ地巡りまでして、1980年代ノスタルジーについていろんなアイデアを得たのだが、もう少し熟成させたい感じでもある。

 研究会関連だと、2013年8月から光岡寿郎さん(東京経済大学)と始めたKoSACの回数を積み重ねた一年だった。KoSACとして声を掛けられるような機会も頂くようになり(露光研究発表会やCAMPほか)、活動の幅が広がるようにもなった。女子高生Twitter経由でKoSACにやってきたりで、これから進路指導大学のことも考えさせられたんだっけな。

 本務校の東海大学は5年目。専任講師から准教授になり業務は増えたが、文学部に若手の同僚が増え始めたのが嬉しい。教育では「メディア社会学」を新しく開講して、一年生向けに社会学メディア論の基礎を教えられるようになったのはよかった。中央大学は2年目。ようやく調子をつかみ始め、受講生と話す機会も増えるようになった。武蔵野美術大学はもう7年目。卒業生活躍を毎年のように聞くようになったのだが、インターネットでしか活躍しない人も増えたね(笑)

 まぁめっちゃ悔しいこともいくつかあったけれども、来年も頑張りますメディア論教科書インターネット広告のことを書いたり、現代社会論の教科書1990年代のことをいくつか書いています出版の企画をいくつか頂いているので、そろそろ具体案を作ってみようかとも思います。新しい研究テーマに移行しつつ、査読論文も書いていきたい。あとは、みんなが大好きなあの町田イベントを始めようとも思っております

 それでは、よいお年を来年もどうぞよろしくお願いします。

2014-12-20 KoSAC「画像の問題系 演算性の美学」合評会 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

第9回KoSAC「gnck「画像問題演算性の美学」合評会」のお知らせ

 「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、通称コサック)」では、大学の街でもある「国分寺」を拠点に「社会」「芸術」「文化」などをテーマにしながら、毎回ゲストをお呼びしてお話を伺う機会を設けております

 その第9回目として、雑誌美術手帖』(美術出版社)の第15回芸術評論で第1席を受賞したgnckさんをお招きし、「画像問題演算性の美学」の合評会を開催します。また評者として、ロバートステッカー分析美学入門』(勁草書房2013年)の訳者でもある森功次さん(日本学術振興会特別研究員)をお招きします。今回はお二人をお招きして、日本における美術批評の展開と美学芸術学のこれまでの議論とがどのような関係を持っているのか(または、そもそも別のことなのか)といった点などを議論していく予定です。みなさん、奮ってご参加下さい。

 gnckさんの専門はキャラ画像インターネット研究で、2011年3月武蔵野美術大学造形学部芸術文化学科卒業されております。これまで関わられた企画展としては「JNT×梅ラボ 解体されるキャラ」(2009年)、主な批評には「ビットマップインターフェイス美学」(『ニコちく ニコニコ建築幻像学』2013年)、「二艘木洋行個展 プロミスフレンズニアレストネイバーランド前」(『美術手帖2014年12月号)などがあります

 また森功次さんの専門は哲学美学で、『分析美学入門』の翻訳の他にも、「ケンダルウォルトンフィクション論における情動問題――Walton, Fiction, Emotion」(『美学芸術学研究』29号、2010年)、「作品倫理性が芸術的価値にもたらす影響:不完全な倫理主義を目指して」(『批評理論社会理論〈1〉』叢書アレテイア13号、御茶の水書房2011年)、「芸術道徳寄与するのか――中期サルトルにおける芸術論と道徳論との関係」(『サルトル読本法政大学出版局2015年1月刊行予定)などがあります

 なお、当日までに以下のサイトを読んで来られることをお勧めますそれから今回は会場の都合により、参加を希望される方は、事前にメールでのお申し込みをお願いしております

・gnck「画像問題演算性の美学

http://www.bijutsu.co.jp/bt/GH15_kekka.html

http://togetter.com/li/720485

http://d.hatena.ne.jp/kno_apm_kgd/

http://hidari-zingaro.jp/2014/10/event_report_tmoc/

ロバートステッカー森功次 訳)『分析美学入門』

https://sites.google.com/site/bunsekibigakunyumon/home

http://researchmap.jp/morinorihide/

研究会当日の配付資料森功次)

http://researchmap.jp/mulpnxrmr-1833297/#_1833297

■日時:2014年12月20日(土)16:00〜18:00

場所東京経済大学 第四研究センター4階4422研究集会室

 国分寺キャンパス正門を入って直進。突き当たり右側にある図書館の4階です。入口は図書館とは別になっていますので、図書館を正面にして左側に「第四研究センター」と書いてある入口からエレベーターで4階に上がって下さい。上がると4階に地図があります。そこで4422研究室の位置をご確認下さい。構内の地図は以下のURLをご参考になさって下さい。

URL: http://www.tku.ac.jp/campus/institution/kokubunji/

話題提供者:gnck

■評者:森功次(日本学術振興会特別研究員

■司会:加島卓(武蔵野美術大学ほか)、光岡寿郎(東京経済大学

■参加方法(会場の都合で、今回は事前に参加登録をお願いします

(1)お名前(2)ご所属(3)自己紹介を140字程度で joinkosac@gmail.com までお送り下さい。

■問い合わせ

joinkosac(at)gmail.com (atを@マークに変えて下さい。)

URL

http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/

http://toshiromitsuoka.com/

美術手帖 2014年 10月号

美術手帖 2014年 10月号

2014-11-05 KoSAC「デザイン×キャリア×ネットワーキング」 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

第8回KoSAC「デザイン×キャリア×ネットワーキング」のお知らせ

 「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、通称コサック)」では、大学の街でもある「国分寺」を拠点に「社会」「芸術」「文化」などをテーマにしながら、毎回ゲストをお呼びしてお話を伺う機会を設けております

 第8回のテーマはデザインに関わるキャリア形成です。20世紀後半になると、「デザイン」という言葉は幅広い領域で使われ、その意味も拡がっていきました。また20世紀からコンピュータが普及し始め、「デザイナー」として働ける機会も増えました。こうしたなか、デザインに関するキャリア形成多様化し(もしくは単純なものではなくなり)、プロジェクトコラボレーションを通じて行われるようにもなりました。そこで今回は、「ラボラトリーズ」の代表取締役で、グラフィック・デザイナーアートディレクター加藤賢策さんをお招きして、今までに手がけてこられたお仕事や、現在に至るまでの働き方の変遷、そうしたなかで培ってきたネットワークなどについて、具体的なエピソードを交えてご紹介頂こうと考えています

 加藤さんは武蔵野美術大学大学院視覚伝達デザインコース修了後、視覚デザイン学研究室助手を経て、2006年に「東京ピストル」を設立2013年7月には株式会社「ラボラトリーズ」を設立し、グラフィックデザイン、ブックデザイン、WEBデザイン、サインデザインなどを手がけています。主な領域アート建築思想で、最近では『チェルノブイリダークツーリズムガイド 思想地図β vol.4-1』(ゲンロン、2013年)や『mau leaf』(武蔵野美術大学2012年〜)といったお仕事も手がけております。今回はデザインの最新動向というよりも、デザイナーとして様々な人とどのようにお仕事されているのかという話が中心になるかと思います

 これから仕事としてデザインに携わりたい方、また既にデザイナーとして働かれていたり、デザイナーと一緒に仕事をする機会のある方、さらには日本のデザインについて研究をされたいと考えている方にとっても貴重な話が伺える機会になると思いますので、奮ってご参加下さい。

 なお、今回のゲスト加藤さんの代表的お仕事は以下をご覧下さい。

http://labor-atories.com/

■日時:2014年11月5日(水)18:00〜20:00

場所武蔵野美術大学鷹の台キャンパス9号館5階 515教室

http://www.musabi.ac.jp/access/map/

西武国分寺線「鷹の台」駅より徒歩で約20分/JR中央線「国分寺」駅北口よりバスで約20

http://www.musabi.ac.jp/access/

話題提供者:加藤賢策ラボラトリーズ)

