シロクマの屑籠 p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです 2024-03-18T21:30:00+09:00 p_shirokuma Hatena::Blog hatenablog://blog/6653458415124667212 現代人は本当に思想に飼われている hatenablog://entry/6801883189091488181 2024-03-18T21:30:00+09:00 2024-03-19T15:30:20+09:00 president.jp リンク先の文章は、拙著『人間はどこまで家畜か』を一部引用しつつ、ひとまとまりの読み物として再編成しプレジデントオンラインさんに載せていただいたものだ。私たちは資本主義にいいように飼い馴らされ、その資本主義をますます充実させるための資本の乗り物、それか家畜として使役されちゃっていませんか? といった話が中心になっている。 だが、現代人のマインドに根を下ろし、現代人をいいように飼い馴らし、現代人を動機づけている思想は資本主義だけでもあるまい。 ぜんぶ挙げようとするときりがないが、『人間はどこまで家畜か』では、現代人を飼い馴らす思想として、資本主義に加えて個人主義と社会契約… <p> <br /> <iframe src="https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fpresident.jp%2Farticles%2F-%2F79526" title="「結婚を避け、子供をもたない」ほうが人生のコスパが良い…現代の日本人に起きている&quot;憂慮すべき変化&quot; 「自己家畜化」が進み、資本主義の下僕になっている" class="embed-card embed-webcard" scrolling="no" frameborder="0" style="display: block; width: 100%; height: 155px; max-width: 500px; margin: 10px 0px;" loading="lazy"></iframe><cite class="hatena-citation"><a href="https://president.jp/articles/-/79526">president.jp</a></cite><br />  <br />  <br /> リンク先の文章は、拙著『人間はどこまで家畜か』を一部引用しつつ、ひとまとまりの読み物として再編成しプレジデントオンラインさんに載せていただいたものだ。私たちは資本主義にいいように飼い馴らされ、その資本主義をますます充実させるための資本の乗り物、それか家畜として使役されちゃっていませんか? といった話が中心になっている。<br />  <br /> だが、現代人のマインドに根を下ろし、現代人をいいように飼い馴らし、現代人を動機づけている思想は資本主義だけでもあるまい。<br />  <br /> ぜんぶ挙げようとするときりがないが、『人間はどこまで家畜か』では、現代人を飼い馴らす思想として、資本主義に加えて個人主義と社会契約、それから功利主義を挙げている。思想などという実体のないものに何ほどの力があるのか? と疑う人もいらっしゃるだろうし、そうした思想をつくりだしたホッブズやルソーやベンサムといった思想家の重要性は実感しにくいかもしれない。でも、よくよく考えてみて欲しい。誰も帯剣していなくても安全な社会・ほとんどのお店が明瞭会計な社会・ハンディキャップを持つ人の権利が守られ社会参加が尊ばれる社会・すさまじい人口密度の都市でも清潔で快適な社会etc…を思想面で裏付けし、正当化しているのは、彼らと彼らが生み出した思想ではなかったか。<br />  <br /> もし、これらの思想が浸透していなかったら社会はどうなっていたか? 法に基づいた平等は成立せず、日本のどこでも同じ値段でコーラを買える状況ではなかっただろう。人口の密集した大都市はもっと危険で、不衛生で、暮らしにくかったに違いない。地域の有力者があちこちで通行料を取り、弱い者・差別される者はひたすら強者に媚びなければならない、そんな旧態依然とした社会が続いていたと思われる。<br />  <br /> だから私は、資本主義も含めた思想の進展や浸透を「悪いことだった」とは言わない。<br />  <br /> とはいえ、思想の進展がいいことづくめだったとも考えにくい。社会と私たちをリードしてきた当の思想が浸透し・制度化され・徹底し尽くした結果として、その思想が私たちの暮らしを圧排しはじめ、ライフスタイルを呑み込みはじめ、その結果として、たとえば世代再生産が困難になっていませんか? といった疑念が拭えない。確かに思想は私たちに豊かさや安全や長寿をもたらした。が、本当にそれだけだったのか? 今日では、そうとも言えなくなってきているのではないか?<br />  <br /> 功利主義の立役者の一人であるスチュアート・ミルの著書『自由論』のなかに、こんなフレーズがある:「人間の場合もそうだが、政治や経済の理論の場合も、人気がないときは目立たなかった間違いや欠陥も、勢力が増すと表面化する」。資本主義や社会契約や個人主義といった、今日の礎となっている思想たちも、このミルの述べる「人気がないときは目立たなかった間違いや欠陥が、勢力を増すなかで表面化」してきているのではないだろうか。その表面化してきている現れのある部分が少子化であり、ある部分がタイパやコスパに急き立てられるように生きるしかない現代人のライフスタイルだったりするのではないか。<br />  <br />  </p> <div class="section"> <h4 id="でも人間はいつも思想や共同幻想のしもべだったでしょうへの反論"><span style="color: #d32f2f"><strong>「でも、人間はいつも思想や共同幻想のしもべだったでしょう?」への反論</strong></span></h4> <p> <br /> こういう考えに対しては、右のような反論が即座に連想される。「でも、資本主義や個人主義が成立する以前から人間は思想のしもべだったんじゃなかったっけ?」と。<br />  <br /> 確かに。<br /> 近現代の思想が浸透する以前から、人間は思想や共同幻想の影響を受け続け、それらを超自我や道徳として内面化し続けていた。</p><p>なかでも有名なのはキリスト教とその影響だ。けれどもキリスト教だけがそうだったわけでもない。小さな狩猟採集民族にしても、それぞれの祖先崇拝・それぞれのしきたりがあり、自然界や死後の世界の解釈はシェアされ、信奉され、内面化されていた。思想や共同幻想と人間の付き合いは有史以前からあった、とみておくべきだろう。<br />  <br /> 人間が思想や共同幻想から完全に自由だったことなど、どこの時代・社会にもありはしなかった。これからもないだろう。<br />  <br /> なら、昔ながらの思想や共同幻想と現代の思想はどう違っているのか。<br />  <br /> 中央集権国家が介在しているかどうか等、いろいろな違いがあるけれど、なかでも私が大きいと思うのは「思想や共同幻想に隙間や逃げ道がどこまであるか」である。<br />  <br /> 過去においても、自分の所属する共同体の思想や共同幻想に苛立ちや息苦しさを感じることなどいくらでもあっただろう。だが、過去の共同体とその思想には隙間があった。それも、ふんだんに。<br />  <br /> 「相互監視の厳しい村社会」といったイメージはある程度そのとおりだった反面、村はずれまで行けば相互監視の目は緩くなり、共同体の外に出てしまえば相互監視はあり得なかった。ルール違反を取り締まるための警察機構や監視装置も、200年もさかのぼればザル同然である。過去の共同体は今日のように長く生きることに拘泥する社会ではなかったから<a href="#f-2e52ab08" id="fn-2e52ab08" name="fn-2e52ab08" title="この、異様なまでの長生き志向も現代人を捉えて離さない思想のひとつ、文化構築物のひとつであるが、その話をするだけで2000字は上回るだろうからここでは省略する">*1</a>、野垂れ死にする/しないはさておいて共同体を飛び出すのはあり得る選択肢だった。狩猟採集民族においては、そうした飛び出しが新しい集団を生み出すこともあっただろう。<br />  <br /> 共同体を貫く思想や共同幻想そのものは現代に比べて厳しかったとしても、それらに基づいたルールを守らせるためのシステムが未発達で、その共同体の外側が存在するのが過去の共同体と、その思想や共同幻想を特徴づけていた。逃亡者・放浪者・流浪人といった人々が実在し、そうでなくても旅芸人や行商人のようなライフスタイルも(その生存率の高低はさておいて)存在していた。<br />  <br /> 対照的なのが現代社会だ。<br /> まあ、現代社会でもアマゾンやパプアニューギニアの奥地にまで逃げ込めば今日の思想から自由になれるのかもしれない。がしかし、日本語圏だけで考えた場合、日本全国どこへ行っても、文化的にも制度的にも単一のルールがまかりとおっていて、それを日本国という中央集権国家が保障している。<br />  <br /> 九州だけ資本主義の道理が通じないとか、北海道だけ個人主義が通じないとか、そういった事態は基本的には発生しない。離島や山奥に行けば法を破って構わないとか、納税しなくて構わないというわけでもないだろう。<br />  <br /> どこへ行っても思想的に共通で、その思想に根差した社会システムが運営されていて、その社会システムを守るための警察制度や福祉制度も充実しているおかげで、私たちはどこでも暮らせるし、どこでも安心して商取引できるし、どこにだって遊びに行けるようになった。<br />  <br /> そのかわり、九州や北海道や離島や山奥に行っても資本主義や個人主義などの思想の外側に出られるわけではなくなった、とも言える。たとえば日本国内にいる限り、警察制度や福祉制度や税制の追跡から逃れられるすべはない。<strong>現代の思想の最大の特徴は、それが国ひいてはグローバルに広がっていて、なおかつそれらを個人に内面化させ社会に敷衍するためのテクノロジーや制度がすさまじく進歩していて、その外側に出ることがきわめて困難</strong>な点だ。<strong>日本では、それがとくに際立っている</strong>。<br />  <br /> 加えてテレビやインターネット等々の影響もある。もちろん昔からメディアは存在していて、たとえばキリスト教の大聖堂は信者の信仰心を養うメディアだったと語られる。が、今日のメディアの力はその程度ではない。広告も含め、メディアから流れてくる情報は私達に資本主義に忠実な暮らしをするよう、絶えずささやき続けている。街を歩いていても同じだ。どこにでも広告看板があり、どこにでもショーウィンドウがある。そうして資本主義に忠実な欲望が、惹起される。東京のような大都市は、そうした資本主義のささやきの坩堝だ。その資本主義のささやきの坩堝のど真ん中にいて、資本主義的マインドを内面化せずに済ませるのはきわめて難しい。<br />  <br /> かつてはその東京にも、思想とそれを支える諸システムが届ききらない、社会の隙間があちこちにあった。たとえばホームレスは解決すべき問題だったと同時にひとつのライフスタイルであり、法治の外側、現代思想とは相いれない時空間でもあった。今日、そのようにホームレスをまなざす余地はほとんどない。ホームレスは福祉システムをとおして諸思想の内側にすみやかに回収されなければならない。それはホームレスに対する人道的な問題解決であると同時に、水をも漏らさぬ中央集権国家の統治の履行でもある。<br />  <br /> 水をも漏らさぬ統治によって、水をも漏らさず思想が具現化する。<br /> かつて、資本主義や社会契約や個人主義がイノベーターだけのものだった時代には、思想とその実践の間には大きなギャップがあった。法治が照らす範囲も、資本主義や社会契約のマインドが息づく場所も、そこまで広くはなかった。私たちの内面にしても同様である。令和から昭和、昭和から明治以前へと時代を遡るにつれて、コスパやタイパの精神を内面化している人は少なくなる。個人主義や社会契約や功利主義にしても同様だ。それらは長い間イノベーターやせいぜいアーリーアダプターの理想論でしかなかったが、やがて社会の建前ぐらいは通用するようになり、"一億総中流"などと言われた頃には大衆にまで届くようになり、ついに社会と私たちのマインドに徹底的に根を下ろすに至った。当の思想家たちは、自分たちの思想がここまで徹底的に根を下ろし、制度化されて具現化した時に何が起こるのかについてどこまで考えていたのだろうか?<br />  <br /> 夢見がちな思想家のことだから、何を得られるのかについてはよく考えていたに違いない。しかし思想が浸透し尽くした時に何が失われるのか、何が弊害となって現れるのかについて、どこまで議論できていたのだろう? そもそも思想が建前の次元をこえてここまで根を下ろし、それを支えるテクノロジーや制度が巨大化している社会状況を思い描きながら彼らが議論出来ていたとは、あまり思えない。だが、私たちが実際に生きている2024年の社会とは、そのように思想が浸透し、内面化され、私たちに思想のとおりに生きるようささやき続ける社会だったりする。<br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="思想や文化と人間の二人三脚そのバランスが崩れて人間が飼われる格好に"><span style="color: #d32f2f"><strong>思想や文化と人間の二人三脚、そのバランスが崩れて人間が飼われる格好に</strong></span></h4> <p> <br /> この、たぶん思想家自身の想像の斜め上までたどり着いてしまった社会のなかで、思想に逆らうとまでは言わないにせよ、思想と適度に距離を置いて生きることは可能だろうか。<br />  <br /> 『人間はどこまで家畜か』の第三章では、その思想をはじめとする文化の力があまりにも強くなった結果として、ホモ・サピエンスとしての私たちの生が圧排されているのではないか、といったことを書き記した。そして第四章では、そうした思想や文化の命ずるままに生きることの難しさが現れる場所として、精神医療と子育ての領域を挙げている。<br />  <br /> この文章の前半でも挙げたように、思想の恩恵は大きかった。現代の快適で長寿で効率的な社会が諸思想に支えられているのは否定できないし、そうでなくても人間は思想や文化と二人三脚で進歩してきた。だから思想や文化を全否定するのはナンセンスだと心得ておかなければならない。<br />  <br /> けれども思想や文化がこれほど強い力を持つようになった社会は今まで一度もなかったし、思想や文化からの避難所やオルタナティブが無さそうにみえる社会も今まで一度もなかった。人間は、思想や文化と二人三脚ではあっても、思想や文化のしもべだったわけではない。また、地域や共同体の思想や文化が気に入らなければその外側に飛び出すことも、監視の及ばない場所でこっそり違反してみせることも不可能ではなかった。<br />  <br /> ところが思想や文化の持つ力が(制度や統治機構やメディアなどの発展とともに)圧倒的に強くなってしまった結果、現代人は思想や文化の外側にのがれることが難しくなり、オルタナティブな生を生きられなくもなった。たとえば今日、資本主義や個人主義や社会契約といった思想を度外視して生きる余地がどこにあるだろうか。それらを超自我として内面化せずに大人になることがどこまで可能だろうか。かりにそれらを度外視して生きる人がいたとして、東京のような街で本当に無事息災に暮らしていけるものだろうか? 私は、おそらく無理だろうと推測する。そのような人物は四方八方で現代社会(とその背景にある思想)と衝突し、トラブルを起こし、早晩、矯正や治療や支援の対象として体制に回収されてしまうのではないだろうか。<br />  <br /> 現代人として生きるとは、現代の諸思想のままに生きること、それらを内面化して生きることと限りなくイコールに近い。私たちは思想に生かされ、思想に沿って生きている:だったらそれは、思想に飼われているってことではないだろうか? 思想の外側やオルタナティブが存在した時代ならいざ知らず、外側もオルタナティブもなく、思想を具現化する社会装置にガチガチに包囲されっぱなしの私たちは、もう、思想のご主人様ではなく、思想がご主人様とでもいうべき生を生きていないだろうか。そして思想に忠実だからこそ、遺伝子というミームを増やすのに最適な考え方を持つのでなく、資本というミームを増やすのに最適な考え方を持ち、そのとおりに生きることが正常で、そのとおりに生きないことが異常であるかのような印象を持つに至っているのではなかっただろうか。個人主義や社会契約や功利主義についても同様だ。私たちはそれらによって生かされ、それらに沿って生きて、それらに飼われてやいないだろうか。<br />  <br /> 私たちは、強くなりすぎた思想に飼われるようになっている──この視点が、現代社会をまなざすアングルとしてどこまで妥当なのかの判断は私自身にはできかねる。が、私はこのアングルで説明可能なことが2020年代の日本社会にはかなり多くあるように思われるので、もうしばらくこのアングルで社会を眺めて、現代人自身をも眺めてみたいと願う。<br />  <br /> 拙著『人間はどこまで家畜か』は、そうした試行錯誤のなかでつくられた本です。現代人の生きやすさと生きづらさについて、このアングルから考えてみたい人にはおすすめです。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CVNBNWJK?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/31h8EM7-bDL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="人間はどこまで家畜か 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)" title="人間はどこまで家畜か 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CVNBNWJK?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">人間はどこまで家畜か 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B7%A7%C2%E5%20%B5%FC" class="keyword">熊代 亨</a></li><li>早川書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CVNBNWJK?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br />  </p> </div><div class="footnote"> <p class="footnote"><a href="#fn-2e52ab08" id="f-2e52ab08" name="f-2e52ab08" class="footnote-number">*1</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">この、異様なまでの長生き志向も現代人を捉えて離さない思想のひとつ、文化構築物のひとつであるが、その話をするだけで2000字は上回るだろうからここでは省略する</span></p> </div> p_shirokuma 本屋B&Bさんにて、藤谷千明さんとの「推し」関連トークイベントがあります hatenablog://entry/6801883189089855248 2024-03-13T14:15:47+09:00 2024-03-13T17:21:48+09:00 【来店・リアルタイム配信イベント】 3/21 THU 19:30- 熊代亨×藤谷千明 「よく推し、よく推され、よく生きる」 『「推し」で心はみたされる?』(大和書房) 『推し問答!あなたにとって「推し活」ってなんですか?』(東京ニュース通信社)W刊行記念イベント https://t.co/kx72L4dquG— 本屋B&B (@book_and_beer) 2024年3月12日 3月21日(木)の19:30から、「推し」や「推し活」についてのイベントを開催していただけることとなりました! 今回は私一人でなく、藤谷千明さんとご一緒するかたちのイベントとなります。 藤谷千明 推し問答! あなたにと… <p> <blockquote data-conversation="none" class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">【来店・リアルタイム配信イベント】 <br>3/21 THU 19:30- <br>熊代亨×藤谷千明 <br>「よく推し、よく推され、よく生きる」 <br>『「推し」で心はみたされる?』(大和書房) <br>『推し問答!あなたにとって「推し活」ってなんですか?』(東京ニュース通信社)W刊行記念イベント <a href="https://t.co/kx72L4dquG">https://t.co/kx72L4dquG</a></p>&mdash; 本屋B&amp;B (@book_and_beer) <a href="https://twitter.com/book_and_beer/status/1767459269232992552?ref_src=twsrc%5Etfw">2024年3月12日</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> <br />  <br /> 3月21日(木)の19:30から、「推し」や「推し活」についてのイベントを開催していただけることとなりました!<br />  <br /> 今回は私一人でなく、藤谷千明さんとご一緒するかたちのイベントとなります。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4867017639?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/515EPEiLzOL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="藤谷千明 推し問答! あなたにとって「推し活」ってなんですか? (TOKYO NEWS MOOK)" title="藤谷千明 推し問答! あなたにとって「推し活」ってなんですか? (TOKYO NEWS MOOK)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4867017639?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">藤谷千明 推し問答! あなたにとって「推し活」ってなんですか? (TOKYO NEWS MOOK)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li>東京ニュース通信社</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4867017639?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br /> 私が『「推し」で心はみたされる?』をリリースしたのとほぼ同じ時期に、藤谷千明さんは『推し問答! あなたにとって「推し活」ってなんですか?』という書籍をリリースしました。時期もテーマもよく似ていることから、さっそく買って読んでみたのですが……これ、ものすごく面白いです。地下アイドル、ホスト、2.5次元、等々の推し活をやっている当事者の方々の活動や心構えが鮮度のすごく良い筆致で活写されています。一言で「推し活」といっても、その在り方が人によって(またはジャンルによって)それぞれであることもバッチリ伝わってくる本です。また、後半には「推し活」の近代以前の姿について振り返るインタビューなどもあり、視野が広がる思いがします。<br />  <br /> こうした書籍をあらわした方とトークイベントをやる機会をいただいたのです、社会適応だのなんだのといった堅い話はあまりせず、昨今のサブカルチャーの流れと「推し」、「萌え」から「推し」への流れ、ジャンル・時代それぞれの「萌え」や「推し」について楽しくトークさせていただけたら、と思っております。<br />  <br /> 先月から相次いで行われた私のトークイベントのなかでは、たぶん、一番サブカルチャー楽しいぜ的な雰囲気になるのはこのイベントになるのではないかと想像しています。お客様と楽しい時間をつくるのが楽しみです。どうか、ふるってお出かけください。<br />  <br /> <strong>【アクセス】</strong><br /> <span itemscope itemtype="http://schema.org/Photograph"><a href="http://f.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20240313141321" class="hatena-fotolife" itemprop="url"><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/p_shirokuma/20240313/20240313141321.png" width="545" height="600" loading="lazy" title="" class="hatena-fotolife" itemprop="image"></a></span><br /> 下北沢駅からのアクセスがたいていの場合は近い感じでしょうか。<br />  <br />  <br /> <strong>【ついでに】</strong><br /> <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CSJW8LJC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51VUdpXqMhL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="「推し」で心はみたされる?~21世紀の心理的充足のトレンド" title="「推し」で心はみたされる?~21世紀の心理的充足のトレンド"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CSJW8LJC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">「推し」で心はみたされる?~21世紀の心理的充足のトレンド</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B7%A7%C2%E5%B5%FC" class="keyword">熊代亨</a></li><li>大和書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CSJW8LJC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div>自分の本を貼り忘れていました。こちらもぜひどうぞ。<br />  <br />  </p> p_shirokuma 「ゲーオタと専門家にとってコスパとは何か」 hatenablog://entry/820878482952921687 2024-03-05T20:30:00+09:00 2024-03-05T20:30:00+09:00 先日、とある集まりで「ゲーオタにとってコスパとは何か」という話が出た。これについてボソボソ書きたいことを書くが、これは、単体有料記事として買うほどではないと思うので、サブスクリプションに登録している人だけ読んでくださるのがおすすめです。 <p> <br />  <br /> 先日、とある集まりで「ゲーオタにとってコスパとは何か」という話が出た。これについてボソボソ書きたいことを書くが、これは、単体有料記事として買うほどではないと思うので、サブスクリプションに登録している人だけ読んでくださるのがおすすめです。<br />  <br />  </p> p_shirokuma 丸善京都の熊代亨選書フェア@はてなブログ編 hatenablog://entry/6801883189085239777 2024-03-03T21:00:00+09:00 2024-03-03T23:22:50+09:00 ・丸善京都本店、『人間はどこまで家畜か』刊行記念・熊代亨選書フェア ご好評いただいている『人間はどこまで家畜か』にまつわる本や問題意識が近い本を集めたフェアを、丸善京都本店さんで開催していただいています(ありがとうございます!)。そちらで紹介されている本については、京都丸善本店さんで実際に手に取ってみていただければと思います。 このブログでは、ぎりぎり選外になった本や、値段が高すぎたり難易度が高かったりして紹介をためらった本、諸事情から選外に漏れた本などをまとめて紹介したいと思います。 1.ちょっと重たいかもと思って紹介しなかった本 ヘンリック『文化がヒトを進化させた』 文化がヒトを進化させた… <p> <br /> <span itemscope itemtype="http://schema.org/Photograph"><a href="http://f.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20240302203122" class="hatena-fotolife" itemprop="url"><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/p_shirokuma/20240302/20240302203122.jpg" width="450" height="600" loading="lazy" title="" class="hatena-fotolife" itemprop="image"></a></span><br /> <a href="https://twitter.com/maruzenkyoto/status/1763859594470903997">&#x30FB;&#x4E38;&#x5584;&#x4EAC;&#x90FD;&#x672C;&#x5E97;&#x3001;&#x300E;&#x4EBA;&#x9593;&#x306F;&#x3069;&#x3053;&#x307E;&#x3067;&#x5BB6;&#x755C;&#x304B;&#x300F;&#x520A;&#x884C;&#x8A18;&#x5FF5;&#x30FB;&#x718A;&#x4EE3;&#x4EA8;&#x9078;&#x66F8;&#x30D5;&#x30A7;&#x30A2;</a><br />  <br /> ご好評いただいている『人間はどこまで家畜か』にまつわる本や問題意識が近い本を集めたフェアを、丸善京都本店さんで開催していただいています(ありがとうございます!)。そちらで紹介されている本については、京都丸善本店さんで実際に手に取ってみていただければと思います。<br />  <br /> このブログでは、ぎりぎり選外になった本や、値段が高すぎたり難易度が高かったりして紹介をためらった本、諸事情から選外に漏れた本などをまとめて紹介したいと思います。<br />  <br />  </p> <div class="section"> <h4 id="1ちょっと重たいかもと思って紹介しなかった本"><span style="color: #d32f2f"><strong>1.ちょっと重たいかもと思って紹介しなかった本</strong></span></h4> <p> <br /> <strong>ヘンリック『文化がヒトを進化させた』</strong><br /> <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4826902115?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41fFiLZMtyL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="文化がヒトを進化させた―人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉" title="文化がヒトを進化させた―人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4826902115?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">文化がヒトを進化させた―人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B8%A5%E7%A5%BB%A5%D5%A1%A6%A5%D8%A5%F3%A5%EA%A5%C3%A5%AF" class="keyword">ジョセフ・ヘンリック</a></li><li>白揚社</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4826902115?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div>ハーバード大学の進化生物学教授が書いた刺激的な本。ヒトの進化が文化を創りだしたのは昔から言われていることですが、この本では、文化がヒトの進化に影響を及ぼした一面が広く論じています。ヘンリックの考えを私なりにまとめるなら「ヒトの文化と進化は共振している」となるでしょうか。ヒトの自己家畜化についても参考になることがたくさん書いてあり、たくさん参照させていただきました。<br />  <br />  <br /> <strong>スティーブン・ピンカー『暴力の人類史(上)(下)』</strong><br /> <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4791768469?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51fdCEsFS6L._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="暴力の人類史 上" title="暴力の人類史 上"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4791768469?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">暴力の人類史 上</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B9%A5%C6%A5%A3%A1%BC%A5%D6%A5%F3%A1%A6%A5%D4%A5%F3%A5%AB%A1%BC" class="keyword">スティーブン・ピンカー</a></li><li>青土社</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4791768469?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4791768477?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/512euPpa7rL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="暴力の人類史 下" title="暴力の人類史 下"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4791768477?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">暴力の人類史 下</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B9%A5%C6%A5%A3%A1%BC%A5%D6%A5%F3%A1%A6%A5%D4%A5%F3%A5%AB%A1%BC" class="keyword">スティーブン・ピンカー</a></li><li>青土社</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4791768477?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div>スティーブン・ピンカーによる大著。発売された頃は「第二次世界大戦やホロコーストの惨劇を計算に入れてもなお、歴史的に一貫して人類の暴力は少なくなっている」という主旨について、論争が起こったように記憶しています。上下巻からなる分厚い本で読むには相応の覚悟が必要ですが、準備ができている人には大変エキサイティングな本のはずです。拙著『人間はどこまで家畜か』で一番引用している本はこれかもしれません。<br />  <br />  <br /> <strong>ミシェル・フーコー『知への意志』</strong><br /> <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4105067044?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51SqREjpBxL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="性の歴史 1 知への意志" title="性の歴史 1 知への意志"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4105067044?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">性の歴史 1 知への意志</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%DF%A5%B7%A5%A7%A5%EB%A1%A6%A5%D5%A1%BC%A5%B3%A1%BC" class="keyword">ミシェル・フーコー</a>,<a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%C5%CF%CA%D5%20%BC%E9%BE%CF" class="keyword">渡辺 守章</a></li><li>新潮社</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4105067044?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div>フーコーの参考書ではなく、フーコー自身の本の入口として入りやすいのは『監獄の誕生』ですし、規律訓練型権力についてはそれで良いのですが、生政治については『知への意志』でしょう。後半パートの生政治についての記述は、参考書を読んだ後ならわかりやすいかもしれません。でも、フーコーの本って色々なところに昆布出汁みたいに旨味がしみ込んでいて、読んでいるうちに「あれはそういうことだったのか!」と納得するフラグがいっぱい埋め込まれているので、はじめは参考書頼みに後半パートだけ読み、余裕出てきたら他も読んでみると良いように思います。<br />  <br />  <br /> <strong>『カプラン臨床精神医学テキスト DSM-5診断基準の臨床への展開 第三版』 </strong><br /> <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4895928527?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51IRCgPGGNL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="カプラン臨床精神医学テキスト DSM-5診断基準の臨床への展開 第3版" title="カプラン臨床精神医学テキスト DSM-5診断基準の臨床への展開 第3版"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4895928527?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">カプラン臨床精神医学テキスト DSM-5診断基準の臨床への展開 第3版</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li>メディカルサイエンスインターナショナル</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4895928527?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div>これ、すごく良い教科書だと思うんです。DSMは最近、DSM-5からDSM5-TRになったので、これが最新ってわけではありません。でも、新しいことから古いことまでひととおりのことが書いてあって、少なくとも精神科医である私には読み物としても楽しめるので、暇な時にパラパラめくっています。とはいえ分厚いし、専門書だし、丸善京都さんで扱ってもらうわけにも……ということで選外になりました。<br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="2ぎりぎり選外取り扱い等の理由から選外"><span style="color: #d32f2f"><strong>2.ぎりぎり選外&取り扱い等の理由から選外</strong></span></h4> <p> <br /> <strong>テンニース『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト(上)(下)』</strong><br /> <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4003420713?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51bHXV0jhML._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="ゲマインシャフトとゲゼルシャフト―純粋社会学の基本概念〈上〉 (岩波文庫)" title="ゲマインシャフトとゲゼルシャフト―純粋社会学の基本概念〈上〉 (岩波文庫)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4003420713?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">ゲマインシャフトとゲゼルシャフト―純粋社会学の基本概念〈上〉 (岩波文庫)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C6%A5%F3%A5%CB%A5%A8%A5%B9" class="keyword">テンニエス</a></li><li>岩波書店</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4003420713?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4003420721?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51JO54W41lL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="ゲマインシャフトとゲゼルシャフト 下―純粋社会学の基本概念 (岩波文庫 白 207-2)" title="ゲマインシャフトとゲゼルシャフト 下―純粋社会学の基本概念 (岩波文庫 白 207-2)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4003420721?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">ゲマインシャフトとゲゼルシャフト 下―純粋社会学の基本概念 (岩波文庫 白 207-2)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C6%A5%F3%A5%CB%A5%A8%A5%B9" class="keyword">テンニエス</a></li><li>岩波書店</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4003420721?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div>『人間はどこまで家畜か』には、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトという言葉が何度か登場しますが、これらはテンニースからの引用です。社会契約や資本主義について考える補助線として良いですし、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトという概念を知っていると地域社会/社会契約について別の本を読む際にはわかりやすくなると思うので、地域社会や社会契約に関心がある人は一度は読んでおいたほうが良いと思います。<br />  <br />  <br /> <strong>ユルゲン・コッカ『資本主義の歴史:起源・拡大・現在』</strong><br /> <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4409510800?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51ivSpolKqL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="資本主義の歴史: 起源・拡大・現在" title="資本主義の歴史: 起源・拡大・現在"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4409510800?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">資本主義の歴史: 起源・拡大・現在</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%E6%A5%EB%A5%B2%A5%F3%20%A5%B3%A5%C3%A5%AB" class="keyword">ユルゲン コッカ</a></li><li>人文書院</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4409510800?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div>タイトルのとおり資本主義の歴史を記した本で、資本主義のシステムと思想がどのように発展して現代の資本主義にまで至っているのかが(この手の本にしては)簡潔にまとめられています。類書のなかではこれが一番オススメかなぁと思っていたりします。<br />  <br />  <br /> <strong>ジェリー・Z・ミュラー『資本主義の思想史:市場をめぐる近代ヨーロッパ300年の知の系譜』</strong><br /> <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0791Y75BD?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51I8bCV5fNL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="資本主義の思想史―市場をめぐる近代ヨーロッパ300年の知の系譜" title="資本主義の思想史―市場をめぐる近代ヨーロッパ300年の知の系譜"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0791Y75BD?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">資本主義の思想史―市場をめぐる近代ヨーロッパ300年の知の系譜</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B8%A5%A7%A5%EA%A1%BC%A1%A6%A3%DA%A1%A6%A5%DF%A5%E5%A5%E9%A1%BC" class="keyword">ジェリー・Z・ミュラー</a></li><li>東洋経済新報社</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0791Y75BD?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div>上の『資本主義の歴史』よりも分厚く、もうちょっと思想史っぽい顔つきをした本ですが、それだけに、資本主義をそれぞれの時代の思想家たちがどのように受け取っていたのかを見せてくれるのが面白くて、それらをとおして資本主義の辿ってきた足跡も透けてみえてくる、そんな本です。<br />  <br />  <br /> <strong>吉川徹『ゲーム・ネットの世界から離れられない子どもたち: 子どもが社会から孤立しないために (子どものこころの発達を知るシリーズ 10) 』</strong><br /> <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4772611533?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41T6cU0cdDL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="子どものこころの発達を知るシリーズ10 ゲーム・ネットの世界から離れられない子どもたち: 子どもが社会から孤立しないために (子どものこころの発達を知るシリーズ 10)" title="子どものこころの発達を知るシリーズ10 ゲーム・ネットの世界から離れられない子どもたち: 子どもが社会から孤立しないために (子どものこころの発達を知るシリーズ 10)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4772611533?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">子どものこころの発達を知るシリーズ10 ゲーム・ネットの世界から離れられない子どもたち: 子どもが社会から孤立しないために (子どものこころの発達を知るシリーズ 10)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B5%C8%C0%EE%C5%B0" class="keyword">吉川徹</a></li><li>合同出版</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4772611533?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div>ネット依存・ゲーム症については吉川先生から受けている影響が大きいのでこの本も選書にしようかと思いましたが、あまりに医療寄りな本なので最終的に選外としました。<br />  <br />  <br /> <strong>佐々木俊尚『web3とメタバースは人間を自由にするか』</strong><br /> <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0BMPQ9CTP?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41P2FrqzYVL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="Web3とメタバースは人間を自由にするか" title="Web3とメタバースは人間を自由にするか"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0BMPQ9CTP?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">Web3とメタバースは人間を自由にするか</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%BA%B4%A1%B9%CC%DA%20%BD%D3%BE%B0" class="keyword">佐々木 俊尚</a></li><li>KADOKAWA</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0BMPQ9CTP?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div>私なら「web3とメタバースは人間を透明な檻に閉じ込める!」と言いたくなりますが、利便性だって大きいわけで。佐々木俊尚さんのこの本は、私よりも冷静な筆致でIoT化が進んだ未来について論じています。<br />  <br />  <br /> <strong>オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』</strong><br /> <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00VWP0SHC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41pjaBlQLSL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)" title="すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00VWP0SHC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%AA%A5%EB%A5%C0%A5%B9%A1%A6%A5%CF%A5%AF%A5%B9%A5%EA%A1%BC" class="keyword">オルダス・ハクスリー</a></li><li>光文社</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00VWP0SHC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div>この手の作品のなかでは『ハーモニー』と『ある島の可能性』が選に残り、『すばらしい新世界』が選から外れました。ディストピア管理社会SFとしては『1984』と双璧をなしていますが、ディストピアとユートピアの紙一重っぷりを味わうならこちらでしょう。<br />  <br />  <br /> <strong>沼正三『家畜人ヤプー』</strong><br /> <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00ZC55DFK?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51CQa0JyfGL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="家畜人ヤプー 第一巻 (幻冬舎アウトロー文庫)" title="家畜人ヤプー 第一巻 (幻冬舎アウトロー文庫)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00ZC55DFK?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">家畜人ヤプー 第一巻 (幻冬舎アウトロー文庫)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%BE%C2%C0%B5%BB%B0" class="keyword">沼正三</a></li><li>幻冬舎</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00ZC55DFK?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div>タイトル的に『人間はどこまで家畜か』に一番近いのはこのSF作品。ですが、まあ、その、色々と事情をかんがみて外しました。以前に書いたヤプー評は<a href="https://blog.tinect.jp/?p=82291">&#x3053;&#x3061;&#x3089;</a>を。ヤプーに働いている生政治&規律訓練型権力と現代の私たちに働いている生権力の共通点を読んでいくと、「現代人はどこまでヤプーか」を考えながらの読書体験になるので良いですよ。<br />  <br />  <br /> <strong>アニメ版『PSYCHO-PASS』</strong><br /> <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B07MGHZCD8?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51ThhTR-M7L._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="PSYCHO-PASS Season 1 Classics Blu-ray" title="PSYCHO-PASS Season 1 Classics Blu-ray"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B07MGHZCD8?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">PSYCHO-PASS Season 1 Classics Blu-ray</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li></li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B07MGHZCD8?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div>アニメのDVDという理由で選外になりました。作品のメインストーリーはおおむね刑事物語ですし、それはそれで面白いですが、厚生省に統治された管理社会がアニメとして映像化しているのが素晴らしすぎます。登場人物もそれぞれ味があって世界観とうまくマッチしています。私としては、榊原良子さんが声を当てている厚生省公安局局長を推したいです。<br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="3間に合わなかった本"><span style="color: #d32f2f"><strong>3.間に合わなかった本</strong></span></h4> <p> <br /> <strong>グレーバー『万物の黎明』</strong><br /> <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CHMCH1DH?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41WwfZRwE8L._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~" title="万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CHMCH1DH?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C7%A5%F4%A5%A3%A5%C3%A5%C9%A1%A6%A5%B0%A5%EC%A1%BC%A5%D0%A1%BC" class="keyword">デヴィッド・グレーバー</a>,<a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C7%A5%F4%A5%A3%A5%C3%A5%C9%A1%A6%A5%A6%A5%A7%A5%F3%A5%B0%A5%ED%A5%A6" class="keyword">デヴィッド・ウェングロウ</a></li><li>光文社</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CHMCH1DH?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div>ピンカーのライバル的存在のグレーバーによる大著。