シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

井芹仁菜と後藤ひとりという"野生動物"

 


 
X(旧twitter)のタイムラインを眺めていて、バンドをやっててロックというキーワードの出てくる二人の主人公についてあれこれ言っているのが聞こえて、思ったことを30分一本勝負にて。
 
「ロックとは何か」というややこしそうな話題はさておき、『ガールズバンドクライ』の井芹仁菜と『ぼっち・ざ・ろっく!』の後藤ひとりはどちらも、なんだかヒリヒリしていて、社会適応が上手とは言えない主人公なのは共通していますよね。
  
その姿をみていると、私みたいな人間は、「ああ、二人とも現代社会に馴致されづらい、なんだか野生動物みたいな主人公だなぁ」と思ってしまうのです。
 
ホモ・サピエンス、とりわけ現代社会を生きるホモ・サピエンスにとって重要な脳内物質はセロトニンです。セロトニンの作用があれば、より穏やかでより協力的で、より落ち着いた生活が可能になります。ストレスを軽減させる・不安や抑うつを改善させる点でも、セロトニンの作用は重要です。ホモ・サピエンスは、自己家畜化と呼ばれる進化の過程をとおしてこのセロトニンが増え、より穏やかで協力的で落ち着いた性質に変わっていったと考えられており、これがなかったら現代の都市生活に耐えられなかったでしょう。
 
でも、それはホモ・サピエンスという種全体の話。当然、個人差があります。現代社会にもセロトニンの作用が不十分な人、足りてない人がいるわけです。『ガールズバンドクライ』と『ぼっち・ざ・ろっく!』の主人公は、どちらもその足りてない人っぽさがあるのです。
 
たとえば後藤ひとりは、以前にも書いたように社交不安症によく似た性質を持っていました。あの性質を見ていると、「後藤ひとりにSSRI(セロトニンの作用を増す抗うつ薬の一種)を飲んでもらったら色々改善するんじゃないか」などとつい想像してしまいます。
 
同じく井芹仁菜も、セロトニンが少なそうですね。なんだか攻撃的で、協調性に欠けていて、イライラしていて、激しやすい。じゃじゃ馬、という言葉がありましたが、彼女もじゃじゃ馬ではないでしょうか。自己家畜化のロジックに基づいて考えても、作中描写から考えても、彼女はセロトニンの作用が足りなそうであると同時に、副腎から分泌されるアドレナリンやコルチゾールといったストレスホルモンが多いんじゃないでしょうか。芯の強いところがある一方で、案外、うつ病になりやすい傾向もあるかもしれません。
 
だから二人の共通点を(進化生物学の)自己家畜化のロジックで眺めると、「二人ともセロトニンの作用が弱そう」「二人ともストレスホルモンが多そう」になり、「二人ともストレスを司る体内の調節軸*1が家畜っぽくない。野生みがある」といった風に想像したくなるのですよ。
 
そうかあ、ロックな世界で活躍するキャラクターって、現代社会に馴致されやすい家畜みのある人間でなく、じゃじゃ馬めいた野生動物みのある人間なのかぁ、という思いがします。ロックとはセロトニンの不足なり?……いやいや。
 
ここに書いたことは、『ガールズバンドクライ』や『ぼっち・ざ・ろっく!』を楽しむ際に必要な着眼点だとは思いません。が、『人間はどこまで家畜か』という書籍を書いている私には、そんな風にあの二人のことを考えてしまう瞬間があるのですよ。
 
 

でも、二人は同じってわけでもない

 
それでいて、あの二人って対照的でもありますよね。
 
後藤ひとりの尖り具合って、承認欲求モンスターで、コツコツとギターの練習をし続けることができるあたりにありそうですが、井芹仁菜の尖り具合は(今のところ)そんな風に描かれてはいません。「内向きに爆発する後藤ひとりと外向きに爆発する井芹仁菜」、みたいなことも思いつきます。
 
家族、という視点で見ても違います。後藤ひとり、ひいては結束バンドのメンバーには家族とぶつかっている様子・家族に対する抵抗としてバンドをやっている感じがなくて、むしろ家族がバンドを応援しているまであります。ところがトゲトゲはそうじゃなく、特に井芹仁菜は家庭とバンドがぶつかっていて、その葛藤がバンドの活動や彼女自身の尖り具合に結びついている感じがあるじゃないですか。
 
だからセロトニンが足りないっぽい点は共通していても、それぞれを囲む環境も、それぞれの尖り方も違っていて、違っているから見比べると面白いですね。
 
『ガールズバンドクライ』は単体でもまったく楽しめる作品で、毎週、どんなことになるのかハラハラしながら視聴していますが、似て非なる作品として『ぼっち・ざ・ろっく!』も思い出しておくと、色々と気付きがあって面白いかなぁと思っています。
 
 

*1:HPA系、HPA軸とも

電信は令和のインターネットに届かなかった──『ヴィクトリア朝時代のインターネット』を読む

 
 

 
前々から読みたかった『ヴィクトリア朝時代のインターネット』を購入して、最優先で読んだ。電信というひとつのテクノロジーの栄枯盛衰を描いたノンフィクションとして、とても面白く勉強になった。
 
この本の概要については、基本読書さんがわかりやすいレビューを書いてらっしゃるので、そちらをどうぞ。
 
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
 
『ヴィクトリア朝時代のインターネット』では、電信技術が誕生する前に「腕木通信」という手旗信号的なテクノロジーを用いた情報網が築かれた話、モールスらが電信技術をつくりあげていく話、その電信が普及段階を迎えて商業に利用され、政治や軍事にも利用される話、それが大英帝国の世界支配を支えていく話などが記されている。
 
が、やがて電話(など)が登場して、電信という技術は時代遅れになっていく。しかしエピローグでも記されるように、電信は今日のインターネットに連なる重要な技術だし、全世界を繋ぎ合わせ、政治・経済・コミュニケーションのグローバル化に与えた影響は不滅だ。
 
で、インターネット、である。
 
電信の歴史などという、正直、大半の人があまり興味を持たなそうな(私もその一人だった)題材にもかかわらず本書が読みやすいのは、この本のタイトルが『ヴィクトリア朝時代のインターネット』で、実際問題、読者がインターネットのことを連想せずにいられないつくりになっているからだと思う。
 
読者にメッセージを届けるうえで、タイトルと内容の結びつきは重要だ。たとえばこの本が『ヴィクトリア朝時代の電信の歴史』というタイトルだったら、書店で手に取る人が少なかったと思う。しかし本書のタイトルにはインターネットという言葉が入っていて、内容的にも、今日のインターネットを髣髴とさせるエピソードがちりばめられている。
 