■司会:加島卓(武蔵野美術大学ほか)、光岡寿郎(東京経済大学

※今回は武蔵野美術大学の科目「メディア情報II」の特別講義との共催になります

■参加方法

(1)お名前(2)ご所属(3)自己紹介を140字程度で joinkosac@gmail.com までお送り下さい。当日参加も歓迎いたします

■問い合わせ

joinkosac(at)gmail.com (atを@マークに変えて下さい。)

URL

http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/

http://toshiromitsuoka.com/

2014-09-23 gnck「画像の問題系 演算性の美学」を読んで このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 はじめてお会いしたのは、大学2年生の時だったのかしら。当時は武蔵野美術大学芸術文化学科での非常勤講師を始めたばかりで、右も左もよくわからなかった。こんな感じでいいのかな〜と思いながら授業を終えた後に、「お勧め読書リストを作ってもらえないでしょうか?」と声をかけられたのである。随分と熱心な学生がいるものだと感心し、「デザインに関する本が、デザインをより良く理解させてくれるとは限らない」と名付けたいい加減な読書リスト差し上げたのはよく覚えている(笑)

 在学中には「JNTx梅ラボ 解体されるキャラ展」展(2009年武蔵野美術大学apmg、http://9artz.jp/h/662/jnt_umelabo_gnck/)という、現在は「カオス*ラウンジ」で知られる梅沢和木http://umelabo.info/index.html)と現在は「カイカイキキ」に所属しているJNTHED(http://meiblog.fullmecha.com/base/profile)の二人展を企画・運営していた。所謂美術史」が書いてこなかったデジタル画像物質的な固有性に強い関心があったようで、『創造の欲望をめぐって―キャラ画像インターネット―』という卒業論文を書き、学科賞も受賞していた。

 その方による論文、gnck「画像問題演算性の美学」が『美術手帖』による「第15回芸術評論募集」で第一席を受賞した(http://www.bijutsu.co.jp/bt/GH15_kekka.html)。簡単に言えば、描線が像を結ぶように、ピクセルが像を結んでしま「奇跡」を、ビットマップベクタードットジャギーグリッチインターフェースが観察される作品から説明することを通じて「画像演算性の美学」と呼んでみたい!という批評である学生時代から考えてきたことを、なるべく誰にでもわかるようにと丁寧に書かれている。

 メディア論的に読んでみると、「画像」というメディア物質性を具体的に記述しようとしている点で興味深かった。というのも、そういう記述もっともらしくなるのは、「低解像度、高圧縮率、データの破損」といった「メディアとして高級なものではなく、むしろ貧しいもの」を扱った時であり、その時にこそ「メディア原理的な特性」が観察されるからである。「メディアは高度化すればするほど、透明な存在になっていく」とも書かれていたが、デジタル画像のそれらしさは質の高さにおいてではなく、むしろ質が低い状態においてこそ、理解しやすいものになっている。分かりやすく言えば、YouTube動画の動きがギザギザな時にこそ、「インターネットらしいねぇ」とその固有性を楽しめるのだ。

 他方で、「ジャギーは汚れではなく結晶なのだ」として「画像演算性の美学」は成立するという行論は、美学ありきの書き方なんだろうなとも思った。例えば、社会学なら「ジャギーは汚れである、にもかかわらず、汚れに魅了されるのはいかにしてか?」と問いを立て、「ジャギー汚染学」の成立条件を記述する方向を探る。gnckは、「汚れ」の水準で理解され、美術史に書かれてこなかった画像を「救済」するために「結晶」へと昇華させた上で、「画像演算性の美学」に着地させているように思うのだが、社会学なら私たちはそれをいかにして「汚れ」と理解しているのかを記述することに徹すると思う。

 いや、もちろん美学社会学は同じ対象においても複数記述が成立可能であることをそれぞれに示せばいいんじゃね?と思うのだが、その両者を比較するなかで、どの辺で価値を消すことが出来なくなるのかは興味深いところである画像における「ノイズ」や「汚れ」は正常な状態に対する異常な状態として記述可能だと思うけれども、「ローファイ」になると、そのように理解したい人の歴史観なしでは記述できなそうにも思う。テクノロジーとして何が達成されているのかということと、私たちがいかなる概念を使って画像を見ているのかということは、それぞれに探求可能であるはずだ。

 なお、授賞式で「ネットとかよくわからないオジさんたちに向けて書かれた解説」(https://twitter.com/kaichoo/status/513986394960564224)というスピーチがあって、そこそこウケた(笑)。受賞者をもっと素直に褒めてあげればいいのになぁと思いつつ、審査員への違和感のほうが強かったのかもしれない。これに対して、gnckは「別に「オジサン」に向けて書いたのではなくて、50年後、100年後もいるはずである学者でも通じるように書いたつもりだ」(https://twitter.com/gnck/status/514221671452909568)という。まぁリアルタイムで進行する面白さにいち早く反応することと、リアルタイムでなくとも長く読まれるものを書いていくことは区別可能だし、そのほうがシーンも盛り上がるだろうというところか。私としては、選考委員において「どうでもよかったことが、どうでもよくなくなった」感があっただけでも、まずは成功と言えばよいと思っている。

 よい文章というのは、同じ題材を見て、自分だったらこういう書き方をしてみたいな〜と思わせてくれるものである。その意味で、gnck「画像問題演算性の美学」は後続の書き手文体選択肢を与えたように思う。勿論、この批評以前にも似たような試みはあったのだろう。しかし、どこの誰が一番最初なのかという人称性の水準ではなく、何がどのように述べられたのかという個別記述の水準で楽しめるようになれば、美術批評はまだまだ面白くなるのではないか。誰にでも書けるかもしれない文章たまたまgnckが書き、またそれが「第15回芸術評論募集」で第一席を受賞したことが、社会学的に考えて面白いところである(笑)

▼gnck「画像問題演算性の美学」(「第15回芸術評論募集」入選作発表、PDFで公開中)

http://www.bijutsu.co.jp/bt/GH15_kekka.html

▼「gnck「画像問題系 演算性の美学」(美術手帖第15回芸術評論募集 第一席入選論文)を読んで」

http://togetter.com/li/720485

▼参考画像(図5、図10はなし)

・【図1】都築潤「New Insector」(2001年

http://neweidos.cc/

・【図2】せいまんぬ「自負まんぬ」(2010年

http://touch.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=9308538

・【図3】中ザワヒデキポチョムキン」 (1990年

http://nakazawahideki.archive661.com/20120212_01/index.html

・【図4】二艘木洋行「敦己、グレープフルーツもちょうだい」(2014年

http://nisougi.tumblr.com/image/80850072869

・【図6】トーマス・ルフjpeg msh01」(2004年

http://38.media.tumblr.com/5e0b8cd9f5ed82e92fe7adee22415bc2/tumblr_n32jbdtdnO1rf1l2eo1_1280.jpg

・【図7】渡邉朋也「画像プロパティ」(2014年

http://watanabetomoya.com/work/display-properties/

・【図8】ucnv「Tab. Glitch」(2013年

http://www.ntticc.or.jp/Archive/2013/Openspace2013/Works/Tab_Glitch_j.html

・【図9】ヌケメ「グリッチ刺繍」(2012年

http://nukeme.nu/post/28134782371/make-japan-official-glitch-embroidery-t-shirts

・【図11】エドゥアール・マネすみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」(1872年

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fd/Edouard_Manet_040.jpg

・【図12】JNTHED「Deform」(2006年

http://retype.fullmecha.com/post/55184249467/deform-by-jnthed-2004

美術手帖 2014年 10月号

美術手帖 2014年 10月号

2014-09-15 露光研究発表会2014と沖縄戦跡 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

