Hatena::ブログ(Diary)

ひびをかきすて

November 09(Thu), 2017

書き出すしかないと追い詰められて

13:07

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」

タイトル通り、それ以上でもそれ以下でもない。
私にとってブログというのは、思い悩んだり、興奮していたり、混乱していたり、とにかくたくさんの言葉が頭の中をぐるぐる廻ってしまっている時に、とりあえずどうにかアウトプットするための場である。多分この辺は以前も言った事があったと思うが。
順序立てて明文化することで、同じ言葉が堂々巡りする状態を解消しているのだ。
一度外に出してしまうと頭の中が整理されるのか、ぐじぐじ思い悩むボリュームが少なくなる。
メモとは忘れる為に書くものだ、とは誰の言葉だったか。

そんな内面的なもの、日記で充分だろうと思ったこともある。
でもそれだと不十分で、なぜかって言えば、見られるかもしれないという体で書かないと、自分を納得させるものができないから、という結論がでた。
その方が自分の感情や状態、その理由を客観視できるのも良いのかもしれない。


そんな風に書かれた記事は大体黒歴史なんだけど、後から見てもその時の自分の感情が鮮やかに思い出されて、これも一つの成長記録だよなぁと思う。だから消せない。よくて非公開。
そして不思議なことに、いつの自分がみても、その感情は理解できるのだ。きっと黒歴史も繰り返されるものなんだろう。


前回の記事から3か月弱が経過したけれど、問題は何も解決しておらず、むしろ状況は悪化している。めでたく通院中なり。
心の方じゃなくて身の方が先に根をあげた、というか、まぁまぁ健康なはずのからだの方に先に出るなんて、私の心っょぃって驚いている。笑い事ではないが。
そんな今も、ここ数か月の日記はだよね!だよね!!の宝庫なので、やっぱり書いて残すことに意味はあるんじゃないかと思ったり、いやいや書いて忘れたら意味ないこともあるよ!と思ったりしている。

その時のことをかきだしてはきすてることに意味がある。

August 18(Fri), 2017

選択するという苦行

| 18:24

最近、「選択」ということを考える。
普段何気なくいろいろなことを選んで・決めているけれど、自分一人ならともかく、他人の介在する選択をし続けることが重荷になってきている、という自覚が芽生えた頃から。

そもそも、私は何かを決めたりする時、その結果に責任を持つこと、後悔の有無なんかについて思いを馳せることが多い。どんなに小さいことでも、できるだけ後から愚痴を言わないでいたいからだ。
まぁそれでも後悔はあるけど、自分の選択の結果だから仕方ないな、ならまだ諦めもつくので。
だから「選択」とは結構、しんどいというか、面倒というか、苦手とはまた違うんだけど、考えてみれば好きではない部類の作業だった。
できれば誰かの選択に流されていきたい。私はとても我が儘でもあるし、こだわりもありはするけれど、他人の選択に身を任せる(その代り文句は無し)っていう楽な選択肢を基本的には選びたい。
それが今、あまりできない状態であることにふと気付いた。

〜択肢を探してくる
⊆分や他人の好みを考え、調整する
Aぶ

,呂瓩鵑匹さい。が、△蝋垢砲瓩鵑匹さい。は△里擦い任瓩鵑匹さい。
考えすぎとは思うけど、でも思い返してみると、やってるんだよこれらをさ。
毎日の食事のことから、イベントごとの準備のことから、旅行の日程まで、いろんな時に。
でもこういう過程が、相手の「なんでもいい」の上に乗っかってるのですよ。
その「なんでもいい」は、『どうでもいい』を前提としてたり、考えもしないでとりあえず任せてるたりするのですよ。
でも「好きにしていいよ」って、自分は相手に合わせてる・相手を立てているみたいな言い方をするのですよ。

はぁーっ?!?!ふざけんなよ?!?!?!(ご乱心)

いやっ、まぁでもね?
別に絶対に嫌!!!!断固拒否!!!!!というわけではないのよ、さすがに。
ただ、いつもこれやらされるのはどうなのよ?って話。私だって時には楽したいよって話。
それに慣れちゃった相手がさらに楽するっていうのも、まぁ正直イライラはするよね。何をひとりだけ楽をしてるんだと。


でもこういうのって結局、気になる方がやる羽目になることが多いのよね。なんて損な役回り。
相手の意志を尊重して好きなようにさせてあげるのと、相手の選択に任せっきりでおんぶにだっことは、全く違うということを理解して、今後に活かしてほしい。
まずは選択肢を持って「どう?」って訊いてほしい。2回に1回は。