 ある日、アメリカン・テレグラフ社の職員が、営業時間外にボストン、カレー、メインを結んで電信で会議を行った。この会議には、700マイルにわたる回線につながる33の局の何百人ものオペレーターが参加した。発言者がその内容をモールス符号で打つと「その回線につながったすべての局が、まるで時空が消えたように同時にその発言を受け、お互いが実際は何百マイルも離れているのに、まるで皆が同じ部屋にいるかのようだった」とある記事は伝えている。約1時間にわたっていろいろな決議をした後に、従業員たちは散会したが「非常に協調できて心温かい気分になった」。
『ヴィクトリア朝時代のインターネット』より

このエピソードを読んで、あなたはどんなアプリを連想するだろうか。ICQやMSNメッセンジャーを連想する人、LINEやTelegram*1を連想する人、さまざまだろう。ともあれ、距離を隔てた多人数とコミュニケーションが可能になり、そこに心の喜びを見出した人々の様子は20~21世紀のインターネットとそんなに違わない。
 
このほか、電信をとおしてのロマンス・暗号化の問題・悪用した種々の犯罪、等々も記され、それらも時代の違いをあまり感じさせない内容だ。
 
当時の人々と私たちに共通点があり、インターネットについて私たちが知っているおかげで、この本はすこぶる読みやすい。というか、読者がインターネットについて知っていることを大前提として、著者が親しみやすい技術史の本としてまとめあげた、と言い直すべきだろうか。
 
電信の歴史を「ヴィクトリア朝時代のインターネット」として読者に提示するのは、ひとつのアイデアで、気の利いた心配りだと私は感じた。
 
 

令和のインターネットはヴィクトリア朝時代のインターネットの顔をしているか

 
とはいえ、「歴史は繰り返すのでなく韻を踏む」。
電信とインターネットもそうで、少なくとも令和の読者はいまどきのインターネットの状況と電信の歴史との違いにも気づくだろう。
 
本書には、電信が情報技術の雛型だった頃の人々が「電信が未来と世界を明るく変えていく」と楽観的に考えた様子も描かれている。これは、2010年ぐらいまでのインターネット、いわばweb2.0という言葉が流行った頃までのインターネットによく似ていると思う。ひと昔前のインターネット未来予想図は、とかく楽観的だった。
 
しかし今日、インターネットの未来は楽観を許さない。というより、現在のインターネットが思いっきり殺伐としている。
 
インターネットは世界じゅうを繋げたが、何かが繋がりすぎて、何かが決定的に繋がらなかった。識者たちは「SNSをとおして『分断』が深刻になった」と語り、インターネットは直接的にも間接的にも軍事利用されていて、そうでなくてもさまざまな勢力の情報戦・宣伝戦の最前線になっている。インターネットを用いた犯罪はひきもきらない。
 
インターネットが世界平和をもたらすとか、世界じゅうを仲良くするとか、そういったインスピレーションを令和時代のインターネットは与えてくれない。
 
インターネットが私たちひとりひとりを賢くしているのか、愚かにしているのかもわからなくなってしまった。検索エンジンの検索結果が嘔吐物のようになり果て、フェイクニュースが飛び交い、徒党を組んだ者同士が決して譲歩せず、お互いの政治的ポジションを掘り崩すことしか考えていない現状は、電信技術によって報道・商業・政治の速度やクオリティが高まっていった頃とは大きく異なっている。
 
たとえば電信の時代、ロイター通信などが誕生し、世界各地の報道スピードが更新されたからといって、電信のせいで誰かが愚かになったことはあまりなかっただろう。戦場や植民地の様子が素早くロンドンに届くようになったからといって、軍人や商人が愚かになったことも多分なかっただろう。だが、令和時代のインターネットは、ひとりひとりのユーザーを賢くするのか愚かにするのか、判断力に資するのか判断力を削るのか、わからない顔つきをしている。
 
どうしてヴィクトリア朝時代のインターネット=電信と、令和時代のインターネットはこんな風に違うのだろう?
 
ひとつめの違いは、令和時代のインターネットには「パジャマ姿で誰でもアクセスできてしまう」点ではないだろうか。電信の時代、電信網にパジャマ姿でアクセスする人はほとんどいなかったはずで、商人も、軍人も、ラブレターを送りたい人も、まあその、シャキっとした頭脳と出で立ちで電信に向かい合うことがほとんどだったと推測される。しかし、今日のインターネットは24時間いつでもどこでも読んだり書いたりできてしまう。情報としてのフォーマルさの度合いが電信とは異なっていることに加え、認知機能の低下している状態──就寝前のベッドの中や、泥酔中など──でもアクセスできてしまう点が異なっている。
 
ふたつめの違いは、「なんやかんや言ってもヴィクトリア朝時代のインターネットは敷居が高かった」点ではないだろうか。
 
電信は確かに普及した。しかし、その電信を日常的に使いこなしていたのは、商人や軍人や政治家などの上澄みと、電信に携わる職業の人ぐらいだった。そうでない人にも電信を使う機会はあっただろうが、身内の危篤の知らせのような、重要な情報を迅速に伝えるためのもので、私たちのようにだらしなく・だべるようにインターネットに接続できたわけではない。
 
短文を送るにもそれなりの通信料がかかり、「テレホーダイ」のような無制限に通信できるサービスがあったわけでもない時代に、昨今のようなネットユースをやってのけるのは経済的にもインフラ的にも困難だったに違いない。
 
経済的・インフラ的問題に加えて、情報リテラシーに関する敷居もある。
 
電信の時代に電信を頻繁に利用したのは、当時における情報強者、情報リテラシーに勝る人々だった。頻繁に電信にアクセスし、それをインターネットのごとく体験可能なのは、電信に携わる職業人を除けば、商人、政治家、軍人、報道関係者といった人々で、彼らには情報リテラシーがあった(無ければ淘汰されるだけである)。それ以外の大勢も、情報技術としての電信の恩恵を享受はしていたが、それは電信に(今日のSNSのように)ひとりひとりがダイレクトにアクセスして情報を読み取っていたからではない。たとえば新聞のように、「情報リテラシーのある誰かが介在するかたちで」電信の恩恵はその他大勢に伝達されていたのではなかったか。
 
その時代にもフェイクニュースもあったろうし、新聞社が間違った情報に基づいて間違った報道をすることもあっただろう。とはいえSNSのフェイクに転がされやすい界隈に比べれば、まだしも判断力があったように思える。
 
著者あとがきによれば、『ヴィクトリア朝時代のインターネット』が執筆されたのは1997年頃だという。1997年頃のインターネットもある程度は敷居の高いメディアだった。そして当時のインターネットはもっと希望に溢れていて、令和のインターネットのような陰惨さ・狡猾さはまだなかった。
 