「露光研究発表会2014」(http://rokouken2014.wordpress.com/)で報告するため、三泊四日で沖縄に行ってきた。2008年9月に開催された「露光研究発表会」(http://d.hatena.ne.jp/champuru/)の第二回目で、第一回目の時は「せんとくん」について報告し、今回は「あまちゃん」に関する報告をした。こういう報告をしたい時もある。

 初日は12時半頃に那覇空港に到着したのだが、まさかの大雨。前日までの天気予報に反して熱帯低気圧が登場し、いきなりテンションが下がる。とりあえずモノレールで首里まで移動し、「首里そば」(http://shurisoba.shop-pro.jp/)へ。まさかの大行列で30分位待ってから生姜の効いた麺を楽しみ、会場の沖縄県立芸術大学当蔵キャンパスへ。

 天内大樹さんの報告を残念ながら聞き逃し、しっかり拝聴できたのは河村彩さんの報告「壁とページ:エリ・リシツキー制作をめぐって」から。リシツキーが手がけた雑誌と展示空間関係を紹介するような報告だったので、そもそも当時のロシアの印刷技術職人とリシツキー関係はどういうものだったのか?と質問。どうやら、リシツキーはドイツの印刷技術のほうに関心が向いていたようである

 夜の懇親会は失礼して、武蔵野美術大学で一緒にアートプロジェクトをやっていた方とおもろまちで再会。まさかの「京風鉄板焼き屋」(http://www.hotpepper.jp/strJ000989258/)だったのだが、なんだかんだで深酔い。タクシーで今回の宿「ロコアナハ」(http://www.rocore.jp/)へ向かったら、めっちゃ快適な部屋で感激。沖縄から本土へ移住した人びとについて書いた『同化と他者化』(http://www.nakanishiya.co.jp/book/b134997.html)の著者、岸政彦さんの紹介である

 翌日は、森功次さんの報告「「芸術作品は非現実的ものである」というテーゼについて:初期サルトルにおける芸術作品存在論身分美的経験論」から拝聴。『分析美学入門』(http://www.keisoshobo.co.jp/book/b109885.html)の感想を申し上げたかったのだが、準備不足で断念。書評会があれば、参加したいのだが。次は、遠藤みゆきさんの報告「博覧会から展示会へ:写真家のための写真展覧会と「絵画写真」の形成」を拝聴。確かに「芸術写真」という用語が語られたのかもしれないが、それの実践的な使用価値は具体的にはどのようなものだったのか?とやや意地悪な質問をしてしまって反省

 お昼は、首里の沖縄伝統料理屋「富久屋」へ(http://okinawa.kanjiman.net/restaurant/izakaya-naha-kokusaidoori/hukuya.html)。住宅街のなかで場所はわかりにくいが、古民家風の内装と優しい味付けがとても良かった。壁に貼られていたポスター「Banjo Ai 唄の島」(http://jimrock.sakura.ne.jp/pre/banjo-ai.html)は、海岸も見える沖縄的な場所でAKB的な衣装をまとい、ウエスタンハットでバンジョーを奏でていたのだが、とにかく隙間の多い仕上がりで失礼ながら大爆笑

 午後は司会を担当することになり、阿部純さんの報告「『ku:nel』的地域文化誌が見せる「ライフスタイル」考」と、三井麻央さんの報告「19世紀ドイツのアルブレヒト・デューラー受容における、作品の位置づけ:ヘルマン・グリム芸術から」を拝聴。前者には科学や賢さをあてにした『暮らしの手帖』的な生活誌との比較面白そうだねと適当コメントし、後者にはロマン主義実証主義の「両義性」という言葉の中身をもっと教えて下さい的な質問をするなど。

 さらに二つの報告を拝聴してから、宜野湾トロピカルビーチ(http://www.ginowankaihinkouen.jp/information/)に移動してのバーベキュー。まさかの海鮮メニューなしで、ひたすら野菜をしゃぶることに(涙)。靴下を脱ぎ、島草履に履き替え、白い砂浜を歩き、波で足を濡らして、夕日を眺めるなど。前回もここでバーベキューをしたのだが、眺めのよい場所である二次会では県庁前まで戻り、どういうわけか青森から飛行機を乗り継いで那覇までやってきた本務校の上司をみんなで向かえることに(笑)。世の中には、こうしてじっとしていられない人がいる。

 三日目は、ようやく自分の報告「『あまちゃん』のデザインと「稚拙さ」の居場所」。『あまちゃん』におけるグラフィックデザインの過剰さをアイドル文化におけるデザインの歴史と関係付けて説明し、あのテレビドラマにおけるグラフィックデザインの「稚拙さ」が「未熟」というよりも「成熟」の水準で捉えられていることを社会学的に論じてみたりなど。アイドルに限ってグラフィックがしょぼかったのはどうしてか?とか、「ヘタウマ」に普遍化してもいいんじゃね?とか、テレビ研究との関係もっと論じられることがあるんじゃね?とかで、フルボッコ美学美術史を専門にする人が多いなかで、資本主義ズブズブの制作物をどういう風に語ったら面白がってもらえるかな〜とまたしても考えさせられた。

 午後はエクスカーションで、まずは「佐喜眞美術館」(http://sakima.jp/)へ。丸木位里丸木俊による「沖縄戦の図」について解説してもらってから、普天間基地にめり込んだ土地と屋上階段象徴的な意味についても解説を伺う。何をどのように質問してよいのかもわからないうちに、「でもね、青い空青い海も沖縄よ、アハハ」と回収されてしまうなど。続いて、「嘉数高台公園」(http://www.odnsym.com/spot/kakazu.html)では、沖縄戦で使用された日本軍トーチカ跡を見つつ、展望から再び普天間基地を眺める。オスプレイ監視する団塊世代の方々が何名もいた。

 最後は「南風原文化センター」で、沖縄陸軍病院南風原壕群20号(http://www.town.haebaru.okinawa.jp/hhp.nsf/790659c24eed726e49256fff00306cf5/6b3fdcbe82f9533d4925755200258090?OpenDocument)の壕内を見学所謂「ひめゆり学徒」が看護補助要員として動員された場所でもあり、今日マチ子の『cocoon』でも描かれていた「飯上の道」を歩き(http://www.1101.com/cocoon/2013-07-09.html)、自決のために青酸カリ入りのミルクが配られたという暗い穴の中でガイドの話にひたすら耳を澄ます。この三カ所を巡ったことが、翌日の南部戦跡巡りをとても充実させてくれることにもなった。夜は牧志駅周辺の居酒屋で、実行委員の方々に改めてお礼を申し上げつつ、お隣の方からでんぱ組.incについてお話を拝聴するなど。

 最終日は研究会でお知り合いになった方々とレンタカーを借りて南部の戦跡巡りへ。まずは、「旧海軍司令部壕」(http://kaigungou.ocvb.or.jp/about.html)へ。南風原壕を見た後なので、こちらのほうが立派に見えてしま不思議さ。太田司令官自決により「海軍部隊組織的戦闘はここで終わった」と言うのだが、その後を知っている私たちにはもどかしい記述である。続いて、南端の「喜屋武岬」(http://www.odnsym.com/spot/kyan.html)へ。自決場所で知られる岬だが、当時の向かいの海は米軍の船に取り囲まれて真っ黒に見えたとか。以前はここに移動販売車がいて、ドラゴンフルーツにシークヮーサーをかけて食べたのが、今回はお見かけできずに残念。

