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ひびをかきすて

September 18(Tue), 2018

583

| 11:59

あまりにまとまらないので増田にぶん投げようかと思ったが、これまでの結末として、ここに吐露する。
本日、離婚届が受理された(らしい)。


はてなダイアリーを使い始めた頃には(まだ新婚ほやほやではあったが)この時が来るのかもしれないと少なからず思っていた。実際まだ結婚式も披露宴もする前で、確信はしていなかったのだけど。何事もなくそのままの人生を過ごす可能性は多大にあって、でもあの頃に気付いてしまった違和感は、結局、時を経るごとに大きくなってしまった。
最近になって、はてなダイアリーもいよいよサービス終了ときき、終わるまでには決着がつかないものかなぁと思っていた矢先のことであった。

前回、実家に帰った話をした。あそこから4か月強の別居生活だった。
今年1月に受け取りにいった離婚届に、記入して渡したのは3月のこと。
幾度か話し合い、埒が明かず家を出て、連絡なんてほぼこなくて(家賃の要求だけ)、荷物を取りに行っても顔を合わせることもなく、何を考えているかも全くわからなくて、そろそろ本腰入れて話し合わねばと思っていた。
そして今朝急に「離婚届提出しておいたから、報告まで」ときた。報告ておい。連絡相談はどうした。

あまりに急すぎて、離婚届に書いた内容なんだっけ、と思った。今後の籍とか姓とか、住所とか。あぁ写メっておくのだった。あれから一度も私の手元に戻らないなんて、なぜか想像しなかった。しかしそうだよな、2人揃って仲良く提出するものではないな。婚姻届じゃあるまいし。
朝一でかかってきていた外線電話に折り返したら、役所からだった。住所変更は離婚届では兼ねていないので必要なら別途提出を、とのこと。まぁご丁寧に。でも夫(いやもう元夫か)が報告してこない限り離婚したのかどうか知る機会がないってことを考えると、そういう口実で…とか思ってしまう。なんにせよ大変助かる。
そしてここで聞かなくては機会が無いかも、と籍と姓だけ確認した。籍は実家に、姓は旧姓に。うん、記憶通りだ。新姓になった時のアイデンティティの崩壊は辛かったなぁ、と思い出していたら、仕事でサインする機会が即あって笑えた。新姓。あと何回使うことになるんだろうか。

報告を受けてもう1つ思ったのが、諸々の手続きをしなくては、ということと、残った荷物を引き取りに行かねば、ということだった。
まずは免許とパスポートと、それから銀行に保険にクレジットカードに。職場にも報告しなくてはいけない。
こういう面倒な手続きは私にしかないことに、本当に理不尽を感じる。はやく選択夫婦別姓が認められて欲しい。どれだけの人間が結婚とか離婚とかでこれだけ面倒な思いをしていることか!
とにかくいろいろやることがあるというのに、コイツは報告だと?!気楽なもんだな!と今になって少し苛々している。自分一人のことじゃないのだから、事前に一言寄越してほしい。
そして荷物。引っ越し業者頼まなくてはならないかなぁ。とりあえずまとめに行かないと。
それから、家具やら家電やらどうするかも考えないと。一人暮らしをしている向こうに家電はほぼ譲らねばならないのか…いや離婚は双方の意志の結果のはずだ。言い始めたのが私であっても。

後悔したり惜しんだりって気持ちは1ミリたりとも浮かばないな、そういえば。薄情者め。
むしろ、これから彼の面倒を見続ける人生を送ることはなくなったのだ、と思ってしまった。大きな息子との決別。私は自分のための人生を生きられるのだな。解放された感がある。肩の荷が下りた。嬉しい。
いや、大袈裟かつめちゃくちゃ悪い言い方にはなってしまった自覚はあるけれども。でも、2人で2人分の人生を過ごしていくにあたり、助け合って負担を分散しながら暮らしていくよりも、絶対に私に比重が傾くのは想像がついていて、だからもう無理だと思っていたのだ。根拠は婚前から結婚後までの2年弱。
そしていくら訴えようが変わらないばかりか、「でもそれはあなたの問題でしょ」って突き放されたこと。あの時はっきり、あぁこれは一緒にやっていけないなと思ったんだった。


