twitter記録所になってますが、たまに長いの書きます(一覧)
2010-03-17
■[映画] 赤軍-PFLP 世界戦争宣言
1971年、日本(ac)
- 出版社/メーカー: CCRE
- 発売日: 2009/02/27
- メディア: DVD
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パレスチナゲリラと日本赤軍の夢のコラボが実現した伝説的ドキュメンタリー映画です。「赤P」とか略すと通っぽいようですよ。わたしは共産趣味者(主義者ではない)なので、ときどきこんなわけのわからないものを発作的に観てしまいます。んー、でもこれつまんないからみんな観なくていいです。
観念論のエアポケット
内容は要するに革命プロパガンダ映画で、レバノンのPFLP(パレスチナ解放人民戦線)の訓練風景を写しながら、念仏みたいな革命理論を延々とナレーションするというもの。しんどい。パレスチナの人々は日々、まさに戦争を生きているのだから、その手段などの是非はともかくとして一定のリアリティはあるものの、映画クルーと赤軍の連中*1はいったい何をしにいったのか。
彼らがたびたび口にする観念論批判と唯銃主義は*2、裏を返せば、日本での新左翼闘争がどうしようもなく行き詰まったあげくのやぶれかぶれの急進化でしかない。マルクスもレーニンも全然読めなかったいまいちな人々が*3、その劣等感をはねのける可能性を遠くパレスチナの地に求めたのは、今から考えればずいぶんと迷惑な話に思える。けれども、PFLPにこれだけ受け入れられたということは、その純粋さに共感できるものがあったからなのかどうなのか。
監督の若松孝二*4は後年の回想(『俺は手を汚す』、1982年)で、この映画の撮影中、PFLPがイスラエル軍からの襲撃の危険を察知し、映画のクルーを避難させたというエピソードを語っている。その部隊は結局、そのまま襲撃に合って全滅したということである。それが事実であるとするならば、みずからの危険もかえりみずに異国から来た同志を守ったということであり、日本赤軍がそれだけ彼らに受け入れられていたことを示す美談?ともなるだろう。
うーん、しかしそれもどうなのかなあ。偶然じゃないの?と意地悪く言ってしまいたくなる感じもある。この後に本当にあちらの戦士になってともに死線を潜り抜けた人々はともかくとして、少なくともこの時点では彼らは世界同時革命がどうのこうのとわけのわからないことを言う連中でしかないわけであり*5、そんなのをそこまで受け入れるものなのか。とりあえずスパイではないみたいだからついてきてもいいよ、程度のものだったのではないかと想像してしまう。
実際、この映画に出てくるパレスチナゲリラたちは、ナレーションによってやたらに強調される戦争とか革命とかいった言葉に反して、そこまでものすごく切羽詰まっている感じでもない。もちろん、建物の壁には痛々しい砲弾の跡があり、そこで多くの死者も出ているだろう。しかし、不謹慎な言い方になってもいけないのだけれど、少なくとも赤軍連中のような気負いは感じられない。世界革命などという空念仏には何の興味もなく、ただ戦うことが生きること、それ以上でも以下でもないという。
良くも悪くも、戦争は日常であり、生活の一部となっている。アジトは住居でもあって、軍事に特化した場所ではない。だから、子どもが描いたようないいかげんな絵が壁にはあるし、銃剣の訓練を行う背後にはピンポンの台も置かれている。戦争が身近にあるというただ一点を除いては、どこか牧歌的とさえいえる暮らしが営まれている。豊かではなさそうだが、特に貧しそうでもない。ひょんなことから迷い込んできた奇矯な人々にちょっと宿を提供するぐらいの余裕はあったのだろう。
これ以降、イスラエルとの戦いはエスカレートする一方であるから、そういった状況がいつまでも続いたとは考えにくい。この映画は、戦乱の中にふっとできたエアポケットのようなところに、奇跡的にうまく入り込めたからこそ撮ることができたのではないか。幼稚な観念論をふりかざす異邦人をいつまでも受け入れておくわけにはいかない。そこで選別がなされる。だから若松は日本に帰り停滞の季節に入るし、足立はすっかりあちらの戦士になった。
【画像】
左:美しい女性活動家。現地の人ではないみたいだけど、ヨーロッパのどこかから来たシンパだろうか。中:訓練の中、毛沢東語録を読む兵士たち。アラビア語になっている毛語録がちょっと新鮮。右:銃剣の訓練。後ろにはピンポン台。
諦念のモンタージュ
映画技法的には、60年代後半のゴダールの政治的フィルム(「中国女」以降)を真似したもので、レバノンの荒涼たる風景*6、当時の風刺画、だらだら長いインタビューなどと、真っ黒な画面に白抜きのゲバ文字でスローガンを映し出したものをモンタージュしている。まあ、ゴダールに比べれば稚拙でかっこ悪いのは否めないのですけれど、風景を撮るのは足立はけっこううまくて(「略称・連続射殺魔」などでもそう)そんなに退屈するほどのこともないです。革命理論はBGMだとでも思えば、レバノン観光映画として観ることも・・・さすがにそれはきついかな。
しかし、プロパガンダ映画というわりにはどうも、受ける印象は静謐なものなんですよね。戦争が日常となったパレスチナ人たちのあきらめのようなものさえ感じられて、赤軍の言葉はそれをひたすらに上滑りしていく。足立の映画にはたいていそんな奇妙なポエジーがあるし、今となってはそれだけがこの映画の(資料的側面を除いた)価値であろうと思う。けれども、そんなんでいいのかなあ。
これを観て、うおお、気分はもう戦争、武器を取れ、などと興奮しちゃう人は、いくら70年代でもいなかったんじゃないかしら。戦闘シーンもないから特にエキサイティングなものでもないし。こんなのをバスで全国まわって上映していったというのもあんまりよくわからない。まあその、そんな程度のものであるから、現在こうやってDVD化されて商品になってしまうという皮肉な事態になっているのかもしれないけれども。
*1:連合赤軍、赤軍派、日本赤軍、といったふうに、赤軍といってもそれぞれ別物なんですが、覚えなくていいと思います。
*2:若いころの重信房子のインタビュー映像はちょっと貴重かもしれない。しかし、内ゲバで対立していた他党派の連中をもメロメロにさせた美貌の女性兵士、といった言い方はどうも・・・。正直ちょっと田舎臭いおばさんみたいな風貌としゃべりで、あれ?これが本人?と首を傾げてしまった。長い黒髪と肉感的な身体つきは、もしもその場にいればそれなりに魅惑的だったのかもしれないけれど・・・。年を取ってからはわりときれいな人なので、そのイメージがあるのかも。
*3:実際、語られていることの大半は、当時の新左翼諸党派の理論水準(それも別に高くないんだが)に比べてさえ、おそろしく幼稚なものである。うまく理解してもいないだろう生硬な言葉を無理に使っているさまはとても痛々しいし、彼らが忌避する、現実とのつながりがまるでない観念論をそのままにやっている。それを糊塗するために暴力に走る最悪のスパイラル。
*4:足立と若松の共同監督作品となっているけれども、どちらかというと足立が主にリードして作った作品であるようだ。
*5:日本赤軍が銃乱射やハイジャックなどの派手なテロ事件を次々に起こすのは1972年以降のことで、この映画が作られたのはそれより前の、拠点形成期のこと。ちなみに、赤軍派によるよど号ハイジャック事件は1970年3月、連合赤軍事件はこの映画の後の1971-72年のこと。
*6:あまり撮影環境はよくないらしく、ちょっと露出過多で、ぽやーんとした赤い光がいっぱい入っている。でもそれはそれで味があってきれい。