グレーバーはアナーキストで、そのアナーキストのグレーバーにとって、中央集権国家の役割を重視するピンカーの記述は批判の対象になるはず。だからピンカーを読むならグレーバーのこれも読むべきだと思うのだけど、そのグレーバーが書いた『官僚制のユートピア』を読んだ時に、ちょっと強引にアナーキズムに寄せすぎだと感じたので、読むのを後回しにしました。論の当否はともかく、面白い本だと予測しています。<br />  <br />  <br /> <strong>ジョセフ・ヘンリック『WEIRD(ウィアード) 「現代人」の奇妙な心理 上:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源』</strong><br /> <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4826902549?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51I8+nkffdL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理 上:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源" title="WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理 上:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4826902549?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理 上:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B8%A5%E7%A5%BB%A5%D5%A1%A6%A5%D8%A5%F3%A5%EA%A5%C3%A5%AF" class="keyword">ジョセフ・ヘンリック</a></li><li>白揚社</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4826902549?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4826902557?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41SN9KcskTL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理 下:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源" title="WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理 下:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4826902557?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理 下:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B8%A5%E7%A5%BB%A5%D5%A1%A6%A5%D8%A5%F3%A5%EA%A5%C3%A5%AF" class="keyword">ジョセフ・ヘンリック</a></li><li>白揚社</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4826902557?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div>心理学や進化心理学の好きな人にとって、WEIRDという言葉の意味はわかるはず。つまり「Western, Educated, Industrialized, Rich, and Democratic」な環境とそこで暮らす人々のことです。この本は、WEIRDな人間心理がどこまで普遍的なのか、WEIRDな環境や文化が人間にどう作用するのかを論じていて、刺激に事欠きません。テストステロンと男性の行動について等々、『人間はどこまで家畜か』で引用したかった記述もたくさんあります。でも、2023年12月発売だったので間に合いませんでした。<br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="本と本を繋げる手がかりにしてください"><span style="color: #d32f2f"><strong>本と本を繋げる手がかりにしてください</strong></span></h4> <p> <br /> これらの本は、私の頭のなかで繋がりあっているので、他の人においてもそうなる可能性があるかなと思っています。よろしければ本と本を繋ぐ手がかりにしてください。<br />  <br />  </p> </div> p_shirokuma 反出生主義という人類滅亡のミーム hatenablog://entry/6801883189086988209 2024-03-01T22:00:00+09:00 2024-03-02T13:41:54+09:00 ※この文章は、黄金頭さんへの返信のかたちをとった、私なりの反出生主義についての考えをまとめた文章です※ blog.tinect.jp こんにちは黄金頭さん、p_shirokumaです。拙著『人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)』をお読みくださり、ありがとうございました。今回私は、どうしてもこの本を読んでもらいたいブロガーさん数名におそれながら献本させていただきました。受け取ってくださったうえ、ご見解まで書いてくださり大変うれしかったです。 『人間はどこまで家畜か』を黄金頭さんに献本したかった理由は2つあります。 ひとつは、黄金頭さんが書いたこのブログ記事のおかげで『リベラ… <p> <br /> ※この文章は、黄金頭さんへの返信のかたちをとった、私なりの反出生主義についての考えをまとめた文章です※<br />  <br /> <iframe src="https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fblog.tinect.jp%2F%3Fp%3D85554" title="では、家畜にすらなれない人間は? 熊代亨『人間はどこまで家畜か』を読む" class="embed-card embed-webcard" scrolling="no" frameborder="0" style="display: block; width: 100%; height: 155px; max-width: 500px; margin: 10px 0px;" loading="lazy"></iframe><cite class="hatena-citation"><a href="https://blog.tinect.jp/?p=85554">blog.tinect.jp</a></cite><br />  <br /> こんにちは黄金頭さん、p_shirokumaです。拙著『<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/415340019X?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1">人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)</a>』をお読みくださり、ありがとうございました。今回私は、どうしてもこの本を読んでもらいたいブロガーさん数名におそれながら献本させていただきました。受け取ってくださったうえ、ご見解まで書いてくださり大変うれしかったです。<br />  <br /> 『人間はどこまで家畜か』を黄金頭さんに献本したかった理由は2つあります。<br />  <br /> ひとつは、黄金頭さんが書いた<a href="https://goldhead.hatenablog.com/entry/2017/02/02/213654">&#x3053;&#x306E;&#x30D6;&#x30ED;&#x30B0;&#x8A18;&#x4E8B;</a>のおかげで『リベラル優生主義と正義』に出会えたからです。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4779500915?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41oIDd1FDpL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="リベラル優生主義と正義" title="リベラル優生主義と正義"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4779500915?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">リベラル優生主義と正義</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%BA%F9%B0%E6%20%C5%B0" class="keyword">桜井 徹</a></li><li>ナカニシヤ出版</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4779500915?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br /> 今は8000円台で推移していますが、一時期、この本には30000円ぐらいのプレミアがついていました。この本は図書館で借りて十分な本ではなく、いつでも利用可能な状態にしておくべき本だと私は思いました。黄金頭さんのおかげでプレミアがつく前に購入でき、たくさん読めて助かりました。<br />  <br /> もうひとつは、黄金頭さんが日頃から反出生主義的なメンションを書いておられたからです。<br />  <br /> 実は、執筆段階の『人間はどこまで家畜か』には反出生主義とその目標が現実的にありえる未来として記されていました。ところが125000字の原稿を90000字の新書に折り畳むためには、反出生主義についての記述を削除するしかなかったのです。私は、反出生主義を人間を滅亡させ得る思想のひとつ、危険な文化的ミームのひとつとみなしています。<br />  </p> <blockquote> <p> 思想の進展には最終目的地はありません(例外は反出生主義で、これには生物の絶滅という壮大な最終目的地があります)。思想の世界には自然主義的誤謬という言葉があります──生物学的な事実があるからといって、そのとおりに振る舞う「べき」とみなしてはいけないと戒める言葉です。たとえば人間には反応的攻撃性や能動的攻撃性がありますが、だからといって暴力や殺人が肯定される理由にはなりません。<br />  一方、その逆は成立しません。自然主義的誤謬ならぬ思想的誤謬という言葉はないのです。思想は思想以外に対しては無謬であり、無敵であり、特権的な地位にあるため、思想を否定したり修正したりし得るのは、人間の生物学的特徴ではなく、思想自身だけです。たとえば反出生主義が思想として完全に定着した時、それを道徳的判断や価値判断からひっくり返せるのは当の思想だけで、生物学者が何を言おうとも哲学者や倫理学者のつくる未来を覆すことは許されないでしょう。その意味において、加速主義やハラリのビジョン、反出生主義にも荒唐無稽と切って捨てられない怖さがあります。思想のゆくえは真・家畜人たる私たちのゆくえであり、それは絶滅のゆくえでもあるのかもしれないのです。<br /> <span style="color: #999999"><span style="font-size: 80%">━『人間はどこまで家畜か』ボツパートより</span></span></p> </blockquote> <p>たかが思想だ、それもマイナーな思想だと反出生主義を軽んじるべきではありません。<br />  <br /> 拙著で述べてきたように、思想は文化の中核をなすミームで、たとえば今日の社会は資本主義・個人主義・功利主義といった思想に沿ってできあがっています。思想は都市空間のアーキテクチャとなって具現化しますし、私たち自身の超自我や価値観となって内面化もされます。だから思想なんてたいしたことがない、と思うのはとんでもない間違いです。思想が都市をつくり、社会をつくり、時代時代の人間をかたどり、値踏みすらするのです。<br />  <br /> と同時に、21世紀においてメジャーな思想たちも、かつてはマイナーでした。(信用取引や流通貨幣の起源は別として)今日の資本主義のシステムや思想を育てたのは西洋のブルジョワ階級でしたが、はじめから彼らとその思想がメジャーだったわけではありません。たとえば今日では当たり前のものになっているコスパ/タイパ意識も、20世紀初頭には一部の人のものでしたし、いわゆる上昇志向もそこまで強かったわけではありません。でもって、ブルジョワ階級は「第三身分」と呼ばれ「第一身分」や「第二身分」ではなかったのでした。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4003400615?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51EBkmGj5FL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="第三身分とは何か (岩波文庫)" title="第三身分とは何か (岩波文庫)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4003400615?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">第三身分とは何か (岩波文庫)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B7%A5%A3%A5%A8%A5%B9" class="keyword">シィエス</a></li><li>岩波書店</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4003400615?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br /> 『第三身分とは何か』が書かれたのはフランス革命期。現代人の雛型ともいえるブルジョワ階級も、当時はまだ新興勢力でした。資本主義をよく内面化し、そのとおりに生きている人はせいぜいアーリーアダプターまでだったと言えそうです。<br />  <br /> 個人主義や社会契約や功利主義にしてもそうです。それらのたたき台を作った偉人たちはイノベーターで、はじめから偉人たちの思想がメジャーだったわけではありません。だとしたら、今日ではマイナーで異端視されがちな反出生主義も、やがて社会や時代に浸透し、常識になったっておかしくないのではないでしょうか。<br />  <br /> 上掲ボツ原稿に書いたように、<strong>思想は思想以外に対して無謬であり、無敵であり、特権的な地位にあります。反出生主義という思想の是非について口出しできるのは当の思想だけで、生物学をはじめとする自然科学には口出しができません</strong>。そのうえ、「すべての生の苦をなくす」という発想において、反出生主義にはある種の功利主義的な「正しさ」があります。思想と思想がぶつかり合う際には、「正しさ」は非常に強いカードです。反出生主義という文化的ミームが「正しさ」という武器を携え、西洋哲学の論理という甲冑を身にまとっている点には注意が必要です。<br />  <br /> である以上、この思想がイノベーターの夢で終わらず、アーリーアダプターからアーリーマジョリティのものへ、ひいてはレイトマジョリティやラガードまで巻き込む思想になっていく可能性は否定できません。<br />  <br /> のみならず、現代社会は文化が(中央集権国家とその制度を介したかたちで)強力な力をふるう社会です。今日でさえ、資本主義や個人主義や功利主義といった思想の外側で考え、思想を逸脱して生きるのは簡単ではないのですから、もっと文化の力が強まり、その文化に人間がいっそう飼いならされるようになった未来に反出生主義が流行したら、その思想のあぎとから逃れるのはほとんど不可能ではないでしょうか。<br />  <br />  </p> <div class="section"> <h4 id="反出生主義は病原菌よりも猛なり"><span style="color: #d32f2f"><strong>反出生主義は病原菌よりも猛なり?</strong></span></h4> <p> <br /> 古来より、流行りものは人間をたくさん減らしてきました。ペストしかり、天然痘しかり、インフルエンザや新型コロナウイルスしかり。それらは細菌やウイルスといった生物学的ミームで、交易網に乗って広がり、大暴れしたのでした。</p><p>一方、今日ではそうした生物学的ミームよりもずっと多くの文化的ミームが、テレビや教育制度やインターネットをとおして広がっています。これまで、文化的ミームが人間を滅ぼす様子はないように……みえました。でも、それはいつまで本当でしょうか? たとえば資本主義や個人主義や功利主義が人間を滅ぼすまではいかなくても、人間を大幅に減らしてしまう未来はあり得るのではないでしょうか? いえいえ、案外それは既に起こっていることのようにもみえます。<br />  <br /> そのうえで、反出生主義のような、より直接的に人間を滅ぼす文化的ミームが大流行し、本当に人間を滅ぼす、ひいては全生物すら滅ぼす未来は絶対に来ないと言えるでしょうか。<br />  <br /> 苦を避けることを至上命題とする反出生主義は、人間を滅ぼすだけでなく、たとえば自然界の食物連鎖、野生動物の生の在り方をも標的とするでしょう。人間の滅亡も全生物の滅亡も、思想として正しければ肯定され得て、その思想に対して生物学をはじめとする自然科学は何も言えません。そうして考えてみると、反出生主義は荒唐無稽な人類滅亡ストーリーではなく、文化をとおして人間が絶滅する現実的な導火線のひとつと思えるのです。<br />  <br /> でもって、もし反出生主義が人類や生物を滅亡に追いやった時、その思想は、その善や正義を誇るでしょう。<br />  <br /> 伊藤計劃のSF小説に『虐殺器官』という作品があって、その世界では虐殺の文法なるものが登場し、そのミームが世界じゅうに争いを起こすさまが描かれていました。虐殺の文法というミームが人文社会科学の産物だとしたら、虐殺の文法もまた、文化的ミームの一種と言えます。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B009DEMA02?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/413QUC9BKfL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)" title="虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B009DEMA02?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B0%CB%C6%A3%20%B7%D7%B3%C4" class="keyword">伊藤 計劃</a></li><li>早川書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B009DEMA02?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br /> 虐殺の文法は、争いを生むとげとげしい文化的ミームでした。反出生主義はそうではないでしょう。生まれてこないこと・極端な功利主義に基づいて緩慢に滅ぼすことをとおして人間や生物に終わりをもたらす文化的ミームとして、釈迦の真似事のような顔つきをして私たちの前に現れるでしょう。反出生主義は功利主義のバリアントのひとつ、苦を避けて命に対して慈悲深い、(フーコーっぽく言えば)生政治的なミームであるでしょう。でもそれがもたらす帰結は虐殺の文法と実はあまり変わりません。いいえ、もっと苛烈で、もっと徹底していると言えますし、逃れようがありません。<br />  <br /> メディアやインターネットをとおして文化的ミームがはげしく往来する今だからこそ、人間に災厄をもたらすミームは細菌やウイルスといった生物学的ミームだけでなく、思想やイデオロギーといった文化的ミームである可能性は大きくなっていると私は読みます。そのような視点から『人間はどこまで家畜か』をお読みいただき、人間が文化に飼いならされようとしていて、その文化にそぐわない個人を治療・矯正しているさまを想像してみてください──ひとたび反出生主義が文化的ミームのヘゲモニーを握ったら、それにそぐわない個人もまた、治療・矯正の対象とみなされるでしょう。そのとき、治療や矯正に携わる人々は白い手袋をしていて、やさしく微笑んで、できるだけ苦の少ない生と平安を約束すると思います。<br />  <br /> それって恐ろしい未来だと私なら思います。びっくりするほどディストピアですよ。<br /> でも、反出生主義を奉じる黄金頭さんには喜ばしい未来、ユートピアとうつるのかもしれません。<br />  <br /> どちらにせよ、未来について考え、未来について語るのは楽しいものです。<br /> 『<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/415340019X?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1">人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)</a>』は、未来について考えたい人には特におすすめです。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/415340019X?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41-3pYjfhLL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)" title="人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/415340019X?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B7%A7%C2%E5%20%B5%FC" class="keyword">熊代 亨</a></li><li>早川書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/415340019X?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br />  </p> </div> p_shirokuma 裏日本出身者から見た東海道新幹線の車窓風景 hatenablog://entry/6801883189080758603 2024-02-26T22:00:00+09:00 2024-02-27T13:23:19+09:00 裏日本出身者から見た東海道新幹線の車窓風景の感想を一言でまとめると、「どこも豊かですね」となる。 ビジネスで大阪と東京の間を行ったり来たりしている人にとって、東海道新幹線の車窓風景なんて一生懸命に眺めるものではあるまい。ありふれた風景がどこまでも続く、退屈きわまりないものだろう。 が、それは表日本の出身者にとってのこと。裏日本出身者から見た東海道新幹線の車窓は、いろいろ刺激的だ。率直に言って、うらやましい景色でもある。人口の集中、鉱工業の発展、肥沃な耕作地と温暖な気候、そして富士山をはじめとする風光明媚な景観。 同じ日本でも、裏日本と表日本には風景に違いがある。そういう違いを前提に、東海道新幹… <p> <br /> 裏日本出身者から見た東海道新幹線の車窓風景の感想を一言でまとめると、「どこも豊かですね」となる。<br />  <br />  <br /> <span itemscope itemtype="http://schema.org/Photograph"><a href="http://f.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20240203132557" class="hatena-fotolife" itemprop="url"><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/p_shirokuma/20240203/20240203132557.jpg" width="600" height="340" loading="lazy" title="" class="hatena-fotolife" itemprop="image"></a></span><br />   <br /> ビジネスで大阪と東京の間を行ったり来たりしている人にとって、東海道新幹線の車窓風景なんて一生懸命に眺めるものではあるまい。ありふれた風景がどこまでも続く、退屈きわまりないものだろう。<br />  <br /> が、それは表日本の出身者にとってのこと。裏日本出身者から見た東海道新幹線の車窓は、いろいろ刺激的だ。率直に言って、うらやましい景色でもある。人口の集中、鉱工業の発展、肥沃な耕作地と温暖な気候、そして富士山をはじめとする風光明媚な景観。<br />   <br /> 同じ日本でも、裏日本と表日本には風景に違いがある。そういう違いを前提に、東海道新幹線の車窓風景についてちょっとだけ。<br />  <br />  </p> <div class="section"> <h4 id="静岡浜松大津にのぞみは止まらない"><span style="color: #d32f2f"><strong>静岡、浜松、大津にのぞみは止まらない</strong></span></h4> <p> <br /> 東海道新幹線に乗る人には当たり前すぎることだけど、静岡、浜松、大津にはのぞみは止まらない。そもそも滋賀県には県庁所在地に新幹線の駅が無いのだ。遠距離を結ぶ新幹線であるのぞみが、東京に比較的近い静岡県の大都市に停まらないのは当たり前といえば当たり前かもしれないが、それでもすごみのあることだ。裏日本の県庁所在地よりずっと人口規模の大きな都市を、のぞみは何食わぬ顔で通過していく。<br />  <br /> でもって、東海道新幹線の車窓の風景は、とにかく、家、家、家、だ。<br />  <br /> 今にもゴジラが上陸してきて踏み荒らしそうな神奈川県の景色をはじめ、東海道新幹線の沿線の景色にはほとんど常に、家々が連なっていて例外は少ない。北陸新幹線・上越新幹線・東北新幹線の沿線に比べると、圧倒的過疎地をみかけることがほとんどない。<br />  <br /> そして人が寄り集まっているエリアの大部分が平地から成り、特に大都市周辺では丘陵地帯までもが宅地になっている。どこにゴジラが上陸しても破壊するものには事欠かないだろう。人口規模と人口密度が裏日本と比べて圧倒的に高い。<br />  </p><p> </p> </div> <div class="section"> <h4 id="肥沃にして風光明媚"><span style="color: #d32f2f"><strong>肥沃にして風光明媚</strong></span></h4> <p> <br /> そうした平地の豊かさを象徴するように、東海道新幹線では何度となく大河川を通過する。淀川、揖斐川、長良川、<s>揖斐</s>木曾川、天竜川、大井川、富士川、等々。北陸、特に富山県には大河川があるとみなされているけれども、実際にはそれほど大した河川があるわけではない。信濃川を例外として、びびるほど大きな川は裏日本では見かけない。<br />  <br /> 治水には大変な苦労があっただろう。けれども、そうした河川と広大な平野部が大きな人口を養ったのだろうし、裏日本と比べて温暖で雪の少ない土地は過ごしやすかっただろうなとも思う。<br />  <br /> じゃあ、住宅地や耕作地ばかり多いのかと言ったら、そうでもないのが東海道新幹線の沿線風景。<br />  <br /> この文章のはじめに貼ったように、神奈川県から静岡県に入ると富士山の威容が目に入る。清水市の街並みを背に凄む感じの富士山も、富士市あたりから望む稜線のなだらかな富士山も素晴らしい。外国人観光客たちが、一生懸命に富士山を撮影していたりする。<br />  <br /> 浜松市を通過すると今度は浜名湖だ。<br />  <br /> <span itemscope itemtype="http://schema.org/Photograph"><a href="http://f.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20240203135354" class="hatena-fotolife" itemprop="url"><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/p_shirokuma/20240203/20240203135354.jpg" width="600" height="397" loading="lazy" title="" class="hatena-fotolife" itemprop="image"></a></span><br />  <br /> でかい。広い。浜名湖ボートレース場を通過するのも趣深い。そうしてしばらくすると今度は大名古屋だ。<br />  <br /> <span itemscope itemtype="http://schema.org/Photograph"><a href="http://f.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20230604133211" class="hatena-fotolife" itemprop="url"><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/p_shirokuma/20230604/20230604133211.jpg" width="482" height="600" loading="lazy" title="" class="hatena-fotolife" itemprop="image"></a></span><br />  <br /> 名古屋を、大きな地方都市と呼ぶ人がいる。名古屋駅から大阪方面に向かう際には、割とすぐに田園風景が見えてくるから、なるほどそうかもと思える。でも、名古屋から東京に向かう際には「名古屋の都市圏ってでかいなぁ」って気持ちになる。少なくとも裏日本の都市圏のレベルじゃない。地下鉄や名鉄を乗り回して名古屋じゅうをうろつくと、裏日本者を圧倒するぐらいの都会感はある。<br />  <br /> 濃尾平野を横切り、ちょっと景色に飽きてきたかと思った頃に、今度は関ケ原、近江連山、琵琶湖などが見えてくる。京都を過ぎると、淀川の手前と向こう側の住宅街が途方もない広がりをみせ、時折、JR西日本や関西私鉄の列車が視線を横切っていく。すべて、東海道新幹線の車窓を見慣れている人にはどうってことはない景色でも、裏日本出身者には楽しくうつる。<br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="確かに表日本裏日本なのだと思う"><span style="color: #d32f2f"><strong>確かに表日本、裏日本、なのだと思う</strong></span></h4> <p> <br /> この文章のタイトルを「日本海側出身者~」とせず「裏日本出身者~」としたのは、東海道新幹線の車窓から見える太平洋側の風景が、どう考えても日本海側よりも豊かで、人がたくさんいて、発展しているからだ。その豊かさ・その繁栄っぷりを日本海側のそれと比べたら、太平洋側を表日本、日本海側を裏日本と評した人の気持ちがわかる気がする。そのうえ太平洋側は温暖で冬も晴れていることが多い、日本海側の冬はひたすら曇っているか雪が降っている。<br />  <br /> 「北陸地方もそれなり豊かだ」と指摘する人もいるだろうし、ある程度までわかる話ではある。だけど、それでも東海道の風景と北陸道の風景、東海道新幹線の風景と北陸新幹線の風景を見比べれば、どちらが日本の表で、どちらが裏であるかがいやがおうにも思い知らされる。<br />  <br /> だからどうした、という話ではあるのだけど、日本海側の人間には、東海道新幹線の車窓の風景は退屈しない・見どころの多いものだと思うので、ぜひお楽しみくださいと今日は書きたかったので書きました。<br />  <br />  </p> </div> p_shirokuma 私たちは、自己家畜化をこえて"社畜"になる hatenablog://entry/6801883189084700934 2024-02-20T19:44:19+09:00 2024-02-22T15:27:16+09:00 p-shirokuma.hatenadiary.com 続き。 いつの世にも苦しみや悩みはあるし、その社会・その時代に最適な人もそうでない人もいるでしょう。アフリカの狩猟採集社会に最適な人と、幕末の日本の農村に最適な人と、2024年の東京に最適な人はそれぞれ違っています。 ただ、精神医療の受診者の右肩上がりな増加が現代特有の生きづらさをなにかしら映し出しているとみるのは、それほど見当違いではないのではないでしょうか。 近代以前の社会にも、それぞれの時代の生きづらさがあり、適応するための課題があり、落伍者がいました。と同時に、その時代ならではの生きやすさがあり、その時代だからこそ活躍できた人もい… <p> <br />  <br /> <iframe src="https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fp-shirokuma.hatenadiary.com%2Fentry%2F20240219%2F1708344000" title="高度な社会の一員になれていますか。これからもなれますか - シロクマの屑籠" class="embed-card embed-blogcard" scrolling="no" frameborder="0" style="display: block; width: 100%; height: 190px; max-width: 500px; margin: 10px 0px;" loading="lazy"></iframe><cite class="hatena-citation"><a href="https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20240219/1708344000">p-shirokuma.hatenadiary.com</a></cite><br /> 続き。<br />  <br /> いつの世にも苦しみや悩みはあるし、その社会・その時代に最適な人もそうでない人もいるでしょう。アフリカの狩猟採集社会に最適な人と、幕末の日本の農村に最適な人と、2024年の東京に最適な人はそれぞれ違っています。<br />   <br /> ただ、精神医療の受診者の右肩上がりな増加が現代特有の生きづらさをなにかしら映し出しているとみるのは、それほど見当違いではないのではないでしょうか。<br />  <br /> 近代以前の社会にも、それぞれの時代の生きづらさがあり、適応するための課題があり、落伍者がいました。と同時に、その時代ならではの生きやすさがあり、その時代だからこそ活躍できた人もいたでしょう。逆に、いつの時代でも落伍しやすく、不幸になりやすい人もいたかもしれません。<br />  <br /> 対して、今日の先進国では医療や福祉が行き届き、人権思想も浸透しているため、近代以前の生きづらさ、特に生存の難しさのかなりの部分が克服されました。飢餓や疫病が減り、平均寿命が高くなったこと等々を挙げていけば、両手の指ではおさまらないほど現代社会の恩恵を数えあげられるでしょう。<br />  <br /> でも、それらを根拠として今日の社会を留保なく肯定し、とめどもない進歩を諸手で歓迎して良いのでしょうか?<br /> <a href="https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20240219/1708344000">&#x6628;&#x65E5;&#x306E;&#x6587;&#x7AE0;</a>にも書きましたし、拙著『人間はどこまで家畜か』でも書きましたが、<strong>進歩は否定されるべきではありません</strong>。ただ、進歩が速足になり、その速足な進歩がますます累積した時、進歩した社会が私たちに課すハードルもますます高くなるでしょう。高くなっていますよね? 支援や治療を受けることなく社会のなかで生きていく難易度で比べるなら、今日の社会のほうが過去の社会より難しいはずです。それを反映して、精神医療が対象とし得る人の範囲は過去の社会より広がっているはずです。<br />  <br /> この調子でいくと、全人口の5%どころではなく、10%、20%、40%の人が精神医療による治療や福祉の支援が必要な未来が待っているかもしれません。「治療や支援があれば、そうした人も長く生きられて良いじゃないか」とおっしゃる人もいるかもしれませんし、私も、そういう視点に基づいて議論する場合はあります。けれども社会の成員の何割もが常に精神医療の治療や支援を必要とする社会ってどんな社会でしょうか。それは良い社会だと言えますか? 私は精神科医なのでそのほうが食いっぱぐれないかもしれませんが、その方向に社会が向かっていくとして、本当に祝賀すべきでしょうか?<br />  </p> <blockquote> <p>ますます進歩する文化や環境に適応するために精神刺激薬やSSRIでエンハンスする人と、ますます管理されゆく学校環境に適応させるためにADHDと診断され精神刺激薬で治療される子どもの絶対的基準はあるでしょうか? 榊原の論説を踏まえるなら、進歩する文化や環境に適応するためにエンハンスメントを用いること自体は否定できないように思われます。そのとき精神科医は、病者を治すというより社会適応を包括的にメンテナンスしコーディネートする職業、聖書によってではなく向精神薬やIoTの技術をとおして人々の心を統治する司牧的権力、と位置づけられるかもしれません。<br /> 『<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/415340019X?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1">人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)</a>』より抜粋</p> </blockquote> <p>いつか、誰もが精神医療による治療や支援を、いやエンハンスメントやメンテナンスを受けるのが当然の未来がやって来るかもしれません。それは、便利なことである以上に、高度な社会に私たちが適応するために必須なことで、もっと高度化した社会を成立させるために必要になることかもしれません。IoT化に関しては、その兆しは私たちに忍び寄っています──肌身離さずスマホやを所持している人やスマートウォッチを身に付けている人は、サイボーグ化・サイバネティクス化への一歩を踏み出していると言えます。<br />  <br />  </p> <div class="section"> <h4 id="子どもは野生のホモサピエンスとして生まれてくる"><strong><span style="color: #d32f2f">子どもは野生のホモ・サピエンスとして生まれてくる</span></strong></h4> <p> <br /> それからうひとつ、過去の社会についていけなかった人の条件と今日の社会についていけない人の条件を比較すると、前者のほうが人間の生物学的な仕様に近い問題点がネックになり、後者のほうが人間の生物学的な仕様から遠い問題点がネックになっているようにみえます。<br />  <br /> たとえば狩猟採集民のメンバーにも集団から落伍する人、その社会・その共同体に適応できない人がいたに違いありません。当時の社会や共同体に適応するために必要だったものは、ヒトの(生物学的・進化的な)行動形質からあまり遠くなかったでしょう。喜怒哀楽をまじえたコミュニケーションができること、共同体とうまく折り合えること、身体的に健康であること、五感をとおして危険を察知できること、等々は何万年も前からヒトが適応していくうえで重要な課題でした。火のある環境に馴染めることも重要だったでしょう。現代社会では焚火がこわくてもあまり困りませんが、狩猟採集民の社会では生存困難だったに違いありません。<br />  <br /> 対照的に、今日、現代社会に適応するための課題には、何万年も前からヒトが適応するべきではなかったものが色々と含まれています。人口密度の高い場所に集まって過ごすこと、座学やデスクワークを何時間もこなすこと、晴天の日も雨天の日も変わらないパフォーマンスを発揮すること、喜怒哀楽を控えめにしつつ黙って働くこと、等々はヒトの行動形質ができあがってきた過去の環境で問われてきた課題ではありません。<br />  <br /> ヒトの行動形質ができあがってきた過去の環境と比較した時、現代ってのはなかなか特殊な環境です。昔ならとっくに死んでいたはずの人でも生きられるようになった半面、狩猟採集社会や中世ヨーロッパ社会だったら活躍できていたかもしれない人が生きづらくなったり、なんとなれば精神疾患に該当するとされる環境です。子どもから高齢者までがひとりひとり大切にされるようになった半面、子育てのためにクリアしなければならないハードルが色々と増え、子ども自身も、昔に比べて高度な社会に小さい年齢から適応しなければならなくなりました。昭和時代よりも静かで粒ぞろいで暴力の少なくなった令和時代の学校教室は、昭和時代よりホワイトには違いありませんが、そのぶん、子ども自身もホワイトであるよう求められます。<br />  <br /> より小さい年齢からホワイト化した社会に適応しなければならない兆候は、文科省のデータからもうかがわれます。<br />  <br /> <span itemscope itemtype="http://schema.org/Photograph"><a href="http://f.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20240220161745" class="hatena-fotolife" itemprop="url"><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/p_shirokuma/20240220/20240220161745.png" width="472" height="362" loading="lazy" title="" class="hatena-fotolife" itemprop="image"></a></span><br />  <br /> 文科省の暴力行為発生件数/いじめの認知件数のグラフをみると、暴力やいじめが増えているような印象を受けるかもしれません。しかしそれらの増加がグラフが波線で区切られている箇所から急に増えている様子がわかるように、これは、暴力やいじめの定義がその年に変更され、事例として認知される条件も変更されたことを反映しています。実際、警察庁「犯罪白書」をみる限りでは、同時期に校内暴力で検挙・補導された児童生徒の数は減っているのです。<br />  <br /> ですから、上掲のグラフが示しているのは、学校環境が年を追うごとにホワイト志向&高コンプライアンス志向になり、、かつては大人たちに見過ごされて認知の対象にならなかったより小さな暴力やいじめまでもが摘発や矯正の対象となったことを示しています。<br />  <br /> 子どもははじめからホワイトに生まれてくるわけではありません。<br /> 社会がいくら高度になろうとも、子どもは必ず野生のホモ・サピエンスとして出生してきます。その子どもに、昔よりもホワイトな行動が期待されて、それができなければ治療や支援の対象とみなされなければならなくなっているとしたら、それってどこまで良いことなんでしょうか。今の子どもは昔よりもずっと早くから・ずっと強力な「ホワイト化した高度な社会に、より早くから馴染め」という圧を受けながら育ち、親も、ホワイト化した高度な社会にみあった振る舞いを身に付けさせるよう努めなければなりません。子どもの安全を期するためにも、子どもが社会の他のメンバーに迷惑をかけないためにも、それは必要な措置ではあります。でも、これは育てる側にも育てられる側にも厳しい課題です。でもその厳しい課題をクリアしなければ、ホワイトな学校・ホワイトな学級の一員でいるのは難しくなってしまうでしょう。<br />  <br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="生物学的な自己家畜化で身に付けた形質とホワイトな社会の社畜とのギャップ"><span style="color: #d32f2f"><strong>「生物学的な自己家畜化」で身に付けた形質と、「ホワイトな社会の社畜」とのギャップ</strong></span></h4> <p> <br /> 『人間はどこまで家畜か』の第一章では、進化の過程でヒトがヒトとしてできあがっていった、自己家畜化という生物学的変化を紹介しています。人間同士が協同すること・交易すること・人口密度の高い状態でも平和裏に暮らすことは、この自己家畜化という生物学的変化に多くを依っていて<a href="#f-e70a0406" id="fn-e70a0406" name="fn-e70a0406" title="たとえば自己家畜化が起こると脳内で利用可能なセロトニンの量が増える">*1</a>、自己家畜化こそが人間を地表の支配者たらしめた最後の鍵であるよう、私には思われます。<br />  <br /> しかし、自己家畜化を経て穏やかな環境になじみやすくなったとはいえ、私たちが社会の進歩に無限についていけるとも思えません。たまたま脳内セロトニンに恵まれまくり、たまたま穏やかで、たまたま座学にもよく馴染める人なら、そんなホワイトな社会や環境にもなんなく適応できるでしょうが、誰しもがそうであるわけではありません。そして社会の進歩が加速し、私たちにますますホワイトたれと命じるとしたら、そこから逸脱してしまう人の割合は増えてしまうだろうし、そこに適応するために必要とされる努力も増えてしまうのではないでしょうか。<br />  <br /> 私たちは今、生物学的な自己家畜化をとおして身に付けてきた形質よりもずっと向こうの、ホワイトな社会の社畜たれと社会に期待されているのだと思います。文化や環境はそのようにホワイト化し、すでに私たちを覆いつくしています。少なくとも日本国内において、そうしたホワイト化していく社会の機構から逃れるすべはありません。社会の機構から逃れているようにみえる者は、すみやかに治療を要する者や福祉的支援を必要とする者、または矯正が必要な者とみなされ、それぞれふさわしいかたちで社会の機構に回収されていくでしょう。<br />  <br /> 昔に比べて生きやすくなった部分があるのは重々承知していますし、そうした恩恵を否定するべきではありません。だからといって、そのために昔に比べて生きづらくなった部分があることを見逃すことはできないし、なかったことにするわけにもいきません。本当に人間にやさしい未来を目指すなら、たとえ今は無理だとしても、そうした現代ならではの生きづらさを見なかったことにして済ませるのでなく、正面から見据え、「ここに現代社会ならではの問題があって、解決を待っているよ」とちゃんと指さし確認しておくべきで、未来において解決すべきプロブレムリストのなかに入れておくべきだと思います。<br />  <br /> 私はそういう問題意識を持ちながら、『人間はどこまで家畜か』という本を書きました。<br />  <br />  </p> </div><div class="footnote"> <p class="footnote"><a href="#fn-e70a0406" id="f-e70a0406" name="f-e70a0406" class="footnote-number">*1</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">たとえば自己家畜化が起こると脳内で利用可能なセロトニンの量が増える</span></p> </div> p_shirokuma 高度な社会の一員になれていますか。これからもなれますか hatenablog://entry/6801883189081753177 2024-02-19T21:00:00+09:00 2024-02-19T22:10:13+09:00 「高度な社会は、それにふさわしい高度な人間を要請する」。 それが言い過ぎだとしたら、「高度な社会に適応するためには相応の能力や特性が求められ、足りなければ支援や治療の対象になる」と言い直すべきでしょうか。 少し前に「SNS上では境界知能という言葉が悪口的に用いられている」といった話が盛り上がったようですね。 president.jp リンク先で述べられているように、知能指数はその人の生きづらさを探る手がかりとして用いられるもので、そうして算出された境界知能も、支援の見立てに用いるための語彙なのでしょう。そしてリンク先では、境界知能という言葉を時代遅れにする動向にも触れられています。どんな言葉に… <p> <br />   <br /> <strong>「高度な社会は、それにふさわしい高度な人間を要請する」</strong>。<br />  <br /> それが言い過ぎだとしたら、「高度な社会に適応するためには相応の能力や特性が求められ、足りなければ支援や治療の対象になる」と言い直すべきでしょうか。<br />  <br /> 少し前に「SNS上では境界知能という言葉が悪口的に用いられている」といった話が盛り上がったようですね。<br />  <br /> <iframe src="https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fpresident.jp%2Farticles%2F-%2F78463" title="「境界知能」は「低学歴」のようなレッテルになっている…専門医が「安易に境界知能と呼ばないで」と抗議する理由 当事者の生きやすさを支援するための言葉だったが…" class="embed-card embed-webcard" scrolling="no" frameborder="0" style="display: block; width: 100%; height: 155px; max-width: 500px; margin: 10px 0px;" loading="lazy"></iframe><cite class="hatena-citation"><a href="https://president.jp/articles/-/78463">president.jp</a></cite><br />  <br /> リンク先で述べられているように、知能指数はその人の生きづらさを探る手がかりとして用いられるもので、そうして算出された境界知能も、支援の見立てに用いるための語彙なのでしょう。そしてリンク先では、境界知能という言葉を時代遅れにする動向にも触れられています。どんな言葉にも全人的な否定のニュアンスをとりつけたがりなインターネット民の挙動を見ていると、境界知能という語彙を消すべきだとする人々の考えにも同意したくなります。<br />  <br /> そうした語彙の汚染問題はさておき、境界知能や知的発達症のような、知能指数が平均を下回っている人の生きづらさそのものは実際に高まっているのではないでしょうか。<br />  <blockquote data-conversation="none" class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">正直、社会全体の難易度が上がりすぎて<br>境界知能(IQ70~85)どころか、<br>IQ100でも割としんどい世の中な気がするのだ<br>そりゃ精神科や心療内科も人気スポットになるのだ</p>&mdash; 生活保護ずんだもん (@seihozunda) <a href="https://twitter.com/seihozunda/status/1753251898826559585?ref_src=twsrc%5Etfw">2024年2月2日</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> <br />  <br /> 上掲ツイートには、境界知能どころか、IQが100ぐらいでも現代社会に適応するのはしんどいのではないか、といったことが述べられています。現代社会に適応するのが厳しいボーダーラインが、IQ75なのか、IQ85なのか、IQ95なのかはここでは論じません。ただ間違いなさそうなのは、SNSに氾濫する情報の真贋を見極めたり、複雑な契約や制度を理解したうえで主体者として必要十分に振舞ったりするには、それ相応の知識・知恵・判断力などが求められるだろうってことです。<br />  <br /> たとえば最近、iDeCoやNISAによる投資が政府によって奨励されていますし、政府が推奨するということはそうした制度を運用できることが国民に暗に期待されているようです。では、それらの制度をまがりなりにも理解し、運用するのに(またはよく考えて運用しないという判断をする際に)必要とされる知能指数とは一体どれぐらいでしょうか? あるいはますます高度な人材の育成が期待され、誰もが大学生相当の学歴を要する社会で必要とされる知能指数は一体どれぐらいでしょうか?<br />  <br /> 資産運用や学歴を抜きにしても、相応の知識・知恵・判断力を要する場面は少なくないでしょう。何が危険物なのか。危険物だとしてどのように対応すれば安全なのか。なぜ、それが危険になり得るのか? こうしたことを知識として覚え、理屈まで理解するにあたって、知能指数が低いことはハンディたり得るでしょう。危険は化学薬品のようなものかもしれないし、SNSやアプリに潜在するものかもしれないし、繁華街に遍在するものかもしれません。高度化した社会において、リスクは五感で察知できるものではなく、しばしば直感に反するかたちをとっています。伝承や物語をとおして子ども時代に自然に暗記させられるものでもないでしょう。高度化した社会のリスクのかなりの部分は、学校の授業に代表される座学をとおして、またはメディアをとおして学ばなければならないものです。<br />  <br /> そのうえ、そうした知識はアップデートさせていかなければなりません。ハンディのある人でも、時間と経験さえ積めばSNSやアプリの危険を暗記すること自体は可能です。ところが高度化した社会のアップデートの速度はとても速いので、ハンディのある人がSNSやアプリの危険をどうにか覚えた頃には、それらはアップデートされていて、危険の側もアップデートされているでしょう。<br />  <br /> アップデートというのは面倒で負荷のかかるものです。にもかかわらず、高度化した社会は情け容赦なくアップデートを続けていきます。知識の把握や学習や判断にハンディのある人にとって、情け容赦のないアップデートは大変なものであるはずです。<br />  <br />  </p> <div class="section"> <h4 id="大変なのは知的発達症や境界知能だけじゃない"><span style="color: #d32f2f"><strong>大変なのは、知的発達症や境界知能だけじゃない</strong></span></h4> <p> <br />  <br /> アップデートをとおして難しくなっているのは、知能指数にまつわる領域だけではありません。<br /> 気分や感情、情緒を巡る領域でも、社会はアップデートしています。<br />  <br /> たとえば近年はコンプライアンスを遵守したホワイトな職場が理想視され、ちゃんとした企業ほどそのような体制を整えようと努めています。ホワイトな職場といえば、誰もが心地よく働ける職場、といったイメージをお持ちの方もいらっしゃるでしょう。<br />  <blockquote data-conversation="none" class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">働き方改革、結局個人の意識でなんとかしてねのレベルになってるの本当に終わってるな <a href="https://t.co/TK12JRdnvt">pic.twitter.com/TK12JRdnvt</a></p>&mdash; ぱきしる (@parox_med) <a href="https://twitter.com/parox_med/status/1759466766441603315?ref_src=twsrc%5Etfw">2024年2月19日</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> <br />  <br /> ですが、本当にそれだけでしょうか。<br /> コンプライアンスにかなったホワイトな職場には、剣呑な人間や、泣いたり騒いだり怒ったりする人間はいてはいけません。そうした人間がそうした振る舞いをみせていては、ホワイトな職場はホワイトではなくなってしまうからです。ホワイトな職場は、ホワイトな人間だけで構成されなければなりません。そのためにもアンガーマネジメントが推薦され、ストレスチェックのような制度も浸透してきています。それらは福利厚生の一端であると同時に、ホワイトな職場を維持するための管理と統治の一端、社員をホワイトに漂白し、2020年代にふさわしい"社畜"を彫琢するための統治のシステムともなっていませんか。でもって、そうした統治のシステムがあってもなお、ホワイトな職場の枠組みにおさまりきらない人、いわばホワイトな社畜になりきれない人は、いったいどこへ行くのでしょうか?<br />  <br /> こうした社会のホワイト化とでもいうべき事態は、職場以外でも起こっているよう、私にはみえます。家庭でも学校でも公園でも、私たちは怒り過ぎてはいけないし、泣きすぎてはいけないし、悲嘆に暮れすぎてはいけません。はしゃぎすぎてもいけないでしょう。<br />  <br /> ホワイトな社会は、まるでホワイトな人間だけで構成されなければならないかのようです。それが言い過ぎだとしても、「この高度化した社会は、最もホワイトな人間を基準点としてつくられているのではないか?」、と疑問を投げかけることはできるでしょう。さきほどの知能指数の話まで含めるなら、「知的機能が一定水準を上回り、気分・感情・衝動が安定していることが高度化した社会の人間の基準」という不文律が存在しているかのようにみえませんか。そうした状況のなかで語られる多様性とは、いったいどんな多様性なのでしょう?<br />  <br /> 話が逸れかけました。<br /> ともあれ、ホワイトな社会とその不文律に苦もなく適応できる人にとって、ここまで書いてきた高度な社会はハラスメントやストレスが少なく効率的な、たいへん好ましい社会なのかもしれず、もっともっと社会は高度化して欲しい・高度化すべきだと主張しうるものかもしれません。でも、その高度化・ホワイト化する一途の社会に誰もが苦もなく適応できているわけではありません。ついていくのに人一倍の努力が必要な人、ついていけないために治療や支援を必要とし、活動の場が実質的には制限されている人も少なくないのです。<br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="治療と支援をとおして高度化する社会の一員になれるとはいうものの"><span style="color: #d32f2f"><strong>治療と支援をとおして高度化する社会の一員になれる、とはいうものの</strong></span></h4> <p> <br /> より高度な知識や知恵や判断力を成員に求め、気分や感情や衝動の平穏さを成員に求め、ますますのホワイト化とコンプライアンスの遵守を指向する社会。この高度な社会につつがなく適応するには、高い知能と情緒の安定性が求められるでしょう。<br />  <br /> そういう社会についていけない人のために(たとえば精神医療による)診断と治療、さらに福祉的支援があるのは知っていますし、それらが個々人の役に立っていることも知っています。それでも、診断と治療と福祉的支援を受けている人がホワイトな社会に馴染みきっているとは言いがたい部分もあります。幸運にもそうなっている人もいる反面、不幸にして部分的にしか社会に馴染めず、社会参加が制限されている人も珍しくないのが現状です。<br />  <br /> そもそも、診断と治療と福祉的支援さえあれば、いくらでも社会が高度になって、その高度な社会についていく難易度が高くなって構わないものでしょうか? 社会・文化・環境の進歩は必要なのは言うまでもありません。