panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

タイカマ----の弁

 ブログという形式は実は不自由だ。本を書くなら最後になって明らかになることが、5円玉のように即座に刻印されるように出てしまうのは、むしろ表現の自由を奪う。逆説めくが、人に見られることはほんとは危険だ。実際、私の個人的なメールのほうがずっと面白いでしょ?どうでしょうか、諸君!って誰に云ってるのか?ブログをやってみるまで、そのことはわからなかった。何か自分のものを奪われていくというか、むしろ閉鎖的な感覚(閉塞感?)が生まれてくるのだが。あるいは公開するというそのことが元から嫌いだという反時代的性質か。改めて、少なくともメールのほうが私の場合は奥行きが深いのでは?ではでは?、、、って浅そうだがなあああ。ふふふ、説得力ないか。ついでに説得力ない写真を。確か早朝のエンポリアムとその辺の説得力ない、というかどこかへ行く人(なぜ撮ったんだろう)。今は練習とはいえ、やはり、このブグロは説得力も面白みもない、存否の確認が主な役割になるのだろうか。
 午後は時間をつくって平塚美術館。函館出身の有名な長谷川兄弟の2番目(?)りん次郎展。りん次郎は四郎なんかと比べるとほぼ無名だが、一部に知られた(でもあえて無名であろうとしたように見える)画家だったのを日曜日に知った。オランダの静物画のようなリアリズムと静謐さ、そしてその結果は反転してシュールな異空間感覚(意外とこういうことになるのは少なくないかも)。20世紀初頭の函館からは異色な人物が多数生まれている。感想は書くとは限らない。ブログの長続きはきっと秘匿にあると昨夜気づいたからだ。いつか触れるかもしれない。そうそう、触れるというのがうまい書き方なんじゃないかと思う。でも他のブログに見られる、感想やら感情やらを率直に吐露する気概を否定するといったことではない。それはそれ。なおりん次郎は長谷川りん次郎で検索できる。りんはいま変換してみたが、字として出てこない。親は気概があったのか、ただ漢字文化が衰退したのか。気概あるものは衰退するともいえそうではあるが。