だから私は、web1.0の頃のインターネットや、せいぜいweb2.0の頃のインターネットは電信にかなり似ているけれど、令和時代の、この世間に擦れ切ったインターネットは電信にはそこまで似ていないんじゃないかと思ったりする。もちろんこれは後出しじゃんけん的な物言いで、この本と著者のトム・スタンデージ氏を批判する理由にはならない。ただ、インターネットがあまりにも普及し過ぎて、あまりにも繋ぎ過ぎて、あまりにも世間擦れしてしまったために、令和時代のインターネットには電信が廃れるまでには起こらなかった悲喜劇がいっぱいで、魑魅魍魎が跋扈する空間になってしまった*2
 
かつて、インターネットは電信の時代によく似たユートピアの夢を託されていた。けれども、どんどん変質し、世間の手あかにまみれ、何か違ったものになろうとしている──そんな視点で『ヴィクトリア朝時代のインターネット』を読み、過去のインターネットを振り返ってみるのもアリかもしれない。
 
本書は読みやすいうえに面白く、ひとつの情報技術の栄枯盛衰がスッと入ってくるので技術史に興味のある人には特にオススメな感じだ。令和時代のインターネットの向こう側を想像する際にも、案外、このような本が参考になるのかもしれない。
 
 

*1:ロシア製アプリ『Telegram』は「電報」を意味していて、まさに電信の子孫という響きがある

*2:このほか、電信というメディアとディスプレイをとおして見たり書いたりするインターネット、ひいてはスマホやカメラを駆使したインターネットは[マクルーハン的に考えて]メディアとしての性質に相違があり、そこもメディアとしての相貌と起こっている現象を違ったものにしているのだろうけど、略

取引みたいなコミュニケーションは、誰にとって都合良いのか

 
今、研修医時代ぐらい忙しくて生きた心地がしない&働きすぎで急速に老け込みそうだと感じていますが、そうしたなか、書評のお仕事をいただきました&こなしました。
 
gendai.media
 
書評させていただいた作品は村雲菜月さんの『コレクターズ・ハイ』。上掲リンク先にも書いたように、コレクション大好き系のオタクの物語だと決めてかかると足元をすくわれる思いがするかもしれません。
 

 
作品にどのようなメッセージが含まれているのか。これは読み手次第でしょうけど、私には、以下のポイントが刺さりました。
 
1.たとえばキャラクターグッズをコレクションしている時、私たちはどこまで癒されていて、どこまで行動嗜癖的に病んでいるのか
 
2.資本主義の商品を作ったり、資本主義の商品そのものになったりして疲れ、傷ついている私たちが、それを癒す際にも資本主義の商品に依存し、ときには人間を商品として買い求めずにいられないとしたら、資本主義の輪から抜け出す出口は無いのではないか
 
3.人間同士のコミュニケーションが余計なものを徹底的にそぎ落とし、商取引のプロトコル的なものになったら、効率的かもしれないけれども色々と詰んでない?
 
この三つの点を、私は『コレクターズ・ハイ』の書評を書いている最中に何度も思い出したものです。このブログでそれを繰り返しても意味はないので、2.3.について考えているうちに最近気になるようになった、資本主義社会と人間の生活についての話をしたいと思います。
 
 

「ディスコミュニケーションが正解」は本当は誰のためなのか

 
私は年来、「現代社会の人間同士はコミュニケーションを深入りせず、コミュニケーションしないで済ませられるなら、済ませようとしている」と考え続けてきました。それか、「コミュニケーションが取引みたいになっている」とでも言いますか。
 
たとえば昭和時代の友達同士のコミュニケーションの範疇には、泥んこまみれの喧嘩をして理解が深まる一面や、銭湯や町内会の行事で学校とは違った顔を垣間見る一面もあったでしょう。しかし、いまどきの小学生はそんな泥んこまみれの喧嘩をコミュニケーションとして体験することはないし、クラスメートと会う場所・文脈も限られているため、まったく違った一面を垣間見る機会はあまりありません。
 
そうして人と人が会う場所や文脈が限られるようになってくると、友達、クラスメート、先生と対面する際に認識したりされたりする自他の姿は一面的になりやすく、いわば、キャラ的です。少なくとも昔に比べれば、学校では学校に合ったキャラを、スイミングスクールではスイミングスクールに合ったキャラを、ポケモンカードステーションではポケモンカードステーションに会ったキャラを立て、それぞれを使い分けることもできます。それぞれのキャラは情報量が少なく、(平野啓一郎風に言えば)「分人的」でもあるでしょう。
 

 
でも、それゆえにそれぞれの場には最適化されているし、他人に提示するのも、他人のそれを理解するのも簡単です。
 
こうした、場面や状況ごとにキャラを使い分けるコミュニケーションをディスコミュニケーションと呼んでしまうかは意見の分かれるところでしょう。が、ともあれ、コミュニケーションの傾向がキャラの出し合い的なコミュニケーションに変わって傾いてきているとは感じます。
 
尤も、これは昭和時代の地域社会のコミュニケーションと比較してそうだという話で、生まれながらにキャラの出し合い的なコミュニケーションが起こりやすい都市空間に住んでいる人、たとえば近所づきあい皆無の郊外やタワマンで生まれ育った人には、私が何を言っているのか理解がむずかしいでしょうけど。
 
私は、そうやってコミュニケーションが一面化し、効率化し、お互いのことをむやみに知りあわないようになり、お互いにとって都合良い部分だけを読み取りあうコミュニケーションのことを個人的に「券売機のようなコミュニケーション」と呼んでいます。
 
最近はラーメン屋などに注文用の券売機が置かれていますが、あれってコミュニケーションの省力化を極限までやってますよね? お客は券売機で買ったチケットを店員に渡すだけ。店員はチケットを受け取るだけ。今までだったら店員とお客の間にあったはずの、オーダーを確認するためのコミュニケーションまで省かれています。コミュニケーションとしては最も効率的だし、ノイズレスでもあるでしょう。
 
この、券売機で最小化された商取引(売買)のコミュニケーションこそが、現代のコミュニケーションの理想ではないでしょうか。商取引なら商取引の、塾だったら塾の、婚活だったら婚活の、そこで話されるべきことが話され、そこで話す必要のないものは話さない、そんなコミュニケーションが理想視されているのではないでしょうか。
 
だって、皆さん、非効率なコミュニケーションも、ノイズフルなコミュニケーションも、お嫌いでしょう?
 