だとしても、そうした進歩がますます加速し、結果、診断と治療と福祉的支援をまったく受けなくて済む人の割合が減っていくとしたら、それってどうなんでしょうね?<br />  <br /> このように考えながら振り返る精神医療を受ける人の数のグラフは、見ていて気持ちの良いものではありません。<br />  <br /> <span itemscope itemtype="http://schema.org/Photograph"><a href="http://f.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20240209164015" class="hatena-fotolife" itemprop="url"><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/p_shirokuma/20240209/20240209164015.png" width="536" height="525" loading="lazy" title="" class="hatena-fotolife" itemprop="image"></a></span><br />  <br /> 厚生労働省「患者調査」を見返すと、精神疾患で医療機関にかかる人の数は右肩上がりに増大し続けています。令和2年の段階では614万人に達していて、平成14年の2倍以上、日本人の約20人に一人が精神疾患の治療を現在進行形で受けていることになります。<br />  <br /> 好意的にみる人は、このグラフは精神疾患についての啓蒙が行き届き、早期発見・早期治療が実現した反映とみるでしょうし、悪意をもってみる人は、精神医療が今まで以上に広範囲を医療の対象とし、社会のなかでプレゼンスを稼いできた反映とみるかもしれません。<br />  <br /> 私なら……このグラフは社会が高度化し社会適応がより難しくなって、精神医療や福祉による支援が必要な人の割合が増大したせいじゃないの? と考えます。精神医療が"顧客を開拓した"側面は確かにあるでしょう。でも、ニーズのないものを開拓しても"顧客"は増えません。そして実際に診ている限り、こうも思うのです:精神科を受診する人の数が増え、なにやら"うつ病や統合失調症の軽症化"なるものが語られているからといって、受診する人の悩みや生きづらさが切実なものではなくなったようにはみえないのです。<br />  <br /> 現代社会は、数十年前に比べて高度化してきました。それ自体は良かったとしても、高度な社会に適応するためのハードルまで高くなってしまっているとしたら、それはそれで何とかしなければならない課題のはずです。が、今日では、そうした課題は社会の問題ではなく精神医療と福祉の問題、ひいては患者さんやクライアントの個人的な資質や性質の問題ってことになっています。これは、問題の矮小化ではないでしょうか。<br />  <br /> 加えて私は未来のことが心配です。<br /> これまでの数十年がそうだったように、これから数十年で社会はもっと高度化するでしょう。では、数十年後の社会において、いったい何割の人が診断と治療と福祉的支援なしに社会適応できるでしょうか。その数十年後の未来において、たとえば私は(その未来における)ホワイトな職場・ホワイトな社会にそれそのままでいられるのでしょうか。私は心配でなりません。私自身だけでなく、子々孫々がどうなるのかも気になります。<br />  <br /> あなたは、この高度な社会の一員に、なれていますか。<br /> のみならず、これから先もますます高度化していく社会についていき、そこでも一員になれていると思いますか。<br />  <br /> 私は、たぶん自分はそんなに高度化した社会についていけないと思うので、社会の高度化に警戒感をもっていますし、留保なく社会の高度化を推し進めようとする人々や、ついていけない者のブルースを聞かなかったことにして時計の針を進めようとする人々に警戒感を持っています。進歩、それ自体は否定できないとしても、それについていけない人々のことを、もっと社会全体の問題として見つめていただきたいし、進歩に対して配慮を期待したい。あるいは、配慮が無理だというのなら、せめてついていけない人々のブルースに耳を傾け、その苦悩、その生きづらさをなかったことにしないでいただきたい。最近のインターネットの話題を眺めていて、そのように私は感じました。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/415340019X?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41-3pYjfhLL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)" title="人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/415340019X?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B7%A7%C2%E5%20%B5%FC" class="keyword">熊代 亨</a></li><li>早川書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/415340019X?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div>※こうした問題について、2月21日に新著『人間はどこまで家畜か』が発売されます。社会と社会適応とそれらの未来に関心のある人なら、お楽しみいただけるのではないかと思います。おすすめです。<br />  <br />  <br />  <br /> ※以上でブログ記事はおしまいです。以下は『人間はどこまで家畜か』を作っていた頃にまつわる小話で、サブスクしている常連さん向けです。</p> </div> p_shirokuma あのとき推していた人は、今もここで生きている hatenablog://entry/6801883189083669179 2024-02-16T20:42:55+09:00 2024-02-16T21:21:31+09:00 ここから書くことは『「推し」で心はみたされる?~21世紀の心理的充足のトレンド』よりも未来の出来事、「推し」の最盛期から時間が流れた後のことや、「推し」に相当する人と別れた後についてです。 先日、拙著について相次いで感想をいただきました。ありがとうございます。まずは、大橋彩香さんを推してらっしゃる soitanさんの感想です。 【感想】「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド - Soitan’s life そのなかに、私が過去に書いた惣流アスカラングレーの文章や「推しを自分の心の神棚に祀って社会適応する」文章について書かれていて、懐かしく思いました。 私が一番キャラクターを… <p> <br /> ここから書くことは『<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CSJW8LJC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1">「推し」で心はみたされる?~21世紀の心理的充足のトレンド</a>』よりも未来の出来事、「推し」の最盛期から時間が流れた後のことや、「推し」に相当する人と別れた後についてです。<br />  <br /> 先日、拙著について相次いで感想をいただきました。ありがとうございます。まずは、大橋彩香さんを推してらっしゃる soitanさんの感想です。<br />  <br /> <a href="https://lativior381.hatenablog.com/entry/2024/02/15/232547">&#x3010;&#x611F;&#x60F3;&#x3011;&#x300C;&#x63A8;&#x3057;&#x300D;&#x3067;&#x5FC3;&#x306F;&#x307F;&#x305F;&#x3055;&#x308C;&#x308B;&#xFF1F; 21&#x4E16;&#x7D00;&#x306E;&#x5FC3;&#x7406;&#x7684;&#x5145;&#x8DB3;&#x306E;&#x30C8;&#x30EC;&#x30F3;&#x30C9; - Soitan&rsquo;s life</a><br />  <br /> そのなかに、私が過去に書いた惣流アスカラングレーの文章や「<a href="https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20111129/p2">&#x63A8;&#x3057;&#x3092;&#x81EA;&#x5206;&#x306E;&#x5FC3;&#x306E;&#x795E;&#x68DA;&#x306B;&#x7940;&#x3063;&#x3066;&#x793E;&#x4F1A;&#x9069;&#x5FDC;&#x3059;&#x308B;</a>」文章について書かれていて、懐かしく思いました。<br />  <br /> 私が一番キャラクターを「推し」ていたのは、いえ失礼、一番キャラクターに「萌え」ていたのは20~30代の頃でした。惣流アスカラングレーとその眷属(と私が呼んでいる共通点のあるキャラクターたち)を私は好いていただけでなく、人生の目標、自分自身のフラッグとして掲げてきました。「たかが『萌え』」「たかが『推し』」と私が考えないのは、自分にとってかけがえのないキャラクターたちが自分にとっての理想や目標や希望を牽引してくれ、そのキャラクターたちの良い部分や好ましい部分を自分自身にも取り込みたいと念じて、実際に私の行動パターンや考え方や人生が次第に変わってきた、と感じられるからです。<br />  <br /> もちろん「推し」や「萌え」にも問題点や難しいところはあり、それらが現実逃避的なニュアンスでしかない場合もあるでしょう。けれどもキャラクターへの「推し」や「萌え」をとおして自分自身の人生が変わり得る・心象風景が変わり得るってのは私自身、体験済みなので、そこに可能性もあると思わずにいられません。<br />  <br /> ディスプレイの向こう側のキャラクターは架空の存在ですが、その架空の存在をリスペクトし、あこがれ、牽引してもらえる可能性を、過小評価すべきではないと思います<a href="#f-440d4b96" id="fn-440d4b96" name="fn-440d4b96" title="それをどこまで「計画的に人生のなかで利用しようと目論む」のかはまた別の問題です。あまり計算高くなってはうまくいかないように私は思いますが">*1</a>。<br />  <br /> キャラクターを推すこと・キャラクターに萌えることが人生の痛みを緩和するための麻酔薬でしかないとは、私は思わないし、思えないんですよ。<br />  <br /> それでも、「推し」や「萌え」の対象は歳月とともに少しずつ遠ざかっていきます。私にしても、『新世紀エヴァンゲリオン』当時や『涼宮ハルヒの憂鬱』当時の心境からは随分と遠ざかりました。過去に出会ったキャラクターたちの余熱はまだ残っていますが、昔のように推したり萌えたりすることはできません。<br />  <br /> キャラクターではない「推し」の場合、別れはもっと衝撃を伴っています。<br /> 「推し」という言葉より理想化自己対象と呼んだほうが適切かもしれませんが、私にはリスペクトしていた師が何人かいましたが、寄る年波に勝てなかったり、病を得たりして亡くなりました。生身の「推し」が亡くなるのは堪えるものですね。『「推し」で心はみたされる?』にも書きましたが、高齢者は、そういう体験を何度も経験するのでしょう。<br />  </p> <blockquote> <p>高齢者には自己対象の喪失体験がついてまわります──友人の死、伴侶の死、恩師の死は、自分にとって大切だった自己対象の死に他ならず、自己対象の死とは、自分自身のナルシシズムの生態系の一部の喪失とも言えます。親しい人の死とは、亡くなった人の死を悼むに加えて、自分自身にとって必要不可欠だったはずの自己対象の喪失をも悼まなければならない体験です。<br /> <span style="font-size: 80%"><span style="color: #999999">━━『「推し」で心はみたされる?』より</span></span> </p> </blockquote> <p>自分にとって親しく感じられる人の死は、親しい人の死であると同時に、自分自身のナルシシズムの生態系の一部が永久に失われる事態でもあります。長年連れ添った伴侶の死など、それが顕著でしょう。高齢になればそうしたことが次第に増えてくるでしょうね。自分のことを好いてくれた人も、自分が好きだった人も、自分が推した人も、いつかは亡くなる日が来る。二次元のキャラクターたちへの余熱がゆっくりと冷めていくのに比べると、生身の「推し」の喪失は唐突です。<br />  <br />  </p> <div class="section"> <h4 id="それでも推しからもらったものは消えない"><span style="color: #d32f2f"><strong>それでも「推し」からもらったものは消えない</strong></span></h4> <p> <br /> 次第に冷えて遠ざかっていく二次元の「推し」や「萌え」も、恩師や尊敬する人の死去も、哀しみが伴うのは避けられない気がします。それでも「推し」からいただいたものは残るので、それは大切にしていきたいですね。<br />  <br /> 今では遠くなってしまったキャラクターたちのことを私は懐かしく思い出しますし、そうしたキャラクターが人生のフラッグになってくれたおかげで今の自分の境遇があることを常に感謝しています。惣流アスカラングレーに関しては、私は「彼女は1997年7月19日に死んだ」が最もフォーマルな理解になっているので、本当はあの映画から惣流アスカラングレーという人はいません。案外、死んじゃったから私の人生のフラッグになってくれたのかもしれませんね。彼女を忘れてはならないし、あれを無駄死ににするつもりはないし、その魂を私がもらい受けることにしたわけですから。もらい受けた後の彼女は私とともに成長し、今ではおばさんです。そういうことになっています<a href="#f-2aac2082" id="fn-2aac2082" name="fn-2aac2082" title="この「私にとってこのキャラクターは私のなかではこうなっている」がAさんもBさんもCさんもそれぞれ持って構わないという含意があの頃の「萌え」には間違いなくあり、それも私に味方しました">*2</a>。<br />  <br /> それは多かれ少なかれ他のキャラクターたちにも言えることで、かつて慕ったキャラクター、かつて憧れたキャラクターたちの残影や残響は私の心のなかで生きています。もう一人、感想を送ってくださった modern-clothesさんもそう思いますか?<br />  <br /> <a href="https://modernclothes24music.hatenablog.com/entry/2024/02/14/025639">&#x4F55;&#x304B;&#x3092;&#x5C0A;&#x304F;&#x601D;&#x3046;&#x3053;&#x3068; &minus;&minus;&#x718A;&#x4EE3;&#x4EA8;&#x300E;&#x300C;&#x63A8;&#x3057;&#x300D;&#x3067;&#x5FC3;&#x306F;&#x307F;&#x305F;&#x3055;&#x308C;&#x308B;&#xFF1F;&#x300F;&#x611F;&#x60F3; - &#x6B8B;&#x97FF;&#x306E;&#x8DB3;&#x308A;&#x306A;&#x3044;&#x90E8;&#x5C4B;</a><br />  <br /> 上掲のブログ記事には、</p> <blockquote> <p> 私はCCさくら世界やラブひな世界、こみっくパーティー世界やKanon世界に逃避することで、ハードな色彩に感じていた現実からの癒やしを得ていました。あの世界(たち)には本当に感謝しています。あの世界とキャラは本当に素晴らしかった…私の「推し」は素晴らしかった。</p> </blockquote> <p>と書いてあって、加えて、現実逃避的だったとも記されています。確かに現実逃避的な側面はあったのかもしれません。でも、そのとき確かに「推し」を推していた時間があって、何かを受け取って記憶しているのなら、それは単なる過去形では済まされない、現在をかたちづくる一端となった出来事だったと私なら思います。<br />  <br /> 「推し」や「萌え」が社会適応にどれだけ役に立つのか、役に立たないのかという議論を、いうまでもなく私は意識します。でも、そういうのを抜きにしても「推し」や「萌え」から受け取ったものは無かったことにはなりません。少なくとも、自分自身が積極的に捨て去らない限りはなくならないでしょう。そこも、大切なところでしょう。<br />  <br /> 生身の「推し」については尚更です。<br /> 私の師たちは亡くなってしまったけれども、彼らから継承した知識、技能、言葉、身振りといったものは私のなかに残っています。思い出も。もう二度と彼らに会うことはできないけれども、敬意や敬愛をとおして彼らからもらったもの・盗んだものはまだここにあって、私のなかで生きています。私もすっかり中年なので、、これからは私の知識、技能、言葉、身振りを誰かにさしあげられたらいいのですけど。<br />  <br /> 『「推し」で心はみたされる?』では、「推し」はコフートの言葉に基づいて理想化自己対象体験とまとめられていますが、理想化自己対象体験は単なる心理的充足の経路ではなく、知識、技能、言葉、身振りの伝承経路でもあります。案外、それは生身の自己対象だけでなく、二次元の自己対象でも起こり得ることかもしれません。そうして継承されるもの・譲り受けるものがある限り、「推し」からもらったものは消えないし、自分の代からもっと後の代に継承させることさえできるかもしれません。<br />  <br /> 「推し活」にも色々あって、刹那的で、後に何も残らないような「推し活」もあるのでしょうね。でも、たいていの「推し活」は何かが残るし、何かが継承されるし、いつか別れの時が来ても受け取ったものは手許に残ると私は考えています。「推し」なんてむなしいことでしかない、とは考えたくないですね。二次元でも三次元でも、良い「推し」に出会ったなら、より良く推していきたいですね。拙著が、そういう推しとのお付き合いのヒントになったとするなら、私は嬉しいです。引用させていただいたふたつのブログそれぞれの筆者さん、感想、ありがとうございました。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CSJW8LJC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51VUdpXqMhL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="「推し」で心はみたされる?~21世紀の心理的充足のトレンド" title="「推し」で心はみたされる?~21世紀の心理的充足のトレンド"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CSJW8LJC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">「推し」で心はみたされる?~21世紀の心理的充足のトレンド</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B7%A7%C2%E5%B5%FC" class="keyword">熊代亨</a></li><li>大和書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CSJW8LJC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div>※<a href="https://t.livepocket.jp/e/jvv67">&#x963F;&#x4F50;&#x30F6;&#x8C37;&#x30ED;&#x30D5;&#x30C8;&#x3067;2&#x6708;25&#x65E5;&#x306E;&#x663C;&#x9593;&#x306B;&#x304A;&#x3057;&#x3083;&#x3079;&#x308A;</a>をする予定です。よろしかったらおでかけください。<br />  <br />  </p> </div><div class="footnote"> <p class="footnote"><a href="#fn-440d4b96" id="f-440d4b96" name="f-440d4b96" class="footnote-number">*1</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">それをどこまで「計画的に人生のなかで利用しようと目論む」のかはまた別の問題です。あまり計算高くなってはうまくいかないように私は思いますが</span></p> <p class="footnote"><a href="#fn-2aac2082" id="f-2aac2082" name="f-2aac2082" class="footnote-number">*2</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">この「私にとってこのキャラクターは私のなかではこうなっている」がAさんもBさんもCさんもそれぞれ持って構わないという含意があの頃の「萌え」には間違いなくあり、それも私に味方しました</span></p> </div> p_shirokuma 東京スカイツリーというパノプティコン(一望監視装置) hatenablog://entry/6801883189082782916 2024-02-13T22:00:00+09:00 2024-02-14T11:45:33+09:00 土着の宗教としてのスカイツリー pic.twitter.com/r3uGVL85A3— wat_mat (@wat_mat) 2024年2月12日 今朝、通勤中にX(旧twitter)をチラ見したら上のポストが表示されて「わかるわかる! 東京スカイツリーって、おれらのことを見てるよね」と思ったので少しだけ。 東京都、とりわけ台東区や墨田区のあたりを歩いていると、どこの路地からも東京スカイツリーの姿がみえる。近くに行くと、こうやって見上げなければならないほどスカイツリーは大きい。 『ブラタモリ』によれば、スカイツリーは一帯のなかでも少し高い土地に立っているというから、ただでさえ高いスカイツリーが… <p> <blockquote data-conversation="none" class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">土着の宗教としてのスカイツリー <a href="https://t.co/r3uGVL85A3">pic.twitter.com/r3uGVL85A3</a></p>&mdash; wat_mat (@wat_mat) <a href="https://twitter.com/wat_mat/status/1756942775562731737?ref_src=twsrc%5Etfw">2024年2月12日</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> <br />  <br /> 今朝、通勤中にX(旧twitter)をチラ見したら上のポストが表示されて「わかるわかる! 東京スカイツリーって、おれらのことを見てるよね」と思ったので少しだけ。<br />  <br /> 東京都、とりわけ台東区や墨田区のあたりを歩いていると、どこの路地からも東京スカイツリーの姿がみえる。近くに行くと、こうやって見上げなければならないほどスカイツリーは大きい。<br />  <br /> <span itemscope itemtype="http://schema.org/Photograph"><a href="http://f.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20190420122241" class="hatena-fotolife" itemprop="url"><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/p_shirokuma/20190420/20190420122241.jpg" width="450" height="600" loading="lazy" title="" class="hatena-fotolife" itemprop="image"></a></span><br />  <br /> 『ブラタモリ』によれば、スカイツリーは一帯のなかでも少し高い土地に立っているというから、ただでさえ高いスカイツリーが一層目立つのだろう。そのうえ周辺にはあまり高層の建物がない。だからか、東京の東のほうを街歩きしていると、いつも同じ顔つきのスカイツリーがこちらを見つめているような気がする。それが私にはなんだか落ち着かない。いつもスカイツリーがこちらを監視しているような思い込みに駆られてしまう。<br />  <br /> これではまるで、スカイツリーは墨田区のパノプティコンではないか!<br />  <br /> <span itemscope itemtype="http://schema.org/Photograph"><a href="http://f.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20240213155757" class="hatena-fotolife" itemprop="url"><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/p_shirokuma/20240213/20240213155757.png" width="600" height="442" loading="lazy" title="" class="hatena-fotolife" itemprop="image"></a></span><br />  <br /> パノプティコン(一望監視装置)は、ベンサムが考案したとされる、中央にもうけられた監視ポストから360度の囚人を監視できる監視装置だ。中央の監視ポストで監視員が実際に監視しているかどうかは、問題にはならない。いつでも監視され得ること・監視員が監視している「かもしれない」ことが重要で、それが囚人に品行方正な行動を促していく。囚人を更生させる装置としてのパノプティコンは理解できるけど、あまり気持ちの良い装置には見えない。<br />  <br /> くだんの標語を考えた人は、この、パノプティコンという気味の悪い機構を知らなかったのではないだろうか。もし知っていたら、タバコをポイ捨てする人だけでなく、墨田区や台東区の人々ぜんたいが監視されているように思えて標語にしたくなくなるんじゃないかと思う。<br />  <br /> 東京スカイツリーに、実際にそのような監視の機能があるとは思えない。が、地表の人々が監視されているのかどうかは、問題にはならない。いつでも監視され得ること・高みから覗き得ることが問題だ。スカイツリー並みの巨大構築物を建てた人々がパノプティコンのことを知らないとは思えないから、案外、電波塔ついでにパノプティコン的な「まなざされているかもしれない感覚と、それによる人々の行動の変容」をちょっとぐらいは期待していたのではないか、などと深読みしたくなってしまう。少なくとも私のような人間には、いつでもどこでもスカイツリーが顔を覗かせるあの一帯にいると、背筋を伸ばさなければならないような気分が沸いてくる。<br />  <br />  </p> <div class="section"> <h4 id="ほかのタワーと比較してみる"><span style="color: #d32f2f"><strong>ほかのタワーと比較してみる</strong></span></h4> <p> <br /> しようもない話ついでに、他のタワーについても少しだけ。<br />  <br /> <span itemscope itemtype="http://schema.org/Photograph"><a href="http://f.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20200913180820" class="hatena-fotolife" itemprop="url"><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/p_shirokuma/20200913/20200913180820.jpg" width="450" height="600" loading="lazy" title="" class="hatena-fotolife" itemprop="image"></a></span><br />  <br /> 京都の南側からは京都タワーが見える場所が多い。とはいえ、京都タワーからパノプティコンみを感じたことはほとんど無い。「京都駅の近くの巨大なローソク」と思い込んでしまっているからかもしれない。京都タワーだって、けっこう南のほうからでも見えるものなのだけど。<br />  <br /> <span itemscope itemtype="http://schema.org/Photograph"><a href="http://f.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20230924171721" class="hatena-fotolife" itemprop="url"><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/p_shirokuma/20230924/20230924171721.jpg" width="450" height="600" loading="lazy" title="" class="hatena-fotolife" itemprop="image"></a></span><br />  <br /> それ以上にたいしたことがないのが東京タワーで、増上寺や芝公園ではともかく、ちょっと遠くに離れるとたちまちビルの谷間に埋もれてしまう。昭和の観光名所として、訪れ甲斐のあるスポットではあるのだけど、地面にへばりつく民衆を監視しちゃうぞって迫力はない。<br />  <br /> <span itemscope itemtype="http://schema.org/Photograph"><a href="http://f.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20230730192432" class="hatena-fotolife" itemprop="url"><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/p_shirokuma/20230730/20230730192432.jpg" width="450" height="600" loading="lazy" title="" class="hatena-fotolife" itemprop="image"></a></span><br />  <br /> それから台北101観景台。<br /> このタワーもかなり遠くから見えて、あちこちの路地からニョキニョキと姿をみせる。でも、周囲にビルが乱立しているせいか、東京スカイツリーに比べればパノプティコンみが少ない。<br />  <br /> こうして比較してみると、東京スカイツリーのパノプティコンみが頭一つ抜けているので、見張られている感覚を満喫(?)したい人は、台東区や墨田区で街歩きするといいんじゃないかと思います。<br />  <br />  </p> </div> p_shirokuma 『「推し」で心はみたされる?』についてのアジコさんへの手紙 hatenablog://entry/6801883189082002335 2024-02-12T18:39:44+09:00 2024-02-13T09:02:41+09:00 orangestar2.hatenadiary.com アジコさんこんにちは。 このたびは『「推し」で心はみたされる?~21世紀の心理的充足のトレンド』をお読みいただき、ありがとうございました。 ブログの文章、拝見しました。 読み、アジコさんが慣れ親しんでいる「推し」や「推し活」のニュアンスと私が想定する「推し」や「推し活」のニュアンスの違いなど、色々なことがわかって大変面白かったです。そうした相違は私とアジコさんの間にある、人間や社会を見つめる視線の違い・価値観の違い・人生観の違いを反映しているものかもしれません。その違いを噛みしめながらも、共通する考えもあると感じました。 アジコさんのおっ… <p> <br />  <br /> <iframe src="https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Forangestar2.hatenadiary.com%2Fentry%2F2024%2F02%2F09%2F125038" title="新しい社会のロールモデルとしての「推し」を使った処世術 - orangestar2" class="embed-card embed-blogcard" scrolling="no" frameborder="0" style="display: block; width: 100%; height: 190px; max-width: 500px; margin: 10px 0px;" loading="lazy"></iframe><cite class="hatena-citation"><a href="https://orangestar2.hatenadiary.com/entry/2024/02/09/125038">orangestar2.hatenadiary.com</a></cite><br />  <br /> アジコさんこんにちは。<br /> このたびは『<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CSJW8LJC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1">「推し」で心はみたされる?~21世紀の心理的充足のトレンド</a>』をお読みいただき、ありがとうございました。<br />  <br /> ブログの文章、拝見しました。<br /> 読み、アジコさんが慣れ親しんでいる「推し」や「推し活」のニュアンスと私が想定する「推し」や「推し活」のニュアンスの違いなど、色々なことがわかって大変面白かったです。そうした相違は私とアジコさんの間にある、人間や社会を見つめる視線の違い・価値観の違い・人生観の違いを反映しているものかもしれません。その違いを噛みしめながらも、共通する考えもあると感じました。<br />  <br />  </p> <div class="section"> <h4 id="アジコさんのおっしゃるハレのものとしての推しとケーキのようなものとしての推し"><span style="color: #d32f2f"><strong>アジコさんのおっしゃる「ハレのものとしての推し」と「ケーキのようなものとしての推し」</strong></span></h4> <p> <br /> アジコさんの「推し」のなかで重要で、それ自体、キー概念になっていて面白いと思ったのは「ハレのものとしての推し」と「ケーキのようなものとしての推し」です。<br />  </p> <blockquote> <p>自分にとっての『推し』というものの取り扱いについて。自分にとって推しというものは『特別な物、ハレのモノ』と認識されています。『ハレのモノ』というのは、日常の辛さやマイナス、どうしようもない辛さをリセット、および忘れさせてくれるためのもので、けして日常使いするものではないと思うのです。そういうことをしていると、いつか日常の澱がたまって泥になってしまう、そんな風に思います。<br /> (中略)<br /> そもそも、なぜ、人生において『ハレのモノ』が必要なのか。<br /> でも、だからこそ、人生において『ハレのモノ』は必要なのです。ハレのものは、血を吐きながら続けるマラソンの給水ポイントであり、水泳の息継ぎです。辛い日常のよすがであり、希望であり、今日は辛くても次の『ハレのモノ』まで頑張ろうと思って毎日を暮らしていくためのエネルギー源です。滅多にないし、得難いものであるからこそ価値がある。それが『ハレのモノ』です。</p> </blockquote> <p>このくだりは、「ハレのとしての推し」だけでなく、ハレそのものの必要性の説明にもなっています。カーニバル・お祭り・ライブ・普段は会えない人とのオフ会、等々もハレに相当しそうですね。「推し」に限らず、ハレの日に体験する諸々は本来辛いものであるはずの人生に息継ぎを与えるでしょう。<br />  <br /> その少し後にアジコさんは、「ケーキのような推し」についても述べています。これも興味深かったので引用します。</p> <blockquote> <p>『パンがなければケーキを食べればいいのに(実際にパンはなく、但しケーキはふんだんに売るほどある)』ということを言っている本だと思いました。社会の変化が起こり、今までの普通にあったナルシシズムを成長させてくれるような環境(パン)はもう身近にない。だから、ケーキ(推し)を食べて、栄養としていこう、という提案をしているように思います。ただ、ケーキは、パン(かつてのような濃密な社会)とくらべて、成長に必要な要素(適切な対象に対しての幻滅など)が全て詰まっているわけではない、だから、自分で工夫して、適切に学び取っていかないといけない。というようなことだと思いました。</p> </blockquote> <p>パンがなければケーキをお食べ。<br /> 拙著『「推し」で心はみたされる?』で記したように、ナルシシズムの充足と成長にかかわる人間関係 (ナルシシズムに関連した言葉でいえば、お互いが自己対象として体験されるような人間関係) は希薄になってしまいました。コフートは著書『自己の修復』のなかで、社会は自己対象として体験される人間関係が過剰だった時代から過小な時代に変化した、それは家庭の構造や社会の構造の変化による、と述べました。他方、ここでいうケーキのような「推し」、ひいてはケーキのような人間関係やそれに類する体験は増えていると私は本のなかで書きました。<br />  <br /> つまりSNSの向こう側のインフルエンサーを推す体験・商業化されたタレントやグループを推す体験・二次元のキャラクターを推す体験、などですね。従来の人間関係と比べて、それらは純度の高い推し体験になりやすく、と同時に推したい気持ちが裏切られた時にいきなり全否定になってしまいやすい<a href="#f-98edca99" id="fn-98edca99" name="fn-98edca99" title="または、関係修復の機序が働きにくく、推す-推されるの関係が一方向的になりがちな">*1</a>、そのような人間関係です。そうした「推し」純度の高いさまは、確かに、ケーキに比喩できると思います。ケーキは見栄えが良く、甘くておいしく、精錬された砂糖をふんだんに使っていて、楽しませてくれる。辛い人生の息継ぎにもなりやすいでしょう。「推し」に関して好き嫌いのうるさい人でもケーキのような「推し」なら摂取できる、なんてこともあるかもしれません。<br />  <br /> でも、ケーキだけではカロリーは取れても栄養が偏って成長しづらいのに似て、そういったいまどきの「ケーキのような推し」体験だけではナルシシズムの成長は期待できません。「パンや家庭料理に相当する推し」、コフートや拙著に引き寄せて言えば「パンや家庭料理に相当する自己対象体験」がなければナルシシズムの成長は期待しがたいのです。2020年代はネットメディアを介したコミュニケーションや自己対象体験の割合が20世紀以前よりずっと多く、「ケーキのような推し」に相当する自己対象体験に耽溺するのが簡単な時代です。そうした時代のなかでどのように血肉になるような「推し」体験を積み重ねてナルシシズムの成長を図り、ひいては人間関係をつくっていくのかを書いたのが『「推し」で心はみたされる?』の重要なセールスポイントになっているかと思います。<br />  <br /> で、アジコさんのおっしゃる「ハレとしての推し」と「ケーキのような推し」を私なりに翻案し考えるに、アジコさんのおっしゃる「推し」に含まれないけれども私が想定する「推し」に含まれる部分の「推し」が、たぶん肝心ってことになるんですよね──少なくともナルシシズムの成長や人間関係の充実などには。<br />  <br /> アジコさんが想定せず私が想定する「推し」とは、「ケとしての推し」や「ケーキよりも家庭料理に比喩すべき推し」です。<br />  <br /> それは従来型の人間関係だったり、親子の範疇的な関係だったりするものです。ケーキに比べて純度が低く、雑穀のように消化に負荷が伴い、飾り気も少ないような、そんな「推し」、ひいては自己対象体験。それが必要なんです。アジコさんは、"「ハレとしての推し」を日常使いしていると、いつか日常の澱がたまって泥になってしまう"、と述べていますが、これは私も同感です。<strong>ハレの推し・ハレの自己対象に頼りきりでケの推し・ケの自己対象がおざなりでは、人の間で生きるのはとても大変なんです</strong>。完全にひきこもってインターネット上のインフルエンサーや二次元キャラクターだけ推している状態の人が辛くなってくるのもそう。それだけでは日常の澱をうまく処理できないし、ナルシシズムの成長が止まるだけでなく、ナルシシズムの歯車がおかしくなって、尊大と自己卑下の谷間に落ちて、李徴の虎みたいな境遇が避けられないでしょう。<br />  <br /> 上掲リンク先でアジコさんが定義する「ハレとしての推し」や「ケーキのような推し」は、私が書籍のなかで書いている「推し」と定義は違っています。が、それらだけではうまく回らないとご指摘されている点も含めて、結論は案外近いのではないかと思いました。純度の高い理想化自己対象として体験可能な、メディアの向こう側の「推し」やキラキラし過ぎている「推し」ばかり推し活していると、人間はうまく回らなくなる。それはそうだと思います。<br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="推しで心はみたされるは自己啓発本か"><span style="color: #d32f2f"><strong>『「推し」で心はみたされる?』は自己啓発本か </strong></span></h4> <p> <br /> ああ、それからアジコさんのおっしゃるこれ。<br />  </p> <blockquote> <p>そして、ちょっと意地の悪い要約をすると、<br /> 「推しという感情を使って、人に迷惑をかけずに効率よく生きていきましょう、社会適応をして、自分の利益や成長を最大化しましょう」<br /> という本です。自己啓発本ぽくもあります。</p> </blockquote> <p>アジコさんはこれを意地の悪い要約とおっしゃいましたが、私は自己啓発本ととらえてくださって感謝しています。<br />  <br /> 『「推し」で心はみたされる?』は正真正銘の自己啓発本です。そうでない本を作った覚えはありません。<br />  <br /> 00年代のはてなダイアリー周辺では、なにやら自己啓発本を下にみる傾向があったかもしれず、アジコさんは今でも下にみているのかもしれません。私も、あまり良い風に思っていなかった時期がありました。でも、自己啓発本には自己啓発本の役割があり、社会のなかの居場所があります。ニーズもあるでしょうし、得意なこともあるでしょう。<br />  <br /> 「推し」や「いいね」も含めた自己対象体験を、2020年代におけるナルシシズムの成長や社会適応に生かすための本を作りたい──そのような本をつくるにあたってコフートは他の精神病理学の重たい精神分析の考えやDSM的な精神医学よりずっと向いていると私は考えてきました。コフートの理論は病的なナルシシズムをどうこうするにはそれほど向いていなくて、むしろ、ある程度健康といって良い状態にある人のナルシシズムについて考えるのに適した理論です。書籍のなかでもお断りしておきましたが、たとえば、うつ病や双極症や統合失調症といった典型的な精神疾患の病期にある状態の人のお役に立つとは思えませんし、ましてや、治療効果があるとは夢にも思っていません。<br />  <br /> アジコさんの文章のなかには、"『「推し」で心はみたされる?』は人間的な余裕の乏しい人には向いていない"ってくだりがありましたが、これもそのとおりだと思います。マズローとそれに関連した書籍と同じく、コフートとそれに関連した書籍も、状態があまりにも悪い人には向いていません。それを承知のうえで私は『「推し」で心はみたされる?』を書きました。ですから、あの本を作成するにあたって想定していた中核的読者はメンタルヘルスに障害を呈している人ではなく、これからビジネスマンになっていく人・これから上司になっていく人・これから家庭を持っていく人・現在の手札をもっと豊かにしていきたい人です。そういう本を作るなら、コフートだと思うんです。コフートが診ていたクライアントが、自費でカウンセリングが受けられるような境地の人だったことは、そのままコフートの理論にも、コフートが得意とする領域にも反映されているでしょう。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CSJW8LJC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51VUdpXqMhL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="「推し」で心はみたされる?~21世紀の心理的充足のトレンド" title="「推し」で心はみたされる?~21世紀の心理的充足のトレンド"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CSJW8LJC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">「推し」で心はみたされる?~21世紀の心理的充足のトレンド</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B7%A7%C2%E5%B5%FC" class="keyword">熊代亨</a></li><li>大和書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CSJW8LJC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br /> ですから意地の悪い要約も何も、この本は自己啓発本であって、病者への処方箋ではないと私は認識しています。実際、編集者さんにも私の考えはある程度汲み取っていただき、上掲のように表紙がポップな感じなのもそれを反映してのものだと思います。<br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="人生は苦か苦でしかないか"><span style="color: #d32f2f"><strong>人生は、苦か、苦でしかないか</strong></span></h4> <p> <br /> さて、アジコさんは冒頭リンク先で「人生は苦である」といったことを盛んに述べてらっしゃいました。私は日本の在家の大乗仏教徒のなので、生老病死を苦とみなす考えには親しんでいるつもりです。アジコさんはそうではないと思っていたので、意外だな、などと思ってしまいました。<br />  <br /> さておき、人間が社会適応していくためには「ケのものとしての推し」も含めた、地べたをはいずるような人間関係や自己対象体験が必要で、そうやって人は育ち、人に育てられ、生きていくものでしょう。たとえば丁稚奉公する小僧さんがサバイブしていくにあたっては、承認欲求だけで心をみたすでなく、奉公先や番頭さんを「ケのものとしての推し」にできていないとやってられなかったでしょう。丁稚奉公の時代が遠ざかった2020年代でも、そういう「ケのものとしての推し」を持つこと・持てることは日常を支え、技能習得のうえでも重要です<a href="#f-8f8893d4" id="fn-8f8893d4" name="fn-8f8893d4" title="アジコさんは、リンク先で「他者に対して敬意をもって生きるということは実はすごく難しいことです。そして、誰かから、それを与えられるというのも、また、得難いことであります。」と書いています。これは誰でも・いつの時代もそうなのですか? 少なくとも一時代はある程度そうだったのかもしれませんね。20世紀後半から21世紀初頭にかけて、日本では所属欲求や理想化自己対象ベースの心理的充足が軽視されていました。「ケのものとしての推し」が思いっきり軽視された一時代だったと言えますし、それに適した人間関係や社会関係も軽視されていました。アジコさんに限らず、インターネットの普及期にテキストサイトやブログをやっていた人々も、そういうものを軽視していたかもしれませんね。でも、コフート以前の時代はそうではなかったのではないでしょうか。20世紀後半から21世紀初頭の、個人主義的で承認欲求や鏡映自己対象ベースの心理的充足にものすごく偏っていた一時代は、私には異様な時代とうつりました。それがロスジェネ世代の歯車を狂わせた一面もあったのではありませんか? 私は、当時そのような風潮を牽引していた人たちにもフォロワーたちにも違和感をおぼえていましたし、そうした風潮が「推し」ブームに象徴されるように変化してきていることを、嬉しく思っています。">*2</a>。<br />  <br /> が、それはそれとして、ままならない日常を補填するものとして「ハレのものとしての推し」も必要だったのは確かにそうだと思います。昔だったらそれは、収穫祭だったり、お伊勢参りだったり、旅芸人の芝居だったりしたでしょう。「ケーキのような推し」もそうです。昔はSNSも二次元キャラクターもなかったから「ケーキのような推し」に相当するものは限られていました。でも、たとえばマリア様や観音様などはその対象に相当したのではなかったでしょうか。<br />  <br /> そうした過去を振り返れば、「ハレとしての推し」や「ケーキのような推し」にも歴史があり、社会のなかで居場所があったはずです。いや、きわめて重要だったと言えそうです。推しの対象としての神仏のいいところは、現実には救いの見出せない人でも推せるところです。いや、危険な宗教が危険であるのも、このためなのですが。拙著でも、苦しい時に二次元キャラクターなどへの推しは役に立つし、それ否定する向きには賛同できない、みたいなことを書きました。必要な時、必要な人のもとに届く「推し」って、確かに尊いですよね。そして二次元や神仏のいいところは、どれだけ推してもそれを受け止めてくれることです。生身の人間ではとうてい無理なことも、神仏や二次元なら黙って聞いてくださる(願いかなえてくださるかはまた別)。<br />  <br /> 人生は苦、でしょうか。私は苦だと答えます。では、苦でしかないのか? 思案のしどころです。私は有性生殖生物の末裔として生を享け、今を生きています。人生は苦ですが、それだけに「ハレとしての推し」や「ケーキのような推し」は甘美です。と同時に、私には「ケのものとしての推し」や「家庭料理的な推し」も滋味深いと感じています。職場や学校や日常生活の領域にいる人と人とが敬意を持ちあったり、お互いに一目置きあったりするのは幸福なことではありませんか。そうしたものが皆無で、「ハレとしての推し」や「ケーキのような推し」に依存するしかない境地なら、生きることの辛さに拍車がかかるだろうとは思います。でも、その限りでないなら人生にはほどほどに楽しい瞬間やほどほどに敬意を交換できる瞬間もあり、それらを縫い合わせて人生という織物をなしていくのもまた人間だ、と私は思っています。これは理想論でしかないのかもしれませんが、その理想に近づきたいとあがきながら、年を取っていきたいものですね。<br />  <br /> 私の祖父は浄土真宗の僧職でした。最後にしっかりと交わせた会話のなかで祖父は、「それでも人生とは苦にほかならない」と述べました。それから間もなく、祖父は病院で点滴につながれなければならなくなり、亡くなりました。祖父が言い残したことは正しかったと思いますし、私の末路も祖父と同じもの、またはそれより悲惨なものでしょう。それでも私は生きています。生きる限り私は生きていきます。だって生きているんですもの。『新世紀エヴァンゲリオン』のなかで碇ユイもそう言っていたように思います。生きられるだけ、生きていたいですね。だって生きているんですもの。どうせなら、いろんな人に推したり推されたりしながら生きられたらとも思います。『「推し」で心はみたされる?』は、そういう私の年来の願いと実践が反映された本でもあります。渡世のための自己啓発本です。確かにそれは、アジコさんの通奏低音とは噛み合わないものかもしれない。<br />  <br /> 気づいたら自著の宣伝になっていました。<br /> 浅ましいことですね。<br /> でも、ちょっとぐらい浅ましくても人間関係をうまくやっていきたい人向けの本だとも思います。もっとうまく世渡りしたいって気持ちに燃えている人には、特におすすめです。<br />  <br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CSJW8LJC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51VUdpXqMhL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="「推し」で心はみたされる?~21世紀の心理的充足のトレンド" title="「推し」で心はみたされる?~21世紀の心理的充足のトレンド"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CSJW8LJC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">「推し」で心はみたされる?~21世紀の心理的充足のトレンド</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B7%A7%C2%E5%B5%FC" class="keyword">熊代亨</a></li><li>大和書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CSJW8LJC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br /> ※<a href="https://www.loft-prj.co.jp/schedule/lofta/274661">&#x963F;&#x4F50;&#x30F6;&#x8C37;&#x30ED;&#x30D5;&#x30C8;&#x3067;2&#x6708;25&#x65E5;(&#x65E5;)&#x306B;&#x304A;&#x3057;&#x3083;&#x3079;&#x308A;&#x3059;&#x308B;&#x3053;&#x3068;&#x306B;&#x306A;&#x308A;&#x307E;&#x3057;&#x305F;</a>。よろしければお出かけください。<br />  <br />  </p> </div><div class="footnote"> <p class="footnote"><a href="#fn-98edca99" id="f-98edca99" name="f-98edca99" class="footnote-number">*1</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">または、関係修復の機序が働きにくく、推す-推されるの関係が一方向的になりがちな</span></p> <p class="footnote"><a href="#fn-8f8893d4" id="f-8f8893d4" name="f-8f8893d4" class="footnote-number">*2</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">アジコさんは、リンク先で「他者に対して敬意をもって生きるということは実はすごく難しいことです。そして、誰かから、それを与えられるというのも、また、得難いことであります。」と書いています。これは誰でも・いつの時代もそうなのですか? 少なくとも一時代はある程度そうだったのかもしれませんね。20世紀後半から21世紀初頭にかけて、日本では所属欲求や理想化自己対象ベースの心理的充足が軽視されていました。「ケのものとしての推し」が思いっきり軽視された一時代だったと言えますし、それに適した人間関係や社会関係も軽視されていました。アジコさんに限らず、インターネットの普及期にテキストサイトやブログをやっていた人々も、そういうものを軽視していたかもしれませんね。でも、コフート以前の時代はそうではなかったのではないでしょうか。20世紀後半から21世紀初頭の、個人主義的で承認欲求や鏡映自己対象ベースの心理的充足にものすごく偏っていた一時代は、私には異様な時代とうつりました。それがロスジェネ世代の歯車を狂わせた一面もあったのではありませんか? 私は、当時そのような風潮を牽引していた人たちにもフォロワーたちにも違和感をおぼえていましたし、そうした風潮が「推し」ブームに象徴されるように変化してきていることを、嬉しく思っています。</span></p> </div> p_shirokuma 教養としての『ダンジョンズアンドドラゴンズ(D&D)』 hatenablog://entry/6801883189050934767 2024-02-08T22:30:00+09:00 2024-02-13T22:42:20+09:00 はじめに ダンジョン飯 1巻 (HARTA COMIX)作者:九井 諒子KADOKAWAAmazon アニメ『ダンジョン飯』が人気ですね。 ダンジョンで飯を食うという非常識がグルメにもギャグにもなっていて、いちおうシリアスな話も進行していく『ダンジョン飯』。今日のお題は、そのインスパイア元っぽいRPG『ウィザードリィ』のさらにご先祖様の『ダンジョンズアンドドラゴンズ』(以下『D&D』と表記)です。 今、『D&D』の雰囲気をいちばん簡単・忠実に味わえる作品といえば『ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り』でしょうか。 ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り 4K Ultra HD… <p> <br />  <br />  </p> <div class="section"> <h4 id="はじめに"><span style="color: #d32f2f"><strong>はじめに</strong></span></h4> <p> <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00S0E4JW8?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/61Kzw4xKfpL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="ダンジョン飯 1巻 (HARTA COMIX)" title="ダンジョン飯 1巻 (HARTA COMIX)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00S0E4JW8?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">ダンジョン飯 1巻 (HARTA COMIX)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B6%E5%B0%E6%20%CE%CA%BB%D2" class="keyword">九井 諒子</a></li><li>KADOKAWA</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00S0E4JW8?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" 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rel="noopener">ダンジョンズ&amp;ドラゴンズ/アウトローたちの誇り 4K Ultra HD+ブルーレイ[4K ULTRA HD + Blu-ray]</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li>クリス・パイン</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0C5CKPGH1?