 続いて、「ひめゆり平和祈念資料館」(http://www.himeyuri.or.jp/JP/top.html)へ。ここに来るのも二度目なのだが、前日に南風原文化センターへ行っていたので、展示内容を関連付けて見ることができた。というか、前回に訪問した時には、南風原のことを殆ど読み流していたことに気が付いた。観光を通じて自分の中に地図が出来上がるとは、こういう感じなのであろう。それから資料館では証言員の活動記録自体を保存公開していて、当番表や連絡ノートなどを見ることができ、これは本当に良かった。

 ひめゆりの後には「平和祈念公園」(http://kouen.heiwa-irei-okinawa.jp/)に移動して、沖縄時間をさらにゆっくりにしてしまう公園内のゾーニングを確認するなど。6月23日(慰霊の日)における日の出の方位に合わせて園路が伸びている「平和の礎」とその先にある「平和の火」は、象徴的にデザインされ過ぎでかなり怖かったのだが、人間にはこんなことしか出来ないのかもしれない。沖縄戦終焉の地と言われる摩文仁の丘の「国立沖縄戦没者墓苑」では、おばぁに花束を二つも買わされてしまったのだが、どういうわけか私を女の子だと思っていたようだ(笑)

 遅めの昼食は奥武島まで移動して、もずくそば「くんなとぅ」(http://tabelog.com/okinawa/A4704/A470403/47001022/)へ。ガジュマルに囲まれたテラス席で、もずく麺のそば、もずく天ぷら、もずく酢、もずくゼリーが揃った定食で、一年分のもずくを摂取(笑)。前回も来たが、このお店は本当におすすめ。食後は奥武島をぐるっと回り、自動販売機で「琉球コーラ」。この辺りで時間を気にするようになり、「ニライカナイ橋」(http://www.odnsym.com/spot/nirai.html)で風景をさっと楽しんでから、海沿いをぐるっと回り、与那原から南風原を経由して那覇市内へ戻る。路上直売所でマンゴーやドラゴンフルーツを購入したかったのだが、見つからずで牧志の公設市場で入手してから、みんなで空港へ。

 九月の沖縄と言えば台風らしいのだが、前回に続き今回も天候には恵まれた。普段の行いがよいからだと思うのだが(笑)、今回もまた沖縄県立芸術大学のみなさんには本当にお世話になった(ありがとうございました)。三泊四日の滞在だったが、朝から夕方まではお互いの研究に耳を澄まし、夜はみんなでお酒を飲み、そこでお知り合いになった方々とエクスカーションやレンタカー戦跡巡りをできて本当に楽しかった。学会ほど規模が大きくなく、かといってシンポジウムのように一期一会でもない。程々の人数の研究会で、そこそこ研究分野が近ければ、それなりに充実した出会いになるのだと思う。

 考えてみれば、博論提出とその単行本化が済み、ようやく夏らしい夏を過ごせたようにも思う。東北巡りと沖縄巡りの二カ所だが、これくらい動けば、トーキョーの喧噪と本務校周辺の気だるさも一時的には(笑)忘れられることも知った。こういう仕事の仕方もあるのかと新しい身体感覚を得たところで、2014年度の秋学期はもう始まろうとしている。

2014-08-28 三陸鉄道と国道45号線 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 三泊四日で三陸海岸を南下した。ざっくり言えば、久慈〜宮古〜山田〜大槌〜釜石〜大船渡〜陸前高田〜気仙沼〜南三陸〜仙台〜塩竃というルート南北300kmを2014年4月に完全復旧した三陸鉄道と国道45号線を走る路線バスで移動したので、その記録を残しておく。

 久慈はNHK連続テレビ小説『あまちゃん』の舞台になった街である。確かに「残念」な感じの漂うあの「駅前デパート」前までは、東北新幹線二戸駅からバスで一時間強。夜の到着だったので、駅には帰りの電車を待つ高校生しかない。思いのほか、道路は綺麗に整備され、電線は地中に埋まり、大型店舗もそれなりにある「街」だったので、ちょっとずっこけた。

 寿司屋が点在するなか、食事は中央線沿線のお店っぽい内装が外から見えた喫茶店『Cafe Salute』へ。ビールとピザだけのつもりだったのだが、マスター釣り上げたイワシがさっと出てきて、続いて地元のホヤを頂き、さらには自家製の枝豆やトマトが並び、最後には日本酒が盛られた。気がつけば、私は店内に置かれたギターを手にして、マスターピアノを弾いていた(笑)

 翌朝は、さかなクン支援している「もぐらんぴあ まちなか水族館」で『あまちゃん』のテレビ美術の展示を堪能。小道具を集めた「あまちゃんハウス」には時間の都合で寄れず、駅前で小袖海岸行きのバスを待つことに。間もなく、次々とヤバめの男子がやってきて(笑)、彼らのことを「オタクさん」と呼ぶこの街集客力を見せつけられた。

 久慈は観光ボランティアに力を入れている。あまちゃんTシャツを着用したガイドバスの乗客に手を振り、運転手はあまちゃんのテーマ曲を流しながら見どころを解説する。小袖海岸のバスから海女の実演見学場所まではガイド無料で同行してくれ、撮影スポットを手短に解説してくれる。朝ドラが街を活気づけるとはこういうことなのかと思い知らされた。

 海女の実演も、観光客の期待を裏切らない。おばさんだけではなく、女子高生もちゃんと混ざっている(笑)。あの格好で登場したら「がんばれ〜」ってみんなで声をかけ、海女がウニを両手で高く取り上げたら「わ〜っ」と拍手を送る。自分も潜ってみたいとは決して思えない微妙専門性というか、その距離感を楽しみに来ているんだなと思った。

 震災一年前に出来た「小袖海女センター館」は津波で流失し、再建工事が進む現在プレハブ小屋だった。「あまちゃん」のオープニングで天野アキ(能年玲奈)が駆け抜けた堤防では、観光客がダッシュしながら動画撮影している。崖の上には「監視小屋」があり、船着き場には「まめぶ」がある。気がつけば、現実風景ドラマ登場人物を重ねてしまう。これが「聖地巡礼なのだと知った。

 帰りのバスでも、みんなが手を振っている。なんというか、ディズニーランドとまではいかないが、久慈はそれなりにはっきりした「物語」がある。なんというか、「あまちゃん」以外に物語を探索しようとは思えないシンプルさが出来上がってしまった感じだ。だから「地元の人と同じような経験をしたい!」と溶け込むよりも、「観光客として素直に楽しみたい!」と物語に入り込める。そういうキャストゲストの分かりやすい関係が、久慈の居心地の良さかなと思った。

 三陸鉄道北リアス線(久慈〜宮古)は8月の週末ということもあり、高齢者ツアー客で大混雑。その結果、久慈駅周辺をゆっくり歩くこともできず、楽しみにしていたウニ弁当は売り切れ、お座敷列車を予約していない平民としてぎゅうぎゅうの一般車両に詰め込まれた(涙)。立ち位置が悪く、車窓から風景殆ど楽しめず、その代わりに車内でウニ弁当をビールやワインと一緒に楽しみ写真撮影に勤しむ乗客をぼ〜っと眺めるという最悪な展開となった。不平等社会には革命必要で、我が内なる暴力にも覚醒した時間だった(笑)

---

 久慈を取り囲むあの物語世界観は普代駅くらいまでで、終着駅の宮古はすっかり「脱あまちゃん化」されていた。以降は、津波の街を巡ることとなり、更地とかさ上げの工事、そして仮設の住宅と商店街を沢山見ることになった。ここからは路線バスで南下したのだが、釜石に到着するまでに山田と大槌を見た。住宅がある高台住宅のない平野風景コントラストは激しく、殆ど場所瓦礫は片付けられているため、津波以前を全く想起することのできない眺めの連続だった。