たとえそれが、目的以外のコミュニケーションの可能性を毀損し、別の面においてディスコミュニケーションを加速するとしても、です。
 

視点を変えて考えるなら、現代人は双方の合意に基づいて、お互いに都合の良いコミュニケーションをしていると同時に、用途や場面、媒介物にふさわしくない部分についてはコミュニケーションしないで済ませている、とも言える。
私たちは双方に都合の良い、社会契約にも妥当するコミュニケーションに徹することによって、そうでないコミュニケーションを日常から排除し、キャラクターや役割やアバターには回収しきれない、お互いの多面性を知らないで済ませようとしている。
これは、コミュニケーションであると同時に、一種のディスコミュニケーションでもあるのではないか?
熊代亨『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』より

 
コミュニケーションの効率化とノイズレス化は、もちろん資本主義にも貢献します。なぜならそれによってタイパやコスパが向上し、より多くのコミュニケーションが商取引的な性質を増して、いわば(資本主義の立場から見て)純化されるからです。コミュニケーションが効率化・ノイズレス化することをとおして、資本主義はますます純化し、ますます発展し、人間のコミュニケーションは資本の自己増殖に貢献しやすい性質となり、それにそぐわないやりとりが減っていくでしょう。
 
確か、経済学の言葉に「内部化」というものがあります。
内部化とは、もともとは資本主義の内部には存在しない、商品になりにくいものが、なんらかのかたちで商取引の対象となり、新しいマーケットができあがり、商品として資本主義の内側へと取り込まれていくことだったと記憶しています。それで言えば、たとえばミネラルウォーターは日本では1990年代に内部化し、結婚式も就活も葬儀も21世紀までには内部化しました。最近は、男女の出会いも(マッチングアプリをとおして)内部化されようとしています。
 
しかし、資本主義の内側へと取り込まれていくという点でいえば、私たちのコミュニケーションの効率化とノイズレス化も、じつは資本主義の内部にコミュニケーションが取り込まれようとしている兆候だったりしないでしょうか。
 
もともと、人間のコミュニケーションは資本主義にも商取引にもなじまないものが大半でした。資本主義や商取引になじむようなコミュニケーションが商人以外にも広く定着したのは、ここ数世紀のことでしかありません。しかし、今日のコミュニケーションは急速に効率化とノイズレス化、いわば券売機みたいなコミュニケーションへの道を辿っています。この段階ではまだコミュニケーションが資本主義化に取り込まれてしまったとは言い切れないとしても、コミュニケーションが資本主義に親和的になっていくのは、きっと資本主義自身にとって都合の良い事態ではあるでしょう。
 
 

効率的なコミュニケーション、資本主義のためのコミュニケーション

 
そうして、私たちのコミュニケーションや人間関係全般が資本主義に親和的になり、資本主義から見て都合の良いものに変わっていくとして、いったい誰が得をするのでしょう?
 
人間ひとりひとりの目線に立つなら、コミュニケーションを効率化すればするほどその人が(資本主義的に)得をする、というのはあるでしょう。昭和以前の人間のようにモタモタとコミュニケーションし、摩擦をも含むようなコミュニケーションをやっていくのは効率が良くありません。令和風の、無駄のないシュッとしたコミュニケーションをやっていけばタイパもコスパも向上しますよ、というやつです。
 
しかし人間全体にとって、これは望ましい変化だと言えるのでしょうか。
 
券売機を用いているお店では、お客と店員の間のコミュニケーションのコストが最小化されるかわりに、お客と店員の間で意外性のある出会いが起こったり、意外性のある情報の授受が起こったりする可能性はオミットされます。まあ、「商売」という観点ではそれで構わないでしょう。しかし人間同士のコミュニケーション全体が省力化・効率化・ノイズレス化していったら、人間同士の間で意外性のある出会いが起こりにくくなり、意外性のある人間関係の構築や、意外性のある情報の授受が起こる可能性もオミットされるでしょう。
 
お互いのことを知りすぎないコミュニケーションは、効率的だし、リスクも少なくて済むかわりに、私たちがお互いのことを知りあう可能性をも奪ってしまっていませんか。
 
それから、お互いのことをキャラとしてしか認識しあわない弊害として、いざ、敵対するとなった時には相手のことを人間ではない、悪魔の化身のようなものとして徹底的に非難したりこき下ろしたりすることが簡単になっているとしたら、それも社会全体でみればあまり良いこととは思えません。ひょっとしたら、SNSで起こっている終わりなき戦いも、こうした券売機みたいなコミュニケーションの暗黒面なのかもしれません。
 
そのうえ、券売機コミュニケーション的なものに慣れれば慣れるほど、いざ、人と人が親密にならなければならない時──たとえば親が子を育てるような時──には不慣れで困ってしまうのではないか、とも思います。取引や目的に最適化しすぎたコミュニケーションに慣れ過ぎて、それこそがコミュニケーションのあるべき姿だと思ってしまうと、子育てをはじめとする、昔からあったはずのコミュニケーションの大半がナンセンスなものに感じられ、不慣れでやっていられないものになるでしょう。
 
少子化の背景はさまざまで、個々人の収入の問題もあれば、個々人の思考の資本主義化・経営者化もあるでしょう*1。東アジアの場合、経済発展や思考の資本主義化のスピードと、旧来の家族観が廃れていくスピードとのギャップが大きいと語られています。それらに加えて、案外、私たちが券売機コミュニケーション的なものに慣れ過ぎ、親密さや身体的なコミュニケーションから遠ざかっていることも、原因の一端ぐらいは占めているのではないか、と私は思ったりします。
 
案外、それを埋め合わせるのがマッチングアプリかもしれず、マッチングアプリが完全普及したら、私たちはペットや家畜のブリーディングのように、それか『PSYCHO-PASS』のシビュラシステムみたいに、「あなたにふさわしいパートナー、あなたにふさわしい人生」を自動的にあてがわれるようになるのかもしれませんが。
 
こんな具合に、コミュニケーションがどんどん資本主義に親和的になっていくプロセスは、人間自身にとって良いことばかりとは思えません。たぶん、人間は券売機みたいなコミュニケーションだけでは生きていけないし、もし、過剰にコミュニケーションが券売機化していくとしたら、これも資本主義による疎外の一形態、ということになるでしょう。
 
 

人間が苦しいかどうかを、資本主義と資本は顧慮しない

 
しかし、ここまでの話って人間から見た困りごとで、資本主義自身から見たら、別にたいした問題じゃないですよね……。
 
ここ数年、私は資本主義、あるいは資本主義をとおして増殖する資本が、「人間を媒介物に自己増殖するウイルスみたいなミーム」に思えてなりません。資本主義や資本は生物ではなく概念ですが、その概念が私たち人間を媒介物として伝染病のウイルスのように自己増殖に励んでいるのが現状ではないでしょうか。
 

 進化生物学者のリチャード・ドーキンスは、『利己的な遺伝子』のなかで、「人間も含めた生物は、遺伝子からみれば(遺伝子を運ぶ)乗り物である」と比喩しましたが、今日の人間はまるで自己増殖する資本の乗り物のようです。社会の隅々にまで資本主義の思想が浸透し、それを内面化した私たちにとって、資本主義の思想は生物学的な遺伝子よりも強い行動原理になっていて、子孫を残すのにふさわしい暮らしは、資本主義にふさわしい暮らしに上書きされています。
熊代亨『人間はどこまで家畜か』より

かつて、人間は遺伝子の乗り物だとしても資本の乗り物ではありませんでした。しかし資本主義が社会思想の中心となった今日では、人間は、遺伝子の乗り物である以上に資本の乗り物ではないでしょうか?
 