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br /> 『アウトローたちの誇り』は、種族も性格も技能も違うキャラクターたちが喧嘩したり協力しながら旅を続ける物語ですが、TRPGゲームとしての『ダンジョンズアンドドラゴンズ』らしさがあちこちに見受けられます。こうした『D&D』の雰囲気は『ウィザードリィ』に限らず、孫やひ孫や玄孫に相当するような作品にまで受け継がれています。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0C6L62F7P?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/417R+Z4NNjL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="Final Fantasy I-VI Pixel Remaster Collection (Multi-Language)(輸入版:アジア) – Switch" title="Final Fantasy I-VI Pixel Remaster Collection (Multi-Language)(輸入版:アジア) – Switch"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0C6L62F7P?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">Final Fantasy I-VI Pixel Remaster Collection (Multi-Language)(輸入版:アジア) – Switch</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li>Square Enix(World)</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0C6L62F7P?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B01JHV56BA?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51gpoNrlpKL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="The Elder Scrolls V: Skyrim SPECIAL EDITION 【CEROレーティング「Z」】 - PS4" title="The Elder Scrolls V: Skyrim SPECIAL EDITION 【CEROレーティング「Z」】 - PS4"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B01JHV56BA?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">The Elder Scrolls V: Skyrim SPECIAL EDITION 【CEROレーティング「Z」】 - PS4</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li>ベセスダ・ソフトワークス</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B01JHV56BA?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br /> たとえば『ファイナルファンタジー』シリーズの魔法体系や魔法システム、モンスターの名称なども、相当『D&D』から輸入していますし、オープンワールドRPGの名作『Skyrim』をプレイした時も、『D&D』の世界が具現化したみたいだったので驚きました。web小説に登場する"異世界"にしても、その先祖を遡っていけば『D&D』にぶち当たるのは避けられません。<br />  <br /> そもそも『D&D』は『指輪物語』などと並んで今日のRPGゲーム、ひいてはRPG風作品のご先祖様みたいな立ち位置にあるので、影響を受けていないと言える作品のほうが少ないかもしれません。だとしたら、ゲームカルチャーやRPGゲームやファンタジー小説を楽しむにあたって、『D&D』は教養になる一面があったりしないでしょうか。<br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="モノ書きはDDをしばしば知っている"><span style="color: #d32f2f"><strong>モノ書きは『D&amp;D』をしばしば知っている</strong></span></h4> <p> <br /> 「教養としての『D&D』」と言う時、私は2つの可能性を思い描きます。<br />  <br /> <strong>1.</strong>ひとつはD&DをとおしてゲームやRPG風の物語を楽しむ際に元ネタを思い出したりしやすいこと。なにしろRPGやいわゆるファンタジー風の世界の根っこのほうに位置しているので、『D&D』を知っていることで作中の魔法や武器やモンスターや職業にニヤリとできる場面は増えるかと思います。漫画もアニメも大人気の『葬送のフリーレン』にもそういう場面はあって、たとえば一級魔法使い試験編に登場するユーベルは、『D&D』のスペルキャスターのなかで言えばウィザードではなくソーサラーですよね。<br />  <br /> 察するに、ゲームやRPGやRPG風の作品を創っている人は『D&D』やその子孫たちのことをよく知っているのではないでしょうか。実際、2023年の<a href="https://jpbma.or.jp/column/column-317/">&#x5948;&#x9808;&#x304D;&#x306E;&#x3053;&#x3055;&#x3093;&#x306E;&#x30A4;&#x30F3;&#x30BF;&#x30D3;&#x30E5;&#x30FC;</a>にも「『D&D』をプレイしていた」という記述があったりしますし、web小説を読んでいても「この著者、『D&D』を思い出しながら書いてるな」と思える瞬間はしばしばあったりします。そういうことを知っていることでゲームや漫画やアニメや小説を楽しむ足しになる一面はあると思います。<br />  <br />  <br /> <strong>2.</strong>もうひとつは、会話や文中に直接登場する『D&D』についてのくだりを理解できることです。<br />  <br /> たとえば『万物の黎明』『ブルシット・ジョブ』などの書籍を記したグレーバーという学者は、著書のなかで『D&D』について熱く語っています<span style="font-size: 80%"><span style="color: #999999">(以下の引用文はそんなに真面目に読まなくてもいいと思います)</span></span>。</p> <blockquote> <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4753103439?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51gYkmWLTmL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則" title="官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4753103439?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C7%A5%F4%A5%A3%A5%C3%A5%C9%A1%A6%A5%B0%A5%EC%A1%BC%A5%D0%A1%BC" class="keyword">デヴィッド・グレーバー</a></li><li>以文社</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4753103439?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> 熱烈なファンいうところのD&D(ダンジョンズ&ドラゴンズの略称)は、あるレベルでは、想像しうるかぎりでもっとも自由な形式のゲームである。というのも、キャラクターたちは、ダンジョンマスターの創作した制約、すなわち、書物、地図、テーブル、そして、町、城、ダンジョンズ、そして自然領域などのようなプリセットされた空間の内部で、いさいの自由を許されているからである。多くの点で、それは実際にまったくアナーキーである。というのも、軍隊に命令をくだす古典的な戦争ゲームとは異なり、そこにみられるのは、アナキストが「アフィニティ・グループ」と呼ぶもの、すなわち、能力を補い合って(ファイター[戦士]、クレリック[僧侶、聖職者]、ウィザード[魔法使い]、ローグ[盗賊]などなど)共通の目的にむかって協働するが、はっきりとした命令の連鎖はない、個人からなる一団であるからである。それゆえ、社会的諸関係は非人格的な官僚制的ヒエラルキーとは真っ向から対立しているのだ。しかしながら、別の意味では、D&Dは、反官僚制的ファンタジーの究極の官僚制化を表現してもいる。そこには、あらゆるもののカタログがある。たとえば、さまざまなタイプのモンスターがいて(ストーンジャイアンツ、アイスジャイアンツ、ファイアジャイアンツ……)、詳細な一覧表であらわされたパワー(殺すことの困難度を示す)と、ヒットポイントの平均数をそなえている。そして、人間の能力のタイプ(筋力、知力、判断力、敏捷力、耐久力……)、さまざまな能力のレベルに応じて利用可能な呪術のリスト(マジックミサイル、ファイアーボール、パスウォール……)、神々やデーモンたちのタイプ、さまざまな種類の防具や武器の効力、モラル上の属性までも(ひとは、秩序にして中立でありうるし、混沌にして中立でもありうる。あるいは、中立にして善でもありうるし、中立にして悪でもありうる。これらを組み合わせて、九つの基本的な道徳的性格が生成する)が存在している。書物は中世の動物寓話集や魔術の書を彷彿させる。しかしそれらも大部分が統計からなっている。すべての重要な特性は数に還元されうるのである。<br /> 『官僚制のユートピア』P268-269</p> </blockquote> <p>グレーバー先生、熱くなりすぎて『D&D』を語っているのでしょうか。それとも自分の本を読んでくれる人なら『D&D』を知っているという前提で語っているのでしょうか。どちらにしても、『D&D』を知っていたほうが『官僚制のユートピア』のこのパートは読みやすいでしょう。<br />  <br />  <br /> 小説からも『D&D』に出会う瞬間をひとつ。<br /> 映画化された近未来SF小説『火星の人』には、水不足に悩む主人公が『D&D』の魔法「クリエイト・ウォーター」について思い出してグチグチ言う場面が登場します。</p> <blockquote> <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B09V53MNNK?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51+RdF574TL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="火星の人〔新版〕 上 (ハヤカワ文庫SF)" title="火星の人〔新版〕 上 (ハヤカワ文庫SF)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B09V53MNNK?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">火星の人〔新版〕 上 (ハヤカワ文庫SF)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%A2%A5%F3%A5%C7%A5%A3%20%A5%A6%A5%A3%A5%A2%A1%BC" class="keyword">アンディ ウィアー</a></li><li>早川書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B09V53MNNK?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B09V554SPR?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/5185RU3+MQL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="火星の人〔新版〕 下 (ハヤカワ文庫SF)" title="火星の人〔新版〕 下 (ハヤカワ文庫SF)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B09V554SPR?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">火星の人〔新版〕 下 (ハヤカワ文庫SF)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%A2%A5%F3%A5%C7%A5%A3%20%A5%A6%A5%A3%A5%A2%A1%BC" class="keyword">アンディ ウィアー</a></li><li>早川書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B09V554SPR?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> ぼくは高校時代、ずいぶんダンジョンズ&ドラゴンズをやった。(この植物学者/メカニカル・エンジニアがちょっとオタクの高校生だったとは思わなかったかもしれないが、じつはそうでした。)キャラクターはクレリックで、使える魔法のなかに"水をつくる"というのがあった。最初からずっとアホくさい魔法だと思っていたから、一度も使わなかった。あーあ、いま現実の人生でそれができるなら、なにをさしだしても惜しくはないのに。</p> </blockquote> <p> <br /> 『官僚制のユートピア』や『火星の人』は『D&D』のことを知らなくても読めないわけではありません。でも、知っていればニヤリとできるし、著者の伝えたいことがよりよくわかるでしょう。本や小説を読みやすくする・著者の主張の解像度を高めるという点でも、『D&D』が教養として機能する場面はあるように思います。<br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="今DDを知るプレイするのは大変だが"><span style="color: #d32f2f"><strong>今、『D&amp;D』を知る・プレイするのは大変だが</strong></span></h4> <p> <br /> いまどきのゲームや小説やアニメを観る際にも、それ以外に際しても教養として役立つかもしれない『D&D』ですが、どうやって『D&D』について知れば良いでしょうか。<br />  <br /> 残念ながら、『D&D』そのものをプレイするとなると、結構大変です(追記:やりやすくなっているとご指摘いただきました)。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B09DCCX5XQ?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/519-hqZjBaL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="D&amp;Dダンジョンズ&ドラゴンズ プレイヤーズハンドブック ルールブック" title="D&amp;Dダンジョンズ&ドラゴンズ プレイヤーズハンドブック ルールブック"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B09DCCX5XQ?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">D&amp;Dダンジョンズ&ドラゴンズ プレイヤーズハンドブック ルールブック</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li>ノーブランド品</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B09DCCX5XQ?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p><p> <br /> これは我が家にある『D&D』のプレイヤーズハンドブックですが、なかなか大判で分厚く、値段も安くありません。第3.5版、というバージョンが示すように『D&D』は繰り返しバージョンアップを遂げていて、その内容も微妙に違っています。……ということは、『D&D』を友達とプレイしようと思ったら、全員が同じバージョンの『D&D』を持っていて、知っていなければなりません<a href="#f-861dc79a" id="fn-861dc79a" name="fn-861dc79a" title="加えて「プレイヤー同士で集まらなければならない」という大きな問題がありますが、これはwebの普及によって緩和されました">*1</a>。そのうえ現行の『D&D』は20世紀のバージョンに比べてルールが厳格で、適当に遊んでみるにはあまり向いていません(注:いろいろな方からの情報によれば、最新のバージョンは適当に遊んでみるのに向いているのだそうです。情報をくださった方、ありがとうございました)。<br />  <br /> そのうえ『D&D』そのものについての知識やノウハウにアクセスしやすい時代は過ぎてしまいました。<br />  <br /> 1980~90年代にかけての日本では、『D&D』も含めたテーブルトークRPGが流行し、プレイしやすい環境ができあがっていました。田舎の小中学校ですら『D&D』を教わるチャンスがあったぐらいです。そうした流行のなかで、『D&D』についてのガイドブックや『D&D』に基づいて描かれたファンタジー小説なども目に留まりやすかったのでした。その例が、『D&Dがよくわかる本』<a href="#f-4d0a1eba" id="fn-4d0a1eba" name="fn-4d0a1eba" title="ちゃんと新しい版に合わせたバージョンが後日発売されていたことを今知りました">*2</a>や『アイテムコレクション』、『ドラゴンランス戦記』などです。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4829142189?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/61+j4dZnFaL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="D&amp;Dがよくわかる本―ダンジョンズ&amp;ドラゴンズ入門の書 (富士見ドラゴンブック 7-2)" title="D&amp;Dがよくわかる本―ダンジョンズ&amp;ドラゴンズ入門の書 (富士見ドラゴンブック 7-2)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4829142189?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">D&amp;Dがよくわかる本―ダンジョンズ&amp;ドラゴンズ入門の書 (富士見ドラゴンブック 7-2)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B9%F5%C5%C4%20%B9%AC%B9%B0" class="keyword">黒田 幸弘</a></li><li>KADOKAWA(富士見書房)</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4829142189?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B07KPWDBNJ?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51lDAeYla+L._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="アイテム・コレクション ―ファンタジーRPGの武器・装備― (富士見ドラゴンブック)" title="アイテム・コレクション ―ファンタジーRPGの武器・装備― (富士見ドラゴンブック)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B07KPWDBNJ?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">アイテム・コレクション ―ファンタジーRPGの武器・装備― (富士見ドラゴンブック)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B0%C2%C5%C4%20%B6%D1" class="keyword">安田 均</a>,<a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B0%A5%EB%A1%BC%A5%D7%A3%D3%A3%CE%A3%C5" class="keyword">グループSNE</a></li><li>KADOKAWA</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B07KPWDBNJ?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B01LTIBKPA?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/61pI-0E6tXL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="ドラゴンランス 全6冊セット" title="ドラゴンランス 全6冊セット"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B01LTIBKPA?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">ドラゴンランス 全6冊セット</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%DE%A1%BC%A5%AC%A5%EC%A5%C3%A5%C8%A1%A6%A5%EF%A5%A4%A5%B9" class="keyword">マーガレット・ワイス</a>,<a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C8%A5%EC%A5%A4%A5%B7%A1%BC%A1%A6%A5%D2%A5%C3%A5%AF%A5%DE%A5%F3" class="keyword">トレイシー・ヒックマン</a></li><li>アスキー</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B01LTIBKPA?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br /> 『D&D』に関連したガイドブックや物語は『D&D』本体よりもずっと安価だったので、直接プレイする前に雰囲気をイメージするには最適でした。ですが、テーブルトークRPGの盛期を過ぎた今では、『D&D』そのものにアクセスしたくなる機会は当時に比べて少ないでしょう。<br />  <br /> 『D&D』の血が流れる子孫たちが大繁栄している一方で、源流に位置する『D&D』そのものを体験するためには、ちょっと頑張らなければならない時代なのだと私は考えています。<br />  <br /> そのかわりと言ってはなんですが、『D&D』の血潮を感じられる作品へのアクセスは悪くない、といえます。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0C5CKPGH1?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51l8cHLtsrL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="ダンジョンズ&amp;ドラゴンズ/アウトローたちの誇り 4K Ultra HD+ブルーレイ[4K ULTRA HD + Blu-ray]" title="ダンジョンズ&amp;ドラゴンズ/アウトローたちの誇り 4K Ultra HD+ブルーレイ[4K ULTRA HD + Blu-ray]"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0C5CKPGH1?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">ダンジョンズ&amp;ドラゴンズ/アウトローたちの誇り 4K Ultra HD+ブルーレイ[4K ULTRA HD + Blu-ray]</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li>クリス・パイン</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0C5CKPGH1?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br /> そうしたなかで一番お勧めなのは、なんといっても『ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り』です。誰が見ても楽しめるように作られているし、それでいて剣と魔法と知恵と勇気と正義と小悪党と大悪党が活躍する『D&D』の世界にとても忠実です。<br />  <br /> 完全には『D&D』に忠実でなく、固有の要素を含んでいることを承知なら、『ダンジョン飯』だって悪くないと思います。『ダンジョン飯』は『D&D』の直系子孫である『ウィザードリィ』っぽさも濃厚な作品で、どこまで『D&D』っぽくてでどこから『ウィザードリィ』っぽいか判断に迷う感じですが、その『ウィザードリィ』自体がもともと『D&D』の血が濃いので、あるていど参考にはなると思います。『ダンジョン飯』の世界観が気に入った人が『アウトローたちの誇り』を見れば、なんらか、『D&D』について掴めるものがあるんじゃないでしょうか。<br />  <br /> 『D&D』を「教養として履修しなければならない」なんてことは決してありませんが、触れておくと色々と理解がはかどったり他作品が一層楽しめたりすることはきっとあると思うので、『ダンジョン飯』が楽しかった人には『アウトローたちの誇り』をご覧になっていただきたいし、『D&D』のことも記憶にとどめて欲しい、と思ったりするのでこれを書きました。<br />  <br />  </p> </div><div class="footnote"> <p class="footnote"><a href="#fn-861dc79a" id="f-861dc79a" name="f-861dc79a" class="footnote-number">*1</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">加えて「プレイヤー同士で集まらなければならない」という大きな問題がありますが、これはwebの普及によって緩和されました</span></p> <p class="footnote"><a href="#fn-4d0a1eba" id="f-4d0a1eba" name="f-4d0a1eba" class="footnote-number">*2</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">ちゃんと新しい版に合わせたバージョンが後日発売されていたことを今知りました</span></p> </div> p_shirokuma 『人間はどこまで家畜か:現代人の精神構造』が出版されます hatenablog://entry/6801883189067093549 2024-01-31T23:02:39+09:00 2024-02-01T15:40:32+09:00 人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)作者:熊代 亨早川書房Amazon 先日、大和書房さんから『「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド』が発売されたばかりですが、今度は早川書房さんから『 人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)』という書籍を発売していただくことになりました。 私がつくる書籍には2つのタイプがあって、ひとつは、現代人が心理的にも社会的にもうまく適応していくためのメソッドに重心を置いたもので、1月に発売された『「推し」で心はみたされる?』はその典型です。もうひとつは、現代社会という巨大なシステムがどんな構造や歴史的経緯か… <p> <br />  <br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/415340019X?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41-3pYjfhLL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)" title="人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/415340019X?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B7%A7%C2%E5%20%B5%FC" class="keyword">熊代 亨</a></li><li>早川書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/415340019X?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br />  <br /> 先日、大和書房さんから『<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4479394192?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1">「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド</a>』が発売されたばかりですが、今度は早川書房さんから『<br /> <a href="https://www.amazon.co.jp/dp/415340019X?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1">人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)</a>』という書籍を発売していただくことになりました。<br />  <br /> 私がつくる書籍には2つのタイプがあって、ひとつは、現代人が心理的にも社会的にもうまく適応していくためのメソッドに重心を置いたもので、1月に発売された『「推し」で心はみたされる?』はその典型です。もうひとつは、現代社会という巨大なシステムがどんな構造や歴史的経緯から成り立っていて、私たちにどんな課題が課せられ、どういった現代特有の生きづらさを生み出しているのかを考えるタイプの書籍で、2月21日発売予定の『人間はどこまで家畜か』は後者のタイプにあたります。<br />  <br /> 同じような書籍として、2020年にイーストプレスさんから『<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/478161888X?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1">健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて</a>』を出版していただき、ありがたいことに現在まで続くロングセラーとなりました。しかしながら、私としては幾つかの点で書き足りない部分があったと自覚していました。というのも、『健康的で清潔で、道徳的な~』は現状の記述と考察にとどまり、未来についての考察が欠けていたように思われるからです。それから同書には生物学的知見にまつわる記述が不足していました。<br />  <br /> 今回はそうではありません。<br /> 進化生物学で語られるところの「家畜化症候群」、さらに、進化の過程で犬やネコや人間に起こってきたとされる「自己家畜化」という進化生物学上のトピックをキーワードに、加速しつづける社会と加速しきれない私たち自身の生物学的なメカニズムについてまとめたいと思い、かねがね準備してきました。準備が可能になったのは2010年代に相次いで翻訳された自己家畜化についての書籍たちのおかげだったり、スティーブン・ピンカーやジョセフ・ヘンリックといった進化心理学のビッグネームのおかげだったりします。それと、私の関心領域が雑食的だからってのもあるでしょう。私よりも精神医学・進化心理学・人文社会科学のそれぞれに詳しい人間は幾らでもいるでしょうが、それら三つの全部に私と同じぐらい愛情を傾けている人は日本にはあまりいないように思います。こういっては何ですが、『人間はどこまで家畜か』のような書籍を書ける人間は日本には私以外にいないのではないでしょうか。<br />  <br /> 私は精神医療の現場をとおして、加速しつづける社会についていけなくなっている人、不適応を呈している人にたくさん出会ってきました。そうした今どきの不適応として発達障害(神経発達症)を連想する人も多いでしょうけど、実際にはそれだけではないですよね? たとえば種々の不安症などもそうで、地下鉄にどうしても乗れない・大勢の人がいる場所で動悸がしてしまう等々は東京のような都市空間で生活するうえでハンディだと言えます。ですが、こうした症状が精神疾患として問題視されなければならないのは、当人の生物学的な性質のためだけでなく、地下鉄が張り巡らされたり大勢の人が集まったりしている現代の都市空間、現代の文化や環境がこのようにできあがっているためでもあります。<br />  <br /> 2024年現在、その文化や環境は今もなお変わり続けています──もっと能率的な方向へ・もっと生産的な方向へ・もっとホワイトでコンプライアンスにかなった方向へ。資本主義や個人主義や社会契約や功利主義に妥当する方向に変わり続けている、とも言えるでしょう。この本の前半では、人間が進化の過程でみずから起こしてきた自己家畜化という(生物学的な)変化・進化について解説しますし、それこそが人間を地球の覇者たらしめた生物学的な鍵ではあるでしょう。とはいえ、自己家畜化を遂げた人間といえども、誰もが・どんな文化や環境にも適応できるわけではありません。文化や環境の変化がもっともっと加速していくとしたら、より多くの・より新しい不適応が私たちを待ち受け、将来の私たちを疎外するのではないでしょうか。<br />  <br /> 過去に起こった自己家畜化という生物学的な進化と、ますます加速していく文化や環境を見比べた時、どんな未来が見えてくるでしょうか。そのうえで私たちは、どんな未来を歓迎すべきでどんな未来を回避すべきでしょうか?<br />  <br /> もとより簡単に結論の出せる問題ではありません。しかしまずは現状をよく認識したうえで未来について考え、語ってみなければ始まりません。そうした議論のたたき台になる本を作りたいと願って私はこの本を作りました。以下に、各章のタイトルを紹介します。<br />  <br />  <br /> <strong>はじめに</strong><br /> <strong>序章</strong>:動物としての人間<br /> <strong>第一章</strong>:自己家畜化とは何か──進化生物学の最前線<br /> <strong>第二章</strong>:私たちはいつまで野蛮で、いつから文明的なのか──自己家畜化の歴史<br /> <strong>第三章</strong>:内面化される家畜精神──人生はコスパか?<br /> <strong>第四章</strong>:「家畜」になれない者たち<br /> <strong>第五章</strong>:これからの生、これからの家畜人<br /> <strong>あとがき</strong>──人間の未来を思う、未来を取り戻す<br /> <span style="color: #999999">※最新の情報に貼り換えました</span><br />  <br />  <br /> 最後に。この本の優劣や可否についてはお読みになった方が決めることで、私は何とも言えません。ですがこの本の参考文献として登場する進化生物学・進化心理学・精神医学・社会学・歴史学・倫理学etcの書籍はどれもエキサイティングで、読むに値するものだったと思っています。この本は新書、それもハヤカワ新書というフォーマットから発売されるわけですから、より詳しい書籍に読者の方を案内するのも役割の一部だと私は考えています。この本をお読みになった方が、進化生物学や進化心理学や精神医学、さらに社会学や歴史学をはじめとする人文社会科学領域に興味を持ってくださったらなお嬉しいです。そのうえで是非、未来についてのあなたの意見、あなたの展望を語ってみていただけたらと願います。<br />  <br />  </p> p_shirokuma 私にとって、オタクやキャラクター消費の話は社会の話なんです hatenablog://entry/6801883189077930610 2024-01-25T19:18:42+09:00 2024-01-25T22:30:49+09:00 cider_kondoのブックマーク / 2024年1月23日 - はてなブックマーク シロクマ先生、今ホッテントリってる意地悪婆さん話もそうだけど、こういう本業と社会の変化踏まえた考察の方が(よく書いてる迷走してるオタク論みたいなのより)圧倒的に面白いよな… こんにちは、はてなブックマークユーザーのcider_kondoさん。熊代です。先日のブログ記事に上掲コメントをくださりありがとうございました。これに関して、cider_kondoさん個人に返信したいと思います。 長く相互認識している人でなければ返信は難しい 少しだけ前置きを。 私は現在、ブログ側からはてなブックマークに返信するのは難しい… <p> <br />  </p> <blockquote> <p><a href="https://b.hatena.ne.jp/cider_kondo/20240123#bookmark-4748225766837987375">cider_kondo&#x306E;&#x30D6;&#x30C3;&#x30AF;&#x30DE;&#x30FC;&#x30AF; / 2024&#x5E74;1&#x6708;23&#x65E5; - &#x306F;&#x3066;&#x306A;&#x30D6;&#x30C3;&#x30AF;&#x30DE;&#x30FC;&#x30AF;</a><br /> シロクマ先生、今ホッテントリってる意地悪婆さん話もそうだけど、こういう本業と社会の変化踏まえた考察の方が(よく書いてる迷走してるオタク論みたいなのより)圧倒的に面白いよな…</p> </blockquote> <p> <br /> こんにちは、はてなブックマークユーザーのcider_kondoさん。熊代です。<a href="https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20240122/1705931378">&#x5148;&#x65E5;&#x306E;&#x30D6;&#x30ED;&#x30B0;&#x8A18;&#x4E8B;</a>に上掲コメントをくださりありがとうございました。これに関して、cider_kondoさん個人に返信したいと思います。<br />  <br />  </p> <div class="section"> <h4 id="長く相互認識している人でなければ返信は難しい"><span style="color: #d32f2f"><strong>長く相互認識している人でなければ返信は難しい</strong></span></h4> <p> <br /> 少しだけ前置きを。<br /> 私は現在、ブログ側からはてなブックマークに返信するのは難しい、と感じています。00年代の頃は見知らぬはてなブックマークユーザーに返信するのも気軽で、ブロガーがそうしている様子をしばしば見かけたものです。しかしはてなブックマークを中心としたコミュニティが希薄化し、その後色々な出来事もあったために、ブログ側からはてなブックマークに返信することは少なくなりました。ブロガー同士でもです。<br />  <br /> でも、cider_kondoさんはしばしば私のブログを読んでくださっているし、タイトルしか読めない人やタイトルすら読めない人からは遠いとも思うので返信してみます。「これは、返信という体裁をとったモノローグだ!」とご指摘されたら、にべもありませんが。<br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="オタクの話は社会の話と繋がっている私のなかでは"><span style="color: #d32f2f"><strong>オタクの話は社会の話と繋がっている。私のなかでは。</strong></span></h4> <p> <br /> さて、cider_kondoさんは「よく書いている迷走したオタク論よりも、精神医療と社会の変化についての考察のほうが面白い」と書いてらっしゃいました。<br />  <br /> 私はこれを読み、自分自身の至らなさを思いました。cider_kondoさんがこのように評しておられるならば、事実の一端を示しているのは間違いないでしょう。<br />  <br /> ひとつ。私がオタクやその周辺について書いたものが面白くないとしたら、至らないですね。私自身にとって面白いこと・私自身が興味を持って眺めていることが、面白いこととしてちゃんとした読者にも伝わっていないのです。それはブロガーとして慚愧のきわみです。<br />  <br /> ふたつ。私がオタクやその周辺について書いたものが、継続的に読んでくださる方にも迷走してみえるとしたら、至らないですね。私のなかではオタクについて、特にオタクのキャラクター消費については一貫した見方があります。<a href="https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20231218/1702900800">&#x30D5;&#x30EA;&#x30FC;&#x30EC;&#x30F3;&#x306E;&#x8A71;</a>も、<a href="https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20110516/p1">&#x6E6F;&#x6C34;&#x306E;&#x3088;&#x3046;&#x306B;&#x6D88;&#x8CBB;&#x3055;&#x308C;&#x308B;&#x30AD;&#x30E3;&#x30E9;&#x30AF;&#x30BF;&#x30FC;</a>の話も、<a href="https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20110704/p1">&#x300C;&#x795E;&#x69D8;&#x3068;&#x3057;&#x3066;&#x306E;&#x521D;&#x97F3;&#x30DF;&#x30AF;&#x300D;</a>の話もベースは同じで、自分では頑なだと思っていました。となると、私はもっと工夫し、努力すべきだと思いました。<br />  <br /> みっつ。私がオタクやキャラクター消費について書く時、たいていは精神分析と社会の変化といった目線を含んでいるつもりでした。私がオタクについて論じる時、頻繁に脳裏をよぎるのは以下の書籍たちの内容です。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B009I7KP7Y?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51m8OgRVlrS._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)" title="動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B009I7KP7Y?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%C5%EC%B9%C0%B5%AA" class="keyword">東浩紀</a></li><li>講談社</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B009I7KP7Y?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B087G4G3XQ?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51+bfpjkrjL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="消費社会の神話と構造 新装版" title="消費社会の神話と構造 新装版"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B087G4G3XQ?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">消費社会の神話と構造 新装版</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B8%A5%E3%A5%F3%A1%A6%A5%DC%A1%BC%A5%C9%A5%EA%A5%E4%A1%BC%A5%EB" class="keyword">ジャン・ボードリヤール</a></li><li>紀伊國屋書店</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B087G4G3XQ?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4622041022?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41sw3Miv1zL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="自己の修復" title="自己の修復"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4622041022?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">自己の修復</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%CF%A5%A4%A5%F3%A5%C4%A1%A6%A5%B3%A5%D5%A1%BC%A5%C8" class="keyword">ハインツ・コフート</a></li><li>みすず書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4622041022?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br /> 特に重要なのがH.コフート『自己の修復』ですね。より正確には『自己の分析』『自己の治癒』も含むコフートの自己心理学三部作です。二次元でも三次元でも、遠くのインフルエンサーでも近くの先輩や後輩でも、向社会的な心理的欲求とその充足<a href="#f-af255efe" id="fn-af255efe" name="fn-af255efe" title="や、そこについてまわるトラブルや防衛機制">*1</a>について、私はコフート三部作に基づいて考えています。これを下部構造として、ポスト構造主義的ないろいろが乗っかってあれこれを考えているわけです<a href="#f-b48a2f7d" id="fn-b48a2f7d" name="fn-b48a2f7d" title="それはそれとして、私は個別のゲームやアニメについて感想を書いていることがあります。が、それらがどう映るのかはここでは問いません">*2</a>。<br />  <br /> フロイトやその弟子筋の自我心理学の述べてきた事々と比較して、コフートが創始した自己心理学・およびそのナルシシズム論は、核家族化が進行し一人世帯が増えた社会によくフィットしていると私は考えています。自己心理学は、統合失調症や双極症など明確な精神疾患を紐解くものではありません。コフートは自己愛パーソナリティ(障害)からスタートして、やがて、20世紀後半以降のありふれた個人のありふれた心理的欲求とその充足を取り扱えるナルシシズム論へと転向しました。大筋として彼は、ナルシシズムの否定でなく、ナルシシズムのメカニズムとナルシシズムの成長可能性について記しています。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4622019086?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51JbHo3UmaL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="孤独な群衆" title="孤独な群衆"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4622019086?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">孤独な群衆</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C7%A5%A4%A5%F4%A5%A3%A5%C3%A5%C9%20%A5%EA%A1%BC%A5%B9%A5%DE%A5%F3" class="keyword">デイヴィッド リースマン</a></li><li>みすず書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4622019086?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br /> リースマン『孤独な群衆』でいえば、フロイト時代に相当する「内部志向型人間」の次である「他人志向型人間」の心理的欲求とその充足にしっくり来るのがコフート(とその自己心理学)、といえばイメージが伝わるでしょうか。<br />  <br /> そしてコフートの理論立ては、心理的欲求とその充足に際して、友達や師匠や恋人といった他者が実際にどうであるかよりも、その人自身にとってどのように体験されているのかを重視しています。ナルシシズムをみたしてくれる対象を「自己対象」と呼び、ナルシシズムがみたされた体験を「自己対象体験」とわざわざ呼ぶのもその反映です。自己対象の論立ては人間だけでなく、「萌え」や「推し」の対象であるキャラクターにも適用できます<a href="#f-76c47881" id="fn-76c47881" name="fn-76c47881" title="自己対象という語彙も、人間に絞っていないことを念頭に置いた語彙ですね">*3</a>。私が「萌え」や「推し」について語っている時は、必ずといって良いほど背景にはコフートの論立てがあり、その人自身にとってキャラクターがどのように体験されているか、ひいてはどのような心理的欲求のニーズに基づいて、どのように欲求充足が行われているのか(または欲求充足がうまくいかなかったのか)を念頭に置いてしゃべっています。<br />  <br /> ただし私は、そのコフートと自己心理学も絶対的なものでなく、相対的なものだとみなしています。たとえば、さきほど挙げた『孤独な群衆』でいう「内部志向型人間」の時代にはコフート三部作はあまり有効ではなく、フロイトのほうがしっくり来るのではないでしょうか。狩猟採集社会にもコフート三部作は不向きでしょう。<br />  <br /> 私は精神分析諸派がわりと好きですが、ひとつの精神分析モデルを絶対視するより、時代や社会によって相対化され得るモデルとみるのが好きです。そうしたわけで、私がコフートに基づいて「萌え」や「推し」について考える際にも「でも、これって核家族化や一人世帯化の進んだ社会の話ですよね?」というリミテーションをいつもくっつけています。そういうリミテーションの話も本当はもっとしたいですが、まだできていません。その話は21世紀後半の社会状況に見合った精神分析モデルがどんなものなのか、考えることにも通じているでしょう。<br />  <br /> ですから、私の視界のなかでは、精神分析のいずれかに依拠して何かを語ることは社会や時代を語ることと常時接続しています。オタクや、オタクの嗜好するキャラクターたちについて語るのも、社会を語ることの一端です。『涼宮ハルヒの憂鬱』の長門有希萌えについて考えるのも、『バカとテストと召喚獣』の秀吉について考えるのも、その一端でした。が、cider_kondoさんにはそれが伝わっていない。他の読者ならいざ知らず、継続的に読んでくださるcider_kondoさんに。これはcider_kondoさんの問題でなくブロガーとしての私の問題でしょう。今更何かを変えようと思っても手遅れかもしれませんが、微力を尽くしたいと思いました。<br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="自分に見えている世界を愚直に書いていくしかない"><span style="color: #d32f2f"><strong>自分に見えている世界を、愚直に書いていくしかない</strong></span></h4> <p> <br /> 私に限らずですが、ブログや書籍が複数名の目に触れる時、賛否があるのは当然です。最も成功した記事や論説やレビューでさえ、2割ぐらいは否定的なコメントがつくでしょう。<br />  <br /> そのことを踏まえて、何を題材に・どのように書くか? スタンスやポリシーは書き手によってさまざまです。なるべく否定的なコメントがつかないよう書こうとする人もいれば、なるべくアテンションをかき集められるように書く人もいるでしょう。 <br />  <br /> 私の場合は、自分が見えている世界を愚直に書いていくしかないと思っています。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/415340019X?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/01MKUOLsA5L._SL500_.gif" class="hatena-asin-detail-image" alt="人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)" title="人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/415340019X?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B7%A7%C2%E5%20%B5%FC" class="keyword">熊代 亨</a></li><li>早川書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/415340019X?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br /> 2月21日にハヤカワ新書としてリリースされる(と予想される)『人間はどこまで家畜か:現代人の精神構造』は、私が望遠レンズで世界をみた場合の話をしていて、望遠距離は、ホモ・サピエンス以前から22世紀ぐらいを想定しています(まだ書影も出ていないので、あまり細かいことは今は書けません)。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CSJW8LJC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51VUdpXqMhL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="「推し」で心はみたされる?~21世紀の心理的充足のトレンド" title="「推し」で心はみたされる?~21世紀の心理的充足のトレンド"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CSJW8LJC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">「推し」で心はみたされる?~21世紀の心理的充足のトレンド</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B7%A7%C2%E5%B5%FC" class="keyword">熊代亨</a></li><li>大和書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CSJW8LJC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br /> 他方、1月20日にリリースされた『「推し」で心はみたされる?』は、もっと手前のレンズで世界をみた話です。時代は20世紀末~2020年代に限られ、「推し」を出発点として現代人の社会適応と心理的充足のトレンドに話が向かっていく本です。『人間はどこまで家畜か』ほどのスケール感はありませんが、これはこれで私が見た世界・私が見ている世界に違いありません。<br />  <br /> 冒頭で引用したcider_kondoさんのコメントは、読みようによっては「オタクのことなんて書いてないで本業と社会の変化について書いたほうが良いよ」というサジェスチョンにもみえます。が、ここまでお読みになればわかるとおり、私は自分が見た世界・見ている世界を愚直に書いていくしかありません。そして私はアニメやゲームが好きであると同時に、アニメやゲームが好きな人々の動向にも関心があるので、そちらも見つめ続け、書き続けるでしょう。<br />  <br /> 私のなかでは現代のキャラクター消費と現代のコミュニケーションの様態は近しく感じられていて、とりもなおさず、それは現代の心理的充足やナルシシズムの様態とも結びついたものです。アニメやゲームのキャラクター消費や市場淘汰のありさまは、(ある程度までは市場規模の拡大による生産者と消費者の多様化による影響などで説明できるとしても)、ある程度からは現代人のキャラクター観、ひいては人間観やコミュニケーション観と繋がりのある現象だと思います。それはそれで、私にとって追いかけ甲斐のある世界の姿、娑婆世界の様相なんです。<br />  <br /> <a href="http://blog.hatena.ne.jp/cider_kondo/">id:cider_kondo</a> さんへの返信と称しながら、けっきょく「私はこんな風に世界をみていて面白がっています」の話に落着してしまいました。ああ、私ってこんなやつなんだな、とも思いました。反省はあまりしません。ブロガーって多かれ少なかれこういう生き物だったはずですから。cider_kondoさんからご評価いただける文章も、迷走しているとご指摘いただきそうな文章も、これからも真っすぐ書き続けていこうと思います。ではまた、インターネットの片隅にて。<br />  <br />  </p> </div><div class="footnote"> <p class="footnote"><a href="#fn-af255efe" id="f-af255efe" name="f-af255efe" class="footnote-number">*1</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">や、そこについてまわるトラブルや防衛機制</span></p> <p class="footnote"><a href="#fn-b48a2f7d" id="f-b48a2f7d" name="f-b48a2f7d" class="footnote-number">*2</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">それはそれとして、私は個別のゲームやアニメについて感想を書いていることがあります。