 釜石での夜は「釜石はまゆり飲食店街」の「ひまわり」へ。仮設店舗は外装で判断することが出来ず、どのお店に入ればいいのかが悩ましい。「エスニックスープ」という手がかりだけで入ってみたのだが、女将と話しているうちにそこそこ温まり新日鉄住金釜石製鉄所に勤めるおっさん二人がやってきてからは、「君も新日鉄釜石就職しなさい!」という流れに(笑)。釜石は2019年のワールドカップラグビー誘致に名乗り出ているのだが、現実的な難しさと期待値の低さも沢山教えてもらった夜だった。

 翌朝の三陸鉄道南リアス線(釜石〜盛)には座れたのだが、やはり高齢者観光客満席状態。気がついたら、36歳のご子息をお持ちの団塊男子の持論を聞かされることになり、多くの風景を見逃してしまった(涙)。とはいえ、釜石市内の津波被害の大きさは高架を走る三陸鉄道に乗ってから知った。また、乗車した車両はトンネル内で津波被害を逃れた「奇跡の車両」だったという。おっさんの話に耳を澄ます役割さえ生じなければ、もっと自分のペースで過ごせたのだが(笑)

 盛駅に到着したらホーム脇にBRT(バス高速輸送システム)大船渡線が待っていたので、それで大船渡を経由して陸前高田へ向かった。BRTは線路敷をバス専用道にしたルートを走るもので、一般道のように信号もなく、鉄道用に掘られたトンネルを抜けたりもする。バスに乗りながらも車窓的には鉄道なので、そのズレを味わう一方で、BRTが一般道を走る時には大破した線路跡を見ることにもなる。鉄道なくして成立しないBRTだが、鉄道よりも便利に思えてしまうのが、なんとも複雑なところ。

 当日は仁平典宏さんが陸前高田でワークショップをやっていると伺い、会場までの移動プラン検討したのだが、レンタカーがないとアクセスが困難な場所だった。やむを得ず、陸前高田市役所前から希望の一本松まで歩こうとしたものの「距離的にも時間的にも厳しい」と助言され、今回のスケジューリングの甘さを悔やんだ。乗り換えたBRTから、今まで以上に広大な陸前高田の更地とベルトコンベアを眺め、もやもやしたまま気仙沼に入ることになった。

 タクシーの運転手に連れて行かれた「気仙沼魚市場」でどういうわけかカレーを食してから、今度はBRT気仙沼線へ。陸前小泉駅周辺の線路跡、南三陸のベイサイドアリーナ、志津川の南三陸さんさん商店街などを経由し、終着駅の柳津へ。BRTの一番前に座っていたので、歌津トンネルに入った時に遥か先に見えた出口の光の小ささは印象的だった。柳津からは仙台まではJRを二回乗り換えて移動。石巻に行けなくもなかったが、既に疲労していたので断念。ずっと山と海と更地を見てきたためか、賑やかな仙台市内に到着したら軽く目眩がしたのをよく覚えている。

 最終日は、先輩と合流して塩竃へ。志波彦神社鹽竈神社を参拝してから、御釜神社で神器にまつわるお話を伺い、『塩竃すし哲物語』(ちくま文庫2011年)で知られる「すし哲」でお腹を満たした。それから塩竃港を経て、公園脇の塩釜市東日本大震災モニュメントへ。振り返れば、この道中で本当に沢山の石碑を見てきたことに気付かされた最後訪問地だった。

---

 ダラダラと書いてしまったが、今回は鉄道バスで三陸海岸を南下するだけで精一杯だった。十分に滞在できなかった場所は多いのだが、久慈にはまた夏に行ってみたい。それが今回の予想外の収穫であり、「あまちゃん」の出演者たちも放送終了後に何度も足を運んでいるようだ(笑)。なお今回のガイドブックは、遠藤弘之『三陸たびガイド 復興支援』(マイナビ2014年)。これに加えて時刻表をインターネット確認しておけば、レンタカーでなくても十分に移動できる。

三陸たびガイド

三陸たびガイド

2014-05-22 KoSAC「アート×キャリア×ネットワーキング Vol.2」 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

第7回KoSAC 「アート×キャリア×ネットワーキング Vol.2」

「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、略称コサック)」では、国分寺を中心に、「芸術」「文化」「社会」をテーマとしながら、毎回ゲストを招いて一緒に議論をする会を開催しています

第7回のテーマアートに関わるキャリア形成です。今年1月のKoSACでも同様のテーマを扱いましたが、反響も大きく、今後も継続的に「アートキャリア」について考える機会を持つ予定です。

私たち経験するアート業界」は、数多くの職能を持った人々によって支えられていますが、彼/彼女らの仕事やそこから生まれる人的なネットワークは、これまで具体的に語られる機会はほとんどありませんでした。そこで今回は、TOKYO ART BEATの共同創設者であり、現在日米のアートシーンを股にかけて活躍される藤高晃右さんをゲストにお招きして、今まで手がけてこられたプロジェクトや、そこから拡がったネットワークについて、具体的なエピソードを交えてご紹介頂こうと考えています

藤高さんは一般企業に勤める傍ら、バイリンガルアート情報サイトとしては日本でも最大の「TOKYO ART BEAT」を2004年に立ち上げられました。その後2008年にはNYに活動の拠点を移し、現在は「NY ART BEAT」を運営されています。加えて、日米に拡がるネットワークを通じて、NYの最新のアートシーンを日本のメディアで伝えたり、日本からNY訪問する美術関係者の現地コーディネートなど幅広い仕事を務められています。今回は、NYの最新のアート動向だけではなく、アートを含めたクリエイティブ情報産業現場についてもお話が伺えるはずです。

これから仕事としてアートに携わりたい学生フリーランスの方にとっても、日本のアートシーンを対象とした研究を進めたいと考えている方にとっても貴重な話がうかがえると思いますので、奮ってご参加下さい。

なお、今回のゲスト藤高さんの代表的お仕事は以下をご覧下さい。

TOKYO ART BEAT (http://www.tokyoartbeat.com/)

NY ART BEAT (http://www.nyartbeat.com/)

スマートニュース (https://www.smartnews.be/)

■日時:2014年5月22日(木) 19:00〜21:00(今回は木曜日開催です!)

場所東京経済大学6号館7階中会議室

http://www.tku.ac.jp/campus/institution/kokubunji/

正門から直進して突き当り左手にある青い建物が6号館です。エレベーターを使って7階に上がって下さい。

■話題提供者:藤高晃右さん(TAB, NYAB, SmartNews

■司会:加島卓(武蔵野美術大学ほか)、光岡寿郎(東京経済大学

■参加方法:(1)お名前、(2)ご所属、(3)自己紹介を140字程度でjoinkosac(at)gmail.com(atを@マークに変えて下さい)までお送り下さい。当日参加も歓迎いたします

■問い合わせ

e-mail: joinkosac(at)gmail.com(atを@マークに変えて下さい)

URL

http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/

http://toshiromitsuoka.com/

2014-03-05 〈広告制作者〉の歴史社会学 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 このページは、加島卓『〈広告制作者〉の歴史社会学近代日本における個人と組織をめぐる揺らぎ』(せりか書房2014年http://www.amazon.co.jp/dp/4796703306/)を紹介するものです。また、本書は日本社会学会 第14回奨励賞(著書の部)を受賞しました。

更新情報2015年11月9日):難波功士「《書評》加島卓『〈広告制作者〉の歴史社会学近代日本における個人と組織をめぐる揺らぎ』」『メディア研究』(第38号、メディア研究会2015年)のPDF書類を「▼書評や紹介」欄で公開しました

▼概要

 本書は、芸術家アーティスト)でも企業人(サラリーマン)でもない〈広告制作者〉という曖昧職業理念の歴史を濱田増治、今泉武治、亀倉雄策横尾忠則らを例に歴史学的に調べ、社会学的に分析したものです。その特徴は以下の通りで、

(1)広告やデザインの歴史

(2)広告制作がいかにして専門的な知識や職業になったのかを記述した社会学

(3)メディアの送り手や自由業的な労働意味についての研究

などとして、お読み頂くことができます。また、本書は以下のような関心から書かれています

(1−1)広告やデザインの歴史はいかに書かれてきたのか?

