シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「彼女がいない」より、「惚れない」ことのほうが深刻なのでは?

 
 
彼女がいる人に質問です。 彼女が欲しいです。 彼女が欲しいが、… - 人力検索はてな
 
 “彼女が欲しい”、かぁ。
 
 問いの立て方が、今風だなと思う。○○ちゃんと付き合いたいとか、××さんと一緒に夕食を食べたい、とかじゃなくて、“彼女が欲しい”。「○○さんにアプローチする方法を教えて欲しい」や「好きな女の子とお喋りするノウハウを教えて欲しい」という問いをみると、ああ、この質問者は誰かに恋してるんだな、と思うんだけど、「彼女欲しい」と「俺モテない」という独白からは、コミュニケートしたい・交際したい対象としての異性の影はあまり浮かび上がってこない。渇愛の念は強く感じられるにしても。
 
 この問いに対しては、はてなブックマーク側にも細々としたアドバイスや返答が書かれているわけだが、そんなものより遥かにクリティカルな条件は、
 
 
1.「誰かを好きになること」 
2.「その誰かに対して、(たとえ不出来不完全とはいえ)自分自身が関わって良好な関係を構築していきたいと願う」 

 この二つだと思う。
 
 恋愛や男女交際というのは、独りよがりなものではなく、まずは相手あってのもの。自分の渇愛をこね回しているだけで始まるものではない。まずは特定の誰かを好きになって、そしてその相手に自分がどのようにコミットしていき、好きな相手とどのように良好な関係を創りあげていくのか*1が意識されて然るべきだろうし、それ無しに、まともな恋愛が進行するとは思えない。エロゲーやラノベなら、街を歩いているだけでもかわいい女の子がぶつかってきてフラグが立つのかもしれないが、現実の恋愛でフラグを立てようと思ったら、第一のフラグとして重要なのは、「俺があの娘を好きになる」「あの娘との間で良い関わりを持っていきたい」「願わくは、自分が彼女の笑顔を生み出せるうようになりたい」と強く感じるようになることじゃないのか。惚れてもいないのに立つフラグって、それ何てエロゲー?ってやつである。異性全般に漠然と渇望を抱いているだけでは、娑婆では恋愛フラグは進行しない。特定の異性のことで、頭のなかがいっぱいになることが先行してはじめて、恋愛フラグの可否がみえてくるってモンじゃないのか。
 
 巷の「彼女欲しい問答」や「非モテ問答」をみていて改めて不思議に思うのは、質問者と回答者の双方が、[彼女の高感度アップ][モテる方法][コミュニケーションのテクニック]とかいった技術論に終始し、彼女を“作る作らない”というアングルで言及する傾向にある、ということだ。いや、もちろんそういう技術論も大いに結構だし、ニーズの高いノウハウなのは僕も認める。
  
 でも、そんなことよりも、“恋の毒”が頭に回って、寝ても醒めてもいられない心境になることがない・なれないことのほうが余程でっかい問題で、恋が恋として熱情を帯びて始まらないということこそが、問題として最も重要かつシビアなのではないか、と僕は思う。異性が周りにいないというなら出会いの場が必要だろうけど、そうでない場合、本気で異性の誰かを好きになって、その人に自分がどうコミットしていくのかを真剣に思い悩む、というパトスが湧き出る湧き出ないのほうが、「彼女を作るための10のtips」などといった小細工的問題よりよほどクリティカルではないか。
 
 正味のところ、本当に誰かのことが好きになったら、それこそ死に物狂いで何とかしようと思うモンなんじゃないですか。特定の誰かに本当に夢中になっちゃった個人は、良くも悪くも、必死にもがいてあがいて最善を尽くす筈で、あとは外野が何を言おうとも、彼女に相応しい or 彼女をなるべく笑顔にできるような自分自身へと研磨すべく、腐心するんじゃないかと思う。だけど、誰のことも好きになっていない・特定の異性に熱情を感じていない人間には、それは不可能な話だ。特定の異性を好きになって、その異性に自分が関われることを増やしたい・よりよく関わりたいというモチベーションは、ときに経験と能力を限界以上に引き出し、非常に大きなエネルギーを与えてくれる。そして、そのような熱情を含まない恋愛というのは、冷めたスープのような、ひどくがっかりしたものなんじゃないかとも思う*2
 
 さらに突っ込むなら、別に好きでもない彼女をつくって、一体どうしたいんだろうか?彼女の為に何かをしよう・不出来でもいいから関わっていこう、という心意気も無しに、とにかく彼女が出来たという既成事実だけが欲しいのだろうか。そんな既成事実さえあれば、幸せになれるのだろうか。または、相手の異性と良い時間を共有出来るのだろうか。僕には、すごく難しいんじゃないかと思うし、情緒的な結びつきも育みにくいように思える*3
 
 そして、異性の側だってすぐに気付く筈なのだ。「この人は、私に何かをしたくて交際しているんじゃないんだ」「ただ、彼女がいるっていうステータスに満足したくって、誰でもいいから見繕いたいから交際してるんだ」という事に。そんなカップルが、お互いをお互いに幸せにする為に・よりよい関係を発展させていく為に、何ほどの創意工夫が有り得るというのか。そんな白けた、我利我利亡者的感覚の見え透いた交際相手に、寄り添っていこうと思ったところで、そうそう寄り添えるものではない。だから、単に「彼女が欲しい」だけで彼女をつくった人は、「特定の誰かに惚れて」彼女が出来た人より、後が色々と大変なんじゃないのか。
 
 

案外、片思いさえ経験していない男女が増えていたりして。

 
 だから、最近は片思いすらしたことの無い男女が増えているのでは?と僕は考えるようになった。「モテるモテない」「彼女彼氏が欲しい」という問いかけやQ&Aなら頻繁に見かけるが、「特定の誰かが好き」「特定の誰かにアプローチしたい」という問いかけやQ&Aはあんまりみかけない。モテるモテないとか、交際相手がいるいない、といった話ばかりで、片思いの相手がいて云々という相談形式は、思ったよりも、少ない。ひょっとしたら、男女交際の経験や性体験はそれなりにあるにも関わらず、激しい恋愛感情や、「惚れ込んだ!」というバーニング全開で七転八倒な感覚に乏しい人が、案外いるのかもしれない。
 

 
 恋って、なんなんだろう。
 誰かを好きになるって、なんなんだろう。
 彼氏彼女って、なんなんだろう。
 きみはいったい、誰に惚れてるの?
 
 
 [関連:]あなたは彼女が好き?それとも「彼女と一緒にいる自分」が好き? - シロクマの屑籠
 
 

*1:時に、その終末像が、いい友達、という場合もあるかもしれないにせよ。

*2:少なくとも自分は、片思いも含めて、そんな冷めたスープだけの恋愛を、未だ経験したことが無い

*3:もっと正確に言えば、惚れるという契機があってさえも、良い時間を共有し継続することはすごく難しいし、情緒的な結びつきを育むことも大変だと思う。個人的には、そういった育みとメンテナンスの営為は、一生をかけて取り組むに値する挑戦だと思う。