『機動戦士ガンダムジークアクス』最終話を夜中に起きて視聴した。いつものように早朝に見るつもりが午前1時半に目が覚めてしまい、ええいままよと視聴したら、いろんな気持ちが渦巻いて結局明け方まで眠れなかった。最終回にふさわしい、一段と眠たい水曜日になってしまった。私は『ジークアクス』を「今まででいちばん眠たいガンダム」として記憶するだろう。
ストーリーの展開として私がいちばん期待していたのは、マチュとニャアンの物語が描かれることだったから、結末は満足がいく感じだった。内田弘樹さんが、
エンディングのマチュとニャアンの家にララァの娼婦時代の服があるので(一緒に楽しくダンスしてる)、少なくともララァはマチュと連絡を取り合っているし、その後幸せになったことも知ってる、みたいな感じだと僕はいいなと思います。
— 内田弘樹@5/27コミック新刊発売「ゼロ戦エース、異世界で最強の竜騎士になる!2」 (@uchidahiroki) 2025年6月25日
「エンディングのマチュとニャアンの家にララァの服があるから、ララァとの繋がりは残っていて、幸せにやっている」、と解釈しているのを私も採用することにした。そう解釈できるエンディングを用意してくれたことを嬉しく思う。
もっと言えば、私はマチュとニャアン、特にマチュがすごく好きだったのだと思う。主人公、なおかつ私が本作で一番好きなキャラクターでもあるマチュがなかなか登場しないことにヤキモキした時期もあった。もし、そのマチュ(とニャアン)が最終話でもっと描かれなかったら、そしてマチュが軟着陸した場所がこうでなかったら、きっとフラストレーションだっただろうなと思う。
MADムービーとしての『ジークアクス』
マチュとニャアンの物語としての魅力や構造はさておいて、『ジークアクス』はガンダムネタやアニメネタが高密度に詰まった、なんともオタク然とした作品だったと思う。
ものすごい公式同人誌を見ましたという感覚
— 幸宮チノ (@chino_y) 2025年6月24日
この「ものすごい公式同人誌を見た」は同感だ。私なら「ものすごい公式MADムービーを見た」と表現したい。どちらにしても、ものすごいクオリティの二次創作のような作品だった*1。
『ジークアクス』には、過去につくられたさまざまな作品の引用、インスパイア、変奏といったものがちりばめられていた。ガンダム世界における「原典」である『機動戦士ガンダム』『機動戦士Zガンダム』『機動戦士ガンダム逆襲のシャア』はもちろん、ゲーム『ギレンの野望』、エヴァンゲリオンなどのカラー(またはガイナックス)の過去作品、ほかにもセーラームーンやらクトゥルフ神話やら、あれこれの作品の引用がぎっちり詰まっている。
その道の神様のようなひとたちが作った作品なのだから、すべての引用やインスパイアやオマージュを正確に指摘できる人なんて限られているだろう。
でも、よくできたMADムービーとはそういうものだと思う。大量の過去作品から引用やインスパイアをしているからといって、すべての過去作品を知り尽くしていなければ楽しめないわけではない。知っていれば知っているほど楽しめるのはもちろんだが、ある程度までは知らなくても、なんならほとんど知らなくても楽しめるのが優れたMADムービー(またはMADムービー的な作品)だと思う。
「こんなんエヴァじゃん!!!」って中学生に四時に起こされて聞かされる親もいるんですよ……
— こじま (@801_CHAN) 2025年6月24日
たとえば「こんなんエヴァじゃん」としか言えない中学生でも楽しめるぐらいには、『ジークアクス』はよくできたMADムービー(的な作品)だった。
でもって、よくできたMADムービーはファンを知らない引用先やインスパイア先へといざなう。『ジークアクス』は、たぶん、少なくないファンを過去の作品に誘導した。ガンダムというIPの新陳代謝に果たした貢献ははかりしれない。でも、この貢献も『ジークアクス』がよくできたMADムービー的作品であること、引用元やインスパイア元を十分に知らなくても視聴可能で、なおかつ引用元やインスパイア元にいざなう力を持っていればこそ成立したものだ。制作する側が膨大な過去作品を知っていて、それを作中に巧みに組み込める技量を持っていることに支えられている点もよくできたMADムービーっぽい。
過去、ニコニコ動画などで最高に盛り上がったMADムービーがそうだったように、『ジークアクス』も視聴者同士が言葉を交わし合うことで引用元やインスパイア元を探り合い、教え合う現象が起こった。毎夜の放送直後からたくさんのコメントがSNSのタイムラインを席巻し、自分の知らない引用やインスパイアを知る機会や、過去の作品に関心を持つ機会として機能した。『ジークアクス』の視聴者のコメントがSNSのタイムラインを席巻していく過程を生み出したのも、『ジークアクス』がよくできたMADムービー的で、元ネタを知っている人が思わず語りたくなるネタやメタが詰まっていればこそだと、私は眺めていて思った。