が、それらがどう映るのかはここでは問いません</span></p> <p class="footnote"><a href="#fn-76c47881" id="f-76c47881" name="f-76c47881" class="footnote-number">*3</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">自己対象という語彙も、人間に絞っていないことを念頭に置いた語彙ですね</span></p> </div> p_shirokuma 黄金頭さんへ(ベンゾジアゼピン系薬物についての返信) hatenablog://entry/6801883189076081224 2024-01-22T22:49:38+09:00 2024-01-23T10:29:26+09:00 こんにちは、黄金頭さん。熊代です。 今日はいくらか精神科医っぽいスタンスで返信させていただけたら思います。 1月17日のbooks&appsの寄稿記事、興味深く拝読しました。 不安になったら薬を飲め | Books&Appsはてなブックマーク- 不安になったら薬を飲め | Books&Apps 物心ついた頃から社交不安症に当てはまっていそうだったこと、それがベンゾジアゼピン系抗不安薬によって改善したこと等について、黄金頭さんらしい文体で綴られていると感じました。また、後半では最近のベンゾジアゼピン系薬剤への警鐘がいったい何なのか・実際には処方されているのではないか、といった疑問も綴られていまし… <p> <br /> こんにちは、黄金頭さん。熊代です。<br /> 今日はいくらか精神科医っぽいスタンスで返信させていただけたら思います。<br /> 1月17日のbooks&appsの寄稿記事、興味深く拝読しました。<br />  <br /> <iframe marginwidth="0" marginheight="0" src="https://b.hatena.ne.jp/entry.parts?url=https%3A%2F%2Fblog.tinect.jp%2F%3Fp%3D84982" scrolling="no" frameborder="0" height="230" width="500"><div class="hatena-bookmark-detail-info"><a href="https://blog.tinect.jp/?p=84982">不安になったら薬を飲め | Books&amp;Apps</a><a href="https://b.hatena.ne.jp/entry/https%3A%2F%2Fblog.tinect.jp%2F%3Fp%3D84982">はてなブックマーク- 不安になったら薬を飲め | Books&amp;Apps</a></div></iframe><br />  <br /> 物心ついた頃から社交不安症に当てはまっていそうだったこと、それがベンゾジアゼピン系抗不安薬によって改善したこと等について、黄金頭さんらしい文体で綴られていると感じました。また、後半では最近のベンゾジアゼピン系薬剤への警鐘がいったい何なのか・実際には処方されているのではないか、といった疑問も綴られていました。以前にお書きになっていた「<a href="https://goldhead.hatenablog.com/entry/2023/11/15/173257">&#x7D50;&#x5C40;&#x3001;&#x30D9;&#x30F3;&#x30BE;&#x30B8;&#x30A2;&#x30BC;&#x30D4;&#x30F3;&#x3063;&#x3066;&#x9577;&#x671F;&#x7684;&#x306B;&#x98F2;&#x3093;&#x3067;&#x3044;&#x3044;&#x306E;&#xFF1F;</a>」を念頭に置きながら、私の考えていることを返信してみます。<br />  <br />  </p> <div class="section"> <h4 id="現代の学会や精神医学のガイドラインはベンゾジアゼピンの長期投与に否定的"><span style="color: #d32f2f"><strong>現代の学会や精神医学のガイドラインはベンゾジアゼピンの長期投与に否定的</strong></span></h4> <p> <br />  <br /> はじめに、ベンゾジアゼピン系抗不安薬の使用について、標準的な治療ガイドラインが何を言っているか確認してみましょう。手許にあるモーズレイ処方ガイドラインは13版。ですが、14版でも大きくは違わないはずです。<br />  </p> <blockquote> <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4939028887?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41KSbO0PtEL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="モーズレイ処方ガイドライン第14版日本語版" title="モーズレイ処方ガイドライン第14版日本語版"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4939028887?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">モーズレイ処方ガイドライン第14版日本語版</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/David%20M.%20Taylor" class="keyword">David M. Taylor</a>,<a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/Thomas%20R.%20E.%20Barnes" class="keyword">Thomas R. E. Barnes</a>,<a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/Allan%20H.%20Young" class="keyword">Allan H. Young</a></li><li>ワイリー・パブリッシング・ジャパン株式会社</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4939028887?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br /> ベンゾジアゼピン系薬剤は、急性の不安症状を速やかに改善する。あらゆるガイドラインやコンセンサス文書では、症状が重度で機能障害が生じており、苦痛が極めて強い不安に限ってベンゾジアゼピンを使用することを推奨している。身体依存性や離脱症状の可能性があるので、これらの薬剤は中期的/長期的な治療戦略を実行するまでの間、可能な限り短期間で(最長4週間)、最小有効用量のみ使用すべきである。多くの患者では、ベンゾジアゼピンの使用を最小限にすることが賢明であり、これは遵守すべきである。不安症状による機能障害が強いごく一部の患者ではベンゾジアゼピンの長期投与が有効であり、ベンゾジアゼピン治療を否定すべきではない。しかし、ベンゾジアゼピンは不安やうつ病に対して、より適切な治療の代わりに、長期的に過剰に処方される傾向があることが知られている。 『モーズレイ処方ガイドライン 第13版 日本語版』P312-319</p> </blockquote> <p>ベンゾジアゼピン系の薬剤は不安をすみやかに改善する。でも、身体依存や離脱症状の可能性がある。なるべく早めにやめましょう、とあります。社交不安症の場合も、ベンゾジアゼピン系の薬剤は治療の初期段階や頓服としては今でも重要ですが、利用可能な脳内セロトニンを増やしてくれる抗うつ薬の一種・SSRIなどによる治療が普及し、その必要性は下がっていきます。ただし、SSRIが効果を発揮するには二週間以上かかるため、それまでの間に合わせ的として速効性のあるベンゾジアゼピン系の薬剤を処方するドクターは、割といるようには思います。<br />  <br /> モーズレイ処方ガイドラインよりマイナーですが、<a href="https://www.jsnp-org.jp/news/img/20210510.pdf">&#x793E;&#x4EA4;&#x4E0D;&#x5B89;&#x75C7;&#x306E;&#x65E5;&#x672C;&#x795E;&#x7D4C;&#x7CBE;&#x795E;&#x85AC;&#x7406;&#x5B66;&#x4F1A;&#x306E;&#x30AC;&#x30A4;&#x30C9;&#x30E9;&#x30A4;&#x30F3;</a>を見ても、第一選択の薬にはベンゾジアゼピンはなくSSRI、それからノルアドレナリン系に働きかけるSNRIという薬がおすすめされています。<br />  <br /> ではなぜ、不安をすみやかに改善してくれるベンゾジアゼピン系の薬剤は「ずっと・いくらでも処方してかまわないとはみなされてない」のでしょう?<br />  <br /> 上掲のガイドラインには、身体依存や離脱症状といった言葉も並んでいます。実際、ベンゾジアゼピン系薬物を日常的に飲んでいる人がいきなりやめると、俗にいう「禁断症状」、かなり辛い症状がやってきます。たとえば不安・緊張・発汗・動悸・不眠・抑うつなどが出現するのはよくあることです。大量かつ長期に飲んでいた人の場合、せん妄<a href="#f-5a789148" id="fn-5a789148" name="fn-5a789148" title="実質的には意識障害ですね。危険だと思っておいてください">*1</a>やけいれん発作を起こしてしまうことさえあり、そうした患者さんは精神科医にとってそれほど珍しくありません。<br />  <br /> これらは気合や根性でどうにかできるものではなく、ベンゾジアゼピンの連続使用によって身体がそのようになってしまった、と考えるべきものです。普段はそれでもいいかもしれませんが、災害で薬をなくしてしまった場合や見知らぬ土地で交通事故に遭って緊急入院した場合、これが大変な厄介事を招くことがあります。<br />  <br /> ベンゾジアゼピン系薬物でもうひとつ挙げられがちなのが健忘。「記憶が飛ぶ」ってやつですね。用法・用量をオーバーした服薬やアルコールとの併用では「記憶が飛ぶ」が可能性がかなりあります。それどころか、一部のベンゾジアゼピン系睡眠薬とその類似薬<a href="#f-e5d6c0c7" id="fn-e5d6c0c7" name="fn-e5d6c0c7" title="ここでは、たとえばゾルピデムのようなZドラッグを類似薬として想定しています">*2</a>では通常の用量で記憶が飛んでしまうことさえ、たまにあります。私は、記憶が飛んでしまうのは大変な問題だと思うので、こうした懸念のあるベンゾジアゼピン系睡眠薬とその系列を処方する時には「記憶が飛ぶリスク」について説明しますし、服薬後、そうしたトラブルが起こらなかったか質問もします。アルコールと一緒の場合や高齢の場合はとりわけリスキーだと念も押すでしょう。記憶が飛んでいる時間帯に何かあったら、それは身体的にも社会的にも大きな問題です。<br />  <br /> もうひとつ、メジャーな副作用として気にかけておきたいのが「眠気」や「注意力の低下」です。ベンゾジアゼピン系の睡眠薬が存在しているぐらいですから、基本、ベンゾジアゼピン系薬物は眠気や注意力の低下をもたらしがちで、抗不安薬も例外ではありません。そもそも不安をやわらげリラックスする方向に作用する薬なわけですから、何かに集中するのに向いているはずがありません。ベンゾジアゼピン系薬剤をたくさん飲んだ状態で自動車を運転をしたらどうなるでしょう?<br />  <br /> 当然、交通事故のリスクが高まります。ベンゾジアゼピン系薬剤の添付文書にはその危険性が明記されています。その一方で、地方の精神科病院やメンタルクリニックには、自動車を運転して来院するベンゾジアゼピン系薬物の処方されている患者さんもいます。現実にはまかり通っていることではありますが、これって本当はよろしくないことではないでしょうか。<br />  <br /> 実地では、どうしてもベンゾジアゼピン系の薬を飲まなければならないドライバーの患者さんにはリスクをよく説明し、運転に注意するよう心掛けてもらうようにしています。加えて、薬剤を減らす努力<a href="#f-1b2bdb36" id="fn-1b2bdb36" name="fn-1b2bdb36" title="さきほど書いたとおり、これは離脱や依存の問題と多かれ少なかれ向き合わなければならないものです">*3</a>・代替する努力を促さなければならないでしょう。そして就寝前にベンゾジアゼピン系睡眠薬を内服した後などは、必ず運転を控えていただくこと。睡眠やリラックスの効果をあてこんで、夕食後~就寝前にベンゾジアゼピン系薬剤が集中的に配置されている患者さんはたくさんいらっしゃいます。そういう患者さんには、服薬後の運転はとりわけ危険で、朝の眠たい時間もまだまだ危険であることを必ず打ち合わせておきます。そうしたおかげか、私の臨床人生ではベンゾジアゼピン系薬物を飲んでいて大事故を起こした患者さんはまだいません。でも、「駐車場で車のバンパーをこすってしまった」ぐらいの小事故が起こるリスクはかなり現実的だと思っています。<br />  <br /> 厄介なことに、ベンゾジアゼピン系薬物を飲んでいるうちに耐性ができてしまうこともあります。俗っぽく言えば「だんだん効き目がなくなってきた」感じでしょうか。はじめは一日1㎎で十分だった効果が、飲み続けているうちに2mgでも足りないよう感じられる……といったことがベンゾジアゼピン系薬剤では起こりがちです。効き目を追求してどんどん用量が増えてしまうと、ここまで述べてきた問題点やリスクもどんどん高まります。「効果が足りないからもっと用量を増やしてほしい」という患者さんの言葉に対してイエスマンになるのは危険です。<br />  <br /> それから、私個人としてはベンゾジアゼピン系薬剤がもたらす弊害として「衝動にブレーキをかけづらくなる」を挙げたいと思います。<br />  <br /> ベンゾジアゼピン系薬剤をたくさん飲んでいる患者さんって、こらえ性がなくなったり、怒りっぽくなったり、包丁を持ち出したりするリスクが高くなるよう見受けられるんですよ。<br />  <br /> ベンゾジアゼピン系薬剤が今よりずっと遠慮なく処方されていた20年以上前は、OD(過量服薬)やリストカットがとても多かったよう記憶しています。ボーダーラインパーソナリティ症などが今よりずっと多く診断されていた時代でもありますね。で、そのODなりリストカットなりを繰り返していた患者さんのなかには、ベンゾジアゼピン系薬剤をたくさん処方され、そのベンゾジアゼピン系薬剤を繰り返しODしたり、ベンゾジアゼピン系薬物の影響下で自傷行為をしたりしていた患者さんをよく見かけたんですよ。<br />  <br /> これは現在も同じで、ODやリストカットを繰り返す患者さんのおくすり手帳がベンゾジアゼピン系薬剤だらけだった、というパターンはまだまだ見かけます。もともと衝動コントロールがあまり良くない病態の患者さんに、その傾向を助長するかもしれないベンゾジアゼピン系の薬物をどっさり処方するのは避けたいものです。繰り返しODやリストカットをしている来歴があるなら、尚更でしょう。<br />  <br /> でもって、そうした患者さんの場合、ベンゾジアゼピン系薬物を飲みつつ、アルコールを併用していることも珍しくありません。アルコールとベンゾジアゼピン系薬物の併用は、記憶をより飛びやすくし、より衝動的な行動に走らせやすくもします。また、転んで怪我をしたり、失禁したりするリスクも高くなるでしょう。<br />  <br /> 衝動コントロールの悪い患者さんを見かけた時、どこまでその人自身の病理性に由来しているのか、どこから薬剤やアルコールに誘発されたものなのか、精神科医なら意識しておくところでしょう<a href="#f-188f95aa" id="fn-188f95aa" name="fn-188f95aa" title="もちろん、周辺環境からの影響、人間関係、発達特性などもですが">*4</a>。そしてもともと衝動コントロールが良くない患者さんに新規にベンゾジアゼピン系薬剤を処方せざるを得ない時には、「我慢がきかなくなったり、怒りっぽくなったりするようなら、この薬はやめなければなりません」的な説明をしておくのが筋だと私は思います。<br />  <br /> それからベンゾジアゼピン系睡眠薬を飲んだ後、「つい空腹になって我慢できず食べてしまう→体重が増えてしまう」も結構いらっしゃいます。健忘も合併した結果、「朝になったら冷蔵庫の中身がなくなっていた」「台所に食べ物を食べ荒らした跡があった」的なエピソードを聞くことも。つい食欲が増進してしまうのは他の向精神薬にもあることですし、体重増加のリスクで有名な薬は他にもありますが、衝動にブレーキがかけづらい点からいって、ベンゾジアゼピン系薬物も体重増加のダークホースとみておきたいです。<br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="なぜ長く内服している患者さんがいるのか"><span style="color: #d32f2f"><strong>なぜ、長く内服している患者さんがいるのか</strong></span></h4> <p> <br /> こんな具合に、少なくとも私はベンゾジアゼピン系薬物の副作用を警戒していますし、ガイドラインが長期投与を控えるように述べていることにも納得しています。ところが実際にはベンゾジアゼピン系薬物を長く飲んでらっしゃる患者さんも結構いたりします。<br />  <br /> 色んなパターンが想定されそうです。<br />  <br /> ひとつには、こうしたガイドラインを知らないドクターや、ベンゾジアゼピン系薬物の副作用を軽視しているドクターがどしどし処方している場合。先日、あるはてなブックマークで「ベンゾジアゼピン系抗不安薬は内科医が出してくれる」と書いてあったとおり、こうしたガイドラインを他科の先生があまり知らない可能性はあるかもしれません。また、一部のメンタルクリニックにはベンゾジアゼピン系を処方することにもっと積極的なドクターや、患者さんからリクエストされたら用量めいっぱいまで処方するドクターが存在する……かもしれません。<br />  <br /> もうひとつは、過去に処方されてそのままになっている患者さん。ベンゾジアゼピン系薬物の長期処方への風当たりがいよいよ強くなってきたのは21世紀に入ってからです。が、過去においてはその限りではなく、ベンゾジアゼピン系薬物が「安全で」「処方しやすく」「いろいろな病状に効果的な薬」「メインの薬を補佐させる薬」としてドシドシ処方されていた時代もありました。それこそ統合失調症、双極症、不安症、パーソナリティ症、など、病気を選ばずだったよう記憶しています。その頃から処方されている患者さんのベンゾジアゼピン系薬物を減らすのはなまなかではありません。さきほど書いたように、なにしろベンゾジアゼピン系薬物は「身体依存や離脱症状」や「耐性」の問題があるのです。長く飲み慣れたベンゾジアゼピン系薬物を患者さんに減らすようお願いするのは、そうした問題に向き合い、ときにはしんどい時期を経験するようお願いすることです。なかには減量に耐えられない患者さんや、減量すると病状への悪影響が心配される患者さんもいらっしゃいます。前医の前医の前医の前医の前医が処方したベンゾジアゼピン系薬物を、数十年経ってもまだ飲んでいる──そんな患者さんのベンゾジアゼピン系薬物に手を付けるのは、私だって怖いです。もし、手を付けるとしたら数年単位で・ゆっくりと試みるしかないでしょう。<br />  <br /> もうひとつは、ベンゾジアゼピン系薬物が効果的だけど、ほかの薬が無効か、なんらかの理由で内服できない患者さん(黄金頭さん自身は、これに該当していそうです)。はじめのほうで紹介したモーズレイ処方ガイドラインにも「不安症状による機能障害が強いごく一部の患者ではベンゾジアゼピンの長期投与が有効であり、ベンゾジアゼピン治療を否定すべきではない」とあります。ガイドラインはガイドラインでしかありません。ベンゾジアゼピン系薬物がどうしても必要な患者さん、リスクとベネフィットを比較して処方せざるを得ない患者さんだってもちろんいます。こういう話は、「ベンゾジアゼピン系薬物は良い/悪い」といった単純な二項対立におさまる性格のものではありません。<br />  <br /> もうひとつは生存バイアス。<br /> はじめのほうに書いたように、ベンゾジアゼピン系薬物にはいろいろな副作用や弊害があり得ます。とはいえ、すべての人に副作用や弊害が甚だしく出るわけではありません。仕事や運転にも支障ない、記憶が飛ぶわけでもない、こらえ性がなくなるでもない、ドシドシ増量を要求するわけでもない、そんな患者さんだっているわけです。少なくとも現時点では、処方されているベンゾジアゼピン系薬物をアルコールと一緒に飲んでも記憶が飛ばない人さえいるでしょう。<br />  <br /> でも、ベンゾジアゼピン系薬物を飲む人の全員がそうだってわけではありません。処方する側としては、「この患者さんはなんにも副作用や弊害が出ないに違いない」と楽観的に処方するのでなく、「この患者さんにだって副作用や弊害が出る可能性がある」と警戒しながら処方しなければならないのです。処方する側の仕事は、ただ処方箋を発行することでなく、その処方が患者さんにどんなリスクをもたらすのかを知らせたうえで相談し、実際にリスクの芽が出てきたらできるだけ早い段階で避ける、または、リスクの芽が出てこないように済ませることだと思います。ですから、何割かの患者さんが平然と・長期的に・目立った弊害なくベンゾジアゼピン系薬物を使えているとしても、これからうつ病や不安症を治療しはじめる患者さんには、そうしたリスクをなるべく負わせたくありません。この観点からみると、ベンゾジアゼピン系薬物よりSSRIやSNRI(といった新世代の抗うつ薬)はだいぶ良いように思われますし、ガイドラインの指針もそれを反映しています。いい薬が出てきたものです。旧来の抗うつ薬は、それはそれで別種の副作用が多くて使いにくかったですから。<br />  <br /> ベンゾジアゼピン系薬物を長く飲み続けて何も問題が生じていない(ように感じている)患者さんは、そうした副作用や弊害が出なかったか非常に少なくて済んだ、いわばラッキーだった人たちなんだと私なら考えます。そうでない患者さんはベンゾジアゼピン系薬物に由来するトラブルが起こっていたり、健忘や離脱症状といった問題が顕在化してひどい目に遭っているかもしれません。最悪、「何度目かのODのつもり」だった過量服薬が命取りになってしまう患者さんだっていらっしゃるでしょう<a href="#f-0a0fc02b" id="fn-0a0fc02b" name="fn-0a0fc02b" title="OD、とりわけ最近の向精神薬のODは比較的安全性の高い薬から構成されていることが多いと思われます。気分安定薬が処方されておらず、比較的新しい薬からなる処方の場合は特にそうです。でも、ODの際にまとめ飲みされる薬が向精神薬だけとは限りませんし、「ここでODをしたら命が本当に危なくなる」状況でODが行われる可能性もあるので、ODを軽んじる、少なくともODなんて危なくないと考えすぎるのは危険だと思います">*5</a>。<br />  <br /> ここでいうラッキーな患者さんも数のうえでは少なくないかもしれません。<br /> だとしても、結構な割合の患者さんで無視できない問題が生じるなら、それはやっぱり問題です。副作用や弊害が起こらない患者さんがいるからといって、どの患者さんにも副作用や弊害が起こらないと思うべきじゃないし、ベンゾジアゼピン系薬物には弊害がないと思うべきでもないでしょう。(これは、他のいろいろな処方薬にも言えることではあります)<br />  <br /> これら全部の結果として、ベンゾジアゼピン系薬物を処方され続ける患者さんが一定程度いらっしゃり、と同時に業界的には安易な処方が戒められ、ガイドラインでも推奨されていない現状があるのだと思います。<a href="#f-c17ac5cc" id="fn-c17ac5cc" name="fn-c17ac5cc" title="念のため断っておきますが、ここに書いている話はベンゾジアゼピンの漫然とした処方に関する話が中心で、統合失調症や双極症の最も激しい症状の最中にベンゾジアゼピン系薬物がどうであるか、またはけいれん発作やアルコール離脱せん妄の治療に際してどうであるのかは、また別の話です。">*6</a><br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="ベンゾジアゼピン系薬物の長期内服には時間切れがあるかもしれない"><strong><span style="color: #d32f2f">ベンゾジアゼピン系薬物の長期内服には「時間切れ」があるかもしれない</span></strong></h4> <p> <br /> ガイドラインでは推奨されていないけれども実際には結構処方されていて、処方され続けている患者さんも珍しくないベンゾジアゼピン系薬物。では、とりあえず副作用や弊害が表面化しなかった患者さんなら、ずっと飲み続けて構わないでしょうか。<br />  <br /> 私は、そうとも限らない、と考えています。なぜなら加齢という要素によって、薬が患者さんに与える影響が変わってくるからです。<br />  <br /> さきほど、ベンゾジアゼピン系薬物が健忘を起こしたり注意力を落としたりすると書きました。こうした認知機能にマイナスに働くタイプの副作用は、若いうちは比較的表面化しにくいものです。肝臓や腎臓の代謝機能も含め、まだ元気なうちの身体は薬物の効果を得やすく、弊害をかわしやすいと言えます。<br />  <br /> ところが70代、80代になってくると話が変わってきます。今までは同じぐらいの量のベンゾジアゼピン系薬物で無病息災だった患者さんが、健忘や認知機能の低下、さらにふらつきや転倒といった身体上の問題までもが顕在化し、最悪、せん妄を起こして入院になったりすることがありえるのです。<br />  <br /> 加齢は、薬のリスクとベネフィットを変えていきます。肝疾患や腎疾患、脳そのものの疾患なども同様です。ある時期までは健康の守り神のように感じられたベンゾジアゼピン系薬物が、ある時期から認知機能や身体機能にマイナスに働き始めることがままあります。そのさまは、さながら薬の短所に身体が耐えきれなくなっているかのようです。<br />  <br /> なら、どうすればいいか? 年を取りきってしまわないうちにベンゾジアゼピン系薬物を減量、あわよくば中止することです。加齢にあわせてベンゾジアゼピン系薬物を漸減・中止できればこうした時間制限をかわせるでしょう。<br />  <br /> 精神科の外来も、再診は長くおしゃべりしていられない現状ではありますが、それでも、患者さんが年を取っていくなかでベンゾジアゼピン系薬物をいつかは減らしたほうが良い話や、現時点で(ベンゾジアゼピン系薬物に限らずですが)副作用や弊害が表面化していないかは、折に触れて交わすべき話題だと私は思います。診療面接のたびに毎回そういう話題をしなさいというのでなく、時々でもいいんです。でも、「ぜんぜん話題にしない・チェックしない」はあってはならないはずです。<br />  <br /> もちろん、年を取っていくなかでもベンゾジアゼピン系薬物を減らしきれない患者さんはいます。でも処方する側もまったく無力ではありません。そうした患者さんにおいても、副作用や弊害の出現の気配をみてとる余地はありますし、もし将来、加齢に負けて現在の服薬内容では立ちいかなくなった時にどんな事が起こるのか、あらかじめ知っておいていただくことはできます。覚悟しておいていただくことだってできるかもしれません。<br />  <br /> 生活や再発防止のためにベンゾジアゼピン系薬物をどうしてもたくさん飲まなければならない患者さんは一定数存在します。でも、ここまで書いてきたようにそれはリスクを背負った処方で、そのリスクは加齢とともに表面化しやすくなっていくでしょう。そうしたリスクの大きな処方をする際には、処方する側も処方される側も「これはリスクが高いってことになっている処方だよ」とわかったうえでやるべきで、わかったうえで副作用や弊害が表面化してくる可能性について日頃から備えておきたいところです。<br />  <br /> 「日頃から備えておく」の内容のなかには、そうした副作用や弊害について話題にしやすい間柄も含めた、コンテキストができあがっていることが望ましいと言えます。そうしたコンテキストがあるなら、処方する側も患者さんを信頼しやすいですし、まずいことになり始めている時にも気づきやすいでしょう。長く付き合っていてツーカーの患者さんには処方できても、ある日都内のメンタルクリニックから三行だけの診療情報提供書を携えて「ベンゾジアゼピン系薬物をおくすり手帳のとおりに出してください」という患者さんに処方しにくい、とも言えるかもしれません。<br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="おわりに"><strong><span style="color: #d32f2f">おわりに</span></strong></h4> <p> <br /> ベンゾジアゼピン系薬物は不安や不眠に対してダイレクトかつ速やかに効くので、不安症や不眠症に限らず、うつ病や双極症や統合失調症の患者さんにもしばしば処方されます。特に不眠については、レンボレキサント(デエビゴ)のように明確に効果のある非-ベンゾジアゼピン系薬物が出てきているとはいえ、まだまだ出番が残っているでしょう。とはいえ、ここに書いたような問題を含んでいるのがベンゾジアゼピン系薬物であり、実際、通院をやめる最終段階になって、最後に残ったベンゾジアゼピン系薬物をやめるのに長い時間と苦痛を要してしまう患者さんも少なくありません。そのうえ、せん妄、けいれん、健忘、集中力の低下をはじめとする認知機能の低下といったリスクがあり、特に高齢者では身体機能にまで影を落とすわけですから、かつては安全といわれていたベンゾジアゼピン系薬物も野放図に用いれば危なっかしいのです。<br />  <br /> こうして書き出してみると、やっぱりベンゾジアゼピン系薬物は向精神薬取締法の対象であるのがお似合いで、医師が処方し、その医師による継続的なモニタリングが必要な薬物だと思います。「薬と毒は紙一重」とも言いますが、ベンゾジアゼピン系薬物も例外ではありません。すでに長く内服して慣れている人も、どうか気を付けて。そして主治医との診療面接がある前提でお飲みになって欲しいと思います。<br />  <br />  <br /> *結構読まれているみたいなので宣伝。「<a href="https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20230804/1691147596">&#x30C7;&#x30D1;&#x30B9;&#x3084;&#x30DE;&#x30A4;&#x30B9;&#x30EA;&#x30FC;&#x306E;&#x51E6;&#x65B9;&#x304C;&#x6E1B;&#x3089;&#x306A;&#x3044;&#x672C;&#x5F53;&#x306E;&#x7406;&#x7531;</a>」という有料記事を過去に書きました。ベンゾジアゼピンがどしどし処方される背景について、個人的な思いをいろいろ書いています。ご興味ある方は、どうぞ。<br /> *<a href="https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20231225/1703505600">&#x65B0;&#x8457;&#x300E;&#x300C;&#x63A8;&#x3057;&#x300D;&#x3067;&#x5FC3;&#x306F;&#x307F;&#x305F;&#x3055;&#x308C;&#x308B;&#xFF1F;&#x300F;&#x304C;&#x597D;&#x8A55;&#x767A;&#x58F2;&#x4E2D;</a>です! <a href="https://lateral-osaka.com/schedule/2024-02-04-10937/">&#x5927;&#x962A;&#x30FB;&#x6885;&#x7530;</a>と<a href="https://t.livepocket.jp/e/jvv67">&#x963F;&#x4F50;&#x30F6;&#x8C37;</a>で発売記念なトークライブにだしていただく予定です。<br />  <br />  </p> </div><div class="footnote"> <p class="footnote"><a href="#fn-5a789148" id="f-5a789148" name="f-5a789148" class="footnote-number">*1</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">実質的には意識障害ですね。危険だと思っておいてください</span></p> <p class="footnote"><a href="#fn-e5d6c0c7" id="f-e5d6c0c7" name="f-e5d6c0c7" class="footnote-number">*2</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">ここでは、たとえばゾルピデムのようなZドラッグを類似薬として想定しています</span></p> <p class="footnote"><a href="#fn-1b2bdb36" id="f-1b2bdb36" name="f-1b2bdb36" class="footnote-number">*3</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">さきほど書いたとおり、これは離脱や依存の問題と多かれ少なかれ向き合わなければならないものです</span></p> <p class="footnote"><a href="#fn-188f95aa" id="f-188f95aa" name="f-188f95aa" class="footnote-number">*4</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">もちろん、周辺環境からの影響、人間関係、発達特性などもですが</span></p> <p class="footnote"><a href="#fn-0a0fc02b" id="f-0a0fc02b" name="f-0a0fc02b" class="footnote-number">*5</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">OD、とりわけ最近の向精神薬のODは比較的安全性の高い薬から構成されていることが多いと思われます。気分安定薬が処方されておらず、比較的新しい薬からなる処方の場合は特にそうです。でも、ODの際にまとめ飲みされる薬が向精神薬だけとは限りませんし、「ここでODをしたら命が本当に危なくなる」状況でODが行われる可能性もあるので、ODを軽んじる、少なくともODなんて危なくないと考えすぎるのは危険だと思います</span></p> <p class="footnote"><a href="#fn-c17ac5cc" id="f-c17ac5cc" name="f-c17ac5cc" class="footnote-number">*6</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">念のため断っておきますが、ここに書いている話はベンゾジアゼピンの漫然とした処方に関する話が中心で、統合失調症や双極症の最も激しい症状の最中にベンゾジアゼピン系薬物がどうであるか、またはけいれん発作やアルコール離脱せん妄の治療に際してどうであるのかは、また別の話です。</span></p> </div> p_shirokuma 「後藤ひとりと喜多郁代はよくできたナルシスト」って説明した時の話 hatenablog://entry/6801883189074130503 2024-01-17T22:30:00+09:00 2024-01-18T17:03:03+09:00 昔、ある編集者さんと「いいね」や「推し」について喋っていた時に、「『いいね』も『推し』も有害なんじゃないですか?」といった質問をいただいたことがありました。 「そんなことはありません。有害になってしまう人もいるけど、ほとんど無害な人もいるし、有益になっている人もいますよ」と私は答えました。なるほど、『いいね』や承認欲求のために迷惑なことをする人もいるし、金銭的・社会的に破綻するような推し活しかできない人もいます。でも、そんな人は少数派でしかなく、世の中にはそれらを飛躍の原動力にしている人だっています。 このことを編集者さんにわかりやすく説明をしなければなりません。そのとき、私の脳裏に『ぼっち・… <p> <br />  <br /> 昔、ある編集者さんと「いいね」や「推し」について喋っていた時に、「『いいね』も『推し』も有害なんじゃないですか?」といった質問をいただいたことがありました。<br />  <br /> 「そんなことはありません。有害になってしまう人もいるけど、ほとんど無害な人もいるし、有益になっている人もいますよ」と私は答えました。なるほど、『いいね』や承認欲求のために迷惑なことをする人もいるし、金銭的・社会的に破綻するような推し活しかできない人もいます。でも、そんな人は少数派でしかなく、世の中にはそれらを飛躍の原動力にしている人だっています。<br />  <br /> このことを編集者さんにわかりやすく説明をしなければなりません。そのとき、私の脳裏に『ぼっち・ざ・ろっく!』の結束バンドの四人組、なかでも後藤ひとり(通称・ぼっちちゃん)と喜多郁代(通称・喜多ちゃん)が脳裏に浮かびました。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0BF4LFTTJ?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51QO2NJ0aQL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="青春コンプレックス(初回仕様限定盤)" title="青春コンプレックス(初回仕様限定盤)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0BF4LFTTJ?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">青春コンプレックス(初回仕様限定盤)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">アーティスト:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B7%EB%C2%AB%A5%D0%A5%F3%A5%C9" class="keyword">結束バンド</a></li><li>アニプレックス</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0BF4LFTTJ?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br /> この編集者さんも『ぼっち・ざ・ろっく!』が好きだったことを踏まえて、私は説明しはじめました。<br /> 以下の文章は、そのときの説明を文章化したものです。<br />  <br />  </p> <div class="section"> <h4 id="1いいねと承認欲求と後藤ひとり"><span style="color: #d32f2f"><strong>1.『いいね』と承認欲求と後藤ひとり</strong></span></h4> <p> <br /> 『ぼっち・ざ・ろっく!』の主なメンバー、結束バンドの4人って全員が特徴的で魅力的ですが、"承認欲求モンスター"といえば、ぼっちちゃんこと、後藤ひとり。人目を気にして怖がりな一面と勝負どころで生き生きと演奏する一面を持ち合わせ、ときどき自分が壇上でスポットライトを浴びている空想や妄想に耽るぼっちちゃんって、案外ナルシストだと思いませんか。その本当はナルシストな彼女が承認欲求をみたしたがるのは、つじつまの合った話ですよね。<br />  <br /> ただ、ナルシストとしてのぼっちちゃんって、実はすごくないですか。<br />  <br /> <span itemscope itemtype="http://schema.org/Photograph"><a href="http://f.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20240117140826" class="hatena-fotolife" itemprop="url"><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/p_shirokuma/20240117/20240117140826.png" width="600" height="343" loading="lazy" title="" class="hatena-fotolife" itemprop="image"></a></span><br />  <br /> ぼっちちゃんは、喜多ちゃんをはじめとする他の結束バンドメンバーからも、きくり姐さんからも、ライブに来ているお客さんや動画視聴者からも、承認欲求をみたしてもらっています。その結果、ナルシシズムだってみたされているでしょう。人間にびくびくしているところがある反面、肝心なところでは自分に集まる視線や期待や承認をプラクティスや演奏の力に転化する才能があるんですよね。その結果、↓<br />  <br /> <span itemscope itemtype="http://schema.org/Photograph"><a href="http://f.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20240117140937" class="hatena-fotolife" itemprop="url"><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/p_shirokuma/20240117/20240117140937.png" width="502" height="429" loading="lazy" title="" class="hatena-fotolife" itemprop="image"></a></span><br />  <br /> ↑こんな風なわけですよ。こういう時のぼっちちゃん、ひたすら格好いいですよね。<br /> これは、誰にでもできることではありません。<strong>ぼっちちゃんは、承認欲求を自分自身の力に変える才能や素養のある人として描かれている</strong>って思います。スターダムを駆け上っていけるタイプではないでしょうか。彼女は空想癖がひどくて「いいねくれー」な承認欲求モンスターですが、その承認欲求を自分の力に変えるという点でもモンスターだと言えそうです。<br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="2推しと星座になれたら喜多郁代のナルシシズム">2.<span style="color: #d32f2f"><strong>推しと星座になれたら──喜多郁代のナルシシズム</strong></span></h4> <p> <br /> ぼっちちゃんに限らず、結束バンドのメンバーには多かれ少なかれナルシストな一面があって、例えば山田リョウの挙動にもナルシストみが感じられます。お茶の水のギター屋さんでの挙動とか、そんな感じですよね(でも、それがいい!)。<br />  <br /> ところでナルシストが必ず承認欲求にがつがつしているとは限りません。 not 承認欲求なナルシストの成功例っぽい人が結束バンドにはいます。それは、喜多ちゃんこと喜多郁代さんです。<br />  <br /> 喜多ちゃんみたいな社交的で運動もできてポジティブな人は、比較的承認欲求がみたされやすいでしょう。でも、喜多ちゃん自身は承認欲求モンスターとしては描かれていません。明るく振る舞う努力はしていますが、「『いいね』くれー!」みたいな雰囲気からは遠い感じがします。<br />  <br /> でも、喜多ちゃんにもナルシシズムに関係のあるモチベーション源があるんですよね。それは承認欲求よりも所属欲求、そして「推し」です。<br />  <br /> <span itemscope itemtype="http://schema.org/Photograph"><a href="http://f.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20240117140845" class="hatena-fotolife" itemprop="url"><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/p_shirokuma/20240117/20240117140845.png" width="600" height="357" loading="lazy" title="" class="hatena-fotolife" itemprop="image"></a></span><br />  <br /> 喜多ちゃんは山田リョウに憧れて結束バンドに参加し、ぼっちちゃんをお師匠としてリスペクトしながらギターを練習しました。喜多ちゃんは自分が褒められたり評価されたりすることに慣れてはいるけれども、そちらが行動原理になっている一面は作中ではあまり目立たず、自分のことを凡人だと認識していました。そのかわり、山田リョウやぼっちちゃんへの憧れやリスペクト、それと"結束バンドという星座"への所属が喜多ちゃんをモチベートし、練習を促し、上達させていました。<br />  <br /> ナルシストやナルシシズムというと、つい、自分が褒められること・承認欲求をみたすことを連想するかもしれません。ですが、フロイト以来発展してきたナルシシズム論にもとづいて考えるなら、それだけじゃないんです。誰かに憧れること・誰かをリスペクトすること・誰かを応援し続けることもナルシシズムの一部だったりします。所属欲求をみたす体験や「推し」を応援する体験もナルシシズムをみたしてくれるんです。なんなら、親が子を思う気持ちにすらナルシシズムが含まれていると言えます<a href="#f-89ea3df0" id="fn-89ea3df0" name="fn-89ea3df0" title="ここまでで察せられるかとは思いますが、私はナルシシズム=悪い とも、ナルシスト=悪い ともみなしていません">*1</a>。<br />  <br /> そうした目線で喜多ちゃんを見ると、彼女は山田リョウやぼっちちゃんに憧れやリスペクトの目を向けたり、結束バンドの一員だったりすることでナルシシズムをみたしています。でも、それだけではありません。ぼっちちゃんが承認欲求をプラクティスや演奏力に変換できているのと同じように、喜多ちゃんは、山田推しやぼっちちゃん推しをプラクティスや演奏力に変換できています。ぼっちちゃんのスター的な才能とはちょっと違いますが、これはこれで凄いことだと思います。<strong>喜多ちゃんタイプの人は、「推し」を推すことをとおして努力したり技能習得できたりできるのです。これはこれで立派な才能や素養</strong>だと思います。<br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="推しもいいねもナルシシズムもそれ自体が悪いわけじゃない"><span style="color: #d32f2f"><strong>「推し」も「いいね」もナルシシズムも、それ自体が悪いわけじゃない</strong></span></h4> <p> <br /> こんな風に、ぼっちちゃんと喜多ちゃんがそれぞれ、承認欲求/所属欲求を、ひいてはナルシシズムをみたしながら成長し活躍できている様子を編集者さんに説明しました。世の中には「いいね」や「推し」で人生や生活を破綻させてしまう人がいて、そのあたりがたびたび批判されています。それとは対照的に、ぼっちちゃんや喜多ちゃんは心理的充足が破綻をまねくのでなく、それらのおかげで活躍できています。彼女たちのような素養を持った人は現実にもたくさんいて、いろいろな方面で活躍しているものです。<br />  <br /> ですから「推し」や「いいね」やナルシシズムそのものを悪とみるのはちょっと違う、と私は思うのです。それらを欲しがる・充たしたがることで自己満足以下の災厄をもたらしてしまう人もいれば、自己満足以上の豊かな実りをもたらす人もいるわけですから、<strong>心理的充足についてまわる巧拙こそが問題</strong>、と考えたほうが実地に合っているのです。<br />  <br /> そうしたことを編集者さんにお話ししたのがきっかけで『「推し」で心はみたされる?』という本ができあがりました。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4479394192?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/511I4HLSQhL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド" title="「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4479394192?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B7%A7%C2%E5%20%B5%FC" class="keyword">熊代 亨</a></li><li>大和書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4479394192?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br /> 「推し」で心はみたされるか?──たとえば、出会ったこともない遠くのインフルエンサーを推したり、際限なくお金をせがむホストを推したりしても、刹那的な自己満足以上のものは得られにくいでしょう。なかには、「推し」を推しているうちに気持ちが制御不能になり、逆恨みしてしまう人さえいます。なるほど、「推し」が自己満足以下の災厄を招いてしまう危険は確かにあると言えます。<br />  <br /> でもそれだけではありません。喜多ちゃんにとっての山田リョウやぼっちちゃんのような、身近な「推し」を推す活動が首尾よくいくと、自己満足以上の実りをもたらします。喜多ちゃんのようにうまく「推せる」人と、自己満足以下の災厄を招いてしまう人をわける分水嶺はどこにあるのでしょうか?<br />  <br /> 同じことが「いいね」や承認欲求についても言えます。確かにぼっちちゃんは「いいね」くれーな人ですが、彼女にはそれを飛躍の原動力にする才能や素養があります。ぼっちちゃんのように「いいね」や承認欲求を飛躍の原動力にできる人と、自己満足以下の災厄を招いてしまう人をわける分水嶺はどこにあるのでしょうか?<br />  <br /> そして、ぼっちちゃんや喜多ちゃんのように心理的充足がスキルの習得や実力の発揮に直結するためには、いったい何が必要なのでしょう?<br />   <br /> 人間は、「いいね」や「推し」を求めるようにできていて、ナルシシズムとも無縁ではいられません。それらを否定したってしようがありません。私は、それらを無理に否定するよりうまく生かしたい・うまく生かせるようになっていきたいと考える人間の一人です。ぼっちちゃんと喜多ちゃんを見ていると、「いいね」や「推し」を味方につけられる人の可能性ってこういう感じだよね、と思わずにいられません。あの二人、ひいては結束バンドのメンバーにあやかりたいものですね。<br />  <br /> ※『「推し」で心はみたされる?』のご予約・ご購入はこちらへ→<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4479394192?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1">「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド</a><br /> ※大阪のトークライブハウスで『「推し」で心はみたされる?』関連のおしゃべりをします。ご興味のある方はどうぞ→ <a href="https://lateral-osaka.com/schedule/2024-02-04-10937/">https://lateral-osaka.com/schedule/2024-02-04-10937/</a><br /> ※東京・阿佐ヶ谷のロフトでもおしゃべりします。ご興味のある方はどうぞ→ <a href="https://t.livepocket.jp/e/jvv67">https://t.livepocket.jp/e/jvv67</a><br />  </p> </div><div class="footnote"> <p class="footnote"><a href="#fn-89ea3df0" id="f-89ea3df0" name="f-89ea3df0" class="footnote-number">*1</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">ここまでで察せられるかとは思いますが、私はナルシシズム=悪い とも、ナルシスト=悪い ともみなしていません</span></p> </div> p_shirokuma ちょっと昔の精神医療思い出話4(有料記事) hatenablog://entry/6801883189075526364 2024-01-16T20:00:00+09:00 2024-01-16T20:00:04+09:00 こちらの続きです。 前回、精神科の診断トレンドと社会の移り変わりについて書き過ぎてしまったので、今回は思い出話に寄せています。私の停滞期であり、ゲームも停滞、精神科医としての研鑽も停滞、人生も停滞、といった時期がありました。あまり長くないテキストですし、ごく個人的な内容なのでサブスクしている常連さん以外にはお勧めしません。 <p> <br /> <a href="https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20231221/1703117993">&#x3053;&#x3061;&#x3089;</a>の続きです。<br />  <br /> 前回、精神科の診断トレンドと社会の移り変わりについて書き過ぎてしまったので、今回は思い出話に寄せています。私の停滞期であり、ゲームも停滞、精神科医としての研鑽も停滞、人生も停滞、といった時期がありました。あまり長くないテキストですし、ごく個人的な内容なのでサブスクしている常連さん以外にはお勧めしません。<br />  </p> p_shirokuma 大阪・梅田のラテラルさんにてトークライブに出演します hatenablog://entry/6801883189073708594 2024-01-10T07:55:08+09:00 2024-01-11T20:44:47+09:00 lateral-osaka.com このたび私は、大阪・梅田のラテラルさんにて、『「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド』刊行記念イベントを兼ねるかたちで"──なぜ、多くの人が「推し」にハマるのか?"をお題に据えたトークライブに出していただくこととなりました。 「推し」や「推し活」が2020年代の私たちの心理的充足のトレンドとどのように関連しているのか、ひいては、「推し」を上手に推せるのか否かが私たちの社会適応や人間関係に何を及ぼすのか、等々について会場にいらっしゃった方とざっくばらんにおしゃべりしたいと願っています。いまどきは、そういう風に意見交換できる場所がインターネッ… <p> <br /> <iframe src="https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Flateral-osaka.com%2Fschedule%2F2024-02-04-10937%2F" title="精神科医が迫る、ナゼ「推し」にハマるのか?" class="embed-card embed-webcard" scrolling="no" frameborder="0" style="display: block; width: 100%; height: 155px; max-width: 500px; margin: 10px 0px;" loading="lazy"></iframe><cite class="hatena-citation"><a href="https://lateral-osaka.com/schedule/2024-02-04-10937/">lateral-osaka.com</a></cite><br />  <br /> このたび私は、大阪・梅田のラテラルさんにて、『「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド』刊行記念イベントを兼ねるかたちで"──なぜ、多くの人が「推し」にハマるのか?"をお題に据えたトークライブに出していただくこととなりました。<br />  <br /> 「推し」や「推し活」が2020年代の私たちの心理的充足のトレンドとどのように関連しているのか、ひいては、「推し」を上手に推せるのか否かが私たちの社会適応や人間関係に何を及ぼすのか、等々について会場にいらっしゃった方とざっくばらんにおしゃべりしたいと願っています。いまどきは、そういう風に意見交換できる場所がインターネット上、特にopenなインターネット上にはあんまりないですからね。<br />  <br /> もちろん「推し」や「推し活」については、<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4479394192?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1">「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド</a>に出来る限りまとめたつもりです。でも、本には双方向性がありません。表情を共有したり雰囲気を共有したりすることもできません。同書に登場するコフートという精神科医は、そうしたことについて以下のようなことを言っていました。<br />  </p> <blockquote> <p><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4479394192?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/511I4HLSQhL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド" title="「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4479394192?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B7%A7%C2%E5%20%B5%FC" class="keyword">熊代 亨</a></li><li>大和書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4479394192?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> コフートは自己愛パーソナリティの治療に際して対面式のカウンセリングを重視しましたし、その際、治療者と患者さんとの間で起こる沈黙の間やジェスチャーといったものも大事だよねと述べています。そのとおりだと思いますが、書籍をとおしてコフートのエッセンスを伝える際に、沈黙の間やジェスチャーを読者のかたと共有することはできません。<br /> <span style="font-size: 80%"><span style="color: #999999">──『「推し」で心はみたされる?』より</span></span></p> </blockquote> <p>コフートが想定したような対面式カウンセリングに限らず、顔と顔、表情と表情がやりとりできる場所や時間ってのは独特ですよね。