July 31(Mon), 2017

つらつら

| 10:41

夏ですね、暑いですね。

何十年後のことを思う。
「あの頃はこんなことで、もうだめだー!って、将来の事なんか想像できないって言ってたのにね」
と笑うような将来が、来るんだろうかと。
そんな未来が来てしまうことが怖いなんて、誰にもわかってもらえない気がしてる。

一方、憧れる現実は、私にとっては遠い国のできごとのようだ。
夢のような話。手が届かないような。
昔からそれは、現実感のないものだった。テレビの向こう側のアイドルに恋するような、手応えのない、でも焦がれるなにか。たまに触れ合えるものだから、余計に不思議な感覚が残る。
前よりも近付けるようになったはずなのに、いまだ一向に近くならないのは、何故なんだろう。

私の一番の味方は私であるし、究極、私には私しかいない。
いつからかずっとそう考えていて、だから後悔のないように、その時に自分が何を望むかということを真剣に自分にヒアリングしながら、これまで歩んできた。おかげさまで、今までの人生、自分が決めてきたことでの後悔はあまりない。妥協の結果もあるけども、それを含めても。
やめとけばよかったなと思うことの多くは、やってみてから駄目だったと気付くことばかりだ。結果論でしかない。予想がつくことならまだしも、大抵の場合、予想外の問題が発生するんだもの。
その最たる予想外が、タイミングだったりする。
総じて悪いとは思わない。ただここぞっていうタイミングに報われない。
それでも運命なんかは信じない。
そんなものに頼るよりも、手の届く、一番どうにでもなる自分がどうにかしようと足掻く方が確実だし、信じられるし、あとから文句もでないから。

一方、ろくでもない人間である割に、周囲に恵まれた人生だなと思う。
類は友を呼ぶというが、私も周囲にとってそういう存在であればいいのになぁと思う。

クーラーは効いているはずなのに、落ち着かない。思考がふらつく。

July 27(Thu), 2017

考える⇒整理する⇒話す

| 14:05

やはりアウトプットせねばまとまらぬ。
昔はそれが、ただ日記でよかった。日記というよりポエムだったけど。
後から自分で見てその時の気持ちがわかるから、なんやかんや良い形で残っているんだと思う。

久々にあれこれ女子会トークしたら、少し落ち着いた。聞いてくれる人がいるということは、とても幸せなことだ。そこでいろいろと整理は着いた気がする。
,發少し大人になること(ドン引きするような学生ノリは言語道断)
興味の幅を広げること(お互いに成長するという志を持つ、積極的になる)
8率的に生活すること(今をなんとかすればいいわけじゃない。生活は続いていくので)
大体望んでいることはこの3つ。多分この三か条はプリントアウトして提出すべきやつ。
まぁ、どれも再三言ってるんだけどね。

相手が受けいれるからといって我儘放題・小言だらけでいるのもストレス。結局後悔して自己嫌悪に陥るんだもん。自分勝手?そんなんわかっとるわ。
それに、今の状態でこれからずっと一緒にやっていく、という長い目が私にはないのだよね。だって短い目で見て今すべきことって我慢なんでしょ?我慢の積み重ねの結果の長い期間って、なんだそれってなる。その内慣れる?慣れたくなんかない。
身内が死んで、意識も少し変わったんだよね。何を現状に甘んじていることがあるか、と。
いつ死ぬかもわからん人生を生きているのに、そんなアホなことしてられないじゃないか。(私は大きな持病もないし、健康診断の結果も異状なしの健康優良児だけども)

今の生活で失って困るものはないんだな。
むしろ、今の生活で手に入れそこなっていくことの方が怖い。
隣の芝生に憧れたっていいじゃない。自分とこに満足してたら、それまでだ。

July 13(Thu), 2017

自問悶々

| 15:39

好きでいたくないから嫌いになっていくのか。
たまに一緒に笑ってしまうことに、罪悪感を覚えつようになったのは、いつからか。
小さなことが目につくようになってしまったのはいつからか。
生活が変わって、こんな衝突は最初だけだと信じていたけれど、今はまだその初期段階の延長線上なのか。
もう諦めて慣れなくてはいけないのか、まだこの違和感を信じていた方がいいのか。
自分ではわからないことだらけだ。
かといって、周りに話しても、穏便に済ませろという。つまり私に我慢しろと。
それに反抗心があるということが、あるいは答えではないのか。

朝から大雨の中を自転車通勤キメたら、案の定滑って転んだし、傘壊したし、上から下までびっしょびしょでクーラー風にあたって、服は乾いたけどもなんだか体力の消耗がすごい。疲れた。
まだ木曜日。