ちょうど遺伝子やウイルスが人間それぞれの幸不幸や社会全体の幸不幸をおもんぱからないのと同じように、資本や資本主義も、人間個々人や社会全体の幸不幸をおもんぱかりません。人間が増えるか減るかも忖度しません。病原体ウイルスがはびこりすぎると宿主となる動物が激減してしまうように、資本や資本主義も、自己増殖の過程で人間や人間社会を食いつぶしてしまうこともあるかもしれません。
 
本当にそんな破滅的な未来が来るとは、私も本気では思っていません。が、ここで言いたいのは、資本主義や資本のことを、人間とは独立した増殖するプレイヤーとして意識しておいたほうがいいんじゃないか、ということです。
 
近世に欧米社会で爆誕した現代に連なる資本主義のミームが本格的に増殖しはじめてたかだか数百年であることを思うと、資本主義がどこまで人間にやさしくて、どこから厳しいのかは、まだよくわからないと言わざるを得ません。ある時期・ある時代に資本主義が人間に豊かさをもたらしたことは間違いないとしても、資本主義が人間に豊かさをもたらす公僕のようにふるまうとは到底思えないので、心配ぐらいしておきましょうよ。
 
『コレクターズ・ハイ』にみられる資本主義による傷つきと癒しの連環、その連環からの脱出経路がディスコミュニケーションによって塞がれている絶望は、私にこういうことを強く思い出させるので、書いてしまいました。『コレクターズ・ハイ』から出発して、ついついこういうことを考えてしまいました。
 
 

*1:これも資本主義に人間が取り込まれていく重大な過程のひとつですが、ここでは於きます

過去「を」生きる。過去「で」生きる。それが今の私

木曜日の夜は昔のアニメを観る - シロクマの屑籠

シロクマ先生っていつも、とても、過去を引っ張って今を生きているなと勝手に思う。このエントリ以外からもそんな印象を受ける。

2024/04/19 14:00
b.hatena.ne.jp
text:シロクマ先生っていつも、とても、過去を引っ張って今を生きているなと勝手に思う。このエントリ以外からもそんな印象を受ける。

 
先月、招き猫のアイコンの人にはてなブックマーク上でこうコメントをいただいた時、今の心境を言い当てられた気がした。確かに私は過去を引っ張って生きているよね、と。先月終わりに書いた文章も、ファミコン版『ファイナルファンタジー』についてだったし、今期の新作アニメは続編モノとリメイクしか見ていない。アマゾンプライムに『ゴジラー1.0』が来たので観ようと思っているけれども、それだって続編モノだ。わあ、本当に過去ばかり見ている。
 
でも真顔になって考えると、私は、良い意味でも悪い意味でも過去に依って生きていると思う。それは、「過去を生きる」とも「過去で生きる」とも言えそうだ。久しぶりにブログが書けそうなので、リハビリがてら、ちょっと書いてみる。
 
 

「過去を生きる」私

 
私はもうじき50歳になる。これはもう、生物学的には高齢ではないだろうか。たとえば戦国時代や平安時代だったら、私はもうキャリアの終わりのほう、一生の終わりのほうだろう。大河ドラマ『光る君』では、藤原道長の兄・藤原道隆は43歳で死去していた。あの藤原道長だって60代前半で死去する。人間は、そんなに長生きできるように創られてはいない。今日の医療技術に頼れば統計的な余命は長くなるが、アラフィフから先の身体はいい加減に扱うと脆く、平均寿命のずっと手前の訃報をしばしば耳にする。
 
私は20代の頃から、医学の知識に基づいて「能力的に最高潮なのは30代ぐらいで、そこからは能力が落ちる一方だ」と考え生きてきた。まただからこそ、人生はとても儚く、最も激しく燃え上がれる時間も短いと思い続けてきた。それは半分当たって、半分外れた。
 
外れていたのは、40代になっても伸びる能力があること、経験の蓄積はけっして弱っちょろい武器ではなかったことだ。
当たっていたのは、身体的能力の衰えのほうだ。私の身体機能は着実に衰えている。過去の自分の写真を見ると若々しさに驚くし、鏡を見て本当に老いたと感じる。ゲームを遊んでいても、身体能力でカバーしなければならない場面を極力避けるようになってしまっている*1。更年期障害にはなっていなくても、以前に比べて性的なもの、エロいものへの関心が少なくなった。楽しいアニメやゲームとの出会いは今でもあるけれども、それが、残りの人生に決定的な爪痕を残すとは、それほど思えない。
 
なぜなら私はもうこんなに生きてしまって、生きてきた歴史がこんなに堆積して、私のマインドは爪痕だらけになっているからだ。
 
小学校時代に楽しかったもの、中学校時代に生きるよすがとなったもの、高校時代に扉を開いてくれたものを、私は反芻して生きてきた。私にとってそれは、『機動戦士ガンダム』シリーズの大会戦で活躍する量産型モビルスーツたちのイメージ*2だったり、『ドラゴンクエスト』シリーズのアレフガルドのBGMだったり、『銀河英雄伝説』の登場人物たちのセリフだったりする。それらを何百回何千回と思い出し、それらに支えられながら生きてきたのが私だ。成人後は、そこに『新世紀エヴァンゲリオン』や『CLANNAD』や『シュタインズ・ゲート』が加わる。それらは私にとって娯楽であっただけでなく、シナプスの色々なところに刻まれ、何をする時にも自動的に思い出してしまう、そんな爪痕だった。
 
そんな爪痕が脳内にたくさん刻まれている私には、もう余白があまりないと思う。2020年代に入ってからも追加はあって、例えば『ぼっち・ざ・ろっく!』や『フリーレン』は爪痕の仲間入りをするだろう思いながら眺めている。でも、それらは私の脳内にあって新入りだし、たくさんの爪痕たちのなかの一部でしかない。小学生時代の頃の『機動戦士ガンダム』シリーズや、高校生時代の頃の『銀河英雄伝説』のように、多感で余白の多かった頃に悠々と私の脳内を占拠した作品たちのようにはならない。
 