婚姻期間は1年7か月。ふと疑問に思ってエクセル計算してしまった。583日だった。
気持ち的な結果は見えているのに、いつ何がどうなるのかが分からない。そんな時間はとても長くて、停滞している感覚は辛かった。でも終わってしまえば短かった気もする。
長期戦も覚悟していたところだったのだけど、お互いが20代の内に結論が出て良かった、と思う。元夫がどう考えているかはわからないが。
こうなってみて初めて、元夫に感謝の気持ちやら見直す気持ちやらが出てきた。それ以上でもそれ以下でもないけど、最悪最低嫌いな人間で終わらなくてよかった。ただの私の心情の問題だけど。言い方がよくないけど、少なくともここでは、相手を気にして自分の気持ちを隠すのはやらないことにしているのだった。
私では彼を幸せにできなかったし、結果的にみて幸せにしてもらうこともできなかった。それでも勝手ながら、どこかでどうにか幸せになってほしい。


とりあえず昼に親に言おうと思う。
動揺したままに一番最初に報告したのは妹たちだったが、「え!おめでとう」「今夜はお祝いかな?」だそうだ。思わず笑ってしまったけど、すごく救われた。ありがとう。

May 30(Wed), 2018

人のことを考える1ヶ月

| 17:18

この1ヶ月、比較的他人を意識する暮らし方を心掛けている。
きっかけはもちろん前回大打撃を受けたあの一件なのだけど、その後すぐに実家に移り住んで環境が変わったこともあり、これまでは「してくれないこと」に対して過敏だったのが、「してくれてありがたい」っていう視点を新鮮に持てるようになったことも大きかった。良い意味で今は、以前より間違いなく余裕を持てている。
これからの人生のために、良い気付きをもらったし、必要なことを学び直していると思う。

でもそもそも私は、他人に対する関心が少ないのだろうな、と今は思う。というか、自分しか可愛くない。
中高生の多感なお年頃。毎日泣き暮らしていた時期があったのだけど(原因は些細な事なので取り上げない)、あまりに誰もが頼りにならなくて、救いが無くて、辛くて、そんなある時ふと「私には結局、私しかいないのだ」と思ってしまって、それが本当に腑に落ちてしまった。そしてその延長線上のまま、私はここまで来た。
自分が正しいと思うこと、やりたいことに沿って生きてきた。他人に対して否定的に生きてきた。「でも」「けど」「だって」がすぐに口に出る。(我ながら最悪だ。なんで皆こんなヤツと友達でいてくれるんだろう)
他人がどう考えるかはあまり重要ではなくて、ある程度の世間体に縛られてはいるけど、その中でもできるだけ、私は私が望むことを大切にして生きてきた。私以上に私を大切にしてくれる存在は無いし、私を守る存在もいないと思っていた。今もそう思っている。
…一応言及しておくと、両親や姉妹仲は大変良好で、特に問題はないです。だけど家族だって所詮は他人であり、相性もあるし、絶対でもないとは思っている。大切じゃないわけではないけど。
とにかく、そういう認識をしたまま、この十何年か生きてきた。自分のことを利己的だと思っている。最終的な所、他人はどうでもいい。
だからなのか、私は常に、私の絶対的な味方が欲しかった。


さて、何を言おうと思ったんだったかな。

最近立て続けに「無礼」「失礼」と評されたこともメモしておこうかな。
自分でもそう思ってる時は多々あるものの、無意識下でそう思われる行動してる事が多そうな気がしてきて、今は割と、誰かと何かをするとかっていう事が怖い。
もっと私が自立していて、もっと一人で生きていける人間だったらよかったのに。人間一人ではいきていけないなんて、嘘であってほしい。

「周囲に求められている自分」を演じているっていう人がいる。私にはとても無理だと思う。
まず、他人が何を考えているか察するのが驚くほど苦手なのだ。観察力もない(これはきっと興味が無いからだろう)
実際のところ、人が考えている以上にいろんなパターンの想定とかはしているけど、多分どれも的外れだろうし、結局そのどれもを表に出すことは無い。
この辺には、私のプライドの高さからくる「間違いたくない」って意識が働いているのかもしれない。そうだ、私の問題はここにもある。


