この1年のこと

1年前のブログを振り返りませんかという気の利いたおせっかいメールが届いたので、まんまとこうしてブログを書いている。

最近のことやらこの1年のことやら、のんびり書いていくことにする。

 

バレンタインに元夫と飲みに行った。彼は4月から県外に転職するそうで、その前に、ということだった。

まじか、とちょっとした寂しさを抱えつつ、家族にも伝えたら、私より母の方がよほど寂しがっていた。私は人より薄情なのだろうし、母は人より情が深いのだろうなと改めて思う。

一応バレンタインなので、彼が好みそうで私が気になったチョコレートを贈り、その場でつまみ食いをした。これが許される間柄の友人が離れるのはやはり惜しいことではあるな。

代わりに、来週の私の誕生日付近に、大好きなタルトをごちそうしてくれるらしい。楽しみしかない。

来月くらいにまた、母も交えてごはんとか行くことになりそう。付き合いのいい奴だよ本当に。絶対もう結婚も付き合ったりもしないけど。

結婚じゃなくて、友人という関係が一番うまくいく相手だったんだよな。それだけのことだ。

 

付き合うといえば、昨年3月頃には年下のナイス眼鏡と別れた。

年度末のすさまじく忙しく余裕がない時に、それでも自分の時間を作ってほしいという雰囲気が強く、というか元々その傾向はあって辟易していた部分ではあったんだけど、ついに耐えきれないし、これなら今後もないなと思ってしまった次第。

口ではいいよっていうんだけど内心不満っていうのが漏れ出ているのが、かわいくもありうっとおしくもあり……しかし当時の疲れ切っていた私には、もうむり、まじむり、わかれよ。。。ってなった。それまでも自分の時間が欲しいのに、という不満はあったので。そんなわけでまったく後悔はしていない。

なんやかんやいまだに日々連絡はとるし、一緒にあれこれゲームする仲ではある。

そして彼はなんと、4月からこちらで就職を決めている。

友人には「それって……」と引かれるが、私は正直別にどうでもいい。暮らすにはいい土地だし、まぁいいんじゃない?新卒カード切るにはもったいないと思うけど。

月に1回程度、就職前の研修にきているんだけど、そのたびに我が家に遊びに来るのを母は割と歓迎していて、ちょっとおもしろい。

母、私の元カレやら元夫やらとめちゃ仲いいな。まぁうれしいことだし、元カノの母親というめんどくさいだろう相手と付き合ってくれる彼らには、心からありがたく思っているところ。

 

母と言えば、昨年私の誕生日に祖母(母にとって実の母)が亡くなったのち、どうなることかと思っていたけど、意外に毎日イキイキしている。

しばらくはあれこれ手続きしたりと忙しくしていたけど、特に趣味もない人なので大丈夫か??と思っていたら、本格的にポケモンGOにはまったのだ。

祖母が生きていた頃は、介護のこともあり仕事をしていなかったので、家から出ない日も多く、録画やらアマプラやらに張り付いていたテレビっ子だったのに、今では毎日朝化粧をしていて、「レイドにいってくる」「ジムに空きが出たから急いで行ってくる」とフットワーク軽く出かけていく。

凝り性ではあるんだろうなとは思うけど、ここまではまるとは、ちょっと怖い。だって夜中に車ででも出かけていくんだよ。怖い。。。

週末のイベントなんかは私や妹・姪もつれて一緒に出かけるようになったし、まぁ健康的ではあるんだけど。

上記の元カレがポケモンめっちゃ好きな人なので、育成聞いたりして懐いているというのはある。そして元夫も母とフレンドなので、県外に行ったらギフトもらえる、とワクワクしている。

偉大だなポケモンGO。こんなにも人と人とをつないでいるよ。

 