爪痕がたくさん刻まれているということは、余白がなくなった、ということでもある。
 
まっさらな人生の余白。まっさらな感性の余白。そういったものが私にはだいぶなくなってしまった。今でも新しい作品を楽しむことはできるし、『ゆるキャン△』に感化されて山に登ってみた感じからいって、新しい趣味を始めることもできる。でも、まだ人生が始まってそれほど経っていなかった頃に戻って新しい作品を楽しむことは決してできない、なぜなら人生に爪痕を残した作品に出会い過ぎてきたから。それと同じく、思春期に出会った頃と同じ姿勢でゲームやアニメと向き合うこともできないだろう、なぜなら自分のアイデンティティをかたちづくるものが思春期以降にできあがってしまったから、新しい趣味を始めたいと思ったらどう始めればいいのかを、小器用にもわかってしまっている自分が出来上がってしまったから。
 
すでに感性や脳内のシナプスのいろいろなところに爪痕が刻まれまくっている。新しい爪痕が加わっても大きなインパクトとなりえず、思春期の頃のような、ほとんどムキになっているような姿勢でゲームやアニメと向き合えないということは、私が老人ってことではないだろうか? 少なくとも、これは若者や少年ではない。私には私の歴史ができてしまい、そのぶん私の余白は少なくなってしまった。その、記憶と追憶だらけの私がどれほど新しい作品に出会おうと、たとえば私にとっての『新世紀エヴァンゲリオン』のような、作品ひとつで生き方がひっくり返ってしまうようなインパクトは期待できない。
 
そして私は今も過去に出会った作品たちを反芻している。『機動戦士ガンダム』シリーズを。あるいは『銀河英雄伝説』を。そうした反芻の対象に最近加わったのが、『ぼっち・ざ・ろっく!』や『フリーレン』だった。
 
これからも私は、新しいアニメやゲームに出会い続ける。でも、そうした出会いは私にとって革命的ではなく、たくさん積み重ねてきた記憶と爪痕の堆積物を分厚くするだけなのだろう、そう思うこと、実際そうなっていることから考えて、なるほど私は過去を生きている。
 
 

「過去で生きる」私

 
そのうえ、私は余白によって生きるよりも、過去に依って生きている。
 
これが若者や少年なら、過去の積み重ねによって生きる以上に、これから経験すること・これから変わっていく可能性によって生きる側面のほうが強い。いわゆる「自分探し」や「何者かになりたい」も、それが若者や少年ならサマになるし、実際問題、彼らは経験や研鑽をとおしてどんどん変わっていく。未来というものが、変わっていきたい・経験したいというモチベーションにもなる。
 
対して私はどうか。余白が少なくなり、経験が増えたアラフィフには余白はあまりない。もし、未知のことに挑戦するとしても、変わっていく可能性に賭けて挑戦するより、「これをやったらたぶん自分はこうなるし、その際に必要なコストはこれぐらいになる」と経験に照らして挑戦するだろう。ロシアの諺にいう「知り過ぎは老けのもと」を地で行く発想だが、もう、そんな風になってしまっている(し、まあだから色々と億劫がってしまうのだろう)。そして、未来の伸びしろなんてだいたい見えている。私はここでこうしてこれからも生きていければ御の字で、もし思わぬ展開があるとしたら、それは薄氷を渡るような渡世から足を踏み外して破滅する時だろう。
 
そのかわり、私は経験に基づいて生きていくことを知っているし、過去に基づいて現在を、ひいては未来を想像することも知っている。真白な気持ちで新しいアニメやゲームに触れることができないかわりに、過去に経験した作品と比較してそれらを眺められるのは、それはそれで恩恵だ。仕事にしてもそうだ。医学の知識という点でも、過去に経験した症例という点でも、精神医療の領域は過去を知っていることがアドバンテージになりやすいと思う。
 
本を書く、ということも同様だ。未来と現在だけ見つめていては、書けないものがある。私は歳を取るにつれて過去を振り返るような本を読みたがるようになっていて、たとえば近著『人間はどこまで家畜か 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)』などは、過去を振り返ることで現在と未来を照らしてみる、そういう試みのひとつとして書いた。
 
過去は、現在の原因にも、未来の参照項にもなる。年を経るにつれてそのことを私は意識するようになって、最近は過去を知るための本ばかり読んでいる。
 

 
もうすぐ発売になる『ヴィクトリア朝時代のインターネット』は、今、とても楽しみにしている本だ。これは、過去にNTT出版から発売されたものの、絶版となってかなりのプレミアがついていた本だった。それが文庫本として発売されるのだから、買ってしまうしかない。自分の本になってしまえば、付箋をつけたりアンダーラインを引いたり落書きしたりできる! 早川書房には大感謝! というほかない。
 
この『ヴィクトリア朝時代のインターネット』に限らず、過去を振り返る本への興味は増すばかりで、積読が溜まっていく。どうせ私は未来の余白をアドバンテージにする年齢でなく、過去の堆積をアドバンテージにする年齢なのだから、これでやっていきたい。このことに限らず、人生の残り時間がそれほどないなかで若者や少年の真似事をやっていくより、老人の真似事をやっていったほうが残り時間をうまく活かせる気がするので、私は未来で生きるのでなく、過去で生きる心づもりでいたいわけです。
 
 

心境を言葉にまとめる機会をいただけました

 
こうして言語化してみると、はあ、やっぱり私は過去で生きているし、not若者 、not少年 なんだなぁと改めて思い知った。でも、それを生かしていくスタンスにちゃんと自分が変わっていると確認できたし、これから自分がどう生きていこうとしているのか、自分自身の無意識の見通しが読めた気がした。私の社会適応は、若かった頃のそれとはだいぶ違ったかたちになっているが、それは私のライフステージの変化にちゃんと対応しているとも思う。このように舵取りをしてくれた40代前半の私に感謝したいし、今の私としては、50代の私に感謝され得る選択と采配を続けていけるよう祈りたい。
 
最後に。冒頭で引用させていただいた招き猫の方(doycuesalgozaさん)にも、ありがとうございましたと申し上げます。ご覧のとおり、私は過去に引きずられて生きていて、過去を生きていて、過去でもって生きています。言語化してみて、これは変更不能だなとも思いました。私があと何年ぐらい生きられるかわかりませんが、残り時間を、過去をアドバンテージとして生かせるような時間にできたらいいなと願いながら生きていこうと思います。
 
(このブログ文章はここで終わりです、以下はサブスクしている常連さん向きの文章です)

*1:20代の頃は正反対で、身体能力でいろいろなことをカバーするのが私のプレイスタイルだった

*2:ガンダムシリーズの量産型モビルスーツは当時の私にはだいたいどれも響いたが、なかでも最も印象強いのは、なんといってもジェガンだ

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初代ファイナルファンタジーの思い出

 
news.denfaminicogamer.jp
 
リンク先は、ファミ通のサイトにアップロードされた、初代『ファイナルファンタジー』(ピクセルリマスター版)の記事だ。タイトルに"実はSFだった(?)"的なことが書かれているためか、はてなブックマークには賛否さまざまな声があがっていた。
 