(2−1)広告やデザインにおいて「作者」概念はいかにして必要だと考えられるようになったのか?

(3−1)広告やデザインを職業にする人びとは「個人」と「組織」の関係をいかに考えてきたのか?

 したがって、本書は広告史やデザイン史、そして知識社会学や言説分析/概念分析、さらにはメディア論専門家職業人の研究などに関心ある方などにお勧めできます

▼著者紹介

加島 卓(かしま・たかし)

1975年東京都生まれ東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。東京大学助教を経て、東海大学文学部広報メディア学科准教授武蔵野美術大学及び中央大学非常勤講師博士(学際情報学)。専門はメディア論社会学広告史、デザイン史。

編著に、『文化人とは何か?』(東京書籍2010年南後由和と共編)。主な論文として、「デザインを語ることは不可能なのか」(『文字のデザイン・書体のフシギ』左右社2008年、第7回竹尾賞受賞)、「美大論」十「ユーザーフレンドリー情報デザイン」(遠藤知己編『フラット・カルチャー現代日本社会学せりか書房2010年)、「「つながり」で社会を動かす」十「メディアリテラシーの新展開」(土橋臣吾・南田勝也・辻泉編「デジタルメディア社会学北樹出版2011年)ほか。

http://d.hatena.ne.jp/oxyfunk/about

▼本書の成り立ち

 本書は東京大学大学院学際情報学府に提出し、2012年6月に博士号(学際情報学)を授与された博士論文を加筆修正したものです。概要と審査要旨は、以下の「東京大学学位論文データベース」でご覧いただけます

http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/gakui/cgi-bin/gazo.cgi?no=128544

 また、本書は日本社会学会 第14回奨励賞(著書の部)を受賞しました。選考委員会による選評は以下の通りです。

受賞作品について】

 本書は、<広告制作者>がいかに自らを理解し語ってきたのかを、広告やデザインをめぐる物と言葉の関係に注目することで解明したうえで、近代における広告やデザインをめぐる「語り直し」が近代における人称性の消え難さを指し示していること、それらをめぐる「揺らぎ」が近代的個人と近代組織における個人というふたつの理念の循環のゆえに生じていること、そしてこの人称性の消え難さを具体的に示すのがこのふたつの理念を循環する秩序としての<広告制作者>であることを解明した良書である

 また、別の観点からみれば、ある語り方、あるいはある問いとそれへの答えの与え方のセットを言葉と物との歴史的な配置のうちに求めていくその方法(事象記述)は、歴史社会学に新しい道をひらくものだとも思われる。そしてその新しい方法は、同時に、広告という営みをめぐって生じる個人と組織との間のある揺らぎを記述するものにもなっており、その意味社会学古典的な主題にもしっかり接続されている。

 本書の主題設定、方法論的設定は先行研究を十分にふまえて緻密かつ周到に行われており、全体構成の位置づけ、守備範囲の限定、複数の位相や水準の弁別なども入念に練られたうえで行われており、分析は堅実、緻密でありながらも考察は独創的、先駆的であり、高く評価できる研究と判断される。

▼はじめに(PDFファイル

https://sites.google.com/site/oxyfunk/public/kashima-hajimeni.pdf

あとがきPDFファイル

https://sites.google.com/site/oxyfunk/public/kahsima-atogaki.pdf

▼目次

はじめに

第一章 〈広告制作者〉と歴史社会学

 一 問題意識:理解への問い

 二 研究対象:〈広告制作者〉という職業理念

 三 研究方法事象記述

 四 先行研究:〈広告制作者〉の歴史社会学

第二章 〈広告制作者〉の不在

 一 引札における署名

 二 「戯作」という起源

 三 代作屋書知と戯作者

 四 「文案」の誕生

 五 工芸における図案

 六 比較の視座

 七 「区別」の発見

 ハ 参照点の不在

 九 工芸図案から印刷図案へ

第三章 〈広告制作者〉の起源

 一 広告の全面展開と図案家の揺らぎ

 二 大戦ポスター美人画

 三 杉浦非水と七人社

 四 商業美術家誕生

 五 職業理念としての〈広告制作者〉

第四章 〈広告制作者〉の自律

 一 企業のなかの商業美術家

 二 論理自律

 三 ポスター概念拡張美人面の馴致

 四 語りのなかのレイアウト

 五 レイアウト概念拡張

 六 報道技術者弁証法

 七 報道技術者と「書くこと」

第五章 〈広告制作者〉の成立

 一 戦後のなかの戦前

 ニ アートディレクター新井静一郎

 三 今泉武冶の消され方

 四 新井静一郎という偶然

 五 アートディレクターという冗長さ

 六 広告業界から語る/デザイナーから語る

 七 組織における技術語りの多重化

 ハ 東京ADCの「再スタート」と広告業界の再編

 九 アートディレクターの上書き

第六章 〈広告制作者〉の展開

 一 商業デザイナー批評家

 二 模倣の社会問題化

 三 日本調モダンデザインとグラフィックデザイナー

 四 広告業界における組織の強化

第七章 〈広告制作者〉の並存

 一 なんとなく、デザイナー

 二 学生運動と日宣美の解散

 三 モダンデザインの限界芸術家としてのグラフィックデザイナー

 四 広告業界グラフィックデザイナー

第八章 〈広告制作者〉の歴史社会学

 一 理解への問い

 二 職業理念の系譜

 三 本研究の意義と課題

あとがき

参考文献表

索引

▼関連書籍のご案内(本書をより良く理解するために)

(1)記述方法について

 第1章はとても不器用な仕上がりなのですが、,鯑匹鵑事象記述という方法に関心を持ち、↓で歴史社会学や言説分析が一体何をやっているのかを知り、きイ膿佑咾箸痢嵳解」を記述する概念分析やエスノメソドロジー面白さを教えてもらいました。

々畧硝子『流通する「人体」―献体・献血・臓器提供の歴史勁草書房2007年

¬郛絽機戦争体験の社会学―「兵士」という文体弘文堂2006年

佐藤俊樹・友枝敏雄(編)『言説分析の可能性―社会学的方法の迷宮から (シリーズ 社会学のアクチュアリティ:批判と創造)東信堂2006年

前田泰樹・水川嘉文・岡田光弘(編)『エスノメソドロジー―人びとの実践から学ぶ (ワードマップ)新曜社2007年

酒井泰斗・浦野 茂・前田泰樹・中村和生(編)『概念分析の社会学 ─ 社会的経験と人間の科学ナカニシヤ出版2009年

(2)広告史・デザイン史について

 広告やデザインの歴史は戦前・戦中の研究殆どです。近代日本の広告を「気散じ」という受け手の水準で述べたΑ∪鐫罎報道技術研究会の活動をまとめたА∪鏤期のグラフ雑誌を分析した─戦前業界誌『廣告界』を中心に論じたなどがあり、明治から昭和までのデザインをめぐる通史としてがあります