女友達の話題があまり出ていないので触れると、ミュージカル鑑賞にいったり、瀬戸内国際芸術祭にいったり、スノボーに連れて行ってもらったりとちょくちょく出かけている。

多いのは妹の友人と出かけることなんだけども。ここ数年、妹よりも妹の友人に会っている。まぁ友達の友達は友達だし、妹の友人も友人にはなるわな。

妹自身は全くオタクではないのだが、妹の友人たちは気の合うオタクだったのもデカい。この年になって、サンホラのクロセカのCD実物貸してくれる人間に出会えるとは思わなかった。感動した。中高生の時に出会いたかったよ……

同い年の親友たちも、ものすごくそれぞれで面白い。一人はシンママからのミスコン(ミセスコン)方向へ向かい、一人は臨月で、一人はもうすぐ結婚、一人は今年も私をスノボに連れて行ってくれた。

10代の頃は、30代にもなればみんな結婚して子供がいて、っていう人生を送っていると漠然と信じていたものだけれど、その通りにすすんだ人生が意外に少なくて驚いている。でも人生ってそんなもんなんだろうな。

結婚のときにも思ったことだけれど、予想通りにいくにはかなり強引に、強靭な意思で進む必要がある。周りを巻き込むことならばなおさら。

 

仕事でいえば、職場は変わらないが人と内容が変わった。

昨年担当していた2事業に加えて、一気に3事業(新規事業含む)が増えたことと、このうち4事業に一緒に取り組む担当が1人増えた。

この担当というのが曲者で、こちらへの異動前に何人となく派遣を辞めさせてきた(本人自覚なし)(注意してもまったく響かない)という大変なオバチャンだったのである。

もちろん私もやっていけるのか?という不安はあったものの「にゃんさんなら大丈夫(メンタル強靭だから)」といなされ、結果的にはなんとかなっている。ちなみにそう私に言った上司はかなり影響を受けていて、ある日の朝、突然職場で奇声をあげました。さすがの私も驚いたし、やべぇキてんな、と思いました。振り返って、私のメンタル鋼すぎ?とも思いました……

やべぇオバチャンだなという気持ちはあるんだけど、別に根っからの悪人でもないし、そういう人だって慣れたのが大きい。仕事自体はまぁできるので、あとのことはどーーーーうでもいいのだ。

ちなみに私のこのどーーーーーうでもいいマインド、職場の老害(採用面接で「時世柄こういうの聞いちゃダメなんだろうけど」と言いながら結婚妊娠の予定聞いちゃうタイプ)にも発揮されているのが、同僚にもわかられ始めている。皆もまねすれば楽になれるよ★

どちらかといえば、具体的な指示もせずすべてを私に雑に投げておいて、月間問い合わせ100件こなしてるような状況だから全然手が付けられないよ!SOS!って言ってたのに全く対応してくれなくて、挙句に「うまくいかなかったのにゃんさんのせいです」って上に言い訳した奴の方が、よほど悪意があり嫌いです。

社会人になって、こいつどうなの??っていう相手は今までにもいっぱいいたけど(セクハラパワハラマンスプ上司とかね)、嫌いな人間はいなかったので、ある意味新鮮。

何かあった時に他人を売るような人間は信用できないし、そういう相手とは仕事できないなというのが発見だった。もう来年は絶対その人とは仕事したくないですと上司には一応言っておいた。どうなるかはわかんないけど、いうだけはタダ。

 

今年は花粉症がやばいらしいとニュースでも見かけるし、医者にも言われて、戦々恐々としている。来年は少ないといいし、再来年はもっと少ないといい。

メモリアルでスーパーな猫の日のこと

まさかね~とか言いつつも、やっぱり滅多なことは言うものではなかったな。

本日私の誕生日が、祖母の命日となった。

家族全員が忘れえぬメモリアルな日になった…しかもスーパー猫の日だよ。猫を愛する我が家なので、これはもう年数まで全員ばっちり覚えちゃうよ!