私はどこまでSFでどこからがファンタジーなのか、定義づけには興味がない。ただ、1987年に実際にファイナルファンタジーをとおして体験したのは純ファンタジー風の体験からそうではない体験に変わっていくもの、少なくとも『ドラゴンクエスト』や『ハイドライド』や『ザナドゥ』とはちょっと違った趣向だった。
 
これも機縁、楽しくてしようがなかった初代ファミコン版『ファイナルファンタジー』の楽しかったところを書き残してみる。

 
 

思い出話の前に:『ファイナルファンタジー』が発売された頃の時系列

 
ファミコン版『ファイナルファンタジー』の思い出話をする前に、当時、ゲーム小僧たちが置かれていた国産ロールプレイングゲーム(以下RPGと表記)の時系列に触れておきたい。
 
ファミコン版の『ファイナルファンタジー』が登場したのは1987年。この時点でRPGは大学生や一部のマニア・オタクだけのものではなく、地方のゲーム小僧にも十分すぎるほど知られた存在となっていた。ファミコン版だけ見ても、1986年にはあの『ドラゴンクエスト』の初代が発売されているし、同年にはファイナルファンタジーを生むスクエアも『ディープダンジョン』を発売している。
 
で、『ファイナルファンタジー』が登場するのは1987年で、この年はたいへん豪華だった。というのも、この『ファイナルファンタジー』に加え、『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』もファミコン版『ウィザードリィ』も『女神転生』もリリースされたからだ。ファミコン版『ウルティマ 恐怖のエクソダス』が発売されたのも1987年。
 
当時はPC版のRPGも地方の小中学生にまずまず知られていた。アクションRPGと位置付けられるかもだが、『ザナドゥ』や『イース』は私もプレイしたことがあったし、1987年末には『ソーサリアン』も発売されている。初代『ファイナルファンタジー』がファミコン版として発売されたのは、そうやってRPGが子どもの間で知られ、コンピュータゲームの王道的立ち位置をまさに固めていくような時代だった。
 
なお、アーケードゲームでは当時は未だシューティングゲームがメジャーだった時期で、『ダライアス』や『R-TYPE』の初代がリリースされている(これはこれで豪華な話ではある)。対戦格闘ゲームはまだ登場しておらず、『ストリートファイターII』の前身、特殊筐体の初代『ストリートファイター』がリリースされている。
 
 

はじめ、『ファイナルファンタジー』は『D&D』っぽいゲームとして現れた

 
初代『ファイナルファンタジー』の美点はいくらでもあるし、冒頭リンクにもたくさん記されている。たとえばガーランドを倒して橋を渡った時に表示される「オープニング画面」には私も圧倒された。
 
勿論それだけじゃない。良かった点、魅了された点は本当に色々あるのでそれを挙げていきたい。
 
ひとつには『D&D』*1っぽいゲームシステム。ここでいう『D&D』っぽいとは、魔法の使用回数がレベルごとに回数制であることや、D&D準拠なモンスターが登場することにとどまらない。『ファイナルファンタジー』の『D&D』っぽさは、攻撃の命中判定やダメージ判定にもあらわれている。『ドラゴンクエスト』が比較的揺れ幅の小さなダメージ判定になるのに対し、『ファイナルファンタジー』、特にその序盤ではダメージ判定が大きく揺れる。その揺れ具合が『D&D』っぽくて、ゲーム小僧である私には「ダイスを振っているみたいで本格的」と感じられた*2
 
でも、ダメージ判定が大きく揺れるRPGは、えてして遊びにくい。ところが『ファイナルファンタジー』はそうでもなかった。レベルが上がり、前衛職の攻撃回数が増えていくと「2回ヒット」「3回ヒット」といった具合に複数回ヒットするようになり、結果的にダメージの平均値が均されていく。魔法も割と問題ない。『ファイナルファンタジー』は当時のRPGのなかでは属性攻撃ダメージがきっちり通るゲームで、炎に弱いモンスターにファイア系魔法をかけた時や水棲モンスターにサンダー系魔法をかけた時のダメージのとおりが爽快だった。対アンデッド専門魔法であるディア系もそれに準じていて、アンデッドの大群は倒しやすかった。
 
それから魔法。ファイナルファンタジーの白魔法と黒魔法は、初代の段階では『D&D』のクレリック魔法とマジックユーザー魔法にかなり似ていた。ゲームに欠かせないケアル系魔法やレイズ系魔法だけでなく、プレイヤーにはほとんど使ってもらえないダクネスやスタン、インビジビリティやシールドが元ネタとおぼしきインビジやプロテスなど、脇役魔法も『D&D』に似ていた。『D&D』に似ている度合いは先行国産RPGと比べて顕著で、ひょっとしたら後々に発売される国産RPGと比べても顕著かもしれない。多少なりとも『D&D』をかじっていた私たちには、『ファイナルファンタジー』は『D&D』っぽいゲームをファミコンで遊ばせてくれるもの、それも上級ルールセット*3に登場する魔法すら使わせてくれるものでもあった。
 
でもって、モンスター。今にして思えばヤバいほど『D&D』っぽかった!
もちろん完璧に『D&D』とは言えないのだけど、パイレーツが登場し、オーガが登場し、ゾンビやスケルトンやシャドウが登場し、さらにそれらの上位・上級モンスターが登場するさまは『D&D』っぽかった。物議をかもした『D&D』のオリジナルモンスター、あのビホルダーもファミコン版には堂々と登場する。
 
天野喜孝のモンスターデザインがそれに拍車をかける。ちょうどファミコン版『ウィザードリィ』のモンスターデザインが当時のゲーム小僧には「本格派」っぽくうつったのに似て、『ファイナルファンタジー』のモンスターデザインも、これまた「本格派」っぽくうつった。かっこよかったのである。しかもモンスターの攻撃手段や特殊攻撃がじつに『D&D』っぽかった。『D&D』経由で聞きかじった「このモンスターはこうであるはず」という性質を、『ファイナルファンタジー』のモンスターたちはかなり忠実に反映していた。
 
たとえばグリーンスライムは武器による攻撃がほとんど通用せず、炎に弱く、毒攻撃を繰り出してくる「強いとは言えなくてもめんどくさいモンスター」として登場し、その上位モンスターにあたるグレイウーズにはちゃんと武器攻撃が通用する。ドラゴンはそれぞれのカラーに合った属性ブレスを吐き、コカトリスに攻撃されると石化した。ビホルダーがデスで攻撃してくるのは言うまでもない。
  