北田暁大広告の誕生―近代メディア文化の歴史社会学 (岩波現代文庫)岩波書店2000年

難波功士「撃ちてし止まむ」―太平洋戦争と広告の技術者たち (講談社選書メチエ)講談社選書メチエ1998年

井上祐子『戦時グラフ雑誌の宣伝戦―十五年戦争下の「日本」イメージ (越境する近代)青弓社2009年

竹内幸絵『近代広告の誕生 ポスターがニューメディアだった頃青土社2011年

長田謙一・樋田豊郎・森仁史(編)『近代日本デザイン史 (美学叢書 (03))美学出版2006年

(3)個別の分析について

 「芸術としてのデザイン」や「アーティストとしてのデザイナー」という言い方は1960年代末に流通するようになったのですが、1970年代にはこうした作家主義的な広告史やデザイン史を問題にするような本が登場します。

 例えば、ではデザイナー意図還元しないデザイン批評が書かれるようになり、でデザイナー広告産業の関係が歴史的に振り返られるようになり、では社会的産物としてのデザインが書かれました。

 本書は、このように「作者」を当たり前のように語り、他方で「作者の死」を当たり前にする人びとが、そもそも「生かすにしろ、殺すにしろ、いかにして作者概念広告やデザインにも必要だと考えるようになったのか」こそ書かれるべきではないかという関心を持っています

 また「職業理念」の問題の仕方については、近代日本における「個人」と「組織」の「対立的な関係」とその歴史的な経緯についてはがとても参考になります

柏木博『近代日本の産業デザイン思想晶文社1979年

山本武利・津金澤聰廣日本の広告―人・時代・表現 (SEKAISHISO SEMINAR)日本経済新聞社1986年

アドリアン=フォーティ『欲望のオブジェ鹿島出版会1992年

宮本直美『教養の歴史社会学―ドイツ市民社会と音楽岩波書店2006年

佐藤俊樹近代・組織・資本主義―日本と西欧における近代の地平ミネルヴァ書房1993年

書評や紹介

・「博論よりもTwitter面白い」(とある合評会)

・「一刻も早い日本語訳が待たれる」(制度上の指導教員

・「非モテ文章」(ネット出会った会社員

・「この分厚く、読みやすくはない一冊…」(ベテラン読書人)

・「まるで科研費の申請書のよう…」(若手社会学者

・「『凡庸な芸術家の肖像 』を思い起こさせる、この物質感、圧倒的迫力…内容的にも物質的にも「殴打」したい中堅・若手研究者の顔が思い浮かびます」(とある学術系編集者

・「エクリチュール歴史的分析をこころみる地道な研究論文書籍化。多くの引用文献によって〈広告制作者〉の社会史としても読める。日本における近代デザイン史の定式を再検討するための一冊」(『アイデア』第364号、誠文堂新光社2014年)。http://www.idea-mag.com/jp/publication/364.php

・「ここで問われているのが「広告とはなにか」「デザインとはなにか」「広告制作者とはなにか」といった問題に答えを与え、確定することではない、ということだ。問いはもう一段入りくんでいて、「時代や状況ごとに人はなにをもって「広告とはなにか」と考えるようになったのか」という形をしている。つまり、「広告」や「デザイン」という言葉使用と理解は、いかなる条件の下に成立してきたのかという、歴史社会学の試みなのである」(山本貴光「人はなにを「広告」だと思ってきたか」)。http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20140501

・「広告制作者は、近代が個人を組織に取り込み、人称性を消そうとする中で「どっちつかず」の特異な存在となっている。その姿が興味深い。長大で難解な部分もある論考だが、江戸から現在まで「広告」の社会的位置づけの変遷を総覧できるという意味でも貴重な一冊だ」(開沼博「個人と組織の二重性」『読売新聞2014年5月11日)。https://sites.google.com/site/oxyfunk/public/20140511-yomiuri-kainuma.jpeg

・「「言葉の厚み」という表現が何度となく、説明の大切な局面で使われたのが印象的だ。著者が自らの方法だとする「事象記述」は、この厚みの解剖学であり、内部の図解なのであろう…意匠条例を下支えにしつつ注目された「図案」が工芸から印刷文化の領域に移動すること、史的記述における「新井静一郎」と「今泉武治」の濃淡明暗の描き直しなど、面白くてためになる知識が縦横に詰められた一冊である。……制作物と制作者の隔たり……この「隔たり」それ自体が「商品」となる条件こそが分析のかなめになる……最終章の「近代組織における個人の在り方」などやや一般的な図式に傾いた印象が拭えず、改めて著者による「広告代行業」の成立と変容の、分厚い「事象記述」が読みたいと思った」(佐藤健二「「言葉の厚み」の解剖学:「広告」という「商品」の奇妙さを分析する」『週刊読書人2014年5月23日)。https://sites.google.com/site/oxyfunk/public/20140523-dokusyojinn-sato.jpg

・「作者や作品を中心として広告・デザインの本質を語る美術史でもなく、記号論消費社会論を駆使して外在的に広告と社会の関係を語る社会史や社会批評でもない本書は、新たな広告史・デザイン史の領域を開拓したと言えよう……また日記新聞雑誌業界誌、叢書、データベースなど、著者がどのような史料をどのような方法によって解読、記述したかの手の内が惜しげもなく披露されている(人文社会科学科学たることのお手本でもある)……〈広告制作者〉をめぐる厚みある具体的な記述が、専門的知識、職業理念、個人と組織の関係を通した、近代日本という「社会」の記述になっているがゆえに、本書は、その他の領域との比較研究にも開かれた仕事としてある」(南後由和「新たな広告史・デザイン史の領域を開拓」『図書新聞2014年6月7日、3161号)。https://sites.google.com/site/oxyfunk/public/20140607-toshoshinbun-nango.jpg

・「本書が、広告研究の水準を一段高めた、エポックメイキングな成果であることは間違いない。……広告史を広告制作物の編年作品集広告関係者の列伝とせず、広告の語られ方、さらにはその語りの文脈を丸ごと剔抉しようとする壮図には拍手を送りたいと思う。……そうした本書の意義をふまえた上で、読了後に覚えた違和感について、以下三点述べておきたい。まず一つ目は、「今泉武治」についてである。……評者の違和感一言で表してしまえば、今泉統計学で言うところの「外れ値」のような存在ではないか、という点である…」(難波功士「《書評》加島卓『〈広告制作者〉の歴史社会学近代日本における個人と組織をめぐる揺らぎ』」『メディア研究』(第38号)メディア研究会2015年)。https://sites.google.com/site/oxyfunk/public/2015-mediahistory-namba.pdf

書評会のお知らせ

第53回文化社会学研究会

日時:2014年5月31日(土)15:00〜

会場:早稲田大学戸山キャンパス 31号館311教室

http://www.waseda.jp/jp/campus/toyama.html

々睫邯平(茨城大学)『〈広告制作者〉の歴史社会学』の書評

菊池哲彦(尚絅学院大学)「写真と歴史:「古きパリ」ブームにおける写真をめぐって」

▼訂正表

 今後更新します。

・p.165 「×太田英茂(一八七七〜一九九四) → ○太田英茂(一八九二〜一九八二)」

・p.363 「グラフィックデザイナー人間疎外を語ることが可能になってくる」の文末に註番号「(82)」が入ります

・p.367 図版と図版のキャプションが逆になります

・p.450 「×関西外国語大学ほか → ○京都外国語大学ほか」

2014-02-21 「社会」を語る文体とセゾンの広告 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 永江朗『セゾン文化は何を夢みた』(朝日新聞出版2010年)が刊行された時、「これでもう出尽くしたかな…」と思った。そしたら、『談』(第90号、たばこ総合研究センター2011年)の「辻井喬戦後日本の文化創造:セゾン文化は何を残したのか」特集が出て、さらには『BRUTUS Casa』(EXTRA ISSUE、マガジンハウス2013年)の「渋谷PARCOは何を創ったのか!?」特集が続いたので、まぁなんというか、諸先輩方もなかなかしぶといな…と思ったものである(笑)