人に興味が無いなんて言い訳だと思う。
でも私は、私のことでいつだって精一杯なんだ。私を取り巻く周囲を大切にすることが、こんなにも難しい。
ポジティブな気持ちで今回の日記は書き出したはずだったのに、今はもう逃げたくてたまらない。

いつでも“ありがとう”と“ごめんなさい”は私の人生のキーワードであり、課題だった。そしてこれからもずっとそうだ。
最近忘れかけていたことに気付く余裕ができたことだけは、良かったことだと思っている。

May 01(Tue), 2018

向き合いたいのに、逃げてしまいたい

| 09:58

最近はぬるいことばかり書いていたけれど、ここはそういう場所じゃなかったのだった。


毎日家に帰ると、私はあまり口を開かなくなる。
相手と話すのが単に嫌なのだ。だからコミュニケーションをできるだけ排除している。話しかけられても最低限しか喋らない。
いろんなことを考えてはいる。口に出さないだけだ。「わかってもらえない」という諦めの気持ちもあるし、「わかってもらいたいとも思わない」という努力の放棄でもある。
そしてその結果が、この自己嫌悪であり、情けなさであり、穴があったら入りたいほどの羞恥なのだ。


旧知の方に会う機会があった。
というか、正確には、私に機会があったので相手を誘ってみたら、相手は無理をして都合をつけてくれた。し、諸手続きも行ってくれた。
そんな相手に甘え、徹頭徹尾、傲慢で失礼な態度を取ってしまい、それだけでなく、それを指摘させてしまった。説教とか怒るとかではなく、叱るというスタンスを相手がとってくれているのを私は知っている。

私に相手への怒りは毛頭ない。まず相手の言う事は全て正論である。(少なくとも私は納得している)
そして、私が思っているだけで行動に表せていないことばかりだった。というか、なぜ私が行動に表してないのに、そんなに考えてる事がわかるの?って思った。
(これについては、私の思考自体は間違っていなくて、だからそれを行動に表せばいいだけのことだったんだけど、素直になれない私が、これまでずっとなぁなぁにしてきてしまって、行動しない癖がついてしまっているんだと思う)

私はもちろん今の自分が嫌いだけれど、私の駄目なところを的確に指摘して、向き合って見捨てないでくれることに感謝しかない。
「今のお前に余裕がないのも見ていればわかる」「でもお前はそうじゃないだろう」そう言って期待をかけてくれることに、私がどれだけ救われているか。奮い立たせられているか。

今の環境がそうさせてるんだろう、という。可哀相だと思われたと思う(これ自体はプライドどうこうはなくて、客観的にみてそうなんだなって安心した。私が悪いのでは、という思考に雁字搦めになってしまいがちだから、そうだけじゃないんだよって言ってもらえるのはすごく、救われる)。
でもその環境を(そうなるとわかっていてではないけど)選んだのは間違いなく私自身で、その選択の結果で大事な人に嫌な思いをさせてしまっていることが辛い。自己嫌悪だ。
自分勝手は承知で言うと、今の環境が私の余裕を奪い、傲慢なところを助長させ、良くない人間にしているのは確かだと思う。私には抗えるほどの気力も、そうなりつつあることに気付く目もなかった。なるようになってしまった。
今は、そういう自分を情けなく、恥ずかしく思う気持ちが強い。



してもらったことを見ていないわけじゃない。それに対して感謝を示すことができないだけだ。
今に始まったことでもないけれど、それをずっと「苦手」とか「できない」とかで過ごしてくるべきではなかったんだな。
甘えるのが苦手なこと、私が肩肘張って毎日を過ごしていること、私なりにプライドを守る為にそうしていること、返せないほどのものは貰いたくないし貰ってしまったらどうしていいかわからなくて困ってしまうこと(本当はここでありがとうって言えば多少なりともいいということは知っている、できていないけど)、だけどそんなんじゃだめだってこと。
実は昔の私は、もっと義理堅く、できる範囲で恩を返そうとしていたこと。そういうところに惹かれてくれたこと。
でも今の私は、傲慢で、返すのもへたくそで、このままじゃだめだってこと。

