神様のお話【歳徳神】

2017年12月13日の正月事始めも過ぎて、段々と年末へ近づいてまいりました。年末大晦日も過ぎれば年始となり新しい一年が始まります。しかし旧暦で考えると、2018年2月16日が旧暦の元旦、旧正月となります。今月の12月18日は旧暦11月1日となっておりますから、昔ならまだ新年には少し早い時期かもしれないですね。年末も近くなったので隠れ宿でも来年のお札はというお問合せがございますので、この場をお借りしてお知らせをさせていただくと、2月16日が旧暦元旦なので2018年2月に入りましたら、来年のお札の受付や配布を開始していきたいと思っております。隠れ宿で配布させて頂く新年のお札は歳神様のいる位置か、北極星紫微宮のある北方位に置いてお祀りします。一般的には新しい年を迎えるにあたり、よく「歳神様をお迎えして」と聞いたことがあるかも知れません。また現代一般的には門松は歳神様の「依り代」になるとも言われております。その歳神様って?ということを、今回は書いてみたいと思います。

「三國相傳陰陽管轄ホキ内傳金烏玉兎集 天文司郎安倍博士吉備后胤晴明朝臣」という昔の書物がありまして、読み方は難しいのですが「さんごく そうでん いんようかんかつ ほきないでん きんうぎょくとしゅう てんもんしろう あべのはくし きびこういん せいめいあそん」と読みます。略しまして「ホキ内傳」という書物に書かれている神様の中に、歳神様がいらっしゃいます。では、その歳神様とはどんな神様なのか、物語を見ていきましょう。*ホキがパソコンは漢字変換できるのですが、ブログでは変換できないのでカタカナで表記しています。

ホキ内傳には「牛頭天王(ごずてんのう)」という神様の縁起(物語)が書いてあります。その牛頭天王という神様は、京都祇園の八坂神社にお祀りされておりますので、知っていらっしゃる方も多いかもしれません。縁起の最初に、牛頭天王の前世の因縁と、お妃を捜す事になった経緯が書かれています。下の写真がホキ内傳ですが、見ての通り漢文で書かれております。


漢文では読みづらいので現代語に訳したものを記載します。

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つらつら考えてみるに、北天竺の摩訶陀国(まかだこく)の霊鷲山(りょうじゆせん)の東北、波尸那城(はしなじょう)の西にあたる吉祥なる天の下に、王舎城という都城があり、その大王を商貴帝といった。商貴帝はかつて、天竺の神々の王である帝釈天に仕え、色欲や食欲から離れた者の住む善現天と呼ばれる天界に住んでいた。当時、商貴帝はもろもろの星の世界の監督目付をつかさどる天界の司法官職(探題)を帝釈天から授かり、欲界,色界,無色界の三界を自在に飛び回っていた。そのときの名を天刑星という。この天刑星が地に下って人間界に転生し、仏縁と深い縁で結ばれた王舎城の大王となったのは、その神仏を敬い信じる志が抜きん出ていたためである。

地に下った天刑星は、名を牛頭天王と改めた。鋭く尖った二本の角を頭から突き出し黄牛の面貌をした牛頭天王の姿は、まるで人を傷つけたり食らうことをなりわいとする夜叉さながらであり、その威勢は周囲数十里におよんだ。その顔が、他の者とはまるで異なる異相であったため、牛頭天王にはお后というものがなかった。姿かたちが夜叉と似ているからといって、祭政(さいせい)まで暴虐だというのではない。天王は、実にすぐれた為政者であった。それゆえ、すべての国民は、こういって王を称え、かつ嘆いた。

「天王はかつて一度も祭政を怠ったことがない。おかげで国は豊かに栄えている。風雨の害もなく、五穀は種も蒔かないのに実り、くさぐさの宝物も、求めないでもやってくる。かくもすばらしい治世なのに、天王にはお后様がない。これでは、天王の治世が子孫に受け継がれて、後々まで安楽の世を楽しむことが期待できないではないか」

人民がこう悲嘆にくれていたとき、虚空界(こくうかい)から一羽の青い鳥が飛来した。瑠璃鳥という名のその鳥は、翡翠のような形で、声は鳩に似ていた。その瑠璃鳥が、牛頭天王の目の前まで飛んできて、こうさえずった。