前回日記から1週間しかあいていないが、その頃から皆心の準備はできていた、はずだ。上京して結婚生活を営んでいる末っ子も週末帰ってきたし。その彼女の結婚式用の写真を探しにアルバムをみていたら、母が「おばあちゃんの遺影これにしようと思うんだけど」って1枚の写真を見せてきた。お花畑がバックのいい写真だった。父方の祖母とのツーショットだけど、その祖母ももう数年前に亡くなった。

そういえば冠婚葬祭において必要なものって似ている。写真に参列の服に。近いと思っていた人が遠くなる感じとか。

 

先週、ついに祖母は一人暮らしの家から私の実家(祖母からすれば娘夫婦の家である)に連れられてきた。

母を中心に、産休中の妹や父や私、皆で介護を手伝った。家の中に嗅ぎなれない匂いがしていた。病院や、老人ホームのような。あれは何の匂いなんだろうな。排泄物はもちろんなんだけど、赤ちゃんだけではあの匂いにはなっていなかった。なんというか、死臭とでもいうものもあるのかなと思った。死期が近い人間からするかおり。

祖母は数年にわたり透析に通っていたが、ついに血管が透析に耐えられないくらい弱ってしまい、やめざるを得なくなった。そして具体的な死へのカウントダウンが始まった。

それから母は粛々と、定期預金の解約などを進めたようだ。賢い。

ここ数年、週3の透析通いやそれ以外にも毎日のように祖母の家に通って、食事の支度や洗濯や掃除片付けなどをしていたので、「いつか」に対する準備は整っていたように思える。果たして自分の時にそんな対応ができるだろうか…。

今日から落ち着くまではやることいっぱいでいいけれど、その後の母のことが心配だ。

 

浮腫んでいく足や、乾燥して粉を吹く体。「痛い」と言いながらやっと身を起こしても自分では座っていられず、もちろんトイレも行けず、声をかけても返事がないことも多くて、つらかった。私でこれなんだから、本当に母はすごい。

今日、いってきますと言い損ねたな。昨日、おやすみと言えたかな。

 

飲んで帰ってケーキ食べて飲むみたいな具体的な予定が無くなった今、

直帰した後のことが想像できない。

5回目の(元)結婚記念日に寄せて

とはいえ先週末に記念日そのものは過ぎたのだが。祝日なんかにするものではないな。その度にあれから何年か、と考えてしまう。

しかし今年で5年目でしたね。もうそんなに経つ?驚きだ。

そして離婚記念日(?)のことはわりと忘れてしまうもので、正直、ここでの日記がなかったらそれが何月何日だったかなんて、まるで分からないのだった。なんてことだ、そんな記録になるなんて当時は思っていなかった。書いておいてみるものだな。

普段はここのことなんかまず思い出さないのだが、今日久しぶりに読み返して、我が事ながら、納得したり、「へぇそうなんだ」っていう微妙な距離を感じたりした。

でもここが大事だったのは今でもよくわかっていたし、再確認した。ここがあってよかったね。

 

さて、この数年でしたことと言えば(離婚以外で)

・退職する

・海外へ留学する(コロナのため途中で帰国)

・就職する(契約社員

の3本がビッグトピックスではなかろうか。退職~就職までは丸1年なので、その他はなぁなぁに仕事していただけだけど、まぁ日常とはそういうものなので。

前職で身に着け(させられ)たマンスプ・セクハラ・パワハラ耐性は、約一名の老害を前に、現職でも大変に役立っております。「にゃんさんはメンタル強靭」と職場(少人数)全員に認識されている。全く嬉しくはないし、そんな環境から早々に離脱したい気もしているけど、日常的な消耗が少ないのはたぶんきっと良いことと言えるだろう。ただ、「これはおかしいぞ」の視点だけは無くさないで、慣れないようにしないとなと思う。この辺は愚痴を聞いた私の友人たちが「それはおかしいよ!」って声かけてくれるのがデカい。ありがたい。

元夫とは、二人でラーメン食べに行ったりそこら辺ドライブしてスタバ行ったりする位の距離感です。結局、家電は全部持ってかれてますけどね。そしてその後そのまま住んでいて、彼女と同棲したのはさすがにデリカシーなさすぎると思う。せめてバレないようにやれ、自己申告すんな。今は引っ越したらしいが。あと、いつも都合付けばポケGOレイド来てくれるのはありがたい。