そこでは言葉だけでなく、表情、雰囲気、沈黙すらやりとりに含まれます。トークライブハウスでも同じでしょう。言葉だけでなく、他の色々なものがやりとりに含まれるのは(トークに限らず)ライブの面白いところ、やめられないところだと思います。<br />  <br />  <br /> 今回の会場は大阪・梅田となりますので、関西方面のかた、もしご関心あるようでしたらいらしてください(一応オンライン配信もあるらしいですが、ハコの良さはハコのなかにいればこそ、だと思います)。コロナ禍もあり、こうしたチャンスから長らく遠ざかっていたので、とても楽しみにしております。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。<br />  <br /> <strong>【こちらをご参照ください】</strong>→ <a href="https://lateral-osaka.com/schedule/2024-02-04-10937/">https://lateral-osaka.com/schedule/2024-02-04-10937/</a><br />   </p> p_shirokuma かつて私たちがいた世界『窓ぎわのトットちゃん』 hatenablog://entry/6801883189073413479 2024-01-09T21:22:00+09:00 2024-01-11T22:32:15+09:00 映画『窓ぎわのトットちゃん』 オリジナル サウンドトラックNBCユニバーサル・エンターテイメントジャパンAmazon ある人から、「シロクマさんは『窓ぎわのトットちゃん』を見ておいたほうがいいと思う」と勧められ、疲れたまま週明けを迎えようとしている連休最終日に観に行った。映画館に来ているお客さんは大半が私より年上で、公開から約1か月にもかかわらず客席は結構埋まっていた。 私は原作を読んでいないし、この作品を作った人たちがどういう狙いで制作したのかを知らない。この作品を自分がどう受け取めたのかを確かめてみたかったので、パンフレットのたぐいを買わなかったからだ。インターネット上での評価や噂話もほと… <p> <br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CK4V9SPZ?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51f+L2mDJgL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="映画『窓ぎわのトットちゃん』 オリジナル サウンドトラック" title="映画『窓ぎわのトットちゃん』 オリジナル サウンドトラック"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CK4V9SPZ?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">映画『窓ぎわのトットちゃん』 オリジナル サウンドトラック</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li>NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CK4V9SPZ?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br />  <br /> ある人から、「シロクマさんは『窓ぎわのトットちゃん』を見ておいたほうがいいと思う」と勧められ、疲れたまま週明けを迎えようとしている連休最終日に観に行った。映画館に来ているお客さんは大半が私より年上で、公開から約1か月にもかかわらず客席は結構埋まっていた。<br />  <br /> 私は原作を読んでいないし、この作品を作った人たちがどういう狙いで制作したのかを知らない。この作品を自分がどう受け取めたのかを確かめてみたかったので、パンフレットのたぐいを買わなかったからだ。インターネット上での評価や噂話もほとんど知らない。先週までノーマークだったからだ。<br />  <br />  </p> <div class="section"> <h4 id="トットちゃんはADHDでは片づけられない世界"><span style="color: #d32f2f"><strong>「トットちゃんはADHD」では片づけられない世界</strong></span></h4> <p> <br /> 映画が始まって間もなく、一般的な小学校に通学するトットちゃんが描かれる。私はまず、ここでスゲーと思ってしまった。トットちゃんの歩き方や動き方、そういったものに特別なリアリティを感じたからだ。<br />  <br /> トットちゃんは絶えず動いていて、しゃべっていて、ありとあらゆるものに注意を惹かれる。たえず動き回って注意があちこちに逸れるから千鳥足も同然だ。トットちゃん、動き回っているだけで勝手に怪我をしてしまうんじゃないか? いや、するだろう。そういう動きをしている。私自身の経験では、ああやって動き回っている時には目の焦点を合わせているかどうかなど意に介していない。感情が高まっている時には目の焦点を合わせるのを待たずに、何も見えていない状態で身体が動く。トットちゃんは『視覚や聴覚で周囲の状況を確認するより早く、身体が動くような子ども』として描かれている。<br />  <br /> そしてトットちゃんの喋り方! 頭のなかで話題やイメージが物凄い速度で切り替わっていくさまが作中で見事に描かれていた。こういう子、いたいた。そして私もだいたいこうだった。<br />  <br /> トットちゃんの行動のうちに、現代人は注意欠如多動症(ADHD)という今日の疾患概念を連想するかもしれない。それでもってトットちゃんという人物がわかった・理解したとみなす人もいるだろう。確かにトットちゃんが2024年にタイムリープし、現代の医療・福祉・教育機関にかかったらそうみなされ、「トットちゃんにふさわしい教育」「トットちゃんにふさわしい環境」を提供されるようには思う。もっと具体的に言うと、現代の教育制度で考えた時、トットちゃんが特別支援教育の対象になる可能性は高いように思われる。<br />  <br /> しかし1930年代の日本ではADHDは疾患概念として存在していない。一般的な小学校の教師が途方に暮れていたように、トットちゃんのような子どもは座学の学習環境にしばしば混乱をもたらす。だとしても、そういう子どもを精神疾患としてみることも、みる必要性も、1930年代にはまだ乏しい。劇中のトモエ学園には脳性麻痺らしき子どもや低身長症らしき子どもがいたりするが、トモエ学園は自由と子どもの感性を重視する学校ではあっても、それが特別支援教育やその前身にあたる特殊学級に近い性格であると描いている場面は無かったように思われた。<br />  <br /> だから、トモエ学園の児童たちを障害者支援のようなスコープで観てしまうのはちょっと違うと思う。むしろトモエ学園の児童たちは当時の多様な子どものテンプレートで、そのなかに今日では発達障害とみなされ得る児童がいただけではないだろうか。今日の特別支援教育やその前身にあたる特殊学級が、制度として実質的に確立されていくのは戦後かなり経ってからのことだ。<br />  <br /> トモエ学園をみて、インクルーシブな教育のありかただ、と思った人もいるだろう。史実でも自由と子どもの感性を重視する先進的な教育を行った学校だったと聞いている。だが、トモエ学園のような最先端の学校でなくても、障碍者支援のなかった頃の学校はある意味でインクルーシブだった。私自身の記憶では、特殊学級の制度があった1980年代の公立小学校にさえ、私自身も含めてトットちゃんのような子どもはたくさんいた。<br />  </p> <blockquote> <p>たとえば私の小学生時代を思い出しても、当時の普通学級にはADHD的な子が珍しくなく、ASD的な子やSLD的な子、汚言症の子、盗みを働く子すらいました。<br /> ところが……今日では、発達障害らしき子は早くからスクリーニング検査等をとおしてそれを指摘され、医療にアクセスします。アクセスが滞れば行政が援助を行うでしょう。2007年以降、学校では特別支援教育が実施されていき、昭和時代にはそのまま普通学級にいただろう、さまざまな障害特性を持つ子どもがその対象になりました。文科省によれば、少子化が進んでいるにもかかわらずその対象となる子どもは増え続け、その内訳の大きな割合を発達障害の子どもたちが占めています。<div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/415340019X?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/01MKUOLsA5L._SL500_.gif" class="hatena-asin-detail-image" alt="人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)" title="人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/415340019X?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B7%A7%C2%E5%20%B5%FC" class="keyword">熊代 亨</a></li><li>早川書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/415340019X?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div></p> </blockquote> <p> <br /> 小林先生が率いるトモエ学園と違って、昭和時代後半のありふれた公立小学校はそこまで先進的ではなく、今日と比べても保守的だった。体罰が横行していた側面もある。それでもトモエ学園とその児童たちを見て、懐かしく思う部分はあった。たとえばそれは、先生がたが児童たちを統率するそのやり方、今から思い出しても明らかに障害があったと思われる児童を学校の先生が相手取る時の目線、などだ。そうした先生がたが、今日の小学校の教室よりも雑多な児童の集団を統率していた。私がトモエ学園とその児童たちに懐かしさを感じたのは、戦前の最先端であるトモエ学園に戦後長いこと経った後の田舎の公立小学校がようやく追いついた一面をみて、と同時に昭和後半から猖獗を極めていく管理教育型の学校教育がゆるかった一面を思い出したからかもしれない。<br />  <br /> トットちゃんをADHDとみるのは、子どもが非-ADHD的であるよう強く要請される現代ならではの視点で、本来、トットちゃんのような子どもは教室においてそこまで珍しいものではなかったはずだ。トットちゃんが普通の小学校にチンドン屋を招き寄せた時に、他の児童たちも一斉にそちらに気を取られていたのは、トットちゃん的な性質、またはADHD的な性質をもともと子どもが大なり小なり持ち合わせていたことを意図的に描いたもののように私の目にはうつった。子どもとは、もともと大人に比べて落ち着きがなくて、好奇心の塊で、移り気で、危なっかしいものだった。しかし今日、そうした性質はADHD的とみなされ、管理教育下にある学校、ひいては危なっかしさや落ち着きのなさを許さず大人の都合に子どもを嵌め込もうとする社会の都合によって治療や支援の対象ということにされている。<br />  <br /> ADHDに限った話ではない。「教室にいるありふれた子ども」の条件はトットちゃんの時代からこのかた、次第に厳しくなっている。その厳しさからこぼれ落ちる児童生徒をカヴァーするかのように、さまざまな発達障害の疾患概念がクローズアップされ、実際問題、診断や治療を受けなければならない子どもは増え続けていった。それは子ども自身のせいであるというより、「教室にいるありふれた子ども」を定義する大人たちの都合、ひいては社会の都合によるものではなかったろうか。<br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="死と背中合わせの環境とみるか自由に切磋琢磨できる環境とみるか"><span style="color: #d32f2f"><strong>死と背中合わせの環境とみるか、自由に切磋琢磨できる環境とみるか</strong></span></h4> <p> <br /> 社会の都合によってトットちゃんの時代から変わったものをもうひとつ挙げたい。<br /> それは、子どもの命の位置づけと、それに関連した子どもの処遇だ。<br />  <br /> トモエ学園の生徒たちは、さまざまな場所でさまざまな経験を重ねていく。脳性麻痺である泰明くんが木登りやプールに挑戦できたのも、小学生たちがトモエ学園に寝泊まりし、電車校舎が運び込まれるのを目撃できたのも、素晴らしい経験だった。しかし、令和にこの作品を観る人なら誰しも思わずにはいられないだろう──確かに貴重な経験かもしれない、だけど今の児童・生徒にはこれらは不可能ではないか? と。<br />  <br /> かつて日本には「七つまでは神のうち」という言葉があった。<br />  <br /> 子どもは七歳ぐらいまではいつ死んでもおかしくない──ゆえに、七歳までは人の世界に定着したとは言い切れないし、七五三の区切りにはお祝いをしましょう、といったものだ。かつて、日本の人口ピラミッドは多産多死型のそれだった。以下に貼り付けた人口ピラミッドを見ても、1950年代になってもなお、人口ピラミッドが多産多死型であったことがうかがわれる。<br />  <br /> <span itemscope itemtype="http://schema.org/Photograph"><a href="http://f.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20240109154158" class="hatena-fotolife" itemprop="url"><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/p_shirokuma/20240109/20240109154158.png" width="600" height="371" loading="lazy" title="" class="hatena-fotolife" itemprop="image"></a></span><br /> <span style="font-size: 80%"><span style="color: #999999">(※グラフそのものは厚労省からの引用です:<a href="https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/15/backdata/01-01-01-004.html)">https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/15/backdata/01-01-01-004.html)</a></span></span><br />  <br /> こうした多産多死型の人口ピラミッドを見た時、多くの人が乳児死亡率に注目するし、乳児死亡率が重要なのは言うまでもない。だが実際には幼児だって結構死んでいたし、学齢期の児童や生徒だってそこそこ死んでいたし、青年期になってさえ現代に比べれば死んでいた(だからこそ人口ピラミッドは上に行くほど細くなっていくわけだ)。「七つまでは神のうち」が言葉として流通していた時代とは、7歳を過ぎてもそこそこ子どもが死ぬ時代、ひいては大人ですら今日よりずっと死に近かった時代だった。そのような時代においては、すぐに死んでしまう屋台のヒヨコの位置づけも今日のソレとは違っていただろう。<br />  <br /> 『窓ぎわのトットちゃん』で描かれている色々なシーンからも、それが伝わってくる。<br /> トットちゃんが古井戸を覗き込むシーンでは、古井戸には金網が張られていない。簡単に開けられないように重石を置くような措置すらされていない。令和時代には、そのような古井戸は存在を許されないだろう。だが昭和時代の後半になってもそうした古井戸は案外あちこちに残っていたものである。<br />  <br /> トットちゃんが泰明くんを載せて自転車で下り坂を下っていくシーンもそうではないだろうか。あのシーンを見て「爽快な楽しいシーン」と無心に思える人は令和の日本社会にはあまりいないはずである(『となりのトトロ』が上映されていた頃なら、そう思う人もいたかもしれない)。ほとんどの令和人は、あれを「命の危険を伴うシーン」と見たのではないだろうか。にも拘わらず楽し気なBGMを『窓ぎわのトットちゃん』を作った人々は流してみせる。絶対に・わざとそのギャップを見せつけている。<br />  <br /> かくれんぼも、今にして思えばなかなか怖い遊びだ。昭和時代まで、学校周辺や住宅地を使ったかくれんぼは珍しいものではなかった。しかし令和の日本社会で、学校周辺や住宅地でかくれんぼをする子どもを見かけることは少ない。かくれんぼそのものが絶滅したわけではないが、ダイナミックでワイルドなかくれんぼ、それこそトットちゃんが溝にはまり込んで大勢に引っ張り上げられなければならなかったようなかくれんぼは禁じられている。<br />  <br /> 『窓ぎわのトットちゃん』で描かれている子どもの遊びとその環境は、だから令和のそれより死に近い。死のリスクを伴っている世界をトットちゃんたちは生きている。この時代の子どもの遊びは令和の子どもの遊びよりもずっと自由度が高く、そうした自由度の高さのもとでは身体や精神やコミュニケーション能力が鍛えられる度合い、ひいては経験が蓄積し豊かな想像力を養う度合いは大きかったかもしれない。そのかわり、トットちゃんたちの生きている世界とは、不注意や不慮の事故で死ぬ子どもの珍しくない世界でもある。トットちゃんこと黒柳徹子さんがああして生きていられるのは、運が良かったり身体が丈夫だったりしたおかげという側面を含んでいる。そのどちらかに支障があれば当時の子どもは長らえることができなかった。<br />  <br /> 対して、今日の子どもが過ごす環境はそうではない。著しく自由度が低く、学校でも、通学路でも、街でも、子どもが好き勝手する余地は非常に低い。控えめに言ってもトットちゃんのような子どもがトットちゃんのように遊んでまわることは不可能だろう。今日にはリスクマネジメントという考え方がある。子どものリスクは管理されなければならず、つまり子どもは管理されなければならない。管理された子どもは安全で、今日の子どもが事故死する率が著しく低くなっているのは(抗生物質やワクチンの普及という面もさることながら)リスクマネジメントというパラダイムシフトが子どもの世界にもたらされたからである。<br />  <br /> だから『窓ぎわのトットちゃん』で描かれる子ども世界を理想の世界とみるわけにはいかない。この作品は、当時の子どもが死に近かったこと・リスクのなかにあったことに対して明示的だ。<br />  <br /> この文章の本題から少し逸れるが、トモエ学園に通っている子どもたちの服装が周囲の学校の子どもたちの服装より立派であること、トットちゃんの両親も含めて恵まれた家庭の出身であることも、当時が理想の世界ではなかったことを示してやまない。トモエ学園は戦前とは思えないほど素晴らしい学校だが、そこは経済資本や文化資本に恵まれたブルジョワジーの子弟だけが通うことを許された、そのような学校なのである。もっと庶民の学校、もっと田舎の学校がどうだったかについては推して知るべしである。<br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="子どもの世界が変わったのは社会が変わったからだが"><span style="color: #d32f2f"><strong>「子どもの世界が変わったのは社会が変わったから」だが……</strong></span></h4> <p> <br /> 話を戻そう。<br />  <br /> こうして、『窓ぎわのトットちゃん』は昭和の日本社会において子どもがどうだったのかを垣間見せてくれ、と同時に、令和の日本社会において子どもがどういうであるかを逆照射してくれる。子どもを取り囲む環境や通念や社会がどんな風に変わったのかを知るうえでも、この映画は参考になる。戦前の子どもの世界が良いか・令和の子どもの世界が良いか、そこは議論の分かれるところだろうけれど、今昔の子どもに対する考え方や感性、ひいては死生観までもがだいぶ違っていることを、『窓ぎわのトットちゃん』は雄弁に物語っている。<br />  <br /> そうしたうえでこの映画は、終盤で太平洋戦争に突入した日本の様子も描いている。<br />  <br /> 日本社会の豊かさがどんどん痩せ衰え、軍国主義に染まっていくさまは、本作品に反戦映画という顔つきを与えている。が、それだけではないだろう。太平洋戦争が始まってからの描写は、社会というものが永遠不変ではなく、案外あっさりと変わり得ることを強調している。子どもの世界が変わっていくさまをもだ。<br />  <br /> さきほどから私は、「子どもの世界がどうなのか、どんな挙動が子どもに期待され、どんな環境が子どもに与えられるのかは社会によって違う」と書いているが、その社会が変わってしまうものであるさまが、終盤の展開をとおして衝撃的に描かれている。<br />  <br /> この「社会は永遠不変ではない」というインパクトは、もちろん太平洋戦争当時に限ったことではあるまい。昭和から平成にかけての社会だって変わり続けてきたし、今後、何かの折に日本社会が急変する可能性は否定できない。反戦映画として本作品を観るなら、この終盤の描写は「私たちが再び過ちを繰り返さないように」というメッセージと読めるし、実際、そういうメッセージは2020年代の世界情勢に似合っている。でもそれだけではなく、子どもの世界・子どもの処遇・あるべき子どもの振舞い、等々が社会によって定められ、だからこそ可変的なものであることをほのめかしているようにも私には読めた。<br />  <br /> 令和において理想的とみなされている子どもの処遇が、80年後もそうであるわけではない……ということを『窓ぎわのトットちゃん』は示唆してやまない。令和の子どもの世界・子どもの処遇・あるべき子どもの振舞いも、80年後の日本社会からは懐かしさに加えて戸惑いを誘うものになるだろう。教育や子育ては、いつも流動的な社会の潮流のなかにある──トットちゃんの活発な振る舞いを見ていて、私はそのことを痛切に感じた。<br />  <br />  </p> </div> p_shirokuma 走馬灯か、記念碑か──『16bitセンセーション』 hatenablog://entry/6801883189073109711 2024-01-07T23:30:00+09:00 2024-01-07T23:30:00+09:00 16bitセンセーション ANOTHER LAYER 1(完全生産限定版) [Blu-ray]古賀 葵Amazon 2023年の10月から12月にかけて、気が遠くなるようなアニメを観た。『16bitセンセーション』だ。この作品は「女の子がたくさん出てくるゲーム」の制作に主人公たちが奮闘する物語だが、もともと、作品として登場するゲームの多くは90年代~00年代初頭にかけて特にプレゼンスの高まった「エロゲー」で、その幾つかはビジュアルノベル形式を基本に据えた作品たちだった。 一応、『16bitセンセーション』のあらましを紹介してみる。 本作品はもともと二次創作作品だったものが、同時代のエロゲー制作… <p> <br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CK87KQXJ?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51VRVF4xT4L._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="16bitセンセーション ANOTHER LAYER 1(完全生産限定版) [Blu-ray]" title="16bitセンセーション ANOTHER LAYER 1(完全生産限定版) [Blu-ray]"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CK87KQXJ?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">16bitセンセーション ANOTHER LAYER 1(完全生産限定版) [Blu-ray]</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li>古賀 葵</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CK87KQXJ?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br />  <br /> 2023年の10月から12月にかけて、気が遠くなるようなアニメを観た。『16bitセンセーション』だ。この作品は「女の子がたくさん出てくるゲーム」の制作に主人公たちが奮闘する物語だが、もともと、作品として登場するゲームの多くは90年代~00年代初頭にかけて特にプレゼンスの高まった「エロゲー」で、その幾つかはビジュアルノベル形式を基本に据えた作品たちだった。<br />  <br /> 一応、『16bitセンセーション』のあらましを紹介してみる。<br />  <br /> 本作品はもともと二次創作作品だったものが、同時代のエロゲー制作にかかわった色々な人やスタッフが関わって作った作品で、主人公・コノハが現在~過去のエロゲー制作にかかわっていくストーリーとなっている。制作には当時活躍したエロゲーブランド「Leaf」のアクアプラスのスタッフも関わっていて、作中、『こみっくパーティー』や『痕』など過去のLeafの名作が登場したりする。ところが登場作品はLeafに限らず、『同級生』や『Kanon』といった他社のゲームもお許しをいただいている限り登場する。そこらじゅうにお許しをいただいて回っているのだろう、株式会社ブロッコリーのでじ子やFateの『アルトリア・ペンドラゴン(改変版)』なども登場する。またストーリーや言い回しからは『シュタインズ・ゲート』っぽさも漂う。<br />  <br /> そうした作品群やオマージュやパロディに埋もれながら、主人公・コノハが過去にタイムリープし、過去のエロゲー制作会社に飛び込んで色々なことを経験していく(そして彼女の活動が物語世界に影響していく)のがメインストーリーだ。当時を知っている視聴者には懐かしく、当時を知らない視聴者には新しい環境を眺められるのはこの作品ならではだ。タイトルにふさわしい16bit風のカラー絵が流れるエンディングテーマも良かった。エンディングテーマの作曲は折戸伸治、「Leaf」と並び称された「Key」で音楽をやっていた人だ。そりゃ耳懐かしいわけだ。<br />  <br />  </p> <div class="section"> <h4 id="当時を知っている中年のツボを余さず押しまくる作品"><span style="color: #d32f2f"><strong>当時を知っている中年のツボを余さず押しまくる作品</strong></span></h4> <p> <br /> そう、懐かしさ。<br />  <br /> 『16bitセンセーション』を中年が物語る時に「懐かしさ」という単語を避けてとおることはできない。この作品は、ずるいと思う。いや、ずるいというのは褒め言葉で、企画力の勝利というべきか。これだけ懐かしいものを懐かしさがちゃんと蘇るように、エロゲーが繁栄していた頃を覚えている視聴者のツボを押すように並べられては思考が麻痺してしまう。<br />  <br /> 懐かしさのバイアスを押しのけながら本作品を思い出すと、本当は、そんなに予算や人員が潤沢なわけじゃないだろうな、とは思う。同時期に放送していた他のアニメと比較して、キャラクターが特段きれいに動いていたわけではないし、表情や背景が凝っていたわけでもない。SF的にて飛びぬけて興味深いわけでもないし、人間模様が素晴らしかったわけでもない。2020年代の、とても豊かになったアニメの世界のなかで、『16bitセンセーション』が最優等クラスと位置付けられることはたぶんないだろう。<br />  <br /> けれどもエロゲーが繁栄していた当時のことを思い出させる点にかけて、手抜かりない様子だった。PC-9801の機動音、あの頃のフォント、PC98時代のドット絵とその色使い、2000年問題、メッセサンオー、等々。4話のはじめに『雫』のオープニングが流れた時には変な声が出た。なんだよこれ!<br />  <br /> 他にもいろいろなものが私のような視聴者を狙い撃ちしている気がした。タイムリープというお題もそうだし、川澄さんやほっちゃんといった声優さんの配役にしてもそうだ。コノハの表情全般、それと守とコノハの掛け合いも、いまどきのアニメキャラクターの感情表出・キャラクター同士の掛け合いとしては緩い感じのだけど、それらも懐かしい。それらは(特に『To heart』や『One』ぐらい以降の)エロゲーの時代のヒロインや、当時のヒロインと主人公の掛け合いを思い出させるものだった。主題歌でコノハの背中に天使の羽が生えていることも含めて、なんというか……『Kanon』とその前後に流行ったビジュアルノベル系エロゲーを連想したくなってしまう。<br />  <br />  <blockquote data-conversation="none" class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">『16bitセンセーション』を思い出して、アニメ感想文みたいなものをざざっと書いているのだけど、走馬灯じゃんこれ、みたいな気持ちになってしまうな</p>&mdash; p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) <a href="https://twitter.com/twit_shirokuma/status/1743885149652345127?ref_src=twsrc%5Etfw">2024年1月7日</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> <br />  <br /> 実際、これを書きながら作品全体を思い出すと、ほとんど走馬灯のようだった、と言わざるを得ない。前半数話はその傾向がとりわけ強い。当時のエロゲーを記憶している人には、はじめの話だけでもチラチラっとご覧になってみるといいように思う。たぶん、すぐ雰囲気がわかるはずだ。<br />   <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="でもこれって2023年につくられた記念碑でもありますよね"><span style="color: #d32f2f"><strong>でも、これって2023年につくられた記念碑でもありますよね</strong></span></h4> <p> <br /> そうしたわけで、往時のエロゲーとそのキャラクター、特にビジュアルノベル方面のそれを覚えている人には本作品はお勧めできる。ものすごい予算や人員がつぎ込まれた作品ではなさそうだが、「限られたリソースを、往時のエロゲーとその時代や雰囲気を描くことに徹底的に費やした」作品なのだと思う。<br />  <br /> でも、2023年にオンエアーされたわけだから、本作品を単なる懐古アニメとみなすのもたぶん違う。<br />  <br /> 本作品のスタッフロールには、エロゲーが繁栄していた頃に活躍した人々が並ぶだけでなく、外国人スタッフの名前もたくさん並んでいる。その外国人スタッフの人たちにとって、『16bitセンセーション』が描いている世界は、たぶん歴史だ<a href="#f-6871b497" id="fn-6871b497" name="fn-6871b497" title="なかには2000年前後から日本語に堪能でエロゲーをリアルタイムに経験した外国人スタッフの人もいるかもしれないが、それはそれで、その人にとって『16bitセンセーション』は胸がいっぱいになる作品に違いない">*1</a>。この作品は、2023年からエロゲーが繁栄していた頃の環境、ひいては当時エロゲーが描いていたものやエロゲーの時代にあった卓越を今に伝える記念碑にもなっている。<br />  <br /> でもって記念碑としての『16bitセンセーション』は、当時をリアルタイムで経験していないけれども当時に関心のある人にとって、簡単な案内役にもなる。そもそも全年齢である点も含め、本作品はいろいろと脱臭されていて、美化されていて、ご都合主義的ではあるのだけど、これは歴史書ではなくエンタメ作品なのだから、こういうつくりが記念碑として正解なんだろうと私は思った。この作品では食い足りないと思ったなら、もっとしっかりとした資料を追いかければいいのだろうし、今だったら実際に作品に触れることだってできる。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0C5XXC6DG?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51HwsyP3FlL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="ONE. -Switch" title="ONE. -Switch"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0C5XXC6DG?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">ONE. -Switch</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li>novamicus</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0C5XXC6DG?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B091CGBJNC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51Qki3a4X6L._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="月姫 -A piece of blue glass moon- - Switch" title="月姫 -A piece of blue glass moon- - Switch"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B091CGBJNC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">月姫 -A piece of blue glass moon- - Switch</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li>アニプレックス</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B091CGBJNC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br /> アレンジされた新版とはいえ、2024年なのに『One』や『月姫』が遊べる時代なのはなんだか凄い。こんな風に過去作が蘇るぐらいだから、記念碑としての『16bitセンセーション』の役割は小さくないのかもしれない。でもって、この作品をとおして2024年以降の界隈の歴史も、なんらか、変わっていくのだろう。<br />  <br />  </p> </div><div class="footnote"> <p class="footnote"><a href="#fn-6871b497" id="f-6871b497" name="f-6871b497" class="footnote-number">*1</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">なかには2000年前後から日本語に堪能でエロゲーをリアルタイムに経験した外国人スタッフの人もいるかもしれないが、それはそれで、その人にとって『16bitセンセーション』は胸がいっぱいになる作品に違いない</span></p> </div> p_shirokuma 正月放談・2024年は戦前か? hatenablog://entry/6801883189072065520 2024-01-03T20:27:17+09:00 2024-01-03T20:27:17+09:00 新年あけましておめでとうございます。このブログではお正月に世間について放談することがしばしばですが、久しぶりに放談したい気持ちになったので放談します。 7年前の2017年のお正月に、私はこんなことを書いた。 p-shirokuma.hatenadiary.com もう、各方面の偉い人が散々述べていることではあるが、私も、2010年代は「新しい戦前」と「閉じこもり」への十年と記憶されるだろう、と思う。 10年代の前半から、軍靴の足音を想像せずにいられない出来事が何度も何度も続いている。 北朝鮮。尖閣諸島。アラブの春とその顛末。欧米で繰り返されるテロ。シリア内戦と難民問題。ロシアと中国の跳梁。そし… <p> <br />  <br /> 新年あけましておめでとうございます。このブログではお正月に世間について放談することがしばしばですが、久しぶりに放談したい気持ちになったので放談します。<br />  <br /> 7年前の2017年のお正月に、私はこんなことを書いた。<br />  <br />  <br /> <iframe src="https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fp-shirokuma.hatenadiary.com%2Fentry%2F20170115%2F1484440590" title="2010年代とはどういう時代だった(である)のか - シロクマの屑籠" class="embed-card embed-blogcard" scrolling="no" frameborder="0" style="display: block; width: 100%; height: 190px; max-width: 500px; margin: 10px 0px;" loading="lazy"></iframe><cite class="hatena-citation"><a href="https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20170115/1484440590">p-shirokuma.hatenadiary.com</a></cite></p> <blockquote> <p>もう、各方面の偉い人が散々述べていることではあるが、私も、2010年代は「新しい戦前」と「閉じこもり」への十年と記憶されるだろう、と思う。<br /> 10年代の前半から、軍靴の足音を想像せずにいられない出来事が何度も何度も続いている。<br /> 北朝鮮。尖閣諸島。アラブの春とその顛末。欧米で繰り返されるテロ。シリア内戦と難民問題。ロシアと中国の跳梁。そして、ホワイトカラー層の好むレトリックで言うところの“ポピュリズムの台頭”と“反グローバル主義”。<br /> 思想という意味でも、勢力という意味でも、90年代には盤石にみえて、00年代にも優勢が続いているようにみえたこれまでの「秩序」が、この数年間で大きく揺らいだ。ソ連が崩壊した頃には想像もできなかったような国際社会の地平が、眼前に広がっている。</p> </blockquote> <p>これを書いてから7年が経過した。世界は、日本はどうなっただろうか? 7年前に起こっていたことが悪化したようにもみえるし、7年前に起こったことが順当に進んでいったともみえる。<br />  <br /> 間違いなさそうなのは、2017年に懸念されていた路線が、そうでない、より安全で、より既存の秩序が安定する方向には世の中は動かなかった、ということだ。<br />  <br /> 前回放談と今回放談の間にはコロナ禍が起こった。スペイン風邪やペストに比べればずっと防疫がうまくいったとはいえ、ある程度の死亡超過が起こった。世界の行く末という次元でみるなら、死亡超過よりもコロナ禍がもたらした経済的困難、それが顕在的/潜在的に世界各国の統治に与えた影響のほうが大きいのかもしれない。もともと経済的に脆弱だった国々にとってコロナ禍はどれぐらい痛手だっただろう? コロナ禍にまつわる経済的・社会的困難によって民心は乱れただろうか?<br />  <br /> 中国のようにコロナ禍を押さえつけるために非常な努力を支払っていた国々にとって、この数年間がどのような意味を持っていたのかは、現段階ではよくわからない。それ以外の国々にとってコロナ禍がどのような意味を持ち、これから何をもたらそうとしているのかも、現段階ではわからない。「現段階ではわからない」という時、しぶとく居残るコロナウイルス系列のこれからの感染状況がわからないだけではない。2020年から今までコロナウイルスに痛めつけられて生じた経済的・政治的ダメージが結局どれぐらで何をもたらそうとしているのかもわからない。<br />  <br /> どうあれ、アメリカを中心としたG7などと名乗っている国々を中心とする世界秩序が回復に向かったわけではなさそうだ。911の頃に比べてパックス・アメリカーナ的な秩序はだいたい後退してきたが、この数年で一層後退した、G7のプレステージも低下したようにみえる。ウクライナで起こっていることの先行きは見えず、中東~コーカサスで起こっていることも随分な感じがする。<br />  <br />  </p> <div class="section"> <h4 id="世界大戦のフラグを私たちは見ることができない"><span style="color: #d32f2f"><strong>世界大戦のフラグを私たちは見ることができない</strong></span></h4> <p> <br /> 現在進行形で起こっている戦争や騒乱は局地的なものに過ぎず、世界大戦にはまだ遠い……ようにみえる。では、さきの世界大戦前はどうだっただろうか。<br />  <br /> イタリアがエチオピアやアルバニアを侵略した時、それは世界大戦と呼ぶようなものではなかった。似た時期に起こり、さまざまな軍隊の兵器テストや実践経験の場となったスペイン内戦もそうだった。日本が本格的に戦争状態に入っていった日中戦争も、それ単体では第二次世界大戦と呼ばれたり意識されたりはしていなかったはずだ。<br />  <br /> そうした、さきの世界大戦に先駆けて起こった戦争や戦乱はどこまで第二次世界大戦に先立つ「フラグ」として当時認識されていたのか。<br />  <br /> それらと比較し、2023年にウクライナや中東やコーカサスの方面で起こったことは「フラグ」視され得るものなのか、それとも偶然に起こった別々の出来事なのか。東アジアや東ヨーロッパで加速していく軍拡はいったいどういうことなのか。2020年代に進行している軍拡の流れは90年代や00年代、いや10年代でさえ世論に容認されなかったもののようにみえる。ところが2020年代の世論は基本的にはこれを容認しているようにみえる。少なくとも激烈な反対運動が起こっているようにはみえない。世論、日本でも日本以外でも、なんだかモードが違っていませんか。<br />  <br /> さきの世界大戦が世界大戦と認識されたのは、一応、1939年のドイツのポーランド侵攻とそれに続く英仏の対独宣戦布告だったよう記憶している。世界大戦という語彙には、いわゆる列強同士・大国同士が相争う必要性、それから青組赤組それぞれがチームのようにまとまりあい、広範囲の国々が戦争に参加させられる状況が似あう。ために、2023年末の状況を世界大戦と同一視するわけにはいかない。<br />  <br /> でも、今から思い出すとテンションが高まりまくっているようにみえる第二次世界大戦前夜の出来事たちも、たぶん当時は「それでも世界大戦にはなるまい」的な出来事たちだったんじゃないかと想像したりする。私たちは、ひとつひとつの戦争や騒乱を世界大戦の「フラグ」として認識することはできない。しかし戦争や戦乱が続き、既存の世界秩序が動揺に動揺を重ねているありさまから、テンションの高まりをみてとることはできる。それは実生活から感じ取れるものとは思えない。本当に世界大戦に突入するそのときまで、フランスだって日本だって案外生活は豊かで呑気なものだったじゃないか。<br />  <br /> 当時と違ってヒトラーのように極端な指導者も、ドイツ第三帝国のような国も、今は存在しない……と信じたい。が、2020年代も中盤に差し掛かり、既存の世界秩序が力を取り戻す気配はなく、多極化と混迷の度合いは深まっているようにみえる。これから7年後の2041年、私はどんな気持ちで年初の放談をするのだろうか。心配しているだろうか。安堵しているだろうか。それとも……。<br />  <br /> 世界に対してはそうした心配をしつつも、個人としては今を精一杯生きていかなければならないですね。私も、あなたも。本年もよろしくお願いいたします。年初に災害や事故が続きましたが、それでも2024年が少しでも私たちにとって良い年でありますように。<br />  <br />  </p> </div> p_shirokuma 2023年の買ってよかったワインたち hatenablog://entry/6801883189069855916 2023-12-30T21:00:00+09:00 2023-12-31T10:23:50+09:00 はてなブログのキャンペーンで「買ってよかった2023」というものがあったので、自分も書いてみます。2023年に買ってよかったワインたちについてのものです。コスパワイン部門、中堅ワイン部門、ちょっと値が張る部門にわけてお届けします。 【2023年に買ったワインたちの全体的傾向】 円安と世界的なインフレ傾向、そしてブルゴーニュワインやシャンパーニュなどの高騰。こうした傾向がますます強くなった結果、2020年以前と同じようにワインを買うのは諦めなければならなくなりました。そうなると、今までは避けてきたエリアやジャンルのワインを開拓しなければなりません。でも、開拓意識を持つと見知らぬワインたちがざくざ… <p>はてなブログのキャンペーンで「<a class="keyword" href="https://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/bestbuy2023">買ってよかった2023</a>」というものがあったので、自分も書いてみます。2023年に買ってよかったワインたちについてのものです。コスパワイン部門、中堅ワイン部門、ちょっと値が張る部門にわけてお届けします。<br />   <br />  </p> <div class="section"> <h4 id="2023年に買ったワインたちの全体的傾向"><span style="color: #d32f2f"><strong>【2023年に買ったワインたちの全体的傾向】 </strong></span></h4> <p> <br /> 円安と世界的なインフレ傾向、そしてブルゴーニュワインやシャンパーニュなどの高騰。こうした傾向がますます強くなった結果、2020年以前と同じようにワインを買うのは諦めなければならなくなりました。そうなると、今までは避けてきたエリアやジャンルのワインを開拓しなければなりません。でも、開拓意識を持つと見知らぬワインたちがざくざく見つかる側面もあり、面白くもあります。まだまだワインの沼は広い。<br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="コスパワイン部門"><span style="color: #d32f2f"><strong>【コスパワイン部門】</strong></span></h4> <p> <br />  <br /> <a href="https://hb.afl.rakuten.co.jp/ichiba/0a64da9d.8a221ba3.0a64da9e.cbb7e71d/?pc=https%3A%2F%2Fitem.rakuten.co.jp%2Ftoscana%2F10046721%2F&link_type=pict&ut=eyJwYWdlIjoiaXRlbSIsInR5cGUiOiJwaWN0Iiwic2l6ZSI6IjEyOHgxMjgiLCJuYW0iOjEsIm5hbXAiOiJyaWdodCIsImNvbSI6MSwiY29tcCI6ImRvd24iLCJwcmljZSI6MCwiYm9yIjoxLCJjb2wiOjEsImJidG4iOjEsInByb2QiOjAsImFtcCI6ZmFsc2V9" target="_blank" rel="nofollow sponsored noopener" style="word-wrap:break-word;"><img src="https://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/0a64da9d.8a221ba3.0a64da9e.cbb7e71d/?me_id=1196405&item_id=10046884&pc=https%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Ftoscana%2Fcabinet%2Fw_vt025%2F10046721-n-s.jpg%3F_ex%3D128x128&s=128x128&t=pict" border="0" style="margin:2px" alt="" title="">d.A.ワイナリー (ジャン クロード マス) ヴィニウス グランド リザーヴ 2021 </a><br />  <br /> 昔から時々飲んでいた南フランスのコスパワイン王、クロード・マスの系列のワイン。d.A.ワイナリーってのは新しいんだろうか? 南仏なので濃い口系もいいところだし、ちょっと糖度が高すぎかもしれないけれども二日目にかけてだんだん落ち着いてくるし初日のはっちゃけぶりも良い。<br />  <br /> このボトルはシラーとグルナッシュという、まさに南仏系品種でつくられた品で、メルローやカベルネソーヴィニヨンといった有名国際品種とは一味違う感じがして良い。同じ南仏でもローヌ地方のワインはじりじりと値上がりしているけれども、これはまだそこまでではない。比較的廉価に旨いワインを、というニーズにはクロード・マス系列はやっぱりすごい。なかでもこいつは本当に良かった。<br />  <br />  <br /> <a href="https://hb.afl.rakuten.co.jp/ichiba/0a4562d6.b32f04d4.0a4562d7.a67edf2b/?pc=https%3A%2F%2Fitem.rakuten.co.jp%2Fco2s%2F61003783%2F&link_type=pict&ut=eyJwYWdlIjoiaXRlbSIsInR5cGUiOiJwaWN0Iiwic2l6ZSI6IjEyOHgxMjgiLCJuYW0iOjEsIm5hbXAiOiJyaWdodCIsImNvbSI6MSwiY29tcCI6ImRvd24iLCJwcmljZSI6MCwiYm9yIjoxLCJjb2wiOjEsImJidG4iOjEsInByb2QiOjAsImFtcCI6ZmFsc2V9" target="_blank" rel="nofollow sponsored noopener" style="word-wrap:break-word;"><img src="https://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/0a4562d6.b32f04d4.0a4562d7.a67edf2b/?me_id=1213315&item_id=10006897&pc=https%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fco2s%2Fcabinet%2Fitem%2F201916%2F61003783_1.jpg%3F_ex%3D128x128&s=128x128&t=pict" border="0" style="margin:2px" alt="" title="">ヴァヴァサワー マールボロ ソーヴィニヨン ブラン 2021</a><br />  <br /> ニュージーランドはマールボロ地域のソーヴィニヨンブラン。私、ソーヴィニヨンブランの妙にさばさばした感じも、ハーブが利きすぎていたり黄桃パパイヤ系の風味が強すぎたりするのも、ときどき猫のおしっこみたいなにおいがするのも苦手意識を持っていてしばらく離れていました。が、こいつはすごくバランスが良くて、後味は香りにいやなところがなく、ダレない。それとこのソーヴィニヨンブランの良いところのひとつは塩っ気があること。塩っ気のある白ワイン、いいよね。この価格帯でここまでバランス良くまとまった&塩っ気のあるソーヴィニヨンブランはたぶん初めて。このヴァヴァサワーってメーカーは来年も注意していきたいと思ってます。<br />  <br />  <br /> <a href="https://hb.afl.rakuten.co.jp/ichiba/09c6899d.133ee3ed.09c6899e.7fc05d2d/?pc=https%3A%2F%2Fitem.rakuten.co.jp%2Fwine-takamura%2F0499999017517%2F&link_type=pict&ut=eyJwYWdlIjoiaXRlbSIsInR5cGUiOiJwaWN0Iiwic2l6ZSI6IjEyOHgxMjgiLCJuYW0iOjEsIm5hbXAiOiJyaWdodCIsImNvbSI6MSwiY29tcCI6ImRvd24iLCJwcmljZSI6MCwiYm9yIjoxLCJjb2wiOjEsImJidG4iOjEsInByb2QiOjAsImFtcCI6ZmFsc2V9" target="_blank" rel="nofollow sponsored noopener" style="word-wrap:break-word;" ><img src="https://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/09c6899d.133ee3ed.09c6899e.7fc05d2d/?me_id=1193346&item_id=10400411&pc=https%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fwine-takamura%2Fcabinet%2Fnss_08%2F0499999017517.jpg%3F_ex%3D128x128&s=128x128&t=pict" border="0" style="margin:2px" alt="" title="">アルカンタ [ 2020 ]ボデガス ボコパ ( 赤ワイン ) </a><br />  <br /> 産地はスペインなんだけど、作っている品種はモナストレル(フランス名はムールヴェドル)っていうイベリア半島で強い品種。決して凄いワインではありませんが、スパイシー蚊取り線香というか、特有の香りがあって豪快、それでいて初日と二日目の顔つきも結構違っていてワインを飲み慣れている人にもうれしいコスパワインじゃないかと思います。ただし、これは南の地方でつくられる赤ワインの濃いエッセンスが爆発している系なので、濃い赤ワインが苦手な人、特にきついタンニンやきつい果実味が苦手な人には向いていないかもしれません。<br />  <br />  <br /> <a href="https://hb.afl.rakuten.co.jp/ichiba/0a64da9d.8a221ba3.0a64da9e.cbb7e71d/?pc=https%3A%2F%2Fitem.rakuten.co.jp%2Ftoscana%2F10007679%2F&link_type=pict&ut=eyJwYWdlIjoiaXRlbSIsInR5cGUiOiJwaWN0Iiwic2l6ZSI6IjEyOHgxMjgiLCJuYW0iOjEsIm5hbXAiOiJyaWdodCIsImNvbSI6MSwiY29tcCI6ImRvd24iLCJwcmljZSI6MCwiYm9yIjoxLCJjb2wiOjEsImJidG4iOjEsInByb2QiOjAsImFtcCI6ZmFsc2V9" target="_blank" rel="nofollow sponsored noopener" style="word-wrap:break-word;" ><img src="https://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/0a64da9d.8a221ba3.0a64da9e.cbb7e71d/?me_id=1196405&item_id=10007679&pc=https%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Ftoscana%2Fcabinet%2Fw_vt023%2F10007679-n.jpg%3F_ex%3D128x128&s=128x128&t=pict" border="0" style="margin:2px" alt="" title="">メディチ エルメーテ クエルチオーリ レッジアーノ ランブルスコ セッコ NV</a><br />  <br /> これは「買った」というより<a href="https://erick-south.com/masaladiner/">&#x30A8;&#x30EA;&#x30C3;&#x30AF;&#x30B5;&#x30A6;&#x30B9;&#x30DE;&#x30B5;&#x30E9;&#x30C0;&#x30A4;&#x30CA;&#x30FC;</a>の季節のモダンインディアンコースを食べた時に注文したものでしたが、飲むヨーグルト風味の強いランブルスコということで、半ばラッシーに近い役割を果たしてくれて、なおかつお肉料理の油を切ってくれる感もあり、とても効果的な組み合わせでした。もし、現在もオンリストされていたらおすすめです。楽天ワインショップでの販売価格がまだ値上がりしていないのも◎。ランブルスコもじりじり値上がりしている一方で、ヨーグルト風味の弱い品やバサバサとした飲み心地の品も出回っているので、「ランブルスコは全部おいしい」ではなく「当たりのランブルスコはどれか」をよく見ておくのがお勧めです。ヨーグルト風味が弱かったり、色調が朱色に近かったりする品は駄目なことが多いように思われます。<br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="中堅ワイン部門"><span style="color: #d32f2f"><strong>【中堅ワイン部門】</strong></span></h4> <p> <br />  <br /> <a href="https://hb.afl.rakuten.co.jp/ichiba/0ca6b404.32896fb7.0ca6b405.0590485b/?pc=https%3A%2F%2Fitem.rakuten.co.jp%2Fumemura%2F182422032334713%2F&link_type=pict&ut=eyJwYWdlIjoiaXRlbSIsInR5cGUiOiJwaWN0Iiwic2l6ZSI6IjEyOHgxMjgiLCJuYW0iOjEsIm5hbXAiOiJyaWdodCIsImNvbSI6MSwiY29tcCI6ImRvd24iLCJwcmljZSI6MCwiYm9yIjoxLCJjb2wiOjEsImJidG4iOjEsInByb2QiOjAsImFtcCI6ZmFsc2V9" target="_blank" rel="nofollow sponsored noopener" style="word-wrap:break-word;"><img src="https://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/0ca6b404.32896fb7.0ca6b405.0590485b/?me_id=1191797&item_id=10035898&pc=https%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fumemura%2Fcabinet%2F13%2F182422032334713_1.jpg%3F_ex%3D128x128&s=128x128&t=pict" border="0" style="margin:2px" alt="" title="">テルモ・ロドリゲス ペガソ ゼータ 2020</a><br />  <br /> これもスペインワイン、品種はガルナッチャ(フランス名:グルナッシュ)。ブルゴーニュワインが値上がりしすぎて買えなくなった後の代替品候補のひとつとして2023年はガルナッチャ(グルナッシュ)を色々飲んでみたなかで、中堅ワインでかなり有望そうだったのが、このテルモ・ロドリゲスのペガソ・ゼータでした。