「わたしは帝釈天の使者で、かつてはあなたの同胞として天界でともに働いていたものです。そのころのあなたは、天刑星と名のり、わたしは毘首羅天子(びしゅらてんし)と名のって、あの頭が二つ、体は一つの人面禽身(じんめんきんしん)の共命鳥(ぐみょうちょう)のように親密な間がらでした。二つの頭のゆえに、語ることに違いはあっても、おおもとの思いは同じ。さながら鳥の両翼、車の両輪のように、天帝にお仕えしていたのです。あなたの信敬の志がひときわ深かったがゆえに、その後、あなた一人が人間界に生まれ変わり、今は地上世界の王たる転輪聖王(てんりんじょうおう)の位に就いておられます。ところがあなたには、后や側室がない。そこで天帝は、后になるべき女性のありかをあなたに教えるべく、かつての仲間であるわたしを使者に遣わしたのです」

こう過去の因縁を語ってから、瑠璃鳥は牛頭天王の未来の后の住むところを、このように告げ教えた。

「摩訶陀国から南に向かった海の向こうに、沙竭羅(しゃから)と呼ばれる龍宮があり、三人の美しい妃がいます。第一の明妃(みょうひ)は金毘羅女(こんぴらじょ)といい、第二の明妃は帰命女(きみょうじょ)といいますが、この二人は請われて北海龍宮の難陀龍王(なんだりゅうおう)と跋難陀龍王(ばつなんだりゅうおう)の兄弟の龍王に嫁ぎ、今はそちらにお住まいです。残る一人の明妃を、頗梨采女(はりさいじょ)といいます。紫磨黄金(しまおうごん)の輝くばかりの肌、仏菩薩の身に現れるという八十種の高貴で華麗な相を備え、閻浮檀金(えんぶだいきん:赤黄色で紫色の焔気を帯びた金) のようにうるわしい姿かたちは、月の桂に備わるという三十二の仏菩薩の相を引き写したかのようです。この頗梨采女こそ、あなたのお后となるべき女性。彼女を娶るべく、沙竭羅龍宮(しゃからりゅうぐう)に向かいなさい」

こう告げて、瑠璃鳥に変化した毘首羅天子(びしゅらてんし)は、虚空界へと戻っていった。

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物語はまだまだ続きますが、長くなるのでここで一旦止めます。続きが気になるとは思いますが、のちの物語は後日とします。要約しますと、牛頭天王はこの後、お妃を探しに沙竭羅龍宮へ向かいます。牛頭天王のお妃様が「頗梨采女(はりさいじょ)」で、いわゆる「歳神様」となります。前回の神様のお話で出てきました、太歳神(総光天王:八将神)の父神が牛頭天王、母神が頗梨采女となります。


右の写真にありますが、歳徳神方と書かれていて「右の此者は頗梨采女(はりさいじょ)といい、八将神の母なり。容顔美麗…」と書かれております。

九 甲と己年 東宮甲 寅卯
七 丙と辛年 南宮丙 巳午
五 戊と癸年 中宮戊 丑未辰戌、或いは巳午
八 庚と乙年 西宮庚 申酉
六 丁と壬年 北宮壬 亥子

このように書かれていて、昨年は丁酉年だったので「北宮の亥子」の北北西にいらっしゃいました。来年は戊戌年なので、中宮の丑未辰戌、或いは巳午となっています。ネットなどで2018年恵方と検索してみると「巳」となっていますが、本来は中宮の丑未辰戌の4ヶ所を移動する事になります。「或いは巳午」と書かれていますので、ネット情報は間違いではないと思いますし、普通に生活をしていたら一ヶ所の方が分かりやすいです。

そろそろ話をまとめますと、龍王の娘で、のちに牛頭天王のお妃様となり、世界を統括する八将神の母神となった女神が、歳徳神となります。私達の普段生活の見えないところでこの女神に力を貸してもらっていますので、昨年の事に感謝して手を合わせ、今年も力をお借りして生活をしていきますという事を年始にお願いをしているという事となります。昔は家庭に神棚とは別に、歳徳棚があったり、その年歳徳神のいらっしゃる方位の神社に恵方詣りをしていてという事もございました。一年を無事に、また幸せに過ごせますように、歳徳神をお祀りしてお力をお借りするのもいいかもしれませんね。