加えて、『ファイナルファンタジー』のモンスターの出現テーブルが良い雰囲気だったことは、もっと知られてもいいと思う。
わずかに先行する『ドラゴンクエストII』でも、海上やロンダルキア洞窟の最下層のモンスターの出現テーブルには雰囲気があったが、それでも個々のダンジョンごとに出現テーブルの雰囲気が大きく異なっていることはなく、たいていは色々なタイプのモンスターがまんべんなく出現した。対して『ファイナルファンタジー』では海上はもちろん、ダンジョンやその階層ごとに出現するモンスターの雰囲気がかなり変わる。
 
こうしたことをゲーム前半で特に意識させられるのは、土のクリスタルの対リッチ戦、アースの洞窟攻略のあたりだ。土のクリスタルがリッチによって遮られているため、アースの洞窟の周辺の土も腐っていて、そのため、周辺フィールドではアンデッドモンスターが大量に出現する。洞窟に入っていくとアースエレメンタルなど、アースの洞窟らしいモンスターが混じるようになり、たぶん、一度は石化で全滅するだろう。この、ダンジョンやフィールドごとにモンスターの出現テーブルを変え、「いかにもな雰囲気」をつくりだす点にかけて、『ファイナルファンタジー』は巧かった。モンスターの出現テーブルに加えて、戦闘画面のバックにダンジョンのグラフィックが表示されるのも雰囲気を醸し出すのに役立っていただろう。今日のRPGでは標準的なことかもしれないが、そういうことを私が最初に意識したRPGは『ファイナルファンタジー』だったと思う。
  
『D&D』っぽいことが優れたRPGの必要条件ではない。実際、『ドラゴンクエスト』『ザナドゥ』『女神転生』などはそこまで『D&D』に寄せていないが傑作ではある。それでも、当時のゲーム小僧にとって『D&D』に似ていることは「本格派」っぽく感じられる要素のひとつだったし、『ファイナルファンタジー』はそこらへんをうまく生かしつつ、内実としては遊びやすく、美しく、雰囲気満点のゲームとして遊ばせてくれた。インターフェースの入力スピードも悪くなかったし、魔法攻撃のキラキラしたエフェクトや武器攻撃の描写も美しかった。
 
 

本格派ファンタジーの世界にとどまらないどこかへ

 
 
他にも長所があるかもしれないが、きりがないのでもうやめよう。最後に『ファイナルファンタジー』のSFっぽさ?について書いてみる。いや、ただのファンタジーRPGじゃありませんよ感というか。
 
はじめそれは、「飛空石」「飛空艇」というかたちで始まった。さきほど書いたように、『ファイナルファンタジー』は魔法体系や攻撃判定やモンスターの出現テーブルからいって、本格派ファンタジーRPGっぽい装いで始まる。その典型が先に挙げた土のクリスタルの対リッチ戦で、そうした雰囲気は、ファイヤーエレメンタルやレッドドラゴンの潜むグルグ火山にも、ウィンターウルフやホワイトドラゴンが襲ってくる氷の洞窟にも引き継がれている。
 
……なのだが、ストーリーは滅んだ先進文明の話へと向かっていく。ロゼッタストーン。ルフェイン人の町。そしてミラージュの塔と浮遊城へ。そうこうするうちにファンタジーRPG風のモンスターに混じって、古代文明の機械兵も襲ってくるようになる。
 
別に、機械のモンスターだけなら当時もさほど珍しくなかった。『ドラゴンクエスト2』にはメタルハンターとキラーマシーンがいたし、『ザナドゥ』にはCZ-812CEがいた。でも、それらは数あるモンスターのバリエーションとして登場したに過ぎず、先進文明の世界に立ち入っていくことをプレイヤーに自覚させるための小道具として登場したわけではない。ストーリーの演出道具としてモンスターの出現テーブルやダンジョンの描写を利用する点にかけても、『ファイナルファンタジー』は一歩先を行っていたように思う。浮遊城はどこからどうみても宇宙船で、実際、エンディングではルフェイン人の文明は優れた技術を持ちながら滅んだと語られる。そうしてカオスとの戦いは時空を超えたものになっていく。
 
ストーリー・ダンジョン描写・モンスターの出現テーブル等々をとおして、『ファイナルファンタジー』は純然たるファンタジーの物語から、少なくともそうでない物語へと変わっていった。それをSFと言って良いのか私にはわからないし、飛空艇や浮遊城は『天空の城ラピュタ』っぽくもある。ただ、地方のゲーム小僧だった私はこのストーリー展開にびっくりして、それをとても楽しんだ。
 
ちなみにカオスとの戦いの最終対決に至っても『ファイナルファンタジー』のモンスターの出現テーブルは素晴らしくて、土・火・水・風の階層のモンスターたちはそれらしい雰囲気を帯びていた。*4
 
SF愛好家にとって、『ファイナルファンタジー』のこうした一面は先行作品からのパクリでしかないのかもしれない。が、そもそも初代『ファイナルファンタジー』は色々なジャンルの色々な先行作品から色々なものを組み合わせたキメラみたいな作品で、その一部がちょっとSFっぽかったってことなのだろう。
 
でもこのちょっとSFっぽいという要素が、冒頭リンク先でも記されたように、案外、その後のファイナルファンタジーシリーズの性質を決定づけたのかもしれない。ファンタジーRPGっぽさを大切にしつつも機械やテクノロジーの要素も取り入れ、両方の混じった世界を描くことにかけて、『ファイナルファンタジー』シリーズは卓越していた。その兆しは初代の時点でもう準備されていて、それが当時のゲーム小僧としての私に刺さったのだと思う。『ファイナルファンタジー』がそういう刺さり方をしたゲーム小僧は、たぶん私だけじゃないはずだ。
 
初代『ファイナルファンタジー』はとても楽しいゲームでした。十代のはじめの多感な時期にあのゲームに出会えたことを、とても嬉しく思います。
 
 

*1:追記:D&Dはアメリカ産のTPRG、テーブルトークRPGの一種。ゲームシステム、モンスター、魔法、等々でさまざまなコンピュータゲームにも影響を与えていてたとえば『ウィザードリィ』にもかなりの影響がみてとれる。TRPGとしてなお現役で新しいバージョンもリリースされている。以前、関連する記事も書いたのでそちらも参照 https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20240208/1707399000

*2:この感じ方は、完全に当時がTRPGブームで『D&D』がそのなかで雛型的存在だったことに由来している。その文脈を無視すると、これはピンとこない感じ方だろう。

*3:エキスパートセットやコンパニオンセットやマスタールールセットなどのこと

*4:そのなかで最悪だったのがグリーンドラゴンの集団だ。グリーンドラゴン集団が初代ファイナルファンタジーでは最強で、次点が、ダークウィーザードやマインドフレイアの集団だと思う。