テルモ・ロドリゲスはスペインでは有名なメーカーのひとつで10年ほど前はポツポツ飲んでいましたが、2023年になって「ブルゴーニュワインの後釜候補として飲む」という角度から飲み直してみると、なかなかどうして、気の利いたワインでびっくりしました。フランス産などでも見かけますが、「エレガントグルナッシュ」っていいですね。2024年はグルナッシュを攻めていくつもりです。<br />  <br />  <br /> <a href="https://hb.afl.rakuten.co.jp/ichiba/0a64da9d.8a221ba3.0a64da9e.cbb7e71d/?pc=https%3A%2F%2Fitem.rakuten.co.jp%2Ftoscana%2F10011615%2F&link_type=pict&ut=eyJwYWdlIjoiaXRlbSIsInR5cGUiOiJwaWN0Iiwic2l6ZSI6IjEyOHgxMjgiLCJuYW0iOjEsIm5hbXAiOiJyaWdodCIsImNvbSI6MSwiY29tcCI6ImRvd24iLCJwcmljZSI6MSwiYm9yIjoxLCJjb2wiOjEsImJidG4iOjEsInByb2QiOjAsImFtcCI6ZmFsc2V9" target="_blank" rel="nofollow sponsored noopener" style="word-wrap:break-word;"><img src="https://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/0a64da9d.8a221ba3.0a64da9e.cbb7e71d/?me_id=1196405&item_id=10011615&pc=https%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Ftoscana%2Fcabinet%2Fw_vt026%2F10011615-n.jpg%3F_ex%3D128x128&s=128x128&t=pict" border="0" style="margin:2px" alt="" title="">ニコラ マンフェッラーリ ミッレウーヴェ ビアンコ 2021 白ワイン </a><br />  <br /> イタリアはフリウリ=ヴェネチア・ジューリア州でつくられている白ワイン。この地域の白ワインはバラエティ豊かで、美味くて、ユニークなつくりのものが多いと以前から知っていましたが、平均価格が高いのがたまにきず。で、あまり高くない品を物色していたらこれに出くわしました。2000円前後にもかかわらず、この地域が得意としているブレンド白ワインの面白さを楽しめるのはありがたいところ。ナッツ、ハーブ、熟したメロン、酸味、等々が連想ゲームみたいに次々にやってきて、なかなか飽きません。たぶん高価格帯の同じタイプの白ワインと並べて飲むとぼろが出るんでしょうけど、単品で飲むぶんには問題もありません。ただし、シャルドネとは路線が違うので、高級シャルドネ路線を期待する人はやめたほうがいいと思います。<br />  <br />  <br /> <a href="https://hb.afl.rakuten.co.jp/ichiba/0a64da9d.8a221ba3.0a64da9e.cbb7e71d/?pc=https%3A%2F%2Fitem.rakuten.co.jp%2Ftoscana%2F10033143%2F&link_type=pict&ut=eyJwYWdlIjoiaXRlbSIsInR5cGUiOiJwaWN0Iiwic2l6ZSI6IjEyOHgxMjgiLCJuYW0iOjEsIm5hbXAiOiJyaWdodCIsImNvbSI6MSwiY29tcCI6ImRvd24iLCJwcmljZSI6MSwiYm9yIjoxLCJjb2wiOjEsImJidG4iOjEsInByb2QiOjAsImFtcCI6ZmFsc2V9" target="_blank" rel="nofollow sponsored noopener" style="word-wrap:break-word;" ><img src="https://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/0a64da9d.8a221ba3.0a64da9e.cbb7e71d/?me_id=1196405&item_id=10033752&pc=https%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Ftoscana%2Fcabinet%2Fw_vt023%2F10033143-n.jpg%3F_ex%3D128x128&s=128x128&t=pict" border="0" style="margin:2px" alt="" title="">クズマーノ アルタ モーラ エトナ ビアンコ </a><br />  <br /> こちらはシチリア土着品種カリカンテでつくられた白ワイン。カリカンテ、シチリアでは高級品種扱いで、実際、石みたいな硬さと酸の美しさからいって、「シチリアのシャブリ」みたいに比喩したくなります。もちろんシャルドネではないので、単純にそう言い切れるものではないんですけど。<br />  <br /> そのカリカンテを、シチリアの旨安メーカーであるクズマーノがリリースするようになりました。ちゃんとカリカンテしている。強くて美しい酸、石のような風味、若々しいシトラスの香り。いい白ワインじゃないでしょうか。この十年ほどの間にクズマーノのワインはメキメキおいしくなっているので、値上がりするかもしれません。飲んでおきましょう。<br />  <br />  <br /> <a href="https://hb.afl.rakuten.co.jp/ichiba/0bb72a66.62dd926b.0bb72a67.403b01c5/?pc=https%3A%2F%2Fitem.rakuten.co.jp%2Fledled%2Fgreen-point-2-zz%2F&link_type=pict&ut=eyJwYWdlIjoiaXRlbSIsInR5cGUiOiJwaWN0Iiwic2l6ZSI6IjEyOHgxMjgiLCJuYW0iOjEsIm5hbXAiOiJyaWdodCIsImNvbSI6MSwiY29tcCI6ImRvd24iLCJwcmljZSI6MCwiYm9yIjoxLCJjb2wiOjEsImJidG4iOjEsInByb2QiOjAsImFtcCI6ZmFsc2V9" target="_blank" rel="nofollow sponsored noopener" style="word-wrap:break-word;"><img src="https://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/0bb72a66.62dd926b.0bb72a67.403b01c5/?me_id=1224100&item_id=10026313&pc=https%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fledled%2Fcabinet%2Fimg061%2Fgreen-point-2-zz_1.jpg%3F_ex%3D128x128&s=128x128&t=pict" border="0" style="margin:2px" alt="" title="">シャンドン ブリュット NV</a><br />  <br /> 新発見ではなく、再発見ですね。シャンパーニュがバカみたいに値上がりしているなか、シャンパーニュ互換を買うか、それとも安物シャンパーニュを買うかみたいなことを2023年はいろいろ考えたのですが、数年ぶりに飲んだシャンドンブリュットの完成度の高さにびっくりしました。モエ・エ・シャンドンやマムやヴーヴ・クリコといった大手メーカーより安価で無名なシャンパーニュにはロマンがある反面、だいたいバランスが悪くてどこかしら欠点があるもの。対して、シャンドンブリュットのバランスの良さったらたいしたものですね。「シャンパンっぽい品でちょっとやりたい」なんて時にはこれでいいんじゃないでしょうか。流通状況が良いのもうれしいポイント。ちなみに、はてなブログに最近実装された「AIにタイトルをつけさせる機能」を用いると、このシャンドンブリュットを推すタイトルがやたらと出てきて、AIに贔屓されているのではないか、と少し思いました。<br />  <br />  </p> <p class="freezed" style="margin-top: 2em;">▶ 【PR】はてなブログ 特別お題キャンペーン<br> <a href="https://blog.hatenablog.com/entry/bestbuy2023" target="_blank" title="お題と新機能「AIタイトルアシスト」についてはこちら!"> <img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/h/hatenablog/20231218/20231218150819.jpg" width="320" alt="お題と新機能「AIタイトルアシスト」についてはこちら!" target="_blank"></a><br> by <a href="https://blog.hatenablog.com/entry/bestbuy2023" rel="nofollow noopener noreferrer" target="_blank">はてなブログ</a></p><p> <br /> ※以下、5000円以上の高級ワインについてちょびっとだけ書いてありますが、別に読まなくてもいいかと思います。シロクマの屑籠の2023年の更新もこれで終わりです。皆さま、良いお年を。来年もどうかよろしくお願い申し上げます。<br />  </p> </div> p_shirokuma 「無限労働中年になれた」が勘違いだった話 hatenablog://entry/6801883189069586547 2023-12-27T23:00:00+09:00 2023-12-28T09:03:17+09:00 年齢とともに気持ちが変わり、ライフステージも変わる。すると、生活や趣味や働き方も変わる。そういうことに関心をずっと寄せていた私にとって、2023年という時は「オレ、無限に働ける中年になれたのでは?」と思える一年でした。 その気持ちを書いたのが『50歳が近づいてきた中年の人生は「香車」のよう』というタイトルの、books&appsさん向け文章だったのですが、12月も後半になってきて、だんだん「香車」やってられなくなってきまして。 blog.tinect.jp 上掲リンク先を書いたのは11月の後半ぐらいで、その頃はまだ仕事やミッションに全力投球を続けていたんですが、12月に入って疲弊してきて、年の… <p> <br /> 年齢とともに気持ちが変わり、ライフステージも変わる。すると、生活や趣味や働き方も変わる。そういうことに関心をずっと寄せていた私にとって、2023年という時は「オレ、無限に働ける中年になれたのでは?」と思える一年でした。<br />  <br /> その気持ちを書いたのが『50歳が近づいてきた中年の人生は「香車」のよう』というタイトルの、books&appsさん向け文章だったのですが、12月も後半になってきて、だんだん「香車」やってられなくなってきまして。<br />  <br /> <iframe src="https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fblog.tinect.jp%2F%3Fp%3D84490" title="50歳が近づいてきた中年の人生は、前に進むしかない「香車」のよう。" class="embed-card embed-webcard" scrolling="no" frameborder="0" style="display: block; width: 100%; height: 155px; max-width: 500px; margin: 10px 0px;" loading="lazy"></iframe><cite class="hatena-citation"><a href="https://blog.tinect.jp/?p=84490">blog.tinect.jp</a></cite><br />  <br /> 上掲リンク先を書いたのは11月の後半ぐらいで、その頃はまだ仕事やミッションに全力投球を続けていたんですが、12月に入って疲弊してきて、年の瀬に入って「これじゃ身体かメンタルのどちらかがぶっ壊れる」と思って全力投球モードをやめました。で、全力投球モードをやめて最近は何をしているかというと、宇宙探索です。<br />  <br /> <span itemscope itemtype="http://schema.org/Photograph"><a href="http://f.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20231225113927" class="hatena-fotolife" itemprop="url"><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/p_shirokuma/20231225/20231225113927.png" width="600" height="300" loading="lazy" title="" class="hatena-fotolife" itemprop="image"></a></span><br />  <br /> <a href="https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20201220/1608455119">2020&#x5E74;&#x306B;&#x7D39;&#x4ECB;&#x8A18;&#x4E8B;&#x3092;&#x66F8;&#x3044;&#x305F;</a>ことのある『Elite Dangerous』というやや古い宇宙MMOですね。このゲームで私が一番気に入っているのは深宇宙探査です。人類未踏のエリアを探索し、地図を作って人類圏に持ち帰る。【未知の恒星系にワープする→惑星探査をする】だけのシンプルなお仕事です。この繰り返しが、作業感があって、果てしなくて、いいんですよ。<br />  <br /> <span itemscope itemtype="http://schema.org/Photograph"><a href="http://f.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20231225113944" class="hatena-fotolife" itemprop="url"><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/p_shirokuma/20231225/20231225113944.png" width="600" height="436" loading="lazy" title="" class="hatena-fotolife" itemprop="image"></a></span><br />  <br /> 銀河でも星々の密集しているエリアはこんな具合で、探索できる恒星系はいくらでもあります。どれだけ個人が探索をしてもきりがないでしょう。この銀河がどこまでも広がっているのが『Elite Dangerous』の深宇宙です。<br />  <br /> <span itemscope itemtype="http://schema.org/Photograph"><a href="http://f.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20231225113936" class="hatena-fotolife" itemprop="url"><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/p_shirokuma/20231225/20231225113936.png" width="600" height="432" loading="lazy" title="" class="hatena-fotolife" itemprop="image"></a></span><br />  <br /> こーんなに広い銀河に約4000億もの恒星系が存在してるので、このゲームのスケールはどこか馬鹿げているし、個人のプレイヤーがチマチマ深宇宙探査したところで全体に与える影響なんてほとんどないでしょう。はっきり言って無駄です。<br />  <br /> その無駄でしかないように思えるゲームプレイが、今はすごく気持ち良いです。<br />  <br /> さきほど書いたように、2023年に入ってからの私はひたすら仕事とミッションに時間とエネルギーを費やしてきました。本業をやる。執筆活動をやる。資料を読む。将来に役立ちそうな学術書に目を通す。等々。ついこないだまで、「オレはぜんぜん遊ばなくても無限に働き続けられる中年になった、よって、能率的に働き続けることができるのである」と本気で信じていたので、そのように生活してきました。ゲームをやらず、アニメもあまり視聴せず、ブログやtwitter(X)もマトモに書いてきませんでした。まっすぐ働く。効率厨的に働く。すべての時間とエネルギーは、明日の戦いのためにその次の戦いのためにその次の次の戦いのために。そうやって効率と能率を突き詰めた生活を一年間近く続けてきました。<br />  <br /> そういう生活を続けていたら、いつしか限界になっていました。今年の後半に入ってとうとう何度か体調を崩してしまい、インフルエンザにもかかってしまいました。それと息が詰まったり不整脈っぽいのが出たり、心身に問題が生じている相が出てきたのです。これは危ない。危なくなってから、ちょっとのんびりしたくなったと同時に何か無駄なことがしたくなりました。で、久しぶりに『Elite Dangerous』を起動させて、絶対に終わらない深宇宙探査を再開したわけです。<br />  <br /> はじめは宇宙船の操作方法すら忘れてしまい、危うく恒星に突っ込みそうになったりしましたが、じきに思い出して深宇宙を散歩しています。金策や評判稼ぎに追い回されるゲームではないので<a href="#f-d4ad9245" id="fn-d4ad9245" name="fn-d4ad9245" title="それらを頑張ることもできますし、プレイし始めた頃はさすがに宇宙船の代金を支払うためにちょっと頑張りました">*1</a>、効率や能率について一切考えずに遊べます。そういう意味では、効率厨の毒を中和するにはちょうど良いゲームだったかもしれません。このゲームに比べたら、ソーシャルゲームなんてほとんど仕事。ゲームの内側でまで能率性や効率性を追い求めることに、私は疲れてしまったのです。<br />  <br />  </p> <div class="section"> <h4 id="でも半年ぐらいなら無限労働中年の気持ちになれるかも"><span style="color: #d32f2f"><strong>でも、半年ぐらいなら無限労働中年の気持ちになれるかも</strong></span></h4> <p> <br /> 12月に入ってからは、時間に空きができるたびに深宇宙探査をやっています。そのおかげか、身体の調子が少しずつ戻ってきて窒息しそうな状態も減ってきました。ノーゲーム・ノーライフ。「オレは無限労働中年になれた」と勘違いしていましたが、私のような人間には遊びが必要だったのですね。<br />  <br /> でも、約一年近くワーッと無限労働中年気取りを続けた値打ちもありました。2023年に読んだ本・書いた原稿は数知れず。そうした成果の第一弾として、2024年1月20日には『<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4479394192?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1">「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド</a>』が大和書房さんから発売され、第二弾として2024年2月20日には『<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/415340019X?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=osi&amp;th=1&amp;psc=1">人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)</a>』が早川書房さんから発売される予定です。一年間に二冊の書籍をほぼ同時進行で書いたのは初めてでしたが、それぞれテーマが大きく異なっていたため意外にできてしまいました<a href="#f-827a168e" id="fn-827a168e" name="fn-827a168e" title="『「推し」で心はみたされる?』は個人の心理的充足と社会適応の本で『人間はどこまで家畜か』は有史以前から現代までの文化や環境の移り変わりと私たちの精神性についての本です">*2</a>。とはいえ、これらを作成できたのは無限労働中年だと自分自身を思いこんでいたからに違いありません。<br />  <br /> この1年で得た教訓は、「自分は遊びの必要な人間だ」であると同時に「半年ぐらいなら無限労働中年の気持ちでやれそうだ」でもありました。私には遊びが必要ですが、20~30代の頃に比べれば息を止めて仕事やミッションに打ち込める時間が長くなりました。もうすぐ50代を迎えようとしている私の人生は残り短く、自分にやれる仕事は限られ、なすべきミッションも選ばなければならないと強く思うようになりました。だから精を出して働くべきなのですが、これは遊びにも言えることで、この先遊んでいられるゲームの数・みられるアニメの数は限られていると思っておかなければならないでしょう。<br />  <br /> でも、そういう「残り時間が少ないから、効率的・能率的になんでもやっていこう」ってのにちょっと嫌気がさしてしまいました。人生の効率厨をきわめれば、確かに仕事もミッションもたくさんこなせるし、ゲームやアニメだってもっと多くみられるかもしれない。でも、それが極まって効率性と能率性のしもべみたいな生活を続けたら、やっぱり私はおかしくなってしまうし、ゲームやアニメからさえ、いわゆる「遊び」が失われてしまう。義務と効率でゲームやアニメを追いかけるって、どこかナンセンスですよ。でも、人生にたくさん詰め込もうと思い詰めてしまうと、そのナンセンスが避けづらくなる。効率を意識するのは大切なことだけど、度が過ぎないよう、来年からは注意していきたいと思います。<br />  <br />  </p> </div><div class="footnote"> <p class="footnote"><a href="#fn-d4ad9245" id="f-d4ad9245" name="f-d4ad9245" class="footnote-number">*1</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">それらを頑張ることもできますし、プレイし始めた頃はさすがに宇宙船の代金を支払うためにちょっと頑張りました</span></p> <p class="footnote"><a href="#fn-827a168e" id="f-827a168e" name="f-827a168e" class="footnote-number">*2</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">『「推し」で心はみたされる?』は個人の心理的充足と社会適応の本で『人間はどこまで家畜か』は有史以前から現代までの文化や環境の移り変わりと私たちの精神性についての本です</span></p> </div> p_shirokuma 『「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド』が出版されます hatenablog://entry/6801883189067073959 2023-12-25T21:00:00+09:00 2023-12-26T09:17:07+09:00 2022年、2023年と私は書籍を出版するに至れませんでした。が、2024年の1月20日に、まずこの本が出版されることとなりました。 「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド作者:熊代 亨大和書房Amazon はい。タイトル的には、2010年代の後半あたりから急速にスラングとして広く使われるようになった「推し」についての書籍です。 半年ほど前にも少し書きましたが、「推し」はマズローの欲求段階ピラミッドでいえば所属欲求に該当する社会的欲求で、社会的欲求としては承認欲求と同じぐらいメジャーなものと私は認識しています。ところが所属欲求は、時代の針が個人主義に触れ過ぎた20世紀後半か… <p> <br /> 2022年、2023年と私は書籍を出版するに至れませんでした。が、2024年の1月20日に、まずこの本が出版されることとなりました。<br />  <br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4479394192?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/511I4HLSQhL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド" title="「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4479394192?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%B7%A7%C2%E5%20%B5%FC" class="keyword">熊代 亨</a></li><li>大和書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4479394192?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br />  <br /> はい。タイトル的には、2010年代の後半あたりから急速にスラングとして広く使われるようになった「推し」についての書籍です。<br />  <br /> <a href="https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20230614/1686743578">&#x534A;&#x5E74;&#x307B;&#x3069;&#x524D;</a>にも少し書きましたが、「推し」はマズローの欲求段階ピラミッドでいえば所属欲求に該当する社会的欲求で、社会的欲求としては承認欲求と同じぐらいメジャーなものと私は認識しています。ところが所属欲求は、時代の針が個人主義に触れ過ぎた20世紀後半から21世紀初頭にかけて軽視されて、ダサくて田舎っぽいものとみなされる以上の意義をサブカルチャーのなかで失っていきました。<br />  <br /> その所属欲求が、SNSの普及とともに「推し」という新しいかたちをなし、サブカルチャーの一領域 (たとえばAKBとその周辺など) から徐々に広まるかたちで浸透・定着していきました。<br />  <br /> 今日では、(かつての男性オタクのように「萌える」のでなく)コンテンツやキャラクターや人物をみんなで推す、すなわち応援したり見守ったりリスペクトしたりする姿勢は珍しいものではありません。<br />  <br /> にもかかわらず、昨今の「推し」は、ちょうど承認欲求がいちばん流行っていた頃と同じような、毀誉褒貶の激しい状況にあると私はみています。承認欲求は私たちをモチベートしてくれる重要な心理的欲求ですが、これが制御不能になって際限なく「いいね」を欲しがってしまったり、極端すぎる行動に出てしまって社会的損失を招いてしまう人がいたりしました。それらを見た人々が「承認欲求はヤバいもの」「軽蔑すべきもの」のように語ったのを私は憶えています。<br />  <br /> 現在の「推し」も、そうではないでしょうか。推し活が制御不能になってしまった結果、際限なくにお金を貢いでしまったり、周囲の人や他のファンへの迷惑を省みない行為に出てしまったりする人がいます。それらを見た人々が「推し」を忌避すべきもの・軽蔑すべきものとして語っているのをときどき見かけます。<br />  <br /> 「いいね」と承認欲求にしても、「推し」と所属欲求にしても、欲求が制御不能になって極端すぎる行動に出てしまえば、身の破滅を招いたり周囲の人に迷惑をかけたりするおそれはあるでしょう。しかし、それは他の欲求全般にも言えることではないでしょうか。そしてまた、一部の極端な人々をよそに、多くの人は承認欲求や所属欲求をとおして気持ちが充たされたと感じたり、モチベーションを感じ取ったりして、人生を前進させてきたのではなかったでしょうか。<br />  <br />  <br />  </p> <div class="section"> <h4 id="2020年代の承認欲求と所属欲求の話から2020年代のナルシシズム自己愛の話へ"><span style="color: #d32f2f"><strong>2020年代の承認欲求と所属欲求の話から、2020年代のナルシシズム(自己愛)の話へ</strong></span></h4> <p> <br />  <br /> この本は、そうした人間の心理的欲求について、マズローの承認欲求と所属欲求という言葉を借り、さらにコフートのナルシシズム(自己愛)という概念とその成長モデルを参考にしながら、2020年代風に考え直してみようという本です。もちろんこの本はガチガチの学術書を目指したものではないので、新しい内容をできるだけ多くの人に読んでいただけることを目指してつくりました。その際にぴったりのキーワードが、タイトルにもあるように「推し」なのです。以下、この本の章構成を紹介しておきます。<br />  <br /> <strong>第1章</strong> 承認の時代から「推し」の時代へ――21世紀の心理的充足のトレンド<br /> <strong>第2章</strong> 推したい気持ちの正体――SNS時代のナルシシズム<br /> <strong>第3章</strong> 「いいね」と「推し」に充たされ、あるいは病んで――自己愛パーソナリティの時代と成熟困難<br /> <strong>第4章</strong> 「推し」をとおして生きていく――淡くて長い人間関係を求めて<br /> <strong>第5章</strong> 「推し」でもっと強くなれ――生涯にわたる充足と成長<br />   <br />  <br /> 「推し」は、推す側の気持ちが充たされるだけでは済まない点がとても面白く、重要だと私は感じています。本来、(承認欲求も含めた)心理的欲求は人と人との間で起こるもので、お互いに作用する心の現象なわけですから、個人の心の問題、個人のモチベーションの問題って考えるだけでは片手落ちのはずなんです。私たちが誰かを推す時って、推している自分自身の心がみたされるだけでなく、推される人の心だってみたされるじゃないですか。<strong>「推し」には自分がみたされるのに加えて他人をエンパワーする力がある</strong>、と言えば良いでしょうか。それだけじゃありません。ときには「推し」が人と人とを結びつけ、大きな集団や組織をかたちづくることさえあります。<br />  <br /> 『「推し」で心はみたされる?』というテーマについて考える際には、この「推し」が<strong>個人では完結しない点</strong>、とりわけ身近な間柄で推しが起こる際にはエンパワーや人間関係の強化といった社会的影響が伴う点を意識しないわけにはいきません。というか、「推し」や所属欲求をとおして人生をもっとハッピーにしていこうと思うなら、ここにこそ注目すべきだと思うんですよ。<br />  <br /> こうした、個人に完結しない「推し」の性質をよくよく踏まえながらマズローやコフートを語っている点、それも、2020年代の情況を意識しながら語っている点も、この本のセールスポイントのひとつだと私は考えています。マズローについて書かれた本、コフートについてかかれた本は世の中にそれなりに存在しますが、「推し」の性質や2020年代の情況を踏まえたうえで記された本は、私の知る限り、まだ存在しません。<br />  <br /> 現代社会はコミュニケーションの少なくない部分がオンライン化していて、承認欲求や所属欲求やナルシシズムを充たす経路として無視できなくなっています。アニメやゲームのキャラクターのような対象が精神生活に占めるウエイトも大きいでしょう。また精神医療の世界では発達障害という、マズローやコフートの時代にはできあがっていなかった疾患概念が根付いています。その点についても一定の言及が必要だとも思います。<br />  <br /> 以前から私は、そうした現代の情況に対応した本を作ってみたいと思っていました。そして大和書房の編集者さんが突然、その機会を与えてくださったので、私は好機とみて電撃的にこの本の原稿を完成させました。<br />  <br /> より良い推し活ライフをとおして人生を豊かにしていきたい人、「推し」についてもう少し学問寄りの言葉で理解を深めてみたい人、2020年代の現状に即したかたちでマズローやコフートについて考えてみたい人にとりわけお勧めです。皆さんも、良く推して、良く推されて、良い人生を!<br />  <br />  </p> </div> p_shirokuma ちょっと昔の精神医療思い出話3(有料記事) hatenablog://entry/6801883189068114057 2023-12-21T09:19:53+09:00 2023-12-21T14:09:52+09:00 こちらの続きです。今回は精神分析やドイツ精神病理学の言葉から、アメリカ精神医学や(DSMやICDといった)操作的診断基準に基づいた言葉へと精神医療の現場の言葉が変わっていった、そんな移り変わりについて書いてます。発達障害の診断頻度が高まっていった時代についても触れていますが、あくまで思い出話なので、学術的な分析とかそういう感じからは距離を取っています。 サブスクしている常連読者のかただけ、どうぞ。 <p> <br /> <a href="https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20231123/1700722008">&#x3053;&#x3061;&#x3089;</a>の続きです。今回は精神分析やドイツ精神病理学の言葉から、アメリカ精神医学や(DSMやICDといった)操作的診断基準に基づいた言葉へと精神医療の現場の言葉が変わっていった、そんな移り変わりについて書いてます。発達障害の診断頻度が高まっていった時代についても触れていますが、あくまで思い出話なので、学術的な分析とかそういう感じからは距離を取っています。<br />  <br /> サブスクしている常連読者のかただけ、どうぞ。<br />  </p> p_shirokuma 「いにしえの00年代のインターネットへの憧れ」はわかる気がする hatenablog://entry/6801883189068105650 2023-12-20T21:11:18+09:00 2023-12-28T09:08:31+09:00 今の10代の人の間で、「ゼロ年代のいにしえのインターネットへの憧れ」がそこそこ共有されているっぽいのに最近気づいてる— highland (@highland_sh) 2023年12月18日 highlandさんの上掲投稿を見かけて、その少し前に読んだ00年代のブロガーの文章を連想せずにはいられなかった。 amamako.hateblo.jp gothedistance.hatenadiary.jp 未経験な世代の憧れを牽引し、その時代を経験した世代も懐古的に当時を語る、その00年代のインターネットとはどういうものだったのか? 私も思い出したくなったので少しだけ書く。 「当時のインターネットは… <p> <br />  <blockquote data-conversation="none" class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">今の10代の人の間で、「ゼロ年代のいにしえのインターネットへの憧れ」がそこそこ共有されているっぽいのに最近気づいてる</p>&mdash; highland (@highland_sh) <a href="https://twitter.com/highland_sh/status/1736744084994424877?ref_src=twsrc%5Etfw">2023年12月18日</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> <br />  <br /> highlandさんの上掲投稿を見かけて、その少し前に読んだ00年代のブロガーの文章を連想せずにはいられなかった。<br />  <br /> <iframe src="https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Famamako.hateblo.jp%2Fentry%2F2023%2F12%2F16%2F025507" title="インターネット・サブカルという夢の終わり - あままこのブログ" class="embed-card embed-blogcard" scrolling="no" frameborder="0" style="display: block; width: 100%; height: 190px; max-width: 500px; margin: 10px 0px;" loading="lazy"></iframe><cite class="hatena-citation"><a href="https://amamako.hateblo.jp/entry/2023/12/16/025507">amamako.hateblo.jp</a></cite><br /> <iframe src="https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fgothedistance.hatenadiary.jp%2Fentry%2F2023%2F12%2F12%2F010716" title="息を吐くようにブログを書いていたあの頃 - GoTheDistance" class="embed-card embed-blogcard" scrolling="no" frameborder="0" style="display: block; width: 100%; height: 190px; max-width: 500px; margin: 10px 0px;" loading="lazy"></iframe><cite class="hatena-citation"><a href="https://gothedistance.hatenadiary.jp/entry/2023/12/12/010716">gothedistance.hatenadiary.jp</a></cite><br />  <br /> 未経験な世代の憧れを牽引し、その時代を経験した世代も懐古的に当時を語る、その00年代のインターネットとはどういうものだったのか? 私も思い出したくなったので少しだけ書く。<br />  <br />  </p> <div class="section"> <h4 id="当時のインターネットは良いことづくめじゃなかったという一面"><span style="color: #d32f2f"><strong>「当時のインターネットは良いことづくめじゃなかった」という一面</strong></span></h4> <p> <br /> この問題について、同じくhighlandさんは絶対に無視できない一面にも触れている。<br />  <blockquote data-conversation="none" class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">おもしろい個人サイトとか、フラッシュ動画とか、2ちゃんの面白コピペとか見てたら良い雰囲気に見えるけど、昔の2ちゃんねるの無編集生ログとか見てたらこの時代過ごしたくないなあって自分は思っている</p>&mdash; highland (@highland_sh) <a href="https://twitter.com/highland_sh/status/1736745612568313967?ref_src=twsrc%5Etfw">2023年12月18日</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> <br />  <br /> 00年代のインターネットの良い側面だけを取り出せば、それは華やかかりし時代、今日のインターネットに繋がるさまざまなアイデアが生まれてくる時代、コンテンツやサービスがいよいよ具現化し、羽化しようとしている時代とみえるかもしれない。でも、それは一番華やかで現在に連なる好ましい側面でしかない。上掲でも挙げられているように、編集されていない2ちゃんねるのスレッドには良い面もあれば悪い面もあった。10年代以降に磨かれていったネットサービスの需給体系を専ら経験してきた世代からみて、編集されていない2ちゃんねるのスレッドは冗長で、しばしば差別的で、無法で、安全ではなく、便利とも言えない何かにみえるんじゃないだろうか。<br />  <br /> でもって、00年代のインターネットには他にもいろいろなものがまかり通っていて……今日ではオンラインでもオフラインでも通用しないものがのさばっていて……泣き寝入りするしかない諸々の出来事があった。ネオ麦茶事件のような有名事件があれば司法が介入してくるとしても、それでも司法の明かりは00年代のインターネットには大して届いてはいなかった。だから00年代のインターネット(やそれ以前のインターネット)を理想化するのはいいとしても、その際に忘却されがちな陰がついてまわっていたことは憶えておかなければならない。少なくとも、今日のインターネットに慣れきった人が顔をしかめるような一面があったのは事実だろう。<br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="だけどあの自由さと新しさはもう二度と戻ってこないのではないか"><span style="color: #d32f2f"><strong>だけど、あの自由さと新しさはもう二度と戻ってこないのではないか</strong></span></h4> <p> <br /> それでも00年代のインターネットを特別視したくなる気持ちは私にもある。だってあの頃のインターネットは既にある程度広大でありつつ、そのくせフロンティアでもあり、ある程度自由だったからだ。<br />  <br /> さきほど、司法の明かりが当時のインターネットにあまり届いていなかったと書いたけれども、それは、あらゆるものを換金作物化・ビジネス化・道徳化していく勢力もまだあまり入り込んでいなかったということでもある。当時のインターネットを単なる無法地帯とみなすのも、それはそれで単純化しすぎた見方だ。あらゆるものが無料で手に入り、無料で提供しても構わない、そんな時代でもあった。たとえば当時のゲームwikiなどはその精髄と言える。ブログ・ウェブサイト・wikiなどに無料でたくさんの知識やアーカイブがアップロードされ、そのことを当たり前と思う人がまだまだ多かった。<br />  <br /> あらゆる知識やアーカイブに無料でアクセスできると同時にあらゆる知識やアーカイブを無料でアップロードしていくという、資本主義の論理とは異なった論理に基づいて多くの人が考え、行動していた。その当時の景色は、インターネットの森羅万象が資本主義化した今日のインターネットとはだいぶ違っていたと思う。こうした文化風土は、Youtubeやニコニコ動画やtwitterやFacebookがだんだん整備されていく00年代後半になっても残存していた。<br />  <br /> でもって、その動画サイトやSNSが出始めた頃のワクワク感。これも、10年代以降の、すでに大きくなったネットサービスたちが幅を利かせている状況に慣れている人には、未体験なワクワク感ではなかったかと思う。2023年になってtwitterがXなどと呼ばれるようになり、スレッドやブルースカイといった小さなネットサービスを生み出すに至ったけれども、スレッドやブルースカイはいわばwitterの代替物のように登場したのであって、twitterが開闢した時のインパクトを伴っているわけではない。そしてそれらのサービスのユーザーにしても、その大半はすでにSNSなるものに慣れきっている、すれっからしの人たちでしかない。<br />  <br /> 新しく大規模なネットメディアがブレイクしてたちまち大量のアーリーアダプターひいてはアーリーマジョリティを巻き込んでいくその雰囲気は、tiktokでもちゃんと再現されていたんだろうか? メタバースがこれからそうなると想像すればいいんだろうか? どうあれ幾つものネットサービスがドッカンドッカンと開闢してどっと人が流れ込んでいく構図が続けざまにみられたのは、ブログの時代が始まってからインスタグラムがリリースされるぐらいまでの、比較的短期間に集中していたように思い出される。<br />  <br /> そうした00年代のネットの雰囲気を思い出すキーワードのひとつとして、「web2.0」という言葉を挙げたい。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00E5XATWC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41g7kEFAVCL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="ウェブ進化論――本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)" title="ウェブ進化論――本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00E5XATWC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">ウェブ進化論――本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%C7%DF%C5%C4%CB%BE%C9%D7" class="keyword">梅田望夫</a></li><li>筑摩書房</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00E5XATWC?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br /> かつてweb2.0という言葉が持てはやされたことがあった。その言葉と梅田望夫『ウェブ進化論』を、古参ネットユーザーなら憶えているだろう。今日では、この『ウェブ進化論』とそこに記されているweb2.0という言葉は雲散霧消してしまった。だが、00年代においてこの言葉は確からしく見えたのだ。そのweb2.0の理想像は、資本主義や法治主義の論理とは異なった論理がまかり通っていた00年代のインターネットの風景や、当時のネットユーザーたちの行動原理とあるていど重なる。逆に言うと、資本主義や法治主義の論理が浸透してきた先において、web2.0という理想像を成立させていた当時のインターネットの与件は成立しなくなっていく。<br />  <br /> その、資本主義や法治主義的なものがweb2.0的なものにとって代わっていくプロセスは00年代からすでに始まっていたけれども、なんといってもそれが加速していったのは10年代以降だった。2011年に起こった東日本大震災あたりから、SNSをはじめとするインターネットはフォーマル寄りな言説空間にもなっていき、世間的にも、政治的にもなっていった。テレビにSNSの投稿がバシバシ流れるようになったのもその頃だっただろうか。<br />  <br /> そういえば00年代にはスマートフォンがまだ来ていなかった。ガラケーの時代であり、mixiの時代であり、LINEやSNSに個人が紐付けられていなかった時代でもある。アニメやゲームやボカロといったものがユースカルチャーのメインストリームに成り代わっていく進行過程を私たちは主にPCをとおしてブラウズしていた。ここで挙げていいのかわからないが、たとえば『シュタインズ・ゲート』も、当時の雰囲気を切り取ったタイムカプセルのようにうつる。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00KU3Y5CG?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/61Zw1JI-gRL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="STEINS;GATE -シュタインズ・ゲート-:コンプリート・シリーズ 廉価版 北米版 / Steinsgate: Complete Series Classic [Blu-ray+DVD][Import]" title="STEINS;GATE -シュタインズ・ゲート-:コンプリート・シリーズ 廉価版 北米版 / Steinsgate: Complete Series Classic [Blu-ray+DVD][Import]"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00KU3Y5CG?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">STEINS;GATE -シュタインズ・ゲート-:コンプリート・シリーズ 廉価版 北米版 / Steinsgate: Complete Series Classic [Blu-ray+DVD][Import]</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li></li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00KU3Y5CG?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br /> そういう時代・そういうインターネットの雰囲気は遠ざかった。である以上、当時を今とは違った一時代として思い起こすのはなんだかわかる気がする。とりわけ、今日のユースカルチャーをこよなく愛している若い世代が、そのルーツをたどっていった時に00年代なるものに辿りつき、そこで起こっていた事々に関心を寄せるのは自然なことでも健全なことでもあるだろう。だから……<br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="語り継いでいきたいですね00年代"><span style="color: #d32f2f"><strong>語り継いでいきたいですね、00年代</strong></span></h4> <p> <br /> だから語り継いでいきたいですね、00年代。<br />  <br /> 00年代は「個人がインターネットに書き残した言葉や文章が永遠に残っている」と期待できた時代でもあった。今はそうではない。今日のインターネットでは、個人が00年代についてどんなに言葉を書きこんだとしても、それらはトラフィックの濁流にのみ込まれてたちまち消えていく。それでも、語り継がれた言葉はどこかの誰かの記憶に残るかもしれないし参考になるかもしれない。<br />  <br /> きっとその筋のオーソリティーによってこれから「00年代正史」が書かれるだろう。が、それはそれとして00年代のインターネットをリアルタイムで呼吸していた私たちも、今とは異なるあの時代について、これからもおしゃべりしていきたい。00年代とそのインターネットは本当にあったからだ。<br />  <br />  </p> </div> p_shirokuma 感情移入の願望器としてのフリーレン、ぼっちちゃん、魔法少女 hatenablog://entry/6801883189067865807 2023-12-18T21:00:00+09:00 2023-12-19T15:13:06+09:00 俺は「フリーレン=自分がまだ年老いたり死んだりするところをリアルに想像できない10代の人間をマンガ的に変換したキャラ」だと思っているので、大食いの描写もじつに理にかなったものであるように感じる。— Rootport🧬 (@rootport) 2023年12月17日 『孤独のグルメ』のゴローちゃんのこともありますので、大食いであることは若さと絶対に結びついているわけじゃないでしょうけど、でも十代の人間もそうしてフリーレンに「入っていける」としたら結構なことだと思います。 これに先立つ数週間前、ツイッターで伊藤剛さんがおっしゃっていた内容をひいて「フリーレンは高齢オタクをひっかけるフックがすごい」… <p> <blockquote data-conversation="none" class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">俺は「フリーレン=自分がまだ年老いたり死んだりするところをリアルに想像できない10代の人間をマンガ的に変換したキャラ」だと思っているので、大食いの描写もじつに理にかなったものであるように感じる。</p>&mdash; Rootport🧬 (@rootport) <a href="https://twitter.com/rootport/status/1736256425872310612?ref_src=twsrc%5Etfw">2023年12月17日</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> <br />  <br /> 『孤独のグルメ』のゴローちゃんのこともありますので、大食いであることは若さと絶対に結びついているわけじゃないでしょうけど、でも十代の人間もそうしてフリーレンに「入っていける」としたら結構なことだと思います。<br />  <br /> これに先立つ数週間前、ツイッターで伊藤剛さんがおっしゃっていた内容をひいて「フリーレンは<a href="https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20231019/1697674271">&#x9AD8;&#x9F62;&#x30AA;&#x30BF;&#x30AF;&#x3092;&#x3072;&#x3063;&#x304B;&#x3051;&#x308B;&#x30D5;&#x30C3;&#x30AF;&#x304C;&#x3059;&#x3054;&#x3044;</a>」的なことを書きましたが、今度はRootportさんが十代の人間とおっしゃっていました。これらに関してneoMIO㌠さんは、<br />  <blockquote data-conversation="none" class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">&gt;俺は「フリーレン=自分がまだ年老いたり死んだりするところをリアルに想像できない10代の人間をマンガ的に変換したキャラ」だと思っているので<br><br>増えて来た高齢独身者層の願望を如実に表している事にされたり老いや死をリアルに想像出来ない層を変換した事にされたり色々背負わされて大変ねエルフは</p>&mdash; neoMIO㌠ (@MIOzockNEO) <a href="https://twitter.com/MIOzockNEO/status/1736607413619564620?ref_src=twsrc%5Etfw">2023年12月18日</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> <br /> と、書いておられました。<br />  <br /> これらを立て続けに眺めた私は、フリーレンってキャラクターはよくできているんだな、そして『葬送のフリーレン』って作品じたいもメチャクチャすごいんだな、と思ったりしました。フリーレンというキャラクターは、「高齢独身者層の願望を如実に表している事にされたり老いや死をリアルに想像出来ない層を変換した事にされたり色々背負わされて大変」というより、高齢視聴者にも十代の視聴者にも訴求力があるキャラクターだってことだとしたら……それって「大変」っていうより「すげえよくできたキャラクターじゃん!」って感心するところなんじゃないでしょうか。<br />  <br /> それって、フリーレンというキャラクターが願望器としてとても優れているってことだと思いませんか。 <br />  <br />  </p> <div class="section"> <h4 id="優れたキャラクター優れた作品は幅広い視聴者の願望器じゃなかったっけ"><span style="color: #d32f2f"><strong>優れたキャラクター、優れた作品は、幅広い視聴者の願望器じゃなかったっけ?</strong></span></h4> <p> <br /> 古来、大ヒットしたアニメはたいてい、いろいろな視聴者の願望器としての役割を引き受けてきました。子どもも、ティーンも、未婚成人も既婚成人もなにかしら感情移入できたり、思い入れたくなる場面や逸話があったり。それを感情移入の橋頭保と呼べばいいのか、視聴者を釣り上げる釣り針と呼べばいいのか、視聴者の願望をディスプレイの前で具現化する願望器と呼べばいいのか、どういう呼びかたが適切なのかは於いときましょう。とにかく、ごく狭い範囲の視聴者の願望を引き受けるだけでは、作品が届く範囲も狭くなってしまうでしょう。<br />  <br /> この視点で眺め直すと、『葬送のフリーレン』、少なくともアニメ版をみる限り、色々な視聴者の願望器としてばっちり機能していそうですよね。フェルンにお世話されながら研究を続けつつ旅する老いたフリーレンも、人間成人に比べて幼くみえるフリーレンも、それぞれ、視聴者が思い入れたり感情移入したりする側面のひとつひとつなんでしょう。それに加えて、ハイターがいて、アイゼンがいて、シュタルクがいて、ヒンメルがいて。ヒンメルそのものが感情移入の橋頭保になる人はあまりいないかもしれませんが、でもヒンメルにまつわる逸話はどれもいいですよね。そうやって『葬送のフリーレン』という作品じたい、色々な視聴者が感情移入したり思い入れを抱いたりする釣り針というかフックというかの巨大集合体みたいになっていて、色々な視聴者のエモーションを引きつける力を持っているようにみえます。<br />  <br /> 引きつける視聴者層はちょっと違うかもしれませんが、『ぼっち・ざ・ろっく!』だってそうだったじゃないですか。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0BHDPGSC4?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51kJFdGMIPL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="ぼっち・ざ・ろっく! 1(完全生産限定版) [Blu-ray]" title="ぼっち・ざ・ろっく! 1(完全生産限定版) [Blu-ray]"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0BHDPGSC4?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">ぼっち・ざ・ろっく! 1(完全生産限定版) [Blu-ray]</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li>青山吉能</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0BHDPGSC4?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br /> 結束バンドの四人はそれぞれ魅力的で個性豊か、でもみんな違った性質と逸話を持っていて。陽キャも陰キャも、エキセントリックな人もそうでない人も、バンドやってる人もやってない人も思い入れが持てるようにつくられていました。最近、アマゾンプライムに戻ってきたので再視聴してますが、やっぱり素晴らしいですね。私は10代でもバンドやってるわけでもありませんが、それでも『ぼっち・ざ・ろっく!』とそのキャラクターたちには夢中になります。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B004INGZAE?