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辺境パリンクロン

2010-05-14

契約‐再契約モデル論のまとめ

ゼロ年代における「契約から再契約へ」の想像力‐ピアノ・ファイア

王道はゼロ年代を超えて生きのこる。‐Something Orange

1年半ほど前の議論ではあるが、大事な概念なので自分の為にまとめておく。


そもそも、契約=再契約モデルは、宇野常寛ゼロ年代の想像力』への懐疑、決断主義批判から始まる。

いずみのさんは、決断主義の前提となっている「ひきこもり的想像力」、つまり相対主義の鎖は幻想である、と断じる。人間には、根源的に善きなるものを目指すベクトルが内在しているはずだと。海燕さんの言葉で言うところの「王道的動機」。

そしてそれが、「王道」という物語の形式を要求するのだ。


ただ、王道的動機は普遍なれど、発射台に登るまでのプロセスは、昔と今とで違う。

というのも、現代は情報と選択肢に溢れていて、世界が過剰に可視化されすぎているから。

昔は世界というものが見えなくて、夢と希望に溢れた存在で、だから主人公は自分の中に着火剤を持っていて、勝手に火をつけてぶっ飛んでいくという物語造型が可能であった(=説得力をもてた)。しかし現代ではセカイは見えすぎていて、「決断」に大きなエネルギーがいるため、主人公はなかなか最初の一歩を踏み出せない。自分の中から動機を調達してくるのが困難な(説得力ある初期駆動を描くのが難しい)時代である。

そんな現代で「王道」の物語を可能ならしめるのが、「契約」というシステムなのである。

「契約」とは、モチベーションを相手にまるごと担保して、主人公を王道の衛星軌道へとぶち上げる発射装置であり、イージーでスイートな“関係”なのだ。ゆえにこの「契約もの」には、当然、相方(バディ)がいる。


しかし、この契約というのは物語を回し始める為に導入された、非常にご都合主義的なギミックなので、王道風に始めた物語を真に骨太の「王道の」物語たらしめる為には、何らかの試練を経た主人公の成長が必要になる。その結果、「たまたま」スタートした主人公と相手との関係は、主人公の確固たる意思によって、必然のものとして結び直し=更新される。

これが「再契約」である。契約の成熟と言ってもいいかもしれない。

ゼロ年代的な決断主義は、この再契約という点において「契約‐再契約モデル=現代版王道」と決定的に異なる。


つまり、「決断主義」であれ「契約‐再契約モデル」であれ、動機を担保してくれる奇特な相手方を奇貨として(これ幸いに)ハンコを押す、という点には違いはないのである。しかし後者は、物語自身が当然に主人公のリニューアルと、契約の更新[バージョンアップ]を要請するというのが特徴である。また、再契約モデルはそもそも前提として「契約書が善きもの」(=人間が普遍的に志向するもの)でなければならない。悪魔の契約書にサインした者は王道たり得ない、という暗黙の前提がそこにはある。「要は(麻薬をやる)勇気がないんでしょ?」というのは、決断主義ではあるが、王道ではない。


大事なのは、いずみのさん・海燕さんが二人とも指摘しているように、この再契約モデルはポストゼロ年代の発明品ではない、

連綿と受け継がれてきた「王道」の上にきちんと乗ったドラマトゥルギー

だということ。それは忘れてはならないだろう。

再契約モデルはあくまで「現代版王道」だ。だからこそ、その忠実な展開は多くの読者に支持されるのである。