 西武広告と言えば、糸井重里による「おいしい生活。」や「ふしぎ、大好き。」といったコピーが語られ、パルコ広告と言えば、石岡瑛子小池一子による「モデルだって顔だけじゃダメなんだ。」や「裸を見るな。裸になれ。」といったビジュアルがしばしば語られる。これらはある種のパターンになっていて、広告に言及するふりをしながら、結局は書き手自分語りになることも多い。というか、書き手の昔を振り返るために当時の広告が社会の鏡として参照される程度である

 私が知ってる限りでは、こういう「広告=社会の鏡」仮説は、1960年代後半以降にじわじわと定着したものである高度経済成長を終えた日本はそこそこ豊かになり、企業として「いかに広告すればよいのか?」を考えるのとは別に生活者立場から大衆文化としての広告」を語ることが可能になったのである。早い例で言えば、南博福田定良であり、加藤秀俊江藤文夫、石川弘義、山本明、藤竹暁、鶴見俊輔らによって積み重ねられた「大衆文化としての広告」語りは、天野祐吉島森路子編集長を務めた『広告批評』(マドラ出版1979年2009年)に結実していった。

 西武パルコ広告は、こうした「広告=社会の鏡」仮説にうってつけの素材だった。というも、商品などを直接的に訴求することが多かったそれまでの広告に対して、西武パルコは「よくわからないけど、面白い」としか言いようのない広告を展開し始め、人びとの話題になったからである。そして、このような変化を踏まえ、多くの広告分析記号論図像学を参照し、意味の秩序を記述する方向へと向かった。広告分析することで、消費社会構造を取り出すような文体採用したのである

 『ユリイカ』(2014年2月号、青土社)の特集「堤清二辻井喬」に寄せた拙稿「「社会」を語る文体とセゾンの広告:「作者の死」と糸井重里の居場所」は、ここで述べたような「分析」が具体的にはどのような前提を持ち、またそれによって何が書かれ/書かれなかったのかを論じたものである文学絵画への記号論図像学を経由することで広告はいままでになく分析されるようになったのだが、それと同時に文学絵画広告も同じように「作者の死」が適用されてしまい、特に糸井重里堤清二との関係で実際には何を達成していたのかが見えにくくなってしまったよね?というお話である

 結論だけ言っておくと、「糸井が何をやっていたのかと言えば、「面白さ」を強調することで消費者の自立を支援」したのである。また「その点において、糸井と堤は幸せな出逢いをしていたのである」。そこには「人びとを画一的に説得する広告から、多様な人びとの参加を支援する広告へ」の移行があり、「セゾンの広告で「社会」を語る文体は「作者の死」をあてにした分だけ、この移行をうまく捉えられなかったのかもしれない」のである

 こうした指摘が最終的に何を意味するのかは、拙稿の最後をお読み頂きたい(笑)。なお、これを書くにあたって大量のセゾン論を読んだのだが、辻井喬上野千鶴子ポスト消費社会のゆくえ』(文春新書2008年)が一番参考になった。セゾンの広告に対する上野さんの「分析」を読むのが辛いのだが、辻井喬堤清二への「聞き手」として上野さんは他の誰にもできない仕事だったと思う。「時代の伴走者」(『〈私〉探しゲーム』筑摩書房1987年)としての役割とは、そういうものなのかもしれない。

 なお、『東京人』(2014年3月号、都市出版)でも「堤清二辻井喬」の追悼小特集がなされている。永江朗さんは相変わらずなのだが、吉見俊哉さんは「セゾンからベネッセへ」という図式を描き、セゾン美術館と直島ベネッセアートサイト比較し、「福武が「東京的」なものへの反発を繰り返し表明してきたのに対し、堤=セゾン文化は徹底して「東京的」であった」というお話を展開している。東京大学本郷キャンパスに福武ホールが出来るまでを見てきた者としては苦笑いしてしまうところもあるが、吉見さんらしい展開でもある。『セゾンからベネッセへ:消費社会のなかの文化政治学』(岩波新書)の刊行が待たれる(笑)

ユリイカ』(2014年2月号)

堤清二辻井喬  西武百貨店からセゾングループへ…詩人経営者戦後史 

【都市を仕立てる】

文化資本の〈場〉としての渋谷 / 吉見俊哉北田暁大

【ふたつの肖像

1984 モスクワ / 小池一子

表に堤清二、裏には辻井喬。 / 浅葉克己

経営詩人 / 日暮真三

カリスマそして知の巨人 / 林真理子

最後まで堤清二でいてほしかった / 水野誠一

捨て身の生涯の回顧 堤清二氏の他界を悼んで / 由井常彦

堤清二という志士 / 難波英夫

堤清二辻井喬・ところどころ / 八木忠栄

堤清二オーラル・ヒストリー / 御厨貴

朝鮮高校での辻井喬 / 四方田犬彦

【尽き果てぬ詩語をもって】

ゆとりゆりもどし / 藤井貞和

叙事詩としての堤清二 辻井喬へのオマージュ / 建畠晢

緑色の、双頭の、蛇? 堤清二さんをおくる / 小林康夫

自伝詩へのアクセスポイント 辻井喬のポエジーを読む / 水無田気流

辻井様宛ての秘密文書 / 今唯ケンタロウ

不易流行

消費の超克 堤清二増田通二の街づくりをめぐって / 三浦展 聞き手=南後由和

「社会」を語る文体とセゾンの広告 「作者の死」と糸井重里の居場所 / 加島卓

時代に衣裳をまとわせる 堤清二は日本モードに何をもたらしたのか / 成実弘至

ファッションブランド堤清二 西武百貨店SEED館が示すもの / 田中里尚

空中庭園をあとにして / 小沼純一

【“文化事業”の相克

百貨店という箱庭 西武百貨店リブロの入れ子構造 / 中村文孝 聞き手=田口久美子

インフラについて / 松浦寿夫

〈身体〉を取り戻す / 宮沢章夫

セゾン文化財団とわたし / 岡田利規

ひとつ帰着点】

裏切り」の瘡蓋をはがす営み 「戦後知識人」としての辻井喬 / 成田龍一

堤清二における「伝統」と血のメーデー事件 / 千野帽子

経営者としての堤清二 幻想殺しのための三章 / 飯田一史

【歴史の岐路】

堤清二×辻井喬クロニクル / 柿谷浩一

http://www.seidosha.co.jp/index.php?9784791702671

東京人 2014年 03月号 [雑誌]

東京人 2014年 03月号 [雑誌]

2014-02-17 KoSAC「卒論修論フォーラム」 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

第6回KoSAC「卒論修論フォーラム」のお知らせ

 「KoSAC(Kokubunji Society for Arts and Culture、通称コサック)」では、大学の街でもある「国分寺」を拠点に「社会」「芸術」「文化」などをテーマにしながら、毎回ゲストをお呼びしてお話を伺う機会を設けております

 その第6回として、「卒論修論フォーラム」を2014年3月15日(土)に開催します。これは卒業論文修士論文を書き終えた方がその内容を発表し、それに対して評者がコメントをする合評セッションです。研究の精度をより高めるというよりも、より多くの人に話題を共有してもらうことが目的なので、会場の参加者にも議論を開く形で行います。今回のプログラムは以下の通りになります

13:00 はじめに:加島卓(武蔵野美術大学ほか)

13:10-14:40 「想像‐想起としての映画経験――映画館プログラムと『観ること』の再定義――」

報告者:近藤和都(東京大学大学院) コメント上田学(日本学術振興会/東京工芸大学ほか)

14:50-16:20 「展示のモダニズム1920年代ソシエテ・アノニム再考」

報告者:慶野結香(東京大学大学院) コメント沢山遼武蔵野美術大学ほか)

16:30-18:00 「美術館における参加型アートの意義―教育普及活動としての視点