山下晴代の「積ん読亭日常」

まっとうな本を読んでいく。

金子忠政詩集『やがて、図書館へ』──「夢のなかへ行ってみたいと思いませんか?」

『やがて、図書館へ』金子忠政詩集(快晴出版、2014年9月刊)

L'imagination consiste a expulser de la realite plusieurs personnes incompletes pour, mettant a contribution les puissances magiques et subversives du desir, obtenir leur retour sous la forme d'une presence entierement satisfaisante. C'est alors l'inextinguible reel incree.

(Rene Char "Partage Formel" 1)
(日本語との折り合い上、フランス語のアクサンは省いてあります)

 想像力とは、完全に満たされた一個の存在という形のもとに、何人かの人物の回帰を獲得するために、魔法と欲望を破壊する力を配分しながら、現実からそれらの人物を消すことである。

ルネ・シャール『形の共有』1より)

 どこかルネ・シャールと地続きのような世界を、金子忠政は描こうとしていると感じた。それはただの「買いかぶり」かもしれない。この、宮城県在住の詩人の言語は、あの「被災」への言及さえも極力抑制し、なにかを描こうとしている。それは悪夢とも言えない。現実の世界でもない。言語は俗な言語ではない。ひとつひとつの詩が長いと感じる。前半はとてもいい感じなのに、見開きのページをめくるとまだ続きがあって、詩的言語は持ちこたえず、急速に「説明」へ向かって減速していく。惜しい、と、思う。前半にすぐれた詩が集まっていると思う。表題作も悪くはないが、言葉の深度が深いと感じる以下の詩を紹介しておこう。

 「止まっているかのように緩慢な全方向からの浸潤」


 もう光は息をついていない
 瞳はつねに「煤け」
 善意に曇り
 風にさらされ
 虫のようなものが
 絶えずぶつかる額を
 言葉の水底に押しこむ


 同じ人々のなかに収束できなくなる
 暴露、
 土地も言葉も水に啜られる


(「あなた水に入るの」)
「ぼくはそれを真剣に考えているところなんだ。
 君は喜ぶだろうと思うが、ぼくはその問題を慎重に考えているんだよ」
 枕がわりに使う浮き袋を女は踏みつけた。
「空気がぬけてるわ」


 裏山の鶯がつんのめるように鳴きはじめた
 落ち着きのないエスキース
 心地よくなった


 薄い雲がかかる不忘山の雪を遠望する
 これは、イチエフのような悪意
 直喩の反吐、
 大気に締めつけられる



 最後の連は不必要に思われる。これをいかに抑制するかが、詩であると思われる。とくに、イチエフ(わざと、私は、金子氏も加わっていた「連詩」で使ったが)という言葉は、真剣な詩には、使うべきでないと思う。


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