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51kDXEQIAnL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="魔法少女まどか☆マギカ 1 【完全生産限定版】 [Blu-ray]" title="魔法少女まどか☆マギカ 1 【完全生産限定版】 [Blu-ray]"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B004INGZAE?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">魔法少女まどか☆マギカ 1 【完全生産限定版】 [Blu-ray]</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li>悠木 碧</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B004INGZAE?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br /> 『魔法少女まどか☆マギカ』の時もそうでした。『まどか☆マギカ』がオンエアーされていた頃は、いろんな人がいろんな思い入れたっぷりに作品やキャラクターについて語っていました。『まどか☆マギカ』をとおして資本主義とか現代社会を朗々と論じている学者っぽい人も見かけた気がします。それだって願望器としての『まどか☆マギカ』の器の大きさ、キャパシティーの大きさの現れではなかったでしょうか。五人の魔法少女たちの人気は言うまでもなく。アラサーになったマミさんの同人誌とかもありましたよね? 個性豊かな魔法少女たちは、そのまま願望器のバリエーションの豊かさ、引き受けられる感情移入や思い入れのバリエーションの豊かさでした。そういった思い入れのバリエーションをもっと工業的に増産すると、『アイマス』や『艦これ』みたいな大量キャラクター作品になってくるのかもしれませんが、そういうのはアニメよりソシャゲで栄えている手法でしょうか。<br />  <br /> 誰が・どこまで・どんなキャラクターやエピソードに感情移入や思い入れできるのか・できないのかは、個々人の体験や立場や想像力に左右され、誰もが・何にでも感情移入できるわけではありません。また、感情移入すること、思い入れること、みずからの願望をキャラクターやエピソードのうちに見出すことだけが作品を楽しむ経路ではないことも断っておきましょう。でも、そうは言っても個人においては感情移入や思い入れがあったほうが作品世界に没頭できる可能性は高くなるし、作品においてはより多くの視聴者に感情移入や思い入れさせること・より多くの視聴者の願望器として機能できることが重要でしょう。作品の優劣はさまざまなものに左右されるでしょうけど、こと、人気という点では、より多くの視聴者の願望器たりえる作品であること、それに好都合なキャラクターやエピソードを取り揃えていることが大切なのだと思います。<br />  <br /> この観点からみても、フリーレン自身、ひいては『葬送のフリーレン』は往年の傑作たちと肩を並べる作品じゃないか、と私は思います。フリーレンが長命種であること、歳月という要素がついてまわっていることのおかげで、願望器としてなんだか独特な感じじゃないでしょうか。少なくとも私はこれにすっかり魅入られていて、毎週正座して視聴しています。<br />  <br /> [関連]:<a href="https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20121016/p1">&#x9858;&#x671B;&#x5668;&#x3068;&#x3057;&#x3066;&#x306E;&#x7F8E;&#x5C11;&#x5E74;&#xFF0F;&#x7F8E;&#x5C11;&#x5973;&#x2015;&#x2015;&#x30AD;&#x30E3;&#x30E9;&#x3092;&#x6D88;&#x8CBB;&#x3059;&#x308B;&#x3068;&#x3044;&#x3046;&#x3053;&#x3068; - &#x30B7;&#x30ED;&#x30AF;&#x30DE;&#x306E;&#x5C51;&#x7C60;</a>(2012)<br />  <br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CK8BJP9Z?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51-v+651GwL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="【Amazon.co.jp限定】「葬送のフリーレン」Blu-ray(Vol.1 初回生産限定版)  (Amazon特典:描き下ろしB2布ポスター&メガジャケ、全巻購入メーカー特典:描き下ろし全巻収納BOX シリアルコード付)" title="【Amazon.co.jp限定】「葬送のフリーレン」Blu-ray(Vol.1 初回生産限定版)  (Amazon特典:描き下ろしB2布ポスター&メガジャケ、全巻購入メーカー特典:描き下ろし全巻収納BOX シリアルコード付)"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CK8BJP9Z?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">【Amazon.co.jp限定】「葬送のフリーレン」Blu-ray(Vol.1 初回生産限定版)  (Amazon特典:描き下ろしB2布ポスター&メガジャケ、全巻購入メーカー特典:描き下ろし全巻収納BOX シリアルコード付)</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li>種﨑敦美</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0CK8BJP9Z?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br />  <br />  </p> </div> p_shirokuma 「ヒト、または日本人はASDに進化しないと思う」 hatenablog://entry/6801883189065645252 2023-12-14T15:24:38+09:00 2023-12-15T18:02:13+09:00 私のタイムラインでは、定期的に「人類はASD(自閉スペクトラム症)的な方向に進化していく」「未来の人類はもっとASD的だ」といった内容の文字列が流れていく。そうした文字列を書いている人の属性はさまざまで、そう思っている人が結構いるんだろうなと思っている。 しかし、人類(ここからはヒトと書く)はASD的な方向に進化できるのだろうか? 特にもし、日本の現在の環境下が続くと考えた時に、ASD的な特性が日本人の多数派になっていくとは考えづらい。そのことを文章にしておきたくなった。 でも、肝心なのは性選択で勝ち残れるかどうかじゃないの? 2023年の12月に「ヒトはASD的な方向に進化していく」的なお話… <p> <br /> 私のタイムラインでは、定期的に「人類はASD(自閉スペクトラム症)的な方向に進化していく」「未来の人類はもっとASD的だ」といった内容の文字列が流れていく。そうした文字列を書いている人の属性はさまざまで、そう思っている人が結構いるんだろうなと思っている。<br />  <br /> しかし、人類(ここからはヒトと書く)はASD的な方向に進化できるのだろうか? 特にもし、日本の現在の環境下が続くと考えた時に、ASD的な特性が日本人の多数派になっていくとは考えづらい。そのことを文章にしておきたくなった。<br />  <br />  </p> <div class="section"> <h4 id="でも肝心なのは性選択で勝ち残れるかどうかじゃないの"><span style="color: #d32f2f"><strong>でも、肝心なのは性選択で勝ち残れるかどうかじゃないの?</strong></span></h4> <p> <br /> 2023年の12月に「ヒトはASD的な方向に進化していく」的なお話が目に付きやすくなった引き金は、たぶん、東北大学の研究グループの発表だろう。yahooニュースでは以下のように報じられている。<br />  <br /> <iframe src="https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fnews.yahoo.co.jp%2Farticles%2F330da5d9ee471258b7902b70476fcc5096ed0e78%3Fsource%3Dsns%26dv%3Dsp%26mid%3Dother%26date%3D20231210%26ctg%3Dsci%26bt%3Dtw_up" title="老化で精子の遺伝子制御が変化、子の神経発達障害リスクに 東北大(Science Portal) - Yahoo!ニュース" class="embed-card embed-webcard" scrolling="no" frameborder="0" style="display: block; width: 100%; height: 155px; max-width: 500px; margin: 10px 0px;" loading="lazy"></iframe><cite class="hatena-citation"><a href="https://news.yahoo.co.jp/articles/330da5d9ee471258b7902b70476fcc5096ed0e78?source=sns&dv=sp&mid=other&date=20231210&ctg=sci&bt=tw_up">news.yahoo.co.jp</a></cite><br />  <br /> 年を取った男性の精子は、より若い男性の精子に比べてASDの発症リスクが高い。そして現代社会は高齢出産が増えており、より高齢な男性の精子が受精に用いられる頻度も高くなっている → 生まれてくる子どもが自閉スペクトラム症の特性を持って生まれてくる確率も高まるのは、そうかもしれないですね、と思った。<br />  <br /> だが、そうして生まれてくる頻度の高まったASDの人たちは、そうでない人たちと同じぐらいに子をなし、その行動形質を次代に伝えられるだろうか? 言い換えれば、ASDの人たちは現環境下の自然選択と性選択において非-ASDの人に比べて有利とまではいかなくても互角ぐらいにはやっていけるのだろうか?<br />  <br /> ある行動形質、たとえば自閉スペクトラム症でも社会不安症でもなんでもいいが、そういう行動形質を持っている人が生まれてくる頻度が高い社会が到来しても、その行動形質を持ったひとりひとりが自然選択と性選択に十分に適合できるのでなければ、その行動形質がヒトの遺伝子プール内において頻度の高いものになっていくことはない。たとえばASDの人が生まれてくる頻度が今までの二倍になったとしても、そのASDの人々が子をなす程度が非-ASDの人々の半分もなかったら、世代が進むにつれ、むしろASDの人はだんだんヒトの遺伝子プールのなかで頻度の稀なものになっていくだろう。進化とは、せんじ詰めれば遺伝子プールのなかに現れる形質の頻度の問題だから、この仮定の場合、ヒトはASD的な方向には進化しないことになる。<br />  <br /> ASD的な方向にヒトが進化していくか否かの鍵を握っているのは、ASDの行動形質を持った個体がどれだけ生まれてくるのかもさることながら、そうした行動形質の個体がどれだけ自然選択や性選択に耐え、次世代を残せるのかにかかっている。で、たぶんだけど前者よりも後者のほうが現時点ではクリティカルな問題ではないだろうか。<br />  <br /> ASDの人がどれぐらい自然選択や性選択において不利を被っているのかは、即座に挙げられる資料がない。けれども関連があるのではないか、と思われる統計はある。内閣府のウェブサイトにある「障碍者の状況等(基礎的調査等より)」などでこれは確認できる。<br />  <br /> <a href="https://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/h25hakusho/gaiyou/h1_01.html">&#x7B2C;1&#x7DE8; &#x7B2C;1&#x7AE0; &#x969C;&#x5BB3;&#x8005;&#x306E;&#x72B6;&#x6CC1;&#xFF08;&#x57FA;&#x672C;&#x7684;&#x7D71;&#x8A08;&#x3088;&#x308A;&#xFF09;&#xFF5C;&#x5E73;&#x6210;25&#x5E74;&#x5EA6;&#x969C;&#x5BB3;&#x8005;&#x767D;&#x66F8;&#xFF08;&#x6982;&#x8981;&#xFF09; - &#x5185;&#x95A3;&#x5E9C;</a><br />  <br /> これによれば精神障碍者に当該する人は、そうでない人よりも配偶率が低い。日本では、配偶率の低さは子どもをもうける頻度の低さにほぼ直結しているので、精神障碍者に当該する人は子をもうけにくくなっているとみなして構わないだろう。ASDに限らず、なんらかの精神障碍者に当該する人は性選択において不利を被っている可能性が高い。また、その性選択という観点でみれば、<a href="https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/21536975/">ASD&#x306E;&#x75AB;&#x5B66;&#x8AD6;&#x6587;</a>に記されている「ASDの人は独身である割合が大幅に高い」という文言からも、ASDの人が性選択において大幅に不利であることが想像される。ASDの人が配偶しないのか、できないのかはここではあまり重要ではない。どうあれ、結果としてあるASDの人が配偶せず、性行為や子育てをとおして好首尾に子をもうけることもなければ、そのASDの人の行動形質は後世の遺伝子プールに残らないことになる。だからより多くのASDの人が配偶や子育てをしない傾向を持っているなら、高齢受精によって新たに生まれてくるASDの人がちょっとぐらい増えたとしても結局ヒトの遺伝子プールにASDの行動形質の出現頻度は増えていかず、むしろ、低下さえしていくのではないだろうか??<br />  <br /> 大事なことだと思うので念押し的に書くと、ヒトがASD的な方向に進化するかどうかを左右するキーポイントは、高齢出産等をとおしてASDの行動形質を持った人が生まれてくる頻度がどれだけ高まるのか以上に、自然選択と性選択をとおしてその行動形質がどれだけ次世代に伝えられ、それが首尾よくヒトの遺伝子プールに広められ、そのなかでの頻度や割合を増していくかではないか? とここでは問うている。で、私は後者のほうが大きいじゃないかと思っているわけだ。<br />  <br />  </p> </div> <div class="section"> <h4 id="むしろ日本社会はASD的な特性を減らす方向に変わり続けていないか"><span style="color: #d32f2f"><strong>むしろ日本社会はASD的な特性を減らす方向に変わり続けていないか?</strong></span></h4> <p> <br /> そもそも、この数十年間、この日本社会と文化は(いや概ね先進国の社会と文化は、と言い換えてもいいかもしれない)ASD的な特性や行動形質を必要なものから不要なものへ、役に立ちやすいものから役に立ちにくいものへと変え続けてきたのではなかっただろうか。<br />  <br /> それは精神科臨床だけを眺めていてもある程度勘づくことではある。大人のASDが次々に診断されるようになっていった2010年代以降、新たにASDと診断された中年や高齢者の生活歴や、ASDと診断された子どもの親でカルテの備考欄に「父親(母親)はASD的傾向を有する」と書かれた中年や高齢者たちの生活歴は、発達障害がブームになるまで、その人々が社会のなかでどうあれ活躍していたことを物語っている。子どもよりも父親のほうがASD的な傾向が強いぐらいなのに、父親は社会人として定年まで働ききり、その息子が「おまえもちゃんと働け」と父親にネチネチと言われて親子喧嘩が絶えない……的な状況も珍しくない。<br />  <br /> 現代社会とその文化が個々人に求めている資質、「どのような人が社会に適応しやすく適職を見つけやすいか」に関してもそうだ。第一次産業や第二次産業のウエイトが多かった時代、人的流動性の低かった時代には求められなかった資質が、この、第三次産業のウエイトが大きく人的流動性の高い社会には必要とされている。ずっと同じ工場で・ずっと同じ作業を続けていればそれで良しとする仕事は、今日ではほとんど存在しない。工場勤務でさえ、作業内容が次々に変わっていき、その変化についていかなければならないからだ。異動だってある。「第二次産業だから全く同じ場所で同じことを続けていれば良い」と期待するのは難しいことだ。ましてや第三次産業では尚更だ。<br />  <br /> 配偶についてもそうかもしれない。お見合い結婚、イエとイエが結び付ける結婚が廃れた結果、配偶のボトルネックは男女間の個人的なコミュニケーションとなった。ASDの人にも魅力的な人はいるし、ASDの人にも配偶を積極的に望んでいる人もいる。が、少なくともお見合いやイエとイエが結び付く結婚といったかたちで、周囲にお膳立てされた結果としてASDの人が配偶するということはまずなくなった。配偶を差配するシステムが個人のコミュニケーションに依存している社会では、そのコミュニケーションが苦手であることの多いASDの人は配偶に繋がる確率が低く、したがってみずからの行動形質を次代の遺伝子プールのうちに残しにくくならざるを得ない。<br />  <br /> 発達障害が診断され、治療や対応をしなければならなくなった社会とは、このような社会ではなかっただろうか?<br /> また、このような社会になったからこそ、まさに発達障害は治療や対応をしなければならなくなったのではなかったか?<br />  <br /> その社会は加速している。ますます流動的な社会へ。ますます効率的な社会へ。とりわけ先進国において、おそらくそうした社会の加速は色々な人を振り落としていくのだろう。50年前、100年前は仕事を見つけることができ、配偶もそこまで困難ではなかったはずの(たとえば)ASD的な特性を持った人が、仕事を見つけることが難しくなり、配偶も困難になっていく。それを医療や福祉がなんらか援助しようとしているとしても、社会全体の趨勢、文化の潮流までは食い止めることはできない。それは、本当は人口減少と同じぐらい途方もないスケールの出来事で、実はヒトの遺伝子プールは今、ものすごい選択圧(淘汰圧)の真っただ中にあるのではないかと私は思う。<br />  <br /> <u>このままの調子で社会が加速し、文化の潮流が現在の方向に流れ続けるとしたら</u>、未来のヒトの遺伝子プールは、よりコミュニケーションが得意で、より流動性の高い状況に追随しやすく、より自ら異性の歓心を買いやすい、そのような行動形質を持つ者の頻度の高いものに変わっていくと私なら予想する。それらの行動形質とは、資本主義や個人主義に妥当しやすいものでもあるだろう。<br />  <br /> 逆に、ASD的な特性の頻度が高くなる、いわばASD的な人がモテるようになり配偶・挙児・子育てが今より容易になる社会や文化とはどのようなものかも考えてみる。<br />  <br /> いちばん簡単に想像できるのは、時計の針を50~100年ほど巻き戻すことだ。第二次産業や第一次産業が幅をきかせていた時代まで諸々が逆行すれば、今日のような、ASDのみならず色々な行動形質が精神疾患として析出しなくて済む社会や文化が到来するかもしれない。が、もちろんそんなことは通常起こり得ない。全面核戦争のような大規模戦乱によって、地球のあちこちが封建制ぐらいまで後退すれば起こり得るかもしれないけれども。<br />  <br /> それとも「歴史は繰り返さないが韻を踏む」的な未来が到来するとしたら。今日、第三次産業とみなされている仕事の大半がAIなどによって不要になり、ぐるっと回って人間がその肉体的な作業能力を買われるようになる、そんな未来だ。現代の先進国の人間は非常に高コスト体質であり、たとえば産業用のロボットや自動改札機やと比べて低コストとは言えない。しかし、人間のフィジカルな条件こそが最適な仕事や労働や作業が重要な社会や文化がこれからできあがった場合には、ぐるりと回ってASD的な特性が再び脚光を浴びるかもしれない。<br />  <br /> これらの予想はどれも、今日の先進国社会やその文化がなんらかのかたちで終焉した場合を想定している。現代人は無自覚かもしれないが、現行のヒトとて、社会や文化といったみずから構築した環境のなかで自然選択と性選択を積み重ねていて、今日の環境に適した形質(もちろん行動形質も含む)が残りやすく、そうでない形質が残りにくい、そういう進化の過程の最中にある。そうしたなか、今日、ASDという特性や行動形質が後世の遺伝子プールのなかに十分な頻度を残せる見込みはあんまりないようにみえる。だから私は、ヒト、または日本人はASDの方向へと進化しないと思っている。少なくとも、この社会・この文化が破壊されることなく持続するとすれば、の話だが。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0B42P643V?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41IcZvorLQL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="進化と人間行動 第2版" title="進化と人間行動 第2版"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0B42P643V?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">進化と人間行動 第2版</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%C4%B9%C3%AB%C0%EE%BC%F7%B0%EC" class="keyword">長谷川寿一</a>,<a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%C4%B9%C3%AB%C0%EE%E2%C3%CD%FD%BB%D2" class="keyword">長谷川眞理子</a>,<a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%C2%E7%C4%D0%B5%D7" class="keyword">大槻久</a></li><li>東京大学出版会</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0B42P643V?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div><div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00DNMG8R6?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/51lnSrN6AyL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="人間の性はなぜ奇妙に進化したのか" title="人間の性はなぜ奇妙に進化したのか"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00DNMG8R6?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">人間の性はなぜ奇妙に進化したのか</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B8%A5%E3%A5%EC%A5%C9%20%A5%C0%A5%A4%A5%A2%A5%E2%A5%F3%A5%C9" class="keyword">ジャレド ダイアモンド</a></li><li>草思社</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00DNMG8R6?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> </p> </div> p_shirokuma 野良猫、野良犬、野良…人間?(と、それらを存在させない現在の東京) hatenablog://entry/6801883189064881117 2023-12-08T11:00:00+09:00 2023-12-08T16:48:47+09:00 ※こちらの続きだけど、単体でも一応読めると思います。 たとえば東京は徹頭徹尾人間のための街であって、動物のための街ではない。その、人間にとって都合が良くあるべき空間に動物が勝手に棲みつくと、迷惑になるし害にもなる。だから昭和から現在に至るまで、害獣駆除が行われてきた。もちろん動物愛護の精神や法治に基づいたかたちでだ。ドバトのようにまだまだ数多い害獣がいる一方、そうした努力の積み重ねが成果をあげてきた害獣も少なくない。昭和時代を憶えている人なら、その成果を実感できるんじゃないだろうか。 こちらのグラフは環境省のウェブサイトから借りてきたもので、犬猫の殺処分数を示したものだ。昭和から令和にかけての… <p> <br /> ※<a href="https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20231207/1701909261">&#x3053;&#x3061;&#x3089;</a>の続きだけど、単体でも一応読めると思います。<br />  <br /> たとえば東京は徹頭徹尾人間のための街であって、動物のための街ではない。その、人間にとって都合が良くあるべき空間に動物が勝手に棲みつくと、迷惑になるし害にもなる。だから昭和から現在に至るまで、害獣駆除が行われてきた。もちろん動物愛護の精神や法治に基づいたかたちでだ。ドバトのようにまだまだ数多い害獣がいる一方、そうした努力の積み重ねが成果をあげてきた害獣も少なくない。昭和時代を憶えている人なら、その成果を実感できるんじゃないだろうか。<br />  <br /> <span itemscope itemtype="http://schema.org/Photograph"><a href="http://f.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20231207162356" class="hatena-fotolife" itemprop="url"><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/p_shirokuma/20231207/20231207162356.png" width="600" height="396" loading="lazy" title="" class="hatena-fotolife" itemprop="image"></a></span><br />  <br /> こちらのグラフは<a href="https://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/2_data/statistics/dog-cat.html">&#x74B0;&#x5883;&#x7701;&#x306E;&#x30A6;&#x30A7;&#x30D6;&#x30B5;&#x30A4;&#x30C8;</a>から借りてきたもので、犬猫の殺処分数を示したものだ。昭和から令和にかけての間に、犬猫の殺処分数が大幅に減ってきたのがみてとれる。昭和49年にはなんと年間100万匹以上の犬が殺処分され、平成元年には年間32万匹以上の猫が殺処分されてきたという。<br />  <br /> こうした殺処分数のなかには、飼い犬や飼い猫が飼い主に殺処分を依頼されたものが含まれている。が、令和においても所有者不明の動物、いわゆる野良犬や野良猫が割合として大きいので、昭和や平成においてもその大半が野良犬や野良猫から成っていたと想像される。<br />  <br /> 実際、昭和時代には野良犬や野良猫をよく見かけた。学校に野良犬が入ってきてしまうのはあるあるイベントで、近所に住み着いた野良犬に誰かがマジックで眉毛を書くなどイタズラをし、やがて、その犬を行政の人がどこかに連れていく……なんてこともあった。野良猫も同様で、ゴミ収集場を漁るなんて当たり前のこと、人の家の台所に上がり込んで魚を盗む野良猫も珍しくなかった。サザエさんの主題歌にある「お魚加えたドラ猫 追いかけて」という歌詞は本当に起こっていたことだった。<br />  <br /> それが、駆除の積み重ねや動物愛護の精神の浸透のおかげで、ここまで犬猫の殺処分数が少なくなった。くだんの環境省のウェブサイトによれば、令和3年度の犬の殺処分数は2739、猫の殺処分数は11718という。実際、街で野良犬や野良猫を見かけることは今日では珍しい。暖かい地域の漁港近くでは野良猫をそこそこ見かけるが、野良犬を見かけることは本当に稀になった。<br />  <br /> 動物愛護の精神に基づくなら、殺処分の対象たりえる野良犬や野良猫の数が減ったのは好ましいことだろう。実際、殺処分ではなく去勢という、今日の私たちからみて穏当に思える活動も広がっている。去勢は野良犬や野良猫を直接殺しはしない。が、それをとおして将来の野良犬や野良猫を、つまり殺処分の対象たりえるそれらが生まれてくることを未然に防ぐ。そうした結果の積み重ねが上掲グラフの数字となっているのだろう。<br />  <br /> 人間の私有地と公有地が社会契約の論理に基づいたかたちで活用されるべき都市において、野良犬や野良猫が勝手に住み着き、勝手に増殖し、勝手に暮らすのは迷惑なことであり、地権者の権利や都市機能にとって損害や損失になり得るのは想像しやすい。狂犬病のような病気を媒介する可能性、噛みつきの危険、ゴミ集積場を荒らす可能性などもある。人間は動物に対して人間都合に基づいて処遇や処断を決めるものだから、そういう理解になることに不思議はない。<br />  <br /> が、野良犬や野良猫にとってはたまったものではあるまい、とも思う。<br /> そもそも犬や猫はどこまで野良でどこまでペットだったのか? その起源を振り返った時、犬や猫は必ずしもペットとして生まれた・生み出されたものではない。<br />  <div class="hatena-asin-detail"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4826902123?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="hatena-asin-detail-image-link" target="_blank" rel="noopener"><img src="https://m.media-amazon.com/images/I/41ZYw7mEdNL._SL500_.jpg" class="hatena-asin-detail-image" alt="家畜化という進化ー人間はいかに動物を変えたか" title="家畜化という進化ー人間はいかに動物を変えたか"></a><div class="hatena-asin-detail-info"><p class="hatena-asin-detail-title"><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4826902123?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" target="_blank" rel="noopener">家畜化という進化ー人間はいかに動物を変えたか</a></p><ul class="hatena-asin-detail-meta"><li><span class="hatena-asin-detail-label">作者:</span><a href="https://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%EA%A5%C1%A5%E3%A1%BC%A5%C9%A1%A6C%A1%A6%A5%D5%A5%E9%A5%F3%A5%B7%A5%B9" class="keyword">リチャード・C・フランシス</a></li><li>白揚社</li></ul><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4826902123?tag=pshiroblog-22&amp;linkCode=ogi&amp;th=1&amp;psc=1" class="asin-detail-buy" target="_blank" rel="noopener">Amazon</a></div></div> <br /> 犬や猫は人間による品種改良を中途から受けた種ではあるが、もともと人間が一方的に家畜化したわけでなく、人間の居住地に勝手に住み着き、勝手に共生をはじめた種だ。犬や猫はオオカミやヤマネコから自己家畜化のプロセスをとおして人間の居住地で生活できるように分かれていった種で、人間との共生のはじめから令和時代の飼い犬や飼い猫のように飼育されていたわけでもない。<br />  <br /> だから犬や猫からすれば、令和時代の飼い犬や飼い猫のように暮らすのは本来の姿ではない。昭和時代によく見かけたような野良犬や野良猫の姿、あるいは人間に飼われているのか寄生しているのか曖昧な状態が元来の暮らしに近かったはずである。当然、犬や猫が人間に人懐こい側面をみせることもあったろうし、人間の迷惑や害になる側面をみせることもあったろう。と同時に人間の側もそれらを慈しむ側面をみせることもあったろうし、それらを害する側面をみせることもあったろう。<br />  <br /> まあ、そうして野良っぽさを伴いながら人間と共生していた犬や猫が、人間の暮らしの変化とともに異なった生活を強制され、従来の生活を続けている者が根絶やしにされようとしている。それは人間の人間中心中心主義に基づいて考えるなら、いかにも起こりそうなことだし、仕方のないことだったとは思う。けれども人間中心主義において主体とはみなされず、愛護の精神を差し向けられるところの犬や猫からすれば、それがどこまで歓迎できること・喜ばしいことだったのかはわからない。人間と違って国民投票で意思表示することもできないから、犬や猫がこの事態をどう思っているのかは謎のままだ。<br />  <br /> なるべく殺さず、なるべく苦痛なく、しかして殖えないように──これは私たちにとって良いことのように思えるわけだけど、それが犬や猫、とりわけ野良犬や野良猫にとって良いことなのかは私には正直よくわからない。苦痛が少ないこと・それぞれの個体がなるべく長く生きることが、たとえ苦痛に満ちて短命でも生殖可能性に開かれていることに比べて慈しみとして優れている・素晴らしいとみなすのは、人間の価値基準に基づいたことで、さらに言えば、近代以降の人間の価値基準に基づいたことでしかない。<br />  <br /> 野生の犬や猫にとって、本当は苦痛が少ないことや個体がなるべく長く生きることより、短命であっても生殖可能性に開かれていることのほうがプライオリティが高い可能性はぜんぜんあり得るだろう。もちろん彼らは哺乳類であり感情や疼痛を人類と共有しているから、苦痛がなるべく少ないほうが好ましいし、むごたらしく苦しめたりしないほうが良いのはそりゃそうだろう。だがそれはそれとして、苦痛にみちて短命な野良犬や野良猫の生をできるだけ減らすよう動物愛護の精神に基づいて実践しているそれが、まさに根絶されようとしている野良犬自身や野良猫自身からどうみえているのか、どう思われているのかは不明だ。生殖し増殖するという生物の基本線から考えて、哺乳類である彼らとて、短命であっても生殖可能性に開かれていることのプライオリティが高い可能性はあると思う。もちろんこれも私の勝手な推測に過ぎない。本当のところはわからないし考えても仕方ない。<br />  <br /> 人間が犬や猫と共生するようになってから長い間、人間と犬と猫との間柄はお互いに共生しつつ、お互いに利用しつつ、ときどきバチバチと争ったりするようなものだった。が、従来よりも私たちは長生きになり長生きしなければならなくもなり、街は清潔で安全に、種々のリスクは遠ざけられなければならなくなった。ある時点までは都市や農村にいて構わなかった野良犬や野良猫、野良ともペットともつかない状態で構わなかった犬や猫はそれそのままではいてはいけないものになってしまった。なぜなら彼らは清潔や安全に抵触するかもしれないから。リスクをもたらす者、損害や損失をもたらす者として遠ざけられなければならなくなったから。そうして私たちは動物愛護の精神とそれに基づいた法を後ろ盾にしながら、社会契約とリスクマネジメントが徹底していく街から野良犬や野良猫たちは排除されていった。<br />  <br /> 今日、犬や猫が生きていくためには、<strong>その犬や猫が動物愛護の精神にかなった飼育をされているのに加えて、その犬や猫が人間にとってけっして害をもたらさない、そのような生き方でなければならない</strong>。間違っても、ときどきバチバチと人間と争うような犬や猫であってはならない。社会契約の論理に基づいてお互いに危害や迷惑を加えず、私有地や公有地を害されないよう心掛けなければならない今日の都市空間では、だから野良犬や野良猫は存在を許されない。たとえば放し飼いの犬など今日では稀になっているし、放し飼いの猫でさえだんだん見かけなくなっている。泥棒猫など論外である。<br />  <br /> 社会契約の論理の徹底、そして人間にとっての功利主義というアングルから上掲の犬・猫の殺処分数の推移を振り返ってみると、まず野良犬が殺処分の対象となって減少し、続いて野良猫が殺処分の対象になっていったのもうなづける。はじめに猫よりでかくて危険な野良犬が駆逐されていった。しかし平成の中頃になると野良犬は相当に駆除され、より危険度の低い野良猫が標的になっていく。<br />  <br /> 旧来型の生をおくる犬──つまり野良犬──は、日本においてほとんど絶滅させられたも同然と言える。いわば野生の犬は、人間都合によって日本では滅ぼされたのである。そして現在は旧来型の生をおくる猫──つまり野良猫──が滅びの途上にある。ときには人間とバチバチ争いながらも共生し、短く生きて子孫を残そうとして死んでいった、そのような猫の生は過去の記録上にしか見いだせなくなるのかもしれない。<br />  <br />  </p> <div class="section"> <h4 id="社会契約の論理におさまらない人間は"><span style="color: #d32f2f"><strong>社会契約の論理におさまらない人間は?</strong></span></h4> <p> <br /> ところで人間自身はどうだろう?<br />  <br /> 今日の人間は借家住まいか不動産持ちかを問わず、特定の住所に紐付けられながら、社会契約の論理にもとづいた生活をしている。地権者の意図や用途に基づいて私有地や公有地が徹底的に切り分けられている東京のような都市空間ではとりわけそうだと言える。もちろん人間は法の対象で、法に保護されると同時に法にその存在を定義され、法に従って生活することを期待される。<br />  <br /> さて、その社会契約の論理は昭和より令和のほうが進んでおり、法治の徹底も進んでいる。私有地や公有地、特に東京のような大都市のそれらは所有者や地権者の意図や用途に従ったかたちで用いられなければならず、勝手に占有したり、勝手なことに用いたりしてはならない。たとえば、空き地だからといって私有地で子どもが勝手に草野球をすべきではないし、道路にかんしゃく玉をばらまいてはいけない。その度合いがどんどん高まって、今日では法の隙間はますます少なくなっている。無くなったはずの法の隙間に強引に入り込もうとする人間は、所有者や地権者の権利を侵害する者であり、害や迷惑をもたらす者とみなされる。だから、そういう人間もいなくならなければならない。もちろん人間はドバトや野良犬や野良猫とはわけがちがうから、駆除の対象ではないけれども。<br />  <br />  <br /> <span itemscope itemtype="http://schema.org/Photograph"><a href="http://f.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20231207162351" class="hatena-fotolife" itemprop="url"><img src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/p_shirokuma/20231207/20231207162351.png" width="600" height="374" loading="lazy" title="" class="hatena-fotolife" itemprop="image"></a></span><br />  <br /> そうした法の隙間的な空間が減ったことで、暴力団とその活動が少なくなり、また、ホームレスも少なくなった。東京都においてホームレスの数はどんどん減少し続けている。<a href="https://www.fukushi.metro.tokyo.lg.jp/soumu/2020sya/02/p49.html">&#x6771;&#x4EAC;&#x90FD;&#x4FDD;&#x5065;&#x798F;&#x7949;&#x5C40;&#x304B;&#x3089;&#x501F;&#x308A;&#x305F;&#x4E0A;&#x63B2;&#x306E;&#x30B0;&#x30E9;&#x30D5;</a>にはないが、令和5年1月の段階では東京都23区区のホームレス数は384人と報じられ、減少には拍車がかかっている。<br />  <br /> ではどのようにホームレスが減少しているのか? その答えは上掲グラフに含まれている。都は緊急一時保護事業やそれに引き続く自立支援事業といった福祉事業をとおしてホームレスをホームレスではない何者かに変換しようと努力している。グラフの数字を追うと、それらの福祉事業は延べでホームレスの数をも上回るほどに行われており、かなり手厚い福祉事業が行われていることがうかがわれる。また、一度の支援ですべてが完結するわけではないこともうかがわれる。<br />  <br /> 被支援者の健康維持や生活の安定化といった観点からみて、こうした福祉事業は必要だろうし、そのニーズに沿って都はかなり頑張っているようにみえる。と同時に、これだけやっても路上で短命のうちにこと切れるホームレスが残っているだろうことは想像にかたくない。<br />  <br /> だがこれも、途方もないことではないだろうか。<br />  <br /> これだけホームレス支援が進んでいる東京は、社会契約の論理に本当の本当に隙間を許そうとしていないのではないか。<br />  <br /> ホームレスが滞在する東京の空間はすべて私有地や公有地だろうから、ホームレスは滞在するだけでそれは不法滞在、所有者や地権者の意図や用途に反するかたちの滞在とみなされる。昔はそうした滞在があってもうるさく言われない、いや実際には官憲と対立はしつつもホームレスが頑張っていられる隙間空間がいろいろあった。だが、これだけホームレス支援の福祉事業が充実し、街のジェントリフィケーションが進み、ホームレスの実数も少なくなっている令和の東京では、そんな社会の隙間、法治の隙間はなかなか少ない。<br />  <br /> ホームレスが増加し続けている米英の大都市において、路上とは、社会の隙間たり得るかもしれないし、そこは日本の路上に比べて何が起こるのかわからず、安全・安心とは言い切れず、法治が徹底していない空間かもしれない。また同時に、野良犬や野良猫が存在可能な空間でもあるのかもしれない。<br />  <br /> しかし東京はそうではない。私有地や公有地に損害や損失を与え得る動物が駆逐されているだけでなく、私有地や公有地に勝手に滞在している人までもがそれそのままでは存在できなくなっている。そしてタワーマンションやデパートのフロアだけでなく、路上も、公園も、空き地も、誰もが好き勝手に使ってかまわないものとはみなされておらず、その所有者や地権者の意図や用途に沿ったかたちで用いられなければならない。その度合いが右肩上がりに高まっている──。<br />  <br /> ホームレス支援が行き届いていて、米英の大都市のようにホームレスのあふれた状態になっていないのは基本的に良いことのはずだ。だから支援事業をやめるべきとは私もまったく思わない。ただ、意図してなのか意図せずしてかは不明だが、こうした支援事業をとおして東京という街がホームレスが存在できない街へと絶えず更新されているという思いもぬぐえない。表向き、それは個々のホームレスの支援事業なのだけど、全体としてそれは都市全体のクレンジングだったり、法の隙間を徹底的になくしていく施策、そして社会契約の徹底を推し進めていく施策という側面を持ちあわせているようにもみえる。<br />  <br /> 東京は野良犬も野良猫もほとんどいない街になった。そのぶん安全・安心にもなったろう。だがそこは、人間自身までもが法の隙間にたゆたうことが困難になり、社会の隙間といえる場所が消えていく街でもあった。私はアナーキストではなく中央集権国家の必要性を支持し、社会契約に基づいた功利主義を支持したい意見を持っているけれども、それでもここまで法治が徹底し、社会の隙間が消去されていく現状に、なんとも言えない不穏さを感じている。私たちの社会は<a href="#f-6aea1672" id="fn-6aea1672" name="fn-6aea1672" title="ところで「私たちは」とは?">*1</a>快適で安全・安心な街を求め、法治の徹底を望み、路上で短命に斃れる人を減らすよう努めてきたわけだけど、それでたどり着いたこの状況は、いつどんな時も私たちの味方をしてくれる、私たちを守ってくれると信じ切って構わないものだろうか? 私はそれが心配だ。たとえばドバトや野良犬や野良猫が法治や動物愛護に沿ったかたちで駆除されているのを見る時、そうした心配がわっと高まる。だから、ときどきこういう文章を書いて自分のなかの不安を宥めたくなる。<br />  <br />  <br /> (本文はここまでです。以下は、ぐちぐちとした蛇足なのでサブスクしている常連さん以外は読まないでください)</p> </div><div class="footnote"> <p class="footnote"><a href="#fn-6aea1672" id="f-6aea1672" name="f-6aea1672" class="footnote-number">*1</a><span class="footnote-delimiter">:</span><span class="footnote-text">ところで「私たちは」とは?</span></p> </div> p_shirokuma 東京の道路はハトのものではない(それは勝手なことだが人間は勝手) hatenablog://entry/6801883189064549235 2023-12-07T09:34:21+09:00 2023-12-07T16:09:26+09:00 「東京でハトをひき殺した疑いで運転手が逮捕された」という不思議なニュースがインターネットに出回った。 nordot.app 私の経験では、ハトやカラスはよく心得たもので自動車が近づいてくれば飛んで逃げるし、だから簡単には車にひかれない。じゃあどうしてハトがひき殺されたんだと思ったら、車を急発進させて・わざわざ殺していた嫌疑がかけられているという。もし故意に殺そうとしていたなら、鳥獣保護法違反に当てはまるのはなるほどそうなのかーと思った。だいたいそんなことのために都会の道路で車を急発進させるのは不穏だ。 ところで、この滅多にみることのないニュースのなかで、運転手はこんなことを供述していたという。… <p> <br /> 「東京でハトをひき殺した疑いで運転手が逮捕された」という不思議なニュースがインターネットに出回った。<br />  <br /> <iframe src="https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fnordot.app%2F1104576525622281026" title="ハトひき殺した疑い、運転手逮捕 「道路は人間のもの」と供述 | 共同通信" class="embed-card embed-webcard" scrolling="no" frameborder="0" style="display: block; width: 100%; height: 155px; max-width: 500px; margin: 10px 0px;" loading="lazy"></iframe><cite class="hatena-citation"><a href="https://nordot.app/1104576525622281026">nordot.app</a></cite><br />  <br /> 私の経験では、ハトやカラスはよく心得たもので自動車が近づいてくれば飛んで逃げるし、だから簡単には車にひかれない。じゃあどうしてハトがひき殺されたんだと思ったら、車を急発進させて・わざわざ殺していた嫌疑がかけられているという。もし故意に殺そうとしていたなら、鳥獣保護法違反に当てはまるのはなるほどそうなのかーと思った。だいたいそんなことのために都会の道路で車を急発進させるのは不穏だ。<br />  <br /> ところで、この滅多にみることのないニュースのなかで、運転手はこんなことを供述していたという。<br />  <br /> 「道路は人間のもので避けるのはハトの方だ」<br />  <br /> こう言いつつ故意に車を急発進させハトをひき殺していたなら言い訳にもならないのだけど、それはそれとして実際問題、道路とは人間のものであり、ハトが車を避けるべきってのは本当にそうじゃないかと私は思った。なぜなら道路とは人間が往来するために設けられた設備であり、それは動物のためのものではなく、人間のためのものだからだ。<br />  <br /> もちろん地方の田舎で道路について「動物のためのものではなく、人間のためのものだ」なんて言ったら大勢の人が笑っちゃいそうではある。地方の道路も人間が設けたインフラであり、そうである以上、動物が車や人間を避けるべきだが、実際にはそうなっていない。道路には鹿や熊や猿や猪や狐や狸が出没する。それらは大きくてある程度危険でもあるので、地方のドライバーがそれらの動物をひこうとすることはない。なるべく動物たちをひかないよう努力はしているけれども、時折事故が起きてしまう……というのが実情だろう。道路は人間のものとは言っても、鳥獣保護区、国定公園に敷かれた道路を動物たちが通過するのはおかしなことではないと思う。保護区や公園は動物たちが暮らして構わないことになっているわけだから。<br />  <br /> だけど、事件が起こった東京ではどうだろう?<br />  <br /> 東京は鳥獣保護区や国定公園に指定されていない。少なくとも事件の起こった新宿区がそれらに該当するわけではないだろう。そして東京は人間がつくった人間のための街だ。道路も建物も人間のものだ。それらは私有地や公有地である。ドバトのための土地、ドバトが暮らし繁殖するための場所など新宿区にはないはずである。この点において「道路は人間のもので避けるのはハトの方だ」という言葉は東京においては実際そのとおりだったのではなかったか。<br />  <br /> 東京は、あらゆる土地が私有地や公有地から成り、どの土地がどのような用途に用いられるかがはっきり定められている。そうした私有地や公有地を所有者に意志確認することなく勝手に用いたり、法や条例に定められた以外の使い方をすることは禁じられている。地方でも"法的には"たぶんそうなのだが、東京ほどそれが顕著ではないし、先に挙げた鳥獣保護区や国定公園のような場所もある。その道路、その土地がどこまで人間のためのものでどこから動物のためのものかという観点でみれば、東京ほど人間のためのもので動物のためのものではない土地は無い。<br />  <br /> にもかかわらず、人間のための土地であるはずの東京には大量のドバトが棲みついている。かつてのカラスと同様、ドバトは駆除されるべきとみなされ、実際、駆除が行われているはずである。駆除されるべきドバトは、しかるべき手続きをとおして駆除されるなら──そのしかるべき手続きと駆除は、一般に専門家のなすこととみなされている──合法とみなされていて、そうでない駆除、いわば素人による駆除は鳥獣保護法違反、つまり違法であるとみなされている。<br />  <br /> ドバトをはじめとする害獣駆除の話を聞くたび、私は合法的とは何か、そして動物を愛護するとは何かについて、考えさせられる。合法的な害獣駆除とは、あるいは害獣駆除と動物愛護の両立とは、素人が直接害獣をどうこうしてはいけないもので、専門家がプロトコルを守ってやるぶんには害獣をどうこうして構わないものとみなされている。もちろん専門家はドバトをボウガンで撃ったり卵を叩き割ったりはしないだろう。だが専門家はドバトの行動範囲を制限したり追い立てたりすることをとおして、ドバトの繁殖を防ぐのみならず生活の場を冒し、結果として滅ぼす。血まみれになってドバトを殺すことはないが、目に見えないところでドバトが困って死ぬぶんには手が汚れない……ということなんだろうか。<br />  <br /> 一人の専門家が結果的にドバトを何羽殺したのかは、ここでは問題にならない。殺したドバトがたった一羽でも、素人が・故意に殺したならそれは違法であり、専門家が生活の場を冒したりして何十羽何百羽ものドバトを結果的に死に至らしめたとしても、それは合法である。動物愛護。現代社会ではこれが妥当とわかっている一方で、なんだか不思議な気持ちになることがある。昭和以前の素朴な人々は、動物を殺してしまうぐらいならしばしば野に放とうとしたものである。それが野良犬や野良猫となり、ときには外来種が池や川に棲みつく結果にもなった。しかし今、こうした「野に放つ」を動物愛護と考える人はいるまい。動物がワンチャン生きていく可能性があるからと野に放つ行為は、たとえそれが動物が生きていく可能性を期してのものだとしても動物愛護の範疇には入らない。そうした野に放つ行為が慈悲心から出ているとしても、そんなものを省みる人は令和の日本社会、特に正しさの王国であるインターネットの世界にはまずいない。<br />  <br /> では、害獣駆除の対象であるドバトに対して私たちはどのように接するべきで、どのように駆除するのが動物愛護の精神にかなっているのだろうかと考えると、さきほど述べたように専門家の手に委ねることなのだ、と思う。だが、この考え方の先にみえるのは、「なら、専門家がドバトたちの生活の場を冒していく限りにおいて、都内に無数にいるドバトを根絶するまで駆除していいのか?」という考えにたどり着く。その駆除に至るプロセスは、専門家ならば素人より"人道的"で動物愛護の精神にかなったプロトコルを守って行われている、と期待されてもいるだろう。じゃあ逆にプロトコルさえ守れていて専門家の手によるならばドバトを根絶するまで駆除していいわけ……なのだな?<br />  <br /> ここで再び、「道路は人間のもので避けるのはハトの方だ」を私は思い出す。<br />  <br /> 東京は日本で最も道路や建物が人間の人間による人間のための私有地・公有地からなる。そこに勝手に住み着くドバトは害獣駆除の対象であり、招かれざる野良バトとでもいうべき何者かである。野良猫、野良犬に比べて一羽一羽の害は小さいかもしれないし、ドブネズミに比べれば不衛生なイメージを喚起しないかもしれないが、都会の害獣であること、駆除の対象であることは変わりない。案外、ドバトだって病気を媒介する。社会契約の論理の透徹した空間であるべき東京において、野良猫、野良犬、そしてドブネズミやドバトは駆除されなければならない。<br />  <br /> 法にかない、動物愛護の精神にもなるべく抵触しないドバトの駆除とは専門家の手に委ねられたものだと想像されるだけでなく、そもそも東京という人間のための私有地・公有地の純粋な集合体においてドバトの居場所は無いのだから、根絶するのが好ましいというより根絶こそあるべき姿ではなかっただろうか。<br />  <br /> ここまで考えたうえで、では、東京において生存を許されてしかるべき人間以外の野良の動物とはなんだろう、とふと考える。害獣とは?<br /> 参考までに<a href="https://www.kankyo.metro.tokyo.lg.jp/nature/animals_plants/birds/faq.html">&#x6771;&#x4EAC;&#x90FD;&#x89B3;&#x5149;&#x5C40;&#x306E;&#x30B5;&#x30A4;&#x30C8;&#x306E;&#x6587;&#x8A00;</a>をちょっと貼り付けておこう。<br />  </p> <blockquote> <p>《ご相談いただく前に必ずご確認ください!!》<br /> ※東京都では、農林水産業、生活環境、生態系へ恒常的に被害を与える野生鳥獣の中で、ニホンジカ、イノシシ、ニホンザル、タヌキ、ハシボソガラス、ハシブトガラス、ドバト、スズメ、ヒヨドリ、ムクドリ、カワウについては、いかなる場合においても保護の対象としていません。加えて、アライグマ、ハクビシン等の本来生息していなかった国内外の外来種についても保護の対象外となります。</p> </blockquote> <p>おまえら、恒常的に被害を与えるからいかなる場合においても保護の対象外になるってよ……。<br />  <br /> 私の認識ではドバトやドブネズミは害獣として有名な部類で、ゆえに駆除されることが一般的だと思われる。スズメバチなども同様だ。しかし何が害獣で何が害獣でないのか、何が人間の私有地や公有地を害していると言えるのかは難しい問題だ。たとえばヤスデはごく少ない数が公園に住んでいるぶんには、これを害獣と呼ぶ人はあまりいまい。しかしそのヤスデが公園や道路や私有地で大量発生してしまったら、それは害獣の範疇に含まれ、駆除の対象たり得るだろう。<br />  <br /> 東京の道路はドバトのものではない。なので然るべき手段でドバトは駆除され、根絶されなければならない。根絶の際のプロトコルは専門家、ひいては法に沿って行われる限りは動物愛護の精神にもだいたい抵触しないし、その際、ドバトを根絶しドバトの害から公有地と私有地を守る大本の主体は法と法治国家だ。いやだからどうしたって話ではあるのだけど、駆除される側のドバトなり野良犬なり野良猫なりからみれば、ハトを車でひき殺そうとする人間はもちろん、法と法治国家もなかなか身勝手なものを押し付けてくる存在だと言える。動物愛護の精神とそのための法を備えつつもけっきょくは動物たちの生存・生殖・生活に介入し、害獣とみなせば駆除にとりかかる。なにより、東京のような都市空間は人間の独占物であって、他の動物たちとシェアされるものとはみなされていない。どこの土地をどのように用いるべきなのか、どの土地が誰のもので、どんな動物や生物がどこまで生存を許されるのかを決定し、改変しようとしているのはけっきょく人間であって、それは人間の勝手なのである。<br />  <br /> 人間の勝手なんて、当たり前だと、あなたはおっしゃるかもしれない。そうですね。法に基づいているといっても、都市に住み着くあれこれを害獣と称して駆除するのは人間の勝手だ。のみならず、ワンチャン生きていく可能性があるからと野に放つ行為もやはり人間の勝手だ。勝手なのである。他方、人間からみればドバトや野良猫や野良犬たちもまた勝手である。勝手に住み着き、勝手に殖えて、勝手に生活する。それらが人間からみれば害となる。ここでは勝手と勝手がぶつかり合っている。そうした動物と人間との衝突は、地方においてはツキノワグマの問題のようなかたちで、ときには命の危険にダイレクトに結びつくこともある(が、地方においては東京ほどには空間は人間だけの占有物ではない……)。<br />  <br /> くだんの容疑者は身勝手な人間で、法を守っている私たちはそうではなくルールを遵守する模範的・標準的な人間だ、というのはそうだとしても、だが動物の側からみた人間は、法を守っていてもやはり勝手なのであり、人間の自己都合を押し付けてくるのであり、動物愛護の精神にかなっていてさえ、動物側からすれば何かを押し付ける存在、なんとなれば生殺与奪を握ってしまう存在だ。<br />  <br /> 当初予定から少し脱線してしまったかもしれない。当初の予定では、この文章をとおして「私有地・公有地の徹底的な区分けがなされた法治の行き届いた人間のための空間は人間のためのものでしかなく、ドバトの居場所はない」という話をするつもりだったが、気が付けば人間は勝手だ、どうあれ勝手だという話に落着してしまった。それで良かったように思うと同時に、当初の落着点が惜しい気もするので、できれば今月中に続編として『野良猫、野良犬、野良…人間?』というブログ文章を作りたいなと思う。<br />  <br />  </p> p_shirokuma