panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

幼年期の終わり?バージョン2

  実は最初のほうは保存せずに消したと思って、バージョン2は思いだしだし書いたものである。面白いからそのまま消さないでおく。選んだ写真も2枚は違うものだった。ブログのそういう適当さが好ましい。というか私がいい加減?


  日本にいて風邪気味で(咳さえ出る)、タイカマ(タイにかまけているの謂い。タイのオカマではない)していれば、書くことも少なくなる。ブログのやり方も分かってきたし、そろそろ練習も終わりか。これまで日本のことの後にタイのことを書くという構成にしてきたが、日本編が貧弱だから。でもこの温帯の日本のありがたみについても、ますますよく分かるようになってきた。歩くことが喜びにならない亜熱帯という気候では、たとえば、バンコクでは、ソイ(小路)ごとに利権をもったバイクタクシーというのがいて、ソイを行ったり来たりしている。怠惰で優美なバンコク人種は歩かない。
  タイやインドシナ半島本というのは相当あって、私の場合は150冊ほど集めたところで休止した。読んでどれを持っていくか決めないと運送賃がかさむ。しかし温帯にいてインドシナ本を読む快楽というのは、落差の快楽である。離れた2点間の落差が大きければ大きいほど、その喜びは深い。だから亜熱帯で読む亜熱帯の本は鬱陶しいかもしれない。しかし幻想のバンコクと現実のバンコクの落差には教訓が少なくない。我々は麺を啜って食べるが、タイ人はそうしない。事実、麺を食べた午後というのは決まって眠たいもののような気がする。麺を啜りあげるというのは、かなり激しい運動なのではないかと思う。何を急いで我々は麺を啜るのか。タイの人々は音をズルズルたてて啜る我々をどう思っているのか。麺を食べた後にあるべきだと我々が考えているのは何なのか。そこを、独特の優雅さで食事に対するバンコクという街で考えることになるだろう。
  一枚目は啜りあげる前の緊張して待つ我々。愛用(?)の大上海酒楼。結局、極力啜りあげなかったら、麺がのびた。同行者には怖くて聞けなかった。2枚目は市中心部の残骸一帯で見つけた打ちこまれた弾痕。もっとたくさんあった。そして、その前を走るバス。これは残骸でもなければ、襲撃を受けたわけでもない。しかしこれに乗ってる人々が優雅に食べるのである。文化の力をまざまざと感じる。