私自身は、片手以上両手未満の年齢の年下彼氏(しかもナイス眼鏡)ができ、「ありがとう」が口に出せる人間になりました。たぶん人生で一番の成長だと思う。これは彼のおかげなので素直に感謝している。まずまずの遠距離で、このご時世なのでほぼ会えてないけれど。

その他家族は、妹たちは結婚し、姪が生まれ、今後1~2週間くらいで祖母が死ぬ予定。いきなり不穏だけど、長らく続けていた透析がもうできなくなり自宅療養となること、その場合の残りの日数を聞いたのが今日だった。三桁近いご老体で、母を中心に皆で協力しながら数年にわたり介護をしてきたので、皆にお疲れ様、という気分。

 

案外に普通の日記になってしまった。衣食住のすべての変化があって(食に目覚めたこともあり大変なワガママボディに成長)、生があり死があり、そんな普通の日常。結構なことだ。

583

あまりにまとまらないので増田にぶん投げようかと思ったが、これまでの結末として、ここに吐露する。
本日、離婚届が受理された(らしい)。


はてなダイアリーを使い始めた頃には(まだ新婚ほやほやではあったが)この時が来るのかもしれないと少なからず思っていた。実際まだ結婚式も披露宴もする前で、確信はしていなかったのだけど。何事もなくそのままの人生を過ごす可能性は多大にあって、でもあの頃に気付いてしまった違和感は、結局、時を経るごとに大きくなってしまった。
最近になって、はてなダイアリーもいよいよサービス終了ときき、終わるまでには決着がつかないものかなぁと思っていた矢先のことであった。

前回、実家に帰った話をした。あそこから4か月強の別居生活だった。
今年1月に受け取りにいった離婚届に、記入して渡したのは3月のこと。
幾度か話し合い、埒が明かず家を出て、連絡なんてほぼこなくて(家賃の要求だけ)、荷物を取りに行っても顔を合わせることもなく、何を考えているかも全くわからなくて、そろそろ本腰入れて話し合わねばと思っていた。
そして今朝急に「離婚届提出しておいたから、報告まで」ときた。報告ておい。連絡相談はどうした。

あまりに急すぎて、離婚届に書いた内容なんだっけ、と思った。今後の籍とか姓とか、住所とか。あぁ写メっておくのだった。あれから一度も私の手元に戻らないなんて、なぜか想像しなかった。しかしそうだよな、2人揃って仲良く提出するものではないな。婚姻届じゃあるまいし。
朝一でかかってきていた外線電話に折り返したら、役所からだった。住所変更は離婚届では兼ねていないので必要なら別途提出を、とのこと。まぁご丁寧に。でも夫(いやもう元夫か)が報告してこない限り離婚したのかどうか知る機会がないってことを考えると、そういう口実で…とか思ってしまう。なんにせよ大変助かる。
そしてここで聞かなくては機会が無いかも、と籍と姓だけ確認した。籍は実家に、姓は旧姓に。うん、記憶通りだ。新姓になった時のアイデンティティの崩壊は辛かったなぁ、と思い出していたら、仕事でサインする機会が即あって笑えた。新姓。あと何回使うことになるんだろうか。

報告を受けてもう1つ思ったのが、諸々の手続きをしなくては、ということと、残った荷物を引き取りに行かねば、ということだった。
まずは免許とパスポートと、それから銀行に保険にクレジットカードに。職場にも報告しなくてはいけない。
こういう面倒な手続きは私にしかないことに、本当に理不尽を感じる。はやく選択制夫婦別姓が認められて欲しい。どれだけの人間が結婚とか離婚とかでこれだけ面倒な思いをしていることか!
とにかくいろいろやることがあるというのに、コイツは報告だと?!気楽なもんだな!と今になって少し苛々している。自分一人のことじゃないのだから、事前に一言寄越してほしい。
そして荷物。引っ越し業者頼まなくてはならないかなぁ。とりあえずまとめに行かないと。
それから、家具やら家電やらどうするかも考えないと。一人暮らしをしている向こうに家電はほぼ譲らねばならないのか…いや離婚は双方の意志の結果のはずだ。言い始めたのが私であっても。