そんないろんなことを、突き付けられた。
ある程度はわかっているだけに痛すぎた。不思議なくらい「嫌」とか「やめて」とは思わなかったけど。
刀を突きつける役目を担ってくれた相手のことを考えると、ただ、もう、いろんな感情が溢れてしまってどうにかなりそう。



認めている人が見捨てないで向き合ってくれたことに、私はちゃんと向き合って、好きな自分になりたいし、流石だって思われる素敵な自分になりたいけれど、申し訳なさも大きすぎて逃げ出してしまいたい気持ちもすごく大きい。
何もかも投げ出して、どこかへ行ってしまいたい。あの気持ちのまま、いつもの日常になんて、かえってきたくなかったよ。

March 29(Thu), 2018

移ろう季節の中で

| 17:11

今週のお題お花見

一番苦手な温度の風が吹く季節がまた来た。
秋にある、小春日和と言われるようなあの感じが私はどうも苦手で、何かが切なくてしんどくて辛くて、どうしようもなく泣きたくなってしまう。
春の方が、暑い時期に向かっている分気持ちは明るいかと思いきや、暖かい日差しの中吹き抜ける風が案外肌寒かったりして、もう。どうにもこうにも、だめだ。

でもこの2日くらいは気温も高くて、静岡の桜はどこもかしこも、今まさしく見頃を迎えている。
昨日の昼間はあちこち回ってたんだけど、本当に、山にも里にも野にも春が来ている感じ。
いつもはもう少しまばらな感じがするんだけどなぁ。今年は一斉にシーズンがきたよね。今週末の静岡まつりも、散りゆく桜の最好調な時にあたりそう。

桜は、毛虫とか手入れの問題が無ければ家に一本植えておきたい位好きな花でもある。
そして、私は小学生位の頃から百人一首が好きだったんだけど、いまだに一番好きなのが紀友則の桜の歌だったりする。

ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しづこころなく はなのちるらむ

なんかもうさ、はなといったら梅でも菜の花でも他の何物でもなく桜っしょJK!っていう桜無双感も好きだし、満開の桜というよりその散り様が好きなのでそこがテーマなのも好きだし、春のほのぼのとした雰囲気と忙しないハラハラ感も好きだし。最高。
毎年お花見シーズンになるとこの歌を思い出して、なんとなく風雅な気分になる。

と言いつつ、やっぱり花よりは団子派なのだけど。

March 06(Tue), 2018

ただ過ぎ行くだけの日々

| 11:04

数行だけの、日常のちょっとしたことを切り取った日記を見て、こうあるべきだよなぁと何故かしっくりきてしまった。
が、ここは私にとってそういう場所ではないので、いつも通りに綴る。

あれから実は、まぁまぁ話した機会があった。
が、基本的にお前が悪いとしか言われなかったなぁという、失望しか得られなかった。
だからさ、私に悪い所もあるの分かってるけど一緒にいると泥沼だから困ってるって話なのよ。私が悪いではい終了、じゃないわけ。
じゃあどうすればいい?って聞くけど、これまで何度も選択を私に委ねるなと言ってきたわけで、まさにそういうところが負担なんだって!としか。本当に私の言いたい事わかってないな…。
なんかもう言葉でどうにかできる気がしない。だから中途半端に終わってしまった会話を、また再開する気も起きない。だって伝わらないんだもん。

なんやかんや、その後気を遣われているのは感じる。
ももはやそういうの求めてないわけ。そこからして認識間違えてる。私からすれば、あとから「自分は頑張ったのに」って言いたいがための言い訳作りにしか思えない。

かといって日常は穏やかで、何かを変えるには何かが足りない。いや、私のやる気が足りないのか。
水はいつでも、低きに流れている。
でも何かあった時に、私の味方にはなってくれないことは確かなんだ。それだけは話すたびにいつも突きつけられている。私は私を守らなくちゃいけないんだ。