ノンケにとってケツを掘られるって、どうよ?考

↓売り専バーのボーイ同士

ノンケ(ゲイじゃない男性)にとってケツを掘られるってどういうことなのか?を考察してみます。

バックナンバー新宿2丁目 - 1980年代のゲイ・ディスコ 考 - マスキュリストの日記 ~ゲイのあれこれ~で少し書いた、1985年に2丁目の売り専バー「カレッジの王様」で働いてたK(当時19歳)さんは、「別冊宝島124〜ボクが売春夫になった理由〜」の中で、比留間さんの小説を読んで、「アナルセックスをズッポンズッポンにやられていて、ショックだった」と言っています。自分はNGだったけど、やっぱ体験しておきゃ良かった!という意味でです。

そもそも彼がウリセンを始めたのは、ひょんな事だったそうです。売り専に来る前の生活は以下のように語っています。少し不正確ですが、引用してみます。

「売り専を始める前のボクの生活はというと、一応予備校に在籍していたが、ろくすっぽ行くわけでもなく、毎日、ほんとに蔵が建つほど酒ばっか飲み、「富士山が爆発して東京が全滅しろ!」とか、「戦争が起こってみんな死ね」とか言って全裸になったりしている、いわゆる現実逃避型の困った少年だった。そこへ飛んで火に入るようなウリセン稼業だったわけで、そういうアブノーマルなことをすることで、セコく満足しているところもあったような気がする」。

そして、“アナルはなし”ということで働いていたけど、揺れる心境を以下のように吐露しています。

「そんなんだったらケツぐらいホラれてみやがれ」と誰かに言われてしまいそうだけど、まったくそのとおりだ。でも、ボクはアナルファックはナシのウリセンということになっていたんだけれど、あの時期、強引に力ずくで犯されそうになったら、果たして最後まで抵抗したかどうか?」。

「実はいちどだけ誘われたことがあった。客はチンポコをブランデーにつけといてナメる、なんていう、今までの客からするとわりと″おつ"なことをする。消毒にもなるそうだ。この客が「オレは入れるのがウマイぞ、痛くしないぞ」と、ボクのおケツにグリグリとイチモツを押しつけた。「いや、ちょっと、それは」と言うとあっさり引き下がってしまったのだが、あのとき受け入れていたらどうなっていたのだろうか。どうせなら一度ぐらい掘られてもよかったんじやないか、ハンパだったんじゃないか、と思ったりして複雑な気持ちだ」。

「先頃『Yes Yes Yes』というウリセン模様を書いた本が文学賞をとったが、この小説のなかで主人公はアナルセックスをズッポンズッポンにやられている。ボクにとってこの本は、ひょっとしたら「カレッジの王様」にいたウリセンは実はみんなズッポンズッポンだったのではないか、知らないのはボクだけだったのでは、という意味でショックだった」。

「5年経ってボクはこうして″ホモ″や″ウリセン″についての文章を立派に書いているわけである。ウリセン生活はボクにとって強烈なインパクトがあった。インパクトは大事なことだ。やってよかった。アナルセツクスだけが心残りだ」。


Kさんは、ゲイにナンパされるだけあり、容姿は整っていると紹介されています。比留間さんとの共通点は、空虚な心理状態で、何か自分を壊したい衝動みたいなものが売り専をするきっかけになっているようです。そしてノンケにとって御法度であるはずの「ケツを掘られる」という痴態には、どうやら惹き付けられる人もいるようです。比留間さんも滅茶苦茶アナルは感じたと言っています。

つまりノンケにとっては、ケツを掘られるって、怖いような、でも憧れるようなということなんでしょうか?


↓ 画像:このビルの2Fが売り専バー「カレッジの王様」