後悔したり惜しんだりって気持ちは1ミリたりとも浮かばないな、そういえば。薄情者め。
むしろ、これから彼の面倒を見続ける人生を送ることはなくなったのだ、と思ってしまった。大きな息子との決別。私は自分のための人生を生きられるのだな。解放された感がある。肩の荷が下りた。嬉しい。
いや、大袈裟かつめちゃくちゃ悪い言い方にはなってしまった自覚はあるけれども。でも、2人で2人分の人生を過ごしていくにあたり、助け合って負担を分散しながら暮らしていくよりも、絶対に私に比重が傾くのは想像がついていて、だからもう無理だと思っていたのだ。根拠は婚前から結婚後までの2年弱。
そしていくら訴えようが変わらないばかりか、「でもそれはあなたの問題でしょ」って突き放されたこと。あの時はっきり、あぁこれは一緒にやっていけないなと思ったんだった。


婚姻期間は1年7か月。ふと疑問に思ってエクセル計算してしまった。583日だった。
気持ち的な結果は見えているのに、いつ何がどうなるのかが分からない。そんな時間はとても長くて、停滞している感覚は辛かった。でも終わってしまえば短かった気もする。
長期戦も覚悟していたところだったのだけど、お互いが20代の内に結論が出て良かった、と思う。元夫がどう考えているかはわからないが。
こうなってみて初めて、元夫に感謝の気持ちやら見直す気持ちやらが出てきた。それ以上でもそれ以下でもないけど、最悪最低嫌いな人間で終わらなくてよかった。ただの私の心情の問題だけど。言い方がよくないけど、少なくともここでは、相手を気にして自分の気持ちを隠すのはやらないことにしているのだった。
私では彼を幸せにできなかったし、結果的にみて幸せにしてもらうこともできなかった。それでも勝手ながら、どこかでどうにか幸せになってほしい。


とりあえず昼に親に言おうと思う。
動揺したままに一番最初に報告したのは妹たちだったが、「え!おめでとう」「今夜はお祝いかな?」だそうだ。思わず笑ってしまったけど、すごく救われた。ありがとう。

人のことを考える1ヶ月

この1ヶ月、比較的他人を意識する暮らし方を心掛けている。
きっかけはもちろん前回大打撃を受けたあの一件なのだけど、その後すぐに実家に移り住んで環境が変わったこともあり、これまでは「してくれないこと」に対して過敏だったのが、「してくれてありがたい」っていう視点を新鮮に持てるようになったことも大きかった。良い意味で今は、以前より間違いなく余裕を持てている。
これからの人生のために、良い気付きをもらったし、必要なことを学び直していると思う。

でもそもそも私は、他人に対する関心が少ないのだろうな、と今は思う。というか、自分しか可愛くない。
中高生の多感なお年頃。毎日泣き暮らしていた時期があったのだけど(原因は些細な事なので取り上げない)、あまりに誰もが頼りにならなくて、救いが無くて、辛くて、そんなある時ふと「私には結局、私しかいないのだ」と思ってしまって、それが本当に腑に落ちてしまった。そしてその延長線上のまま、私はここまで来た。
自分が正しいと思うこと、やりたいことに沿って生きてきた。他人に対して否定的に生きてきた。「でも」「けど」「だって」がすぐに口に出る。(我ながら最悪だ。なんで皆こんなヤツと友達でいてくれるんだろう)
他人がどう考えるかはあまり重要ではなくて、ある程度の世間体に縛られてはいるけど、その中でもできるだけ、私は私が望むことを大切にして生きてきた。私以上に私を大切にしてくれる存在は無いし、私を守る存在もいないと思っていた。今もそう思っている。
…一応言及しておくと、両親や姉妹仲は大変良好で、特に問題はないです。だけど家族だって所詮は他人であり、相性もあるし、絶対でもないとは思っている。大切じゃないわけではないけど。
とにかく、そういう認識をしたまま、この十何年か生きてきた。自分のことを利己的だと思っている。最終的な所、他人はどうでもいい。
だからなのか、私は常に、私の絶対的な味方が欲しかった。