結局それが、『ジークアクス』が(古い言葉で恐縮だが)“覇権アニメ”として君臨する大きな材料になった。現代の深夜アニメにおいてSNSのタイムラインを席巻するとは、現代の戦場において制空権や航空優勢を確保するのに等しいアドバンテージだ。
『ジークアクス』はそれを完璧にやってのけ、たとえばXのタイムラインの大きな割合を占拠した。その背景として、膨大かつ高密度なネタの群れ果たした役割はきっと大きい。
新作ガンダムとして、ミッションを完遂したのでは
まだ眠たい頭でこの3か月に起こったこと、それから劇場版のセールスのことを思うと、『ジークアクス』はその作風、そのネタ密度、その映像をとおしてSNSを完全に抑えて、いまどきのガンダムという作品が果たさなければならないミッションをほとんど完遂したのではないかと思う。
ここでいうミッションとは、
・話題になること
・知名度を稼ぐこと
・ガンプラを売ること
・旧来のファンを喜ばせること
・ご新規のファンを開拓すること
・ご新規のファンを過去のガンダム作品にもいざなうこと
あたりだが、歴代のガンダム系作品で、これらすべてを成し遂げた作品はあまりない。たとえば『ガンダムW』や『水星の魔女』はご新規のファンを開拓したが、過去のガンダム作品へとご新規さんをいざなう作品ではなかった。しかし『ジークアクス』はたぶんこれらすべてを達成したか、達成に近いところまでやってのけた。それは凄いアチーブメントだ。
本作が単体のアニメ作品としてどのぐらいよくできていると言えるのかは、これから振り返ってよく確認しなければならない、と思う。本作の楽しさはタイムラインのにぎわい、リアルタイムな祝祭性にも依拠していて、それを成立させるカラクリとしてMADムービー的な性質は大いに役立った。制作陣&運営陣のタイムラインのコントロールが素晴らしかったのも意識しないわけにはいかない。彼らはさまざまなネタや関係者コメントを効果的なタイミングで投入していた。そうした支援効果が全部剥がれ落ちた後に『ジークアクス』がどんな風に見えるのかは、この祝祭に包まれた眠たい頭ではうまく想像できない。
個人的には、もっとマチュとニャアンの物語に時間的リソースを振り分けて欲しかった。1クール12話の、極端に高い情報密度の作品だったから、マチュとニャアンの物語……というよりそれぞれの登場頻度は作中で飛び石のように点在していた*2。他の登場人物たちの話にしても、もっと見てみたかったという気持ちはぬぐえなかった。してみれば、私はこの作品のキャラクターたちのことが好きになっていたのだと思う。好きになったキャラクターたちの活躍をこんなに断片的にしか見れないこと、こんなに短い時間しか見れないことに私は寂しさを感じているように自覚した。
でも、それは仕方ないことだ。1クール12話のなかにMADムービー的な面白さを超高密度でぶっこんだ作品である以上、個々のキャラクターの出番はトレードオフ的に小さくなる。キャラクターそれぞれの物語や言動のわかりやすさについても同様だ。本作はキャラクターの言動についても最小限の時間で最大限の情報を提示するようにつくられていたから、その情報密度の高さゆえに、情報の冗長性はかなり低いように感じられた。
実際、放送直後のSNSで「わかりにくい」「わかりづらかった」といった声をときどき見かけたように思うし、私自身、自分がどこまで正確に話の筋を読解できているのか、自分のアニメリテラシーが心配だった(今でも心配だ)。ぼんやりと一回きり見ただけでは見落としてしまう情報密度だったのは、MADムービー的な各種のネタだけでなく、キャラクターそれぞれの振る舞いについても同様だった。
それほどまでに視聴者を信頼しきった作風だったと言えるかもしれない。賛否あるだろう。でも、この作品はそういう作風にすると決めたうえでつくられた作品だろうし、タイムラインを占拠した経緯からいって、そういう作風で大成功をおさめた作品として記憶されるだろう。
ともあれだ。
『ジークアクス』は賛否も含めてガンダム内外のファンに3か月間(1月から数えるなら約半年間)のカーニバルを提供し、興行として完璧に成功したわけだから、そのリアルタイムの盛り上がり、このお祭り的性格を抜きにして作品を云々するのはやっぱり変だと思う。実際、私はまだお祭りの熱気のなかにいる。だから眠い目をこすりながらこうしてアニメ感想文を書いている。
私が体験したのはタイムラインの賑わいも含めた、ほんのひとときの体験型エンタメとしての『ジークアクス』だった。だからこれは、「事件」や「出来事」だったのだと思う。
1クール12話であらゆる人を完璧に満足させ、あらゆる人の好みに適った作品にすることなどできない。そうした制約のなかで、プロが作った最高のガンダム二次創作的作品、最高のガンダムMADムービーとして『ジークアクス』を世に送り出し、こんなに驚きと熱気と期待に満ちた時間をシェアする機会をつくってくれたひとたちには感謝しかない。ありがとう、楽しかったです。もうしばらく、この熱気のなかでゆらゆらしていたいです。