さて、何を言おうと思ったんだったかな。

最近立て続けに「無礼」「失礼」と評されたこともメモしておこうかな。
自分でもそう思ってる時は多々あるものの、無意識下でそう思われる行動してる事が多そうな気がしてきて、今は割と、誰かと何かをするとかっていう事が怖い。
もっと私が自立していて、もっと一人で生きていける人間だったらよかったのに。人間一人ではいきていけないなんて、嘘であってほしい。

「周囲に求められている自分」を演じているっていう人がいる。私にはとても無理だと思う。
まず、他人が何を考えているか察するのが驚くほど苦手なのだ。観察力もない(これはきっと興味が無いからだろう)
実際のところ、人が考えている以上にいろんなパターンの想定とかはしているけど、多分どれも的外れだろうし、結局そのどれもを表に出すことは無い。
この辺には、私のプライドの高さからくる「間違いたくない」って意識が働いているのかもしれない。そうだ、私の問題はここにもある。


人に興味が無いなんて言い訳だと思う。
でも私は、私のことでいつだって精一杯なんだ。私を取り巻く周囲を大切にすることが、こんなにも難しい。
ポジティブな気持ちで今回の日記は書き出したはずだったのに、今はもう逃げたくてたまらない。

いつでも“ありがとう”と“ごめんなさい”は私の人生のキーワードであり、課題だった。そしてこれからもずっとそうだ。
最近忘れかけていたことに気付く余裕ができたことだけは、良かったことだと思っている。

向き合いたいのに、逃げてしまいたい

最近はぬるいことばかり書いていたけれど、ここはそういう場所じゃなかったのだった。


毎日家に帰ると、私はあまり口を開かなくなる。
相手と話すのが単に嫌なのだ。だからコミュニケーションをできるだけ排除している。話しかけられても最低限しか喋らない。
いろんなことを考えてはいる。口に出さないだけだ。「わかってもらえない」という諦めの気持ちもあるし、「わかってもらいたいとも思わない」という努力の放棄でもある。
そしてその結果が、この自己嫌悪であり、情けなさであり、穴があったら入りたいほどの羞恥なのだ。


旧知の方に会う機会があった。
というか、正確には、私に機会があったので相手を誘ってみたら、相手は無理をして都合をつけてくれた。し、諸手続きも行ってくれた。
そんな相手に甘え、徹頭徹尾、傲慢で失礼な態度を取ってしまい、それだけでなく、それを指摘させてしまった。説教とか怒るとかではなく、叱るというスタンスを相手がとってくれているのを私は知っている。

私に相手への怒りは毛頭ない。まず相手の言う事は全て正論である。(少なくとも私は納得している)
そして、私が思っているだけで行動に表せていないことばかりだった。というか、なぜ私が行動に表してないのに、そんなに考えてる事がわかるの?って思った。
(これについては、私の思考自体は間違っていなくて、だからそれを行動に表せばいいだけのことだったんだけど、素直になれない私が、これまでずっとなぁなぁにしてきてしまって、行動しない癖がついてしまっているんだと思う)

私はもちろん今の自分が嫌いだけれど、私の駄目なところを的確に指摘して、向き合って見捨てないでくれることに感謝しかない。
「今のお前に余裕がないのも見ていればわかる」「でもお前はそうじゃないだろう」そう言って期待をかけてくれることに、私がどれだけ救われているか。奮い立たせられているか。

今の環境がそうさせてるんだろう、という。可哀相だと思われたと思う(これ自体はプライドどうこうはなくて、客観的にみてそうなんだなって安心した。私が悪いのでは、という思考に雁字搦めになってしまいがちだから、そうだけじゃないんだよって言ってもらえるのはすごく、救われる)。
でもその環境を(そうなるとわかっていてではないけど)選んだのは間違いなく私自身で、その選択の結果で大事な人に嫌な思いをさせてしまっていることが辛い。自己嫌悪だ。
自分勝手は承知で言うと、今の環境が私の余裕を奪い、傲慢なところを助長させ、良くない人間にしているのは確かだと思う。私には抗えるほどの気力も、そうなりつつあることに気付く目もなかった。なるようになってしまった。
今は、そういう自分を情けなく、恥ずかしく思う気持ちが強い。



してもらったことを見ていないわけじゃない。それに対して感謝を示すことができないだけだ。
今に始まったことでもないけれど、それをずっと「苦手」とか「できない」とかで過ごしてくるべきではなかったんだな。
甘えるのが苦手なこと、私が肩肘張って毎日を過ごしていること、私なりにプライドを守る為にそうしていること、返せないほどのものは貰いたくないし貰ってしまったらどうしていいかわからなくて困ってしまうこと(本当はここでありがとうって言えば多少なりともいいということは知っている、できていないけど)、だけどそんなんじゃだめだってこと。
実は昔の私は、もっと義理堅く、できる範囲で恩を返そうとしていたこと。そういうところに惹かれてくれたこと。
でも今の私は、傲慢で、返すのもへたくそで、このままじゃだめだってこと。

そんないろんなことを、突き付けられた。
ある程度はわかっているだけに痛すぎた。不思議なくらい「嫌」とか「やめて」とは思わなかったけど。
刀を突きつける役目を担ってくれた相手のことを考えると、ただ、もう、いろんな感情が溢れてしまってどうにかなりそう。



認めている人が見捨てないで向き合ってくれたことに、私はちゃんと向き合って、好きな自分になりたいし、流石だって思われる素敵な自分になりたいけれど、申し訳なさも大きすぎて逃げ出してしまいたい気持ちもすごく大きい。
何もかも投げ出して、どこかへ行ってしまいたい。あの気持ちのまま、いつもの日常になんて、かえってきたくなかったよ。

移ろう季節の中で

今週のお題「お花見」

一番苦手な温度の風が吹く季節がまた来た。
秋にある、小春日和と言われるようなあの感じが私はどうも苦手で、何かが切なくてしんどくて辛くて、どうしようもなく泣きたくなってしまう。
春の方が、暑い時期に向かっている分気持ちは明るいかと思いきや、暖かい日差しの中吹き抜ける風が案外肌寒かったりして、もう。どうにもこうにも、だめだ。

でもこの2日くらいは気温も高くて、静岡の桜はどこもかしこも、今まさしく見頃を迎えている。
昨日の昼間はあちこち回ってたんだけど、本当に、山にも里にも野にも春が来ている感じ。
いつもはもう少しまばらな感じがするんだけどなぁ。今年は一斉にシーズンがきたよね。今週末の静岡まつりも、散りゆく桜の最好調な時にあたりそう。

桜は、毛虫とか手入れの問題が無ければ家に一本植えておきたい位好きな花でもある。
そして、私は小学生位の頃から百人一首が好きだったんだけど、いまだに一番好きなのが紀友則の桜の歌だったりする。

ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しづこころなく はなのちるらむ

なんかもうさ、はなといったら梅でも菜の花でも他の何物でもなく桜っしょJK!っていう桜無双感も好きだし、満開の桜というよりその散り様が好きなのでそこがテーマなのも好きだし、春のほのぼのとした雰囲気と忙しないハラハラ感も好きだし。最高。
毎年お花見シーズンになるとこの歌を思い出して、なんとなく風雅な気分になる。

と言いつつ、やっぱり花よりは団子派なのだけど。